猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

神様と世界の作り方 01

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00.雪と山と森とシカと

 ひゅん、と空気を裂く、小気味良い音がした。
「はッ!」
 それに続くのは、気合の入った年若い女性の呼吸。
 年の頃は――十代前半といったところだろうか。短い金髪の後ろでウマの尻尾のようなまとめ髪が少女の動きに合わせて揺れている。その下には幼いながらも整った顔立ち。意志の強さと精悍さ、そして可愛さを持ち合わせた顔。
「っ、やッ!」
 ひゅんひゅん、と空気を裂く音がする。
 音の出所は、少女の拳。白い包帯を巻かれたその小さな拳が宙を無尽に裂く度に、その小気味良い音が周囲の白い野原に響いている。
 少女の格好は、およそこの場所――小雨のように雪の降る高山の原には相応しくないものだった。
 顔を温めるものは自前の金髪しかなく、その細い身体といえば羽毛で作られたと思しき地味な外套と、胸元で赤光の輝きを放つブローチと、その下にある薄手の白のワンピースのみ。
それぞれの手は包帯ひとつのみで、下は靴下もなく、ただ雪の上に直接、小さな爪の整った綺麗な素足を下ろしている。
 ただ、少女に寒がっている様子はまるでない。
 小さく汗を流して、ただ見えない相手に徒手空拳で立ち向かっている。
「はッ、やっ、っあッ! ……ふう」
 ひゅんひゅん、ひゅん。
 左右の拳のコンビネーションの後、大振りではあるが鋭い上段蹴りを――ワンピースの裾が捲れ上がってその下の肌色が見えるのも構わずに――放ち、少女はひとつ息を吐いた。
 小さな拳で小さな額の汗を拭い、視線を動かす。
 その視線の先には、羽毛の塊としか表現の仕様がないものが転がっていた。
 枝のそこかしこに小さな雪の塊を乗せた裸木。その下に転がる白く柔らかい羽毛の塊は、まさしく羽毛の塊であった。大きさは少女の五倍ほどはあるだろうか。これだけ羽毛があれば、これひとつで羽毛布団が数枚は拵えられるかもしれないと思わせるほどである。
ただ奇妙な点を挙げるなら、その羽毛団子の頂点に二本の角が――その隣に生えている裸木のような、幾重にも枝分かれした立派な角が生えていることか。
 少女はその白い羽毛の塊に近付くと、すう、と息を吸い、
「司祭さん、起きて下さい!」
 と、その小さな身体からは想像も出来ないほどに大きな声で叫んだ。
 裸木の上に乗っていた雪の塊がひとつ、羽毛団子の上に落ちる。
 声に反応したのか雪に反応したのかは定かではないが、羽毛団子が小さく震えた。
 そこから見せた変化は劇的だった。
 まず、羽毛団子のあるかどうか分からない両側面から手が生えた。クマのようなずんぐりむっくりとした形に長く鋭い爪を生やした手。それも羽毛だらけであったが、見る者が見れば、これはクマの手だと判別できたろう。
 そして次に、羽毛団子の上、立派な角の下から顔が出た。ただの顔ではない。トリの――タカとワシを足して二で割り、そしてクチバシを控えめにしたような顔。その上には勿論、先程まで羽毛団子の上にあった立派な角が乗っている。
 次に、その頭と手を生やした羽毛団子が縦に伸びた。少女の背丈がかなり小さいとは言え、その三倍強ほどもある高さだ。胴体は勿論と言うかのように羽毛が山盛りで、肥満体型を身長で誤魔化しているような状態だった。その様相はフクロウを連想させる。
 最後に、その全てを持ち上げるように短く太い足が生えた。短く太く、先端だけが鋭い肉厚の爪の生えたそれは、まるで猛禽類の爪と偶蹄類の爪を足して、それにクマの足を付けたような――とにかく奇天烈な足だった。
 そしてその珍妙で奇妙なケモノ――いや、人は、そのそびえ立つような巨体の割に小さくつぶらな青い瞳を少女に向けて、
「……もう、朝?」
「はい、朝です」
 年若いボーイソプラノの声で、そんなことを聞いた。
 少女は小さな微笑みと一緒に、そう答えた。


 ざくざくざく、と羽毛の塊はその短い足を動かして、雪が覆う急斜面を軽快に駆け下りる。
 その頭の上に腰掛けて、操縦桿のように角を握るのは金髪の少女。
「司祭さん、そう言えば何処に行ってるんですか?」
 少女がそう問うと、司祭と呼ばれた人は、んー、と考えるような声を出し、
「取り敢えず、集会に。ふたつ向こうの山の麓だから、夕暮れには着くよ」
 そう応えて、ぽーん、と崖を跳んだ。巨体が薄い曇り空を背景に宙を流れ、ぼすん、と雪の斜面に落ちる。しかし衝撃など無かったかのように、また司祭は走り出した。

「集会?」
「シカの集会。シカはね、国を持たないのさ。各国で神事を司っていて、定期的に何処かに集まって集会を開くんだ」
「シカの集会、ですか」
 疑うようにな声色の少女。その視線は彼女が掴まっている角に向けられている。
「昨日、あれだけ説明したのに。セレンはまだ疑ってるんだね?」
「いえ、その、そういうわけじゃないんですけど、なんというか」
 セレンと呼ばれた少女は言葉を濁す。無理もないことだろう。司祭のその姿にある、シカ、と言えなくはないものなど、頭の角しかない。
「まあ、着けば分かるよ。私は司祭の中でも古い方だから。皆覚えてくれてる、と思う」
「自信、ないんですね?」
「久々だからね」
 それだけ言って、また司祭は、ぽーん、と崖を跳んだ。軌跡は綺麗な弧を描き、対面の崖に着地する。
「セレンは、護身の心得があるんだね。向こうで習ったもの?」
「あ、はい。まだまだ未熟者ですけど」
「ふうん…… 他には何か出来ることはある?」
「ええと…… ドイツ語とロシア語と、あと英語を少し」
「それは向こうの言葉かな? んー、他にはないかい?」
「ええっと…… これといって誇れるようなものは、あまり。学校以外では、殆ど道場に行っていたもので」
「そっか。うーん、せめて男の子だったら良かったのにね」
「え? それはどういう――わっ」
 三度司祭が崖を跳んだ。
 着地の際に跳ね上がった雪を受けて、セレンの言葉はかき消されてしまった。


 昼を過ぎ、夕暮れ前になると、辺りの雪は消えて、針葉樹の立ち並ぶ森林地帯にふたりは差し掛かった。
「枝、気を付けてね」
「は、はい」
 言って、司祭は突撃していく。その巨体で小枝をばきばきとへし折りながら。
 とにかく立ち止まらない。慣性の法則を最大限に利用するかのように司祭は進む。
 そしてややあって――急激にその速度を落とした。
「到着」
 最後の一茂みを掻き分け、司祭は森の中の開けた場所に出た。
 広間のようになった中央に、一本の立派な木が生えている。その大樹はそこかしこにその大樹自身のものではない蔦状植物を生やし、それでも幾ばくも衰えることなく立っている。
 そしてその大樹を取り囲むように、無数のシカ達が跪いていた。誰も彼もがその頭に司祭ほどではないものの立派な対の角を生やし、ゆったりとした緑のローブを身に着けて、静かに祈るように跪いている。
 その中からひとり、その中でも特に立派な角を持っているシカが顔を上げて司祭の方を見て、音もなく立ち上がった。
「微睡みの。よくおいでになった」
「久々だったからね。夢見の」
 夢見の、と呼ばれたシカがふたりに歩み寄ってくる。
 立派なシカだった。身長は角も含めれば少女の二倍程度あり、司祭には及ばないものの、十分に立派な体格をしている。精悍なシカ顔で、その身に纏った緑のローブといい、本を片手に持てばこれほど絵になるシカもいないだろう、といった風体だった。
「して、こちらのヒトは?」
「途中で拾ったんだ。見捨てるわけにもいかなくてね」
「幸運だ」
 セレンか、司祭か、どちらに向けての言葉かはセレンには分からなかったが、シカは次にセレンに視線を向けて、
「私はエルトリュム。夢見の司祭とも呼ばれている」
 と、片手を上げる挨拶のような動きと共に名乗った。
「宮野・瀬憐と言います。初めまして」
「ふむ。セレンか。汝の行く道に僅かばかりの幸運があらんことを」
「あ、ありがとうございます」
「うむ。 ――皆の者、今日はこれで解散とする」
 セレンの返事に大様に頷くと、エルトリュムは踵を返し、跪いているシカ達にそう声を掛けた。
 それを皮切りに、シカ達は森の中へとめいめいに散っていく。中にはセレンや司祭をちらと見る者や軽く一礼をする者もいた。


「では、立ち話も何だ。こちらへ」
 エルトリュムも森の中へと歩き出す。司祭はセレンを頭の上に乗せたまま、その後ろに追随する。
 三者はしばし無言のままに森の中を歩き、ややあって小さな祭殿のような建物の前に到着した。木々の中に紛れて建っている木造建築で、色褪せや老朽具合によって、建てられてから少なくとも数十年を経た風格を漂わせている。
 そこに入り、広々とした居間のような空間でエルトリュムは腰を下ろす。司祭もその対面で同様に重そうな腰を下ろし、セレンも司祭の頭から降りて、その隣で正座の姿勢を取った。
「――さて、微睡みの。猫国はどうであったかな?」
「表面上はともかく、あまり安定はしていないようだね。狼狽えるような無様は見せていないけれど、やはり衝撃はあったようだ」
「ふむ。では狗国は」
「同様。 ――いや、という訳でもないか。先の件で意識的にそれなりの変化があったようだから、これから多少は良い方向に向かうのではないかな」
 羽毛で包まれた顎を羽毛で包まれた手で撫で、司祭は答え、そして問い返す。
「そっちはどうだったかな。兎国だったっけ?」
「うむ。気質のせいもあってか、色々とありつつも安定しているよ。独学のための時間も十分に取れる。しばらくは逗留するつもりだ」
「そうかい。何かあったら寄らせて貰うよ」
「お待ちしている。他の司祭方からの報告では、狼も羚羊も大なり小なり騒動はあったがそれも程なく収まったようだ。狐はやや不明だが、あそこは相変わらずだろう」
「相変わらず、か」
「うむ」
 会話が落ち着いたのか、しばし静寂が続く。
「――して」
 そこで不意に、エルトリュムの鳶色の瞳がセレンを捉えた。
「微睡みの。彼女に説明はしたのかね?」
「ある程度はね」
「ふむ。貴方のことだ。大方、重要なところはまだなのだろう」
 話題が自分のことに移ったことで、セレンは僅かに怖れを抱きつつもエルトリュムのシカ顔を見つめ返す。
「セレン。あなたは微睡みのからこちらについてどの程度説明を受けた?」
「え、あ、ええっと……」
「ああ。今は自分の置かれている状況について理解していることだけを言えばいい」
「……その、ここは地球ではないと。私は落ちてきて、帰るのは…… まず無理、だと」
「ふむ。やはり肝心なところが抜けているな」
「え?」
「君の立ち位置についてだ。 ……奴隷、という身分について君は詳しいかな?」
 エルトリュムの深い知性を伺わせる瞳は、強い戸惑いに揺れるセレンの顔を見つめていた。
 そこへ司祭がどこか咎める様子で口を挟む。
「――夢見の。あまり急くことはないと思ってたんだけど。セレンは落ちてきてまだ二日だから」
「そこは察している。だが、遠まわしにしていいものでもないだろう。特に貴方が首輪を付けるのでなければ」
「く、くび……?」
「ああ。まずはどこから説明するのがいいか…… 過酷な話になるが、君がこの世界から帰ることが出来ない以上は避けがたいものだ。心して聞きたまえ」
 そう前置いて、エルトリュムはセレンにとってとても信じられない話の羅列を始めた。
 ひとつ言葉を聞くごとにどんどんと色を失っていくセレンの顔を、司祭はそのつぶらな蒼い瞳で見つめていた。


 セレンはふと、自分が毛布のようなものに包まれて眠っていたことに気付いた。
「あれ……?」
 寝惚け眼を擦りながら身を起こす。身体の脇に着いた手は毛布のようなものにふわりと沈み、暖かい。
 まだ薄暗い祭殿のような建物の中。扉も何も無い入口の向こうには、朝焼けと思しき朱色の光が差し込む森林が広がっている。
「あ、そっか……」
 それをしばし呆と見つめて、セレンは思い出す。自分が異世界に落ちてきてしまったこと。そして、昨日エルトリュムに話してもらった“ヒト”についての信じがたい処遇。
「……う」
 涙が溢れてきて、しかしセレンは腕でそれを拭うと、そっと毛布のようなものの傍を離れた。


「朝の練習、しよう」
 ひとり呟いて、セレンは祭殿を出る。
 日も登り切らぬ朝であることに加えて山中であるからか、空気はヒトの肌に対して刺すように冷たい。しかし気にする風もなく、セレンは土と草の地面に両足を下ろし、彼女の日課と定められている鍛錬を始めた。
 手足を軽く伸ばす準備運動に始まって、そこそこの広さがある祭殿の周りをぐるぐると何周も駆け、続いて空拳を振るう。
 それをしながら思い出すのは、セレンが敬愛していた祖父のこと。
『――泣くでない! そんな暇があったら少しでも早く手足を動かさんか!』
 格闘武術道場を開いていた母方の祖父は、セレンに護身術と称して厳しい稽古をしてくれた。
 跡継ぎにと期待していた自身の子供が女ばかりであっただけに、孫にこそ、と期待していた分もあったのだろうと母から聞かされたことがある。結局、その娘達が産んだ孫もセレンを初めとして女ばかりであったわけだが。
 そんな中でセレンを一際可愛がってくれたのは、セレンの父に関係がある。
 セレンの父はロシア人とドイツ人のハーフで、何故か日本中国の格闘技の熱心なファンだった。父は祖父と一晩殴り合って母との結婚を認めて貰ったという逸話があり、そんな経緯の間に孫として生まれたセレンが祖父に付き合わされるのはある意味で当然だったのかもしれない。
 しかしそれらを計上しても、セレンは祖父のことが大好きだった。
 稽古の時は鬼か悪魔かという厳しさではあったけれど、祖父が言うことには全て筋が通っており、理不尽なことは何ひとつ言わなかった。そしてその厳しさの裏で大変気遣ってくれていたのをセレンは知っている。
「……お祖父様、心配してるかな」
 セレンにとって何より辛いのは、その祖父にもう会うことは絶望的であるということ。
 酷い処遇だけならまだ耐えられた。いつか帰れるのなら、絶対に耐えてみせるつもりがあった。
 でも、こちらに落ちてきたヒトで帰ることが出来たヒトはいないと改めて聞かされて、一気に心が折れそうになった。
「う……」
 また滲んてきた涙が頬を伝う。
 最後に見た祖父の姿は、学校に行くセレンを玄関先で手を振って見送ってくれた元気な姿。
 きっといつものようにセレンの帰りを玄関先で待っていてくれているのだろう。
 けれど、セレンはもうそこには戻れない。別れを言うことすら許されない。
「う、あぁ……!」
 ぼろぼろと零れ出してきた涙は拭い切れずに、ついにセレンは赤子のように泣き出した。
 こんなのってない。どうして。どうして。私が何をした。お祖父様に会わせて。お父さんに、お母さんに会わせて。
 呪詛のように心の中で呟きながら、セレンは泣き続ける。
 そして流石にというべきか、その悲痛な声に釣られるように、ぬう、と祭殿の中から羽毛の塊――司祭がその巨体を覗かせた。
 司祭は億劫そうに祭殿を出て、セレンの傍に立つ。そしてそのどうにも珍妙な手をセレンの頭の上にそっと置いた。
「――もしも、この世界で生きるのが嫌なら」
 嘴からゆっくりと声が紡がれる。
「私が食べてあげよう。セレンは美味しそうだから、特別だよ」
 返事はすぐにはなかったが、ややあってセレンはぐしぐしと涙を手の甲で拭い、それから司祭を睨みつつ答えた。
「遠慮、します」
「そうかい。残念だ。じゃあ、これをあげよう」
 鋭い爪を伴う司祭の手が胸元にやってきて、思わず一歩セレンは後退った。が、司祭は半ば彼女を捕まえるように背中からも手を回すと、前の手で白いワンピースの胸元を掴み、そして離した。
 その跡には、セレンが元々持っていた赤光の輝きを持つブローチに加え、それよりもやや豪華に思える同じく赤色のブローチがもうひとつ。周りの模様は何を象ったのかはセレンには分からなかったが、複雑な意匠を凝らされている。
「あ、ありがとうございます」
 セレンが反射的に礼をすると、司祭は満足気に頷いてのそりのそりと祭殿の中に戻っていく。
 途中で不意に足を止め、くるりと顔だけがセレンの方を見た。
「明日にはここを発って、ネコの国に行こうか。君の引き取り手を見つけないとね」
「……は、はい」
 返事を聞くと、司祭は今度こそ祭殿の中に消えた。
 セレンはひとつ息を吐き、鍛錬を再開する。
 ――死ぬなんて言ったら、お祖父様に怒られてしまうから。だから絶対に生きてやる。
 何はともあれ、そうセレンは決意した。


 その日は昼を少し過ぎた頃に、エルトリュムがやってきた。
「セレンか。 ――微睡みのは?」
「えっと、寝てます。ちょっと前まで起きてたんですけど」
「相変わらずか」
 祭殿の中に上がる階段に腰を下ろしたセレンと、その前に立ったままのエルトリュムは言葉を交わす。
「……ふむ。先日は済まなかったな」
「あ、その……」
「重ねて言うが、遠回しにしてもいい話ではないと思ったのでな。微睡みのが気紛れでも起こしていればまだ良かったのだが」
 精悍なシカ顔でセレンの顔を覗き込み、エルトリュムは言う。
 セレンはそれに何とか微笑みを作って応じる。
「いえ、ありがとうございました。私、頑張ってみます」
「ふむ。そうか。それは前向きで好ましいと思うよ。ヒトと接するのは初めてだが、セレンのようなヒトなら私も好きになれそうだ」
「え、う……?」
 好きになれそう、と言われて、セレンは面食らった表情になる。
 父以外の男性からはっきりとした好意を示す言葉を貰ったのは初めてだったからだ。
 惜しむらくはエルトリュムがシカであったことだろう。セレンはシカ顔についてある程度の良し悪しは分かっても、好意となるとまた別の問題であったからだ。少なくとも今はまだ。
「あ、ありがとうございます」
「そうだな、ふむ。私からもひとつ贈り物をしようか」
「え?」
 セレンが驚いている間に、エルトリュムは自分のローブの懐に手を入れると、そこから青色の宝石が嵌ったブローチを取り出して、セレンの胸元、赤い宝石のブローチがふたつ付いているその下に青のブローチを更に付けた。
植物を象ったのであろう装飾部の中心に深い空のような蒼色の宝石が嵌め込まれているそれは、心なしかぼんやりと光を放っていた。
「あまり出来はよくはないが、良かったら身に付けていてくれ。きっとセレンがこの世界で生きる助けになるだろう」
「え、その、こんな……」
「気にせずともいい。微睡みのもその赤の宝珠を贈ったのだろう。ならば私からも贈るのが筋というものだ」
 戸惑うセレンの声を遮って、微笑みを零しながらエルトリュムは言う。
「――古き精霊と神の祝福が、汝の往く道にあらんことを」
 初めて会った時とは異なる祝詞を告げて、エルトリュムは踵を返す。
「あ、あの、司祭さんは?」
「微睡みのには昼過ぎに私が来たとだけ言っておいてくれ。それで通じる」
 振り返ることもなく、エルトリュムは木陰に溶けるように姿を消した。
 司祭はその後、夕方前に起きてきて、セレンが伝言を伝えるとひとつ頷いてまた眠った。


 そして翌日の早朝。
 ひとりの少女とひとりの自称シカは、ネコの国へと旅立った。

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