太陽と月と星がある 第二一話
世間がクリスマス一色に見える時期、バレンタインで失敗して御主人様に怒られたので今回は前もってリサーチしてみることにしました。
御主人様は無愛想で無口で真顔が無表情の低血圧のカエル好きで、趣味が読書で日向ぼっこが好きで、
外ではゴジラもどき、家の中では爬虫類系冷血超絶美形だけど、基本はいい人なので、私が変な事を聞いても大抵は怒らない。
怒らないといいな。
……怒られたら、どうしよう。
御主人様は寒いのか、気にかかることがあるのか表情が優れない気がする。大丈夫でしょうか。
私の質問なんかで時間をとっては申し訳ないと思いつつ、恐る恐る口を開く。
「クリスマスって、ネコの国でもヒトに赤い蝋燭垂らして緑と白い蝋燭でコーティングする行事……ですか?」
御主人様の表情は変らず。
一回瞬きして、無反応のままだったので恐らく違うということ……でしょうか。
赤はセーフですが、白は火傷するのでよろしくありません。掃除も大変です。蝋燭代もバカにはならないし。
「じゃ、じゃあ、簀巻きにして蝋燭立てにして、その前でご馳走を食べる方?」
今回も無表情だった……ということは、つまり。
「動けなくなるまで叩いた後に物置で「お前それ以上喋るな」
見上げた冷血美形の顔は、眉間に皺を寄せて苦悩の表情を作っています。
あ、こめかみ押さえました。
……どうやら、違うらしい。
***
フリフリと丸い尻尾を振りながら、ケーキ作りに勤しむフリフリエプロンのジャックさん。
キッチンの中には、甘いクリームの香りに、お酒の香りがふわふわと漂っています。
さすが、ホテル厨房勤務経験はダテではありません。
凄いです。
……美味しそうです。
じんわりと唾液が溜まるのを感じて慌てて飲み下しグラスに水を注いで一気に飲み干し一息つくと、ジャックさんはこちらに背を向けたままぶふっと噴き出しました。
カシャカシャ賑やかな銀色のボウルには滑らかなクリームが踊っています。
驚きの手際のよさです。
……指突っ込みたいです。舐めたいです。美味しそうです。
「何で、ジャックさん恋人居ないんでしょうね。そんなにマメなのに」
何故か音が消えました。
長い耳が斜めに垂れています。
しばらくの間、深緑の瞳がじっとこちらを見つめた後、スッと逸らされケーキ作りが再開されました。
お酒の入ったビンが傾けられ、どぶどぶと追加され、更に混ぜ合わすカシャカシャという音だけがキチンに響き渡ります。
……何か、悪い事でも言ったかな。
オーブンが開らかれると、飛びつきたくなるような香りと共に程よく焦げたスポンジが現れました。
それを手際よく切り分け、クリームやナッツなどが載せられ完成したチョコレートケーキは見るからに美味しそうです。
市販でも2セパタはしそうです。具体的に言うとワンホール4千円。
「本当にコレ頂いてもいいんですか?」
そう尋ねると、ジャックさんはピンクエプロンの胸元をぐっと反らし、レースをひらひらと震わせました。
「素人技じゃありませんよね、凄いプロみたいです」
私は製菓スキルが無いので、ただ褒め言葉しか出てきません。
ジャックさんは口元をモフモフと震わせ、手早く調理器具を片付け、ケーキを冷蔵庫にしまいました。
コレを今夜頂けるんですから、感動です。
「こういうのを作るのがこのシーズンの決まりみたいなもんだったからね。作らないと逆に落ち着かなくてね」
「凄いですねぇ」
心底感心して呟くと、ジャックさんは顔を逸らし耳を掻きました。
「活動資金になるからねぇ。高く売れるし」
アレですよね、多分ボランディアの一種。
クリスマス精神……て、いうんでしょうか。
「で、今日は一緒に御飯食べないんですか?」
「今日はサークルがあってね」
何かのスポーツなのか、素振りのような、パンチのような不思議な動きをするジャックさん。
「お友達がいっぱいでいいですね」
「ともだち…つーか、同類…っていうか……同士っていうか……」
何故か、声のトーンが下がっています。
……なんで、半眼。
「けど、本当に完璧ダメですか?今日は御馳走なのに……サフも居ないしジャックさんも居ないんじゃ」
サフはデートです。羨ましいことに。
しかも御主人様も遅くなる……と言っていましたが、詳細は不明です。
残業かもしれませんが、もしかしたら職場でクリスマスパーティーかもしれませんし、……デートなのかもしれません。
実際、もうちょっと詳しく教えてもらえたらいいのにと、思わなくもありません。
まぁ……ヒトなんかに教える義理は無いんでしょうけど、……なんか。
「寂しいなぁ……」
うっかり洩れた言葉が聞こえてしまったのか、深緑の瞳が揺れ優しく肩に手を載せられました。
「キヨちゃんがそういうなら」
ひどく穏やかな言い方に戸惑いを覚え、俯く私の背に手が回され、ジャックさんは優しく手をまわ……そうとして、玄関から飛び込んできた覆面に飛び蹴りを喰らい、よろめきました。
たたらを踏むジャックさんに覆面が更に迫り、強烈な右フック。
そしてマウントポジションでフルボッコです。
覆面…というか、紙袋は目の部分だけ抜いてある仕様で、しかも全身赤のタイツですから、種族がさっぱりです。
裏切りとか、抜け駆けとか、言いながらパンチの嵐です。
取り合えずどうにかしようと近くの椅子を持ち上げると、背後からチェルの叫びが響き、覆面が舌打ちするのが聞こえました。
その一瞬の隙を突き、即座にキッチンから居間に抜け、玄関から飛び出すジャックさんと数秒遅れて追いかける覆面。
「ケーキ、オレの分 取っといてねぇぇえええぇぇぇぇ」
ベランダの柵をよじ登ってチェルが部屋に入る頃には、二人の姿はとうに消えていました。
……まぁ、ジャックさんだから、大丈夫かな。
わりと、余裕ありそうだし。
むしろ、泥まみれで帰ってきたチェルの方が問題なわけで。
とりあえず、抱き上げてお風呂へ強制輸送。
「ジャック、今年もにげちゃった」
泥まみれの顔でこちらを見上げ、やっぱり泥だらけの尻尾を宙でばたつかせてチェルが呟いたので、問い返すと大きな瞳を瞬きさせ、小さな口を尖らせました。
「前もヘンな人におっかけられて、そんで明日の朝げんかんに落ちてるの。……ちゃんとちーといっしょにいればいいのに」
六歳の女の子ですから、それなりに重いです。
ですが私も日々抱き上げて、それなりに慣れています。
筋肉がつきました。
抱き上げた小さな体はすっかり冷え切り、どこでどうやったらつくのかわからないような泥をぽたぽたと垂らしています。
なんだか堪らない気持ちになって、私は小さなネズミの女の子を抱きしめました。
***
温暖なネコの国とは言えど――真冬の運河の上ともなれば、寒い。
寒気と眠気に苦戦しつつ彼は眼を見開き、微かに見える船影を凝視した。
思えば、そもそもあの会合に参加した事自体が間違いだったのだ。
「君がこの会に参加する事を大きな喜びと共に感謝しよう」
会議室に爽やかな声が響く。
なぜかいつも白スーツに胸元に花を飾ったネコがヒゲを張り、朗々と演説している。
「彼らの手は長く深い、しかし、我々はけして負けることは許されない」
握られた拳が天に向かい突き上げられた。
「クリスマスを我が手に!」
「プレゼントもって帰らなきゃ、嫁にどんな眼で見られると思ってんだ!」
「去年なんか、あやうく娘が口聞いてくれなくなるところだったんだぞ!」
「アタシなんか、プレゼント壊されるわ残業に付き合わされるわ彼氏に浮気だと思われるわ散々だったんだからっ!」
様々な言葉と共に興奮した賛同者達が拳を突き上げる。
「「「「打倒! 嫉妬団!!」」」」
「ハイっというわけで、今回も直前の転向者のお陰で襲撃情報を入手する事ができました。今回は運搬船の阻害です」
無駄にノリのいい縞ネコの横で、黒ネコがさらさらと黒板に書き込む情報の数々。
「本日最後の便にクリスマス用プレゼントが満載されているのを一日足止めするのが彼らの目的ですから、荷卸を行えるよう僕ら第三支部は運河の警護をする事になります」
更に加わる運河の略図。
「今回は、オティス君が正式に参加してくれます。娘さん達へのプレゼントがこの便に載っているので、ここんところは確実です」
何故か拍手をもらう。
その微笑ましい表情はやめろ。
「彼の実力は皆さん知ってるだろうから改めて説明はしないけど――コレできわめて勝機が大きくなったのは間違いないね」
不敵な笑みを浮かべるネコに隣の秘書がうっとりとした表情で見とれている。
転向者…つまりは、直前にこいつらはくっついたという事だな、とどこか冷めた一角でそんな事をふと考えた。
彼は溜息をつき、橋の上から運河を眺めた。
運河を流れる水は、いまや所々凍りつき、ネコの魔法で作り出された氷の塊が船の運航を阻害している。
精霊を呼び出す。
彼の意図通り、手の平ほどの大きさの水蛇は水面に潜り、氷を溶かし始め、ほどなく即座に運河は元の流れを取り戻した。
「だーくそ!やられた!!何やってんの!アレ止めなきゃ駄目だろ!」
堤防の上で赤い服の覆面達が魔法を使い、再び運河を凍らせ始める。
この状態を、イタチゴッコというらしい。
暗闇の中を嫉妬団妨害部隊が赤服の背後に忍び寄るのが見える。
そして各所で乱闘がはじまった。
……早く帰りたい。
彼は心底そう思い、目の前に飛び出してきた赤服を運河に蹴り落とす。
魔法の気配を感じ振り返れば覆面越しに目だけをギラつかせた赤服が炎を体に巻きつかせ、詠唱している。
運河の水が巻き上がった水竜巻は、温度を下げ白く染まった。
炎と吹雪がぶつかり合い、橋上が濃霧に包まれる。
霧が晴れた頃には、橋の上は彼といくつかの雪だるまが点在するだけになった。
堤防の上も赤服の姿は見当たらない。
時折聞こえる、救助を求める声。
ゆっくりと進んでくる運搬船は上陸の準備で忙しい。
仕方なく彼は運河に降り、波を起こしはじめた。
***
帰宅すると、細い娘と小さい子供が姉妹のように仲睦まじく眠っていた。
テレビから益体も無い番組が流れ室内を煌々と照らしているものの、部屋の温度からして先ほど寝た。という様子でもない。
つついても起きる様子はなく、微かに開いた口元からは甘い菓子とアルコールが強く匂い、食卓には切り分けられた惣菜とケーキがそのまま残っている。
室内に漂うアルコールの元はコレらしい。
一口で泥酔するくせに、混ざっていて気がつかなかったのか。少し彼女は味覚に問題がある。
数々の嫉妬団の妨害を受けつつ持ち帰ったプレゼントと、鉢植えに二等辺三角形にカットされた常緑木をセットし、それからしがみ付いたまま離れようとしない二人をまとめて抱き上げる。
不意に瞳が開かれ、焦点が宙を彷徨ってから自分を捉えた。
「ただいま」
「おかえりなさーい」
笑うと美人の彼女は、酔っ払って寝惚けていても微笑むと美人だった。
ジタバタと暴れるので慎重に降ろすと、酔っているせいか自分から甘えてくる。
愛娘を落とさないように抱きかかえたまま、片腕を回し髪に指を通すと一層体を寄せ微かに笑い声を上げ、今度は顔を寄せてきた。
柔らかな唇に、チョコレートの甘味と酒の苦味が混ざる。
抱えた腰は、柳のようにしなやかで、捏ねたての小麦粉のように柔らかい。
続きをしたいのを堪えて、寝室まで連れて行き術を解く。
パチパチと拍手された。
歳の離れた彼女は、時々ひどく子供じみた真似をする。
娘が可愛らしい寝顔で眠っているのを確認し、彼女の腰に手を回す。
目下の問題はただひとつ―――このベッドでするのはまずいだろう。
本人にいわせると、娘の情操教育に良くないらしい。
何を今更といった感がなくもなかったが、そもそも自分は一般家庭というものを知らないので、口出しできる立場ではない。
顔を擦りつけ、背中に手を回してもう一度撫でてやる。
「しっぽ」
「うん?」
細い指が執拗に鱗を弄り下半身に熱が集中してくるのを感じた。
その撫で方は、やはり誘ってるのか。
期待に胸を膨らませながら表情を窺うと、……口が半開きで心底幸せそうな顔で目を閉じ……寝ていた。
愕然としつつ、彼も二人に尻尾を巻きつけ布団を被る。
むこうの世界の常識は、こちらの世界の人間には計り知れない。
「めりーくりすます。キヨカ」