猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

続虎の威13

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続・虎の威 13

 

 潮の香りがしていた。
 遺跡の街でもずっとかいでいた香りだ。もうすっかりと慣れてしまったこの香りに、今更別段感慨を覚えたりはしない。
 ただどうしてか今、千宏は強く潮の香りを感じていた。慣れきったはずの海の臭いが、どうして今はこんなにも強く香るのか――。
 人動く気配がし、ぼんやりと目を開ける。
 ここはどこだろうか。鼻の辺りが妙に傷む。
「……ハンス?」
「目が覚めたか」
 呼び声に答え、千宏の顔を覗き込む影があった。だがその顔は、見慣れたイヌの物では無い。
 頭から突き出た二つの目。虫の脚のように蠢く口と、ヒゲのように伸びる触角。
「ひ――」
 千宏は喉の奥を引きつらせ、瞳が零れ落ちんばかりに目を見開いた。
「ぎゃぁああぁ! うぎゃぁあぁ!」
 絶叫して飛あがり、千宏は寝かされていたソファの背を乗り越えて文字通り床に転がり落ちた。
 それから、
「ってうわぁああぁ! あたしとした事がつい不意を突かれて素の反応をぉおおぉ! 失礼しましたなんてイケメンなシャコの
殿方! 起き抜けにあんまりインパクトの強い美顔があったので思わず照れて逃げ出しちゃった! 凛々しい触覚ですね! あ、
体の模様が渋かっこいいって言われません!?」
「いい」
 突き放すように言われた静かな一言に、千宏はぎくりとして言葉を飲み込んだ。
「叫ばれるのには慣れてる。――それだけ口が回るなら大丈夫だろう。ウチのネコがすまなかったな」
 言って、巨大なシャコの男はのそりと千宏に背を向ける。
 その背中に浮かぶ模様は、黒と黄色のトラ模様であった。千宏が客として相手をした、鮮やかな色彩のシャコとは随分と印象が異なる。
 体格もふたまわり程大きいようで、小さなドアから窮屈そうに出て行く姿も、模様と同様にどこかトラを彷彿とさせた。
 そうして、シャコ男と入れ替わるようにハンスが部屋に入ってくる。千宏はへなへなと脱力し、再びソファの背を乗り越えて
ぐったりと横たわった。
「大丈夫か……?」
「そう見える?」
 心配そうに訊ねたハンスを、千宏は責めるような目で睨む。
「ていうか、なんか後頭部すごい痛い。ぶつけたのこれ? すごいコブになってる」
「氷をもらってきた」
 言って、ハンスが袋入りの氷を差し出す。千宏はありがたくそれを受け取り、後頭部にそっと当てて顔を顰めた。
「それで……なにか聞けた?」
「ああ……カブラ達ならすでに依頼に来たそうだ」
 千宏はぱっと顔を上げる。
「じゃ、連絡先とか――」
「だが、依頼はまだ成立してない」
 千宏は目を瞬く。
「だって……依頼にきたんでしょ?」
 ああ、とハンスは頷き、頭にへばりついているベアトラを引き剥がす。それをぽいと部屋の隅へと投げ捨て、ハンスは改めて
千宏を見た。
「カアシュに合うサイズの、トラのハンター用の義足がないんだそうだ」
 言われていることの意味がよくわからず、千宏は目を瞬く。
「……じゃ、作れば良いんじゃないの……?」
 単純に聞き返すと、ハンスは難しげに首をかしげた。
「それが、そういうわけにもいかないらしい」
「なんでよ? だって――」
「その辺は私が説明するにゃー」
 いつの間に入ってきたのか、二人の会話に女の声が割って入った。
 千宏が驚いて振り返ると、千宏と同程度の背丈のネコが盆にジュース入りのグラスを載せて立っている。油まみれの青いツナギを
着ており、毛並みは銀と言うより白である。
 千宏は目を瞬いた。
 毛並みがあるのだ。だと言うのに、声は確かに女性のものだ。なによりも、ツナギの下で苦しげに自己主張する乳房が確かにある。
 千宏も知識でだけは知っていた。こういう生き物の事を、たしか――。
「……ケダマ……?」
 言ってしまってから、千宏はそれが一般的にはあまり好ましくない容姿であるとされいることに気が付いた。
「あ、ごめんなさい! あたし、無神経で……!」
 慌てて言い繕おうとした千宏に、ケダマのネコは気にした風もなく笑いかける。
「ケダマを見るのは初めてかにゃ? さっきは本当にもうしわけなかったにゃー。私はこの天才的義肢装具店ニャトリの社長、ミーネ。
見てのとおり天才にゃ!」
「いや、見たところでそんなんわかんないけど……」
「ならば貴様の目は節穴にゃぁあぁあぁ!」
 かっと目を見開いて、ミーネと名乗ったネコが千宏を睨む。そのついでにジュース入りのグラスを渡され、千宏はやや後方に仰け反り
ながらそれを受け取った。
「ではそんな節穴ちゃんなお客様に分かりやすく説明するとだにゃ、ハンター用の義肢は特別に頑丈にする必要があるから、材料費が
すごーくかかるにゃ。特にトラなんかは身体能力抜群だから、それに合わせると大変なことになるわけにゃね。その分加工費を安く
抑えようとすると、まず雛形を作っておく必要があるにゃよ。特にウチはカキシャと取引があるから、トラのお客様が多いにゃ。雛形
作っておいても全く余らなくって商売繁盛ウハウハにゃ」
「はあ……なる程」
「トラの標準的な体型より大き目の雛形を作っておいて、それを削って個人に合わせると言うのが主流なんだけどにゃ。あのカアシュって
いうプリティートラ男の場合は小さすぎて、雛形がそもそも使い物にならないにゃ。削りを大きくすると機構のズレも大きくなるし、
そもそも手間を考えると最初から作った方がいい。だからつって一からサイズをあわせて作るには、倍以上の費用がかかるにゃー」
「費用って……具体的にどれくらい?」
「ハンターの使用に最低限耐えうるだけの義足でも、五百セパタはかかるにゃあ。魔法処理を加えると更に二百セパタくらい。もとの
通りに走ったりするためには機構が複雑で軽くて丈夫な義足が必要で、そのためには最低でも二千セパタは必要にゃー」
「にせ……二千セパタ!?」
 思わず叫び返す千宏である。
 カブラ達の貯蓄がどの程度あるかわからないが、生活や装備品の保持を考えれば、出せてせいぜい千セパタ程度だろう。
「それじゃ……カブラたちは……」
「その話に激怒して、他の職人を探すと飛び出していったらしい」
 ハンスが静かに答え、千宏は頭を抱えた。
「一応止めてはみたんだけどにゃー。完全に頭に血が上って話を聞く気ゼロだったにゃ」
 目に浮かぶようである。
 金額の問題も、確かに多少はあったのだろう。だが何よりも、標準よりも小柄だと言うだけでこうも扱いが変わることに、カブラは
激怒したに違いない。
 だがそれでは、せっかくカキシャが話をつけてくれたのに何の意味もないではないか。トラがネコの国でまともな職人を探すのが
難しいから、カキシャのような仲介業者が存在していると言うのに。
「まあ、正しい選択だったのかもしれないにゃあ。あの様子だと、チビトラさんはどーしてもハンターを続けたいはずにゃ。でもあの
三人がウチで作れるのはせいぜい『走って跳べちゃう永久保証の簡易義足六号』くらいのものだろうし、だったらどこか別の店で、
かなり質は落ちるけどそれなりに安くて使える義足を買った方がお利口と言えなくもないにゃー」
「そんな……!」
「いい物を作るにはお金がかかる。自然とお値段もお高めになるにゃ。手が出せないビンボー人は、分相応の粗悪品を買うしかない。
これは仕方のないことにゃ」
 結局ジュースを全て飲み干して、ミーネは一人満足そうに頷いてみせる。
 千宏は言い返す事ができなかった。
「……ローンって制度は、ないわけ?」
「あるにはあるけどにゃあ、そもそもハンターなんていつ死ぬか分かららない職業の人間に、そんな大型のローン危なくて組ませ
られないにゃ」
 それも確かにそうである。千宏は眉を潜めて沈黙し、がりがりと髪を掻き乱した。
 思い出すのはカキシャの話だ。あの能天気な三人組に、悪徳商人を見分けられるわけがない。だとすると最悪、カアシュは義足を
手に入れられないばかりか、義肢の材料と成り果てる可能性だってあるのだ。
 金を出してやるだけならば、簡単にできる。手元には千セパタ程度しかないが、この町で仕事をすれば、もう千セパタ程度を稼ぐ
ことは容易い。
 問題は、どうやってそれをあの三人に受け取らせるかだ。
「にゃー。何かふかーく思い悩んでるにゃあ」
 ミーネの呟きをきっかけに、千宏は勢いよく立ち上がった。
「ねえ、この辺りで他に義肢職人を当たろうとしたら、普通はまず何処にいく?」
 訊ねると、ミーネはいかにも嫌そうに顔を顰めて歯を向いた。
「そりゃ、猫井義肢装具店にゃ。職人の誇りもクソもない、腐った商人のたまり場にゃ!」
 何がそんなに気に食わないのか、ミーネは地団駄さえ踏んで猫井義肢装具店とやらを口汚く罵っている。義肢装具店にかかわらず、
そもそも『猫井』という企業自体が嫌いらしい。
「言っておくがにゃ! うちは猫井の半分の値段で倍以上のすんばらしー代物をお客様にご提供できるにゃ! 天才である私が設計した
義肢を! 生きた精密機械のシャコが加工し! そしてイヌが魔法処理! それらをうちでは全てこの店の中だけでやってるにゃ! 
温かみのあるホームメイドにゃ! 管理の目も行き届きすぎて品質は常時最高にゃ! それだというのに猫井なんかで作るのは真性の
アホのやることにゃ!!」
 喋っているうちに段々と熱が入り、ミーネの尻尾の毛が逆立って倍ほどに膨れ上がっている。服に隠れて見えないが、恐らく背中の
毛も激しく逆立っているに違いない。
 体毛がなければ上気して真っ赤になっているのが分かるだろう程に興奮し、ミーネは今や完全に怒鳴り散らしていた。
 このまま無視して部屋を出て行ける雰囲気ではなく千宏が立ち往生していると、静かにドアが開いて先ほどのシャコが入ってくる。
 そして。
「うるさい」
 遥か上空とも言える位置から、目にも留まらぬ速度で拳をミーネの頭に振り下ろした。
 ミーネは目を見開いてあんぐりと口を開け、白目を向いたままぐらりと床に倒れ付す。特に抱きとめようともせずにミーネを床に
転がし、シャコはやれやれと溜息を吐いた。
「すまんな。猫井のことになると熱くなるんだ」
まあライバル意識だな、とシャコは言い、すぐに部屋を出て行こうとする。
その背中を、千宏は慌てて呼び止めた。
「あの、ちょっと聞きたいんだけど……」
 怪訝そうに振り返り、シャコが身振りで話を促す。
「小柄なトラが、考えうる限り一番いい義足をつけようと思ったら、いくらかかる?」
「――あの、小さいトラか」
 千宏は頷く。シャコは小さく首を振った。
「元の脚と同等以上の義足を求めるなら、三千は覚悟しておく必要がある。この国は物価が高い。材料を揃えるのも、猫井が買占めに
かかっているから苦労する。出来る事なら、俺も無償で作ってやりたいところだが――」
「ただじゃ慈善事業は出来ない」
 また、ドアの方から新しく声が上がる。
 千宏が振り向くと、そこには少年からようやく青年になったばかりだろう、整った顔立ちの男が立っていた。
 男であるはずなのに、歳の頃と顔立ちのよさがよくわかる。彼は魔業ことなくマダラであった。そしておそらく、ハンスと同じイヌだろう。
「うちの社長の口癖。社長は絶対に妥協しないんだ。最高の材料で、最高の技術で、最高の品質の物を作りたがる。そして、何より
絶対に損をしたがらない」
 だから、と続けて、イヌのマダラは灰色の瞳で千宏を見た。
「うちの品物は高いよ。だけど必ず値段に釣り合う物を提供する。それで気に入らなければ何度でも作り直す。断言できるよ。
この街でうち以上の義肢を作れる店は存在しない」
 淡々とした口調の中に、おごりでは無い自信が滲み出ていた。
 だが、ここはネコの国だ。彼等は単なる口の上手い詐欺集団で、実はカキシャさえも騙されているのかもしれない。
 それでも千宏は、この三人それぞれに好感を持っていた。どうせ誰もが信用ならない国ならば、少しでも好感を持つ人々に託したい
と千宏は思う。
「――三千か」
 それで、カアシュの脚が戻るのならば。
「行こうハンス」
 頷き、ハンスは千宏に従って歩き出す。
 部屋を出る寸前、千宏はシャコとイヌと、それから床で伸びているミーネに振り向いた。
「近いうちに、また来る。だけどもし、あんた達の言葉がはったりで、カアシュにまともな義足が作れなかったら――」
 千宏は笑った。半分冗談、半分本気で、トラの国ではよく聞く脅し文句を口にする。
「全力で殺すよ。あんたたち全員。どんな手を使ってでも」
 シャコは僅かに頷き、イヌもどこか自慢げに笑う。ミーネの寝言だかなんだかよく分からない呻き声に微笑んで、千宏はニャトリを
後にした。

 二人が出て行った応接間で、シャコは肩を竦めて天井を仰いだ。
「全力で殺すか。まったく――トラはいつもああだな」
「いや、あれトラじゃないよ」
 しみじみと呟いたシャコに対して何気ない調子でイヌは言い、店を出た二人の客の後ろ姿を窓から覗き込む。
「臭いがオスのトラと、側にいたイヌの移り香だけだった。トラのメスの臭いがしないし、そもそも魔力の欠片も感じない。あの耳、
つけ耳じゃなかった?」
 ああ、と答えて、シャコは首をかしげる。
 確かに、耳は間違いなくつけ耳だった。できはすこぶる良かったが、シャコの目で見れば骨格まではっきりと分かるのだ。
 骨格と言えば確かに、トラというには少々やわな印象を受けた気もする。だが、だからといってトラではないと断定するのは、
少々乱暴ではないか。
「事故かなんかで耳ちぎれたんじゃないか? 集音機能付きの耳なんて、別に珍しくもないだろう。魔力だって、隠そうと思えば
いくらでも隠せる。そもそもトラじゃなかったら、一体何の種族だっていうんだ」
呆れたと言うふうに、イヌは小さく溜息を吐く。
「……いいけどさ。君も社長も、本当に自分の興味あること以外には何一つ気付かないんだね……」
 そしてふと、何かに気付いたように動きを止め、イヌは肩を竦めてカーテンを引いた。
「どうした」
「連れのイヌの方に凄い目で睨まれた。命が惜しいから僕は口を閉じるよ」
「お前の言う事は、時々ミーネ以上にさっぱりわからん」
 釈然としない様子で言ったシャコを、イヌはバカにしたように笑う。
「君ってわりとバカだよね」
 言った瞬間、頭に強烈な拳骨が振ってきて、イヌは叫び声と共に頭を押さえてしゃがみ込み、股に尻尾を挟んで悶絶した。
 
***

 奇怪な建造物から脱出し、波止場へと道を戻りる途中、突如恐ろしい形相で建物の方を振り返ったハンスに千宏はぎょっとして
立ち止まった。
「……どうしたの?」
「――さすがに、少し無理が出てきたらしい」
「はえ?」
「イヌの方にバレてる」
「え? うそ! なんで!?」
 慌ててつけ耳を確認するが、装着したまま髪も洗える最高級品質のつけ耳は、今もちゃんと付いている。ほんのりと暖かく、自分で
触っても本物のように感じるほどだ。
 だが、見た目の問題ではないとハンスは静かに首を振る。
「あんたは臭いが薄すぎるんだ。カブラたちと一緒にいれば誤魔化せただろうが、あいつらと離れてる以上、その臭いの薄さじゃトラを
名乗って歩けない」
「臭い……って……」
「それと、魔法使いは相手の魔力を感じられる。ネコの基準からしたらトラの魔力なんぞ微々たる物だからあまり気にはされないだろうが、
神経質な種族ならすぐに違和感に気付くだろう」
「え……えぇー……?」
 臭いはまだ何とか出来そうな気がするが、魔力となると流石に千宏にはどうにも出来ない。
「じゃ、どうすりゃいいわけよ。なんか、ヒトの防犯グッズ的なのにいいものないわけ?」
「あるだろうが……そんな物つけてたら、自分はヒトだと宣伝して歩いてるような物だろう。見えなければ問題ないだろうが、
詳しい人間に見られたら即座にばれる」
「なにその防犯グッズ! 無意味の境地じゃん!」
「防犯とはそういう物だ。どんな防犯をしているのか分からないから、犯罪者は警戒して手を出せない。どこにどんなカギがあり、
どんな仕掛けがあるか外から丸見えじゃ、破ってくれと言っているような物だ。どう足掻いても突破できない障害で敵を門前払いに
するんじゃなければ、防犯グッズは存在すら知られない事が理想的なんだ」
 妙に饒舌に力説するハンスだが、目が完全に犯罪者である。
「そもそも、世の中に出回ってる偽装用の商品は、ほんの短時間周囲の目を誤魔化せればそれでいいんだ。家から店までの往復だとか、
飼い主同伴の旅行だとかな。あんたみたいな特殊なケース、どの企業も念頭においちゃいない」
「そりゃまあ……そうだけどさ……」
 それでも付け耳は今の所、ちゃんと効果を発揮している。他に何か役にたつものがあるのでは無いかと、期待してしまうのは仕方がない。
「じゃ、どうすりゃいいのよ……」
「あくまでトラを装うなら、大量のアクセサリーに魔法アイテムを紛れ込ませて周囲の目を誤魔化すのが一番簡単だろうな」
 一瞬、千宏は市場で惜しげもなく肌を露出して歩いていたトラ女たちを思い出した。
 そして、げんなりとして肩を落とす。あれは、背が高くて腰のきゅっと締まった、豊満な肉体のトラ女だから似合うのだ。日本人の
標準体型にどこまでも準じる千宏がやっても、物悲しい雰囲気に包まれるだけである。
「で、臭いは香水……?」
 引きつった表情で千宏が訊くと、ハンスは機会のようにこくりと頷く。
「でも、隣で香水の臭いぷんぷんさせてたら、イヌのあんたには辛いんじゃない?」
「堪える」
 それが仕事だ、とキッパリとハンスが答える。初めてハンスを護衛らしいと感じた千宏であった。
「ま……その辺はなんとかするよ。アクセサリーね……」
 フードとローブで完全防備した上からアクセサリーをゴテゴテと載せるとなると、ゲームやアニメでおなじみの占いババアのような
ことになりそうだが、この際贅沢は言っていられない。
「とにかく、トゥルムと落ち合う前に猫井ってとこ探して、それから仕事場のめぼしをつけとこう。そのついでにアクセサリーとか
見て……魔法がうんぬんってのはあたしには全然わかんないから、そハンスが選んだよね」
 言って、千宏は海沿いを歩き出す。
 ネコの国で、トラであると言う事。よくよく考えてみれば、随分と難儀な話だ。
 いっそネコに鞍替えしようか。それとも、ハンスにあわせてイヌになろうか。そんな事を考えて、千宏はいやいやと首を振る。
 カアシュがハンターであることを誇りとするのと同じくらいに、千宏にとってはトラであるということが、何より大切な誇りなのだ。

***

 果たして。
 ニャトリからの帰り道、多くの人々でごった返す船着場のはずれに、その男は立っていた。
 松葉杖で体重を支え、海面を覗き込むようにして、陸のギリギリに立っている。誰かがうっかり肩をぶつけでもしたら、そのまま
海に落ちてしまいそうだった。
 否。そもそも。
そんな事をしなくても、今にも海におっこちてしまいそうで――。
「早まらないでぇえぇえ!」
 叫んで、千宏はカアシュに思い切り飛び掛っていた。その表紙に松葉杖がずるりと滑り、片足のカアシュは踏ん張る事が出来ずに
よろける。
 愕然と目を見開き、カアシュは一言、
「チヒロ――!?」
 と叫んだだけで、大きな水しぶきを立てて海へ落ちた。むろん、千宏共々である。
 唖然として顎を落とし、立ち尽くしたハンスの耳に、口々に叫ぶ声が上がる。
「おおい、身投げだ!」
「違う! 殺しだ!」
「落ち着け、とにかく浮き輪もってこい!」
「おおい、シャコかサカナいないのか! ネコは水が嫌いなんだよ!」
「おいそこのイヌの兄さん! あんた泳ぐの得意だろうイヌなんだから!」
 肩を掴まれてようやく、ハンスは我に返って駆け出した。
「ち、チヒロ!」
 慌てて波止場のふちにひざまずき、二人の姿を海面に探す。すると水中から一本の腕が突き出し、力強く陸を掴んだ。
 ついで、カアシュの顔が現れ、最後に千宏が苦しげに顔を出す。
「がは! おぼれる! 水! から! 海水!」
 言葉の羅列を連発しながら激しく咳き込んではいるが、千宏はどうやら無事らしい。だが安堵したのもつかの間、千宏はかっと
目を見開き、一番の被害者かつ命の恩人であるカアシュを容赦なく殴りつけた。
「バカ! バカじゃないの! ほんとバカ! なんだよ脚がなくなったくらいで! 死ぬことなんてないじゃないか! 義足だって
あるんだから! またハンターできるんだから!」
「お、おい! おい待てよチヒロ……!」
「なのになんで死のうとなんてするんだよかっこ悪い! みっともない! 自殺するやつなんてトラの風上にも置けないんだ! カブラ
だってブルックだって、アンタのために頑張ってるんじゃんよ! あたしだって、あたしだってほんとに――すごい心配して……!」
「待てっておい! 落ち着け! っていうかまてまて、なんでお前がここにいるんだ! しかも俺死のうとなんかしてねぇし!」
「だって思いつめた表情で海なんか見てたじゃない!」
「泳いでる魚が美味そうだなーって見てただけだってーの!」
 そこで、大きな波が一つ起こり、二人の頭に冷や水をぶっ掛ける。波が引くと二人は頭を振って水気を飛ばし、そして同時に盛大な
クシャミをした。
「とりあえず、上がらないか」
 そう、上から声をかけたのはハンスである。
 千宏とカアシュは頷き合うと、ハンスの手を借りてびしょ濡れの体を海水から引き上げた。

 そうして、道行く猫の好意による魔法ですっかりと乾燥された千宏とカアシュは、とりあえず落ち着こうというハンスの助言に
従って手近な料理店に滑りこんだ。
「……で、だ」
 注文した料理を待つ間、切り出したのはカアシュである。
「カブラ達にはぶかれて……そんで腹が立って追いかけてきたのか……?」
 身も蓋もない言い方だが、全くの事実である。千宏は何かもう少しマシな言い方は無いかと少しだけ考えて、結局諦めて頷いた。
「まあ、そうね……」
 カアシュが盛大に溜息を吐き、テーブルに肘を着いて額を押さえる。その態度に、千宏はすこぶる不満であった。
「もっとさあ、嬉しそうにできないのかなぁ。無力でか弱い女の子が、友情に熱く追いかけてきてくれたんだよ?」
「ネコの国だぞ……チヒロ。トラの国とは違うんだ!」
 千宏は両手を挙げて天井を仰いだ。
「その手の言葉はあたしの隣で座ってる誰かさんから散々聞いた。危険なのはもう十分承知してるよ! 大体、あんた達だって人の
こと言えないじゃない。早速問題起こしてさ、折角カキシャが話をつけてくれたのに!」
 言い返すと、カアシュは驚いたように耳を立てる。
「どうして知ってるんだ」
「さっきニャトリに行ってきたから」
 にわかにカアシュの表情が曇る。肩を落として深々と溜息を吐き、カアシュは苦笑いのような表情を浮かべた。
「そりゃ……みっともねぇ話、聞かれちまったなぁ……」
「みっともないって……」
「チビにはまともな義足も無いってよ」
「カアシュ!」
 卑屈な言葉に思わず声を荒げると、カアシュはますます落ち込んだ様子で視線を逸らす。
 千宏はなにか居心地の悪いものを感じて、イライラと指をかじった。
「あのさ……その話なんだけど……他の業者を探してるんだって?」
「ああ……カブラとブルックがな。けど、どこもうまく行かなくてよ」
「ねえ、やっぱりあそこで作りなよ。ニャトリでさ」
 カアシュは少し困ったように千宏を見る。
「話、聞いてきたんだろ? 無理だよ。俺達じゃとても手がでねぇ。俺たちはバカだからよ、こういう時に備えて何も用意してなかったんだ」
「大丈夫だよ! あたしがいる。足りない分、あたしがなんとかするから! だから――」
「やめろよ」
 珍しく、カアシュが鋭い声を出した。ぎくりとして千宏が黙ると、カアシュは気まずいというより、不快そうに視線を逸らす。
「……惨めになる……だろ」
「……でも……でもだって……絶対に、あそこで作った方がいいよ。他のトラの義足だって沢山作ってるんだって、カキシャ言ってたもの。
品質は絶対だって! じゃあさ、貸すだけならいいでしょ? あたしがお金を貸すから、それで義足作って、またハンターやって、それ
で返してくれれば――」
「やめろって言ってるだろ!」
 怒鳴って、カアシュはテーブルを殴りつけた。
 周囲のネコ達がちらとこちらの視線を投げ、再び自分達の談笑に興じる。千宏は青ざめて唇を噛み、カアシュに睨まれて凍り付いていた。
「……俺は。チヒロが好きだ。今も友達だって思ってる」
「じゃあ……だったら……!」
「だから! だから……俺の誇りを踏みにじらないでくれ」
「そんな……! あたしはただ……ただカアシュが……!」
 心配なだけなのに、と怒鳴ろうとして、しかし千宏は口を閉ざさざるをえなかった。
 黙れと。これ以上は何も聞きたくないと、あんなにも陽気に千宏と接してくれたカアシュの目が言っている。それが酷く悲しくて、
千宏は膝の上で拳を握り締めた。
「……お前はさ、何もかも捨てて、全部捨てて、何のためかは知らねぇけどさ、金を稼ぎに来たんだろ? すげぇと思うよ。俺は
チヒロを応援したい。なのに自分のつまんねぇヘマでさ、チヒロが体を張って溜めた金にあっさり頼るなんて、あんまりみっともない
じゃねぇか」
 分かっている。自分の問題ならば、誰の手も借りず、自分で解決しなければトラの誇りが許さない。少なくとも打つ手がなくなる
まで、どこまでも足掻いてからで無ければ救いを求めるなんて考えもしない。
それが、トラという種族だ。
千宏は全て分かっている。だからこそ自分もここにこうしているのだから、理解できないふりなどできはしない。
 だけど最後は。本当に自分の力じゃどうしようもなくなった時は、トラは素直に全てを諦めるか、そうでなければ仲間を頼る。
 一つの答を期待して、千宏はカアシュに質問を投げかけた。
「……もし。もし本当に、義足を作るのにさ、どうしてもお金が足りなかったら……」
 頼ってくれる? と訊ねる前に、カアシュは笑った。
「そしたら――潔く諦めるさ」
 一瞬、千宏は無意識に呼吸が止まるのを意識した。
 違う。期待していた答えは――そっちじゃない。
「そうだなぁ。ダメだったらハンター用の診療所で、医者でもやってみようかな。俺、一応医学やってるしさ。何度も世話になってるし……」
 椅子が倒れる程乱暴に、千宏は勢いよく立ち上がってカアシュの話を遮った。
 料理を運んできたネコの店員が、ぎょっとして千宏を見る。
「あ、そう」
 それだけ言って、千宏は大きく息を吸う。
 辛うじて涙は堪えた。だが、声が震えるのまでは押さえられそうも無い。千宏は考えうる限りで一番性格の悪い笑顔を浮かべ、
カアシュを思い切り見下ろした。
「なんだよ。友達って――結局口だけなんじゃない。あんただってあたしのこと仲間だなんて、友達だなんて、これっぽっちも思って
ないんじゃない」
 さっとカアシュが表情をかえ、慌てたように腰を浮かせる。
「違う、そうじゃない! そういう意味じゃないんだ、俺はただ――」
「何が違うんだよ! あたしに頼るくらいだったら、ハンターやめた方がマシだって、そういうことでしょう? あんたにとって何より
大事な、がむしゃらになってしがみ付いてきたハンターって仕事をやめることになったって、あたしに頼るのは御免なわけだ! あたし
がトラじゃないから。あたしが奴隷だから! あたしがヒトだから!」
「チヒロ! よせ!」
 叫んだハンスを振り払い、千宏は拳をテーブルに打ち付ける。
 先に裏切ったのは自分の方だ。ならば自業自得なのかもしれない。だがそれでも悔しくて、悔しくて仕方がなかった。
「そうだよね。あんただって誇り高いトラだもんね。誇りを踏みにじって悪かったよ。あたしみたいな下等な存在が、あんたを助けたいって、
友達だって、頼られたいって、そう思うこと自体がおこがましいって話だよね。たかが性奴隷の分際でさ!」
 叫んで、千宏は店を飛び出した。その後を、ハンスが慌てて追いかける。
 カアシュも追いかけようと立ち上がり、しかし片足では上手く行かずバランスを崩して転倒した。
 見苦しく床に倒れ付し、カアシュは拳を握り締める。
「くそッ……!」
 忌々しげに罵って、カアシュは乱暴に床を殴りつけた。

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