イノシシの国 ヒト編パート2
弐
外で小鳥が鳴いていた。
薄目を開けると、薄暗い部屋が目に入る。
天井の木目が、見つめ続けているうちに何かの模様に見えてきた。
瞬きをする。
背中が痛い。上だけに掛かってる布団は、どう考えても長さが足りない。下はどうも板敷きみたいだ。
むくりと起きる。
筋肉痛がある。でも、体が強張っていたのはそれだけの理由じゃない。
俺は辺りを見回して探す。
いない。
寝坊しすぎたせいだろうか。
寝ていた板間は殺風景な程に何もない。
隣の部屋に繋がる欄間が明かりとりになっている以外は、三方を壁に囲まれた部屋だった。
まさに寝間だ。
布団をはねのけると微妙に寒いが、俺の上着はどこかに脱ぎ捨てたらしく、見当たらない。
部屋の端まで歩いていって、仕切りになっている引き戸を開ける。
目の前はすぐ土間だった。目を凝らすと、ひっくり返ったスニーカーが見つかった。つっかけて履く。
左手の壁に四角い光の枠が浮かび上がっている。多分窓だろう。
手探りで窓を押し開ける。
新鮮な空気と共に光が外から差し込んだ。
眩しさに目をつぶる。
板を持ち上げて支え棒で固定すると、俺は室内を振り返った。
「なんじゃこりゃ」
土間の半分はござがしきつめられ、ちょっとしたスペースになっていた。
そこにあったのは、うずたかく積まれた酒瓶。ちょっと土のついた饅頭。ざるに放り込まれた餅。食い散らかされたどんぶり。
寝ていた板間が俺の布団以外何もなかったのに比べ、こちらは何十人もいた宴会後のような散らかりようだった。
だが、土間に無数の足跡は見当たらない。
やはり、これはヌ……ご主人様がやらかしたことのようだ。
俺もやらかしてるかもしれないけど。
寝間と反対側の行く手には外に繋がる戸。昨日、ここに入ってきた所だ。
よし、そこまではちゃんと記憶がある。えらいぞ俺。
ほっと一息ついた時、自分の息の酒臭さに我ながら苦笑する。
あー。頭いってえ。
外の空気を吸おう。水も飲みたいし。
建て付けの悪い扉と格闘すること数分、俺は外に出た。
目の前につやつやと照り輝く二つの丘。
俺は一瞬固まった。
木漏れ日の下、光を受けて輝く張りのある胸元に、飛び散った水滴。
そのひとつが胸の谷間に流れ落ちていく。
思わず視線が滴の行方を追う。
「……やっと起きたか」
俺の目の前に立ちふさがったご主人様は、はだけた胸元を直そうともせずに、ただ一言そう言った。
「お、おはようございます」
唾を飲み込んでから、ご主人様に挨拶した。
というか、なんで俺の上着替わりのシャツを羽織ってたりするんですか。前留める気0だし。
「飲むか」
ご主人様がひしゃくを差し出す。その瞬間に、上から覗き込むような形で、ちらりと乳首が見えそうになる。
頭一つ分違う身長差に、そのはだけっぷりは、ヤバイ。
俺は会釈してこれ以上何も見ないように、ひしゃくを受け取り、水を飲み干す。
清水だろうか。甘い。
「いい飲みっぷりじゃの」
ご主人様は傍らの水瓶を叩いて、好きに飲むよう促した。
水瓶自体の大きさは、俺でもすっぽり入れそうな程の物だ。水は瓶の底の方に浅く溜まっていた。俺は無心で何度も汲み、一気に飲み干していく。
うまい。
「喉を潤したら、これを汲みに行くのじゃぞ」
ご主人様の何気ない一言に、手が止まる。
これを……これごと?
「どうした? もういいのか?」
そう言いながらご主人様はひしゃくを受取り、脇の物置へ置いた。
及び腰の俺の腕を捕らえ、引きずるように構えさせる。
「ほれ、腰を落として持ち上げてみろ」
やむなく、挑戦を試みた。
一応、持ち上がりはする。数センチぐらい。
胴回りが太すぎて、前が見えない。よろけながら数歩進み、揺れる水音に慎重に地面の上に下ろす。
顔を上げると、ご主人様は明らかに失望した顔をしていた。
「やはりゴボウじゃな……」
ご主人様が羽織っていたシャツを脱ぎながら言った。
何となく気にくわない言い方だが俺に言い返す言葉はなかった。
「仕方ない、使いに行ってこい」
ご主人様はシャツを投げてよこす。
「使いですか?」
受け取ってとりあえず着る。
……なんか、俺の匂いじゃない匂いがする。
「そうじゃ。この獣道をずっと下ったところに茶屋がある。たどり着く頃には店を開けてる頃合いだからの。ヌシの使いだと言え」
ご主人様の指す方向にはどう見ても薮しかなかった。
「あの、道は?」
今度は無言で突き飛ばされる。
茂みに突っ込む! と思ったが、抜けるとそこには確かに道があった。
「……いってきます」
俺は濡れた手で顔を拭いつつ、歩き始めた。
下り、といわれて、何度か登って下がって数十分。
ようやく、道が開けた。
途中の山あいでは、里の畑や、遥か彼方もちらりと見ることができた。
本当にただの、農村だ。
住民が耳と短い尻尾が生えてる人間ばかりじゃなければ。
大きな道も、舗装されていない。
わだちの跡が残っているので、何かしら通行はしているようだ。
木陰に、木造の建物が垣間見えた。
「あそこだな」
後少し、と足早に急ぐ。
平屋造りの茶屋は、もう店を開けていた。
縁台が道の端にいくつか出されて、のぼりが風にはためいている。
店先に人影はない。
「すみませ~ん!」
少し声を張り上げて呼ぶ。
手櫛で髪を整えながら、出てくるのを待った。
しばらくして、前掛けで手を拭きながら出てきたのは、もち肌のぽっちゃりとした少女だった。
こんな場所なのに色は抜けるように白く、薄化粧が可愛らしい。
くるりんと丸まった赤毛を後ろで束ね、茶色い瞳をこちらに向けている。
何よりも、着物に前掛け姿が愛らしかった。
ご主人様とは違い、やわらかそうな雰囲気である。
「何」
だが、出てきた声はつんけんしたものだった。胡散臭そうに俺を見上げる。
忘れてた。ここの人間は皆、警戒心が強いんだった……。
「あんた誰よ。ヒト?」
「ご主人様が、ヌシの使いと言えばわかると」
あー。このご主人様っての、何かの羞恥プレイなのか。
後頭部をぽりぽりかきながら答える。
「ああ」
少女が警戒の表情を緩めた。
「あんたが、里の連中が騒いでた落とし物ね」
落とし物?
「なんだよ、その言い草」
「じゃあ、落ちもの。これでいい?」
「だからなんだよ、それ」
「知らないの?」
じろじろと頭の天辺から爪先まで眺め回される。
長袖のシャツの下にTシャツ、泥だらけのズボンにベルトにスニーカー。
なんてことはない格好だ。
「どっからどう見ても、落ちものか、阿呆ネコ達の流行じゃない、あんたの格好」
猫?
猫は服着たりしないだろ。犬に服を着せたりするのは見るけど。
「ネコって言ったら落ちものかぶれに決まってるでしょ。キツネって言ったらお高くとまってるのと同じよ」
よくわからない。女の人の雰囲気かなんかか? それとも、あ。
少女の髪から例の如く、赤い産毛に包まれた耳がぴょこんと髪の間から覗いて……垂れていた。こいつ、耳の形、ほかの奴等とちょっと違うんだな。
「で、お使いの内容ってなんだ?」
俺は話題を変えた。
「知らないの?」
呆れたように少女はぽんぽんと言葉をぶつけてくる。
「ヌシ様のご要望といったら、お斎に決まってるじゃない」
少女はのぼりを指さす。
そこにはどう見ても、食事処であろう、どんぶりのマーク。
「今日は化生竹の頓珍漢のところからいい筍が入ったから、炊き込みご飯。あんた、包むの手伝ってよ」
タケノコご飯!
俺はこくこくと頷いた。
「やっと終わった……」
あつあつの炊き込みご飯を握る、葉で包む、縛ってカゴに放り込む。という一連の作業を、昼になるまで続けた俺はくたくたになっていた。
しかも、つまみ食い厳禁。
俺、朝飯食ってきてないんだけど……。
腹が鳴り続けた俺を気の毒に思ったのか、やっと少女は一つ食べていいと許可を出してくれた。
「いただきます」
縁台に座って葉を外して、握り飯を頬張る。
俺、かたく握りすぎたかも。
「この葉で包んであれば当分腐らないから、ってヌシ様にお伝えしておいて。ほっとくと全部1日で食べそうだから」
「ああ」
少女がでかい背負いカゴを持ってきて、握り飯の葉包みを投げ入れていく。
俺の手元には結局今食べた一つだけしか残らなかった。
それが終わると、少女は前掛けで手を拭って、俺の隣に腰掛けた。
俯くと後れ毛と白いうなじが見えた。
「あの……さ」
「何」
少女は山の方を眺めている。
涼しい風が吹く。
人通りはない。
少女も今日はひまそうだ。
「ここってさ。どこなんだろな」
「山の麓よ」
「じゃなくて。地名とか」
「目の前のは、塩の街道。このまま東南に歩いていくと、いくつか山を越えたところに海があるの」
「へえ」
俺は少女の視線とともに、左の方向へ目を向けた。
道は林の陰へと消えていく。
「御山は御山。あんたが降りてきたやつね。この辺の山は代替わりすれば名前が変わるから、みんな呼ばないけど」
山が、代替わりねえ。
「里は、あっち。ここは里外れもいいとこ。まあ、みんな散らばって暮らしてるから、めったに里の連中とは出くわさないわ」
俺はあのオバサン連中を思い出して首をすくめた。
「あんた、運が悪いわよ。最近盗賊が出るって噂だから自警団組んでたのに。捕まったのがこんなひょろ長いヒトだなんて、いい話の種」
「うるせえな」
昨日の今日で知れ渡っているとは、所詮狭いところなんだろう。
ふてくされて俺は片膝に頬杖を突いた。
「この辺じゃ落ちものは珍しいから、仕方ないんじゃない」
「なあ、さっきから言ってる落ちものってなんだ?」
少女は空を指す。
「あそこから落ちてくるもの、に決まってんでしょ」
「は?」
「里長に説明されなかった?」
(ここはおまえが元いた世界ではない)
ふいに耳にあの里長の冷静な声がよみがえる。
(帰る術もない)
「……認めねえ」
つい、声に出していた。
少女が真顔でこちらを見ている。
「あ、いや、その……」
気まずい雰囲気が流れる。
「ま、あたしには関係ないけどね」
少女が目をそらして空を見上げた。
「それにしても、男がいねえよな」
俺は誤魔化すようにぼやく。
少女は振り向いて、一瞬、何を言っているのかわからない、という表情をした。
それから、目を細めて小馬鹿にしたように笑う。
「イノシシの女と男は『冬』の間しか同衾しないからに決まってるじゃない」
ドウキンって、何だっけ。
俺は字が思い出せないままに、知ったかぶりをする。
「ああ、そうなんだ」
よく考えると説明になっていない気がする。
俺の顔に浮かんだ疑問符に気づいたのか、少女が補足説明をした。
「普通、里には女系しかいないもんなの。町は別だけどね」
町があるのか。
俺はそっちの方が気になった。
「さてと、仕事、仕事」
少女は立ち上がってのびをする。
俺はその後ろ姿を眺めた。
着物の尻から、ご主人様や里の連中とは何となく違う、垂れ下がった尻尾が存在を主張していた。
「あ」
俺の視線に気づいた少女がぱっと尻を隠して、前掛けの裾に尻尾を隠す。
その慌てた様子に俺は笑った。
「何よ」
きっと少女がにらみつけてくる。
「いや。……それ、なんか気にしてんの?」
他とちょっと違うっていうのは閉鎖的な場所では結構つらいだろう。
「別に」
少女は口をとがらせる。
「じゃ、聞かねえ」
俺は立ち上がった。
少女が拍子抜けしたように、俺を見上げる。
「じゃあな」
俺は手を振って、元来た道に体を向けた。
「待って」
呼び止める声に、ちょっと嬉しくなる。
「忘れ物」
振り向くと、少女は握り飯が大量に入った背負いカゴを指さしていた……。
俺はがくりと肩を落とした。
「遅かったな」
日も暮れかけたご主人様の家の土間で、俺はへばっていた。
カラス(多分)の鳴き声がうらめしい。
行きとは違い、肩に食い込む握り飯の重さが、高低差に堪えた。おそらく所要時間は行きの3倍をゆうに越える。
そんな俺の成果は、ご主人様の働きにより半分以下に減っていた。
ご主人様の口元は、見事に米粒だらけだ。
「腹減った……」
倒れ込んだまま、動けない。
「つまみ食いした割には燃費が悪いの」
それはご主人様です。
「1個しか食ってません」
ご主人様は、握り飯の包みを手に持ち、ひょいひょいと仕分けし始める。
その小さい方の山から、ころころと、葉包みのままの握り飯が転がってきた。
俺はそれをはしと受け止めると、最後の力を振り絞って、起き上がる。
「いただきます」
この言葉って、幸せへの第一歩って感じだな。
いつのまにか汲んできたのか、水瓶はなみなみと水が満たされ、俺は冷たい水とかための握り飯にありつくことが出来た。
板間に戻って、ごろんと横になる。敷布団の類いは、この家にはないらしい。
「……ご主人様?」
「なんだ」
共に横になりながら天井の木目を見つめる。
土間へ続く引き戸と、窓を開けてあるため、青い闇がぼんやりと体の輪郭ぐらいはわかる暗さの中。
「この夢、いつ覚めるんでしょうね」
「さあな」
ご主人様が起き上がって、足音が遠ざかる。
疲れ果てて、煎餅布団に潜り込む。
意識が泥のように溶けていく。
土間の引き戸が閉じられて、俺の1日は終わった。
夜明け前、目が覚める。
ご主人様はまたしてもいなかった。
がたついた戸を、昨日よりうまく開けると、朝靄が山を包んでいた。
少し肌寒く感じた。
水瓶まで行き、顔を軽く洗う。
昨日食べた物と、見た光景からするに、今は春だ。
だが、俺の世界は初夏だった。
季節のずれと、ふたつの月と、里長の言葉。
否が応でも受け入れなければいけない現実に、俺は、頭を振った。
小用を済ませた後に、辺りを散策してみる。
昨日は余裕がなかったが、ご主人様の家の周りは結構開けていた。
時折、幹に何かをこすりつけたように、木肌が無くなっている。大概、その近くにぬかるみがあった。
朝靄の向こうから、日が射してくる。
明るくなってきたので、俺は視界が悪いのを棚に上げて、気楽に歩いていた。
「危ないっ」
ご主人様の声が耳を打つ。
びくっと止まった瞬間、足下がずるりと崩れた。
滑っていく!
とっさに伸ばした腕を、力強くがっしりと捕まえた手があった。
そのまま身長190近い俺の体を引き上げていく。
「気をつけろ」
座り込んだご主人様が、完全に俺を引っぱり上げて、額の汗を手の甲でぬぐった。
「見ろ」
靄が晴れてくる。
俺達はちょうど崖っぷちにいた。
崖崩れの跡なのか、眼下には木が無く、山肌が露出していた。
高い。ここから落ちたらやばそうだ。
「この下が、ちょうどゴボウが落ちてきた祠辺りになる」
ご主人様が呟いた。
俺はその言葉にさらに目を凝らしてみたが、麓に無造作に生えた雑木林で、石碑らしきものは全く見えなかった。
「昨日こうなったんすか?」
「いや、違う。前からだ。地滑りは他にもある」
ご主人様は息を吐いた。
若干、酒臭い。
「…ご主人様、いつ寝たんです?」
「これから寝るところだ」
ご主人様は平然という。
「俺は、ひとりで寝てたんですか」
「寝入るまでは傍にいてやったぞ。それに儂の館に踏み入る愚か者はこの山にはいない」
言い切って、ご主人様は歩き出す。
警戒心が強いのが、ここの住人のやり方とはいえ、俺はなんだか釈然としない気分だった。
「こっちだ」
ご主人様の後についていくと、今度は開けた場所に出た。
そこだけ、段差を作ったように土地が平らだ。
「昨日の夜、一応腐っていた樹木をどけておいた。ここで、何か作れ」
「へ?」
よく見ると、林の中に、なんだか妙に大きな切り株とか、横倒しになった木などが埋もれている。
でもこれは何か機械でもないと、とても一晩で一人で片づけられる量じゃない。
空き地は雑草だらけだが、ところどころ穴や、くぼみが見受けられた。
そして、すべて同じ大きさの足跡も。
まさかな。
俺より小さい足跡を踏みつけながら、ご主人様を見やる。
「ゴボウは水瓶も運べず、飯を運んでくるのにもばてて、あまり役に立たん。だが畑仕事ぐらいなら出来るだろう。里長のところへ繋ぎをつけさせるから後で茶屋に行け」
「……はい」
ゴボウ呼ばわりがとても納得いかないが、俺は返事をした。
何もしないより、何かしていたほうが気が紛れる。
でも、あの家には農具なんてものはいっさいなかったぞ?
また持ってくるのか……。
どうやって連絡をつけたのか、俺が背負いカゴを背負って茶屋にたどり着くと、赤毛の少女が農具を揃えてくれていた。
「これ、さほど手入れをしなくても育つ種だから」
「ありがとう」
「でも、ヌシ様も変り者よね。御山の麓に、果樹をいっぱい植えていなさるのに。わざわざ御山に畑をつくれなんて言い出すなんて」
「そうなのか」
「そうよ。山の獣も、里の民も、飢えないように気を使ってくださる。この辺でも異色のヌシ様だわ」
「ヌシってどういうもんなんだ?」
「ヌシ様はいろいろよ。ああやって人のヌシは珍しいの。人じゃない主は化生って言われるけどね」
「人じゃない?」
俺から見れば十分、人じゃない成分が皆混じっているんだけどな。
「うん。それに大きいのよ、ヌシ様って普通。でもここのヌシ様はかなり小柄よね」
「まあ、俺より小さいしな」
「あんたなんか、ひょろ長いだけじゃない」
俺はむっとしたが、その時、誰かがこちらに来るのに気づいて、さっと物陰に隠れた。
笠を被った時代劇の町人っぽい姿の大きな人影が、目の前を通りすぎていく。
「いらっしゃい、饅頭はいかがかね」
少女の声が響いたが、旅人は立ち止まらず去っていったようだった。
「もういいわよ。……それにしてもなんで隠れてるのさ」
「だって、俺って目立つんだろ」
里長のところへ引っ立てられていったようなことはごめんだ。
「あれは、花しか興味ないわ。あたしにも、店にも一切興味ないもの。まあ、あたしらも町経由であれの品を買うんだけどね」
「あれって、なんだ?」
少女は俺の疑問に、舌を出した。
「ヌシ様のところへ帰ればわかるわよ」
今度の荷物はバランスがとりにくかった。
それでも昨日よりはやや早めにたどり着くと、ご主人様は土間で熱心に小さな壺に見入っていた。
「ただいま帰りました」
「ふむ」
「なんすか、それ」
「ああ、蜂飼いが置いていった捧げ物じゃ。この山で蜂を放すにはヌシへ参るのが通例でな」
さっきあいつが言ってたのって、これだろうか。
厳重に蓋のされた蜂蜜壺を、俺はしげしげと眺めた。
「案ずるな。あの畑の辺りには蜂は来ぬ」
「はあ。で、それ、食べないんですか?」
「これを食べるとな、しばし血迷うのでの」
「血迷う?」
酒にめっぽう強いご主人様が何に迷うというのだろう。
俺は疑問を持ったが、早々に耕してくるようにと追い立てられ、畑へと行った。
夕飯は、奇跡的に残っていたらしい葉包みの握り飯で。
俺は酒をあおるご主人様を見ながら、黙々と食べていた。
今日は蝋燭の明かりもあり、ご主人様のはだけた胸や、むっちりとした太股に照り返す。
ご主人様は俺のいない間に眠っていたらしく、元気そのものだった。
だが、なんとなく、昨夜より物憂げというか、酒のピッチが速い。
「ご主人様」
俺が近寄ると、ご主人様は邪険に手を振った。
「寄るでない。寝ろ」
俺は仕方なく、席を立つ。
「……おまえの匂いはどうも、あれでいかん」
つぶやきが、背後から聞こえた。
汗臭いのかな、と俺は思いつつ、床につく。
ご主人様が独り寝酒を嗜なむ姿が、蝋燭の明かりで浮かび上がるのを目にしたのを最後に、オレの意識は途絶えた。
蜂蜜の匂いで、目が覚める。
唇をまさぐる、何か柔らかいもの。
小鳥の声が遠くで聞こえる。
もう、朝か。
頭のどこかで思いながら、まぶたが開かない。
そのうちに、唇をまさぐる感触は、唇を割って、入り込んでくる。
歯列をなぞる快楽。
気持ち良くなってきて、思わずにやける。
軽く歯を開けると、舌を吸い出すように絡みつく、それ。
蜂蜜の味が、する。甘い唾液。
俺はほとんど反射的に自分から舌を突き出した。
驚いたように、唇が離れ、濡れた唇と唇の間に糸が引くのを感じた。
薄目を開けると、暗闇の中に光る眼。
「ヒトの匂いは、どうもいけない」
囁くような、ウィスパーボイス。
「酒の芳香にも、蜜の独特の匂いにも勝る」
首筋を舐められ、俺は否が応にも反応していく。
汗ばむ肌。間近から匂い立つご主人様の体臭。酒臭かったはずのそれは蜂蜜の匂いでかき消され、なんとも言えないにおいだ。水で洗ったのか、どこまでもいい匂いに感じる。
俺の臭いを嗅ぐご主人様の鼻筋がこそばゆい。風呂に入ったわけじゃない。ポケットに入ってたタオルハンカチを濡らして、体を拭っただけだ。それこそ、汗臭いどころの話じゃない。
だが、ご主人様は、俺の匂いをかぎ回る。
服を脱がせて、ベルトを外して。はだけられていく間も、俺は体の上で蠢くご主人様の刺激に耐えるだけだ。
なぜか、突き飛ばしてまで、抗おうと思えなかった。
部屋に酒の臭気が残っている。それが俺の理性を奪うのか。
こんな時、俺は、誰の名を呼べばいいのか。
ご主人様、じゃない。
彼女の名前を呼びたかった。
「あ……」
ベルトは外せたくせに、ズボンのボタンとチャックに手間取る彼女に、じれったくなって、その下の膨らみに手を誘導する。
「あ……」
ご主人様が身じろぎした。
「いいのか……?」
欲望を押し殺したような、ぎりぎりの理性の声。それがかすれ声となって、俺の欲情を煽る。
俺は黙って、その膨らみをなぞらせた。
ボタンを片手で外す。チャックを下ろす。
下着を彼女がもどかしげに押し下げる。
起き上がるそれを、彼女の手が包み込む。
それから先は、目がちかちかするようだった。
唇を濡らした、その舌が、その唇が、俺の先端も同じように愛撫する。口に含むことは躊躇ったようで、小鳥のついばみのような軽い愛撫が、幾度も、続く。
十分に濡らすように、根元から先端に向かって舐め上げる。
俺のがべとべとになった頃、彼女がまた顔を上げた。
「いい……か?」
「ぁぁ……」
俺は吐息をつく。
股間に蹲っていた影が、上半身を起こして、うっすらと浮かび上がる。
「いくぞ……」
手が、添えられた、と思った瞬間だった。
柔らかく締め上げる濡れた秘所に、俺のモノが収まっていく。
きつすぎるそれは、何度か俺の侵入をこばみ、押し出した。つるんと、彼女の秘所を俺の先端が撫で上げる。
「ぁ」
びくんと上半身が震えた。
おそるおそる彼女の手があてがうように、導く。
俺は、咄嗟に彼女の腰をつかむ。
重量感が加わって、最初のきつい輪をくぐりぬけ、カリが収まった。
彼女は苦痛の吐息を漏らす。
自重で、俺のモノが深々と収まっていく。
ぺたんと、俺の腹に彼女の太股が密着した。
彼女はおそるおそる、腰を動かし始める。
荒い息が聞こえ、俺はたまらず、下から突き上げた。
「くっ」
彼女の手が、俺の腕をつかんだ。
痛い程、きつく。
いや洒落にならない程、きつく。
「いてっ」
思わず声から漏れる。
「……大丈夫か?」
やや、冷静に戻った、気づかう声。
獣が舐めるように、肩口から服を剥き、繋がったまま舐め始める。
掴まれたあとから、上へ。脇へ。鎖骨へ。首へ。そして。唇へ。
俺達は貪りあった。
あのはだけた胸元から、思う存分揉みしだき、勃った乳首を吸い上げる。
摩擦の無くなった、熱いトロトロの内部へ、俺を突き込む。
押し殺していた声が、抑えない声になり、俺は、突然来た絞り上げるような中の収縮に堪えきれず、果てた。
外で小鳥が鳴いていた。
薄目を開けると、薄暗い部屋が目に入る。
天井の木目が、見つめ続けているうちに何かの模様に見えてきた。
瞬きをする。
背中が痛い。上だけに掛かってる布団は、どう考えても長さが足りない。下はどうも板敷きみたいだ。
むくりと起きる。
筋肉痛がある。でも、体が強張っていたのはそれだけの理由じゃない。
俺は辺りを見回して探す。
ご主人様は丸まって横で眠っていた。
ヒト編 弐(了)