[時は流れず]に関して

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投稿者 メッセージ
Post時間:2013-12-07 20:41:06
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東大哲学・(故)大森(荘蔵)の「時は流れず」なる言い回しを要約してみる。
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1’ 過去は想起の中にのみあり(すでに)実在しない。
  従って過去-現在-未来という(順序)時間軸は虚構である。
2’ 運動(知覚内運動と身体運動)は常に現在(様々な幅がありえる)の経験である。 
  運動は(過去・現在・未来)という時間軸とは無縁である。

したがって「時間は流れない」。
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という理屈である。


 
 

『時は流れず』(青土社1996)』
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『(P86)現在ただいまという捉えがたいものを考えようとするとき・・・およそ何分ほど、いや何秒ほどの時間幅があるだろうか、
そんな幅の長さに決まりがないことは明瞭である。・・・現在ただいまという概念の意味には
時間幅などの限定はあたえられておらず、その時々に当たって
ごくおおまかでファジーに捉えるべきものなのである。

(P89~)誤りの原因は、元来は運動と無縁である時間軸に現在経験に充満している運動を無理に持ち込もうとすることにある
・・・・現在は時間のたつにつれて過去になる、
このそれ自身は経験的に全く正しい事実を、だから現在は過去へ漸次移動してゆくのだと曲解してしまう、
そしてそれこそ時の流れであると誤認してしまうのである。
・・・・現在ただいまが「かつての現在」へと移行(原著では傍点)、ないしは運動すると思い込んでしまう・・・・』
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 題名:メモ
Post時間:2013-12-08 14:49:45
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時間が流れる、という語感から多くの日本人が思い浮かべるのは、
方丈記の有名な巻頭文、

行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
 淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、
 久しくとどまりたる例
(ためし)なし。
 世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。


ではないだろうか。
この文は、'時は流れず'より,
はるかに豊かな'時'に関するイメージを喚起する点で、
時間の比喩としては世界に誇るべき一文ではないだろうか。

Θ大森の「過去」は実在ではないという言い分それ自体は、
別に変わった着想でもおかしな着想でもない
(ただ本人が言うほど画期的な訳でもない)。

○確かに物理学出身の大森は、
時間を座標単位として扱い
(その時点で数理的にはあたかも実在するかのように扱われる事になる)、
果ては完全に「過去」を実体化しなければ成立しないタイムワープの可能性にまで言及するに至った
「科学的(数理的)」宇宙論の時間概念や、
彼が多くを依拠しているらしいカントが想起に対して使っている「再生」(岩波の和訳ではそうなっている)などの言葉に囲まれれば、
強大な決めつけの世界に覆われているように感じたかもしれない。
その分肩肘の張った物言いになるのかもしれない。

○だが、それだけでは一定のカウンターとはなりえても、
 初源の発想だけで終わって展開せぬ(できぬ)ままそれを到達とみなすなら、
結局はデッドエンド-袋小路に陥ったまま時間認識の不毛化を招いて終わるしかないだろう。
実際、時間について彼は、結局何も言っていないように
私には見える。


●確かに「過去-現在-未来]なる概念のみで時間を捉えようとするなら、
「時間」は、実体としては存在しない単なる関係概念にすぎない
という言いぐさにいきつくしかなくなる。
それは時間に関する思考の停止で終わるか、
概念定義に関して頭の良さを競うだけの言語ゲームになっていく帰結しか見えず、
その先になんの展望も私には見えない。

○私は全く異なる発想から時間について思考しているが、
 大森の初源の発想自体に対して別に特段否定的なわけでもない。
 同意できない箇所も多いが、私の考えでは
どの種類の時間も「現在」のみだというのが時間の本質であり、
過去-現在-未来という視点は、相互の時間種の「関係」のみでしか成立しない時間観だと考えるからだ。
 しかし、大森の攻撃的・感情的・大風呂敷な物言いは正直、辟易する。
それはエピゴーネンたち(東大系の連中か?)の攻撃的な物言いや、
不毛な応酬に直に反映している。
そしてその責任は本家である大森自身の文体にあると感じる。

  
この件に関しては(エピゴーネンも含めて)この程度で十分だと思う。まさに「時間の無駄」
それよりは自身の発想・イメージ深化に時間を費やしたい。
 
但し「東大哲文」の地位・名誉を守りたいなどというつまらぬ党派的動機とは無縁の
真剣な反問や疑問に対し、自身の思考力の範囲内(さほど大きくない)で考えるつもりはある。
そのためにこういう欄外も設置してみたのだから。)


 

 

Post時間:2013-12-08 18:43:10
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 「時は止まらず」 
 「時は保てず
 「時は掴めず
 「時は指差せず
         のほうがいい。
 
 
 
 
 
 
   
 

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最終更新:2015年05月16日 20:28