東大哲学・(故)大森(荘蔵)の「時は流れず」なる言い回しを要約してみる。
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1’ 過去は想起の中にのみあり(すでに)実在しない。
従って過去-現在-未来という(順序)時間軸は虚構である。
2’ 運動(知覚内運動と身体運動)は常に現在(様々な幅がありえる)の経験である。
運動は(過去・現在・未来)という時間軸とは無縁である。
したがって「時間は流れない」。
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という理屈である。
『時は流れず』(青土社1996)』
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『(P86)現在ただいまという捉えがたいものを考えようとするとき・・・およそ何分ほど、いや何秒ほどの時間幅があるだろうか、
そんな幅の長さに決まりがないことは明瞭である。・・・現在ただいまという概念の意味には
時間幅などの限定はあたえられておらず、その時々に当たって
ごくおおまかでファジーに捉えるべきものなのである。
(P89~)誤りの原因は、元来は運動と無縁である時間軸に現在経験に充満している運動を無理に持ち込もうとすることにある
・・・・現在は時間のたつにつれて過去になる、
このそれ自身は経験的に全く正しい事実を、だから現在は過去へ漸次移動してゆくのだと曲解してしまう、
そしてそれこそ時の流れであると誤認してしまうのである。
・・・・現在ただいまが「かつての現在」へと移行(原著では傍点)、ないしは運動すると思い込んでしまう・・・・』
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