Q106

    
Q.AIRヴォーカル曲、歌詞の意味がよくわからない。



A.【推測】

青空
晴子に対して告げる、観鈴の別れの言葉。

Farewell Song(別れを告げる歌)
AIR編の登場人物に当てはめて考えることができる。

PC版ではほぼ全てのエンドで流れていたため「僕ら」が誰かというのを考えるのは無理だったが、DC版からはDREAM編で歌詞が流れなくなった。これは、Farewell Songの歌詞がAIR編にのみ対応するということを製作者側が示唆していると受け取っていいだろう。

では「別れを告げ」て、全てを置いていくのは誰か。これは無論「さようなら」と告げた少年だ。繰り返しに囚われていた過去の自分たちに対して別れを告げ、新しい道を二人で歩いていく。彼こそ、まさにFarewell Songの主役としてふさわしい。

「新しい歌、口ずさんでる」のもラストの少年だ。

ただ、PC版ではDREAM編のエンディングテーマとしても使われていた以上、三人のヒロイン誰にでもあてはまるよう曖昧に書かれていることを考慮する必要はあるだろう。

鳥の詩
AIR編における、少年の心象風景を通して物語のテーマを歌っているようだ。

「まだ飛べない鳥」はそらのことだから、この歌詞はどうやらAIR編の流れに沿っていると推測できる。しかも、「まだ飛べない」という言葉は、「いずれは飛び立つ」ことを知っているからこそ出てくる。そらが飛べるようになるのを知っているのは少年だけだ。

「鳥」はそら、「子供たち」はラストの少年と少女。「素足」というのは、過去のしがらみや呪いから解放されていることを暗喩していると思われる。

「飛行機」は翼人(ORNITHOPTER=直訳では羽ばたき飛行機、ギリシャ語の語源では鳥の翼で「翼人」を指す、というダブルミーニングから類推)。「飛行機雲」は、翼人が残していくもの、つまり翼人の記憶。それを目指しているのは往人と観鈴だが、「僕たち」も往人と観鈴と言っていいかどうか。ここで「飛行機雲」とあるのは単なる比喩か、実際の光景に何かを重ね見ているのか、ということだ。AIR編のラストで海岸線という単なる景色に、翼人たちの「無限」の繰り返しを重ね見ていたのを思い出して欲しい。ここでは、少年たちが現実に、本物の飛行機雲を追いかけていて、そこに過去の自分たち(往人やそらだった頃の記憶)を重ね見ているのだと解釈したい。

加えて「僕」という一人称を使うのはそらと少年だけだ。往人ではない。

「指を離す」のはDREAM編、手を離さないのはAIR編。または、7月30日にいったん見捨てた往人が、7月31日に戻ってきて再び手をつないだことを指しているのかもしれない。

「風車の羽根たち」は翼人、または観鈴を含む「空にいる少女」。

「線路」は「どこまでも続く」ことから、ラストの「海岸線」のメタファー。

AIR編エンディングのFarewellsongがDREAM編7/17の「さようなら」をつぶやいた時の少年の歌で、
DREAM編オープニングの鳥の詩が実はAIR編の少年を歌っていた、という構造を見出すのも面白い。

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