猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

続虎の威35

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匿名ユーザー

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 想像以上に――というよりは、予想外にと言うべきか。
 ひどくやせ細ったトラだった。
 身長だけを見ればなるほど確かに巨大だが、筋肉のすっかり落ちた体は毛艶も悪く、
濁った目は見えているかも定かではない。
 臨終間近の年寄りだと聞いてはいたが、それでも無条件に闊達に笑うトラ男を想像
していた千宏である。
「よう、じいさん」
 ベッドの上の老人に、テペウは陽気に声をかける。
 ノックもせずに家に上がりこみ、寝室にまで足を踏み入れるテペウのずうずうしさに
さすがの千宏もひやりとしたが、ベッドに半身を起こす老人は気分を害したふうもなく、
ただ短く「おう」と答えるだけだった。
 テペウはくたびれたソファに腰を下ろし、千宏もその隣にそっと座る。
「ヒト奴隷の処分でもめてるそうじゃねえか」
 トラはいつでも率直だ。テペウが言うと、老人――アハウはくっくと肩を揺らして笑う。
「もめてんのは俺じゃあねえさ。なんだ、てめぇもコズエを狙ってきたか?」
「俺じゃなくて、こっちの嬢ちゃんがな」
 話をふられて、千宏はぎくりと緊張する。
 アハウの濁った瞳がちらと動いて千宏を見、すうと瞼が細められる。
「あ、あのあたしチヒロっていいます! テペウにコズエさんの話を聞いて、それで――」
「お嬢ちゃん、ヒトか」
 びくん、と。思わず背筋が伸びた。千宏の驚愕と警戒が伝わったのか、アハウが喉の奥で
忍び笑う。
「だーから敬語を使うなって前に言っただろうが」
 面白がるようなテペウの言葉に、千宏ははっとして口を押さえた。
「奴隷にさん付けってのが、特に異常だなあ」
「あ……あぁー……」
 千宏はがっくりと肩を落した。
 随分とこちらの世界に馴染んだ気でいたが、こんな事ではまだまだダメだ。
「妙な遊びをしてるじゃねえか、テペウよぉ。ヒトにトラのふりさして、うまく行くと思うのか?」
「事実、やれてるから生きてるんだろうよ。まあ俺の飼いヒトじゃねぇんでな。俺がどう思った
所でどうにもなりゃしねえ」
 はぁん、と。アハウは気の無い声を出す。
「おまえの飼いヒトじゃねぇなら、いったいどこのお嬢ちゃんだ?」
「そこがチヒロの面白いところでな。飼い主はいねぇんだとよ」
「いねぇ?」
 アハウが意味を問うように千宏を見る。
「あの……一応、自力でなんとか……やってます」
「自力で……って」
「娼婦したり……行商したり……バイトしたり……」
 次の瞬間、アハウは臨終間近の老人とは思えない力強さで笑い出した。
 千宏は小さくソファから飛び上がり、何事かとテペウを見る。しかしテペウは笑うのが
当然だとでもいうように、何度か深く頷いた。
「そいつぁ豪気だ。そりゃすげぇ。馬鹿馬鹿しい夢物語じゃねえか。なるほど、それでか。
それでわざわざ、こんなくたばりぞこないの面ぁ見に来たかよテペウ。それを俺に見せに
来たってわけだ」
「俺ぁ、チヒロが行きてぇつったから、散歩ついでに付き合っただけだがな」
「俺はてっきり、てめぇがコズエを引き取るって言い出すんだと思ってたがなあ」
 苦しげに咳き込んで、アハウはようやく笑いを収める。
 その口調は、まるでテペウにコズエを引き取ってもらいたがっている様に聞こえた。
 事実そうなのだろう。テペウとアハウの関係は、ひどく近しく、信頼しあっている
ように見える。
「あの、アハウ……さん?」
「アハウでいい」
「聞きたいんだけど……どうしてコズエさんの後見人争いなんてさせとくの? アハウがさ、
信頼できる人に財産ごとコズエさんを任せたらいいんじゃないの?」
「そうさな……だそうだ、テペウ。引き取ってくれ」
「めんどうくせぇな。お断りだ」
 千宏は呆れてテペウを見た。ちょっと、と声を上げかけた千宏に、まあ待てよ、
とアハウから声がかかる。
「それでいいんだ。トラはな、俺みてぇなジジイが死に際にする頼みごとを、まずもって
断らねぇ。そんでそんな俺が託した物を、そりゃあ最後まで大事にするもんだ。そいつぁよ、
お嬢ちゃん。とんでもねぇ負担だろう。断れねぇ上に、ないがしろにもできねぇんだ」
 負担か、と聞かれたら、それはもちろん負担だろう。
 だが、ささやかな負担だ。むしろ託されるのがヒト奴隷ならば、喜ばしい負担ではないか。
 思って、千宏は内心で首を振る。――否。否だ。ヒトはあまりに早く老いる。
 老いて役に立たなくなったそのヒトは、間違いなく負担だろう。
「そういう重荷を残していくのは、寿命の半分しか生きられなかったような若いトラの特権だ。
俺みたいなジジイはな、何も残さず消えるのが一番いい」
 だがな、と続けたアハウの声に、苦みのようなものが混じる
「コズエはヒトだ。俺が死んだ後も生きて行かにゃあならんだろうよ。おまけにあいつにゃ
片腕がねぇ。市場に降ろしたらどうなるか……想像できねぇほど馬鹿でもねぇんでな。だから
欲しい奴にくれてやる。片腕のねぇ、若くもねぇ、そんなコズエを欲しがる馬鹿で、中でも
一番強ぇ奴にだ」
「ど……どうして強さが重要なの? 優しかったら別に、弱くたって……」
「見分けられねぇからだよ、そりゃ」
 言って、テペウは苦笑いのような表情を浮かべて見せた。
「その優しいってのがなんなのか、俺達にゃわからねぇんだ。俺達はなんだって殴り合いで
解決するし、それから逃げる奴は臆病者だ。弱くても戦う奴は立派だが……負け続けりゃあ
どっかで歪む。歪んだやつは自分より弱い奴を探すだろう」
 その瞬間、千宏はシャエクを思い出して前身が凍りつくような感覚に襲われた。
 急に鼓動が早くなり、千宏はぐっと胸を押さえる。じっとりと冷や汗が滲んだ。癖で腰の
ナイフを探したが、その手は虚しく布だけを握り締める。
 は、と。千宏は浅く息を吐いた。
「チヒロ……? おい、どうした!」
 慌てて体を支えてくれたテペウの腕にしがみ付き、千宏はゆるゆると頭を振る。
 平気、大丈夫。と、擦れた声でどうにか言ったが、とても大丈夫には見えないだろう。
 事実――あまり、大丈夫ではない。
 その時、ドアが静かに開いて誰かが入ってきた。
 アハウがついと視線を滑らせ、
「コズエ、水持ってきてくれ」
 それだけ伝える。
 すぐに冷たい水が差し出され、千宏は一気に中身を飲み干した。
 よく冷えた水が体を内側から冷やしていき、ほうと千宏は息を吐く。滲んだ脂汗を手で
ぬぐって、辛うじて笑みのような表情を浮かべる事ができた。
「ありがとう。ちょっと落ち着いた」
「落ち着いたって面かよ、真っ青じゃねぇか!」
「平気だから。ちょっと……嫌な事思い出しただけ」
 ああ、と。アハウは溜息のような声を出す。
「そうか……お嬢ちゃん、はぐれたトラに会ったんだなぁ」
 長い沈黙を挟んで、千宏はこくりと頷いた。
「盗賊、してたよ……」
「だったら分かるだろうよ。弱いトラってぇのは、そうなる……だから強くなきゃいけ
ねぇんだ。コズエの新しい飼い主はな。特に――」
 アハウがふと顔を上げた。
 と、バタバタと廊下を走る、小さな足音が部屋に近づいてくる。
「母さん、お帰り! お土産は? 本、買ってきてくれた?」
 ばん、とドアを開けて飛び込んできた小さな影に、千宏は目を見開いた。
 少年が、頬を上気させて立っていた。コズエの細い腰にピョンと抱き付き、それから
ようやくテペウと千宏の存在に気が付いてさっとコズエの影に隠れるようにする。
「大変失礼いたしました。息子のイノリでございます」
「……子供」
 思わず千宏は呟いた。
 黒髪の、コズエによく似た少年だった。――つまりは、とてつもなく可愛らしい。
「コズエにはガキがいる。この二人をバラバラにはしたくねぇんだ。だから、心底馬鹿で
純粋で、人のいい理想的なトラを俺は探してる。誰にもばらさないでくれよ、お嬢ちゃん。
オスヒトのガキがついてくるって話になっちまったら、ちと事情が変わってきちまうからな」

 二人の客人が帰って、部屋にはアハウとコズエだけが残っていた。
 イノリは与えられた本を抱えて跳ねる様に去っていき、二階で読書に没頭している。
 イノリは首輪をしていない。――代わりに、家から出た事も一度も無い。
「なあ、コズエ」
「はい」
「今日の客人の小さい方なあ……ありゃメスヒトだそうだ」
 まあ、と。ごく控えめにコズエが驚く。アハウが手招きするとコズエはベッドに
歩み寄り、そっとアハウの枕元に腰を下ろした。
「自由なんだそうだ。自由に旅して、自由に生きてるんだってよ」
「自由……?」
 その言葉の意味が理解できないというように、コズエがついとクビを傾げる。
アハウは腕を伸ばしてその髪を撫で、いとおしげに目を細めた。
 コズエがこの家にやってきたときは、まだ小さな子供だった。
 片腕がないせいで雑な扱いをされている小さな少女を、気が付くとアハウは買い
取っていた。
 たかだか二十年前――だが、まだ老いを自覚していなかった。人の寿命は短い
という。だがコズエは三十を少し過ぎたばかりで、アハウの命は持って十年と
いったところだろう。
 死が恐ろしいわけではない。散々生きて、散々好きな事をした。だがコズエと
イノリを残して逝くのが、何より不安で、何より辛い。
「俺が死んだらよ、コズエ」
「はい」
「おまえ、イノリを連れて、一人で生きられるか?」
 コズエはますます困ったような顔をする。
「ヒトは……一人では生きられません……」
「金ならある。なあ、どこかに畑を買ったらどうだ。そうすりゃ、おまえとイノリの
二人でよ……自由に生きられるんじゃねえか。どうだ?」
「アハウ様」
 急に、コズエがアハウの首に片方しかない腕を伸ばし、ぎゅうとその体に抱きついた。
 父親のように育てた。恋人のように過ごした。たかだか三十年――コズエと、イノリと
過ごしたその記憶が、数百年生きてきた中で最も尊く、愛しく感じる。
 だから――。
「死なないでください」
 心底、それができたらいいと思う。
 コズエはアハウに何かを頼んだことがない。奴隷という身分をわきまえ、理解し、
受け入れて生きてきた。
 そのコズエが初めて口にする頼みを、アハウは叶える事ができない。
「すまねぇなあ……」
 苦く笑って、アハウはコズエの髪を撫でた。

*


 日の暮れかけた遺跡の町は、夕日の赤に染まってますます活気に溢れてくる。
 森に入ったハンター達が、日暮前に森を出て酒場を目指すからだ。
 そんな賑わいの中を、一際目立つ巨漢がのしのしと歩いていた。その腕には、小さな
ローブ姿の女が腰掛けるようにして抱えられている。
「あのさあ、テペウ」
 アハウ宅からの帰り道である。
 テペウの肩に担がれながら、千宏はゆるやかに行過ぎていく人通りを眺めていた。
 何だ、答えたテペウの表情は、さっきまでとまるで変わり無い。
「あたしがさ、あの二人を引き取りたいって言ったらダメかなあ」
「ダメじゃねえさ。むしろ、なんで言わなかったんだ?」
「だったら戦えって言われる気がした」
 テペウは笑った。それはきっと肯定だろう。
 戦いで後見人を決めるのだと、すでに誰もが知っている。それを千宏が横からさらって
しまっては、きっとそれはトラの誇りに関わる。
「コズエさんに聞いたって、きっとご主人様の決定に従います、とか言っちゃうんだろうしなあ……」
「まあ、だろうなあ」
「まずイノリ君を手懐けるとか」
「手懐けてどうするよ」
「ずっと私と一緒にいたい! って思わせるの。そしたらコズエさんもほだされて、
アハウさんもオッケーしてくれるかも」
「どうだかな。仮にそうなったとしてだ……納得しねぇ馬鹿どもが、チヒロに勝負を
挑みかねん。それを拒否したらそれこそ、あのヒトの親子は取り上げられるぞ」
 そうだよねえ、と千宏は力無く嘆息した。そもそも千宏はトラではないのだ。変に
目立ってヒトだとばれては、千宏自身が危なくなる。
 けれども、だからと言って簡単に諦められる話ではない。
 自分ならば、絶対に安全な場所を提供できる。だって誰よりも千宏こそが、コズエと
イノリという存在を必要としているのだ。
「お金で解決できないかな。メスヒトを買えるくらいのお金は持ってるし、勝負に勝った
人はアハウの財産プラスあたしのお金が手に入るって形にするの」
「アハウのじじいからヒト奴隷を買い取ろうってやつらが、今までいなかったわけねぇだ
ろう」
「けど、アハウはコズエさんを商人に渡すのが嫌なだけでしょ? あたしは商人じゃなくて、
しかも同じヒトなわけだし……」
「無理だな。金で解決できなきゃ諦めるような奴にゃあ渡す気ねぇだろうよ」
 だとすると、だ。
 どうあっても戦いだ。そして千宏には、どこをどう絞り出しても戦う力など微塵もない。 
「ねえ、テペウ。あたしのために戦って――って言ったら、戦ってくれる?」
「あざとい誘い方するじゃねぇか。トラの男としちゃあもちろんだと言いてぇが、俺が
勝っちまったら、あの二人は俺のものになっちまう。そんで、俺は自分のものには最後まで
きっちり責任を持つ。誠実なトラなんでな」
「じゃあテペウがさ、チヒロは信頼できる女だから、その二人を任せてみたらどうだ? 
とか、上手い事言ってアハウを説得するのは?」
「無理だな。あのじじいは俺と同じだ。自分の目で見て、自分の裁量で認めた奴しか信頼しねぇ」
「信頼って簡単に言うけどさぁ……」
 見ず知らずの人間から信頼を引き出す事がどれほど難しいか、疑り深い千宏こそが
一番よく知っている。
 自分が大切に思う物を託せるほどの信頼となれば一層だ。
 あーあ、と千宏は息を吐く。
「……なあ、チヒロ」
「うん?」
「なんでそんなにあの二人を欲しがるよ。ガキがいるって知ったからか?」
 一瞬、千宏はテペウの質問の意味を考えた。
 それからぎゅっと拳を握り締め、その鼻面をがつんと叩く。しかし、さすがはテペウだ。
悲鳴を上げることもなく、ただ不快そうに顔を顰めて視線だけで千宏を睨む。
「いてぇな」
「千宏さんをお舐めでないよ。それが少年だろうがおばさんだろうが死に損ないの
ジジイだろうが、目の前にいたら助けたくなるのが人情ってもんじゃぁないのかい」
「はぁん?」
「ドアが開かなくて困ってる人がいて、あたしは鍵を持ってるわけだ。簡単にそのドアを
開けられるのに、そのドアを開ける権利があるのは強いやつだけだって。その強い
奴っていうがの、鍵を持ってるって保証も無いのにさ」
「はぁん……なるほどな」
「悔しいじゃない。アハウはドアを開けたがってて、あたしはドアを開けられるのに、
力が無いから開けさせてもらえないなんて」
「ドアを開けられるって証明をせにゃならんだろうよ」
「それが力自慢なわけでしょ。わかってるよ。だからテペウに頼んでるのに」
「頼む相手を間違えてるって話だ。俺はジジイと近すぎる」
「頼む相手……?」
「証明して見せろってことだよ。たとえお前に力が無くたって、どんな手を使って
でもあの二人を守る事ができるってな」
 気が付くとトゥルムの宿のすぐ近くまで戻ってきており、そこでようやくテペウは
千宏の体を下ろす。
 と、宿の方から全速力でこちらに向ってくる大柄なトラ男の姿が見えた。
「……あのさあテペウ」
「あん?」
「カブラって強いの?」
 聞くと、テペウはにやりと笑ってぽんぽんと千宏の頭を叩いて背を向けた。
 千宏の中にあるカブラのイメージは、言っては悪いがアカブにボコボコにされた
チンピラだ。強いか弱いかで言ったら、実は弱い方に分類されるような気すらしていた。
 だが長く旅をして、大勢のトラやそれ以外の人間達を見た今ならば、そのイメージは
アカブの存在によって植えつけられた誤りだったと確信できる。
 言ってしまえば、アカブとテペウの実力がほぼ対等に近いのだろう。規格外の存在と
比べてカブラを「弱い」と罵るのはさすがにひどい。
「遅かったじゃねぇか! こんな時間まで何してた? え? テペウと何して
やがったんだ!? まさかナニじゃねぇだろうなそんな体でおまえまさか……!」
 駆け寄ってくるなり下世話な勘ぐりを始めたカブラの尻尾を、千宏はぐいと掴んで
力任せに引っ張った。
 どれほど分厚い筋肉を持つトラでも、尻尾を掴んで引っ張られれば悲鳴を上げる。
 案の定カブラも悲鳴を上げ、慌てて千宏から尻尾を取り返すと、しっかりと胸に
抱いて恨めしげに千宏を睨んだ。
 この男が、本当にそれ程強いと言えるのか――。
 疑問ではあったが、他に頼るあてもない。
「ねえ、カブラ。お願いがあるんだけど」
「お、お願い……? なんだ改まって」
 うんと、千宏は頷いて、がっしとカブラの両手を掴んだ。
「お願い。あたしのために戦って」

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