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フラヒヤ山脈、洞穴南西部。
水銀燈の手により撃ち込まれた毒は、この場で立ち往生していた双子の足に重い枷をかけていた。
「翠星石――そろそろ『ホットドリンク』を」
蒼星石は返事が来ないと知りながらも、己の双子の姉に言葉を投げかける。
蒼星石は、静かに『ホットドリンク』の蓋を開けた。
ここで意識が混濁しそうになるのと戦いながら、すでにおよそ8時間が経過している。
フラヒヤ山脈に訪れた夜明けと共に、この洞穴の上部から朝日が降り注ぎ始めてから、およそ3時間といったところか。
イャンクックを狩った際の祝儀として買った、ぜんまい式の懐中時計を見ずとも、およその判断はつく。
このフラヒヤ山脈が存在する大陸北部では、季節により昼と夜の時間が極端に変化するが、
幸い今の時期は春分に近く、夜明けの時間は午前6時と見て間違いはあるまい。
すなわち、現在は午前9時前後。
蒼星石は『ホットドリンク』を口に含む。
その苦味と辛味が舌を刺激するのをこらえながら、蒼星石は傍らに倒れる姉に近寄る。
『ゲネポスキャップ』に守られた翠星石のたおやかなうなじに、蒼星石の『ランポスアーム』が回る。
蒼星石は翠星石の食道を確保したのを確信して、そっと彼女と唇を重ね合わせた。
蒼星石は徐々に、口に含んだ『ホットドリンク』を流し込む。
翠星石がむせたりしないよう気をつけながらの、『ホットドリンク』の口移し。
『ホットドリンク』を全て翠星石に与えたのち、蒼星石は実姉の唇を、ほんの気持ちだけ拭い去った。
続いて、自身も『ホットドリンク』を服用する。
薬を飲んですぐに、体が芯から温まるのを感じ取り、蒼星石は人心地ついた。
相変わらず、体が重い。
『毒投げナイフ』を食らった右手首では、相変わらずしくしくと気色の悪い痛みがわだかまっていたが、
毒素それ自体は自身の生命力で何とか抑えきれたようだ。
あとは休息さえ十分とれば、失われた体力は戻ってくるだろう。
(けれども……)
蒼星石は、浅く苦しげな息を辛うじて行う翠星石を見て、それからすぐに痛々しげに目を反らす。
蒼星石と違い、元からフルフルの一撃を受けていた翠星石は、『毒投げナイフ』を引き抜く間もなく意識を失った。
水銀燈がこの場から去ってすぐ、蒼星石は遠のく意識を渾身の気迫でつなぎ止め、
翠星石に突き刺さった『毒投げナイフ』を抜いた。
ついでに言えば、自身も更なる毒を受ける危険を覚悟で、傷口から毒を吸い出した。
この場で出来る処置は、全て施した。
しかし、この場に体内の毒素を急速分解する『解毒剤』がないのは、いかんともしがたい。
『解毒剤』は、イーオスなどのような毒を分泌するモンスターを相手にするなら必携とも言えるアイテムだが、
毒による攻撃を行わないフルフルが相手では、さすがに『解毒剤』の支給はない。
その代わり、対症療法で『応急薬』と『回復薬』、そして『回復薬グレート』で何とか翠星石の体力は保たせている。
これらの薬剤は傷口に注げば、その傷をたちまちのうちに塞いでくれるだけでなく、
内服薬として服用すれば滋養強壮の効果もある、便利極まりない素晴らしい発明品なのだ。
蒼星石は、何とも形容のしがたい苦しげな表情で、もう一度己のアイテムポーチをまさぐる。
『ホットドリンク』はまだ一本は残っている。
だが、つい数十分前に翠星石に与えたものを最後に、回復用の薬剤はすでに一つも残されていない。
一縷の望みをかけて、あたりに『薬草』でも生えていないかと探し回っては見たが、それも存在しない。
言うまでもなく、翠星石自身の持っていた『回復薬』はとうの昔に尽きている。
これであとは翠星石が自身の体力のみで峠を越すことが出来なければ、あるいは――。
蒼星石はそこまで想像して、怖気を振るった。
頭を抱えて、ひたすら腹の中で成長する不吉な想像を追い出そうと、脳裏で必死に別の思考を行おうと試みる。
それでも、その思考のどこにでも、姉の姿はつきまとう。
姉と共に義父ローゼンの屋敷を探検して回った、幼い頃の思い出。
お守り役として、レンピカとスィドリームを義父からあてがわれ、たちまち仲良しの友達になったあの日。
夜中にトイレに行きたくなり、けれども怖くて一人では行けなかった夜のことが、何故か思い出される。
あのときは気持ち良さそうに寝ていた姉を起こし、
一緒にトイレに来てもらうことが出来ずに、結局朝まで我慢できなかった。
その時の失敗を、姉はとっさに布団を取り替えて、誤魔化して庇ってくれたことは、今でも鮮明に覚えている。
蒼星石は、もう一度翠星石に向き直り、彼女を見る。
鎧の各所のベルトを緩め、ある程度楽な体勢になってはいた翠星石だが、その肌に血色はいまだ戻らない。
「――姉……さん……」
蒼星石は、久しぶりに実姉のことをその名以外で呼んだ。
もちろん、翠星石は応えない。
聞こえていたとしても、応えられない。
「姉さん……」
もともと血が繋がっていない事も助けてか、彼女らローゼンメイデンは、
幼少時からお互い姉妹というよりは、年の近い友達のように接してきた。
よって互いを名前で呼び合うことの方が遥かに多かったのだが、その例外はもちろんある。
蒼星石はもちろん、真紅や雛苺に対して義理の妹としての親愛の情は感じている。
けれども、やはり本当に血が繋がっている双子の姉、翠星石に感じる想いは、それともまた違う特別なものだとも、
蒼星石は常に感じている。
多少無鉄砲で向こう見ずでも、周囲をその勢いで引っ張る翠星石。
動く前に常に思考し、時にはそれで迷って動けなくなる蒼星石。
時には毒舌や嫌味になるほどに、率直に物を言う翠星石。
相手を思いやり、可能な限り良識から外れぬよう思慮を巡らせる蒼星石。
己の痛みや苦しみは、蒼星石にに包み隠さずに漏らすことの出来る翠星石。
誰かに迷惑をかけるまいと頑張って、1人で根を詰めることもあった蒼星石。
同居することはなかなかに難しい性格や長所を、上手い事半分ずつに分け合って生まれてきた対の存在を、
いつも感じながら蒼星石は生きてきた。
もし翠星石が欠けることがあれば、もう片方の翼である己はどうなる?
蒼星石は、自身の周囲に突然黒い穴が開いたような錯覚に襲われた。
怖い。怖い。怖い。
翠星石がいなくなったときのことを思うと、全身が恐怖で撫で上げられる。
言葉にするのもためらわれる想いを抱いて、蒼星石は地面に横たわる翠星石を抱きしめる。
飛竜の巣の一部となっていた太めの木の枝で、間に合わせの添え木をした左膝を動かさないよう、
抱きしめはしても抱き上げはしない。
傍から見れば、蒼星石は翠星石の上に倒れ込んだようにも見えるだろう。
ガンナー用胴防具、『ゲネポスレジスト』で守られた胸部から聞こえる鼓動の音は、
今にも消えてしまいそうなほどに弱い。
この場にホピ酒があれば、それを飲ませて力をつけさせたいのに。
この場にもう少し『回復薬』があれば、それで脚の傷の痛みを和らげたいのに。
蒼星石はわなわなとその肩を震わせ、祈るしか出来ない己の無力さを呪った。
この手の中に抱いていなければ、姉はこのまま消えてしまいそうで。
この温かみを感じていなければ、姉はこのまま冷たくなってしまいそうで。
蒼星石は、鼻の奥がツンと暑くなるのを感じた。
同時にこの洞穴に響き渡る、おどろおどろしい羽ばたきの音を聞いた。
ぞわ、と全身の毛穴が無理やりにこじ開けられるような錯覚が、蒼星石を襲う。
蒼星石は、そのオッドアイを見開きながら、その上半身をがばりと起こす。
とっさに行ったその行動で、蒼星石は次の瞬間に己の生存本能が悲鳴を上げた事を感じた。
今の今まで失念していたが、『ペイントボール』の匂いの発生源が、とんでもなく近くまで来ている。
例の奇声を上げる、白い飛竜の姿が陽光のもとにさらけ出される。
どしん、と威勢の良い着地音を立てて、フルフルはこの洞穴上部の壁面に開いた、丸い岩室の中に降り立っていた。
その岩室は、モンスター並みの超人的な脚力か飛行能力がなければ、まず届かないほどの絶壁の中腹に存在する。
蒼星石が視線を向ける角度からでは分からないが、おそらくあの岩室の天井は吹き抜けとなっていて、
その吹き抜けがフラヒヤ山脈外部に繋がっている、いわば煙突のような造りになっているのだろう。
そこに、フルフルはたった今降り立ったのだ。
蒼星石は、体内にフラヒヤ山脈中の雪を全て突っ込まれたような、激しい冷気を背筋に感じる。
フルフルが、とうとうこの巣に戻ってきてしまったのだ。
8時間もフルフルが巣を留守にしていたということは、水銀燈の予言が外れて、
フルフルは巣に帰るのをやめたのではないかと、蒼星石は期待していた。期待してしまっていた。
現実は、違う。
8時間もフルフルが巣に戻らなかったのは、単に今の今まで運が良かっただけに過ぎなかったのだ。
双子を撃退したあと、更に山脈内に侵入者がいないかと巡回をしていたのか、
それとも単に、この程度の傷なら休息などせずとも問題ない、と獣の本能で判断したのか、
それともそれ以外の理由があったのかは分からないが、
とにかく今までフルフルが巣に戻らなかったのは、双子にとっては幸運と言わざるを得まい。
だが、その幸運も間もなく尽きようとしている。
フルフルは、例の耳障りな鳴き声に尾を引かせながら、岩室から飛び降りた。
蒼星石は顔面を蒼白にしながら、尻餅を突いた体勢のまま後ずさった。
奥歯がしっかりと噛み合わず、わなわなと震えてがちがちと音を立てる。
同じく震える指先を叱咤して、無理やりに背の『ツインダガー改』を握り、抜きはする。
しかし、普段はしかと握り締められている『ツインダガー改』の柄の感触は、
今にも手の中からずり落ちんばかりの、余りにも頼りないもの。
腰から力が抜け、思わず失禁しそうな感覚に襲われる。
蒼星石は目尻に涙を溜めたまま、その動きを止めざるを得なくなった。
このまま逃げ出せば、間違いなく翠星石はフルフルの餌食になるだろう。
もしこの場に翠星石がいなければ、悲鳴を上げながら一目散に駆け出しているところだが、
そんな己の片割れを捨て去るような行為もまた、実行するには相当の恐怖と戦わねばならない。
フルフルは、巨大な蛙を思わせる白い脚をぺたぺたと鳴らしながら、洞穴の中をさまよう。
洞穴内はやや手狭ながら、モンスターと立ち回るにも問題はないだけの広さを持つ。
けれども、このままではいつか発見されることはもう間違いはあるまい。
フルフルに発見されるのを免れるほどには、この洞穴は広くないのだ。
蒼星石は、『ツインダガー改』の二刀を握り締めた両手を、そのまま自身の口元に押し当てる。
この洞穴の冷気に当てられて、凍りつくほどに冷たい『ランポスアーム』の感覚だけが、妙に鮮明だった。
蒼星石の限界まで見開かれた目からは、すでに涙が幾筋も零れ、顎の先から滴り落ちる。
それが鎧の金属部分に触れて凍りつき、白く変色。
フルフルは、あの荒過ぎる鼻息と共に、周囲の匂いを捉え始めた。
見つかれば、全てはおしまい。
蒼星石自身は何とか戦えるまでに体力を回復しているものの、この場で立ち回れば無防備な翠星石が巻き込まれる。
フルフルのボディプレスをもう一度食らえば、翠星石は間違いなくぺしゃんこに潰されて凄惨な最後を迎えるだろう。
蒼星石自身は攻撃をかわせても、翠星石がそのとばっちりを受ける可能性は高い――
むしろ、巻き添えにならずに済む可能性の方が、はるかに低いだろう。
(助けて――!)
蒼星石は、いっそこれをどこかで見ているであろう水銀燈に、今から泣き叫んで助けを請おうかという誘惑に駆られる。
(誰か――!!)
この胸にかけられたローザミスティカを渡せば、自身らの命は助かりついでに報酬ももらえるのだ。
(誰か……助けて――!!!)
いくらローザミスティカが義父ローゼンの与えた至宝であろうとも、それを持つ人間が死んでしまえば意味は――。
「ッ!!」
突如、何かが空を切る。
蒼星石は、それを反射的に目で追った。
自身らとフルフルのちょうど中間ぐらいに、手の平にちょうどつかめるほどの大きさの玉が落ちる。
地面に叩きつけられた玉は砕け、その中から噴出したのは濃厚な茶色の煙。
「!?」
蒼星石は、その瞬間に鼻を突き始めた異臭に、思わず顔をしかめた。
即座に口元に押し当てていた両手を、そのまま鼻の方にずらす。
『ランポスアーム』で庇った鼻越しにでも、この臭いは遠慮なく染み込んで来る。
動物の糞便の臭いと変わらぬ、この悪臭は。
フルフルは、突如として奇声を上げた。
同時に、あの嗅覚を働かせるための荒すぎる息遣いも、止まっていた。
次に巻き起こったのは、苦しげな呻き声。
液体と気体が一緒くたに噴出するようなごぼごぼという鳴き声が、フルフルの喉の奥から吐き出される。
フルフルは口しか付いていないその首を左右に巡らせた。
その次に歩き出した先は――。
(……こっちじゃない……!?)
蒼星石は、心の中でのみ驚きの声を上げる。
フルフルが今進む先は、蒼星石と翠星石のいる方向ではない。
むしろ、彼女らに背を向けその逆方向に歩み出す。
先ほどと同様、あのぺたぺたという足音を鳴らしながら、洞穴の中を歩む。
蒼星石との距離をある程度離したなら、フルフルはその翼をおもむろに広げた。
フルフルの巨体を浮かばせるには十二分の、強烈な羽ばたきが巻き起こる。
この距離からでは跳ね飛ばされるようなことはないまでも、悪臭混じりの風が洞穴内に吹き、
『ランポスヘルム』の下から覗ける、蒼星石のショートカットの髪をなぶる。
フルフルは、そのまま高度を徐々に上げ――。
最終的に、洞穴をそのまま後にした。
蒼星石はその一部始終をただ茫然と眺めているほか、なかった。
(た……)
フルフルがこの場を去るその意味を、悟りきるまでは。
(助かった……のかな……?)
己は九死に一生を得たのだと、心も頭も体も理解した蒼星石に、突然の声が降りかかる。
「やっぱり、『こやし玉』の臭いはいつ嗅いでも胸が悪くなるのだわ……」
蒼星石は、背後から届いたくぐもった声に、表情を引きつらせながら肩をびくりと震わせた。
『ランポスメイル』に張られた『ランポスの鱗』が、互いを打ち合ってからからと鳴る。
「間一髪……! フルフルがあっさりここを去ってくれたのはラッキーだな」
また別の声が、背後から上がる。この声もまた、前者の声と同じく鼻声になっていた。
蒼星石は、おそるおそるその背後の声の元へと、首を捻る。
その声を上げていたのは、2人。
鼻をつまみ顔をしかめた、『イーオスシリーズ』を着る少女。
同じくその鼻を塞いだ、『バトルシリーズ』を装備する少年。
蒼星石は、喉を震わせた。
「真……紅……!?」
蒼星石の喉と同様、震える声で名を呼ばれた『イーオスシリーズ』の少女は、それに応えて軽く手を上げた。
「どうやら、救助が間に合った……きゃっ!?」
赤の鎧に身を包んだ真紅は、素っ頓狂な声を上げる羽目になる。
駆け寄ってきた蒼星石の手が腰に回り、そのまま強く抱かれる。
それで目を丸くした『バトルシリーズ』のガンナー、ジュンは唖然と口を開いた。
「ちょ……いきなりどうしたんだ!?」
ジュンの驚きの声も、しかし鼻声でくぐもっていてはいまひとつ締まりに欠ける。
真紅は蒼星石の突然の行いに驚きはしたものの、『ランポスシリーズ』と『イーオスシリーズ』、
二重の防具越しにでも伝わってくるこの感覚で、たちまち蒼星石の心情を汲み取る。
「怖かったのね……フルフルが」
ジュンは真紅の腰防具、『イーオスフォールド』の影から覗ける蒼星石の表情で、
やはり蒼星石が今まで戦ってきた相手の強大さを察する。
両の目からボロボロと零れ落ちる涙の粒、そしてそれに伴うこれ以上ないほどの安堵の表情。
全身は、これ以上震えたら体が壊れてしまうのではないかというほどに、強く震えている。
そして蒼星石の傍らに倒れていた翠星石を見れば、ジュンとて何があったかは容易に想像できる。
傷付いた翠星石を庇って、あわやフルフルと一戦交えるか、という極限の恐怖や緊張と、彼女は戦っていたのだろう。
翠星石を見やったジュンの脳裏には一瞬、最悪の事態がよぎっていたものの、
遠目でも辛うじて分かる翠星石の胸の上下……
そして蒼星石の表情は絶望ではなく安堵であったなどという手がかりから、それは否定した。
すかさずジュンは倒れ臥した翠星石の元に駆け寄りながら、アイテムポーチの『回復薬グレート』を取り出す。
「とりあえず今は負傷した人間の治療を優先する! 蒼星石……って言ったよな!?
気分が落ち着いたらこの翠星石って奴の詳しい症状を教えてくれ! それからここで今までに何があったのか、
状況の説明も頼む!」
ジュンは腕を守る『バトルガード』を一旦外し、『ホットミート』の作用で温まった素手を差し伸べる。
翠星石の『ゲネポスキャップ』と『ゲネポスレジスト』の隙間に、ジュンの右手中指と人差し指が滑り込んだ。
ジュンのその2本の手は、翠星石の尋常ではなく弱い首筋の脈拍を、しっかりと捉えてた。

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