項目4 生命時間(準備中)

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All times are JST(+900)

 
 
投稿者 メッセージ
Post時間:2013-12-08 17:46:33

 
(2003年頃)

準備中ノート

仮定義: 生命時間とは 進化史的時間であり
     物質時間からの異化進展(分流)として
     物質の集合構造とは異なる 非物理的疎外として 措定された時間 とする。


生命時間は、したがって物質から生命の発生した部分の解明を前提として
生化学等の知識を前提としていくほかない。

考究は常に、その時代の最上級の知識集合の制約を受ける。
思弁としての自然哲学は、最先端の科学知識から始まる。
そして、その時点で解明されていること、さらに解明されていないこと の両方に立(りっ)して
思弁的な想像・創造をなす。



生命時間は、唯時間論初期には設定していなかった時間である。
唯時間初期、時間は宇宙時間Utと物質時間Mtと個時間の3種が基本的にもっとも重要な時間種であり
個時間を個時間と名付けた時点で、共有時間、関係時間(当初は対時間)は自動的に出てきたものである。
個時間が生命時間を扱う領域となっていたが、考究をすすめていくうえで
物質時間と個時間の関係だけでは、扱えない領域がじょじょに浮かび上がり
生命時間というものを仮に想定せざるを得なくなったものである。





      


 
 
 
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Post時間:2013-12-22 07:38:46

 
これを書いている私もこれを読んでいる人も生命体である。
にも関わらず、時間を実体として考える時間論にとって「生命時間」は、困難な概念の建て方になる。

なにか他の概念の建て方がないか、
別の「イメージの通底化」ができないか、
それはいまもすっきりしないまま、しかし「生命時間」という項目は
生命である自分自身にとって絶対に外すわけにはいかない。


科学は(いいかえれば唯物論)は「生命」の問題に引っかかると、
無理押しするか、保留するかのいずれかになる、というのが私の観察である。

科学の認識-いいかえれば極小と極大に対する人間の認識知-に多くを依拠しながらイメージを育てようとする唯時間論も
必然的にそうなる。

我々は、最終的帰結として現前している「現在」のなかで世界イメージを作っていくしかない。
帰結として現前する世界を逆さに辿って初源へ向かう事しかできない。

生命時間のむずかしさは、
「個々の生命」と、「生命全体」とを、ひとつの「生命時間」という概念でくくることのむずさしさでもある。

全体としての生命現象の具体的な(実体的な)姿は、
個々の生命実体としての我々ひとりひとりであり、
我々ひとりひとりは、元の生命から分離した相対的「個」として
それぞれの心的領域をもつ。

「私」の心は「我々」一般から分離した「個」として現象している。
「私」は実体だが「我々」は単なる概念だ、では済まされない何事かが
「生命全体」にはある。

これを共通に括るイメージとしての生命イメージは
我々が日常的に生命として暮らし
息をし、喰べ、排泄し、感覚し、「生きて」いるにも関わらず
とても難しいと感じる。

宇宙時間のイメージも、物質時間というイメージも、
ほんとうはこの「生命時間」というイメージにたどり着くための
道標にすぎないのかもしれない。
なぜなら、思考している私は(いまのところ)生命だからだ。

「心などない、あるのは社会的な織物だけだ」というイデオロギー的唯物論(ドイツイデオロギーにおけるマルクス)よりは、
「あるのは電気的な現象だけだ」という唯物的医学のほうが
いろいろなヒントを得やすい。

物質時間と生命時間はほとんど連関しているが
ほんのすこし物質時間からの疎外された領域をもっている。
そうでなければ、これを書いている「私」もこれを読んでいる「あなた」も存在しない。

知識学問的には遠ざけられているその「あたりまえ」だけが
手がかりだ。
しかしそこに戻ってくるには、最も遠い道を辿らなければならいようになっていると思えて仕方ない。
 
 
 
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最終更新:2015年05月16日 15:21