ローゼンメイデンが教師だったら@Wiki 雨の日の悲劇

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  あのとき、雨さえ降り出さなけりゃ、こんなひでー話にはならんかったです……。
  翠星石は、後にそう述懐した。憔悴しきった表情でじっと虚空を見据え、口惜しさに声を震わせつつ。

   『雨の日の悲劇』

  それは、夏休みに入る少し前。とある午後のことだ。
  机の上でトントンと書類の束をそろえる翠星石。ほっとため息を吐く。本日のデスクワークは、これで終了だ。
  調理実習が含まれることもあって、家庭科の授業は、ほとんどが午前中に割り振られている。
  生物の授業も受け持っている雛苺と違い、午後は手が空くことが多い。それ故、翠星石は、学園の園芸植物の管理を一手に任されていた。
「さてと……昨日は、温室のほうを一通り済ませたから、今日は中庭の剪定をするですぅ」
  退屈なデスクワークから解放されて晴れ晴れとした彼女の表情が、しかし途端に曇る。
  空調の効いた室内にいたから、気づかなかった。窓の外を忌々しげに見下ろす。地面が濡れていた。いつの間にか、雨が降り出していたのだ。
「くっそ~っ、当てにならない天気予報ですっ」
  こうなると、いよいよ手持ち無沙汰になった。翠星石は、背伸びをして辺りを見回す。が、今はまだ授業時間の最中だ。職員室には、彼女以外一人も残っていなかった。
  無理に仕事を探すつもりはないし、その必要もなかった。与えられた職務さえキチンとこなしていれば、空き時間には何をしてもいいのが、有栖学園の伝統的な気風だ。
  翠星石は、気晴らしの相手を求めたのだ。これさえ終われば、趣味でもある園芸に没頭できる。その一心で、退屈な作業に従事した。書類の束と格闘した。天気予報が外れたうっぷんを、誰かにぶつけずにはいられなかった。
  隣接する校長室を覗く。校長は、椅子の背もたれを倒して、すうすうと寝息を立てていた。ウサギの姿はない。机の上に満載だった書類の山は、跡形もなく片づけられている。どうやら、曲がりなりにも仕事を終わらせたらしい。
  翠星石は、無言で油性マジックを取り出した。


  多少は溜飲が下がった。が、退屈しのぎには程遠かった。翠星石は、やれやれと肩をすくめる。
「仕方がねーです。みんなが戻ってくるまで、テレビでも見て、時間を潰してるですか……」
  応接室へと向かった。そこには、来客用という名目の元、46インチの薄型テレビが設置されているのだ。中には先客がいた。
  ドアを開けると、聞き覚えのある重低音が鳴り響く。ズ……ズンッ。不安を煽る旋律。翠星石は、思わず後ずさった。
「ななな……お前、何見てやがるですかーーっ!?」
「……これ? お昼のロードショー……」
  雪華綺晶は、振り返りもせずに、そう答えた。映像に見入っている。傍らのダンボール箱から、手探りで、南部煎餅のパッケージを取り出した。例によって、箱ごと購入したのだろう。
  袋を開封した。ぱりぱりぱりぱり。二十枚入りのお徳用パッケージが、見る見る空になっていく。
  足元には、2リットル入りのペットボトルが五本。こちらは、すでに半分が空だ。応接室の小ぢんまりとしたゴミ箱は、とっくに空き袋であふれている。
  空き時間は、屋外で過ごすことが多い彼女も、雨の日ばかりは別なようだ。いや、それにしては準備が周到のような……。
  映画は、スティーブン・スピルバーグのジョーズ。巨大なホオジロザメが人間を襲う、パニック・アクションの傑作だ。
「なななな……何か他にもっと楽しげなチャンネルは、やってねーんですか?」
「……ない。これがいい……」
  画面から一時も目を離さず、答える。取りつく島もないとは、正にこのことだった。翠星石は、かくんと頭を垂れた。そもそも雪華綺晶は、ワイドショーや昼メロの類には、全く興味を示さない。それに、後から来た翠星石がチャンネル権を主張すること自体、筋違いもはなはだしかった。 
  翠星石は、しばし逡巡したのち、雪華綺晶の隣にちょこんと腰を下ろす。応接室のソファーにお尻を沈める。
「…………?」
「ななななな何ですかっ、お前のお菓子が邪魔だから、ここしか座るところがねーんですよっ。何か文句でもあるですかっ?」
「……ない……」
  賢明なる諸氏ならご存知と思うが、翠星石は怖がりだ。この手の映画を、大の苦手としている。が、それにも増して、退屈を疎んだ。
  幸いにして、『ジョーズ』は初見ではない。以前、雛苺の家に泊めてもらったときに見たことがあった。そのときも、確かこんな状況だったか。
  ズ……ズンッ。画面に、サメの体の一部が姿を現す。翠星石は、「ひっ」と息を呑んで、身を縮ませた。
  ズンズンズンズンズンズンズンズン……。サメが、何も知らない観光客に襲いかかった。翠星石は、体をわなわなと震わせながら、雪華綺晶の二の腕にひしとしがみついた。


  巨大なサメが、ついにその全貌を現す。大きい。全長十メートルは、優に超えているだろう。
  雪華綺晶は、手に汗を握った。目を、子供のようにきらきらと輝かせた。ふっとこんなことを口走った。
「……大きなサメ、とても大きなサメ……一匹で、フカヒレ、おなか一杯食べられる……」
「はあ?」
  ボケにはツッコミを返さずにはいれらない。翠星石の悪い癖だ。
  不用意な言葉がどのような結果をもたらすかもよく考えずに、ついつい口を滑らせてしまう。
  しかし、このときの彼女に節度を求めるのは、いささか酷というものだ。例え一時でも、恐怖を紛らわせたかったのだから。
「お前、何言ってるですかーっ、あれは撮影用の作りもんですよっ。人間が、中から機械で動かしてるですぅ。実際には、あんなでっけーサメ、世界中のどこを探したって、見つかるわけねーじゃないですかっ」
「……………………えっ……?」

  夢。
  それは、彼女の夢。
  ……そっか。叶うといいね……。……ううん、お姉ちゃんなら、きっと叶えられるよ……。
  幼い頃から温めてきた、大切な夢。たった一人の妹との、大切な思い出。
  幾多の戦場を潜り抜けてきた彼女の、心のよりどころのひとかけら。

  ……いつか、きっと……あの、大きなサメを捕まえて……。


「……………………えっ……?」
  雪華綺晶の注意が、初めて画面から逸れた。翠星石をまじまじと見つめ返した。
「……世界中の、どこを探しても、見つけられない……?」
  翠星石は、盛大に噴き出した。
「おっ、お前、まさか……実在するとでも思ってたですかぁ? ……こいつは傑作ですぅ、にわかには信じられねーですっ。いるわけねーじゃないですか。チビ苺の話によると、現実のホオジロザメは、どんなに大きくなっても七メートルがいいところだとか。映画の中の作りごとを真に受けるなんて、きらきしょーは本当にお子ちゃまですぅ」
  一気にまくし立てた。けらけらと、おなかを抱えて笑った。
「……えっ、ええっ……? …………えっ…………?」
  雪華綺晶のまなざしが揺れた。瞳が焦点を失う。
  テレビの音が、翠星石の笑い声が、どこか遠くから聞こえた。
  彼女の中で、何かが音を立てて崩れていく。心の中が、ぽっかりとうつろになった。

  重苦しい沈黙が圧しかかってきた。翠星石は、はっと我に返った。冷や汗が、どっとにじみ出す。
  ももも、もしかして、翠星石は、自分から死亡フラグを立てちまったんじゃ……。
  恐る恐る雪華綺晶の様子をうかがう。
  気抜けしたような彼女の表情が一転して歪んだかと思うと、その目頭から大粒の涙がぽろぽろとあふれ出した。
「……ぐずっ、ぐずっ……」
  むせぶ。そして、堰を切ったように。
「……ぐずっ……フカヒレ……ぐずっ、ぐずっ……フカヒレ…………ふええええええ~~~~んっ……」
  おんおんと泣き崩れた。マイペースで肝のすわった彼女は、もう影も形もなかった。
  どれほど過酷な戦場に送り込まれようと悔し涙一つ見せなかった彼女が、今は幼子のように泣き散らしている。
  これには、さすがの翠星石も色を失った。
「どどどどっ、どうしたですかっ……どうしたですかっ?」
  慌ててテレビのボリュームを下げた。子供をあやすように、訳を尋ねてみると。
「……ううっ、ぐずっ……フカヒレ食べたい……ぐずっ、フカヒレ……食べたい……」
「だあああああっ、何でそうなるですかーーーーっ!?」


「これは一体何の騒ぎなのだわっ!?」
  応接室のドアが、勢いよく開け放たれた。騒ぎを聞きつけて、真紅たちが部屋になだれ込んでくる。どうやら授業は終わったらしい。終了のチャイムが鳴ったのにも気づかなかった。
「あああ、真紅っ、よかったですぅ。聞いてくれですよ、実は雪華綺晶が……」
  と、一同がぴたりと凍りつく。ぐずぐずと涙に暮れる雪華綺晶。おろおろとうろたえるばかりの翠星石。
  何が起きたかは、一目瞭然だった。
「翠星石……きみ、雪華綺晶に何をしたんだい?」
「翠星石っ、酷いのっ、あんまりなのーーっ!!」
「何をしたのかはわからないけど、キチンと謝るべきなのだわ」
「雪華綺晶……ぐずっ、可哀相なのかしら……」
「あらあら、あなたも意外にやるのねぇ……一体どんな手を使ったのぉ?」
「…………お姉ちゃんを、泣かせた…………!」
  薔薇水晶は、目に涙を浮かべつつも、きっと翠星石をにらみつけてくる。
「あうう……そ、その、だからですねぇ……」
「あらぁ、まだ言い逃れするつもりぃ? 見苦しいわよぉ……」
  じりじりと追いつめられていく翠星石。日頃の行いが、ここまで端的に物を言うとは。最早、どんな弁明も通用する空気ではなかった。
「……ええいっ、もうこうなったら、破れかぶれですぅ!!」
  翠星石は、がっしと雪華綺晶の両肩をつかんだ。
「雪華綺晶っ、フカヒレなら、この翠星石がおごってやるですから、とっとと泣きやむですぅ!」
「……うっ、ぐずっ……フカヒレ…………おなか一杯、食べられる……?」
「おっ、おなか一杯……ですかぁ?」
  翠星石が思わず絶句すると、雪華綺晶は、また声を上げて泣いた。
  どんどん険悪になる雰囲気。翠星石の背後からにらみつける、十二の鋭い眼光。
「……わかった、わかったですから……おなか一杯ですねっ!? ええっ、この翠星石が食べさせてやるですよっ……」
  翠星石は折れた。がっくりと肩を落とした。十万? 二十万? 雪華綺晶の底なしの胃袋のことを考えると、翠星石は暗たんたる気分で一杯になった。
「……よかったね、お姉ちゃん……」
「……ぐずっ……………………うん……」
  泣き腫らした顔に、ようやく笑みが戻ってきた。妹以外の誰も見たことがない、屈託のない無垢な笑顔だった。


「何だかよくわからないけれど……たまには中華もいいわね」
「わーーーーいっ、翠星石のおごりなのーーっ!!」
「ちょーーーーっと待つですッ!! 誰がお前らの分までおごると言ったですかッ!? 一緒に来るなら、お前らは自腹で支払えですッ!!」
  魂の叫び。翠星石の苦悩など露構わず、雛苺と金糸雀がブーイングを飛ばす。
  と、そこへ。眠い目をこすりながら、校長が顔を出した。
「ふわわあああっ……一体何の騒ぎだい? 何だか楽しそうな気配だけど……」
  途端に噴き出す一同。
「えっ、何? 何がどうしたの?」
  校長だけが、訳がわからない。その頬には、油性マジックの黒でぐるぐる渦巻きが。上唇の上にはカイゼル髭が。そして、額にはこう締めくくられていた。
『水銀燈参上!!』
  こっそり応接室から抜け出そうとした翠星石の頭が、むんずと鷲づかみにされる。
「あなたって子は……本当、懲りないわねぇ……」
「ななななな何のことだか、翠星石はさっぱりわかんねえですが、お代官様……」
  水銀燈の口元が歪んだ。タイミングよく、外で稲光が走った。

  結局、水銀燈の鶴の一声で、翠星石は居合わせた全員分の夕食をおごる羽目になった。わずかな蓄えまで使い果たした彼女が、給料日までの二週間を、実習用の食材をちょろまかしたり、蒼星石や雛苺にたかったりしたのは、また別の話である。

  しかし、教訓は活かされることなく。
「……あのカニの抜け殻、とても大きい……捕まえられたら、一杯で、おなか一杯食べられる……」
「ええっ!? くすくす……あなた、何を言っているのぉ? お莫迦さんねぇ……。あれは、客寄せのための作り物よぉ。あんな大きなカニ、実在するわけないじゃなぁい……」
「……………………えっ……?」
  悲劇は、繰り返される。