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イノシシの国 ヒト編パート6



 俺は、深夜、里長の部屋に呼ばれていた。
 双子はとっくに寝静まって、虫の音しか響かない。
 それも、きっちりと閉められた板戸の向こうだ。
 里長はゆっくりと酒を呑んでいる。
 ご主人様と同じような仕草で呑むのは、やはり付き合いが長いからだろうか。
 着流しに包まれた太腿が、立て膝で露になる。日に焼けないのだろう、そこはやたらと白い。
 俺は唾を飲み込み、手招きされるままに、股間へと顔を埋めていく。
 何も身に付けていない、その茂みの中に舌を伸ばして、低く笑い声を上げる里長を押し倒していきながら、舌の動きは止めない。
 視界の隅で酒が床に零れ、一旦顔を離した俺は、それを指ですくって、濡れてきた茂みの奥に塗り込む。
 途端、反応がよく濡れ始めるそこに、さらに舌をはわせ、両足の間で、ずずっといやらしい音を立ててやる。
 すぐ傍には一組の布団が敷かれていて、その枕元には黄表紙が見えた。
 あれを見て一人慰めるよりも、『冬』の準備は、直接の方がいいだろう……。
 それにしても、こう、茂みって、剛毛だよな。だれもかれも……。

   と思ったら、目が覚めた。
 俺は、板間に鼻をこすりつけていたらしい。
 よだれのしみが出来ていた。
 布団がずれて、俺の頭と足は完全にはみ出して回転している。
 すでに、朝の光を取り込む為か、板戸は開け放たれていて、周囲には誰もいない。
 いいにおいが、囲炉裏のほうから漂ってくる。
 なんか、昨日の今日で、あの場所に行きにくい。
 双子と、どんな顔をして会えばいいんだ?
 だが、結局腹の虫が鳴って、俺は渋々、身繕いを整え、井戸で顔を洗った後、囲炉裏へと出向いた。

 囲炉裏には里長だけがいて、朝の夢の生々しさから俺はそっと視線を合わせないようにした。
 あの後、『冬』の説明を淡々と受けたから、あんな夢を見たんだ。そう思う事にする。
「おはようございます……」
 視線をそらしたまま、頭を下げる。
「寝坊助だな、ゴボウ。食事を終えたら、出向いてもらいたいところがある」
 里長は俺を見上げた後は、囲炉裏の傍に置いてあった盆を指差し、自分はお茶を飲んでいた。
 お盆の上には箸と茶碗、お椀があった。俺は近くのおひつと、囲炉裏にかけられた鍋から、芋栗南京ごはんと、炒め菜の味噌汁をよそり、黙々と食べた。
 味噌汁からはごま油の風味がしてうまい。
「ごちそうさまです」
 手を合わせて、食事を終えると、里長が話を切り出した。
「里外れの竹林に庵がある。そこに、ミクルのところで土産を預かった後、よってもらいたい。いいか、竹林の中で怪我をしてはならぬぞ、くれぐれもな」
 俺は承知して、食器を洗って片付けると、早々に、屋敷を退散した。

 また、ミクルのところで微妙に気まずい思いをし、風呂敷包みを受け取った後、俺は竹林に足を踏み入れた。
 竹林は広くて、俺は一向に見えない家屋に、迷ったかと思いかけたところだった。
 ぽつん、とその家は物陰に姿を現した。ちょうどそこだけ土地が低くなっていて、俺が来た方からは見えない位置にあった。
 これが、庵か。
 すべてが竹で出来ていて、押し出し窓の下に、つっかえ棒がしてある。
 通風はよさそうだ。
 回り込むと、一段高くなった入口に、竹製の把っ手のついた扉があった。軽くノックをする。
「どうぞ、扉は開いていますよ」
 中に入ると、竹の匂いがより一層強くなった。
 青竹の床はスニーカー越しでも足に心地よい。
 扉を閉めると、竹の匂いに混じって、古書の匂いがしてきた。
「靴は……?」
「靴? ああ、履物ですね。そのままどうぞ」
 声だけが、天井高く積み上げられた本の山の向こうから聞こえてくる。
「よくいらっしゃいましたね。僕が庵主のレンアンです」
 そこにいたのはヒゲが一切生えてない童顔に、丸眼鏡をかけた、背の低いおっさんだった。
 M字に生え際の後退した剛毛伸び放題の髪。俺の目線からは、くっきりと薄毛の進行具合が見える。
 耳は確かにイノシシの耳だけど、本当にこんなのがイノシシの男?
 俺は目を疑った。
 イノシシの成人した男を見たのは初めてで、判断材料がない。
 服装は、書生風で、スタンドカラーのシャツを着物に合わせている。袴なんてここにあったのかという感じだ。
 でもそれ以外は、里の他の女より背が低そうだし、首短いし、なんか背中丸まってるし。迫力ゼロだ。
「あ、ぼ、僕は全然一般的ではないですからね。チビハゲデブの3拍子揃った上に、10万人に1人といない落ちこぼれのマダラですが……」
 喋る口元から牙が覗く。
 ずいぶんと卑屈な人だ。
「マダラ?」
「僕のように、女性と同じ顔をしている男です。イノシシ族は特にこの割合が低いのですよ」
「はあ」
 他にも獣顔の種族がいるってことだよな。それ。
 あまり想像したくない。
「ええと、そうですね。この本で解説しましょう」
 レンアンのおっさんは横に積み上げてある本棚の中から、一冊の本をとり出した。
「ええと。これがイノシシの一般的な女性。それから20人に1人の門番相です」
 イノシシの女性、とされた絵は里の女達やご主人様と変わらぬ姿。そして門番相は老婆の姿だった。
「それで、こちらが一般的なイノシシの男性です。僕みたいのは極々例外です」
 イノシシが服を着たって感じの男の絵が載っている。うりぼう達が大きくなったらこんな感じだろう。
「それで、こちらが『白膚』、それからこれが『黒膚』と『赤膚』ですね」
 レンアンのおっさんは、3カ所の絵を指差した。
「まあ、黒と赤は普通のイノシシの男達と区別がつきにくいかもしれませんが、一応牙が短いんですよ。それと、脱げば一目瞭然です。一物の形状が違いますからね。白含め黒と赤は細長くて螺旋状なんだそうです」
 指し示された絵に、俺は目を疑った。
「……待ってくれよ、これって」
「これって?」
「ブタ、だろ? どう見ても」
 俺は『白膚』を指していった。
 レンアンのおっさんはしまったという感じで自分の額を叩いた。いい音がする。
「侮辱と取る方もいるので、その呼び方は本人たちの前では言わないでくださいね。一応町の住人ではありますが、この国の人達なので」
「なんで?」
「言いにくい話ではありますが、かつて落ちもののヒトがそう、『白膚』を侮辱したのです。最初侮辱されているとはわからなかったそうですが、その後問題になりまして」
 確かに、あまりいい意味の慣用句を俺の世界で聞いた覚えは無い。
「……説明、どうも。あ、忘れてた。これ、茶屋の主から預かった土産」
 俺はミクルから預かってきた風呂敷包みを、放り投げた。
 レンアンのおっさんは慌てふためいて、それをキャッチする。
「み、みみみみみミクルさんの、お土産ですかっ! 手作りですね、手作りに相違ありません。素晴らしい、なんと素晴らしい」
 風呂敷包みに頬擦りするおっさんは正直、キモい。
「いつもお斎を作ってもらってるけど、確かにうまいよな。あいつの料理」
「だだだだだだ駄目ですっ! ミクルさんのことをあいつなどと言っては! 貴方の贅沢な物言いは到底許されるものではありませんっ」
 俺は、おっさんの慌てように、目を細めた。
「好きなんだ」
 言ってから、すごく後悔した。
 M字剃り込みまで茹で蛸みたいになるおっさんなんて、正直絵にもならない。
 レンアンのおっさんは震える手で風呂敷包みを開け、中身の匂いを存分に鼻に取り込んでから、少し冷静さを取り戻した。
「ミクルさんは、『赤膚』の母とイノシシの父を持つ、間の子です。ですから、イノシシである里人からはやや離れて里外れに暮らしています」
 あいつが、イノブタ?
「元々は、『赤膚』である母親が、今の里長に願い出て、『冬』に参加し、もうけた子です。母親の方はその後、ここの暮らしが合わずに出て行ってしまいましたが、ミクルさんの方は里長の保護もあって、ああして立派に成長なさって……」
「待て。なんで、あんた、里長に敬称つけないの?」
「ああ。……憚りながら、僕は、里長の不肖の弟に当りまして」
「つまり、里長が、あんたの、お姉さん?」
「はい、そういうことになりますねえ」
 レンアンのおっさんは、お茶をすすった。
 いそいそと風呂敷包みの中身を取り出そうとしている。俺にお茶を入れる気は毛頭無さそうだ。
 なんか、今日はいろいろなことが身に起こりすぎて混乱している。
 里長は娘二人にあんなことさせるし、このモテなそうなレンアンのおっさんはそれを自分の姉だと言うし。
「でさ、『冬』って何なの?」
「簡単に言えば、繁殖期です」
 うわ、ずばり言ったよ、この人。
「御山の戒律に従い、里では、イノシシの男が暮らすことは許されません。僕みたいのは、もてないから極々例外です」
 風に薄毛がそよぐ。
「毛並みが生え変われば、男は成人したと見なされ、若者組で集団生活を営んだ後、各地へ散っていきます。里に少年が少ないのはその為です。少年期になれば、すでに若者組の範疇ですからね」
 冷静に説明口調でおっさんは話す。何か、話し慣れている感じだ。
「僕は、この化性竹の庵で、若者組にイノシシ国の成立を説いて聞かせる役目をしています。この為だけに、姉上が渋々置いてくださっている訳で」
 おっさんは頭をぽりぽりとかく。







「でも、姉上は公正な方です。けして、無体な真似はいたしません。あなたも、こうして半年近く、健康そうではありませんか。それも里長である姉上の差配の賜物です」
 そうなのか?
 確かに、奴隷とか、いろいろと恐ろしいことも聞いた。
 人身売買とか、そんなのがまかり通る、獣が人の姿をしているこの世界。
 俺は、まだ、長い夢を見ていると心の中で思っている。
 でも、夢だから、と思うには、この世界は整然としすぎている。
 夢だから、と羽目を外しているのは、エロい方向だけだ。
 俺は、そんな中でもがいて生きている。
 ご主人様の名前がわからないのは、夢だからなのか。
 夢だから、うまく聞けないのか。
 わからない。
 ただ、匂いがするこの夢は、俺には、手に負えない。

 考え込んだ俺の耳に、悲鳴が届いた。
 視線を上げると、おっさんの顔にさっと緊張が走るのが見えた。
「何事でしょう。竹林の外ならばいいのですが……」
 二人して、庵の外に飛び出した。
「あちらの方向でしたね」
 耳がいいのか、レンアンのおっさんは迷わずある方向を指し示した。
「見に行って来ます」
 俺は駆け出す。
「僕は応援を」
「頼みます」
 俺は再び竹林を飛び出した。

 どのくらい走っただろうか。
 竹林の外から、街道筋に出て、獣道どころではなく、へしゃげられた薮を見つけて、その中に分け入って。
 目の前に現れたのは、異様な、光景だった。
 なぎ倒された枯れ草。
 へしゃげた茂み。
 あちらこちらに倒れ込んでるイノシシが数頭。
 その前に仁王立ちして背中の毛を逆立てた満身創痍のイノシシ。
 そして。
 その背後に、ぴくりとも動かない白い足。
 俺は慎重に、足音を殺して、回り込んで近づく。
 汗で張り付いた黒髪。
 ケモノ耳は見えない。
 むき出しの太股からも、尻尾は覗かない。
 わずかに、わずかに、ちらりと見えた丸い肌色の耳。
 ヒトだ。
 人だ。
 人間なんだ。
 その構図を見た瞬間。俺の中で何かがぷつりと切れた。
 腹の底から、怒りがこみ上げる。
 とっさに草むらにあった手ごろな木の棒を取り上げて、叫びながら突進する。
 振り向くイノシシ。
 怒りに燃えた俺が振り降ろした棍棒が、狙い違わず脳天に直撃する。
 奴は腕でかばうこともしなかった。
 だが、俺の攻撃によろけもしなかった。
 頭を振って、驚いたように俺を凝視する。
 その眼は片方が傷跡で塞がっていた。
「おまえは……ヒトかっ?!」
 怒号のような大音声が、俺を圧倒する。
 俺は、思わず飛び退いて、バランスを崩してしりもちをついた。
 木の棒は折れていた。
「それがどうした。そっちこそ、何やってんだよ」
 震えるな、俺。震えるな。そこに人がいるんだぞ。
 足下に小石が当った。気付かれないようにそれを握りしめる。
 『冬』っていうのが来るというのは聞いていた。
 大乱交パーティーみたいになるって。
 それで気の立った男達が集まってくるって。
 でも、それが。
「こんなちいさな女の子争って、傷つけることが、『冬』なのかよっ!」
 俺は再び叫んで、またイノシシの男に殴りかかった。
 石を先に投げつける。
 イノシシは鬱陶しげに目をかばった。
 庇った方とは反対側の肩に、傷を負っていたのが目に入った。
 俺は、そこを狙って、裂けた木の棒の先を突き込む。
 イノシシの男が、押し殺した呻きをあげる。
「莫迦が……」
 低い声でイノシシの男が唸って、俺の腕を掴んだ。
 万力に締めつけられるような痛みが襲う。
 俺は棒を手放す。
 棒はぶらりと男の肩からぶら下がった。細い木切れは入り込んだが、刺さるほどではなかったらしい。
「ぐっ」
 上背は同じくらい。いや、奴の方が若干高い。
 体の幅は二倍以上、体重は3倍じゃきかないだろう。5倍は差があるかもしれない。
「ヒトだと思って舐めるんじゃねえっ」
「ヒト……」
 腕を掴む力が緩んだ。
 イノシシの眼に迷いが浮かぶ。
「ヒトの男……どこから現れた? おまえの主はどこだ?」
「主? どいつもこいつも人のことを奴隷だと決めつけやがって。俺は供え物なんだから、奴隷じゃないんだよ!」
「どういうことだ?」
 イノシシの男が眉を寄せた。
 その隙を狙って、俺はぶらさがった棒めがけて、蹴りを放った。
 下から、傷口へと棒が食い込む。
「むぅ……」
 イノシシ男が俺を離して、傷口を押さえる。
「やめよ!」
 俺は聞きなれた声に動きを止める。
 ご主人様の、声だった。
 まだ帰ってこないはずじゃ。
 何故。
 とっさに振り向いたそこには、確かにご主人様と、レンアンのおっさんがいた。
 おっさんの方は、すっかり息が切れていたが、ご主人様には呼吸の乱れなんて、まったくない。
 俺は驚いて、ぽかんとご主人様を眺めたままだった。
 イノシシ男も、また、ぽかんとご主人様を眺めていた。
 ご主人様は、そこらへんに転がっていたイノシシ達を足蹴にして、踏み越えてこちらにやってくる。
 それでも倒れたやつらは動かない。その向こうでレンアンのおっさんがうろたえている。
「……なんでだよ!」
 俺はようやく我に返って叫んだ。
 なんで。
 ご主人様がまだ遠くに行ってなかったのなら、なんでこんな事になる前に、こいつらを止めてくれなかったんだ。
 女の子が。
 そうだ、女の子!
 俺は慌てて女の子に近寄った。
 唸るような声でイノシシ男が威嚇した。
 ご主人様が制してくれると俺は確信して、女の子の傍に跪く。
 どこからどう見ても、人間の女の子だった。
 耳も俺と同じだ。尻尾もない。
「それ以上、触るな!」
 イノシシ男が突進してきた。
 俺は避けられずに、撥ねられる、そう、思った矢先。
 俺とイノシシ男の間に、ご主人様が瞬時に割り込んでいた。
「やめよ。儂が分からぬか。白継山のヌシなるぞ」
 イノシシ男を低い声で諌める。
 イノシシ男の身体は、ご主人様に食い込んでいた。
 行く時に纏っていた服は、牙で切り裂かれていた。
 でも、ご主人様は傷一つ負っていない。
 そうだ。女の子を。
「触るな!」
 イノシシ男の怒鳴り声が響く。
「うるせえ! てめえらがやったんだろうが!」
 俺はイノシシ男に怒鳴り返した。
「ヌシなれど、なせに触れる輩は許さぬ!」  イノシシ男が一旦、身を引いて方向を変えて、俺に躍りかかる。
「……目をさまさぬか」
 呆れたような声音が、響いた。
 ご主人様が、深く身を沈めて、イノシシ男の鳩尾に拳を突き込んでいた。
 イノシシ男がゆっくりと呻いて、横倒しに倒れる。
 きれいに、女の子は避けていた。
 地面に横たわった、そのイノシシ男に、俺は唾を吐きかけた。
「ゴボウ」
 ご主人様が睨む。
 俺は睨み返した。
「こいつらは、俺等の敵です」
 それよりも女の子の容態が心配だった。俺は彼女に向き直る。
 よろよろと、レンアンのおっさんが近づいてくる。
「触んなよ! 折れてるかもしれないだろ!」
 気が立っていた俺は、レンアンのおっさんにも怒鳴り散らした。
 レンアンのおっさんは周囲のイノシシの顔を覗き込んでは、考え込んでいたが、女の子のすぐ近くに倒れ込んだイノシシ男の顔を見て、はっとした顔になった。
「バジさんではありませんか」
 顔色をうかがうように、ご主人様を見る。
「……そのようだ。他の奴らには見覚えが無いが」
 ご主人様は、着物の襟を直すと、髪を指先で払う。
 知り合い? だとしたらなおさら許せない。
「その娘は生きている。里の空き家に運ばせよ。儂は戻る」
 女の子を一瞥して、そう告げたご主人様に、俺は安堵の息を漏らした。
「どこへ?」
「言ったろう?」
 一旦出かけていたのを、戻ってきたってことか?
「あ、ゴボウさん、意識を取り戻しそうですよ、このお嬢さん」
 俺がご主人様を見ている間にちゃっかり女の子の反対側でいろいろやっていたらしいレンアンのおっさんが顔を上げて微笑みかけた。
 俺はあわてて、女の子の顔をみた。

 うっすらと、目が開く。
 焦点の合わない瞳が、俺を見る。
 ああ、人間の女の子だ。
 久しぶりに見る、傷だらけの。
 今、助けてあげるから。里に運ぶから。
 そう口にしようとした時だった。

「何奴!」
 最初に女の子が示したのは、俺へのあからさまな警戒心と、拒絶だった。
 レンアンのおっさんにも拒絶感を示し、周囲を、自由の効かぬ身体で見回す。
「ぬしさま?」
 そして、膝元に横たわる、イノシシ男を見て、それまでの緩慢な動きが嘘であったかのように跳ね起きて、イノシシ男にすがりついた。
 ヌシ様? このイノシシのオスが?
「いやじゃ、ぬしさま……目を開けて」
 少女は昏倒したイノシシにすがりつく。
「ぬしさまっ、ぬしさまぁ……っ」
 これじゃ俺が悪者みたいだ。
 何故だ?
 なんで、こんなことになったんだ?!

 冷たい風が、薮の中を吹き抜けていった。


(イノシシの国 ヒト編 六 了)