猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

万獣の詩03

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万獣の詩 ~猫井社員、北へ往く~ 第3話

 
 
=─<Chapter.3 『AMBROSIA』 in >───────────────────────=
 
 
 ホテルアリアンロッドは格調高いホテルである。
 敷き詰められた緋色の絨毯、ウォールナッツ材で統一された数々の調度品。
 気品のあるカーテンに覆われた窓枠には細やかな細工彫刻が施され、
 多数配置された魔洸燈は夜でもホテル内を明るく照らす。
 大きな部屋に配されるのは、多数のロウソクを伴っての豪華絢爛なシャンデリア。
 
 それはネコのイヌの王都のホテルを除けば、まず間違いなく大陸でも有数の様相。
 安宿に泊まる毎日の傭兵が訪れたなら逆に居心地を悪くするような、
 文句なしにの高級ホテルだったのだが……
 
 
「……なあ」
「はい、なんでございましょう」
 赤毛ネコの青年の素朴な疑問に、ウサギのホテルマンが応対する。
「なんでこの部屋明かり消してんの?」
 
 収容人数200人から300人。
 演劇用のステージ、巨大シャンデリアまで備えたホテルアリアンロッドの大ホール、
 それが今、彼が扉から首を突っ込んでいる部屋の本来の姿なはずだった。
 ……テーブルや椅子には布が掛けられ、シャンデリアも下ろされた無灯の状態、
 天窓からの月の光にのみ照らされた室内が、栄華の欠片さえ感じさせなくても。
 
「それはもちろん、使っておりませんので」
「…………」
 首を引っこ抜き、バタムと扉を閉めた赤猫の青年が、どこか訝しげな表情をする。
 まるで何か期待していたものに裏切られたような、ガッカリした子供の顔。
「あっちの小さいホールが真っ暗なのもか?」
「ええ、左様でございます」
 
 指差された先にあったのは、こちらは収容人数50~60人程度の中ホール。
 大ホールに比べればやや小さいが、それでも小さなステージも備え、
 ちょっとしたパーティや宴会、会食なら十分可能の立派なホール……だったが。
「何しろシャンデリアのロウソク代自体、あれで馬鹿になりませんので」
 やっぱり例によって真っ暗。
 本来見られるはずの華美さや絢爛さは、微塵にも感じられない灯火の落ちた景色。
 それどころかもう数週間は使ってないのを示す証拠に、
 開けた扉からの照明光に反射して、薄く舞い上がる埃の影さえ伺える。
 
「何せ大ホール自体、使われるのは夏場に集中しての年に数度だけですからねえ。
それもヤギの旅芸人一座の演目の為に開けられるのが大抵で、
集まるのは他国のお客様ではなく我々ウサギですし、…はて、本当に最後に
大ホールがお客様のお食事用に使われたのはいつ頃でしたっけか」
「……ていうかさ」
 何やら真剣に考え込みだしてしまったウサギのボーイを無視するように、
 赤猫の青年は次の疑問を投げかける。
「従業員少なくね? このホテル? 500人泊まれる割にはさ」
 
 確かにその通り。
 幾ら500人泊まれる所を普段は50人どころか5人しか泊まらないホテルではあっても、
 それでも『最大520人』を公称する以上はそれなりの人員を配して然るべきで。
 …だというのにこの閑散とした有り様、
「さっきも厨房覗いたけど、なんか3人しか料理人居なかったぞ?」
 そもそも一桁にも満たないシェフ数で、どうやって500人分の料理を作るのか?
 どう考えても不可能だと、赤ネコの彼は思ったのだが。
 
「それはお客様、とても簡単な事でございますよ」
 このウサギのボーイ、実に単純な事だと言わんばかりに。
「いざとなったら、ご近所の主婦や主夫の皆様のお力も借りるだけでございます」
「……は?」
 
「いやぁ、大変でございました。最後の『満室』は確か、14年前の事でしたか」
 だがそんな相手の怯みを意に介する様子も無く、
 ウサギのボーイは遠い目をしてその時の事を思い出すかのように。
「何せこのホテルアリアンロッドでも収容しきれない程のお客様のご来訪ともなると、
国にとっても一大事、ある意味国難なウサギの度量が計られる時でもございます。
当然王城のバックアップの元で、ウサギ一丸、通常業務を放棄してまでの団結体勢」
 …………。
「老いも若きもシーツを洗濯、ベットメイクを手伝って、幾つかのレストランには
臨時休業をしてもらい、主婦の方々と共に食事の準備を手伝っていただきました。
通称『満室体制』、平常運営に比較し従業員800%増の臨時厳戒態勢にございます」
「……そ、そうか」
 そんな熱い眼差しで語られては、でも「そうか」と言う以外他にしようがない。
 
「だ、だけどよ、大丈夫なもんなのか? 素人にそんなん手伝わせちゃって」
「ご心配には及びません、お客様」
 ただ、ホテル経営というものもこれで中々厄介なものだ。
 場末の安宿でないのだから、ホテルマンとしてのマナー、シェフとしてのマナー、
 色々面倒な礼儀作法がある以上、そんないい加減な事で――
 
「これで案外、何とかなるものでございます。……というか、なりました」
「…………」
 
 ――結果論かよ。
 慇懃に微笑んで会釈してみるウサギのボーイを前に、
 ただ顔を引き攣らせて心の中で毒づくしかない。
 
 
 
 ホテルアリアンロッドは格調高いホテルである。
 敷き詰められた緋色の絨毯、ウォールナッツ材で統一された数々の調度品。
 気品のあるカーテンに覆われた窓枠には細やかな細工彫刻が施され、
 多数配置された魔洸燈は夜でもホテル内を明るく照らす。
 大きな部屋に配されるのは、多数のロウソクを伴っての豪華絢爛なシャンデリア。
 
 それはネコのイヌの王都のホテルを除けば、まず間違いなく大陸でも有数の様相。
 安宿に泊まる日々の傭兵が訪れたなら、逆に居心地を悪くするような、
 文句なしにの高級ホテルだったのだが……
 
 ……しかしそれらも全て、見せかけだけの話である。
 絢爛にして豪奢な大ホール(収容人数300人)に、明かりが入る日は年に数度もなく、
 冬の間はもっぱら閉ざされ、部屋隅や椅子脚にクモの巣が張る事もしばしばだ。
 一度に100人以上が入浴できそうな地下の大浴場も干乾びたっきりで、
 使われるのはせいぜい20人が入れて関の山の小浴場の方。
 ホテル内を隅々まで照らせるはずの魔洸燈の、
 その全てに明かりが入る夜もまた、一年を通して数える程にしか存在していない。
 現にネコイテレビの第四特派取材班が滞在していた際も、
 三階、四階と二階の西半分の廊下の明かりは消されたっきりの真っ暗闇であった。
 
『ケチ? いえいえ、違いますともお客様』
 そんな高級ホテルらしからぬ貧乏臭さへの抗議に対して、
 一人の従業員がこう答えている。
『エコロジィでございますよ、エコロジィ。環境に優しいのが当ホテルのモットー』
 タキシードを着込んだ出で立ちに、慇懃な会釈を行いながら、
 ベルキャプテン兼チーフコンシェルジェ、現オーナーの夫でもあるこのウサギは――
 
『限りある資源を大切に。…維持費・人件費の節約に、ご理解頂ければ幸いです』
 
 
 
=―<3-1 : Rau in : 5th day PM 7:05 >──────────────────────=
 
 
「まずはアミューズ(お通し)にホワイトアスパラのムース」
 
 せいぜい街角の喫茶店程度、20人も入ったらいっぱいになっちまいそうな小食堂。
 暖炉の火にくべられた薪がはぜる音をバックに、
 部屋隅に置かれた蓄音機からは、何かの物静かな曲がエンドレスで流れてやがる。
 それが耳に五月蝿いってわけじゃねえんだが、どうも妙な気分にさせてくれて。
 真四角四角したお行儀良く座るための小奇麗な椅子と机に、
 テーブルの中央に置かれたガラスの花瓶の存在といい、明らかに俺のガラじゃない。
 
「そして、こちらがアペリティフ(食前酒)になります」
 
 …――やりにくい街だぜ、ホント。
 
「ラスキ様、ホウヤ様、ラウ様はスパークリングワイン、パールヴィンクルの8年もの。
ヒース様、キャロ様、レティシア様は果実酒、スノーベリー酒の5年もの。
イェスパー様、ティル様はノンアルコールカクテルで。…以上でよろしかったですか?」
「はい、問題ありませ――
 
 ちゃちなグラスに注がれて出されてきた酒を、一口でぐいと飲み下す。
 味は麦酒よりは多少きついかってところだが、いかんせん量が少な過ぎだ。
 てか一口どころか半口にもなりゃしねぇよこれじゃ。
 
「……お前という男は。もう少しマナーというものに――
「嬢ちゃん、昨日の白熊の火酒、まだ残ってたらもらえるかい?」
 横のレティがムッとした表情で憮然とした声を出すが、マナーなんて糞食らえ、
 これ以上何を守れってんだ全く。
 
「白熊の火酒も残っておりますが……実は本日、さる筋から狼国の濁酒を――
「おお!? いいねぇ、じゃあそいつをあるだけ貰えるか?」
「――かしこまりました」
 にっこりと笑って厨房の方に下がる嬢ちゃん。
 ウサギもこういう所じゃ気が利くじゃねえかと上機嫌にもなったんだが、
 気がつけばキャロの姐さんとレティの視線が冷てえ。
 
「…こういう席では料理の味が分からなくなるから、ビールやウイスキーみたいな
ワイン以外のお酒は頼まないのがマナーだって何度も言ってるでしょうに……」
「お前のような、酔えさえすれば味なんてどうでもいいというような輩が
酒好きを自称するとは言語道断。…謝れ! 世界中の杜氏さんに謝れ!!」
 
 呆れ顔で冷ややかな視線を向けてくる姐さんはともかく、
 顔を真っ赤にして静かな怒気を飛ばしまくってるレティは何なんだよ一体。
 飲んでもいねえのにもう酔ったのか?
 通しに出された白いみぞれみたいなのを口に放り込みながら、ウンザリも強まる。
 
 ……ったく、めんどくせぇ事この上ねえなあ、女も、この国も、何もかも。
 酒なんて楽しく飲めてなんぼだろうに、
 味だのマナーだの、だからこういうシャチホコ張った食事の席は嫌いなんだ。
 料理が順番に一品ずつ出てくるってのもまた面倒っつうか、
 素直に全部どかっと出してくれればあれこれ肴もつまめて酒も進むのによ。
 ああ、ほんと、居心地悪くて堪んねえ。
 きんきらきんの貴族のお屋敷みたいな内装に、
 部屋の隅に置かれた蓄音機から流れてくるお上品な音楽。
 真っ白なテーブルクロスとその中央に置かれた花の生けられた花瓶は、
 どう考えても俺みたいなのが居ていいような背景じゃねえってんだ。
 ……この国の妙な空気は、やっぱ俺には生ぬるすぎる。
 
 
 
 ……機嫌が悪い理由は分かってんだ。
 相棒が手元にいねえから。
 
 それが食い扶持である以上、毎日の鍛錬を欠かした事はないんだが、
 全部が全部得物を取り上げられちまったとあっちゃ、素振りの一つもできゃしねぇ。
 それでも武器屋の一つぐらいあるだろと思って街をブラついてみたんだが、
 ほんとに一軒もねえ、あって骨董品屋ぐらいだってのはどういうこった。
 
 道場らしい道場もなけりゃ、弓道場らしき弓道場もない。
 どこの街にだって裏通りに回れば怪しい店や非合法の店くらい軽く見つかんのに、
 それすらねえ、裏通まで静まりかえって清々しいのは異常だろ、この街。
 ……猫井に来る前、師匠や同じ傭兵の同業者達から、
 この街の評判が悪い、誰も行こうとしなかった理由がよぉっっっく理解できた。
 締め付けのきつくて息苦しいイヌの王都の方が、まだ仕事の種にもありつける。
 
 ただでさえ北の端、陸路の終点、来る手間大変の行く価値薄い街だってのに、
 それに加えてのこの平和さ、汚れ仕事の皆無さと来たら。
 綺麗過ぎて、気持ちわりいくらいで。
 俺がヒマそうに街中をブラついてんのを見て、肉体労働を斡旋してくれんのは
 嬉しいんだが、でも今更カタギに戻れるのならこんな仕事してねえよ。
 ……ホストやらないかって声掛けてきたねーちゃんに関しては、もっと論外。
 アホか男娼って。俺にイヌになれってか。
 
 ……血の匂いが足んねえ。
 もう五日、基礎トレだけでろくに素振りや型の反復もしてないのもそうだが、
 なによりもまず『それ』が足りねえ。
 血と汗の匂い、戦いの匂い、肌がヒリヒリ来る、ピリピリした感覚。
 ぞっとする程冷たい、でも熱く煮え滾る、笑いの止まらない緊張感。
 この街には『それ』が致命的にない。
 …こんな街にずっと居たらすぐに腑抜けちまって、色々なまっちまいそうだ。
 
 頼みの綱とばかりに門戸を叩いた魔法騎士団の訓練場は、
 どっこい他流試合はお断りしてるんだそうだ、…ヘッ、つれないこって。
 おかげで残った仕事といったら、ガキのお守に荷物持ち。
 これじゃ酒に溺れて気を紛らわしたくもなるってもんさ、俺の気持ちも分かってくれよ、
 シラフでいるにゃあ辛過ぎる。
 
 ……これならいっそ――野郎相手は死んでもお断りだが――【例の噂】みたいに、
 女共にそっちの意味で襲い掛かられでもした方が、まだ退屈もしねえのにな。
 切った張ったの生き死にの攻防とは違うが、まぁヤったヤラれたの尻穴の攻防も、
 それはそれでまた面白そうだ、命懸けのやり取りには違いねえ。
 
 ……もちろん、そっちでも俺が負けるだなんてこれっぽっちも思わねえがな。
 張り型つけた女共を、自慢の刀でばっさばっさってのも、うん、悪かぁない。
 
 
 
「……何を一人でニヤニヤ笑っているんだ、薄気味悪い」
「…ん、ああ、いや、酒が楽しみでな」
 じろりと睨んだレティの勘ぐりに、ごほん、と咳をしてその場を誤魔化す。
 何を考えてたか、まさか正直に言うわけにもいかねえしな。
「それよりもだ、美味いのか、その酒?」
 適当に話題を逸らす為に、レティの手の中の透明な酒を指差してみるが。
 
「ああ、美味いぜぇー」
 答えたのは何故か、例のでしゃばりなガキンチョネコ。
 ……俺ぁレティに聞いたんだがな。
「へえ、どんな味だったんだい?」
 聞き返すのは、ラスキの旦那だな。
 酒の席でも話題が途切れないよう、空気悪くならねえように気を配るその細やかさは
 大したもんだが、でも俺には真似したいとは思えねえ。
 
「おう、ジュースみたいに飲み易かった♪」
 
「……」「……」「……」「……」「……」「……」「……」
 
 ……ほら、だから言ったんだ、相手にするだけ馬鹿らしいってよ。
「……ガキが」
「っ!? だ、誰がガキだよ、誰がっ!!」
 思わずボソリと呟いてやったら、ものすごい勢いで突っかかって来やがる。
 そういう所がガキだってんだ。うぜえ。
 
「…甘口のお酒ね。といっても甘ったるくてくどいわけじゃない、口当たりは爽やか。
だから軽くてすいっと飲めるけど、度数は高いから食前酒にはぴったりかしら」
 嘆息して説明の補完をしてくれるのはキャロの姐さん。
 流石。説明ってのはこういうのを言うんだよ、分かったかガキ。
「一昨日のフレイムベリー酒と比べると、果実酒に特有の酸味が無いのが特徴だな。
単調で癖が無い分面白みに欠けるが、これなら酒の苦手な者にも飲み易いだろう」
 隣でレティの目が生き生きしてるのも気のせいじゃあねえだろう。
 『酒好き』ではなく『酒マニア』、
 あちこちの酒を飲み比べるのが趣味って公言して憚んねえ奴だもんなこいつ。
「はん、要するに女子供が好き好むような酒だってわけだ、ガキにはお似合いだな」
「んっだとぉ!」
 鼻で笑ってやると、空のグラスを掴んだまま握りこぶしを作るガキンチョ。
「だったらおめーの飲んだ酒はどんな味だってんだよ!」
「あん? ……まぁそうだな」
 一口で飲んじまったさっきの酒の味を、んー、と顎に手を当てて思い出し。
 
「まぁ、ちょっと口当たりがきついビールって感じだな、うん」
「……」「……」「……」「……」「……」「……」「……」
 
 ……な、なんだよ、急に全員して黙りこくって。
 これ以上なく分かり易い説明だったろうが。
 
「五十歩百歩、ね…」
「ふっ、貴様に少しでも理知的な説明を期待した私が馬鹿だったぞ…」
 ちょっ!? 待てよ、誰が誰と同類だぁ!?
 聞き捨てならねぇ、訂正しろよ今のは!
 
「…スパークリングワインってのは、まあ発泡ワイン、ビールと同じ発泡酒の一種でね」
 ……む。
「普通のワインは樽での発酵が完全に済んでから瓶詰めに移るのを、
一次発酵が済んだ時点で瓶に詰め、二次発酵を瓶の中でさせたワインの事なんだ。
こうする事で発酵で発生した炭酸ガスが瓶の外に出られずワインに溶けて、
ちょうどソーダ水やラムネ水みたいな消泡感のある飲み口、って言うと分かり易いかな。
『パールヴィンクル』はその中でも発泡性が弱いスパークリングだから、
そんなに舌もシュワシュワしない、発泡酒が嫌いなヒースでも飲み易いと思うけどね。
…でもこの『パールヴィンクル』、酒自体の味はかなりのきつめの辛口だから。
度数はそれ程でもないんだけど、まぁ甘口の酒が好きならお奨めはしないでおくよ」
 …ぐお。
 
 せいぜい半口しかねえ酒をまだちびりちびりとやりながら、
 どっこいペラペラと淀みなく言い切るラスキの旦那。
「ふふ、流石は主任殿だな。どこかの無学な言葉足らずとは大違いだ」
「いやいや、ワインが有名っていうから来る前にあらかじめ調べておいただけの話で」
「説明ってのはぁー、こういうのを言うんだぜぇー? なぁ脳筋ー?」
 がああぁ、いちいちムカつくな、約二名!
 しかもガキンチョネコの言う事がなんでかデジャヴを感じさせるからまたムカつく!
 
「ビールも飲めないガキがいきがんなよ…?」
「けっ、ビールなんてあんなマズい酒、喜んで飲む奴の気が知れないぜ」
 いつしかバチバチ飛び交う火花。
 高まる一種即発の空気。
「ビールの美味しさが分からないなんて、可哀想だなーですよ」
 クチバシでついばむ様にちまちま酒を飲んでたトリ野郎が、
 そんな空気に水を差すが如く、なんとも脱力を誘う声を上げるけどな。
 
 …っていうか置いたまま飲むな、せめて手に持って飲めよ、…汚えなぁ。
 
 
――< interrupt in >─―
 
「ところでイェスパー、ティル君、君達の飲んでるのは美味しいのかい?」
「…………」 コクコクコクコク(肯定)
「…………」 コクコクコクコク(肯定)
「ははは、そりゃあ良かった。…なに、お酒が飲めないからって
何も引け目に感じる事はないんだからね。ゆっくり飲めばいいさ」
 
――< interrupt out >─―
 
 
「…ははん、大体ビールなんざワインに比べたら――「「何言ってるのよヒース、
新入社員歓迎会でビールうめぇうめぇって調子に乗って飲み過ぎて
お腹壊して盛大にゲロ、それ以来ビール嫌――」」わあああああああ!?!」
 
「……ほぉ」
 慌てふためいて隣のキャロの姐さんの口を塞ぎにかかるあたり、
 どうやら本当にあった話みてえだな。
「こいつぁいい事聞いたなぁ」
 ガキンチョネコがビクッとしてこっちを見るが、もう遅ぇ。
「って事は、そうだな、うん」
 既に決まっている事を、わざともったいぶって考え込むふりをする。
 自分の冷酷さが正直怖いぜ。
 
「…今日からてめぇのあだ名は【ゲロにゃん】だ」
 
 
――< interrupt in >─―
 
「それはディアブル・ド・ラプラスというお酒の入っていないカクテルなんです」
「ほぉ」
「ラスキさん、ラスキさん! 半分あげるでござる!」
「…い、いや、ティル君、気持ちは嬉しいけど(間接キス…)…って、イェスパー?」
「…………」
「レシピを教えて欲しい? ええ、それなら構いませんよ」
「…………ん」
「構わないのですが、でも――」
 
――< interrupt out >─―
 
 
「ははは、【ゲロにゃん】、【ゲロにゃん】、【ゲーロにゃーん】♪」
「ウギャアアアアアアアア!! ゲロにゃん言うにゃあああああ゙あ゙あ゙!!!」
「ちょっ!? 止めなさいよヒース、ラウ君も!」
「…………!!」(カモシカin笑いのツボ)
 
「……お皿を並べられないので、まずはあれを止めていただけませんか?」
 
「…………」
「…………」
「…………」
 
「このお酒はおいしいですねー(コツコツ)。辛口端麗だなですよー(チュピチュピ)」
 
 
 
=―<3-2 : hors-d'oeuvre : 5th day PM 7:14 >──────────────────=
 
 
「それでは、お待たせいたしました」
 ……喉が痛ぇ。
「ファーストオードブル(冷たいオードブル)、フィグルのマリネ、ヴィネグレットソース和え。
セカンドオードブル(温かいオードブル)、グーグー貝とテレンゼのパイ風カップグラタンです」
 レティの奴、思いっきり喉仏突きやがって。
 幾ら模造刀だからって、鞘ごと突かれればメチャクチャ痛ぇに決まってんだろうが。
「供にするワインは白、『シルヴァン・アノー』の昨年物でお楽しみください。
…そちらのオオカミのお客様にはご注文の濁酒、とりあえずは大徳利一つでどうぞ」
 ……って、おお。
 おお、おお、おお!!
 
「わわわ、分かってるじゃねーか嬢ちゃん!」
 それをグッと掴み上げ、喉の痛みも忘れて興奮に思わず歓声を上げる。
「『濁酒』に『徳利』と『ぐい呑み』たぁ、分かってるじゃねーか!!」
「騒ぐな。見苦しい」
 はっ、さっきまで腹抱えて爆笑してた奴が何言ってやがる。
 無視してドボドボとぐい呑みに酒を注ぎ込んで、
「貴様、零れているではないか!」
 ぐっと一息に呷って。
「なっ!? それでは味が分からんだ「「っかーーーー、うめえぇーーーー!!」」
 これだ、これ。
 これこれこれこれ、これよこれ。
 やれビールだとか、ワインだとかウイスケだとか人によって違うみてえだが、
 俺みたいなオオカミの庶民出にとっては こ れ だ よ こ れ !!
 
 はぁ~~~~幸せだ。
 ……何だか故郷を思い出して涙が出てきそうになっちまったじゃねえか。
 
 
「…しっかし、よく手に入ったなぁ、こんだけ上物の濁酒(どぶろく)?」
 濁酒(どぶろく)ってやつはそもそも保存の利かねえ酒だし、
 しかもウサギはパン食いだから、米酒の知識があるとは到底思えなかったんだが。
「ええ、在住のオオカミご夫婦が作っているのを分けて頂いたんです」
 ほお、道理で。
 なら出来立てか、そんならこの味の良さも説明がつく。
 
「…? てっきりウサギとオオカミは険悪だばかり伺ってましたが……」
「あら、では仲の悪いはずのネコやオオカミと一緒にいる貴方はどうなりますか?」
「……え? あ、いや、そ、それは」
 はは、ラスキの旦那もそいつを言われるとぐっと詰まるみてえだな。
 
 こんな街で暮らすなんざ俺には到底考えられねんだが、
 でもどこの種族にも物好きや変わり者っつうのはいるもんだ、
 ラスキの旦那や、猫井の連中みたいによ。
 こうして兎国なんかで美味い濁酒にありつける以上、今はそいつらに感謝しとくか。
 
 もう一杯ぐいっと引っ掛けて、ついでに出された料理も口の中に放り込む。
 相変わらず分量の少ねえ草や果物ばっかの料理だが、
 機嫌のいい今はそれも気にならねえ。
 うん、いい気分だ♪
 
「貴様は……もう少し味わって食べるという事ができんのか!」
 
 ……なのにさっきから五月蝿えなあ、せっかく人が上機嫌だってのにこのアマは。
 人がどう食おうと勝手だろうに、さっきから横でペチャクチャペチャクチャ。
 大体なんだ、同じ山国出身の田舎者のくせに、ワイングラス片手に気取りやがって。
 ご丁寧に膝にナプキンまで掛けて、器用にフォークとナイフを使ってやがる、
 キャロの姐さんはともかく、てめえはそんなガラじゃねえだろうに。
 
 料理なんて腹が膨れてなんぼだし、酒なんて酔えてなんぼ。
 …そういう考え方の俺からすりゃ、このワイン、葡萄酒ってのはどうも苦手だ。
 度数の低い割にはやたら酸っぱかったり渋かったりで一息に飲めねえ、
 強さで来る火酒や、量で行ける麦酒と違って中途半端過ぎる。
 「味がいい」だとか「香りを楽しむもの」だとかあれこれベタ褒めする連中は多いが、
 俺は嫌いだね、こんなややこしくてお高くとまった酔えねえ酒。
 料理だって最初からどーんと焼いた魚や焙った肉に、
 塩とスパイスでも利かせて出してくれりゃあ俺だって文句の一つもねえのによ。
 
「こう、もう少しな、小さく切って舌先に乗せて転がすように味わうとかの……」
「うるせえなあ、そういうのはお前がやってろよ、このグルメ女」
 それなりの鋭さを込めて睨みつけてやり、俺は三杯目の濁酒に手を出す。
 怯みもしねえのは分かってるがな。このアマに限ってはそれ位じゃ。
 ちらりと正面の席を見れば、ガキンチョネコの方も方で
 キャロの姐さんに横から食器の使い方だのワイングラスの持ち方だので
 あれこれ五月蝿く口出されて、明らかにテンパリ状態に突入してた。
 そこは、素直に同情する。
 ったく、なんで女って奴はこういう『雰囲気』とか『形』ってやつに五月蝿えのか。
 
「大体にして、俺はお前みたく翻訳も担当はしてねえんだよ、元エグゼクターズ」
 ぐいっと喉を通る酒の感触。
 ただそれだけでいいだろ、それで十分だろ。
「料理を褒めたり堪能したりは、お前の方でやってくれ、俺は好きに飲んでっから」
 『キョーヨー』とか『レイギサホー』とか、そういうのは俺のお守の範囲外。
 
“――酒くらい好きに飲ましてくれよ”
 
 『カモシカの癖に猫かぶりが』という毒づきだけは俺の胸の内に留めておいて、
 俺は故郷の酒の味に、黙ってその身を任せだした。
 
 
 
=―<3-3 : Letizia in : 5th day PM 7:19 >─────────────────────=
 
 
 まったく、つくづく品のない男だ。
 これ以上何を言っても無駄だと悟り、私は目の前の食事に没頭する。
 
 何せ予算が予算、毎日豪奢な食事にて贅沢の限りを尽くすわけにもいかぬ以上、
 出される酒も歳はせいぜい数年から十年程度の若さ、
 料理の素材とてありふれた、とても高級食材とは呼べぬものばかり。
 …だが、溢れる調理と献立の工夫がそれを素晴らしいものへと昇華させている。
 
 最初に通しとして出された『ホワイトアスパラガスのムース』は、
 酒の肴にさえならぬスズメの涙ほどの分量と、ややきつめに付けられた塩味でもって、
 舌に物足りなさを感じさせると同時に続く料理への期待感を煽っていた。
 上に乗っていたあの赤い粒々は、塩漬けにした鮭の卵か。
 おそらくは隣国であるクマの国から輸入したものなのだろうが、
 あれが淡白透明なホワイトアスパラのムースに、
 動物性タンパク質に特有のねっとり濃厚な味をアクセントとして添えていた。
 見た目も紅が映えて美しいし、
 あの程度であれば私のように生魚のダメな種族にも好まれよう。
 
 続くオードブル、『フィグルのマリネ・ヴィネグレットソース和え』でも唸らせてくれる。
 果実とは言っても元々甘みの少ないフィグルを酢と油に漬けたものだ、
 自然それ単体では酸味が強くなるのが道理。
 片や複数種類の野菜・香草をすり潰したのであろう、緑色のペースト状になった
 ドレッシングソースは、それだけでは苦くえごいだけで旨みのないソース。
 ……だがこの二種が取り合わされる事で、なんたる事か。
 美味い!とは声高には言えない、言えないのだが、何とも気になる味とでも言おうか。
 酸味と苦味が出会い中和された結果、
 フィグルとソースの双方に隠されていたほのかな甘みが舌の上に広がるのだ。
 さながら噛みしめた穀物の味にも似るあえやか味。
 酢と共に和えられた油に隔てられ、フィグル・ソース双方の甘みが混じる事もなく、
 奏でられるのは味の複合交響曲。
 双方中和されあっての結果、無味無刺激に近いながらも食の止まらぬ不思議な味わい、
 気がつけば空の皿、残るのは『もう一口』という何とも言えない物足りなさだ。
 
 ……うぬぅ、やってくれるなシェフ!
 通しで物足りなさと期待感を感じさせておいて、前菜ではさらにそれを焦らす。
 捻りも何も無いコース料理兵法の王道だが、
 しかしここまで見事に策に嵌められては私としてもぐうの音が出ぬではないか!
 思わず「うーまーいーぞー」と叫びたくもなる!
 
 続く『グーグー貝とテレンゼのパイ風グラタン』においても、
 また小憎らしい策を弄してくれたものだ。
 
 冷たい料理が続いた後の温かい料理、それも味の濃厚なグーグー貝の料理とは、
 食べる側の心理を熟知している、焦らすだけでは留まらないという事か。
 元々味の濃いグーグー貝、それもこの触感からしてはおそらく乾物と推測されるが、
 独特の臭みは乳仕立てのホワイトソースで包む事で見事に打ち消している。
 しかも舌にピリリと刺激を感じる辺り、何か香辛料も使っているな。
 辛味をホワイトソースで抑えると同時に、ホワイトソースの単調な味にも香辛料で
 アクセントをつけ、更には貝の臭みまで消すとは、まさに一石三鳥の相乗効果。
 その他の具材は、テレンゼに、ほうれん草に、何かの茸。
 いずれも長時間熱を通す事で淡白な味わいになってしまう素材であり、
 触感の違いを演出しながらも、グーグー貝の味に対しての不協和音は奏でない、
 厳選された素材の組み合わせがここにある。
 
 そうして冷めにくいようにパイグラタン仕立てにしたのもなかなかだが、
 ふふ、先刻の『フィグルのマリネ』と同時に出したというのがな。
 片や冷たくも基調に果物の酸味と香草の苦味を置いた淡白な味わい、
 片や温かくも基調に重厚なホワイトソースの味を持ってきた濃厚な味わい、
 互いに互いを食べ合う事で舌休めにもなる、
 温かいものと冷たいものを同時に楽しむ事での舌の楽しさにも繋がるという寸法か。
 
 おまけにトドメがこの『シルヴァン・アノー』とかいう白ワインだ。
 昨年ものという事だが、ふふふふ、悪戯に年数だけを経た古いワインだけを
 尊ぶような無知な俗物でもないぞ私は。
 若いワインらしくフルーティーで喉越し爽やかな味わいは、
 なるほどこの料理と相性がいい。
 同時にこんなところで濃厚かつ熟成されたワインでも出されてしまったら、
 続く魚料理、肉料理で振舞われるワインや、
 コースの終わりのデザートワインの楽しみもなくなってしまうというものだ。
 …まだまだここから、である以上は軽く慣らしを掛ける程度で登って行きたいもの、
 最初から全力で飛ばしていってしまっては、途中でダレてしまう。
 そんな思いで最後に残ったワイン飲み干し、私はグラスを片手に大きく息をつく。
 
 
 
 ――エグゼクターズ在籍時代。
 女王派、王弟派と別れて浅ましくは同族内で血を流し合い、
 双方くだらない大義名分を掲げては政(まつりごと)をなおざりに工作や抗争を繰り返す、
 そんな王都上層部の確執に嫌気が差し……
 
 ……否、如何なる場合でも中立を貫かねばならないはずの国営特殊警備隊、
 エグゼクターズでさえそんな上層部のごたごたに巻き込まれ与していると知った時、
 私の国への、組織への、種族への忠誠と敬愛、その最後の一粒が消え失せた。
 隊を辞し、つてを辿って猫の国に下り、そこで猫井のスカウトを受けて、
 即座に今の職場に回されて以来、かれこれ三年…いや四年にはなるだろうか。
 
 買われたのはむしろ、語学力や諸国の慣習礼儀作法に通じた知識の方をで、
 護衛と言っても戦闘能力――剣技についてはオマケ程度だったのが真実か。
 
 複数国に跨って跳梁跋扈するような賊徒討伐が本懐のエグゼクターズとて、
 なにも交戦能力だけがあれば後は十分というわけではない。
 国や文化が違おうとも的確な情報収集ができるよう、
 あるいは敵側の情報のやり取りや敵地で押収した資料の解析に手間取らぬよう、
 他国の固有文字や特殊文字の読解もまた必要なスキルとなってくる。
 越境した先の地での治安維持部隊や、然るべき身分の人間との相対もある事から、
 無礼や外交問題を避ける為、慣習礼儀作法に通じる必要もあったのだ。
 …というか、元々他種族混成部隊である以上、必然的に隊にあっての生活の上で
 そのような事に対する知識の蓄積や認識の広がりも進むのだが、
 その中でも私は、特にその方面の研鑽に特化していた人間だったと言えただろう。
 
 暇さえあれば訓練時間外や任務時間外であっても己の腕を磨く者がいる一方で、
 私の方は、暇さえあれば『そちらの方』の習熟に力を注いだ。
 …幸い、あって困るような知識ではない以上、習得の為の書籍文書類の
 閲覧や貸出は禁止されていなかったし、実地訓練の為の相手はそこら中にいた。
 ……心血注いで習得に注力したのは、その当時から漠然とした
 出奔への意図を抱いていたからに他ならないが、ともかくその努力の甲斐あり、
 六ヶ国にまたがって活動するエグゼクターズ内にあって尚、
 十の種族の礼儀作法、八の固有文字の読み書きに通じた私がここに存在している。
 これは今の職場に自分を売り込むのにも大いに役立ち、そして――……
 
 
 
「続きましてはスープ、『ポタージュ・サントネージュ』です」
「「「おおー」」」
 
 
 
 ……――そして気がついたら、これが数少ない一つの趣味になってもいた。
 うむ、色々と嫌な思い出も多いエグゼクターズ在籍時代も、
 これだけは素直に役得だと、あの頃から楽しみで楽しみでたまらなかったな。
 
 慣習礼儀作法の中でも、
 特に大事なのはやはりテーブルマナーや接待のルール、宴席や酒宴での所作。
 ……というか国や種族によっては、
 生のままの肉や魚や虫や正体不明生物がご馳走だったりする国もあってだな。
 自然、耐性をつける為に色々と努力を繰り返していたら、必然的にだ。
 ……『食べ歩き』や『飲み比べ』が人生の生き甲斐になってしまった。
 実際剣以外に『趣味』と呼べるような私の趣味と言ったらこれくらいなもので、
 保安部でも外国取材にばっかりくっついていくのはもっぱらそれが――…
 
 …――い、いや、別に食い意地だけが行動理念というわけではないぞ!?
 これでも剣の稽古や肉体鍛錬には
 エグゼクターズ在籍時代以上に打ち込むようになったくらいなのだ!
 何せ食った分は痩せなければならんからな! 体重の為と思えば身も入る!
 
 …第一、別に食っても太らないとかのそんな羨ましい体質ではないからな。
 主任殿達と違って魔法を使えもしない分、大食いでも燃費効率が良いとかでもない。
 ……体重を計ったら5kg増、腹を掴んだら贅肉が掴めたあの日以来、
 体型管理には全身全霊を持って当たっている、ふっ、筋肉はあっても贅肉はないぞ!
 
 …………。
 
 ……な、なにか話がずれたな。
 ……ともかく!
 
 ――なかなかこれで面白いものなのだ、『味』以前に、その『違い』がな。
 種族が違えば、気候風土が違えば、食性が違えば、食べ物も違って当然なのだが、
 カモシカの国、ウサギの国、ライオンの国、サカナの国。
 クマの国、ヘビの国、オオカミの国、キツネの国。
 …いやはや違う違う、どうしてここまでと首を傾げてしまうくらいに違うものだ、
 見た目も、献立も、食器も、主な調理法も、素材も、調味料も、好まれる味付けも。
 
 酒に関しても然り、麦酒に焦麦酒、米酒、霊酒、葡萄酒、果実酒、薬草酒。
 火酒も火酒で、一口に火酒と言っても国によって味も性質も様々に違う、
 ……飲めない人間にとっては、どれもただの喉が焼ける水としか思えんだろうが、
 例えば犬の火酒(ウイスケ)と白熊の火酒(ウォッカ)なんて、あれでなかなか違う違う。
 
 そうしてそんな違いを感じる時が、世界は広いと感じる瞬間、旅が楽しいと思う時だ。
 食は人の生活を豊かにするとは、はてさて誰が言った言葉だったか、
 まことその言葉には偽りなし。
 …であればこそ「腹さえ満たされれば」「酔えさえすれば」「栄養にさえなるのなら」、
 「腹に入れば皆同じだろう」などとのたまう輩に、私は憤りを隠しえないのだ。
 こと『食』というものに我々人類が注いできた心血の深さを、
 貴様は一体なんだと思っているのかと、少しは敬意と感銘を払ってはどうなのかと。
 連綿とそれを受け継いできた料理人に、酒造人に、失礼だろうがと、
 そう、そうだ、そこのお前、お前に対して私は言っているのだがな!!?
 
 
 
 スプーンさえ使わん。
 ジャガイモを丁寧にすり潰して濾した冷たいスープ、
 その深皿を無造作に左手で掴むと、そのままぐいっと皿ごと煽って三口。
 ぐび、ぐび、ごくん、ぷはー。
 …あまつさえ口直しとばかりに、右手に持っていた杯に満々の白酒を流し込む。
 そ、それでは味がメチャクチャだろうが!
 というか貴様そもそも味わおうという気すら無いな!!!?
 
「はーあ、肉はまだかよ~、肉はぁ~」
 挙句の果てにチンチンチンチン、行儀悪くスプーンとフォークで
 空になった深皿の縁を叩き出す始末。
 …く、縊り殺してやろうかこの馬鹿オオカミ!!?
 
 こうなると、いざ生きるか死ぬかの戦場にあっては頼もしい2m超の巨躯も、
 ただのデカブツ、貴重な文化遺産を食い荒らす害獣でしかない。
 お通しも、前菜二品にスープも一口ないし数口で平らげてしまった大きな口は、
 流石『オオカミさんの耳まで裂けた口』というわけか、はははは……
 ……せいぜい飲み込んだものを喉に詰まらせて死ねっ! このケダモノがッ!!
 
 大体、見てみろというのだ!
 そんな空気を読めていない場違いな事をしているのはお前だけだと!
 全員が全員――
 
「うめえー!? うめええーーー!!」 ガチャガチャ
 
 ――…ま、まぁあのゲロにゃんは味わって食べているから良いとして…――
 
「…………」 チュピ、チュピ、コツ、コツ、チュピ、コツ、チュピ、コツ
 
 ――…あ、あのトリもトリなりに味わっているのだろうし良いとして、
 
 
 でも見ろ!?
 主任殿も副主任殿も、さすがは知識人、人の上に立つ者というだけの事はある、
 実に神妙な顔つきでスープを召し上がっておられるのが見えんのか!
 スープを掬ったスプーンを口元へ運ぶ動き、
 音を立てずに飲み干すその仕草、どちらも実に洗練されたもの。
 対して若輩であるヘビの彼やティル嬢の動きはややぎこちない部分はあるが、
 それでも料理を作ってくれた人間に対しての精一杯の感謝、
 礼儀に従って味わって食べようという誠意溢れる気持ちが凛々と伝わってくる。
 これ! これこそ大事! これこそ貴様に欠けているものだろうに!
 とりわけ中でも主任殿に至っては、
 貴様と図体のでかさも口の大きさもそう大して変わらんのだぞ?
 なのに何故ゆえここまで違うというのだ!
 ……おお、口の端の毛を濡らしたスープをふくのに、
 膝上のナプキンの端を持ち上げて口元をぬぐう仕草まで完璧ではないか!
 まるで優雅が毛皮を着ているような紳士だな、ティル嬢も思わず見惚れているぞ。
 …まったく同じオオカミ面の毛皮男なのに、
 片や金色、片や銀色、どうしてここまで差があるのやら。
 
 
 ああ……本当に……
 
 ……というかもうスープが残り少ないのが哀しいな。
 この至福が過ぎ去ってしまうのが哀しい。
 もうスープ皿を傾けながら、掬っては飲み掬っては飲みしないと飲めぬではないか。
 
 ……『ポタージュ・サントネージュ』という料理自体は、
 そもそも珍しい料理ではなく、ウサギの国独自の料理というわけでもない。
 砕けた言い方でいう所での『じゃがいもの冷製ポタージュ』。
 安い料理だ、材料もありふれている、珍しくもない。
 名前を変え細部を変え、大陸のそこここで見つけられるような庶民の料理。
 
 ……だが、この『ポタージュ・サントネージュ』は。
 これほど美味な『じゃがいもポタージュ』には、未だかつて出会った事がない。
 味は確かに文句なしのじゃがいも汁なのだが、
 塩味の加減といい、芋の風味といい、舌触りの滑らかさ、喉越しの清涼感。
 …牛乳の甘さ! ダシの味!
 どれをとっても完璧! これは本当に芋製なのか?と疑いたくもなるような、
 そんな遊星からの物体X的『じゃがいものポタージュ』だ!!
 まさに至高! まさに究極!!
 
 いや、無論、このスープよりも美味いスープは何度か飲んだ経験がある。
 …飲んだ経験はあるが、しかしどれももっと高級な食材を使ってのスープだった。
 だがこのスープは。
 た、たかが家庭料理に過ぎないというのに、よくぞここまで。
 こ、これは!
 これは……
 …………
 ……
 ………く、
 くうぅぅぅぅぅぅぅぅ!
 くそ! 私だって! 私だって言えるものなら! 言えるものなら言っていた!
 『別に要らないんなら自分が二人分飲むからくれ』と言っていたさ!
 だが言えるわけないだろう、こんな席で!!
 言えるわけがないというのに私の隣のこの男は、たった三口! 三口で!!
 三口でろくに味わおうともせず!!! この至高のスープを!!!!
 
 
 
「…レ、レティシアちゃん? さっきから腕がブルブル震えてるけど大丈夫?」
「……いや。心配ない。少々このスープのあまりの旨さに感動していてな」
「そ、そう。ならいいんだけど……(な、なんだか目が血走ってて怖いんだけどね)」
 
「それでは、本日の魚料理です」
 
 
 
=―<3-4 : Jesper in : 5th day PM 7:31 >────────────────────=
 
 
 美味しい『じゃがいものスープ』だったなぁ。
 ほんと言うと、この国に来る前は野菜だらけの食事を覚悟してたんだけど、
 まさか野菜料理でここまで感動させられるだなんてね。
 今日の料理といい、昨日までの料理といい、
 ここの厨房を任されてるシェフはきっと名のあるウサギの料理人さんに違いないよ。
 後宮で暮らしてた頃はうちの王家の料理人が世界一だって思ってたけど、
 こうやって五年間世界を回った今じゃあ、それもすっかり昔の話。
 ……やっぱり世界って広いんだね、ぼくが思ってた以上にずっと。
 
 辛い事も、怖い事も正直たくさんあるけど、
 でもこんな時は素直に砂漠を出てきて良かったって思えるんだ。
 連れ出してくれたラスキさんへの、感謝の気持ちもね。
 
 …うん、さっきのあのカクテルと一緒に、
 このスープの作り方の秘訣も教えられる範囲で教えてもらえないか頼んでみよう。
 なんてったってぼくの芸事ってったら、料理とイグラシアぐらいなものだもんね。
 普段迷惑かけてる分、こういう所で、やっぱり皆に恩返ししないと。
 ラスキさんも、他の皆も、喜んでくれると嬉しいな。
 
 
 ……でも。
 料理は美味しいけど、やっぱりちょっと物足りないってのも本当の気持ち。
 ぼくらの故郷でも羊肉料理がテーブルの主菜だったし、
 何よりこの街は、ぼくにはやっぱり寒過ぎて過ごしにくくて仕方ないから。
 
 ぼくらヘビは、元々サカナとかと一緒で周りの温度に合わせて体温が変わる一族。
 熱いところでは高く、寒いところでは低く……
 ……だからあの乾いた風の吹く砂漠でもなければ、暗くて暖かい海の底でもない、
 こんな北の雪国なんかじゃ、もう過ごしにくくってしょうがない。
 特にサカナ、海の一族なんか、ぼくらと違って乾燥にも弱いみたいだからね。
 雪こそたくさん降ってるけど、でも空気が痛いくらいに乾燥してる、
 おまけに寒くてカチカチカラカラなこんな雪国じゃ、姿を見かけないのも当然かな。
 おかげでイグラシアの力を使うのにも効率悪すぎて消耗甚大、
 大気にこそ濃密な魔力が満ち溢れてるけど、こうも燃焼効率が悪過ぎるんじゃ、
 もうお腹が減ってお腹が減って、あとはとにかく、眠くて眠くて。
 
 そうして眠いのを抜きにしても、なんか鉛みたいに重い身体、うまく動かない手足。
 …これは大昔に、ぼくらのご先祖様が『トウミン』ってのをしてた頃の名残だって、
 眠いのに、周囲の寒さに眠るのを身体が欲してるのに、
 それに逆らって身体を動かすから、だから余計にエネルギーを使ってる、
 お腹が減って仕方がないんだってラスキさんが教えてくれたけど。
 ……こんな寒空の下で眠っちゃったりしたら、絶対凍死間違いなしなのに、
 ご先祖様は一体何を考えてたんだろう、ちょっとよく分からない。
 
 ……だから、タンパク質。
 そういうわけで、だからお肉、できればたくさん欲しいんだけどな。
 丸呑みしたくなるくらいの、血の滴る塊。
 野菜よりも穀物よりも、何よりもそれが欲しくて仕方がないんだけれど。
 
「それでは、本日の魚料理です」
 
 そんな事考えてたらさっきのウサギの女の人が、
 とうとう今日のメイン料理の一つを運んで来たみたいだった。
 他の……えーと、『めいど服』?とか言うのとは違う……『たきしーど服』?だっけ?
 『そむりえー』とかいう職業だってのは昨日聞かせてもらったけど、
 うん、やっぱり新鮮っていうか驚きかな。
 ぼくの故郷では鎧や戦装束はともかく、
 こんな風に女の人が男の普段着や礼服・夜会服を着るなんて考えられなかったから。
 敬虔なセト教徒の人が見たらどんな顔をするのか、ちょっと見ものだ。
 
「同時にパンのサービスも始めさせて頂きます。ラスキ様とティル様は黒パン、
キャロ様とヒース様はライス、ラウ様はポテト、ホウヤ様はナッツ、
イェスパー様にはナン、レティシア様はトルティーヤのご注文で宜しかったでしょうか」
 
 そうして一緒に、ぼくにとっては凄く嬉しいものもテーブルの上に。
 そうそう、これこれ。
 こればっかりは流石に故郷のと比べるとちょっぴり違和感のある味だけど、
 でもやっぱり砂漠生まれのぼくには、お米の飯や柔らかいパンよりもこの薄焼きパン。
 そしてその隣に並べられた魚料理のお皿は、と……
 
「パンのおかわりは自由で構いませんので、いつでもお申し付けください。
…供にするワインもまた白、ここは『ニールレシーラ』の5年ものでどうぞ」
 ……あれ?
 
 …………
 …………
 …………
 
 ……な、なんだろ? これ?
 
 
 
――< switch over >─―
 
 パンやご飯もいいけれど、トリの俺にはやっぱりこれですね。
 炒めて焙った木の実を、ここは行儀悪く手で掴んで口の中に放り込むですよ。
 うん、やっぱり子供の時から毎日慣れ親しんだ味が一番で、
「……? 料理の説明はないですか?」
 そこで、いつもはお酒の説明の前にあるはずのそれが抜けてる事に気がついたです。
 
「はい、まずはお試しを」
 グラスに次の葡萄酒を注いでくれながら、ウサギのウエイターさんがそう言います。
 …注ぎながらって言っても、イェスぱんとティルっちはアルコール駄目だし、
 主任と副主任はまだ仕事があるんで最初の一杯でストップ。
 ラウさんは別な酒で、俺と師匠とレティちゃんしか飲んでんのが居ませんですけど。
「ソースはバターソース。…多少固いですから、
トリ族の方は細かく切ってから口に運んだほうが良いかもしれません」
 
 固いですか。
 そう思いながら皿の上の『それ』にナイフを入れます。
 見た目はレバーのソテーを薄切りにしたもの。
 それに溶かしたバターにたっぷりのみじん切り野菜を絡めたソースが掛かってます。
 ……どんな味なんでしょうか?
 
 
 
――< switch over >─―
 
「なんでえ、今日に限って説明は無しなのかよ」
 ようやく魚料理、やっとまともな料理が出てくると思ったら、
 出てきたのは焼き魚でもなく煮魚でもないみょうちきりんな丸っこい物体だ。
「素直に川魚でも焼いて塩振ってだしてくれりゃあいいのによ」
 ぶつくさ言いながら、何切れかに薄切りにされたそのクリーム色をフォークで刺す。
 …さっきから隣のレティが凄い視線で俺の事睨んでるが、
 でも愚痴りたくなる気持ちだって分かるってもんだろ、何でこんな妙な料理ばっか。
 
 丸ごと蒸した肝の薄切りにも見えるが、魚料理だって言ってたしな。
 ていうかそもそもこんなに肝臓のでけえ魚はいねえか。
 まあ今までの料理と違って量はそれなりだから、ツマミぐらいにゃなるだろうが……。
 
 そう言ってあまり期待しねえで口にしたその薄切りは、
「おっ?」
 意外にも悪くない味だった、というか美味いな普通に。
「なんだ、結構いけるじゃねえか」
 塩味のやや強く出たバター味もそうだが、
 意外に歯応えがあってクニュクニュプリプリしてるのが酒のツマミとしちゃあ最高だ。
 ……イカやタコに似た歯応えか?
 
 隣にしっかり、湯気が立ち上る茹でた芋が置いてあるのも申し分ない。
 毎日白いパンや白い米ばっかり食ってる金持ち連中はともかく、
 やっぱり下々生まれの俺にとっちゃあこの茹で芋が一番気の置ける食い物だ。
 皮がついたままじゃねえってのがちと残念だが、
 山盛りになったこれに塩つけてぽいぽい口の中に放り込むのが最高なのよ。
 粥や粟飯なんかと違って、やっぱり芋は腹持ちもするしなあ。
 
 
 
――< switch over >─―
 
「……アワビ?」
 口にして思ったのは、それに似ているという感想だった。
 …でも、よくよく見てみるとこんな大きなアワビなんて居るわけがない、
 ちょっとしたオムレツぐらいの大きさはあるのだ。
 それに……触感はともかく、味はアワビよりはだいぶ淡白であっさりしている。
 違う貝……だと思うけど、いずれにせよこれは何かの貝の味。
 
「嫌だわ、私、アワビはちょっと……」
「ご心配には及びません、これは海の貝ではありませんから」
 思わずフォークを置きかけるけど、ソムリエさんの言葉にそれを改める。
 
 アワビはダメなのよね、私。逆にイカタコは平気なんだけど。
 元々ネコやイヌ自体、あんま食べ過ぎると具合が悪くなっちゃう体質なんだけど、
 私の場合はその中でも特に酷いっていうか、アワビアレルギーっていうか、
 少し食べただけで赤くなって痒くなっちゃうのよ、耳とか腕とか。
 …『耳が腐る』とか『腰が抜ける』だなんて話はよく聞くけど、
 でもなんで牡蠣やウニ、イカタコは大丈夫で、アワビとサザエだけが駄目なのか、
 自分が身体ながら原因不明。
 …まぁラスキもコーヒーもケールもOKなのになんでかチョコレートだけは駄目だし、
 そういう体質だと思って割り切るしかないのかもね。
 
“…うん、ていうか安心して食べてみるとかなり美味しいじゃない”
 
 たぶん、ワインか何かで長時間蒸したのかしら。
 生のままだとゴムみたいに固いはずの貝肉が、それでも凄く柔らかくなってる。
 染み込んだ出汁が美味しいし、淡白な身肉にはバターソースが合うわね。
 上に乗ってるみじん切りは、これはパセリとニンニク?
 今までの料理と比べるとちょっと味が濃いけど、
 ご飯があるお陰でそんな気にならない、むしろおかずになってちょうどいい感じ。
 これでお酒も飲めたなら文句はないんだけど……
 
「……ん? なんだ? やんねーぞ?」
 ちらっと横に視線を向けると、目ざとく感づいたヒースが釘を刺してくる。
 うるさいわね、要らないわよ。
 というか飲みたくても飲めないから飲んでないんじゃない。
 
 私、お酒そんなに強い方じゃないし、飲むと記憶なくなっちゃうんだもん。
 イェスパーやティルちゃんほどじゃないけど、まぁワインもフルボトルは無理、
 ハーフボトルでぐらぐら、居酒屋でもお銚子3本が限界ライン。
 それで何回も痛い目みたから、もう飲むのには相当用心深くなってる。
 晒した醜態の数々は、思い出したくない嫌な思い出。
 
 ……だっていうのに隣のこのガキネコは、ネコのくせしてうわばみで。
 すいすいすいすい、まるで水を飲むみたいに酒を飲める。
 いつかの忘年会に隠し芸で一升瓶の一気飲み(普通の子はマネしちゃだめよ)して、
 でもケロッとした顔で『腹がダボダボするー』とか言ってたっけか。
 ほろ酔いすらしないし、
 おまえアセドアルデヒド脱水素酵素何型まで持ってんだって感じよね。
 …まぁそんなんだから、際限なくビール飲んでゲロゲロヴァーもするんだけど。
 
 …あ、そうそう、お酒の強さと言えば見た感じ、
 この中で一番強いのはヒースとして、二番目はレティシアちゃんとラスキかしらね。
 二人ともほろ酔いまでは行くんだけど、泥酔まで行ったのは見た事がない。
 特にレティシアちゃんはあれでなかなか豪快な飲み方をする反面で、
 ラスキは完全に迎え酒、自分からは飲まずしかもちびちびやるタイプだから、
 飲み会とかでも最後まで生き残る、潰れちゃった子を送ってくのはあいつの役目。
 ……てかホント、あいつの『飲ませる』スキルは相当なもんよ?
 『鍋奉行』ならぬ『酒奉行』? 接待に連れて行けばまず間違いなく成功するもん。
 …まあそんな酒が入った席でさえ場の空気や相手の機嫌を損ねないように
 気を使うのがあいつらしいというか、だから胃痛にもなるってのにね。
 あれは将来、絶対円形脱毛症よ。
 
 で、意外にも普通なのが、オオカミのくせにラウ君。
 ……普通って言っても、それでも私から見れば十分に強い方なんだけど、
 さっきから相当ハイペースで飲んでるせいか、もう気分はご機嫌、
 我こそは忘れてないけど完全に酩酊状態、酔眼に目が光ってるわね。
 鳳也もラウ君と大体同じくらいの強さなんだけど、
 こっちはだいぶペースを守ってるからかしら、まだ全然平気なように見える。
 ……まあ普段から呂律の回ってないような変な語尾と言葉遣い、
 へんてこテンションの上にとんちんかんな明るい系の不思議ちゃんだから、
 酔ってもそんな違いが分からないってのもあるんだけど。
 
 ティルちゃんとイェスパーは、もうほんと駄目。
 完全にアルコール×ね。
 一杯飲んだだけで目を回して「きゅ~」ってなっちゃうティルちゃんはまだ良いとして、
 問題はイェスパー。
 あれは…………酷いわ、いや、『酷かった』。
 酒乱も酒乱、完全に大虎よ。
 本人がそれを自覚して酒を飲んじゃわないように心がけてはいるんだけど、
 事情を知らなかった頃に、一度ヒースが悪戯で酒を飲ましちゃって……
 ……ああ、嫌だ嫌だ、思い出したくもない、大惨事よもう大惨事!
 
 ……はぁ、やっぱり酒は悪魔の飲み物よね。
 あ~あ……。
 …………
 ……
 …………
 
 ……ところでこれ、本当に何の貝なのかしら?
 
 
 
――< switch over >─―
 
 北の国アトシャーマは、そもそも魚介類が手に入りにくい土地だったはずだ。
 氷原を越えて北に行ったところには海があるけど、
 あれはそのほとんどが流氷と氷に覆われ敷き詰められた北の海だし、
 港としては機能しないどころか、漁港としてすら問題がある。
 ……なんでも漂着し密集した流氷に、小型船すらまともに動かせないみたいで、
 現に昔、サケ漁やマグロ漁を目論んだネコの商人がいたらしいけど、
 流氷対策費用にっちもさっちもいかなくなって結局諦めて帰っていったとか。
 
 それでもアトシャーマに比べると笑ってしまう程に小さいながらも町が作られ、
 氷に穴を開けて魚を釣る方式で、ほそぼそと漁獲はあるらしい。
 ……もっともその街でさえも港町ってよりは、
 海水から塩を精製したり、アザラシ猟の拠点としての側面が大きいみたいだけど。
 (これはウサギ唯一の狩猟行為だが、それでさえ肉でなく油や毛皮目的らしい)
 
“……だとしたら、これは一体何の貝だろうな”
 
 不思議に思いながら、僕は口に広がる不思議な味に集中していた。
 味は貝だが、こんな大きな貝ちょっと食べた事がない。
 食べたことがないにしては味はすごく美味しいし、本当に一体何なんだろう?
 
 昨日の素材はサバ、一昨日はニシン、三日前はシシャモ、初日はサケ。
 そのどれもが本来ウサギは食べないものの、外国人居住者用に
 クマの国から輸入もしくは北の海で釣られた魚であったとの話だった。
 これもそうなのかとも最初は思ったけど……
 
 ……あるいは、この地独特の現住生物かもな、とも。
 
 完全に狂った魔力力場、異様に高い魔素濃度。
 その手の場所にお約束なように、やっぱり妙なというか、異常生物が多いらしい。
 この街に来るまでのソリを牽いていた雪獣と呼ばれる大型牽引獣も、
 そんな『こんな土地』に適応して変容した動物の一種だそうで、
 確かにあんな動物他の土地では見た記憶がない、だとしたらこれも……
 これも……
 ……これもと考えて、でもやっぱり納得がいかない。
 
 確かにこんな年中氷点下20~30度というような『万年氷原』の中にも、
 雪の下には川があるだろうし、湖もある、そこで暮らす生物だっているんだろう。
 でも、やっぱりウサギは肉を食べないし魚を食べない。
 この吹雪の中で尚、そんな氷河や氷湖に出向いて魚や貝を漁するウサギの話は、
 ちょっと聞いた事がないというか、実際割に合わないような……
 
 ――と。
 
 
「はい、皆様、そろそろ皿の残りも少なくなってきたようですが、」
 そこでカラカラと大きな手押しの給仕車と共に、ソムリエのウサギさんがやって来る。
 
「…さて今回の魚料理の正体、掴めた方はいらっしゃいましたでしょうか?」
 
 
「……悔しいですが、降参ですね」
 素直に白旗を上げて、僕は最後に残っていた一切れをソースに絡めて口に放り込む。
「私も、お手上げね」
「俺もこんな魚料理は初めて食べましたです」
「まあ旨かったがな」
「…………ん」
「テイルナートも分からないでござるよ…」
「つーか勿体ぶらねーで早く教えてくれよー」
 皆も口々に分からなかったと――
 
「いや、私には分かったぞ」
 
 ――……!?
 レ、レティシアさん?
 
「うむ、エグゼクターズ在籍時代…………聞いた事があるッ!!」
「あ、あれって落ちモノの漫画によくあった解説者ポジsy」
 横から指差して言ったヒースが、次の瞬間キャロに頭をはたかれた。
 
「これは……『アレ』であろう?」
「ふふ……はい、『アレ』でございます」
 
 …………。
 
「…いや、『アレ』じゃ分かんねえよお前ら」
 横から白けたような声をラウ君が上げるが、でも確かにその通りだ。
「ああ、これは失礼を致しました」
 それに注意を引き戻されたかのように、手押し車の下の段に手をかけ。
「なんでもヒトの世界には――
 うんしょ、と掛け声をかけて其処から引っ張り上げたのは
「――『エスカルゴ』という、これと似たような食材があるそうなのでございます」
 
 どすん、と音を立てる、覆いがかけられた……多分大きな水槽。
 
「エス」
「カルゴ?」
 聞き覚えのない単語に一堂、僕やキャロも含めて全員が目を合わせる。
 ……何でなのか含み笑いをしているレティシアさん以外。
 
 記憶を探っても、聞いた事がない単語だ。
 『ラーメン』や『タイヤキ』とはまた違った料理なのかな?
 前にネコの国で、店の中に水槽がある高級お寿司屋さんを取材した事があるけど、
 あの水槽も似たような趣向なんだろうか。
 
「私達ウサギの古語では『リマキナ』と呼ばれていましたが――……」
 ふむふむ。
「……――まぁ共通語で『モグラナメクジ』とでも言う方が分かり易いですね」
 
 
 
 
 
 ――何でもないように、水槽に掛かっていた布が取り払われた。
 
 
 
 
 
「『コレ』でございます♪」
 
 
 
 
 
――< interrupt in >─―
――< interrupt in >─―
――< interrupt in >─―
――< interrupt in >─―
――< interrupt in >─―
――< interrupt in >─―
――< interrupt in >─―
 
 
 
――< switch over >─―
 
「ほう、やはりこれがかの噂の『リマキ――「「てめえええぇぇぇぇっ!!!」」
 いきなり横から胸倉を掴まれてガクガク揺さぶられた。
 なんだ騒々しい、そんな目を泳がせて。
 残ったワインが零れてしまうではないか、ああもったいない。
「ししし、知ってたなぁ!? 知ってたなああぁ!!?」
「…ええい見苦しい! 大の大男がたかがナメクジくらいで、貴様それでも傭兵か!?」
 パシンと胸倉を掴む手をはたいて睨みつけてやる。
 まったく、
「戦場に身を置く者、食事にも贅沢を言っていられん! …生死の境目で命を削り、
木の根を啜り、幾つもの命を屠って来た人間が、今更ナメクジ如きで何事だっ!!」
「そういう問題じゃねえ! そういう問題じゃねえええええっ!!!」
 うがあああ、等と叫びながらばたばた五月蝿いオオカミ。
 抱えた頭の中に見える瞳は、気のせいか濡れて光っているようにも思える。
 
 ……そう言えばいつだったか、「でっかい虫が顔を這ってた!」とか言って
 夜中に馬車の中で飛び起きて半狂乱になって五月蝿かった事もあったな。
 ふん、虫如きで案外肝っ玉の小さい、もとい金(pi-!!)の小さい男だ。
 あれだけ暴風のように殺し慣れた戦い方をする人間が、
 今更それよりも遥かに小さい虫ケラにここまで悲鳴を上げる、その理由が理解できん。
 
「レ、レティ、レティシアさんは、平気なんですか…?」
「うん? ああ、それはもちろんな」
 それに加えて主任殿は落ち着いたもの……と思ったら、何かガクブルしているな。
 長い体毛の上からですら、顔が真っ青なのが見て取れるとはどういう事だ。
 
「何せこういう仕事に身を置く立場だ。タルタル(生肉)ステーキや刺身はもちろんの事、
クモの雑炊、イモムシのバター炒め、イモリの踊り食いにゴキブリシチューと――」
 
「お前だけだ! お前だけだよ! つうか食事中にそういう事言うなああああっ!!」
 なんだなんだ、皆「ぎゃあ」とか「ひい」とか、のけぞったり呻いたり。
 イモムシやゴキブリがそんなに駄目か、意外と美味いのに。
 味が良いのだから見た目なんか二の次であろう、人間だって中身だぞ、中身。
 
 ……が、よく見れば副主任殿は完全に半泣きで肩を抱きかかえておられるし、
 ゲロにゃんは口からなんか出してる、さてはあれがエクトプラズムか、
 トリのアシスタントカメラマンに至っては、それこそ文字通りの全身鳥肌状態だな。
 一番後輩であるはずのヘビの青年がまったく動じておらず堂々としているのに対し、
 二人とも実に情けない、男ならここで泰然と構えて然るべきだというのにだ。
 ティル嬢は……うむ、いかん、完全に泣いてしまっている。
 主任殿が必死に慰めておられるが、ぐすんぐすんと止まる様子がない。
 確かにまぁ、流石にあのような年頃の若い娘には少々刺激が強かったであろうが……
 
 ちらり、と誰もが目を逸らしている覆いが取られた水槽の中を覗く。
 不甲斐ない事だ、大の大人が揃いも揃って、毒も、酸も、牙爪も持たぬ生き物に。
 
 
 ただほんのちょっと…――…体長30cm程のナメクジというだけの話ではないか。
 
 
「…――どうして食べる前に言ってくれなかったの?」
 それを、やや乱れた髪を振り乱した副主任殿に至っては、おお、怖いな。
「だって、言ったら皆さん手をつけてくれませんでしたでしょう?」
 何か鬼気さえ感じる、あの大人な女史が、どうして『たかがこんな事ごとき』で。
 
 穏やかな微笑を浮かべて返すウサギの女性給仕の言葉はいちいちもっとも、
 きっと最初からネタばらしされていたら、誰も手をつけなかったに違いない。
 ……だというのになんだ。
 ……これほど道理が通っているというのに、膨れ上がるこの殺気と怒気は。
 血走った目の副主任殿と、悠然としたウサギの給仕との間に火花が走る。
 これはまさしく骨肉を削る女の情念の嵐。
 余りの鬼気に男共は完全に凍り、ナメクジに睨まれたヘビの如く動けないでいるな。
 いかんいかん、二人ともナメちゃんを巡って修羅場を繰り広げるつもりか?
 
「まったく、やめないか全員、大の大人がたかがナメクジ如きで揃ってオロオロと」
 ほんと、いくらこのナメちゃんが素晴らしくも魅力的な食材だからと言って、
 相手が出刃包丁で刺す刺されたの関係になってしまっては彼の側も報われまい。
 包丁は恋敵を刺すものではなく、食材を切る為のものではないか!
 バシンと手を叩いて、その場の注意をここに集める。
「特に男共は見るがいい、そこなるヘビの彼を」
 そうして集めるだけ集めておいてバトンタッチ。
 うむ、こんな陰惨な感情の篭った視線を6人分、集めていては私の身が持たんからな。
「さっきから実に泰然としたもの。この中では一番の若輩な部類、気弱な性格という
話だったが、いやはや肝の据わった男ではないか、動揺の『ど』の字すらないぞ!」
 
 見習え!とばかりに腕で指して。
 
 …………
 
 …………
 
 …………
 
 ……な、なんだ、間が持たんではないか、こんな静寂が続いては。
 無口だ無口だとは思っていたが、少しは反応らしい反応を返してみてはどう――
 
 
 
 ガタン、と椅子をずらしてタカの青年が立ち上がる。
 そのまま何を思ったか、隣のヘビの後輩の顔の前でパタパタと手を動かし……
 ……そうしてそのクチバシから、何とも言えぬ困惑の篭った呟きを洩らした。
 
 
「……座ったまま気絶してるですよ、これ」
 
 
 
=―<3-5 : main dish : 5th day PM 7:45 >────────────────────=
 
 
 気を取り直して口直し。
 
「『リントの丸焼き獅子国風』です。ワインは赤、シャトー・ペルミネールの10年物を」
 
 どん、とテーブルの上に置かれる巨大な銀の半球皿。
 蓋を開けて出て来たのは、ちょうどヒトの世界に例える所の『西洋風豚の丸焼き』。
 こんがり狐色に焼き色がついた胴体丸ごとの焼き物は、
 まさにメインディッシュを飾るに相応しい豪華さと大きさを備えた料理だったが。
 
「…………」
「…………」
「…………」
 普段なら上がるはずの歓声や嬉しい悲鳴も、今日ばかりは何故か上がらない。
 ……まあ無理もないか。
 
「……ゴキブリやミミズの黒焼きなんかが入ってたりしないでしょうね」
「やだなぁ、そんな事ないですよ」
 じっとりとしたネコの視線と、朗らかなウサギの視線が不穏に交差、
 せっかくの湯気が出た焼き立てなのに、誰も尻込みして手を伸ばそうとはしない。
 
「ふむ、困ったな」
 唯一耐性のあった女騎士も、これには困ったように食器をカチンと鳴らした。
「カモシカの私には、流石にこれは荷が重い」
 虫でも脳みそでもオッケーな彼女だが、それでもやっぱり肉は苦手。
 食えないわけではないとは言え、それでもイヌやオオカミの男に対してと同様、
 500gの肉の塊をドンと出されても困ってしまうのだ。
「ご心配には及びません」
 だが給仕である彼女はにっこりと笑うと、肉切り用のナイフでリントの背肉を裂く。
 パリパリの肉部分、内臓があるはずの所から出てきたのは――
 
「……ほお、なるほど詰め物か」
「はい、トマト、ケール、アルケールのみじん切りに、餅米、粟、こうりゃんの穀物類。
黒鳥肉のミンチに干した小海老、干したホタテの貝柱、もどした干し茸類をそこに加え、
ニンニク、ナツメグ、ルナリスリーフ、八角、クロイツの実で味をととのえています」
 
 ――穀類、野菜、乾物を中心とする汁気たっぷりの雑炊風詰め物。
「一応塩味はついていますが、脂っこいものが苦手という方は、
取り皿にてこちらのレモネードソースをご自由にお使いください」
 かといって獅子国風だけに留まるのではなく、
 自国のドレッシングソースや他国の料理の香辛料を付け加えるあたりが、
 文化の融合、無国籍さを感じさせた。
 このようなフルコースの場であっても客に調味料の自由を許す田舎食堂臭も、
 ややウサギの料理らしいといえば料理らしい。
 
「サラダは『カブとリンゴとレンネルのコールスロー』。これは食の進んだ中程にて
卓にお持ちいたします。肉料理とサラダが終了しますとパンは取り下げまして、
あとはデザート、食後酒ないしドリンクとなりますのでご注意を。…ごゆっくりどうぞ」
 軽く会釈をして立ち去る給仕に構わず、
 さっそく詰め物の方に手を出す銀色の髪のカモシカの元騎士。
「うむ、これは、美味いな!」
 一口食べてそう頷くと、それに耐え切れなくなった赤ネコの青年が真っ先に手を出す。
 何だかんだで食べたい盛り、現金なものだ。
 
「おお! ほんとだうめー!」
 …ただそれを見てちらちらと目配せし合い、
 めいめい頷きあってのそのそと手を出す他の全員はもっと現金。
「……僕が切り分けよう」
 一度に全員が手を出してはケンカになると、『保護者』がナイフを手に取るに及び、
 最後まで渋っていたネコの女性副主任も渋々ながらに身を乗り出した。
 なんにせよ、『まだまだ入る』というのはその場の全員の共通事項だったのだ。
 
 八人要るとはいえ、それでもリントの丸焼きがまるまる原型一匹分である。
 その上揃ったメンバーのことごとくが、
 ネコ、イヌ、オオカミ、ヘビ、タカと肉食中心の種族。
 やっと出てきた腹に溜まるものらしいものに、
 自然と硬かった場の雰囲気も和らぎ、やがて屈託のない歓談が場を満たしていった。
 
 
 
 ったく、酔いもぶっ飛んじまったなホント。こりゃ飲み直しだ飲み直し。
 幸いツマミに関してはこれはもう今度こそ文句はねえ、
 いい感じに焼けた肉を大きく切り取って、少々塩を振ってがぶりとパクつく。
 …ああ、中身の米とかも肉の味が染みてて悪くはねえな。
 ただレティが使ってるソースは俺には酸っぱ過ぎてちょっと好みにゃ合わねえが。
 
 そんな事を考えながら骨の周りにへばりついた肉(ここが旨い)をしゃぶってたら、
 なんか真正面から視線を感じやがる。
「…なんだ【ゲロにゃん】、まだ幾らでもあるんだから自分の分取って食えばいいだろ」
「だからゲロにゃん言うんじゃねえよ!!」
 水を向けてやったら顔を真っ赤にして(まぁそもそも毛色が赤なんだが)怒りやがるが、
 視線は俺の手元から外そうとはしない。
 なんだなんだ、さては俺に惚れたか? 俺は男はお断りだぞ?
「…なぁ、『それ』美味いのか?」
 …なんだ、用があるのはこいつにか。
 
「なんだったら飲んでみるか?」
「! いいのか!?」
 ポン、と『それ』の横腹を叩いてみせると、
 みるみるガキンチョネコの目が好奇心と喜びに染まりやがる。
 …わっかりやすい奴だなあホント。
「構わねえけど、でも注ぐモンがねえなあ」
 まあそれ自体はいい事だから構わねえんだが、はて困った事には器がねえ。
 なもんで俺は何か適当なのを探してきょろきょろと辺りを見回したんだが。
 
「何か適当に――「「それだったらだいじょぶだ」」
 
 このネコ、生意気な事には自分のワイングラスの胴を無造作に掴むと、
 まるで何でもないみたく、カパッと残ってた赤い液体を口の中に放り込みやがった。
 
「おいおい、何て飲み方すんだよ」
「うへへへへへ、ほい」
 まだ半分以上残ってたってのに、ケロッとした顔で一口に飲み干しやがって。
 惚れちまいそうじゃねえか、そんなきっぷのいい飲み方されたら。
 
 突き出されたワイングラスに、追加してもらった大徳利の中身を、濁酒を注ぐ。
「なんか濁ってねーかこの酒?」
 流石に怯むかと思ったのだが、口切り一杯に注がれた濁り酒を見るこいつは、
 好奇心にフンフンと匂いを嗅いだり舌の先でちょっと舐めてみこそすれ、
 嫌悪を示したり敬遠したりする仕草はない。
「そいつはな、ワインみたいな酒と違って舌先で転がしたりして飲むもんじゃねえんだ」
 興味津々と言った様子のガキネコに、俺はこいつを飲む時の作法を教えてやる。
「一息にぐいっと行けぐいっと。喉で味わうんだ」
「おう!!」
 
 ……ムカつく事にはこのガキネコ、
 行動はガキのくせして酒の飲み方だけはいっちょ前に大人なんだよなあ。
 まあ伊達に歳だけは俺らよりも上ってだけはあるわけだ。
 なんせ打てば響くような気持ちのいい、惚れ惚れするような飲みっぷり。
「っぷはー、うめえぇー!」
「うはは、そうかそうか、よーしもっと飲め飲め!」
 これほど飲み交わしていて面白い奴もそうそう居ない。
 ……まあ普段はかなりウザってえがな。
「はは、で、どうよ俺らオオカミの地酒の味は? ワインなんかよりずっといいだろ?」
「ああいいな! うめーよコレ! 幾らでも飲めるぜ!」
 喜色満面で上げられる感嘆の声。ややこしくなくて単純明快、素直でいいこった。
 ……ちょっとボキャブラリー貧困過ぎじゃねえか?とも思うけどよ。
 
 
 そうやってひとしきり楽しく飲み交わしていたら、
 なんだよ、また視線感じるぞ、しかも今度は一つでなくて複数の。
 
「俺にもくれないかですよー」
「…………」
 ……真横から感じる無言な灰色の視線はともかくとして、
「なんだ【土下座】、お前も欲しいのかよ」
「…土下座はやめろですよラウさん」
 トリ顔の分際でムッとした様子で目尻を寄せるが、何を今更。
 タカのくせにあんな折り目正しく正座した上で、
 クチバシを地面にぶっ刺すくらい物凄い勢いで深々と頭を下げたんだぞ?
 どこの世界に土下座で石畳に穴開ける奴がいるよ、
 お前のあだ名は【土下座】で決定。
 
「なんだなんだ、どいつもこいつも、全員して人が飲んでる酒を欲しがりやがって」
「そんな事言ったってこれ、実はあまり美味くないです。やたらと渋いんですよ」
 微妙にズレたテンポのせいで、どうも調子が狂う、正直苦手な相手なんだが。
「それに比べたら、ラウさんがなんかやたらと美味しそうに飲んでるですし」
「…ほほお」
 まあこの遠慮なしのあけすけない物言いは、師匠のガキネコの直伝か。
 それ自体は別に悪くない、悪くないんだが。
「まあやるんだったら別に構わねえがな、でもお前もそれまだ残ってるじゃねえか」
 差し出されたワイングラスには、まだ三分目近くまで赤い液体が残ってやがる。
 これじゃ注げねえだろ、こんな近くのも見えねえかこの鳥目と言おうとしたら。
 
「いいですよ、せっかくですからちゃんぽんです」
 
 ……ワ、ワインと濁酒(どぶろく)でちゃんぽんかよ。
 何でもないようにしれっとしてコイツ、俺でも考えねえ事を平然とやるなオイ。
「明日の朝起きられなくなっても俺は知らねえぞ?」
「俗説ですよ、ちゃんぽんすると悪酔いするっつーのは」
 ……まあ確かに俺が飲むわけじゃねえしな。
 知らねえぞ知らねえぞ言いながら注いでる辺り、俺も似たような邪道使いか。
 ほれ、まずは一献(いっこん)。
 ささ、ぐいーっと行け、ぐいーっと、ぐいー……
 
――ちゅ~~るるるるるる~~~~――
 
 …………。
 
 
 
 ついばんで、顔を上げたらラウさんが呆れ顔でこっちを見てやがりました。
 ? 何ですか? 俺が何かしたかですか?
「……お前な、幾らなんでもそんなイヌ食いじゃあるまいし、せめて持って飲めよ」
 そんな事言われたって、俺こんな口だしですよ。
 ラウさんや師匠がするみたく飲んだら、クチバシの横から漏れちまいます。
 
 そう説明したらラウさんは何か諦めたように息をついて、
 次に隣のレティちゃんの方に向き直りました。
「おめえもさっきから物欲しげな視線を人の背中に。欲しいなら欲しいって言えよ」
「んん? なんとくれると言うのか? いやあありがたいありがたい」
 対してぐいっと底に残ったワインを飲み干すと、
 そのまま『酌をしろ』と言わんばかりに悠然とグラスを突き出すレティちゃん。
 うわぁ、凄いです、ラウさんの冷たい視線にビクともしねぇです。
 ビキッとラウさんのコメカミに青筋が立つ音がするのも、これは無理ないですね。
 
「……お前な、そういう時は『べ、別に欲しい等とは言っていないのだからな!』とか、
せめてそういった反応を返すのが今時の女として普通なんじゃねえのか?」
「何を寝惚けた事を言っている、…さては足りない頭に落ちモノの漫画を読みすぎて
とうとう脳でも膿んだか? ごちゃごちゃ言っている暇があったらとっとと注がんか!」
 
 …みるみる燃え盛る怒りのオーラと氷のように冷たいオーラがぶつかりだしますが、
 これはあれですね、ケンカするほど仲が良いという奴です。
 副主任と師匠の関係みたいなですよ。
 …もっともこんな研がれた刃をぶつけ合うような応酬、
 間に入っていくような勇気は俺じゃなくったってないだろうですがね。
 肉を引き千切って飲み込みながら考えるです。
 
「…チッ、わーったからほら、代わりに俺の野菜食ってくれよ。いつもの如く」
「うむ。じゃあこちらも肉はよろしく頼んだぞ」
 ほら、なんだかんだで仲良しです。
 ラウさんが自分の『サラダ』の皿をレティちゃんの方に押っつけて、
 代わりにレティちゃんが自分の『肉料理』の皿をラウさんの方に押っつける、
 もう度も見かけてきた光景ですよ。
 好き嫌いはいけないと思うですが、この場合は持ちつ持たれつなんで、可かなー。
 お互いの長所と短所を補い合うのは良い事ですよ。
 
「ふむ、やはり米で作った酒だな。生酒なだけあって味と香りには膨らみがあり、
常温でも飲みやすいのは評価するが、やはり甘過ぎる、肉料理には合わん。
まぁ料理と一緒に飲むような酒ではないな、所詮は晩酌用やデザート用の酒だ」
「…聞かれてもねえのにウダウダうるせえなあ、文句があんなら飲むなよ」
「わあっはっはっは、誰もマズいとは言っていないだろう。…ほら、もう一杯寄越せ」
「オレにもくれー!!」
 
 ラウさんも迷惑そうにしてる割にはどこかまんざらでもなさそうに見えますし、
 レティちゃんも文句や難癖をつける割には楽しそうにしてるです。
 
 …本人達に言ったら絶対否定して気まずくなるですので言いませんが、
 あんなんで二人とも結構楽しんでんですよね。
 そうしてそんな二人を生暖かく見守る俺は、とってもクールでアダルトなガイです。
 余計なチャチャは入れねえぜです、その方が長期的に見て面白くなるですので。
 ……ふふん、見直したですか?
 ホウヤ・ハクオー、白凰鳳也はホワイトホークなクールガイ!
 覚えておく価値があると思うですよ? 女の子の黄色い歓声はいつでもOKです!
 
 
 
 うー。
 うー。
 うー!
 
 …き、切れんでござる……。
 困り申した……。
 
「ティル君、切れないのかい?」
 ひゃあっ!?
 
「流石に骨を切るのは無理だよ、こういう時は骨に沿ってナイフを入れるんだ」
「は、はい!」
「貸してごらん?」
 あ……。
 
 …………
 ……うぅ。
 
「ほら取れた。ソースは必要かな?」
「い、いえ! 大丈夫でござる」
 はぁ……。
 …………
 …はぅ、ラスキさん……。
 
 
 
 ああ、またラスキったらティルちゃんを甘やかして。
 しかもあれで他意がない、あくまで上司としての振る舞いなんだから最低よね。
 本人は父親代わりかもしれなくても、相手にとってはそうとは限らない、
 男の人に、しかもケダマと間違えられる位の美形で仕事もできる上司に優しくされれば、
 そりゃ勘違いする新入社員の子が出てくるのも当たり前でしょ?
 
 ……実際、何人の女の子があいつの父性にやられて陥落させられてきた事か。
 これだから嫌なのよね、自称紳士の無自覚タラシって。
 っていうかうちの班の新入の子の半分近くが、もう忠誠っていうか心酔の域だし。
 怖いわー『ラスキ教』、被害にあう信者拡大中、あー嫌だ嫌だ。
 
 ……大体、ヒースの方はヒースの方で酒飲める組に混じってワイワイ騒いでるし。
 ラスキもティルちゃんやイェスパーに掛かりっきりで、
 私だけ一人寂しくナイフとフォークを動かしてるってのはどういう事なのよ。
 私だって前後不覚にさえならなかったらお酒飲むのに、
 本音を言うと飲みたくてしょうがないのに、みんなで楽しそうにしちゃってさ。
 
 あーもうヤケ食いよヤケ食い、こうなったらヤケ食い!
 太ろうがナメクジだろうが関係ないわ、せめて料理代の元取らないと気が済まない。
 ちくしょー、皆して私の事無視しくさって!
 どーせ私はお局様ですよ、フンだ! あームカつく!!
 
 
 
 キャロさんが一人で寂しそうに食事してる…。
 こ、こういう時はやっぱり、男として何か気の利いた話題でも……
 …………
 …………
 …………
 ……や、やっぱりだめだ。
 こんな席で女の人に話しかけるだなんて、そんな大それた事ぼくには無理むりムリ無理。
 …お、男の人や子供相手でもだめだったりするけど、とにかくだめ!
 
 あ、頭の中で会話をシミュレートするのなら上手くいくんだけど、
 実際に口にしようとするといつも、口が引き攣って、頭の中が真っ白になって。
 どうしても声に出す勇気が出ない、
 何を言っていいのか、何を言ったらいいのか、分かんなくなっちゃうんだ。
 おかげで別に睨んでるわけじゃないのに、
 女の人を怖がらせちゃったり、子供を泣かせちゃったりした事は数え切れない。
 何ガンつけてるんだって、因縁をつけられた事も。
 ……そ、そんなつもりはないのに、
 「そんなつもりじゃないです」「ごめんなさい」って言葉さえ舌が絡まって言えなくて。
 
 直そう、直そうとは思ってるんだけど、心ばっかりが空回りの毎日。
 ああ、大体こんな事をうじうじ考えるだけで言葉に出来ないような男と会話しても、
 キャロさんもきっと楽しいなんて思うはずがないよね。
 ラスキさんに対してそうなみたく、きっと色々気を使わせちゃうよね。
 それに加えて、ナメクジやゴキブリくらいで失神しちゃうような情けない男なんだもん、
 きっと心の底では呆れられてるよ、呆れられてるに違いないよ。
 ……はぁ。
 ……ふぅ。
 ……あ、ところで、
「…………ん」
 すみません、そこの『そむりえー』さん。
「はい、なんでしょうか?」
 
 ナンもう二枚追加。
 
 
 
 私達カモシカはトラやネズミと並んで魔法を使えぬ種族だからな、
 私自身、若い時分は魔法を何か万能の力だと勘違いしていた部分があった。
 違うと分かったのは、エグゼクターズに入ってからしばらくした頃か。
 とかく魔法使いという人種は――……
 
「ちょっとそこのあなた! 私もライスお代わりよお代わり!」
「おねーさんオレもー!」
「あ、じゃあついでに僕もパンを貰おうかな」
 
 ……――痩せの大食いが多い気がする。
 
「……相変わらず、よく食うものだな」
 さすがに私は、もう入らん。
 なんだかんだでここに来る前、オードブルや魚料理で結構腹に溜まってたしな、
 一皿一皿の量は少ないと思っていても、これだからコース料理は侮れん。
 ……だというのに連中、平気で三皿目四皿目のパンのお代わりをしている。
 特に副主任殿など、あの細い身体のどこに入っているのだ??
 
「さすがに魔法使い組は違うねえ……」
 散々『足りない』『足りない』と文句をつけていたくせに、
 なんだかんだで結局腹一杯になったらしいラウが腹をさすりながら酔眼で呟く。
 すっかり出来上がっている身に言うのもなんだが、
 何を言っているのだこいつは。
「貴様とて『魔法使い』ではないか、我が身を棚に上げて人の事を言うか?」
 
 このメンバーの中で純粋に魔法が使えないのは私だけだ。
 ラウや、向かいのタカ男ですら魔法は使える、
 そういった疎外感から、やや拗ねた想いも込めてそう毒づいてやったのだが。
 
「バーカ、俺はオオカミだぞ?」
 フンと鼻を鳴らして、奴は歯牙にも介さぬように私の嫉みを受け流す。
「イヌやネコみたいな、あんな火打石も必要ねえような連中と一緒にすんな」
 
 
 
「そうですよ、確かに魔法が使えるっつっても、俺が使えるのはせいぜい
風鎮めのおまじないと遠目の魔法の二つだけです」
 おまじないは里に居た頃にばあちゃんから教えてもらったもんですけど、
 そのせいか効果は気休め程度。
 遠目の魔法はこっちに来てから、郵便局に勤めてた時に必死で覚えました。
 トリの場合仕事にも役に立つし、再就職にも有利になる技能だって薦められて。
 
「ハッ、俺だってこの稼業やってく上で『手数』増やす為に必死で覚えたのよ」
 それはラウさんも同じっぽいです。
 あくまで一つ二つ、下級の魔法を知ってる程度。
「《爆炎》とか《落雷》とか《津波》とか、んなもん使えるんならとっくに使ってら」
 そうして荒事専門のラウさんですら、そんなもんですよ。
 エクスプロージョンどころか、ファイヤーボールやマジックミサイルさえ使えません。
 あくまでちょっと相手を突き飛ばしたり、痺れさせて怯ませたりが関の山、
 そうしてそんな魔法でさえ、一生懸命頑張って覚えた魔法なんです。
「日常生活で普通に魔法使うだなんて、アホかってな」
 
 主任や副主任、師匠の凄いところはそこです。
 これでも天下の猫井グループの社員、それもチーフを任されるような人間ですから、
 忘れそうになりますけどあれでエリートの中のエリートなんですよね。
 魔法っていうと、やっぱりドンパチなイメージがあるですし、
 三人とも非戦闘型の文化人、地味で平凡なイメージが付き纏って離れませんけど、
 …でも煙草やコンロに火をつけんのに火打石やマッチが要らねーですし。
 落ちたペンや、くずカゴに入んなかった紙屑を念力で拾い上げて入れ直しますし。
 なんかもう日常生活レベルで凄いですよ、流石イヌネコ。
 もっともその代わりに――
 
 
 
 ――そうそう上手い話は転がってないもんだ。
「その代わり師匠も、主任も、副主任も、イェスパーも、物凄い大食らいだけどなです」
 何も無い所から力を取り出すなんて、そうそう都合のいい事はできねえらしい。
 
 ガリガリにやせ細って目がギラギラと落ち窪んだ奴。
 あるいはロクに運動もしてねえはずなのにやたら体型のいい女。
 生活が不規則な奴、昼夜逆転の奴。
 掃除や身の回りの世話みたいなのが全然で、掃き溜めみたいな環境で生活する奴。
 魔法使いにそういう自堕落世捨て人が多いのは、つまりはそういう理由だな。
 
 とにかく使うと、腹が減る。
 疲れる、眠くなる、ダルくなる、変わり種では喉が渇くとか性欲が昂ぶるとかもか。
 人によってどれが強く出てくるかは違うみてえだが、
 とにかくまあ、使った分のエネルギーはどっかで補充しないと駄目ってこった。
 俺もまあだいぶ慣れはしたけどよ、でも初めて魔法を覚え始めた頃は
 とにかく修練の後は眠くて腹が減ってたまんなかったわな。
 身体は鍛えてる、ちっとやそっとの重労働じゃあへこたれねえつもりだったんだが、
 あれは何か、それとは別の所から力が吸い取られてく感じだぜ。
 
 ……そんな便利なもんでもねえさ。魔法の使えない連中は羨ましがるがな。
 コツや加減、自分の『器』の限界を知らなかった最初の頃は、
 どこら辺で止めておくべきなのか『止め所』が分かんなくて、
 よく立ち眩み起こしたり失神したり、足腰立たなくなって酷い目見たりしたもんだ。
 そうなるともう酷えのよ、ありゃ二日酔いの方がまだマシ。
 何せ二日酔いは一日で抜けるが、
 『魔力酔い』は下手すると三日とか一週間とか後引く事もあっからな。
 旨いモン食って一晩ぐっすり寝れば完全回復、だったらどんなに良いかってんだ。
 
 ……にしても――
 
 
 
「ん? 皆もういいのか?」
 
 気がつけば彼以外の全員が、取り皿にフォークとナイフを置いて
 背もたれに身を預けてしまっていた。
 仕事内容に魔力を必要としないタカの青年やイヌの少女、護衛の二人はともかく、
「ああ、オレもう腹いっぱいー」
「………ん」
 魔力労働要員である他の三人までもが、もうそんな調子である。
「ああもう、私もお腹いっぱいだから、ラスキ」
 一番ハイペースで食べていたはずのネコの女性すら目を閉じて満腹感に息を整え、
 もう食べられないとばかりに満足げに、ぱたぱたと片手を振った後。
 
「いつもみたいに『片付け』ちゃって、後は任せたわよ」
 
 指の先にあるのは『リントの……つまり『仔豚の丸焼き』だ。
 しかも骨も綺麗に抜かれて皮だけの広東風ではなく、原形留めた西洋風。
 八人で食べたとは言っても、いかんせんまるまる一匹、
 それも中にはぎっしりと詰め物が為されている、敵は皮と肉だけではないのだ。
 そんなのがまだ1/4……いや、1/3近く。
 やや冷めてしまっているとは言え、それでも豚の丸焼き・スケール1/3。
 とてもではないが、一人で食い切れる量ではない。
 食い切れる量ではないのだが……
 
「そっか、じゃあ」
 
 ずずぅっ、と皿ごと自分の手元へと引き寄せる彼。
 皿というのはもちろん、仔リントの丸焼きが乗っかった銀の大皿である。
「すみませーん」
「はい」
 そうしておもむろに手を挙げる。…もちろん給仕の女性を呼ぶ為に。
「僕以外の皆に、先にデザートを出してあげてくれませんか?」
「それは別に構いませんが……お客様は?」
 客側の不躾かつ唐突な申し出にも不快を露にはしない。
 様々なお客をもてなして来て、こういった事態にも慣れている人間の対応。
 ……そう、慣れているのだ。
 こんなお客に対する対応にも、ホテル・アリアンロッドの長き歴史の中で既に。
 
「僕は後で遅れてで構いません、もうしばらく時間が掛かりそうなので」
 そうして極めて紳士的に、場の人間達への配慮を欠かさないながらも、
「……ああ、そうそう。これで最後で構いませんから」
 ふいに思い出したように、
「黒パンのお代わりを、 三 人 分 ……いや、 四 人 分 ……ああ、うん、違うな」
 実に優雅に、考え込む仕草をして見せながら。
 
「――どうせなので、 一 斤 丸 ご と 皿に乗せて持ってきてくれませんか?」
 
 …………
 
「……かしこまりました♪」
 
 向こうもプロだ。
 
 
 
=―<3-6 : dessert : 5th day PM 8:11 >─────────────────────=
 
 
 
「それでは最後に、デザートおよび食後酒でございます」
 
 誰も聞いていない。
 
「デザートは、『焼きプリン』こと本場ネコの国風の『カスタード・プディング』」
 
 誰も聞いていなくてもしっかり職務を果たすあたり、まさしく給仕の鑑であろう。
 嫌な顔一つせずにこやかなまま、やるべき事を遂行する。
 
「デザートワインはアイスワイン、『リラ・ディベール』の10年もの。
ドリンクをご所望のキャロ様、ティル様には紅茶、『クランドリューク』のレモン添え、
同じくイェスパー様にはコーヒー、本日は『エスプレッソ』を用意いたしました」
 
 そんな親切丁寧な相手側の説明を聞き流してまで
 場の全員の目が釘付けになっているのは、もちろん一人の男の姿に対し。
 
 
 
「なんであんなに入るんだ」
 カモシカの女騎士が恐れ慄く。
「どう考えても容積的におかしいだろう、胃腸の容量に収まってないぞ絶対」
「……考えたら負けですよ、レティちゃん」
 タカの青年が諦めたような声を上げる。
 というか実際に諦めているのだろう、深く考えたら負けだと。
「『ブラックホールダンディ』、ここに在りです」
「……『電池マン』の異名は伊達じゃねえってか」
 オオカミの大男も唸る。
 こればかりは何度見ても慣れない光景だから。
 
 
 ラスキエルト・グリノールという青年は、非常に『バランスの悪い』魔法使いだ。
 初歩下級の魔法は器用にも一通り使えるのだが、
 少し難易度が上がる、中級上級に分類されるような魔法になるともうてんで及ばない。
 ちょっと制御が難解で構成が複雑な魔法になると丸っきり手が出せないし、
 かと言って瞬間最大出力にも劣る、どうしてか馬力が出ないので力尽くにも走れない。
 紙屑ぐらいなら念動で持ち上げられるが、椅子や机になると普通には無理、
 照明(ライト)の魔法は使えても、火球(ファイヤーボール)なんてもう、
 「ぼひゅ」とか「ちろちろぶすぶす」とか、見てて可哀想になるくらいの貧弱ぶりだ。
 
 基本的に世の表舞台で目立つのは、優れた魔法使い達なので勘違いされやすいが、
 比較的魔法の得意なイヌや、更に得意なネコにあってさえ、
 ラスキのような半端魔法使いは珍しくない、むしろ存外に多かったりする。
 
 ――馬力が凄まじい反面で細かい魔術が苦手で、力任せの乱雑な魔法を使う者。
 ――逆に細かい操作が得意なのに、瞬間出力で劣り技巧や小手先に走る者。
 ――魔力保有量(=MP)だけは多いのに、強力な魔法を操る才能が備わらなかった者。
 ――反対に強大な魔法を行使可能なセンスは持つが、最大MPが低すぎる者。
 ――同じ最大MPが多いのでも魔素吸収効率が良く、自然回復速度が桁外れの者に、
 ――逆に吸収効率が悪すぎる、一度使ったら再チャージに数日は要する者。
 ――中には魔を感じ取る力は誰よりも勝るのに、振るう力は絶無という不幸な者まで。
 
 そのような中にあって、ラスキエルトという人間は。
 
 
「……よく食うわね、しかし」
 自分だって相当食べる方であるはずのネコの彼女も、思わず呆れた声を上げる。
 
 しかしネコの彼女でさえ連続2時間かそこらが限界だというのに、
 ほぼ丸一日ぶっ通しで音封石を稼動させ続け、それで平然としてるのがこの男。
 【量】しかないが、【量】だけは。
 
 そうしてそれだけだったら良かったのだが、しかし平然としてると見せかけて、
 でも『減った分』は、『消費した分』はきちんと【補充】するのを必要とする。
 世の中うまい話はないもので、
 だから人呼んで“底無しの胃袋”『ブラックホールダンディ』、
 だから人呼んで“歩く魔力貯蔵庫”『電池マン』
 
 
 カチャン、と食器が皿に置かれ、ナプキンがすぐに口の周りの肉汁を拭う。
 仕草は優雅だが、しかし光景は慄然たるもの。
 他の七人の全員が、無言でそれを見つめるしかできない。
 
 五分と経たずに、1/3近く残っていた丸焼きは全て彼の腹に収まってしまっていた。
 ……そう言えば、皆が食べ終わるまでは
 とかくヘビの青年やイヌの少女に対して料理を取り分けるのを優先しており、
 また食卓の談笑を円滑にする為の話題の采配に専念していたような部分もあったが。
 でもそれを止めるや否や、この猛然とした摂取スピード。
 てか、早い。
 そして早くて大量な割には、少しも腹部が出て膨らんだ様子も無い。
 
 ――なんでだ。
 
 全員一致で思う疑問がそれであったが、しかし恐怖はまだむしろこれから。
 おもむろにナプキンを置いた彼が、
 ちらり、ともう身肉が一切残っていない丸焼きの方へと視線を向ける。
 場合が場合だったら場の人間達の衆目を集めたであろう洗練された動作、
 だがその動作のままに、自然な動きで
((((……え? もう肉ないだろ?))))
 大振りの肉切りナイフを右手に掴むと、
 
 パキン、と。
 
 骨を綺麗に叩き割り、そうして。
 
 
 ――ガリゴリガキゴキバリボリバリバリ――
 
「ほ、骨まで食うなよ!!?」
 赤ネコの青年の叫びは、口には出せないその場の全員の心の叫び。
「何を言っているんだよヒース、ここが一番美味しいんじゃないか」
 なのに問題の当人、悠然として気にした様子もない。
 直接手づかみで骨を取り、バキボキと凄い音を耳までの口から響かせながらも、
 なんでだか言動に気品があるのが理不尽だった。
「そんな事ばっかり言ってるから、カルシウムが足りなくて背が伸びないんだよ?」
「う、うるせー」
 普段であれば顔を真っ赤にして怒るはずの発言に対しても、
 尻込みしまくりで気勢の上がらないネコの青年。
「うん、やっぱりオーブンでじっくり焼いてあるだけあって柔らかいな」
 ……まぁそれも当然だろう。
 完全に閉まらずに見えた鋭い乱杭歯の隙間から、噛み砕かれた骨の破片を
 覗かせながら微笑まれては、そりゃ誰だって尻込みもする。怖ぇ。
 
“カ、カルシウムとかそういう問題かよ、アホか!”
“アホかって、そういう貴様もオオカミだろう、イヌに負けて恥ずかしくないのか?”
“なっ!? そっ、そんなの人の勝手だ、うるせえなあ”
 百戦錬磨の傭兵達も、思わず卓の隅っこでひそひそと肘を突っつき合う。
“大体、イヌやオオカミ=骨大好きみたいな見方はやめろよ!? 迷惑なんだよ!”
 
 ちなみにこのオオカミの傭兵、うんと小さい頃はそうでもなかったのだが、
 子供時代に骨の破片が喉に刺さって七転八倒、死ぬかという思いをして以来、
 オオカミのくせに肉や魚の骨は大嫌いである。
 魚の中骨や小骨を抜くのに神経質で、食べてる時の皿の有り様はぐちゃぐちゃ汚く、
 現に今回もいじいじ骨を取り出すのに掻き回したせいで、皿の様子は酷いもの。
 ……人を見かけで判断しては行けない例のよい見本だろう。
 
 そうしてそうやって周りが揉めている間にも、
 凄まじいスピードで口の中、胃袋に吸い込まれていく丸焼きの残骸。
 ガキゴキバリバリという恐ろしげな音を立てながら、
 もう骨を割って髄の部分だけ啜るとかでなく、骨ごと粉砕して飲み込んでさえいる。
 あまつその割にはの異常な高速、
 口の中に詰め込んでいるわけでもないのに、手の運びには淀みがなく――
 
 ――つーか怖い。ある種怪談、よっぽど魔法。
 ……ただし事も無げに骨を粉砕する辺りがちょっぴりワイルドカッコよく、
 
“……い、いいなぁ。テテイルナートの事もあんな風にバリボリ……”
“ちょっ、ティルちゃん!? そこは顔を赤らめてポーッとする所じゃないでしょ!?”
 一部、何を勘違いしたか陶然としてしまう人間が現れるのも、
 まあ無理もないと言えば無理もない……か?
“…ラ、ラスキさんカッコいい。ぼくもいつかはこういう紳士な中にも剛毅な人に…”
“ってイェスパー!? あんたまで!!?”
 
 
 
 保安部所属レティシア・リスリンが、『虫』まで食らう悪食ならば、
 特派第四班主任ラスキエルト・グリノールは、『石』まで食らう悪食だ。
 
 
 
 皿の残りをべろべろ舐めるだなんて下品な事はしない。
 千切った黒パンの欠片を使い、残ったソースを拭い取っては口へと運ぶ。
 あくまで紳士、あくまでエレガント、だけどちょっぴり意地汚く。
 
 今やきらきらと照明の光を反射して光る銀の盆。
 丸ごと一匹が乗っていたはずの皿の上には、今はもう何も無かった。
 骨の一片すらも。肉汁の一垂れすらも。
 ちなみに最初に骨が叩き割られてから、ようやく三分経ったかという頃合である。
 
「ふう……」
「………」「………」「………」「………」「………」「………」「………」
 誰もが口を開かない中、今度こそ口の周りをナプキンで拭う黄金の毛並の美青年。
 腹部はやはり、食事前と比べて少しも膨らんだ様子はなく――
 
「――まぁ、腹八分目とも言うしね」
 
 ポツリと呟かれた恐ろしげな言葉は、一同揃って聞かなかった事にした。
 
 
 
=────────────────────<Chapter.3 『AMBROSIA』 out >───=
 
 
 
 
 

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