猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

死を忘れるな

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死を忘れるな

 

「ううっ…… これは悲しいよ可哀相だよ……ひぐっ」

夕食の用意を終えて居間に入ると、アルジャーノン博士が泣いていた。
つい先程まではチーズの焦げる匂いを嗅いで幸せそうな顔をしていたはずなのだが、一体何が起こったというのか。
見れば博士の足下には今日の夕刊が転がっており、テーブルの上には美味しそうな食べ物が映ったチラシばかりが並べられている。
これ自体は、いつもと何ら変りのない日常的風景なのだが。
とにかく状況が把握できなくてはフォローも出来ないので、事情を聞いてみなければ。

「博士、一体どうしたんです?」
「助手君助手君、これ見てよ! こんなの勝手だよ甲斐性無しだよ! ……ひっく」

泣きながら怒るという器用なまねをしながら差し出されたのは、夕刊の記事であった。
博士が広告以外に興味を示したのは初めてじゃなかろうかとは思ったが、感慨にふけっているような雰囲気でもないためそのまま記事に目を通す。
それによると、とある国の博物館でガラスケースに飾られたヒト奴隷がハンガーストライキを行っていて今にも餓死しそうとのこと。
なんでもヒトの地位向上を目的とした啓蒙活動であるらしく、飼い主である作者とヒト奴隷は文字通り命を賭けてこの『作品』を作り上げているらしい。
作者が老衰で死んだ後も『作品』の方は自らの意志で活動を続けており、各界で波紋を呼んでいる……と。
記事は全体的にヒト奴隷に同情的なスタンスで書かれており、関係者のコメントによるとヒト奴隷の存命中に一定数の署名を集めて議会に提出する心算であるそうな。
いかにもなお涙頂戴の三文記事である。ゴシップ紙を購入した覚えは無いのだが。
博士もまんまと記者の思惑に嵌ったらしく、餓死しかけているヒト奴隷に同情しつつ、義憤の声を上げていた。

「助手君、わたし達も署名を集めようよ! 切り抜きのコピーを用意して近所の人達に配って……」
「おやめなさい」

自分でも驚く程に冷たい声が出た。
博士が、まるで自分が叱られた時のような顔でこちらを見ている。
別に彼女に罪はないので、そんな顔をさせるのは申し訳ないとは思ったが、今更言葉を引っ込めることも出来ない。

「それは、博士のような人間がやってはいけないことです。だから、おやめなさい」
「助手君、怒ってる……?」

指摘されて初めて気付く。そうか、俺は怒っているのだ。
呆けジジイに騙されてハンガーストライキやってる馬鹿な餓鬼にも、それをみて右往左往している馬鹿共にも、それを利用して下らない記事を飛ばしている新聞記者にも。
なんで、こんな下らない連中のためにウチの博士が泣いてやらにゃならんのか。
アルジャーノン博士は何故俺が怒っているのか理解できないらしく、困惑した表情でこちらを見ている。まあ、彼女の歳では無理もないか。
どう声を掛けるべきか迷っている彼女を見て、覚悟を決める。少し、不愉快な話をしなければならない。
首元を覆うシャツをずらし、普段は見えないようにしている首輪を露出させた。

「博士。私は動物です」
「助手君は家族だよ!!」

即答が返ってくる。本気で怒っている彼女を見て、早くも覚悟が揺るぎそうになるのを感じる。
だが、ここで引く訳にはいかない。ガラスケースの死体を作ったのは、恐らくは彼女のような優しさなのだ。

「ありがとうございます。でも、私は動物なんです。
 気持ちとか絆とか、そういった問題ではなくて、もっと広くて大きな枠組みの中で、私達ヒトは動物と定められているんです」

ゆっくりと発する一言一言が、純粋な少女の心を丁寧に傷つけてゆく。
「どうして分かってくれないんだろう?」といった表情でこちらを窺う彼女を見ていると、無性に誰かに八つ当たりをしたくなる。
畜生。ステフ、貴様の娘が泣いているぞ。

「今回のこの騒動は、ヒトが動物だからこそ成り立っているのです。それもただの動物ではなくて、弱くて惨めで自分の力では食事すらも満足に出来ない哀れな動物だから。
 人間がそのことを世に知らしめ、人間がそれに同情し、人間の署名を集めて、人間の議会に提出する。そして、うまくいけば人間が認定するでしょう、『ヒトは保護されるべき動物だ』と」
「そんな事は……!」
「他人に無償の厚意を求めるのは、自分が対価を払えないと表明しているのと一緒です。その時点で、自らを貶めていることに気づけなければ、いつまで経っても相手より下の立場のままです。
 違うことと言えば、今までは個人に繋がれていた鎖の先が今度は国家になるだけ。 暮らしは良くなるかも知れませんが、それはヒトが自分達を動物であると認めたから、
 飼い主に世話をする義務が生まれたからに他なりません。その義務も人間達の決まり事によって定められているのですが。
 真にヒトの地位向上を目指すなら、ヒト自身が立ち上がり、自らの権利を主張する活動を行う必要があるのですよ。そして、今の所そういった活動をしているヒトの団体はありません」

俺の言葉を聞いて、小さな博士はじっと考え込んでいる。
先程までの傷ついた表情はしていないが、それでも俺の話は受け入れがたいらしい。
まあ、無理もない。子供が考えている以上に、世の中には不純物が多い。その不純物を受け入れるには、彼女は優しすぎるのだ。

「じゃあ、助手君はずっとドウブツのまんまなの? 人間にはなれないの? ……そんなの、ヤだよ」
「私個人に限定するなら、人間にはなれますよ。結構簡単に」
「……ほへ?」

博士が間の抜けた返事をする。
まあ、あれだけキツい事を言って置いて急に掌を返されたら、そんなものだろう。
それから、また騙されたと思ったのかこちらを疑わしい目で見つめてきた。
いかん、今月は少し嘘を付きすぎたか?

「私が『自分は人間だ』と宣言して、博士がそれを認めて下されば、私は博士の前でだけは人間になれます。例え、世界中の人間がそれを否定したとしても。
 私はそれだけで十分ですよ。博士は不満ですか?」
「……ううん。全然OK! 助手君は家族だもん。全然何も問題ないよ!」

急に元気を取り戻した博士を見て、思わず苦笑する。
きっと彼女は気付いていないのだろう。名も知れぬヒト奴隷が死にかけているのは、全く同じ理由だと言うことに。
おそらく彼が人間でいられるのは、今や主人の用意したガラスケースの中だけなのだ。
俺に彼のことをどうこう言う資格はない。同じ立場に置かれた際に、彼と同じ事が出来るかも疑わしい。
ただ一つ、言えることがあるとするならば。

「助手君助手君、むずかしいこと考えてたらおなかすいたよ! はやくグラタン食べようよ!」

ここは、ガラスケースの中より少しだけ温かい。

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