猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

犬国奇憚夢日記12g

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匿名ユーザー

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だれでも歓迎! 編集
 ~承前

 静寂に包まれた王都城下の高級ホテル。
 最上階にあるスイートルームは寝室だけで7つもある豪華な作りだった。

 ル・ガルの各地に所領を持つ公爵家など、国内の超高階層にある者達にとっての常宿でもあるここは、様々に
『金儲け』を行えるホンの一握りの高所得者層だけの、いわば別世界でもあった。

 王都の中でもかなり格式の高いホテル内のレストランから持ち込まれるルームサービスのディナーは、席に付
くだけで5トゥンを必要とする5つ星だけの事はある味だった。
 飢える国内の末端状況など、全く関係ないと言わんばかりの豪華なメニュー。
 一夜の寝床を得るだけで下手な公務員の一か月分程度の俸給額を要する、いわば、地獄の中に作られた有料天
国でもあった。

「へぇ・・・・ 驚きました」

 席に着いた義三の眼前にあるのは、王都のダウンタウンで警邏部隊に喰わされた庶民の味とは一線を画すメニ
ューばかり。
 手間隙を掛けて拵えたその一皿一皿に、コックのプライドがにじみ出ていた。

「イヌの国には何も無いとおもってた?」

 鼻腔をくすぐる芳醇な香り。
 トリュフやハーブ類をふんだんに使った薬膳のようなスープをそっとスプーンですくって。
 僅か30年少々でここまで来た実感を噛み締めながら、アリスはそれを味わっていた。

「旦那やマヤさんから色々と聞いていたもんですから。まさかこれほどとは」

 そう。ずっとアーサーは話をしていた。
 来たばかりの義三にイヌの国を教えていた。
 マヤが時々口を挟み、時に笑い、時に言葉につまり。
 しかし、包み隠さずル・ガルと言う国家の実情を話してしまった。

 そして、ここからはアリスの番。

「私の所領であるスキャッパーは僅か40年足らずでル・ガル国内の他の地域と比べても、全く遜色無い豊かさを
手に入れました。そもそもスキャッパーは他の地域に比べ大幅に公共投資や公共教育が遅れていて、尚且つ、地
形的にも地味的にも劣る地域だったのですが、それを跳ね返し、そして有数の豊かさを手に入れたのです」

 ワインの注がれたグラスを優雅に振りながら。
 アーサーとマヤはそれを聞いていた。

「マヤさんのご両親が何でも大変な苦労をされたそうで」
「えぇ、そうよ。とても言葉には出来ないような・・・・苦労をね」

 スープを飲み干し、サラダに手を伸ばしたアリスは、今までの苦労話を訥々と語り始めた。決して重い話には
ならないように配慮した筈なのだが、それでも、マサミの、カナの、文字通り身を削る苦労には言葉を詰まらせ
ていた。
 吹雪の中、峠を越えて死に掛けながらオオカミと誼を交わした事も。所領の為にその身を差し出して議会と軍
双方への配慮を守ったカナの事も。それだけでなく、スキャッパーの為に、この世界のヒトの為に、これから落
ちてくるヒトの為に。マサミは死を覚悟してルカパヤン戦闘に参加した事なども・・・・・・

 そして、自らの危険を一切顧みず、妻を探す為にあちこちへ駆け回った事も。

 気が付けば食卓のメニューはデザートのアイスクリームになっていた。
 コックの心づくしでもあるメニューは、どれも上質で上品で、そして豪華だった。
 銀に輝くアイススプーンをジッと見て、アリスは遠い昔を思い起こすように言った。

「私が始めてスキャッパー地方へ来た時。従者は僅か3人しか残ってなくて、そこへマサミがやって来て。従者
達全てを解雇しマサミと暮らした最初の2年位は、それこそ、その日の夜に食べるものにも困る有様でした。今
でこそこうして豪華な夕食を囲んでいますが、あの頃はヒトの男であるマサミとイヌの私と、二人並んで粗末な
椅子とテーブルで、禄に具の入ってないスープを啜って眠ったものです。だから、あのヒトの男は執事だったの
です。スロゥチャイム家の執事ではなく、私の執事でした。私の食べる皿により多くの具を入れて。マサミの食
べていたスープ皿の底には具の代わりに石が沈んでいました。カサを増して見せる為に・・・・ね」

 その言葉に義三だけでなく、アーサーやマヤまでもが言葉を失っていた。

「アリス様。その石ってもしかして兄が使っている・・・・」
「そうよ。今、ヨシが使っている書類入れの中のあの石よ。文鎮代わりに使っていますけど、きっとヨシはマサ
ミに言われているはずよ。その石の意義に付いて」

 そうだ。
 マサミは懇々と語って聞かせていた。

 人権的に希薄な扱いを受ける事の多いヒトがスロゥチャイム家では執事を勤めている。
 ヒトの手に余るような権力を宛がわれ、イヌの国でもかなりの発言力を持つ公爵家の中で、他のイヌを顎で使
えるような立場と扱いなのだ。だからこそ。自重しなければならない。ついつい浮き足立って、軽はずみな事を
してしまいそうな自分への重りを意識しなければならない。

 自分が何者であるかを思い出すために。
 マサミはいつも目の届くところへその石を置いていたのだった。
 マヤやヨシの母カナが、いつも首へ飾っていたペンダントのような首輪と共に。
 緋色のワンピースの首周りへ添えられた純白の雪のようなカラーの、その周りに皆からも見えるように巻かれ
ていた『誰かの持ち物である事を示す証』のチェーンと共に。

「つまり。スキャッパーは、まだまだヒトを必要としている。と言うことでしょうか」

 日中、アーサーと話をしていた時の、あのべらんめぇ口調の義三は、ここには居ない。
 どこか鷹揚としていて、それで居て全く抜けたところが無くて。
 一言を口から出す時にも、慎重に冷静に、言葉を練ってから喋っている義三。

 その姿を見ながら、マヤは父マサミを思っていた。
 遠い日。父の膝に座りながら、聞いていた様々な話。

 様々な種族の男たちがやってきて、誓って手篭めになんかしない。生涯大事にするから。誓って大事にするか
ら。だから、娘を俺に売ってくれないかと話を持ちかけてきたのを、片っ端から袖に降って。
 まだまだ継続的に予算が必要なスキャッパー発展の為の投資資金としては、甚だ不釣合いなほどの金額を示し
て、更には、何処何処の家から貰い受けてきたこれだけの血筋の男を夫に宛がうからと、それで不足なら自分の
娘をそなたの小間使いに置いて行くからと。そうまで言い切って誠意を示す貴族まで居て。

 でも、その全てを袖に降って、だか、決して言葉を荒げず、でも、言質を取られず。

 やんわりと全てを拒否して、いつも最後には『成人した私の娘があなたの用意したヒトの男と恋に落ちたなら、
連れて行って結構ですよ。でも、それまではダメです。この娘(こ)の世界は、私の膝の上と、そして私と妻の主
が建てたこの館の中が全てです。』と追い返して。
 マヤだけでなく、末っ子の忠人まで狙われていたのに。それこそヒトの男の子コレクターなネコの夫人などか
ら莫大な金額を提示されたにも拘らず、全て断わっていた、父マサミ。

 どこか遠い目をして、そして、父を見るような目をして。
 マヤは義三を見ていた。

「あなたの飲み込みの速さは凄いわね。マサミが生きていたら、今頃は自分の右腕代わりに、そうね、フットマ
ンに置いて欲しいのですが・・・・と、私やポールに言ってきてたわよ。フフフ」

 全ての食事を終えて、最後のお茶を満足そうに口へ運んで。


  チリィ~ン・・・・・


                    ガチャリ

「お呼びですか。公爵様」

 ドアから姿を現したルームバトラーが恭しく拝謁した。

「大変結構なディナーでした。コック長に私がよろしく言っていたと伝えてください」
「承りました。下げさせていただきます」

 ルームサービスのスタッフが食堂を片付け始め、その合間を縫って新しく淹れたお茶と小さなビスケットが
テーブルへ並んだ。
 部屋に漂うお茶の香りが、ワインに酔った皆の頭を醒ましていく。

「ところで」

 改まってアリスが切り出した話。
 中身は分かっている。義三の身分上の話だ。

 マヤは無意識にアーサーを見た。マヤはあくまでアーサーの持ち物だ。
 建て前上はルカパヤンの市民だが、ルカパヤンで生まれたわけじゃないマヤはあの街の保護対象ではない。
 だからこそ、アーサーは自分の持ち物として、ル・ガルにもそう登録してある。
 持ち物ではなく『預かり』として・・・・なのだが。

 預かった相手はマヤの父マサミ。
 マサミが娘マヤを預けたのはスロゥチャイム家そのものだ。

 イヌの国の間抜けな部分を示す有名な例としてよく取上げられる部分。
 本人が亡くなっていようがなんだろうが、誰かの権利を遮るためにはその本人のサインを必要とする。
 つまり、マサミがスロゥチャイム家へ娘を預けたまま死んでしまった場合。
 マサミ本人が誰かにその権利を譲るとサインしない限り、娘を預かったスロゥチャイム家はどうする事も出来
ないのだった。
 それこそ、本人が自らの意思で『こうします!』と宣言しない限り、有効なのだった。

 そこに今、とんでもない事が降って湧いたので、実はマヤ自信が浮き足立っていた。
 なんと、国務大臣や国主のサインが入った公的機関へ身分登録するための書類がマヤの手の中にあった。
 報告を受けたアリスは一言『あなたの好きに使いなさい』とだけ言って終わってしまった。

 つまり、マヤはその気になれば、誰の持ち物としてでも無く、イヌの国の国民になれるのだ。
 兄ヨシや弟タダや。それどころか父母、マサミとカナ出すら成しえなかったところへ。
 マヤは手が届くところに居た。

「義三は友達です。今は友達です。これからその身分や所属や地位がどうなるか分かりませんが」

 どうなるか分からない・・・・・

 その言葉と共にマヤを見たアーサー。言いたい事はマヤにも良く分かった。
 つまり、お前の夫にしろ・・・・と。アーサーはそう言っている。

 で、マヤ自身も満更嫌と言うわけじゃなく、むしろ父マサミの面影をどこと無く感じる義三にどこか惹かれて
いたのは事実だった。

「じゃぁ・・・・」

 その意図する部分を理解出来ないほどアリスも子供ではないし、それにアーサーもマヤも計算ずく的な部分も
あった。
 各々が胸に秘めた思いを口にしないで居ても、まぁ、ある意味でバレバレな部分も有って。
 ただ一人、義三だけはなんとなくポカンと事の推移を見守っていた。

「紅朱館へ帰るまでに決めなさい。あなたがどうするか決めなければ、マヤも義三も困るだろうから」

 少しワインに酔ったようだ。
 色んな思いがグルグルと頭の中を駆け巡り、義三の味見をしてみたい衝動ですらアリスは感じていた。
 だが、このヒトの男は息子アーサーとマヤの世代の人間だ。
 それをする訳にはいかないし、年月を掛けて仕込んだタダもやがては手を離れてしまう。

「私も、もう一人位は手元にヒトの男を置こうかしらね・・・・」

 フフフと妖艶な笑みを浮かべて。
 そっと口に運んだお茶の味を確かめながら、アリスは息子たちの世代を眺めていた。





 そして数日後。

 始まりは些細な事だったのだけど、気が付けば大事になっていた。
 長い人生を歩めばそんな事の一つや二つ。誰にだって経験のあることなのだろう。

 ふと見上げた空の高さに驚く事があるように。
 今、見上げている建物の威容に心底驚いているヒトの男が一人。

「これが・・・・」
「まぁ、遠慮すんな。自分の家だと思っていいぜ」

 背中をポンと叩かれ。
 一瞬だけ気を抜いてしまった自分を恥じて。

 義三は紅朱館の正門を潜った。

 高い塔の上に立っていた見張りが何かに気が付き、合図となるラッパを吹く。
 その澄んだ音色は初夏を通り越して夏本番の陽気となったスキャッパーの空に融けていった。

 甲高く、そして、威厳のあるラッパに続き、勇猛で軽快なラッパ。
 領主であり公爵位を持つ頭首の帰還。そして、次期領主であり、また、領民を保護する力の管理者でもある長
子の帰還。

 城内からぞろぞろと関係者が出てきて、中庭にある領主ら高階層な人間専用の玄関で馬車の到着を待ち構えて
いた。

 その様子を遠くから眺めるアーサーと義三。
 彼ら二人は正門を潜ったところで馬車を降りていた。

 アーサーの母親であり、また、マヤの主でもある領主アリス・スロゥチャイムの姿を、アーサーは義三に見せ
たかったのだろう。

「お帰りなさいませ」

 恭しく馬車のドアを開けたヨシ。その後には紅朱館に働く多くの者が整列していた。
 領主であり公爵でもあるアリスの馬車のドアを『開けられる』のは執事だけの特権。
 何も言わずとも、そっと足乗せ台を降ろしたフットマンが一歩下がって、そしてやっとアリスは馬車から降り
てきた。

 最初にアリスの手荷物を受け取るのはリサの仕事。
 ハウスキーパーでありレディメイドでもあり。何より婦長と言う肩書きを与えられた者だけが出来る仕事。

 そう。いつの間にか城内の全てに目を光らせる立場に育ったヒトの夫婦が、主アリスを出迎えた。

「あの二人がマヤの親父さんお袋さん夫婦の最高傑作って訳さ」
「なるほど。で、旦那は?」
「だから旦那って呼ぶんじゃねーよ」
「いーじゃねーか。俺にゃあんたは旦那だ。それが駄目ってんならどうしろってんだよ」

 遠くから腕を組んで眺めるアーサー。
 その隣で一部始終を見ている義三。

 馬車から荷物を持って降りたマヤがヨシとリサへ何かを告げている。

「あ~ぁ あいつめ。全部話しやがったな」
「そりゃあんまりですぜ旦那。なんせ彼女にとっちゃ報告も仕事のうちでさぁ」
「そうじゃねーよ。だたな、面白くねーって話しさ」
「俺がですかい?それとも」
「ビックリさせるのも楽しみの一つさ」
「イヌってのがいよいよ良く分からなくなってめーりやした」

 ハッハッハ!
 豪快に笑いながらアーサーは歩き出した。
 包みに入った例の太刀をぶら下げて義三も後に続いた。

 見事に手入れされた中庭は広く大きく豪華だ。
 夏も盛りと咲き誇るバラの生垣を越えて、アーサーは車寄せの階段を登って行く。

 領主ら一握りの人間だけが使う玄関は、建物の2階部分にあるのだった。

「おい、アーサー」

 唐突に呼び止められ、アーサーが一瞬身構えた」

「そいつは誰だ?」

 玄関から出てきたのは、アーサーの父ポール公。
 立派な身なりで馬上マントを背負っている。

「旦那?」
「あぁ、心配いらないさ」

 ちょいちょいと指で呼んで。
 すぐ後へと追いついた義三をズイッと前へ押し出して。

「紹介しておきます。名は義三。王都でちょうど落ちてきた所を保護しました」
「・・・・そうか。じゃぁ、随分面食らっているだろ?」

 まるで値踏みするように足元から視線を走らせるポール公。
 その強い視線に一瞬だけ義三は身を硬くした。

「で、どうするんだ?」

 どうするんだ?
 一体なんの話しだ?
 義三は一瞬考えて、で、すぐに結果に至った。
 自分の身分上の話しなんだろう。それしかありえない。

 さて、俺の旦那はどうするのか。
 お手並み拝見と行きますか。
 横目で見たアーサーはニヤッと笑っていた。

「友達ですよ。友達」

 そのまま義三の肩をポンと叩いて。

「だよな?」
「そりゃねーですよ旦那。何度も言ってやすが・・・・」
「いーじゃねーか。ここに居る限り友達だ」

 アリスを中へ送ったのだろうか。
 城内より出てきたヨシがマヤと並んで義三を見ていた。

「それとも何か、ペットか奴隷レベルでも良いか?」
「なんですか?そりゃ」
「まぁ身分上の話しだ」
「そりゃ困るっすけどねぇ」

 両手を広げ肩を竦める義三。その姿にヨシはちょっと不思議そうだった。
 心情的に一歩下がった位置に居るポール公は、それが面白くて仕方が無かった。
 遠い日。数年ぶりに所領スキャッパーへ帰ってきたレオンの跡取り息子が始めてであったヒトの男。
 あの時の自分を見ているようで、アーサーの心のうちが手に取るように分かっていた。
 だからこそ、第1世代と直に接する事になるヨシの事が心配なのだろう。

「そうか。ヨシにとっては第一世代と言うとマサミが全てだな」
「はい。父以外ですと数えるほどしか」

 遠巻きにして接し方を伺っているヨシ。
 静かに笑うその姿に、アーサーはポール公の老いを確かに感じた。

「ヨシミツと言ったな」
「はい」
「ここに居るのはマヤの兄ヨシヒトだ。ヒトを省略しヨシと皆に呼ばれているが、我がスロゥチャイム家の執事
長をしている。この城の中ではアリスと俺に次ぐ序列第3位の裁量権を持っている。まぁそろそろアーサーが追
い越すだろうが、その決済はアリスしか出来ないゆえ、まぁ、色々と教えを受けるが良い。ここやこの世界での
生き方をな」
「承りました」
「ついでに言うと、ヨシの妻リサは婦長ハウスキーパーだ。この城の女衆の中ではアリスに次いで序列2位、全
体でも4位にある。油断するなよ?お前の態度が気に入らん!と言って、裸に剥いて城から放り出されても文句
を言えんぞ」

 おー、怖い怖い。
 そんな風な表情を浮かべて義三がヨシとリサを見た。

「所で、ヨシヒトはヨシ、タダヒトはタダと呼んでいるが、お前はなんと呼べば良い?」

 何かに気が付いたポール公が上目遣いにジッと義三を見ていた。
 アーサーの顔立ちをやや丸くしたような。
 それで居て、老成し威厳を備えつつある、すっかり白くなってきたポール公の顔立ち。
 歴戦の勇士でもあるイヌの表情は、予備知識が無ければ少々怖くも見える。

「そうだな。気が付かなかった。義三のヨシじゃウチの執事と被るわけだ。なぁヨシ」
「あぁそうだな。俺も困る。リサも困るだろ?」
「うん」

 何気ない会話だったが、義三はその僅かな言葉に腹の底で唸っていた。
 奴隷だと聞いていたヒトの夫婦が次期公爵家当主とタメ口以上で会話している。

「おい、なんとか言えって。黙ってないで」

 ハハハと笑うアーサー。
 義三は次の言葉に窮した。

「ミツで良いんじゃないかな。どうだろう?ミツ君」

 少し笑っているヨシがそういうと、リサは小声で ミツ君・・・・ ミツ君・・・・と呟いていた。

「良いんじゃないかしら。言い易いし」
「じゃぁ決まりだな。ミツ。何か意見はあるか?」

 有無を言わさぬ口調でアーサーにそう言われたならば、義三にはそれ以上の言葉は無かった。

「旦那がそれで良いならそうしやしょう。大旦那。いかがでしょうか」
「ミツ君。大旦那も悪くないけど、ポール様は皆から御館様と呼ばれている。このでかい建物の主だからね」
「それは失礼しました。御館様、いかがでしょうか」
「お前が良いといえば良いんだろう。まぁ、後は上手くやれ。当面はここの客室の一つを使うと良い」

 自分の言いたい事だけ言うと、ポール公は階段を降りて行った。

「リサ、後を頼む」
「うん」

 ヨシはその後を歩いていき、途中で追い越してホースマンの連れてきた馬の手綱をポール公へ手渡した。
 そのやり取りを見届ける事無く、リサは紅朱館へ戻り各部門のメイドたちへ指示を出している。

「御館様お気をつけて。お戻りは」
「あぁ・・・・ 夕方だが。なに、食事に間に合うように戻るさ。今日の夕食は楽しそうだ」

 手綱を扱いてポール公は馬を走らせ出て行った。
 その後姿にヨシが一礼し、きびすを返して戻ってくる。

「さて、今日は夕方まで忙しい。ミツ君。とりあえず部屋へ案内しよう。マヤ、アーサーとジョアンを頼むよ」

 テキパキと指示を出し、館内全てへ気を配るヨシの姿。
 久しぶりに見たアーサーは、その背中に遠い日のマサミを見ていた。

「あっしもいああなりますかね」
「さぁな。ただ、あいつは特別だ。なんせ、執事になる為に生まれてきたんだからな」
「そうなんですか?そりゃスゲェな」
「だって、生まれる前にもう決まってたんだからな。次の執事長だと」

 執事と婦長が指示を出し終えてイヌの使用人たちがそれぞれの持ち場へと散って行った大玄関。
 大きく豪華なその広間で、義三はル・ガルに根を下ろす事実上の第一歩を踏み出した。
 そしてそれは、アリスとポールとマサミとカナの時代が終わっていく事の序章でもあった。

 アーサーとヨシヒトの時代へ。
 スキャッパーは、まだまだ変わっていく。
 遠い遠い未来。何世代も重ねた先の未来。

 この地がイヌの国から独立運動を起こす時代への、その種が蒔かれる時代の始まりだった。

 第12話 ~了

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