猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

薬師狐の営業帳 一話

最終更新:

jointcontrol

- view
だれでも歓迎! 編集

薬師狐の営業帳 一話


「さて、親父殿には申し遅れましたが、某こと六郎は此度目出度く尾張は織田家に召抱えられることとなりに候」
夜半、山近くの宿。
粗末な割りに大きいその一室で文を広げ読み上げる壮年の男が一人。
子供なら怯えて泣き出すような三白眼が文字を映す。
さらしの上に草色に染められた着流しを羽織り、手甲をつけただけの簡素な姿だった。
胡坐を掻いた足元には黒漆の鞘に納まった太刀と脇差が一振りずつ置かれ、行灯の光を反射している。

「恐らくは羽柴様の配下に認ぜられる物と候。あわよくばこれを足がかりに武勲を重ね、後々は城持ち、国持ちの将へと参らんが次第」
書いた文を口に出して見直しながら、筋骨隆々とした手が伸びた顎鬚を撫ぜる。
油が切れ掛かっているのか行灯の火が揺れて室内を奇妙に照らしているが、男は気がつかない。
日に焼けた顔の左半分を覆う白い布に、赤黒い染みが目立つ。

「陣中にて負いし傷も半ば癒えたり、同輩の山内殿に教わった施術が利きし様子」
そこまで読み、顔を上げて左手で布を剥ぐ。
額から左目を通り頬に抜けた真新しい刀傷が行灯の光に照らされた。
塞がりかけたその傷をツウと指先でなぞり、じわりと走る鈍痛に顔を歪める男。

「――ええい忌々しい。あの乱破め、次こそ叩っ斬って……」
形相を歪めてそこまで呟いたところで、揺らいでいた行灯の火がフッと消えた。
たちまち部屋の中が暗闇に閉ざされる。
むうと唸って右手を床に着き立ち上がるが。
そこで妙なことに気がついた。

――今夜は満月。先刻宿の主に秘蔵の濁酒を馳走されたときも、窓からは明るい月光が差し込んでいた。
何故、今はこんなにも真っ暗闇なのだろうか。
そこまで頭を巡らせた所で。

僅かな風切り音と共に飛来した刃を寸でのところで叩き落した。
金属と金属が接触し甲高い音を上げる。

「……ち、嵌められたか……不覚!」
怒号と共に太刀と脇差を引っ掴み後ろへと飛び退る。
その間に飛来した刃を今度は鞘に収まったままの脇差で叩き落とし、鞘から抜いた脇差を刃が来た方向へと投げつける。
一瞬の間の後、鋼が木材に喰い込む硬い音が響いた。
その音を契機にしたようにまたも刃が飛来し、舌打ちしつつ右に跳んでそれを躱す男。
気のせいか、一段と闇の深い所から歯噛みしたような気配が伝わってきた。

「おのれ乱破め! 未だに俺の首を狙うか!」
矢継ぎ早に飛来し続ける刃――乱破の好む苦無とか言う物だったか――を風切り音を頼りに脇差の鞘で次々と弾き、打ち落とす。
鞘に施された簡素な細工が段々と削れていく。

鞘を握り締める左手が段々と痺れ、全身に汗が噴き出した頃に、突然苦無の連射が止んだ。
ぎょっとして身構える男。気がつけば、壁際まで追い詰められている。
ようやく慣れてきた眼で睨めば、真正面六間ほどの場所に小刀を逆手に構えた何者かが姿勢を低くしている。
幾ら苦無を放っても傷を与えられないことに痺れを切らし、
真正面から直接切り込もうと考えたのか。

「――そういうことか、乱破。面白い……あえて真正面から来るという奇策、どれほどの物か――」
幾らか余裕を取り戻した男が脇差のの鞘を投げ捨てて口を開いたのと同時に、その何者かは床を蹴って飛んだ。
いや、飛んだように見えるほどの速度で駆け出した。
男がホオと息をつき、突進を躱すでもなく受けるでもなくただゆらりと両腕を――右手には鞘に納まったままの太刀を握り締めているが
――垂らし、何者かが刃を振り抜いた。

一瞬静寂が訪れる。
外で鳴いている鈴虫の声がよく響き、止まる。
何十倍にも引き伸ばされたような一瞬が通り過ぎ、

獣のような断末魔が轟いた。

「……終ったか。ふむ……死ぬかと思ったわ」
男が呟き、僅かに覗いていた太刀の鯉口を収める。
着流しは飛び散った鮮血で真っ赤に染まっていた。
その目の前には男以上に赤く染まった塊が二つ落ちている。
いつの間にか、窓から月光が差し込んでいた。
「宿の主も今の騒ぎで起きただろうな……片付けさせると――」
男は、しよう、と言い切ることが出来なかった。
なぜならば。

「な、なんだ、これは――?」
男の足元の床が闇よりも更に深い黒に染まってぐにゃりと歪んだかと思うと、泥沼のように溶けて男の足を呑み込み始めたからだ。
ずぶずぶと沈みこんでいく身体を振り回して暴れるが、飲み込まれた身体はビクともしない。
膝まで沈んだ後は早かった。
あっというまに腰、腹、胸まで沈み、最早動かせるのは両腕と首のみ。
「おのれ乱破! 道連れを目論んだかぁっ!」
その叫びを最後に、男の頭と両腕が一気に呑み込まれる。
最後に血塗れの太刀を握り締めた右手を呑み込み、泥沼がドプンと波打ち、閉じた。

明くる日、酒を飲んですぐに奇妙な眠気に教われて寝入ってしまった宿の主人は、昼近くなっても起きて来ない客の男を起こしに行って腰を抜かした。
その部屋のいたる所に苦無が落ち、壁にも突き刺さっている。
何よりも、壁の近くで倒れ伏しているものに恐怖した。
腰から綺麗に両断された黒装束の若い男。
あたり一面にぶちまけられた中身と時間の経過で赤黒くなった血、ぼろぼろになった黒漆の鞘。
しかも、客の男が忽然と姿を消している。
死体の真正面、もっとも返り血を浴びるだろう場所だけ、誰かが立っていたように血が飛んでいないのも、ますます恐怖を煽った。
慌てて人を呼びに駆け出す宿の主人の背中を、壁に突き刺さった脇差が静かに見送る。
昼の光を反射して輝くはずの刀身は、主人の喪失を嘆くかのように曇っていた。


「んー、良い天気だぁねえー」
山道を行く若い女。
種族における女性の平均身長を僅かに上回る頭に生えた長い耳が良い機嫌を反映してぴこぴこと動く。
背負った朱塗りの薬箪笥――左側面に「薬活上等」右側面に「ご利用は計画的に」天板に「危険物在住・開けるなキケン」と黒く書かれた
――が一歩踏み出すたびにガシャガシャと音を立てる。
左手に携えたド派手な金色の錫杖の立てる甲高い音と合間って喧しいことこの上ない。
錫杖と動揺に派手な赤蛇柄の上着――ネコの商人曰く落ちモノの「ふらいとじゃけっと」なるものの量産染め直し品――の下の
青い作務衣の合せ目から覗く谷間がゆれる。

「予定通りに神経用の日桂実もトランス用の凶草根も手に入ったし、良い感じー」
にししと笑う女。
垂れ目がにんまりと微笑み、鼻眼鏡が日光を反射して煌いた。

「……ん?」
と、足を止める。
胸の谷間に挟んでいる袋の中の小石が震えている。
胸元から引っ張り出すと、袋の内側から光を放って山道から外れた方向を示す。
木々が生い茂る中に、何かを見つけたのだ。
「……お宝の反応……ついてるねぇ……」
おちゃらけた雰囲気が掻き消え、狩猟者のような目つきに変わった女が、林の中に足を踏み入れる。
そういえばこの辺りって落ちモノの多発地帯だっけ、などと考えながら。

「あのネコのマダラ魔術師から買ったこの石、本当役にたつねぇ……希求の宝玉だったっけ……」
がさがさと草木を掻き分け掻き分け進む女。
掻き分けながら、袋に視線をやる。
「『所有者にとって価値のある者を一定範囲内で検索、探知する』……本当、ノミ取りの薬一つでこんなお宝くれるなんてね」
ま、結構可愛い顔だったし眼福だったし言うこと無しだよねえと笑いながら、更に奥へと進んでいった。



タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

目安箱バナー