猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

続虎の威36

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匿名ユーザー

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「頼んどいて言うのもなんなんだけどさあ」
 獣臭い、と。そう思った千宏を誰も責められはしないだろう。
 場所は遺跡の町のはずれに作られた特設会場。空は晴天で気温も高く、
そんな中にひしめく殺気だったトラ百人である。
 熱気と興奮は最高潮で、歓声と怒号の中血と汗がキラキラと舞い飛び、
会場の隅っこに積み上げられる敗者の山が高く高くなっていく。
 お祭り騒ぎをかぎつけた商人達が露天で酒と肉を売り始め、周囲には
空腹を呼び起こす良い香りが漂っていた。
 そんな会場の中心で、今正に対戦相手を屠ったつわものが、雄叫びを
上げて拳を高く空へと突き上げていた。
 カブラである。
 割れんばかりの歓声に耳を塞ぎながら、千宏は感心とも呆れともつか
ない溜息をついた。
「カブラって本当に強かったんだね。実は弱い方なんじゃないかって
疑ってたんだけど」
「本当に頼んどいてなんだぞ、チヒロ」
「さすがにカブラに同情するぜ……」
 カアシュとブルックに遠まわしに非難され、へへへと千宏は繕い笑
いを浮かべて見せる。
 あたしのために戦って、と。そう女に言われたトラは九割九分断らない。
その女が顔見知りなら一層で、その女に恩があれば命を投げ出してでも
戦いにおもむく。
 そんな一般的なトラの例に漏れず、千宏の頼みを聞いた瞬間、カブラは
理由も内容も聞かずに二つ返事で了承してくれた。
 テペウに断られた直後だったので少しくらいは渋られるだろうと思って
いたのだが、まったくの杞憂であった。
 いわゆるトーナメント戦で順調に勝ち上がり、残すところあと十戦と
いうところだろうか。
 底無しの体力で連戦を続けてきたつわもの達も、ここでようやく
いったんの休憩を挟む事になり、全身を返り血に染めたカブラが実に
上機嫌でのしのしと千宏達の元に戻ってきた。
 千宏はよく冷えた酒をさっと用意してカブラに手渡し、塗らした布で
カブラの毛皮をかいがいしくぬぐい始める。
「おつかれさまぁ。超かっこよかったよカブラ! さすがあたしが
見込んだ男! カブラに頼んでよかったぁ!」
「ったりめーよ! この俺様があんなひょろいモヤシ野郎どもに負ける
わけねぇってんだ!」
「だよねぇー! もちろん、そう思ったからカブラに頼んだんだけどさ。
もうハンスもいなくなっちゃったし、頼れるのはカブラだけだもん。カブラが
いてくれて凄く嬉しい!」
 ぱちぱちと両手を叩いて、千宏はこれでもかとカブラを持ち上げる。
 気持ちよく仕事をしてもらうためには、多少のお世辞は必要だ。持ち上げれば
持ち上げるほどカブラのやる気もアップすると思えば、褒め言葉など商品を
売りつけようとするネコ商人と張り合えるくらいには言い続けられる。
「女ってこえーなぁブルック……」
「ああ、女はこえーぞカアシュ……特にあれは一番まずい部類だ」
「けどカブラは幸せそうだな……」
「だから余計に哀れなんだろうがよ……」
 はあ、と。二人のトラが揃って盛大な溜息をついたが、カブラは気付いていないようだった。
「よう。やってるな、カブラ。チヒロ」
 その時、聞き覚えのある野太い声が振ってきて、千宏とカブラは同時に顔を上げた。
「テペウ! 試合見に来たの? ばっちり、カブラが勝ちまくってるよ」
 ひひひ、と笑う千宏の言葉に、カブラは誇らしげに胸をはる。
 そうかそうかと豪快に笑い、テペウは酒瓶を高く掲げてがぶがぶと飲み干した。
「ま、見た所カブラより強ぇ奴はいなさそうだ。コズエは晴れてカブラの
物って運びになりそうだな」
 ちらと、テペウの視線が千宏に落ちた。千宏もその視線を一瞬だけ視線で
受けて、にまりと笑う。
「そうだね。計画通り」
 テペウが送った視線の意味がわからなかったわけではない。
 この試合にカブラが勝って、コズエとイノリがカブラの物になったとして
――それはカブラの物であって、千宏の物ではないのだとテペウは言っているのだ。
 カブラに勝たせて、カブラからコズエをもらい受けようって魂胆ならば、
そいつは少しばかり考えが甘いぞ――と。
 だが、テペウが考えている通りには運ばない。
 次も勝つ、と勢い込んで去っていくカブラの背中に元気よく手を振って、
千宏は少々邪悪な笑みを唇に刻んだ。
 テペウばかりか、カアシュとブルックにまでいかにも不気味そうな目で見られたが、
今更他人の目など気にするはずもない千宏であった。

 千宏が何を企んでいるのか、テペウには分からない。
 だが、何かを企んでいるらしいという事は確かだ。――何をしでかすかわからない。
千宏というヒトはそういう女で、だからこそ面白い。
 観覧席で眠そうにしているアハウの隣にどっかと腰を下ろし、テペウは
アハウに酒瓶を押し付けた。
 酒瓶を受け取りながら、
「随分、威勢がいいのがいるじゃねぇか。おまえの仕込みか?」
 アハウが問う。テペウは首を横に振った。
「俺じゃねぇよ。チヒロだ」
「ああ、あの……」
 ヒトのお嬢ちゃんか、と口に出しては言わなかった。年齢を重ねてきた分、思慮はある。
 祭りの熱気は最高潮。ロープで仕切っただけの即席リングでは、今まさに
カブラが最終決戦に臨まんとしているところだった。
 あと、十分もしないで決着が付くだろう。――カブラの優勝という形で。
「随分と……楽しそうに戦う野郎だなぁ、ありゃあ。理想的なトラじゃねえか。
あいつにだったら、安心して任せられそうだ」
 安堵したような――落胆したような、そんなため息を落してアハウは目を細めた。
そんなアハウに、テペウは軽く肩を竦めて見せる。
「まあ……チヒロと一悶着起こした馬鹿だからな。そんじょそこらの奴よりゃあ、
よっぽど安心できる。だが、ちぃと興醒めだな」
「興醒め?」
「安全策すぎる」
 それの何が悪いよ、と。アハウは責める様にテペウを睨んだ。
「お嬢ちゃんはよくがんばってくれたさ。ああいう手合いは、まあ自分から試合に
参加しようなんて思わねぇやな。命の重みを知ってるし、預かった命は邪険にでき
ねぇと知っている。お嬢ちゃんの仕込みであいつが参加したってんなら、俺は
お嬢ちゃんに感謝するぜ」
 ――だがカブラは、一度千宏を見捨てている。
 また一緒に行動するようになったということは、カブラも成長したのだろう。
千宏はカブラならば信頼に足ると考えて、カブラにコズエとイノリを託すことに
決めたのだ。
 そう考えれば納得はできた。だが、今ひとつ満足ができない。
 何かしでかしてくれるのではないか。テペウが想像もしないような、奇想天外な
事件を起こしてくれるのではないのかと、根拠もないのに期待してしまう。
 カブラを使ってコズエとイノリを手に入れるのでは――あまりにもありがちすぎる。
 存外に、つまらない女だと――そう思うのは、期待のし過ぎというものだろうか。
 溜息をついたテペウの視界で、カブラの対戦相手が膝を折って崩れ落ちた。
 カブラ高々と拳を付き上げる。割れんばかりの喝采が会場を揺るがし、カブラの
名が優勝者として宣言された。
 カブラはやりきった漢の表情で、群集に視線を走らせる。千宏の姿を探している
のだろうと察しがついた。
 そこに。
「その優勝――ちょぉおおおぉっと待ったぁ!」
 待ったが掛かった。
 会場にいる全員の視線が一斉に声の主を探し、そして一つの小さな影に集中する。
 女だ。
 黒いローブを華奢な体にひっかけた、恐ろしく貧相なトラの女である。
 それが、胸を張っての堂々たる仁王立ちで、真っ直ぐにカブラを見ていた。
 カブラは状況が理解できていないのか、千宏を抱き締めようとした体制のまま硬直し
、笑みなのかなんなのかよくわからない表情を浮かべている。
「優勝者カブラ……見事なお手並みだったわ。けど、最強の栄誉とメスヒトを手に
入れるのはこのあたし! さあ――いざ、尋常に勝負!!」
「お、おいチヒロ――! おまえ一体何考えて……!」
「だから、優勝者であるあんたを倒せば、あたしが最強ってことになるんでしょうが。
いちから戦うよりこっちの方が楽だし。さ、じゃあ戦おうか」
「戦おうかって――できるわけねぇだろうが! おまえ自分がどういう体か分かって――」
 そこまで言って、はっとカブラは口を閉ざした。
 愕然と目を見開き、みるみると表情を強張らせる。
 千宏は人で、非常に弱く、更に今は身重の体だ。激しい運動が危険なことはもちろん、
カブラが殴りなどしたらどんな惨事になるか分からない。
 ――だが、それを知っているのはこの会場でカブラ達だけだ。
 カブラと千宏を取り巻く観衆は、最強のトラであるカブラの前に、最強を名乗る
トラ女が現れたようにしか見えていない。
 そして――カブラは絶対にその女を殴れない。
 じりと、千宏が一歩距離を積めた。反射的にカブラは下がる。
「待て! 来るな! どういうつもりだ……お、俺はおまえのために――!」
「そうだね。あたしと戦うために優勝してくれてありがとうカブラ。だからほら
――かかってきなさいよ。ほら、ほかの奴らにやったみたいにさ。殴りなさいよ」
「チ、チヒロ……!」
「そっちがかかってこないならこっちから――」
 低く唸る様に言ってで、チヒロが腰を落した。この女――走る気だ!
 察した瞬間、カブラは全力でその場に膝を付いた。
「わかった! 俺の負けだ! 参った! 頼むからもうやめてくれぇ!!」
 悲痛極まる叫びであった。
 その瞬間、千宏は拳を握り締め、高らかと空に付き上げる。
「あたしが優勝だぁあぁ!」
 一瞬の静寂――後に、爆笑が弾けた。テペウと、アハウから。
 二人が腹の底から笑えば、数十人からの爆笑とその迫力はさしてかわらない。
 二人の笑いに釣られるように、周囲の観衆も次々に笑い始めた。
 どうしたでかいの、情けねぇ。戦いもしないで負けるのかよ。と口々に野次が飛び、
膝を折ったカブラに突き刺さる。
 とうのカブラは涙目で、うるせぇ、黙れと怒鳴り返している。
「とんでもねぇお嬢ちゃんだな。よっぽどでけぇ貸しがあると見える」
 トラが、大群衆の前で惨めに恥をかかされたのだ。むしろカブラの方から、
千宏と戦うよりも恥をかいて負ける事を選択した。
 トラとしてはあまりにも異常で、それをさせたのは――なるほど、千宏なりの
強さなのかもしれない。腕力ではない力の誇示。
「やーったやったー! コズエさん取ったー! 取ったどー! あたしが最強だぁあ!」
 ぴょんぴょんとはしゃいでいた千宏が、不意にこちらに振り向いた。そして、
テペウとアハウに向かってぐっと親指を付き上げてみせる。
 まったく――と、笑い疲れてテペウはわしわしと額をかいた。
「見くびってた。あー、面白しれぇ」
 コズエ、とアハウがコズエを呼んだ。はい、とコズエは静かに答える。
「あのお嬢ちゃんと一緒に行きな。――あれがお前の進む道だ。ああいう大人に、
イノリを育ててやってくれ」

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