【忘れない、初めての恋心―雪華綺晶―】
「あは、ふたりきりだね」
「……う」
ジュンは、言葉につまった。何も言えない。雪華綺晶から、ふたりきりだね、なんて言われて、平静で居られるわけがなかった。
顔が熱かった。きっと真っ赤に染まっている。だからどうしても、恥ずかしさで雪華綺晶の顔を見れなかった。
もちろん、そんなジュンの心の中を雪華綺晶はわかっていたから。だから、何も言わず、微笑んで、ジュンの隣に座った。
「ば、薔薇水晶は、どうしてる?」
「やっと喋ったと思ったら、他の女の子の話題?」
「う。ごめん」
「あは、うそうそ。まあ、そんなに緊張してくれるなんて、嬉しいし」
実は、二人が再会してから二人きりになるのは、薔薇水晶が雪華綺晶を認め、逃げた時だけだった。それ以降、三人は三人だったから、“ふたりきり”というのは、なかったのだ。
「薔薇水晶は、不貞寝してるよ。やっぱり、嫌なのかな」
「多分嫌だと思うよ。僕が言うのも、なんだけどさ」
「ん。……そうだね。私も、すごい嫌。ジュンが私じゃない誰かに微笑んで、私じゃない誰かを抱きしめて、私じゃない誰かに、キス、する……っ」
「雪華綺晶? ――え?」
ジュンは、その時時間を忘れた。心が衝撃を受ける。問答無用。それは、反則なんじゃないか、っていつも思ってることを、今もやっぱり思う。
「何で、そんな、泣いてるんだよ」
だって、雪華綺晶は、涙を流していたから。それは、今、この時にどうしようもなく不似合いで。
「だ、って……っ。嫌なこと想像しちゃって、ジュンが、私から、離れて、ど、どっか、遠くに……ぅ」
「あー……」
そうだよな。それしかない。っていうか、この状況で、これ以外、どんな選択肢があるんだよ。
「雪華綺晶」
「ぅ……ジュン?」
戸惑う雪華綺晶を、ジュンは抱きしめた。子供をあやすように、優しく。自分は此処に居るのだと、わかるように。
「泣かないでよ。雪華綺晶が泣くと、実は言ってなかったけど、死にそうにつらいんだ」
「何で?」
「そりゃあ、雪華綺晶が大切だからに決まってるじゃないか」
「薔薇水晶が泣くのと、どっちがつらい?」
「……それ、聞くことじゃないと思うけどなぁ」
「ん、ごめん」
そして、雪華綺晶もジュンの背中に手を回す。幾度と交わした抱擁。でも、初めて二人で交わした抱擁は、どこか、違うような気がした。
「……あのさ、雪華綺晶、これ、薔薇水晶には内緒な?」
「?」
「えっと、その、どっちがつらいか、って質問の答えだけどさ、」
「うん」
「多分、雪華綺晶が泣く方が、つらい」
「何で?」
「それは、……うん、きっと、雪華綺晶が、初恋の人だから」
今でも、ジュンは鮮やかなビジョンを描ける。初めて会った日。真白としか表現できない少女。本当に、何もない、ただ、綺麗だと感じた少女。
「初恋の人だと、つらい?」
「うん。嫌だな。雪華綺晶の笑顔が好きっていうのもあるけど、僕の、幻想みたいな感じ」
最初に声をかけたのは、雪華綺晶が泣いていたから。だから、自然に声をかけた。泣いてほしくない。悲しんで、ほしくなかった。
「だから、僕は雪華綺晶が幸せになれるなら――“えがお”で、居てくれるのなら、どんなことでも、するよ」
それは、誓いだった。遠い初恋の日に、感じ、そして今もジュンの胸の中に息づく大切な想い。
だから――
「う、わぁ、」
だから、雪華綺晶は、顔を真っ赤にして、言葉を失うしか、なかった。
「雪華綺晶?」
「わ、ちょ、待って、……い、今顔見ないでぇ!」
「えっと……、何で?」
「ジュ、ジュンがそんなこと言うのが悪いのぉっ。無理、無理だって。うわーんっ。せっかくふたりきりなのにぃ。恥ずかしくて顔見られないぃ」
まるで、駄々っ子みたいだった。いや、いつもそうだけど、なんてジュンは思ったりもしたが、それでも、やっぱりいつもと違う。
そもそも、雪華綺晶が恥ずかしがるということがなかった。いつもは、ジュンが赤面させられてるのだから。
だから、ジュンは幸せに違いなかった。こんなにも、照れてる雪華綺晶を見れて。こんなにも、自分の言葉で幸せそうに顔を隠す、雪華綺晶に想ってもらえて。
「――ね、雪華綺晶」
「え、や、……んっ!?」
雪華綺晶は、やっぱりずるい。初恋の少女は、もっと神秘的だったのに。なのに、その神秘的な少女は、自分の言葉で、かわいい少女に変わってしまっている。
愛しい。その言葉しか想えない。ただただ愛しい。雪華綺晶の身体に触れたい、雪華綺晶の甘い声を聞きたい。雪華綺晶を、感じたい――。
「……ん」
――だから、ジュンは自然にキスをした。キスをすれば、顔が見れるかな、と思ったから。
まあ、結果的に言えば、ジュンも瞳を閉じてしまったから、見ることは叶わなかったわけだけど。
でも。
「ん、……ジュン」
「もう、大丈夫?」
「大好き」
「ん」
雪華綺晶は何も言わず、今度は自分から、ジュンにキスをした。二人は、溶けてしまうんじゃないか、なんて思うほど、幸せを感じた。
∽
「ねえ、ジュン」
「うん」
二人は、寄り添っていた。雪華綺晶がジュンの肩に頭を乗せて、ジュンが雪華綺晶の腰に手を回して。お互いを、一番近くに感じあっていた。
「……私も、初恋はジュンだよ」
「知ってる」
「ずっと、ずっと、本当に、ずーーーーーっと、好きだったよ」
「知ってるよ」
「ジュンが居なければ、きっと私、笑うことも知らなかったと思うんだぁ……。そう思うと、不安に飲み込まれそうになることも、ある」
「それも、知ってたよ」
「だけど、そんなとき、ジュンは必ず私のそばに居てくれる。私の隣に居てくれる」
「当たり前」
「あは、ねえ、ジュン」
「私は、ジュンのために生きてる。ジュンがしてほしいこと、何でもしてあげる。ジュンが望むなら、何でもできるよ。ジュンは怒るかもしれないけど、そうなの」
「……ん」
「あの高い塔から見える空に、私はずっと祈ってた。ジュンが、幸せであるように。また、私に微笑みかけてくれるように」
「ああ」
「幸せを教えてくれた、そして幸せを与えてくれるジュン。ねえ、わたしの大好きな人」
「何?」
「私のこと、幸せにしてくれる?」
「――幸せに、するよ」
「絶対?」
「うん。絶対」
「ずっと?」
「いつまでも、永遠に」
「ん、ジュンの言うこと、信じるよ」
「……ごめん」
「いいよ。これも、きっと必要なことだと思うから。それより、きっとジュンの方がつらいでしょう?」
「どっちが、とかはわからないけど……、うん。多分、つらいと思う」
「なら、許すよ。ジュンが、初恋の大好きな人がつらい想いをしているのに許せないほど、器量の狭い女じゃないから、ね」
「あはは。だって、僕の初恋の人だもんな」
「そうだよ。ジュンの初恋の人なんだから。……あー、すっごく幸せだったのに、もうそろそろ、おしまいかぁ。
――っていうことで。ジュンさんジュンさん。ここで一つ、私から提案があるわけですよ」
「ん?」
「最後に、一回ヤらない?」
「ここまでの穏やかな流れが台無しだっ!?」
そんな風に慌てるジュンを見て、雪華綺晶は、笑った。とても、とても、目の前の現実が、信じられないくらい、自分の胸を満たすから。
だから、今、雪華綺晶は想うのだ。ずっと、ずっと、ジュンと、薔薇水晶と共に居て、感じ続けてきたこと。
「ねえ、ジュン。――私、幸せ」
「……くっそ、このタイミングで言うの、ずるいだろ」
「ジュンは?」
「僕だって、めちゃくちゃ幸せだ、バカ」
「あ、帰ってきたのかしらー。っていうわけで、早速インタビュー」
「ん、何でも聞いてー」
「えっと、ジュンは、最初から最後までどきどきしっぱなしだったんだけど、何したのかしら?」
「えへ、ジュン、どきどきしてくれたんだぁ」
ああ、ダメだ。雪華綺晶を見た、皆が思った。こんな幸せそうな笑顔を見れば、何があったかなんて、聞くまでもない。
「……その、雪華綺晶?」
「えへ、えへへ」
「あ、何か個人的にこの空気に耐えられないから、解説席、よろしくかしらー!?」
「えへへへへへへ」
――結局雪華綺晶は、これから水銀燈の番が始まるまで、ずっとにやけっぱなしだった。
∽
ジュン争奪戦、第二回戦、水銀燈。へ