猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

蒼拳のオラトリア 第一話

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匿名ユーザー

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 つまらない諍いが元で、高校の水泳部を出奔して一ヶ月。
 俺はまだ泳ぎ続けていた。

 前から自主練をしていたスポーツクラブに通い、気の入らないストロークで泳ぐ。部への復帰を
考えてるわけじゃない。小中高と水泳に打ち込んできたから、もはや習慣というか惰性だった。
 あのくだらない水泳部に戻らなくても水泳ができる場所なんていくらでもある。大学に進学後、
そこのサークルで水泳をするのもいいだろう。…だけど、自分の中で何かが揺らいでしまった気が
する。
 短い人生のほぼ半分を費やしてきた水泳に対して、俺は自分の態度を明確にできないでいた。
 そんな俺の迷いがなにかを呼び寄せたのか。
 いつものようにくすぶった気分のスポーツクラブの帰り道、おれは。

 その世界に落ちた。



  蒼拳のオラトリア 第一話「泳ぎたいからっす」



 落下。
 着水。

「がぼっ!?」
 突然真っ暗な水中に放り出され、上下の感覚を失った。
 マンホールに落ちた? 違う、口に侵入するこれは海水だ。俺の住んでいる町と海とはかなりの
隔たりがあるはずだ。道路の下に海水? あり得ない。そんなことより息が、水面はどっちだ!
 上下がわからない、息が続かない。

 落ち着け!

 まず力を抜け、浮力のはたらく方が水面だ。水泳にかけてきた俺が溺れ死ぬなんて間抜け過ぎる。
 落ち着け、リラックスだ。酸素を無駄にするな。水面を見つけて、それから全力で…!
 …唐突にぐいっと引っ張られる感覚、ざばあっと水上に顔が出た。不可解。
 関係ない、酸素だ!
「ぐえほっ! げほっげほっ!」
 飲んでしまった海水をえづきながら吐き出し、俺は潮の匂いに満ちた空気を思う存分貪った。
 た、たすかった…。ていうか落ち着いたら足がつく深さじゃないかここ。うわ、はずかし…。
 なんとか人心地つくと、俺の体を掴み上げたものの存在にようやく思い至った。一言礼を言おう
と思って振り返り、俺は硬直した。
 女の子、なんだと思う。月明かりに浮かぶ華奢なシルエットの胸元は、控えめながらもたしかな
膨らみを主張していたし、着ているのは女性用の競泳水着のようだった。ただ、その顔は水泳用の
ゴーグルではなく、映画の特殊部隊がしてる暗視ゴーグルのような奇怪な仮面で半分隠されていた。
 さらにその腕。浮力が利いていたとはいえそれなりの体重があるはずの俺を掴み上げた力強さと
到底結びつかない細腕は、いびつな西洋の篭手のようなものでかためられていた。
「え、ええっと…」
 あまりに異様な風体だったので「そうだ、お礼言わなきゃ」と思い出すまで少々時間がかかった。
「…ありがとう、助かりました」
「…はい」
 かぼそい声で一言だけの返礼。異様な恰好だが、声はかわいい印象。
 しかし…これはどこから突っ込んだらいいものやら。いや、そもそも…。

 俺はあらためて周囲を見渡した。
 つい先ほどまで歩いていたはずの街路はどこにもなく、荒涼とした砂浜と大海原が、月明かりに
照らされてどこまでも広がっていた。
 ふと、月明かりが明るすぎることに気付いた俺は空を仰いだ。
 夜空にはついぞ見たことないほど沢山の星と、煌煌と光る満月。そして、天頂に座す満月を追い
かけるように水平線すれすれに浮かぶ、半月。
 …いや待て。
 俺は潮風でしぱしぱする目をこすり、もう一度空を見る。満月と、半月。どうみても月が二つ。
 何ぞこれ。

 俺が茫然と立ち尽くしていると、さっきの女の子が何かを持って歩いてきた。
「これ、あなたの…?」
 あ、俺のバッグ。溺れかけたときに放り出して忘れてたらしい。
「あ、ああ。ありが…」
 とう、と言って受け取ろうとすると、彼女はすいっとスルーして歩き出してしまった。
「え、ちょっとどこに!?」
「家」
「は?」
「私の家…帰るの」
 はあ、そうですか…じゃなくてっ。
「ここどこだよ! あんた一体何者だ! なんで月が二つあるんだ! あとバッグ返せ!」
 矢継ぎ早に質問をぶつけると、彼女はひたと足を止めてこちらを振り向いた。
「…オラトリア」
「は?」
「私の名前。友達はトリアって呼ぶ」
「はあ…」
「…あとは、家に帰ってから」
 ここでの説明は終わったというように、オラトリア…トリア?…さんはまた歩き出した。
 どうやらついていかざるを得ないようだった。

 トリアさんの家は、砂浜から少し離れた崖下の片隅に隠れるように建っていた。
 濡れた服を乾かしたり、海水でべたべたする体を拭いたり暖かい飲み物をいただいたりといった
一連の作業を終えると、自分もゆったりとした服装に着替えたトリアさんは火のそばに俺を誘い、
先ほどの疑問に答えてくれた。
「ここは、あなたのいた世界とは違う世界…あなたはここに、落ちてきた」
「いや、いきなり異世界とか…まあ、月が二つあるんだから地球じゃなさそうだけど」
「ここに暮らす人間は、あなたたちとは少し姿形が違う…たとえば、これ…」
 そういって、トリアさんが横髪をかきあげた。あ、耳のあるべきところに、なんかヒレみたいな
ものが…あとよく見ると前髪のあたりでつんつん撥ねてるのって、もしかして触角?
「この腕も別に防具をつけているわけじゃない…こういう腕なの」
 まだら模様の篭手によろわれた腕を触らせてもらう。うわあ、たしかに甲殻類のようなキチン質。
ほんのり体温を感じるし留め金みたいなものも見当たらない。ほんとにこういう腕なんだ…。
「な、なんかザリガニみたいだな…」
 思わず口をついて出た言葉に、トリアさんの眉と触角がぴくりと動いた。あ、しまった失言か。
「シャコ」
 …は?
「私たちはシャコ…エビやカニよりも旧き血族、らしい」
「らしいって…」
「…血筋がどうとかはえらい人の都合でころころ変わるから、あてにならない」
「はあ」
 疲れたような仕種でため息とかついてるし…なんだかわからんが聞いちゃいけない雰囲気だな。
 しかしシャコですか、ううむ。詳しくはしらないけど、エビっぽくて寿司ネタなんかになってる
あれだよな。そういえば前にシャコの爪は珍味だとかなんとか…なんかお腹空いてきた、ごくり。
「…? …お茶のおかわり、欲しいの?」
「あっ、いえ、はい! …いただきます」
 カップを持つトリアさんの手に注いでいた視線を慌てて逸らしなんとかごまかす。いかんいかん、
カニバリズムは良くない。
「朝になって港に行けば、もっと色んな”人達”がいる……でも」
 不意にトリアさんが口篭もる。仮面で表情は読めないが、彼女は少し深刻そうな声音で続けた。
「他の人達に見つかれば、あなたは捕まって売られてしまうかもしれない」
 …なんですと?


 トリアさんの家で一泊して翌朝。
 俺は砂浜で海を見ていた。昨夜聞かされた、この世界での俺の境遇というものを吟味する時間が
欲しかったのだ。

『獣の相を持たないあなたがたヒトは、本来この世界には存在しないもの。でも、今回のあなたの
ように時折世界の隙間からこちらにこぼれ落ちてくるヒトがいる』
『ヒトは私たちより力が弱く、魔力も持たない。この世界でのあなた方は、人語を解する希少動物
という程度の扱いでしかない』

『ヒトが元の世界に帰る方法は、見つかっていない』

 知らず、砂浜に拳を振り下ろしていた。
 降って湧いた理不尽だ。まったくもって理不尽。
 ここに落ちてきたのはいわば事故で、帰る方法もない。納得しろっていうのか、それを。
 ついでに俺は、この世界では高額で取引される珍獣だから、人さらいに捕まる危険があるだと?
 ムチャクチャだ、理解できない。
 …いや、逆に考えれば。
 たとえばトリアさんのような生物がある日突然俺たちの世界に降って湧いたとしたら、科学者と
呼ばれる連中は彼女に何をするだろうか?
 多分、想像するのもおぞましいことになるだろう。ヒトっていうのは同族に残酷だが、同族以外
に対してはそれに輪をかけて残酷だ。
 そのことを考えると、トリアさんの説明にも一応の理屈が通っている気がする。
 で、ならば俺はこんなふざけた世界でどうするのか。

 帰る方法はない。
 研究すればあるのかもしれないが、俺が生きてるうちに見つかる可能性は低いらしい。
 異世界もののお約束、宿命づけられた使命なんてのもどうやらないらしい。事故だから。
 見事なまでにお先真っ暗だった。
「んんーーー!! …っと」
 砂浜に大の字になって空の広さを堪能しててもしょうがないが、現状他にできることがなかった。

 …本当にない?

 ふと、潮風が鼻をくすぐった。
 体を起こすと、目の前にはどこまでも広がる海。朝日に輝く、無限のプール。
 なんだ、やることならあるじゃないか。すぐ目の前に。

 バッグから引っ張り出した水着に着替え、入念にストレッチして筋を伸ばしている俺のところに、
朝食を終えたトリアさんがふらふらとやってきた。どうやら朝は苦手らしい。
「なに、してるの…?」
「水泳の準備っす」
「水泳って」
「泳ぐんですよ、海で」
「…なんのために?」
「泳ぎたいからっす」
 仮面で表情はよくつかめないが、なんとなく理解しがたいといった雰囲気でこちらを見てるので、
俺はトリアさんに振り返った。
「俺、向こうではずっと泳ぎの練習してたんですよ。泳げる場所があれば泳ぐ、これまでの人生の
半分くらいはそうやって過ごしてきたんです」
 きょとんとしているトリアさんに、満面の笑顔で告げる。
「こんな綺麗な海を前にして、泳がない手はないってことっすよ!」
 そう、この世界に来て最初に気に入ったことがある。
 ここの浜はとても綺麗だ。ところどころに流木は流れついてても、釣り客が投げ捨てたごみやら、
わけのわからんハングル文字の入った浮きやらが転がっていない。しかも遠浅の入り江になってる
せいか、波が穏やかで透明度も高い。
 俺はどうやら、泳ぐにはうってつけの場所に落ちたらしい! 日頃の行いに感謝するほかない。

「うおぉぉぉぉりゃあああぁぁぁぁぁっ!!」
 波打ち際に向かって突貫するや、大きめの波にめがけて一気に飛び込んだ。全身を波が洗う感覚、
ゴーグルごしに広がる薄青い風景。俺はクロールでひとしきり堪能すると、ざばっと立ち上がった。
「うひゃあ、気持ちいいーっ!」
 岸を振り向くと、トリアさんがまだぼうっとそこに立っていた。
「トリアさんもどうっすかー!?」
「…え、遠慮しとく」
 そういってぷいっと顔をそらされた。んー、まあいっつも泳いでるんだろうしな。
 と、一泳ぎして頭がすっきりしたせいか、大事なことをまだ言ってないことを思い出した。
「すんません、まだ俺の名前とか言ってませんでしたよね」
「あ、うん…忘れたのかと思ってた」
 トリアさんは名乗ってるのに、失礼なことをしたものだ。
「すんません、なんか色々めまぐるしい展開だったんで…。ミナミ、岩原 南(いわはら みなみ)
って言います」
「ミナミ…」
「どのくらいお世話になるかまだわかんないっすけど、よろしくお願いしまっす!」
「うん…よろしく、ミナミ」
 とりあえずの儀礼的にトリアさんと握手する。
 甲殻でできた手はごつごつしていたけれど、たしかなぬくもりがあるような気がした。


(つづく…というか続け)

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