※これを記している現在、(第5章、自由とは何か の鍵写中)
自我認識の言語が(self-awareness)とされていることを改めて見直し、
また、改訳では「自我を求めて」が「自己を求めて」に直されているらしいこと(未見)も鑑み、
以後、
「自我」は「自己」「自己意識」「自己自身」「自己認識」と
前後の文脈によって判断しながら使い分けて鍵写することとしました。
(以前の部分も、第5章から始めて遡っていく形ですこしづつ訂正していきます。
すべての訂正がおわれば、数日後、まえがきに「注意」として移動します。)
タイトル自体は、その後の改訳版「失われた自己を求めて」と区別するため
そのままにします。
フロイドの「自我」(das Ich )(参照ウィキペディア「「
自我」)は、心の無意識部分や、前意識部分に対応する
自己の中のある部分(外界と内界の刺激の両方に刺激反応する意識領域として
特別な用語であるのに対し、
ロロ・メイの本書では、自我(das Ich *dasは英語のthisに近いらしい、ichは「私」なので、
「
この、私」というニュアンスになるらしい)の英訳ego(エゴ*元々はラテン語で「我思う、故に我あり」( ego cogito, ergo
sum)の「我」)
ではなく、[self]が使われていること(原題は「MAN'S SEARCH FOR
HIMSELF」)からも、
精神分析用語「自我」は硬すぎるし、それだとつじつまが合わない箇所もありました。
突然の訂正で申し訳ありませんが、ご了承下さい。
とりあえず、第5章だけは
すべて訂正してから続けます。 ←
全章訂正終了しました。
(予想したよりはるかに少量でした)[/quote]
Quote:
2011年11月10日(木) 05:51
第5章、第4章 訂正完了
(フロイドに関係する「自我」(das Ich)に相当すると思われる箇所はそのまま
自我 として残しました。)
2011年11月10日(木) 06:03
第3章Ⅱ訂正完了
2011年11月10日(木) 06:30
第三章 Ⅰ 訂正完了
学術用語として「自我」を使っていると推測される箇所は
「自己意識(自我)」 として残しました。
2011年11月10日(木) 06:43
第一章 訂正終了
超自我 はそのまま残した。
2011年11月10日(木) 06:45
まえがき 訂正終了