ここでチョウの外見的特徴に言及しようと思います。
何より特徴的なのが羽ですね。
この羽、トンボと同じように魔力でできています。だから服の上に出現させることもできるし、場合によっては完全に収納しておくこともできます。
しかし、背中に羽をしまうと、なんとなく落ち着かないみたいです。「片足で立ってバランスをとっているときの感覚に近い」とリィミヤさまがおっしゃっていました。体の一部なんですねえ。ちぎれても魔力で再構成することはできるんですが、結構時間がかかるもようです。
服を着ているとあまり見えませんが、裸になると手足に昆虫っぽい模様があるのがわかります。刺青ではないですよ!
触角はすげえ敏感なのであんまり触らないであげてください。
男性人口の9割5分がマダラという社会でありますが、実は大陸で言う「普通の男性」もいらっしゃいます。女性のケダマもね。後宮にも一人いらっしゃるので、折を見て紹介したいと思います。
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「海に行くぞ」
陛下の私室に呼ばれてその話を聞いたとき、私は反射的に喜んでしまいました。「南小学校のトビウオ」とあだ名された私は泳ぐのが好きなのです。でもすぐにその意味するところを知って、青ざめました。
「新しい観光施設の視察だ」
視察といっても、「頑張ってるかねえ君ィ!」と肩を叩くようなものです。中小企業の社長が社員の様子を見る感じでしょうか。
声をかけたところでどうというわけではないんですけど、「偉い人に見られてる」と士気も変わってくるものです。
陛下はその涼しい顔をにこにこさせて続けます。
「ベニシジミ氏族が出資してるから、ノトとアドも一緒だ」
「そうですか、では私はこれで」
回れ右をしようとした私の肩を陛下が捕まえます。……手は椅子の上で組んだままです。だからこれは魔法です。見えない手にがくっとよろけてしまいます
「一緒に行くよな」
「海は行きたいんですけど……あの、交通手段が……」
「そこで半日休暇をやろう」
後ろを向こうとしても見えない手が陛下の前からうごかないようしっかり固定してきます。
「ぼくを彼女らと二人きり……いや三人きりにしないよな?」
どうしてこういうときだけ押しが強いんですか? その押しを奥方たちに使えばもうちょっと人生うまくいくんじゃないですか?
なんだかんだ言っても拒否権はありません。奴隷ですから。
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数日後、私は泣いてました。
「やだやだやだ!! 下ろしてぇぇ!」
「大丈夫だよ。落としたりするヘマしません」
「高い高い!! 怖い!」
「じっとしてろよ嬢ちゃん。うっかりってこともありうるから」
私は知らない男の人(というかチョウ)の首にしがみつきます。
眼下には小さくなった王宮が見えます。落ちたら死ぬ……絶対死ぬ。
陛下とノトさまアドさまは輿に乗ってますけど私は荷物扱いなので乗せてもらえないんですよね……。あの虫けら、いつか目に物見せてやりたい。
「空中がそんなにめずらしいのかい嬢ちゃん。いやーおじちゃん張り切っちゃうな」
陽気な人足はわたしをかついだまま乱高下してみたり。うっかりみぞおちめがけて蹴りを入れましたがこうかはいまひとつのようだ。
エディル島は住民のほとんどが飛べますから、ちゃんと整備された道路が少ないのです。崖があろうと、谷があろうと、「飛べばいいじゃん」で済まされます。結果的に飛べない種族はこういう目に遭うのです。
……地上を歩くものと、空を飛ぶものは相容れないのです。どこかの小説にそう書いてありました。
「吐きそう……」
「ちょっと待ち嬢ちゃん下で、地上でな? 頼むよタンマタンマ」
このくらいのジョークは許されますよね。半分本当だけど。
※※※
陛下たちが着陸した砂浜には人だかりができていました。陛下が輿から降りてくると、どよめきが起こります。
王様人気あるんですねー。あんな王様なのに。
「ううっ……生きているうちに王様の顔を直接拝めるなんて……」
皆一様に感激しているようです。泣いてる人もいます。泣くほどじゃないと思うんですけど。
観衆の中には子ども、つまり幼虫もいます。彼らは私を見るとひそひそ話しました。
「ヒトがいる」
「この石投げてみようか」
「やめとけよ、ヒトって祟るんだぞ。ヒトの呪いは七代続くって」
幼虫時代はあまり可愛くないので憎たらしさ三割増しです。いや、かわいくてもムカつくな。
魔力がないんだから祟るも何もないんですが、変な迷信のおかげでヒトに暴力をふるうチョウは少ないです。チョウは迷信深いですからね。
衛士が人垣をガードしながら目的方向に進んでいきます。私は最後尾。
陛下は一人の女性に目を留めました。普段では考えられないくらいにこやかに笑っています。怖い。
「この幼虫はお前の子か?」
「そうでございます。あの、よろしければ抱いて祝福を与えてやってくださいませ」
陛下は母親から赤ちゃんを受け取りました。
「元気そうな子だ。美しいチョウに育つだろ、……う」
「ろ」と「う」のあたりで赤ちゃんは緑色の何かを思いきりリバースしました。
「す、すみませんさっき食事させたばかりで……」
赤ちゃんが突然吐くのは世界を超えても同じなんだなあ……。
「気にするな。そろそろこの着物にも飽きたところだ。食費の足しにするがい」
赤ん坊を抱いたまま陛下は顔色一つ変えませんでした。あれすごく高い服なんですけどね。カイコガ氏族が作ったやつだし。きっと内心穏やかじゃないですよ。
陛下は母親に赤ん坊を渡して、その場で上着を脱ぎました。(重ね着してるので一枚で裸にはならないです)母親はひたすら恐縮していました。
仮にも一国の主がゲロくらいで慌ててはいけないのです。
プロ根性を感じます。
※※※
責任者を労ったり、建物の図面を見たり(専門知識がないので本当に見るだけ)、儀礼的な質問を交わして一日が終了しました。今日は泊まりです。ホテルの一室なので久しぶりに西洋な部屋で眠れます。
それより。
「何で私と同室なんですか陛下。奥方さまたちと寝てください」
「旅先でぐらいゆっくりしたい」
「ゲロのことならノトさまとアドさまに慰めてもらってください」
「いやだ」
羽を収納してベッドでごろごろする陛下。そこにノックの音が飛び込んできました。
「陛下、ノトさまとアドさまがお呼びです」
侍女の一人がドアから顔を出しました。
「疲れていると言ってくれ」
「しかしその……すでにいらっしゃっているのですが」
言葉が終わるか終わらないかのうちに侍女をおしのけて、小柄な二人の女性が部屋に入ってきました。
「陛下、長旅お疲れではなくて?」
「体のおかげんはいかが?」
ノトさまとアドさまは陛下の側室の一人……じゃなかった、二人です。お察しのとおり双子です。
ベニシジミ氏族は体が小さく魔力もそれほどではなかったのですが、ネコの資本と連携することによって最近めきめきと財をなし、今では王家より金持ちになってしまいました。側室であれ、商人の娘が王に嫁ぐなど50年前には考えられませんでした。
このあたりのリゾート開発も、ベニシジミ氏族が音頭をとってやったものです。だから彼女らも同行したわけですね。
「今日のお召し物は地味目でしたわね」
「またリィミヤさまにお叱りを受けたのかしら?」
「あんなヒス女無視してあたしたちといいことなさらない?」
「積もる話もございますしね」
えーっと、どっちがどっちかわからないと思いますが私もわからない。
この場合の「積もる話」はたぶんお金の話でしょうね……。
王族の遺体を埋葬している寺院を修繕するとき、ベニシジミ氏族にお金を援助してもらったので陛下は何を頼まれるかヒヤヒヤしているようです。タダより高いものはない。
「そ、そうだな、明日の昼間にでも」
「夜がいいわ」
「夜のほうがゆっくりお話できるでしょう?」
「なんならこちらの部屋でもかまわない」
「あたしたち陛下とお話するのお待ちしておりましたのよ」
あー逃がさない気だ。大変だなあ。
「陛下、少しぐらいお話してさしあげては?」
私は延々と身のない会話を聞くのがいやなので、陛下に持ちかけました。
「…………」
陛下はだんまりを決めてしまいました。
「私と一緒にいてもイチャイチャするわけじゃあないんですから、奥方と寝てください」
二人の奥方が同じように眉間にしわを寄せました。
「アリサ」
「ねえアリサ」
「あたしたち、こういうことを聞くのはとても失礼だと思うのだけど?」
「まさかその……陛下の夜のお相手をしてないんじゃあ」
「そうですよ?」
二人は目をむきました。
「嘘でしょう、あんなに一緒にいるのに」
「あんなに大切にされてるのに」
アドさまノトさまは、何をもって私が陛下に大切にされていると思ったのでしょうか。奴隷とはいえ女性を荷物扱いで行幸に連れて行く男ですよ。
「いや別に、陛下はそういうんじゃないし」
やるかやらないか、の話ならやれますけど。別に積極的にそういうことしたいとは思わないです。向こうも同じ考えでしょう。
「そんな……アリサを懐柔すれば何か機密でも喋らないかなと思ったのに」
「これじゃあ望み薄だわ」
私の扱いひどすぎません? そして巡り巡って陛下の扱いもひどい。
「陛下は閨(ねや)ではそんなこと一言も教えてくださらなかった」
「秘密主義なのね」
「あ、つまり不能ではないんですね」
それだけが気がかりだったんですが、一応やることはやってるみたいで安心しました。
「君たち、本人のいる前で好き勝手言ってくれるな」
「陛下と三人きりになれたら悪口もやめますわ」
「少しくらいいいでしょう?」
陛下は物憂げな息を履いて私を下がらせました。結局私はアドさま付きの侍女と同じ部屋で寝ることになりました。
陛下の気持ちもちょっとわかります。彼女らは一人のチョウとしての陛下に興味がないのです。
でも私は奥方たちにも同情するんですよね。
だって陛下、彼氏にするにはつまんない男だから。
※※※
次の日は私と陛下の仕事はお休みです。ノトさまアドさまはこのあたりの地主に挨拶に行きました。サボり感溢れてますがよしとします。
陛下は約束通り海に連れて行ってくれました。
青い海! 白い砂浜!
泳ぐには絶好の天気です。
このあたりはホテル客用のビーチらしく混雑なしです!
水着もホテルで借りたし完璧です!
「えっ、君泳ぐの?」
今何か、根本的な問いを投げかけられた気がします。
「海ですよ!! コバルトブルーの海! それなのに泳がないっていうんですか!」
「だって羽汚れるし。泳げないし」
「何のために南の島に住んでるんですか!」
「そんなこと言われても」
陛下は頭を掻きます。触角がバネのように動きました。
「たとえば船から海に落ちたらどうするんですか」
「飛べばいいじゃないか」
……地上を歩くものと空を飛ぶものは相容れない。そういえば、いろんな種族がホテル備え付けのプールで遊んでいましたが、チョウは一人もいませんでした。
「そうか、そんなに泳ぎたかったのか。ぼくがここで見ているから泳いでくるといい」
「そんな虚しいことできますか!」
もう二度と陛下にレジャーは期待しないことにしました。
結局、砂にラブレター書くくらいしかやることなかったです。出す人もいないのに……。