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夕焼け色の贄 第三話




   赤い水は底の泥によるものだった。
 連日のスコールに薄まりもせず、赤い大河はたっぷりと養分を森へ運ぶ。
 大河はこの地の象徴であり、なくてはならないものだった。
 サルたちがどれほどこの河を、この土地を愛してきたか知る者は少ない。
 それは彼らが多くを語らず、自ら使い捨てられることを望み、それを誇りとしてきたからだろう。
 その彼らが唯一執着を見せたのが一本の霊木と―



 夕焼け色の贄 第三話「朱色の扉“倫人会”」



 この森の朝は霧が深い、しっとりとした空気が肌一枚隔てた所に渦巻いている。
 今日僕達は、昨日フィオ君たちが行っていたカカルヒという人に会いに、下流…つまり海の方へ行くらしい。
 まだ眠い目をこすりながら足元に視線を落とすと、石のタイルが苔に覆われながらも河の方向へ続いていた。
 そのタイルを目でたどるように後ろを振り向き、僕はこっちに来て始めてフィオ君たちが住んでいる建物を見上げた。
 この樹海には似合わないコンクリートの建物だが、薄汚れてツタが巻きついている壁は廃墟のようで、不思議とぴったり合っているような気がした。
 玄関脇に乱雑に置かれ、草に覆われた資材の中に“HOTEL PUSSY”と書かれた看板がある。
 僕の稚拙な英語力で想像するけれど…多分、健全なホテルではない、だろう。
「なんでこの森にこんな建物が?」
「ここはリゾート用に開発される予定だったらしいんだよね」
「だった?」
「うん、他にもいくつかこんな建物があるよ」
 そう言われてあたりを見回すが、木が多すぎてよくわからない。
 見捨てられてどのくらい経つんだろう。
「ぼくたちはもともとこっちに住んでなくてね、もっと奥の方に住んでたんだけど…」
 そう言って歩きだしたフィオ君の後を、僕と姉さんが追いかける。
「ここ数百年で各地の小国同士での戦争が乱立してね、その密偵としての需要で森の奥から、多少は融通の効くこっち側に降りてきたんだ」
「この国には戦争があるの?」
「うん、きみたちのいた所にはないの?」
 僕と姉さんは顔を見合わせた。
 今もないというわけじゃないけど、僕たち日本人にとって戦争は過去の話だ。
「昔はあったけど、今はない」
「そう」
 さして興味もなさそうにフィオ君は歩く。
 会話が途切れてなんだか気まずい、聞きたいことはたくさんあるはずなのにうまく言葉が出てこない。


・・・・ ・・・・ ・・・・


 しばらく歩くと河の音が聞こえてきた、それに混じっていくらかの人の声。
「これがマーケットだよ」
 川沿いに竹組みのテントがならんでいる、その隙間にシートを敷いただけの簡易露店が立ち並ぶ。
 いつかテレビで見た東南アジアの映像を思い出させるような市場だ。

 見たこともない鮮やかな果物や魚、それに日用品なんかが店先に並んでいた。
「わっ」
 ぬっと砂糖屋から出てきた男に姉さんが驚いて声を上げる。
 魚だった。二足歩行で服は着てるものの、頭から足まで魚とわかる構造だ。
 ぽかんと口を開けたままの僕を一睨みして魚男は人並みに消えていった。
 見渡せばそうだ、魚、ネコ、サル…とよく物語に出てくるような人たちが何人もいる。
 フィオ君たちだけじゃない、やっぱりここは本当に異世界なんだ。
「ようフィオ、また新しくヒトが入ったのか。今度は随分若いな」
 果物屋から身を乗り出したサルの男がこちらに向かって手を振る。
 それにつられるように店の客数人が僕たちを見た。
「あぁうん、どっちもペットにしちゃ不能でね。カワイソウだからぼくが引き取ったんだ」
「ちょ、ふのうって…もが」
 言い返そうとした姉さんの口をフィオ君の手がふさぐ。
「しっ、こうでも言わなきゃ売り飛ばされちゃうよ」
「…不能だったら売り飛ばされないの?」
「うん」
 小声でそう話しながらにこやかに店主に手を振り返して足早に進むフィオ君。
歩くたび店先の客が僕たちをチラチラと見てくる。
「気になる?」
「…かなり」
「そう、でもこれはマシな反応だよ」
 君たち奴隷にしてはね、と付け足す。
 昨日のことを思い出して急に体に震えが走った。
 女の人にあんなことされるだけで相当に参るのに、もし相手が男だったらと思うと…。
 この世界にはトラやクマなんかもいるって聞いた、そんなのに襲われたら絶対に死んでしまう。
 僕より少し後ろを歩く姉さんを見る、僕より年上だけれど背はあんまり僕と変わらない。
 この世界で唯一の家族、他の一人で落ちてきたヒトたちに比べれば僕は姉さんがいるだけ幸せだ。

 人並みの隙間から河が見える。
 露店は河の方にまで続いていて、岸辺に桟橋のように足組みを作ってその上でまで売っている。
「船だ」
 姉さんが河の方を見て呟いた。
 僕は姉さんより視力が悪いから目をこらさなきゃ見えなかったけれど、確かに河に船が浮かんでいる。
 その上で果物なんかを売ってるみたいだ。
「結構人が多いんですね」
「河にサカナが住んでるんだ、あと結構あちこちからも人が来てる」
 マーケットにいるのはたいていサルやサカナ、それに何人かネコと・・・あのウロコはトカゲ?だろうか。
 人並みはそんなに大きくない街の繁華街ぐらいだろうか、ごった返してはいないけれど活気があるように思える。
 にぎやかな声があちらこちらから聞こえてくる、それはいろいろなことがあって疲れた僕の体をほんの少し軽くしてくれた。
「姉さん、僕たち大丈夫だよね」
「え、そう…そうね、大丈夫よ」
 僕が声をかけると一瞬の不安を振り払うように笑顔を見せてくれる姉さん。
 姉さんの笑顔はほっとする、いつだって僕を支えてくれた笑顔だ。


・・・・ ・・・・ ・・・・

 夕日がぼんやりと空を覆い始めた。
 僕は歩き続けて足が痛いのに、フィオ君は特に疲れも見せず前を歩いている。
 姉さんは少し疲れてるみたいだけど僕ほどじゃない、流石フィールドワーカーは強いなあ。
 河にかかる橋を4つこえた所で、反対の岸に巨大な建造物が見えた。
 リゾート地に開発されるはずだった、とさっきフィオ君が言った言葉を思い出す。
 あれはきっと大型ホテルか何かだったんだろう、それともショッピングモールだろうか。
 遠めから見ても雨風に荒れ、ツタが巻きついているのがわかる。
「大きい…」
「ここらへんで唯一街っていえる街だからね」
 露店がまばらになってくると5つ目の橋が見えてきた。
 小さな看板に「五の橋」と書かれている。
 それじゃあこれより前の橋は一の橋二の橋三の橋四の橋なんだろう、順当からすると。
「この先は海?」
「そうだよ、ぼくたちは行ったことないけれど」
「たち?」
「サルは海に行かない、サルだけじゃなくて河と森の生き物は海に行かないよ」
 ということは、橋は五つしかない、ということか。
 この国のことを片っ端から覚えようと僕は反すうを繰り返した、ただのペットなんかで終わるなんて信じたくない。
 戻れないなら今、できる限りのことをしよう。

 五の橋は石でできている。
 河といってもとても大きい川だ、学校の校庭五つ分くらいはあるんじゃないだろうか。
 だったら多分これはリゾート開発のときにかけられた橋だろう。
 四の橋も石でできていたけれど、マーケットの中腹にかかる三の橋は木でできた簡単な作りだった。
 あれはきっとサルかサカナがかけた橋なんだろうな、一の橋二の橋も同じように木の橋なんだろうか。
 ぼんやりとそんなことを考えながら橋を渡る。

 向こう側には市場はなく、船が一艘止まってサルの船主が昼寝をしているだけだった。
 隙間に苔がふかふかと生えている石畳が森の奥へ続いている。
 薄ぼんやりとした霧が晴れて、木々の隙間から見えるのは先ほどのツタに覆われた建物だった。
「あれがカカルヒのいるルュンレンガーデンだよ」


・・・・ ・・・・ ・・・・


 そこはさっき思ったとおり、リゾート地に作った小さな町のような所だった。
 入口に商店街のようなアーチが掛かっている
 無国籍風の建物は互いにどんよりとした暗い影で覆いあい、霧の深さも手伝って活気というものが全く感じられない。
 路地の隙間に怪しげな露店がひしめき、時折点滅する電灯が照らす。
 フィオ君が道端に寝転んでいる物乞い風の男に話しかける。
 茶色い帽子を目深にかぶったサルの男だろうか、コートの裾からフィオ君に似た尻尾がゆらゆらと動いている。
「フィオじゃないか、久しぶりだな…」
「やあ目深、カカルヒはいつもみたいに歓楽中心にいるかい?」
 そう言って足もとの汚れたびんに銀色の小さな塊を放り投げる。
 男はゆっくりとした動作で中の銀を手に取り出してポケットにしまうと口を開いた。
「いいや、今日は倫人会にいるんじゃないかな…朝にネコの客人が組合に来てた…」
「そう。ありがとう」
 フィオ君はもう一度さっきと同じくらいの大きさの銀の塊を取り出してびんの中に投げ入れた。
「行こう、もうすぐカカルヒに会えるよ」
 先に歩きだしたフィオ君の後を小走りで追いかける。
 振り返ってさっきの男を見ると大きな欠伸をして寝ころぶ体制を変えていた。


・・・・ ・・・・ ・・・・


 僕たちが入った路地は学校帰りに見かける路地裏の飲み屋街のように看板がひしめいていた。
「空が見えない…」
 その看板の中でもひときわめだつのが”倫人苑”と書かれた看板だった。
 “倫人苑”でルュンレンガーデンと言うらしい。
 ネオンの蛍光灯がパチパチと耳障りな音が路地を歩く僕の耳をかすめていく。
 僕たちがいた世界のネオンとなんら変わりない…。
「うわっ」
 水たまりをよけるために下を向いた途端フィオ君の肩に鼻がぶつかった。
 フィオ君はちょっと首を傾げてから一つの建物を指さした。
「カカルヒに会うけど、準備は出来た?まあそんな緊張して会うような人ではないけど…」
 店と店に挟まれた三階建てぐらいのコンクリートのビル。
 他の場所と違って唯一重たそうな看板が付いていない、入口に白いペンキで”倫人会”と書いてある。
 駐車場にあるような薄暗い階段を上っていくと朱色の木の扉が蛍光灯にぼんやりと浮かび上がった。
 薄暗いせいか目がしばしばする。ふらつく頭はドアノックの音で引き戻される。
「入りなさい」
 しわがれた男の人の声。
 部屋に入ると、そこは応接間のような場所だった。
 セットなんだろうかソファとテーブル、が絨毯の上に置かれている。
 小学校の時に見た校長室あたりの部屋みたいだと思ってきょろきょろしていると、奥の方のドアが開いて、がたいのいいサルの男とその後ろに背中の丸まったおじいさんがでてきた。
 一瞬人間か、と思ってしまった。
 赤ら顔に、フィオ君たちとは違ったむき出しの耳。それに尻尾もない。
 先ほどのマーケットで多様な種族に面食らったあとでは、サルのおじいさんは僕にとって”そう見えた“んだ。
「始めましてヒトの客人、私がカカルヒだ」
 ひょこひょこという擬音が出そうな足取りで近づいてきて手を差し伸べる。
 しわくちゃの手だ、手の甲より先はやはりサルだったけれど、毛のない掌の感触はヒトのそれだった。
「どうも…」
「お嬢さんも」
「あ、はい。私はヨネ、そちらがツグと言います」
 姉さんが名乗ると、黄色い葉をむき出してにぃっと笑った。
「初めてだよ、この倫人苑に君たちのような若いヒトが来るのは」
「初めて?」
「いや、倫人苑には初めて、と言った方がいいかな」
 黄色く濁った眼を細めてカカルヒさんは目をしばしばさせた。
 懐から眼鏡でも取り出しそうな雰囲気だ、この人は見た目もだけど動作の端々が僕たちの世界のヒトによく似てる。
「お久しぶり、カカルヒ。さっそく本題に入りたいんだけど…」
「ああフィオお前さんも久しぶりだね。話は聞いてるよ、大変なことになってるようだね」
 言いながらソファに座ると、対面のソファを指して「かけなさい」と促す。
 ソファに座るとがたいのいいサルの男がちょうど盆にお茶を入れて持ってきたところだった。


・・・・ ・・・・ ・・・・


「さぁて、どこから話せばいいのか…」
「せっかくだからいろいろと教えてあげてよ、ぼくはあんまり説明が上手じゃなくて」
 フィオ君が首を傾けて頬をかくような動作で苦笑い。
 僕たちの前にいる時よりも、なんだか子供っぽいというか年相応のような仕草を見せている。
「そうだね…サルが守るものについて君たちは聞いたかい?」
「はい、霊木の話…」
「僕たちがその実を食べてしまったこと」
「そうか、では君たち自身が危険にさらされているのは知っているかね?」
「え?」
 驚いてフィオ君を見る。
「どうせだからここに来た時にでも話そうと思って」
「…フィオ、カニを甘く見てはいけないよ。彼らの嗅覚は優れている」
「最近は動きが緩慢なんだ。内部で何か起こってるんじゃないかな」
 さっきもカニ、と言っていた。
 この世界には多様な種族がいるらしいから、きっとカニもその中の一つなんだろう。
「カニってあの、ハサミの?」
「そうだよ。強固な鎧を持ち、力も強い。そして彼らは魔力を持たない故に、それらに貪欲だ。
 どのくらい前だったかな、新しい霊木の苗床を決めてそこを新しいサルの住処としたらそこの周りにカニが住んでたんだ」
「お互い断固として場所を譲らないし、そのうえカニは僕らの霊木の魔力を欲しがってる」
 隣のフィオ君が膝の上で小さな拳を握った。
 眉をしかめてうつむいたまま、大きなため息をつく。
「…ごめんこの先は機会を見て話すよ。今は言えない」
 尻尾がゆらゆらと揺れている。
 感情が尻尾にでるのは、わかりやすくていいいような悪いような。
 もう少し付き合えば何を考えてるのかわかるようになるのかな。
「ただ、僕たちは君ら二人を守り通すよ。霊木もしっかり芽吹かせる、カニになんて渡さない」
 いつも淡々としたフィオ君が初めて切羽詰まったような声を出した。
 その時僕は、もっと知りたいと思った。
 フィオ君のこと、サルのこと。この世界のこと。
 お腹の奥の方で何かが動くような感覚だ、きっと僕の中のマーロウが呼んでるんだ。
 ふと姉さんを見る。
 姉さんはきっと一割しかこの世界と繋がってない、僕は多く食べたぶん姉さんよりこの世界の外側じゃない。
「もっと教えて下さい」
 そんなことが自然に口をついて出た。
「サルのこと、倫人会のこと、この世界のこと」
 僕が、姉さんを繋ぎ止めるんだ。
「…君はいい“ヒト”だね」
 カカルヒさんが目を細めてそう言った。

 憐れむような優しさから、興味へ変わるような視線で向き合う。
 短い沈黙の後、カカルヒさんが口を開く。
「私を含め、一部のサルはただの奴隷であるヒトに深い興味を持った。それは多くの種族が好む性的なものではなく、もっと根本的な興味だ。
…ヒトの寿命は短い、奴隷として使い古され老いたヒトが処分されるのを見て私は愕然とした。
彼らはなんと私たちに似ていることだろうか、毛のない耳、手、しわの刻まれた額…」
 そこでカカルヒさんの言葉が途切れた。
 湯気が消えかかるお茶を一口飲んで、また話を続ける。
「私は昔一人のヒトと会った、彼女はサルの全てに疑問を投げかけ、問うた。そして私はそれら全てに答えられることないまま、彼女は居なくなってしまった。
私はどうしてもあの時の答えを出したくて、この倫人苑…老いて、あるいは病気で使い物にならなくなったヒトを住まわせる場所を作ったんだ」
 保護施設、そんな言葉が頭をよぎった。
 アメリカだったかな、天使の家という捨て犬を保護するボランティアの人たちが作ったところがあったと思う。
 僕はぼんやりそれを思い出していた。
「倫人会はその中心ということですか」
「そうだよ、ヒトから得た知識を主に扱っている。これを欲しがる商人が多いから、渡す相手を見極めてるんだ」
 笑顔でテレビに移る天使の家のおばさんがいた。
 そしてその周りで尻尾をふって駆け回る犬たち、僕らヒトはあの犬なんだろうか。
 でもそれを非難なんてできない、事実助かっているし、きっと嬉しいんだろうな…。

それでも、僕は。