猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

carnaval・表

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だれでも歓迎! 編集

犬と羊とタイプライター/carnaval・『表』

 
※※※

 

「よし―――――押し倒そう」
 日暮れ後の群青色の空の下。
 コブシを握り、堅い決意で誓うわんこが一人おりました。

 そうとも。今日という今日はアイツを襲おう。
 なぜだか今なら色欲に走っても許される気がするんだワン!

 

 

 ランプの灯は消えて、部屋の中を照らすのはストーブの揺れる炎だけです。
 ベッドの上で揺れる二人が、壁に大きな影法師をつくっています。
 汗ばんだ額に、黒い髪が筋になって張り付いています。
 しどけなく半開きの口元から、はっはっと短い吐息と、やわらかそうな舌がこぼれます。
 男は、ベッドの仰向けに横たわって、その様子を見上げております。
 その男の上に膝立ちでまたがる人影の、頭の両側に、重たそうな雄羊の角がついています。
 けれどこの世界の雄のように体毛に覆われてはいません。
 股間にも危険な陽物はついておらず、奥ゆかしい髪と同じ色の茂みがあるばかりです。
 生まれたままのすべすべの裸体を、ストーブのオレンジの光がゆらゆら照らします。
 薄闇に沈んだ部屋の中で、なめらかなラインの裸体がくねるたびに幻想的な陰影が宿ります。
 男はその光景に、いきり立つよりもむしろ、深い感動をもって魅入られています。
 けれど男も男ですので、敬虔な気持ちとは関係なく、息子さんは正直に天を向いております。
 むき出しの下半身は、もう今か今かと待ちわびております。
 その上に膝立ちでまたがりまして、雄羊のふりをした、そうでない生き物は、おそるおそる照準を定めます。
 すでに男の指と舌で、身体の準備はすでに万端整っております。
 改めてうっすら体毛で覆われた屹立にうるんだ視線を落として、あ、と躊躇うように息を飲みました。
 ―――――こんなの無理。入んない。
 そう心の中で怯えるのが、つんと男の鼻に匂いました。
 男は急かさず、経験豊富の男としての矜持を支えに、じっと動きません。
 ただ、すべすべふんわり、あったかい太股をゆっくり撫でさすります。
 黒い髪が揺れました。唇を噛んでいます。
 泣き言を口にしないのは、そもそも、初めてなのにこの体勢を要求したのは彼女だからです。
 ―――――ちゃんとするもん。
 軽くのけぞるように背を反らして、位置を修正いたします。
 それから、タイプライターの使いすぎで腱の浮いた、すらりとした手を自分の股間に伸ばします。
 茂みに分け入った白い指が、小刻みに震えながら、くちゃりと粘着質の音をたてて、その場所を左右に開きました。
 自分の腰の影に隠れて見えない屹立の上に、ゆっくりと、腰を落と 

 

 

「……先輩? 先輩どうしたっすか!? ガン泣きっす、マジ泣きっす、悲しい夢でも見たんすか!?」
「う……うううううううう…」

 案の定、そのあたりで正気に戻りましたとさ。

 ここはいつもの軍の施設です。
 先輩と呼ばれました男の勤め先でございます。
 軍人と申しましても表立った戦争などできない犬の国、デスクワークもまた立派なお勤めです。
 男はいろいろあって秘密部隊の最前線を離れておりまして、あっちこっちの部署を体よく使い回される身分です。
 いまは王都の治安を守るぼくらの町のおまわりさんでありまして、後輩の面倒見も仕事のうちという次第。
 いつものように出来のおぼつかない後輩の、これだけはいつも立派な出来の反省文をチェックしていた最中でした。
 眼球に残る幻痛を、指で揉んでなだめます。
 この男、ときおり唐突に、貧血を起して意識が飛ぶことがございます。
 貧血と言うのは嘘っぱちで、彼はちょっとした幻覚を見る悪い癖があるのですが、それは一部の人にしか伝えていない秘密なのです。
 幻覚を見ている間は、傍目には突然、目を半開きのまま気絶したように見られます。
 戦闘員としての最盛期には、その幻覚を視ながら強引に振り切り、現実の光景を二重に捉えて行動していたものです。
 近頃まったくたるんでいます。
「………なんでもない……なんでもないんだ……うう」
 望陀の涙をハンケチでぬぐいまして、男は、気を取り直しました。
 チェックを終えた反省文にポンとはなまる判子を押します。
 わーい、はなまるっすー、と喜ぶ後輩に、しおしおになった目を向けました。
「お前はなあ………反省文だけは手本みたいにきっちり書けるのになあ……」
 おもわず本音が漏れます。上司として減点です。
「え? そんなの当たり前っすよ先輩!」
 高身長の多い軍部でも飛びぬけてでかい後輩、一部の心無い者たちにウドのなんとやらと呼ばれておりますが、その後輩が胸を張りました。
「だって反省文は持ち帰って書いていいっす! 妹と徹夜して書いてるっす! 出来がいいのは当たり前っすよ!」
「……………。」
 ぱくん、と先輩の男の口が開きました。
 その様子を、世間では唖然とか、開いた口がふさがらないとか申します。
 いやいや待て待て、と眉間に手をあて聞き間違いかと考え直し、男はたずねました。
「………軍に提出する反省文、妹に手伝ってもらってるのか」
「ちがうっす先輩! おれは一人できちんと書いてるっす! でも妹が反省文があると何故か嗅ぎつけてくるっすよ!
 しかもおれががんばって書いた反省文、びりびり破くっす! ひどいっす、イジメっす!
 お兄様が軍部で叱られたってべつにどうでもいいけど、家の恥になるから仕方なく手伝ってあげますわって言うんす!
 押し付けがましいっす! おれ養子だから言いなりっす! 早く寝たいのにおかげで徹夜っす!
 しかもおれが起きたら妹は机でぐーぐー寝てるんす! つらいっす! 養子つらいっす! でもくじけないっす!」
「……………いま、『おれが起きたら』とか言わなかったか?」
 無駄な気がしながらも、男はつい我慢できず指摘しました。
「なにかおかしいっすか? 朝は起きるものと決まってるっす! 遅刻したらまた叱られるっす!」
「………今朝は思い切り遅刻してたし、徹夜してたの妹だけなんじゃ……いや、まあ、いいか」
 面倒くさくなったので、男は追及を打ち切りました。
 後輩君は、元々は捨て子です。
 犬の都市部にありがちな孤児の一人で、幸運にも軍部に拾われ、のち王族の気まぐれな『福祉活動』の恩恵に与り、
継承権はないという条件つきで貴族の養子に潜り込んだという、奇跡のラッキーボーイです。
 取り得と言えば図体のでかさと小食なことです。
 小食なことは、犬の国ではイコール魔法がろくに使えないことも意味しています。
 ようするに見事なまでにウドの何とやらなのです。
 ステータスをすべてラックに振った一極男と呼ばれています。
 彼を見る者は、その幸運を羨んだり妬んだり、なにやらちょっと安心したりすると申します。
 しかし、彼のような者でも立派に生きていける社会じゃないとダメだよね、という意見もございます。
 さて、反省文が合格したので、すっかり仕事のなくなった後輩君、おそろしいことに先輩の傷に塩を振りました。
「ところで先輩、どんな夢を見たんすか? オンナっすか?」
「…………。」
 部署内の、デスクワークに没頭していた人々が、ぴしりと固まりました。
 気温に例えると氷点下です。
 けれど後輩君は怖いもの知らずですので、へっちゃらです。
「だいじょうぶっす先輩! オンナなんて下の口にねじこんじまえばあとは言いなりっすよ!」
 明るく朗らかに、どんと胸を叩く後輩君です。
 もう先輩君は見た目もしょぼくれて、老人が宇宙人を見る目で後輩君を眺めております。
 もはや、どこでそんなファンタジー知識を拾ってきたんだ、元の場所に捨ててきなさいと言う気力もありません。
 妹さんはこんな義理兄のどこがそんなに気にかかるのかなあと思いもします。
 部署内のほかの人々は凍ったままです。
 他の部署から回されてきた、微妙な立ち位置の中間管理職の男には、不吉な噂があるのです。
 以前に休暇中に鉢合わせた事件で知り合った、見るも麗しい羊のマダラに懸想しているという、不吉な噂です。
 女性の軍人も少なくないとは言え、結局は男の殿堂・軍隊に、そうした噂はつきものです。
 そんなわけで、聞かないふりで聞き耳を立てながら、皆してそっと尻尾を股にはさんでガード強化の体勢です。
 王都を訪れる異国の女性たちに言い寄り、それとなく諜報活動するのも男の仕事のひとつです。
 仕事でオンナばっか相手にしてると私生活では男に走っちゃうんだよ、と、風の噂が申しております。
「それで、相手はどこのだれっすか先輩! おれ及ばずながらオーエンするっす!
 いいっす、先輩のためっす、任せてほしいっす! まずは市場で無味無臭の媚薬を仕入れて井戸にゲゴッ」
 ぐらり、ばったり。
 意気揚々と環境テロを実行しかけた後輩を、抜く手も見せず、男のコブシが黙らせました。
 裏拳を振りぬいた姿勢のまま、シルエットになったその体の、目だけが燐光のように燃えております。
「………ばかだなあ、クスリは身体に悪いだろう?」
 ぼそりと、大幅に遅れて、コメントしました。
 常人の筋力を超えて、軍事機密的にパワフルな裏拳をまともに食らって、後輩君は床で大の字です。
 これで午後からの仕事を邪魔されなくて済むなあと、他の面々はこっそり一安心です。
 男はふと、後輩をここに寝かしとくと通行の邪魔だと気づきましたので、おもむろに椅子から立ち上がりました。
 後輩の両足首をつかみますと、億劫そうに、死体に慣れすぎた墓堀人夫のように、無言でずるずる引きずって行きます。
 たぶん美味しくないと評判の食堂にでも転がしてくるつもりでしょう。
 こうして、部署につかの間の平穏が訪れました。
「…………ボス。ボースーぅぅぅ」
「言うな。泣くな。仕事はできる奴なんだ、仕事は」

 

 

 そうした経緯がありまして。

「よし―――――押し倒そう」

 勤務時間を終えて軍施設を退出し。
 五分ほど黙々と歩いて、ぴたりと立ち止まるなり、男はふたつの月に誓ったのでした。

 道の真ん中で仁王立ち。
 男は二メートル越えの偉丈夫です。
 最近では隠れマッチョとか申します。
 一番星を見上げる横顔は真摯で、精悍です。
 でも心に誓っていることはぶっちゃけ鬼畜です。
 いい年した大人がお星様を見上げて考えることではありません。
 けれど心の声はおおむね他の人には聞こえませんので、誰も彼を止めません。
 聞こえていれば、きっと心の優しい紳士かおばあちゃんあたりが、
あんたおやめなさい、犯罪ですよと言ってくれたことでしょう。
 いまどきのお嬢さんであったなら、キモイと一刀両断のうえで通報です。
 誰も止めないので、もちろん男はとまりません。
 自らの誓いに、自分でぐっと胸を熱くして、歩き出しました。
 帰宅を急ぐ人々を掻き分けて、のしのしと進みます。
 その姿は、あたかも戦場に向かう殺人マシーンのごとくです。
 鬼気迫るオーラが背後に燃えています。
 もはや向かうところ敵ナシです。
 標的の生命、いえ性命は今や風前の灯、生贄の子羊、ザラキエルの前にチェリーです。

 そうこう申し上げているうちに標的の住まいに到着しました。
 旅商人などが長期滞在に利用する、下宿のようなお宿です。
 腹の足しにもならない岩石だけは豊富な犬の国、このお宿も石造りです。
 勝手知ったる調子で食堂をかねた無人のホールを通りすぎ、石段を上がります。
 二階のいちばん奥の角部屋が、標的の今の仮宿です。
 ごんごんとノックをして、名前を呼びます。
 部屋主の機嫌が悪いと、通例ですと中にも入れてもらえないのですが、今日は無理やりにも押し入るつもりです。

「………ひゃい………」

 奥から蚊の鳴くような声がしました。
「……ひゃい?」
 男は面食らいます。
 こんな弱弱しい声なんて聞いたことがないのです。
 血の気が引きました。
 いったい何事かとドンドンとドアを乱打します。
「おい!? オツベル? どうした、何かあったのか!?」
 どんどん、どんどんどん。
「………………んゅー……………ぐふ」
 ますます様子が変です。
 男は慌てふためきまして、こじあけるつもりでドアノブに手をかけました。
 意外なことに鍵はかかっておりません。
 開けたとたん、ガタの来ている彼の鼻にもツンと怪しい香りがしました。
「げほっ…! なん、」
 鼻を手でおおって、うっすらとただよう煙をふりはらいます。
 入って正面の壁際にはタイプライターの載ったデスクがあります。
 デスク前の椅子の上は無人です。
 あわてて左を見ますと、ベッドの上に、くたりと倒れこんでいる姿が目に入りました。
「オツベル!?」
 ベッドの上、うっすら額を汗ばませて、その人物は横たわっていました。
 枕は端に吹っ飛び、毛布はぐちゃぐちゃに乱れ、シーツも裸足のかきむしった跡だらけです。
 オツベルと呼ばれた、頭に毒蛇的な紫と黄の雄羊の角をつけた『標的』は、億劫そうに目を開けました。
「あ………なに、かってに………はあ、はあ…出てけ、こっち、くんな……」
 心配している男に吐く暴言にも、いつもの覇気がありません。
 て言うか、寝乱れてます。
 よほど寝心地が悪かったのか、さんざんベッドの上でもがいた形跡があります。
 めくれたシャツの裾からすべすべした脇腹が、ずり上がったズボンの下から足首が覗いています。
 苦悩めいた表情は、いままで見せたこともない顔です。
 なにか、ひとりでどうしようもない苦痛を耐えていたかのようです。
 男は思い当たることがあったのか、すぐさま取って返し、窓を開け放ちました。
 まだまだ寒い犬の国、しかも陽も落ちていますので、ぴゅうと冷たい風が吹き込みます。
「んあっ……さむ」
「うるさい。馬鹿野郎が」
 有無を言わせず、室内の煙を外に追い払います。
 ついでにデスクに乗っていた小さい香炉を開けて、中の灰をやっぱり窓から捨てました。
 じゅうぶんに空気が入れ代わったのを確認してから窓を閉じます。
 ネジの鍵を閉めてカーテンを閉じ、飛び込んでから開けっ放しだったドアにも鍵をかけます。
 ストーブに薪を足し、火かき棒で調整して、充分部屋が暖まるように調整します。
 それから水差しの水を、干からびかけていたヤカンに足してストーブに載せます。
 そこまでが流れるような動作です。
 基本、几帳面でかっちりした男なのです。
 散らかすのが得意な部屋の主は、まだベッドでくたりと横倒しになっています。
 とろんとした目が、てきぱき働く男を見ていました。
 一仕事を終えて、やっと思い出したように男はコートを脱ぎました。
 オツベルが、億劫そうに身体を起します。
 しかし途中で、「んうっ…」と小さく呻いて、またベッドに身体を沈めました。
「っ……はあ、はあ………ぁぅ…」
 苦しいのか、身体を折り曲げて顔をしかめます。
 その様子は、あたかも腹痛と頭痛発熱と肩こりと全身の倦怠感と筋肉痛とつわりがいっぺんにやってきたような有様です。
 けれど男はそうではないことを正確に察していました。
 怪しい香。悩ましげな顔。
 導き出される推理はひとつしかありません。
 なぜこんなきつい香を、どこから手に入れて、なぜ自室で焚いていたのか判りませんが、オツベルはたまに騙されたり面白がったりして意味不明な小物を買う悪癖がありました。
 コートをコートかけにひっかけて、重い軍靴をごつり、ごつりと焦らすように響かせて、男はベッドサイドで立ち止まりました。
 ぼうっとした目で見上げてくるオツベルを、じっと見下ろします。
 ―――――旦那、なんか怖い顔。おこってる? なんで?
 でたらめな鼻が、ちらりと、オツベルの感情を伝えてきます。
 そうじゃないと、口に出すことは出来ませんでした。
 できるだけ顔を緩めて、ぎしりと、ベッドの端に腰を下ろしました。
 肩越しにオツベルを振り返ります。
「………つらいのか?」
 なんと声をかけるか迷いに迷って、ようやく、それだけ言いました。
 オツベルは、きょとんと不思議そうに。
 それから、へにゃりと笑いました。
「ちょっとねー」
 ひひひ、と、せいいっぱい陰気そうに笑います。
 男は、そうかと言いました。
 …………たまには。そういう気まぐれもいいかも知れないと。
 そんなような考えが、男の胸を行き過ぎました。
「なんとかしてやろうか?」
「なんとかー?」
 ふざけた口調で、笑って首をかしげたので。
 それならと、男らしく、行動で示すことにしました。

 


 夕暮れ時を指して、黄昏時と申します。
 誰そ彼時。
 そこにいる人影がいったい誰なのか、夕闇混じる刻限にはふと見失うのだそうです。
 人間の群れの中に、ふらりと見知らぬ誰かが紛れ込む刻限でもあるそうです。
 陽が落ちて、部屋の中に宵闇が降りています。
 ストーブは薪をたらふく咥えて煌々と燃え、部屋を僅かなオレンジ色で満たします。
 いつもこの時間に住人によって灯されるランプは冷たく。
 かわりに、おとぎ話の狼男のような巨きな影が、手の平にふうと吐息を吹きかけました。
 吐息はふわりと光を帯びて、焚火に似た柔らかな明りで部屋を照らしました。
 イヌの国の出身なら、たいていの者が使える魔法の技です。
 円い鬼火は重みのないように浮き上がって、部屋の天井あたりで止まりました。
 ベッドの上に転がったまま、オツベルはぼんやりとそれを見つめます。
 オツベルに魔法は使えません。
 猫の国でとっくに見慣れているはずなのに、じっと無心に光を見つめています。
 それは、綺麗な星を見上げる顔によく似ています。
 魔法の明りが安定したのを見届けて、イヌの男はふうと息をつきました。
「……旦那がそういうの使うの、はじめて見た」
「ん。そうだったか?」
 なんでもないふりをして、男はベッドの端に腰掛けました。
 この部屋に椅子はひとつきり、それは部屋の住人のお気に入りで、勝手に座ると怒られるのです。
 だからいつも男の座席はこのベッドなのですが、今夜は少々遠慮がちに座っています。
 安物のスプリングがぎしりと鳴りました。
 反動で軽くバウンドしたオツベルが、横になったまま不思議そうに顔をあげます。
 俺のは少し効率が悪いんだと、男がもそもそと言いました。
「初歩の魔法も中級くらいのも、おなじ位に消耗する。だから、あんまり使わないようにしてる」
「……そりゃーまた丼勘定だねー。ああ、煙草あんま吸わないのにマッチ持ってんの、そーゆーことかー」
 オツベルがつくつく笑いながら、くにゃりとベッドの上で丸くなります。
 あいかわらず顔色は悪いです。
 頭の両側の雄角がとても邪魔そうです。
 ぶかぶかの部屋着をまとった棒切れみたいな身体を、イヌの薄水色の目がじっと見下ろします。

 

 

  選択肢を選んでください。

   >>a.偽羊は風邪をひいている。 →避難所643さんの次回作にご期待ください。
   >>b.風邪以外 →14へすすめ
   >>c.兎と犬の掌編を読んでいる。 →『表』のあと『裏』へすすめ

 

※ 14

 視線と沈黙に気づいたオツベルが、すこし居心地悪そうに身じろぎしました。
 でも、部屋の角に置いたベッドの上では逃げる余地はありません。
 ぐらりと傾いた男が圧し掛かるように、オツベルの両脇に手を置きました。
「ふあ……っ? ふぇ、ちょ、旦那ぁ?」
「……いいから。じっとしてろ」
 オツベルから見上げる男は逆光になって、まるで大きな影のようです。
 押しても引いてもびくともしない大きさです。
 対するオツベルは、男がちょっぴり触れただけでパキリと折れそうです。
 男はそっと、精一杯慎重に、その肩に触れました。
 それでもオツベルが逃げようとしないのは、男を信頼しているからでしょうか、それとも。
「身体の力を抜いて、……全部、俺に任せろ」

 

 

「んっ……う、ぁ…」
 オツベルはベッドにうつ伏せにされています。
 その上に男が圧し掛かり、ゆっくりとしたリズムで揺れています。
 揺れるたびにオツベルはシーツをつかんで顔をしかめています。
 声を漏らさないように耐えています。
「は、あ、んぅ……ふあ……」
「……ここか?」
「は、ぁん……んっ、そこぉ…ふあ、それっ……あ……きもちいー……」
 とろけた声がこぼれます。
 うっすら開いた目はすでに夢見心地です。
 男から顔は見えないので、その声を聞いて、心地よさそうに耳を震わせます。
 尻尾もふわんふわん、左右に振れています。
 壊さないように丁寧に丁寧に、男はオツベルの身体に指を這わせます。
「ん、ん、んっ……は、ふぁあ……あ、や、旦那、軍人、で、なんで、こんな巧……」
 絶え絶えの息の下、もつれる舌で、辛うじて言葉をつむぎます。
 男は律動をやめないで、軽く頭を振りました。
「……軍人の身体は軍の備品みたいなもんだからな。維持管理も仕事のうちでね」
「は、あふ……んん、ん…維持管理、ね……っ、は、はあ…っ」
「ここ、こんな硬くなってる」
「っあう!? は、や、痛、痛い、そこ痛ぁ…!」
「ん」
 男が動きを止めました。
 どうしたものかな、という顔で、でっかいイヌの顎をひと撫でします。
「はっ、はっ、はっ………んう、あ、はぁぁ……」
 苦痛から開放されて、シーツに突っ伏したオツベルが短く息をつきます。
 その様子を目で堪能しながら、悦楽をおくびにも見せず。
 男は再び、あっさりと医者の手つきでオツベルに触れました。
「ひあ、やぁっ、ちょ…!」
「ん。痛いか?」
「あ、あぅぅっ、そこダメだって、痛い、痛ぁっ、痛いっつってんだろバカぁあ…!」
 たまりかねたオツベルが両腕をつっぱって上半身を反らし起します。
 目じりには涙さえ浮いています。
「……力、抜いてろって」
 感情を漂白したような声で男は言いました。
 標的を捕縛する要領で、易々と立てた腕をすくいます。
「はぅんっ!?」
 支えを奪われて、オツベルの上半身がばすんとベッドに落ちました。
 太股の上にはイヌが跨ってがっちりと挟み込んでいます。
 逃げられません。
 崩れ落ちた細い肩を、大きな毛むくじゃらの手が押さえつけます。
「あんっ、や、痛い、いた、あああああんっ!」
「これでもまだ痛いか。……ん、まあ、大丈夫だ」
「んあ、ああ、はぅぅん……! あっあっ、だ、大丈夫っ……!?」
「うん」
 子供がうなずくように、わんころコクリと請合います。
「今は痛くても、だんだん快感になってくるから」
「だっ……! ば、バカか!? それ大丈夫ちがう、うあっや、やめ、あ、あ、んはあああん!」
 偽羊、陸揚げされた海老みたいにびちびち暴れますが、どうにもなりません。
 閑静な住宅街を切り裂く声はすでに悲鳴の域です。
 でも声の届く範囲のお宅は空き家で、下宿の他の住人は留守にしていると、男の優秀な耳はすでに
リサーチ済みです。
 状況、完璧。
 自然と男の口元に笑みがこぼれます。
 にたりと吊りあがる口はまるっきり人食い狼の顎そのものです。
 ふふんふーん、とハミングさえ奏でます。
 尻尾のフリフリぱたぱたはテンポを速めて、まるでお気に入りの玩具で遊ぶ飼い犬の如しです。
 その下敷きになって、偽物の羊はじたばたもがき、男の指の動きにあわせて跳ねたり、
綺麗な悲鳴を上げさせられるばかりです。

 

 

 ところで、察しのいい方はすでに見抜いていることと思われますが。
 下宿の二階の角部屋の、ベッドの上にて一人と一匹が繰り広げているこの饗宴。
 実のところ、まったく色気もエロスも欠片もない作業なのであります。
 端的に申しまして、按摩です。
 整体です。
 ツボ押しです。
 横文字で表すとマッサージ、性的でない意味で、です。
 こいつらここが何板なのかわかってんのかよ、です。
 KYにも程というものがありますよ、であります。
 うん、そんなこったろうと思ってた、と優しく微笑むお客さん、貴方には座布団一枚差し上げます。
「あー、腰椎が歪んでる歪んでる。おまえちったあストレッチくらいはだな」
「んぎゃあああああああ! ひぐぅぅぅぅぅぅぅ! ぐわああああああああ!!」
 嬌声と申しますより屠殺中の家畜の悲鳴があがります。
 なにしろヒトの数倍の筋力をデフォで備えたこの世界の住人ども、ドアノブひとつとっても
固いわ重いはでっかいわ、まったくもってヒトの非力さに考慮などしてくれないのです。
 そのうえ机に向かって何時間もじっと固まっていることの多い文筆業、肩はがちがち、
腰は痛め、全身の血流も滞るというものです。
「痛い痛い痛い痛痛痛ぃぃんああー! ちょマジ痛いってば、んあああ! ギブギブギブ!」
 肩の凝りをゴリゴリほぐされた後は腰の番です。
 もうオツベルは悲鳴しかあげません。
 傍目には痴態とか嬌声とか感じすぎて半泣きのような様相です。
 でも当人はそろそろマジ泣きです。
 愛液どころか鼻水が漏れる勢いです。
「んあっ、あ゛ぅぅっ、んくぅぅん! ひあ、は、んううううう!」
 不摂生と無理の祟った体はどこのツボを押さえても激痛が走ります。
「ガチガチだなあ。こりゃ徹底的にほぐさないとなあ」
 イヌの本性とは群れへの従属、同時に支配欲と征服欲とも申します。
 イヌの旦那、オツベルが泣こうが喚こうが手を緩めようとしません。
 普段、オツベルにいいように振り回されているせいでしょうか、オツベルを
じたばた暴れさせて泣かせてるだけで、もう嬉しくてしょうがないのです。
 エロ以外の大義名分で堂々と身体に触れられる上に、こんなに気持ちよく
声をあげてくれるとなると、もはや


 止 ま る わ け が あ り ま せ ん 。


 ニヤニヤしそうな顔だけは、まだ抑えていますが、目はすでにちょっとイッてしまっています。スイッチ入ってます。
 俗にそれをSのスイッチと呼ぶ向きもございます。
 オツベルの腰を男は抱え込むと、持ち上げてくるりと反転します。
「ひゃう!? ふあ、なに…!」
 うつ伏せからあお向けにひっくり返して、片足をひょいと掴み揚げました。
「んあっ、はぅっ、もぉいい、もういいからぁ……!」
 オツベル、雨の日の捨て犬みたいにぷるぷるとか細く震えております。
「ふっふっふ。まあそう遠慮するな。抵抗しても無駄だぞー、観念して力を抜けよー」
「ひぁん!? うあっ、やぁっ、ちょ、こんな格好やだぁあああ、あああああん!」
 オツベルの片足が、高々と天に向かって挙げられました。
 ぼくっ、ぼきばきべきぽきん。
「んやあああああ!? あああ、折れたあああ! すごい折れたよぉおおう!?」
「折れてないって。股関節の固まったのがほぐれたんだよ。ほら左足もいくぞー」
「やっ、だっ、やだってばああああ!? あっやぁぁ! 足、足離して、あううう!」
 べきべきぼくん、ばきんぼきん。
「はぅん!? あ、は、あああ、ああああ、ぁぁぁぁん…」
 男が、持ち上げていたオツベルの足を離しました。
 失神寸前のオツベル、目も虚ろに、足と手とがぱさりとベッドに落ちます。
 しかし、それでもなお鬼畜の責めは終わりません。
「じゃ次、足の裏な。ここが胃、ここが目、腎臓、このへんが肺」
「ッッッん゛あ゛あ゛あ゛あ゛!? ん゛がああ、あうあうあう、あはああああああんん!?」
 足の裏を両手の親指でくにくにと揉み始めたとたん、力尽きたと思われたオツベルが
今まで以上に悶絶して飛び跳ねました。
 ヒト世界で言う所の足ツボマッサージ、イヌ国軍部伝来の技もヒトのそれに酷似しています。
判りやすく表現いたしますと拷問です。まだしも生爪はがされるほうがマシでございます(断言)。
 哀れオツベル、足先だけ捕まえられて、膝から上がくねったりもがいたり跳ねたりしています。
「あ゛あ゛あ゛! 痛い痛い死ぬ死ぬ死ぬ死んじゃうぅぅぅ! やはああああああ!」
「こんなので死ぬわけあるか。これくらいじゃ熟れた桃だって潰せない、と」
「はんんんっ、あぐ、あんんっ…! 嘘つきぃっ、痛い、イダ、あ゛あ゛、痛いもん、痛いもん…!」
 旦那、そろそろ顔のニヤニヤが抑えられなくなっております。
 オツベル、それに気づく余裕もなく、踊るように七転八倒中です。
 開いてる足でぽこぽことイヌを蹴るのですが、まったく効きません。
「はうっ、んうっ、ぁぁあん…! 痛ぁ……! や、旦那、旦那ぁ、やあああ…」
 とうとう哀願入りました。
 はあはと息を荒げて、シーツを掴む手にも、もはや力が入らない様子です。
 がっちり抱えられた足も、がくがくと震えています。
「ん、このあたりがイイのか?」
 そ知らぬふりで、男は、狙い澄ましてぐりぐりと(指を)抉りこみます。
「うああああああん! ん゛あ、ん゛あ、っあ――――ぁ……!!」
 ひときわ高い悲鳴をあげて、オツベルが仰け反りました。
「はっ、あ、ぁ! ひぅっ、痛いよぉおお…ばかぁあああ、何の恨みがあるんだよぅうう…!」
「はっはっは。身に腐るほど覚えがあるだろう。ここか? ここがイイのかー?」
「はぐぅぅぅ!? いぅっ、ぁん、ぁん、あぁぁああああん! あああ! んあああー!
 わ、わかったぁぁ、判ったからあ! もうしません、仕事邪魔したり砂糖いれたり
カバン勝手に覗いたりしませんんんん! だからもうやだぁああああああああ!」
「うんうん、許す許す。ん~、軍式整体術二人組み式、フルコースいくからなー♪
 ちゃんと最後までしてやるから覚悟しろよ? 終わる頃には身も心も病み付きになってるぞー♪」
「ひゃうんんんっ!? あ゛っ、あ゛あ゛あ゛っ、あ゛ー! やああああ、ばかぁああああ!
 そんなの、あ゛うっ、いらないぃぃ、はああ、あああ! は、んっんんん、んうー!」
「よーしよし。俺のことしか考えられなくしてやるからな……♪」
「ひいっ!? ちょ、それ用途違、男の台詞と違、あ、あんっあんっあんっ、あ゛、ふあああん!」
 ………。

「………うっく……えぐぅ、しくしく……」
 オツベルの目の淵から、ひとすじ、涙がこぼれました。
 もう気も心も萎えて、くたりとベッドに沈みます。
 タイトル、『このケダモノぉ……』です。
 見ようによっては色気むんむんですが、端的に申し上げるなら、脱水後の
ドラムに張り付いた洗濯物です。くちゃくちゃのぷーです。
 対して施術を終えたイヌ、ぷふーと心地よい汗など拭っています。
 やり遂げた感とほどよい運動と、何か英気を吸い取った風でつやつやぴちぴちです。
「……ふう。まあこんなところだろ。軽くなんか食って風呂に浸かって、とっとと寝ろ」
 いそいそ、てきぱきと、男はコートを羽織ります。
 じゃあまた明日な、なんて言いながら、返事も聞かないで部屋を出ます。
 すんすんすすり泣くオツベルは見送る気力もありません。
 ぱたんとドアが閉じました。
 薄暗くて肌寒い廊下にひとり出て、はた、と男は止まりました。
「……ん? あれ? 俺、確か今日こそ……?」
 首をひねります。
 何かが胸にひっかかったのですが、思い出せません。
 当社比でいつもの数倍の満足感を得たために、当初の目的を見失った様子です。
 なんと恐ろしいことに、この男。
 これ以上一緒にいたら本当に押し倒してしまうから、と滞在を切り上げて帰路につく
習慣が、すっかり骨身に染み込んでしまっていたのでした。
 きつく張り詰めたアレやナニやらも、まったくいつも通りなので、気にも止まりません。
 もはや紳士や臆病者を通り越して不能の疑惑が持たれます。
 廊下を通り抜け、階段を下りながら、何だったかなあとしきりと考え込みます。
 階段の途中で、とんとんと上がってくるチワワの美女と鉢合わせました。
「あら、いらしてましたの。もうお帰りですか?」
 美女、ふんわりと微笑みます。
 ヒトの年で言うなら二十歳そこそこ、おっとり優しげなこの美女が、この下宿の主人です。
「……あ、はい。こんばんわ。世話になってます。…もう帰るところです」
 オツベルをこの下宿に紹介した男、ぺこりと頭を下げます。
「あら、お茶でも淹れますから、もうすこしいらしてくださいな」
「いえ、お気持ちだけで。……ああ、アレがちょっと調子を崩してるようなんですが」
「あら」
「たぶん今日はろくなモノを食ってないんで、その」
「はい、引き受けました。ちょうどそこのパン屋さんで焼きたてを買ってきたところなんです。
 オツベルさんにおすそ分けしようと思って。スープの残りも温め来れば、軽い夕食には
ぴったりですわ。いかがですか、せっかくですからご一緒に。お食事は大勢のほうが楽しい
ですから」
「あ、いや。自分はもう食べてきましたから。アレを宜しく御願いします。では」
 横をすり抜けて階段を下ります。
 下宿の門を飛び出して、ようやく息をついて。
 そこで、はた、と当初の目的を思い出しました。
「……ああ!? 押し倒……」
 慌てて口を押さえたのは賢明と言えるでしょう。
 振り向きますと、二階の廊下を、下宿の主が手にした明りが移動していくのが見えました。
 向かう先はくちゃくちゃのオツベルの部屋です。
「あ……」
 ぱくん、と呆けて顎を落とします。
 完全に機を逃してしまいました。
「………。……うう。うううう。まあ…いい。いいさ。うん」
 コートのポケットに両手を突っ込んで歩き出します。
 丸くなった背中が侘しい佇まいです。
 その夜、宿舎近くの飲み屋で呑んだくれる栗毛の軍人がいたそうですが、どこぞの旦那との因果関係は
定かではありません。どっとはらい。
 ちなみにー、改造人間はアルコールくらいじゃいくら飲んでも呑まれないのねー。不便不便。
「あんたさん、カネの無駄なんだから、呑まなきゃいいのにねェ。
 おらよ、火気厳禁、消毒薬の味しかしねェ高純度蒸留酒、"盛った兎でも昏倒する"銘酒・精霊殺し。
 出所は聞くなよ。ストレートの燗で五合、飲めるもんなら飲んでみやがれ」

 

 

「うう……めそ…もそもそ…ひっく…」
「あらまあ。それは大変でしたわね」
「しくしく……もぐ…えうー」
「でも、今朝方よりずいぶんと顔色が良くなってますよ。痛いぶん、よく効いたんでしょうね」
「…………ずびー」
「お引越しのしたくなら、声をかけてくれればお手伝いしましたのに。重かったでしょう、この荷物」
「………もぐ…しく…」
「オツベルさんがいなくなったら淋しくなります。また遊びにいらしてね」
「…………くすんくすん…」
「お待ちしてますからね。そうそう、ところでオツベルさん、はいこれ、プレゼントです」
「………?」
「消臭効果をうんとアップした生理用ナプキン、一年分。お香って、意外と匂いは誤魔化せないんですのよ?」
「…………ふ、うう、はぅぅぅんんん管理人さぁあああんっ(ひしっ)」
「ええ、あの人なら大丈夫、以前に怪我をしたので鼻は悪いと仰ってましたから。このナプキンはイヌの国で
作られたものだから、これなら絶対に匂いではわかりませんからね。あちらに行っても元気で過ごしてくださいね」

 

 ※

【犬と羊とタイプライター/carnaval・表】 了

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