猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

続虎の威34

最終更新:

匿名ユーザー

- view
だれでも歓迎! 編集
 遺跡の町で一番安い宿は? 
 という質問と、
 遺跡の町で一番清潔な宿は? 
 という質問は、誰もが港で口にする。
 そしてそれらの質問に対する答えはいつだって、たった一つで事足りた。

 それじゃあまあとりあえず、トゥルムの宿に行ってみな――と。



「うぉぁあぁああ姐さぁんお久しぶりでございぎゃぷッ――!」
 雄叫びと共にカウンターを乗り越え、真っ直ぐに突進してきた片耳のトラ男が、まさに千宏をその腕力でひねり
潰さんとするその寸前である。カブラの拳が男の脳天に直撃し、間近に迫ったトラの巨体が床に半ば埋没した。
 血飛沫が鮮やかに舞ってぴかぴかと輝くフローリングを汚し、客でごった返すロビーに空寒い沈黙がしんと満ちる。
「……久しぶりだね、トゥルムのおじさん」
 恐る恐る千宏が言うと、死んだかに思われたトゥルムが床に埋没したままのろのろと腕を上げ、力強く親指を
突き上げて見せる。
 そして千宏は思うのだった。
 ああ――デタラメな国に帰ってきちゃったなあ、と。


「あ……姐さんが妊娠だって!?」
 青ざめて叫んだトゥルムは、ふかふかのソファに腰を下ろしている千宏の腹を凝視し、ふらと数歩よろめいた。
「お……俺の子か?」
「なわけねぇだろうがざけんなてめぇ!!」
「じゃあおまえらのうちの誰かか!?」
「それも違う!」
 じゃあ、とトゥルムはますます青ざめる。それからしっかと千宏の手を握り、その場にひざまずいて真剣に
千宏を見た。
「父親がいなきゃあその子も辛いだろう……姐さん。遠慮しねぇで俺の女房に――!」
 カブラが無言で腕をひとなぎし、トゥルムがはるか彼方へと吹っ飛ばされる。ぱらぱらと降ってくる血の
雨を浴びながら、千宏は早速トラの国に帰ってきた事を後悔しつつあった。
 陰気で物静かなハンスが心底恋しい。
「まあそういうわけで、またしばらくこの宿のお世話になろうと思ってきたんだけど」
 浴びた血液をそそくさと拭いながら、千宏は壁に激突して血塗れの肉塊になっているトゥルムに本題を
告げる。
 千宏が旅立つ前に改装すると宣言していたトゥルムだが、宿は建て直しレベルの変貌を遂げていた。
 前と変わらずあらゆるものが粗末で簡素だが、とにかく全てが清潔で、こざっぱりと整っている。日本の
ビジネスマン向けの格安ホテルと言ったおもむきで、千宏から見ても非常に好感が持てた。
 そのおかげが、今日もトゥルムの宿は満員御礼の満室で、あてがはずれたかな、と千宏は肩を落す。
 しかしトゥルムは血塗れの顔でニヤリと笑うと、さっと宿帳を取り出してさらさらと何か書き付けた。
「姐さんのために最高級の部屋、常時予約してございます」
 さっと差し出された部屋の鍵を受け取って、千宏は目を瞬いた。
「うわぁ……チヒロの間って書いてあるぞこの鍵……」
 横からひょいと覗き込み、ブルックが心底嫌そうな声を出す。
「おい見取り図もってこい。その部屋の隣がてめぇの部屋だったりしねぇだろうな」
「バカ言うんじゃねぇ! 俺の部屋が姉さんの部屋の真上で床から部屋を覗き放題とかそんなわけねぇだろうが!」
「その部屋から即刻たちのけぇ! そこぁ俺達が使うからてめぇは廊下で寝泊りしやがれ!」
「なんだとてめぇ! ここは俺の宿屋だぞ!」
「嫌だと言うならチヒロを連れて別の宿に行くだけだがな」
「卑怯だぞてめぇ女を人質にするなんざトラの風上にもおけねぇな!」
 ――ハンス、戻ってきてくれないかなあ。
 喚くトラ男達の怒鳴り声を、両耳を塞いで可能な限りシャットアウトしながら、千宏は何度となく
思うのだった。


 なんだかんだで、ハンスと千宏の気質は近い物があった。
 一緒にいる時は正反対のように感じたが、こうしてハンスがいなくなり、トラの集団の中に戻って
みるとしみじみ思う。
 大体にして、トラは過剰にお節介で騒々しい。千宏が身重であるからなおさらで、千宏が一歩でも
一人で歩こうものならカブラが大騒ぎするのが心底邪魔で仕方がなかった。
 これで、どうせ一ヶ月もしたら飽きるのだろうことが目に見えているからなおさら萎える。
 カアシュは医学を齧っている分そこそこ寛容だが、基本的にはベッドの上で安静にしていて欲しい
らしい。これに関してはブルックもいかんなくトラの気質を発揮し、つまり千宏は過保護な巨漢三人
プラス、トゥルムの献身という名の監視つきという実に不自由な環境を強いられていた。
「そいつぁ想像するだに窮屈じゃねぇか! よく逃げてこられたもんだなぁ、お嬢ちゃん」
 テペウである。
 三メートル近いトラの大笑い若干仰け反りながら、千宏はやれやれと嘆息した。
「ベッドに一日中縛りつけられてたら逆に体に悪いって騒ぎ立てたの。ヒトとトラとじゃ体の作りが
違うんだってね」
「しかしチヒロに子供がねぇ……そのために旅してるとは聞いてたが……」
 はっと、テペウが目を見開く。
「ま、まさかそいつぁ俺の子じゃ……!」
「ねぇそれトラの鉄板ギャグなわけ……?」
 思わず聞き返すと、そういうこった、とテペウは一人でそっくりかえってゲラゲラ笑う。
「俺たちゃこういう性格だからな、まあ関係のある女に子供ができたってなりゃ、とりあえず自分の
子かって考えるもんだ」
「そうだよって言われたらどうするの?」
「そんなん祝うに決まってんだろうが」
 呆れて聞くと真顔で返され、千宏とテペウは互いに首を傾げあう。
 自分のガキができて何で祝わねぇんだ? とでも言いたげなテペウと、それが自分の子供だって
保証もないのに祝うわけ? という実に複雑な価値観のズレである。
「……じゃあ実はお腹の子はテペウの子なんだけど」
「そういうことにしちまっていいのか?」
 聞かれて千宏はう、と詰まった。
「いいならいいんだぜぇ? ガキが多いのは男の甲斐性ってもんだ。チヒロは一応トラで通ってる
からな。俺のガキってことにして、おまえさんごと俺がもらっちまっても……」
「わーわー! だめだめだめだめ! この子あたしとコウヤさんの子供だし、あたしの家族は別に
いるんだから!」
 慌てて叫んだ千宏の対して、テペウがあからさまに残念そうな舌打ちをしてみせる。
 まったく、愛すべきトラの気質だ。おおざっぱというか、おおらかと言うか、野生的というか、
バカというか。
「で? ここにはいつまでいるんだ? 帰るついでに寄っただけなんだろ?」
「んー。まあ、一ヶ月くらいはいるよ。旅の疲れも癒したいし、ここからは体調優先でゆっくり
進むから長旅になるしね」
 それに、と千宏は付け加える。
「……テペウさあ、行き場に困ってるヒト奴隷とか知らない? 小さい男の子で」
「オスヒトのガキが行き場に困るなんてこたねぇよ……」
 ですよねえ、と千宏は苦笑いする。
 子供の結婚相手か、そうならなくとも遊び相手になるような子供がいればいいと思ったのだが、
結局のところヒトは高級奴隷であり、子供ともなれば一層高値で取引される。
 コウヤのおかげでヒト奴隷を買う必要がなくなったため資金に余裕はあるのだが、少年を手に
入れられるほどの金額ではないのだ。
「年齢性別を限定しねぇんだったら……まあ、ないでもないがな。たしかアハウのじいさんとこで、
ヒト奴隷の処分がどうのって話がちらっと出てたような……」
「ヒト奴隷の……し、処分……?」
 思わず千宏は引きつった。
 するとテペウは長い尻尾をするりと伸ばして、ふかふかとしたそれで千宏の頭をぽんと叩く。
「青くなるなって、そういう意味じゃねぇから」
 言いながら、テペウは顎の毛をわさわさと撫でながら考え深げに視線を明後日の方向に投げる。
「アハウのじいさんってな、もう臨終間近のジジイでな。そこに一人メスヒトがいるんだが……
じいさんは天涯孤独でな。死んだ後、そのメスヒトをどうするかって問題が上がってるんだ。今の
内に商人に売っちまうのが、メスヒトの将来のためにも一番だって説得してるらしいんだが、じい
さんがそんなこた絶対に許さねぇって譲らなくてな。財産もそっくりメスヒトに相続するって言っ
てるそうなんだ」
 うわあ、と。千宏は内心頭を抱える。
 ヒトはこの世界ではペットであり、人権がない。元の世界で考えれば、可愛がっているサルに死後
財産を譲ると、孤独な老人が遺言書を書いたような物である。
 そういう状況で持ち上がる問題があるとすれば、だ。
「後見人争い?」
「が、起こるわな。まあ普通に考えて」
「トラでもそういうことするんだね」
「トラだからつって欲がねぇわけじゃねぇからな。財産持ちのメスヒトが手に入るとなりゃ、そりゃ
汚ねぇ争いだって起こるってもんさ」
「後見人争いって、どうやって決めるの? 天涯孤独なんでしょ?」
 そりゃあ、とテペウは口角を持ち上げる。
「トラが何かを勝ち取るときゃあ、こいつで勝負って相場が決まってらぁな」
 ごきごきと指の骨をならしたテペウの凶悪な表情に、千宏は眩暈を覚えてそっとひたいに手を当てた。

*


 後見人だなどと言ってはいるが、所詮相手はメスヒトで、人権なんてものはない。
 後見人になったトラは実質、財産とメスヒトを得る事になるわけで、つまりメスヒトにとっては
ただ「飼い主が変わる」に過ぎない状況だった。
 商人に売り払われ、中古として下級の市場に出回るよりはいいかもしれないが、どうにも複雑な
心境の千宏である。
 だがこんなこと、氷山の一角の一角の一角の、そのまた破片にしか過ぎない。
 その破片の中でも、とりわけ形のいい物を見て千宏は眉を潜めているのだ。
 コウヤの例と比べて考えれば一目瞭然に恵まれた状況と言えるだろうが、だからといって無視
できるほど、千宏は自分がヒトである事実を捨て切れてはいなかった。
「テペウは参加しないわけ? その後見人争いにさ」
「俺が参加したら勝っちまうだろうが」
 のしのしと通りを歩くテペウの後ろを、千宏はてくてくとついて歩く。
 アハウのじいさんとやらの家を教えてくれと頼んだ結果、連れていってもらえる運びになったのだ。
 散歩がてらだとか、俺もそのあたりに用があるとか言ってはいたが、結局は身重の千宏を一人で
出歩かせたくないというトラ気質の結果だろう。
 つまらなそうに答えたテペウに、千宏は妙な顔をしてみせる。
「勝てばいいじゃん。メスヒトだよ? 前に欲しいとか言ってなかったっけ」
「俺は肉ならなんの肉でも違わねぇって類の性格じゃねぇんでな。肉の中でも特に気にいった物を
厳選して食う主義だ」
「その心は?」
「その肉が俺の後ろを歩いてる」
「わー……熱烈な愛の告白をありがとう……確認するけど食欲的な意味じゃないよね」
「性欲的な意味だがな」
 どちらにせよ命が危ない。
 思わず距離を取った千宏に対し、テペウは心底楽しそうに大笑いした。
「それにおまえはオチモノだが、アハウじいさんとこにいるのはこっちで生まれたやつだ。根本的に
次元が違う」
「そんなに違う物……?」
「うまれながらの奴隷がどういうもんか想像できるか?」
 聞かれて千宏は言葉に詰まった。
 だろうとも、とテペウは笑う。
「俺にもつかん。そういうことだ」
 けれども、同じ人間だ。
 そんな言葉が喉まで出たが、それが欺瞞だと知っている。千宏は溜息をついて視線を床に落とし、
次の瞬間軽く誰かにぶつかってよろめいた。
「わ――」
 危ない、と思ったのは、自分ではなくて相手が転びそうだったからだ。
 慌てて千宏は手を伸ばし、今正に倒れようとしている誰かの手首をしっかと掴む。
 けれども。
「きゃぁ!」
 どしん、と音を立てて声の主は盛大に転倒した。
 千宏は尻餅をついた女性を、半ば呆然として見下ろす。
 確かに、手首を掴んだ。――否。
 掴んで、いる。
 ようやく、千宏は自分の手の中にあるソレを見た。その――肘から先だけしかない、人間の腕を。
「ぎ――ぎゃあああぁ腕ぇええぇ!」
 思わず叫んで掴んだ腕を放り出し、放り出してしまってから慌てて空中キャッチする。それから
倒れている女性を助け起こし、大慌てに慌てながら、取れてしまった腕を元に位置に戻そうと奮闘した。
「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! あたし助けようと思っただけでそんなまさか
腕が抜けるなんて想像もしてなくて、ああどうしよう腕これどうしよう腕とかもげちゃってあたし
ムシの足だってもいだ事ないのにいきなり――きゅ救急車ぁああぁ!!」
「落ち着け、チヒロ」
 ぽんと肩を叩かれて、千宏は叫んだ。
「これで落ち着いていられるわけないでしょうが! 何悠長なこと言ってんの!」
「そいつぁ義手だ」
「ぎ――」
 義手? と千宏は間抜けに聞き返す。
 助け起こした女性を見ると、ひどく着まずそうな顔をして、肘から先の無い腕をひょいと掲げて見せた。
 突然全身から力が抜けていく。心底安心したが、ここで安心するのも失礼なような気がして、
千宏は慌てて神妙な表情をつくろった。
 腕をもごうが義手をもごうが、とにかく大変なことをしでかしてしまった事実は変わらない。
「あの……こ、こちらこそ、ぶつかってしまって申し訳ありませんでした。どうお詫びを申し
上げたらよいか……」
 あ、この人トラじゃない。
 瞬間的に千宏は察した。その種族を判別するために耳の形を確認し、あるべき場所に耳が無い
事に千宏は目を瞬く。
 長い黒髪の女性だった。歳は三十を過ぎたところだろうか。
 妙に親近感の持てる顔立ちをしていた。すずしげな一重の瞼に、大人しい印象を受ける小さな
唇――。
「ヒト……?」
 思わず呟いた。女の首に目をやれば、そこにはスカーフを模した首輪が確かにある。
「ははぁ。アハウのじーさんとこのヒトだな」
 テペウが顔を覗き込むと、女はおっとりと微笑んで、貞淑を絵に描いたような所作で頷いた。
「さようでございます。私はアハウ様の奴隷、コズエと申します」
 奴隷、と。平気で口にする。それも、妙に誇らしげに。
「じいさんの調子はどうだ? 今にもくたばりそうか?」
「本日はおかげんもよろしく、書をたしなんでおいでです」
 書だぁ? とテペウは嫌そうな顔をした。
「あの死神ジジイがねぇ、歳は取りたくねぇもんだな。ちょっとじいさんに用があってな、
しばらく邪魔すっから帰りにこいつでいい酒かってきてくれ」
「よろこんで」
 コズエの手に金を握らせ、テペウはまたのしのしと歩き出す。
「あ、ちょ、ちょっとテペウ……!」
「あん?」
「あ、あたしあの人に用が……」
「だからじいさんの所に行くんだろうが」
「けど、本人がそこに……」
「所有者を通すのが筋だ」
 きっぱりと言われて、千宏は顔を顰めてコズエの方を振り返る。粛々と歩くその背中はすでに
小さくなりつつあり、千宏だけがどこか居心地悪くその場に立ち尽くす。
「テペウ! あたしコズエさん追っかけるから――って、わぁあ!」
 一言叫んでコズエを追いかけようとした千宏の体が、突如遥か上級に舞い上がった。
 テペウに抱えあげられたのだと気付いたのは一瞬後。ちょっと、と抗議しようとした千宏の頭を
テペウの巨大な手の平がぽんぽんと叩いた。
「無駄だ。奴隷は主人の許しがない限り、主人以外とは必要以上に会話しねぇ。無理に話かけたら
怯えさせるし、困らせる」
「……あ」
 しゅんとうなだれて、千宏は大人しくテペウの肩に体を預けた。
 奴隷として生まれて、育って――彼女達には彼女達の価値観があり、行動原理が存在する。
それを無視してこちらの勝手に接しては、迷惑するのは相手の方だ。
 コウヤは壊れてはいたが、人間だった。
 だが生まれながらの奴隷であり、奴隷であることが当たり前のヒトに対して、はたしてどう
接したらいいのか。
 ――どう接したいのか。
 千宏にはわからなかった。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

目安箱バナー