第2章「夜空にて」


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 部屋に戻ったアリスはカーディガンとバッグを床に投げ捨て、ベッドに倒れ込む。うつ伏せのまま、しばしの間だけ目を閉じた。
 意味も無く唸り、そして起き上がろうとする。
 やめた。
 アリスはそのままの体勢で身体を宙に浮かした。魔力による加速度発生によって、彼女の身体は地面と平行のまま、奇術のように空中で静止する。そのまま身体を縦に90度回転させ、直立の体勢に。そしてバスルームの前まで空中浮遊し、魔力で開けたドアをくぐる。
 そこまで来てアリスは加速度の発生を止めた。普通に起き上がり、歩いて、ドアを開けた方がまだ楽だったことに気づいたためだ。
 アイボリーのワンピースと下着類を洗濯カゴに放り込み、浴室に入る。アリスは浴槽近くのスイッチを押し、続いてバルブを捻った。 湯が張られ始め、シャワーが噴射される。
 金色の髪を洗浄しながら、アリスは奈々子のことを思い返していた。奈々子は時折、アリスを検査に連れて行く。身体のサイズや身体機能を測る時もあれば、今日のように魔力について検査することもあった。
 奈々子と出会って、日本に来て、もう3ヶ月。流石に検査にも飽きてきたわ。どうして検査するのかって聞いても、奈々子は「仕事なのよ」としか答えてくれなかったし、いまいち面白くないわ。
 奈々子の職業もよく分からない。でも国家公務員であることは前に聞いた。国のために働く仕事で、ということはあの検査は国のためなのかしら。
 浴槽のお湯が溜まったことを音声が知らせる。アリスはシャワーを止めた。
 なんにしても、つまらないわ。

 浴槽で脚を伸ばしながら、アリスは物思う。
 奈々子が嫌いなわけじゃない。色々と世話してくれたもの、嫌いになれるわけがないわ。この部屋も、ケータイも、お金も。みんな奈々子がくれた。だけど、なにかしら。やっぱり少し、不自由だわ。
 外は歩ける。買い物も出来るわ。映画も見れる。食事も出来る。ウェブも見れる。でも、ウェブで買い物は出来ない。苗字と名前が必要なものには手を付けられない。苗字なんて、無いから。奈々子が言うには、戸籍が無いからあまり派手なことはしないで、ですって。それが無いと、自分が誰だか証明出来ないみたい。
 おかしいわ。人間は複雑だから、おかしいのよ。
 何だか良くわからないけど私には出来ないことが多くて、何だか良くわからないけど人間には私に無いものがある。ホント、何だか良くわからないことだらけなの。
 まるで不思議の国だわ。奈々子について行ったら、変なことばかりの世界。もちろん素敵なものもあるのだけど、変なルールが邪魔をしてる。きっともっと、楽しいことがある。でも触れないんだわ。不思議の国の住人じゃなければ、それには触れない。
 アリスは左足を揚げる。銀色のリングが、足首で鈍く光る。彼女の足首よりわずかに大きく作られたそれは、奈々子から外さないように言われたもの。まるで首輪のようで、アリスは少し不愉快だった。
 つまらないわ。ええ、つまらない。
 浴室から出たアリスはバスタオルを巻き、頭を拭いた。水分を拭けば、艶だけが残る。決して失われない艶。彼女の髪はそう造られた。
 髪の水気を取り終えたアリスは居間に戻り、床に脱ぎ捨てていたカーディガンを洗濯カゴに放り込んだ。そしてベッドの上で仰向けになる。天井の明かりを見つめながら、アリスはため息を吐いた。まるで奈々子のように。
 身体を起こし、クローゼットから下着と「いつもの服」を出す。それらに着替えてから、アリスは床に置きっぱなしのバッグを持ってデスクに向かう。デスクは低いテーブルを挟んでベッドの反対側にあり、その上にはweb端末があった。
 アリスはデスクの上にバッグを落とす。すると、反動でバッグから携帯端末が落ちた。
 アリスはしゃがんでそれを拾い、そして思い出した。

 食事の後、奈々子はアリスの住むマンションの前で車を停めた。
「いつもありがとう。それじゃあ、お休みなさい」
「待って」
 車を降りようとするアリスを、奈々子が制止した。
「アリス、貴女最近、空中散歩はしてる?」
 奈々子の言葉にアリスはびくっ、と身体を反応させた。
「飛んでるのね、まだ」
「……ごめんなさい」
「怒っているわけじゃないわ。夜なら見つかり難いでしょうし、高い場所なら尚更」
 俯いていたアリスは、上目遣いに奈々子の顔を見た。怒っていないことを確認し、顔を上げる。
「今日はちょっと、人探しをして欲しいの」
 そう言って奈々子は、自分の携帯端末を操作し、画像を表示させる。
「これ。もし空で見かけたら、連絡して」
 奈々子の携帯端末には日本で無い何処かの街の雑踏が映っており、焦点は真ん中の女性に合わさっていた。灰色の短髪。外見年齢は20代。
「髪の色は違うかもしれないから、注意して。一応、貴女のケータイにも画像送るわね」
 画像ファイルが転送され、アリスの携帯端末が音を鳴らした。
「OK。人探しと言っても簡単には見つからないと思うし、一所懸命探す必要は無いから。偶然見かけたら、知らせて」
「この人……誰かしら?」
 アリスは自分の携帯端末で画像ファイルを開き、目を細めて女性を見つめていた。
「気にしないで。もし見つけたら、教えてあげる」
「むぅ……分かったわ。がんばってみる」

 拾い上げた携帯端末を動かし、アリスはその画像を表示させた。
 奈々子が言うには、空にいるみたい。ということは、魔導士というわけね。空が飛べるんだから、それなりに強い。もしかしたら、私と同じようにスカウトする気かしら。もしそうなら、仲間が増える。楽しくなるわ。
 アリスは想像に胸を躍らせながら、携帯端末をエプロンのポケットに入れた。そして部屋の明かりを消し、玄関から外に出る。目指すは屋上。誰にも見られずに、誰も手の届かない上空へ飛べる。屋上は空への入口だった。
 屋上に上がり、アリスは両手を広げた。全身で風を確かめる。髪を揺らす程度、無風に近かった。そして、彼女はふわりと上昇する。いつもの服――水色と白のエプロンドレスを着て、リボン付きのカチューシャを付け、屋上の上へ、ビル街の上へ、東京の上へと。
 高層化している街の上空で、アリスは目当ての人物がいないか探す。上下左右前後。いくら首を回しても、空には彼女、1人だけ。
 アリスは身体の前面を地面と向かい合わせ、飛んだ。進行方向は頭の先。引力のように全身に加速度が加わっている。それとは別に髪とスカートにも押さえるような力を発生させていたから、彼女はそれらの乱れを気にする事無く飛ぶことが出来る。
 下を見て、上を見て、前を見て。時速30km程度のスピードで当てずっぽうに飛び回り探し回り、そして1時間が経過した。魔力を使うための集中が、アリスを疲労させていた。
「どこにもいないわ」
 ビルの屋上、大の字に寝そべりながら彼女は呟く。周囲のビルよりも背丈のあるそのビルからは、僅かに星の光が見えた。地上からでは街の明かりで掻き消される光。アリスはぼんやりと見つめる。
 その星が、消えた。数秒後、また光り始める。
 アリスは何が起こったのかしばし考え、唐突に起き上がった。
「見つけたかもっ!」
 急激な加速度、一気に上空へ。周囲に目を凝らし、アリスは発見する。明かりの消えたビルを背にして、空に浮かぶ者を。
 地上と付近のビルの明かりによって、その者の顔がぼんやりと照らされている。女性。アリスが写真で見た顔。長い物体を手に持ち、それを弄くっている。
 アリスはゆっくりと降下し、彼女から少し離れた位置で停止した。
「あれ……?」
 女性は手元から顔を上げ、アリスの方を向いた。青と緑の光に照らされながらも、その短い髪が灰色であることがアリスには分かった。
 間違いない、この人だわ。
「珍しいね。こんな夜中に空の上で魔導士に会うなんて、初めてだよ」
 警戒心は無いのか、女性は親しげに話しかけて来た。
「しかもその格好」
 全身を見定めるような視線に、アリスは自分の服装を改めて見た。水色と白のエプロンドレスにカチューシャ。『構造体』にいた時に着ていた、アリスの正装。『不思議の国のアリス』をモチーフにしているのは明白であった。
「夜空でアリスに会うなんて、夢でも見てるのかな」
 その言葉にアリスは首を傾げた。
「なんで、私の名前を知っているの?」
「え?」 
 女性は笑みを携え、アリスの顔を見つめたまま沈黙した。
「……ああ、もしかしてアナタって、名前もアリスなの」
「そうよ。私はアリス」
「なるほどなるほど。名前までアリスなんだ、格好だけじゃなくて」
 納得した女性は、改めてアリスの全身を確かめる。
「年はいくつ? まだ学生かな?」
「学生じゃないわ。年は17歳。永遠に」
 アリスは何故か自慢げに言う。それを聞いた女性は目をぱちくりとさせて、そして苦笑した。
「ははっ、変なの。魔導士って変なの多いけど、その中でもぶっち切りだね」
 変だと言われたアリスは口を尖らせ、への字に曲げた。
「貴女だって変よ。すっごく変だわ」
「どの辺りが?」
「髪の毛灰色だったり、夜中に空飛んでるのもそうよ」
「夜中に空飛んでるのはアナタだって同じでしょ。でもまぁ、うん。私も確かに変かも」
 そう言って女性は手に持っている長物を顔の高さまで挙げ、両手で構えた。
「何をしているの?」
「静かに」
 女性に制止されて、アリスは黙った。アリスが見る限り、それは金属製で、細長い円筒が伸びていて、手で握るためのグリップや人差し指で引くためのトリガーが付いていた。女性はスコープを覗き、息を殺して、遠く離れた向かいのビルに向かっていた。
 長く、張り詰めた沈黙。その中でアリスは物体の正体について考え、そして結論した。
 もしかして、これって銃……
 その瞬間、物体が大声を上げた。
 
 銃声。
 
 女性は構えていた銃を下ろし、満足げな表情を浮かべた。
「さて、逃げなきゃ。アナタも早くした方が良いよ」
 女性は呆然とするアリスを放って、上空へと飛んで行ってしまった。
 一方のアリスもすぐに銃声のショックから立ち直り、逃げるように自室へと飛行する。しかし、彼女の頭は何が何だか分からないまま、ただただ混乱していた。

 翌朝。アリスの部屋にインターホンが響いた。
「来たわよ」
 アリスからの知らせを受けてやって来た奈々子は、合鍵を使って玄関を開けた。
「はい、おみやげ」
 居間に入ると同時に放り投げた紙箱を、ベッドに腰掛けたアリスがキャッチする。チョコレート。おみやげと言ったが、実のところ奈々子がその新商品を食べたかっただけである。
「で、本当に会ったのね」
 チョコレートの箱を開けながらアリスは頷いた。
「間違いないわ。写真の人よ」
「状況、詳しく話して頂戴」
 奈々子はアリスの左隣に腰掛けた。アリスがチョコレートの小さな塊を口に含みながら喋り出す。
「昨日の夜、ここからちょっと離れたビルの近くで、写真の人に会ったわ。髪も顔も同じで、長い銃を持っていたの」
「うんうん。それで」
 そう言いながら奈々子はアリスの持つ箱からチョコレートを摘もうとした。だがその右手はアリスに叩かれてしまう。
「色々とお話をしてたら、途中でその人は銃を向かいのビルに向けて、急に黙っちゃったの」
「……」
 話の雲行きが怪しくなってきた。奈々子は予想してしまった光景が打ち消されることを期待しつつ、言った。
「……で」
「そしたら突然、バーーンッって大きな銃声がして、それでその人は何処かに逃げちゃったわ。私も何が起こったか分からなくて、必死で家まで飛んで帰ったのよ」
「…………」
 奈々子の頭がゆっくりと下がっていった。
「どうしたの、奈々子?」
「聞くんじゃなかったぁ……」
 そして、両手で頭を抱えてしまった。
「ねぇ奈々子」
「こんなことなら車の中で話せば……ああでもそれでも駄目だったかも……うぅぅん……」
 ブツブツと呟く奈々子に、アリスの一言。
「あの人、あんな所で何をしていたのかしら?」
 その鈍感な言葉に反応して、奈々子の中で小さな爆発が起きた。彼女は勢い良く顔を上げ、頭から離した両手でアリスの頬をつねった。
「そのくらい想像が付くでしょ、銃を、向かいのビルに撃ってるって、どう考えたって殺人でしょ、さ、つ、じ、ん!!」
「ひょ、ひょっと、ひゃめへひょうふぁい」
 語調に合わせて頬を引っ張る奈々子。涙目のアリス。
「今までただの常識知らずだと思ってたけど、それ以上、馬鹿、このバカ娘がぁぁ~!」
 引っ張る方向を横方向から上下方向に変更された上、頭を前後に揺さぶられるアリス。
「あぁ……もうぅ、どうしよう……」
 両手をアリスの頬から離し、再び頭を抱える奈々子。部屋に仕掛けられているいくつかの盗聴器がアリスの失態を記録してしまった。そのことに頭を悩ませる奈々子は、自分自身の情けない言動まで記録されたことに頭が回っていなかった。
 一方、解放されたアリスはふらふらしながら横向きにベッドに倒れた。
「うぅ~……」
 気持ち悪そうにアリスは声を出した。手に持っていた箱からチョコレートが数個、シーツの上に散らばる。
「……ねぇアリス、相手は銃を持っていて、貴女は丸腰だった。そうよね?」
 アリスは答えない。答えられない様子だった。
「それなら、仕方ないよね。うん、仕方ない」
 奈々子は顔を上げながら独り言を続ける。
「もし犯行を止めようとしたら、殺されていた。だから、止めなかった。そうでしょ」
「ぐぅ~……」
「うん、これで問題無い。少なくとも、私に責任は無いわね」
 奈々子はうんうんと頷きながら、散らばったチョコレートを1つ摘み、口に入れた。
「それで……」
 まだ調子が戻らない様子で、アリスが身体を起こした。
「あの写真の人、結局誰なのかしら?」
「ちょっと待ってね」
 奈々子はバッグからノート型の端末を取り出し、電源を入れる。
「名前はホンシア。シンガポール出身の狙撃手よ」
 そう言いながら奈々子は端末を操作し、件の女性のプロフィールを表示する。「周紅霞」という大きな文字の下に制服姿の少女の写真と、昨日アリスに見せたものと同じ写真があった。
「力のある魔導士で、魔力を利用した狙撃を行っているのが特徴。今までに十数件の暗殺を行ったと見られてるわ」
「悪い人ってことかしら」
「そうよ」
 アリスは奈々子の膝の上に乗った端末に顔を近づけている。顔をしかめながら、画面の文字を読んでいるようだ。
「このホンシアが2週間前、日本に入国したの。そのホンシアによる殺人と思われる事件が2件、先週と昨日に行われてる」
 奈々子は端末を操作すると、東京都内の地図が表示された。しかめ面をさらに近づけて、アリスが画面上に現れた地図を見る。彼女の顔に邪魔されながら、奈々子は昨夜の事件発生時刻とその時間のアリスの位置を確認する。アリスの左足は、事件現場からわずかに離れた場所にあった。
「やっぱり貴女の目の前で殺ってるわね……」
「この地図で私の居場所が分かるの?」
 アリスが尋ねるが、奈々子は答えなかった。
 アリスの左足首に着けられたリング。それが発信機になっていることに本人は気づいていないようで、その鈍さは奈々子の期待通りだった。気付いていない以上、言う必要も無い。だから奈々子は答えない。
 その代わりに、彼女はある事を尋ねることにした。
「ねぇ、アリス」
 アリスは首を回し、奈々子の顔を見た。その顔を奈々子は見つめ返し、言った。
「魔導士はどこまで自由に、空を飛べるのかな」
「どこまでって……どういう意味かしら?」
「うまく言葉に出来ないんだけど」
 曖昧さを補うために、奈々子は右手の人差し指をピンと立てる。
「飛ぶ時にさ、こういう風にゆらゆらしちゃうのか」
 奈々子は右手全体を左右に揺らした。不安定に飛行する魔導士を表現しているつもりだった。
「それとも、空中に固定されるのか」
 右手の震えを止め、奈々子はアリスの目を覗き込む。
 アリスの青い眼球は作り物のように綺麗である。その無垢な眼が物思い、わずかに陰る。時折見せるその瞳の動きを、奈々子は好んでいた。
「うーん、人にもよるんだけど」
 アリスは手元の箱を宙に浮かす。
「ちょっとこれ、押してみてくれないかしら」
 突然の行動に戸惑いつつも、奈々子は言われた通りに箱を指で突付いた。紙製の箱を指で動かせないわけは無い。しかしアリスが浮かした箱は、奈々子が加えた力にびくともしなかった。紙箱がまるで岩のように重く感じるほど、空中で完全に固定されていた。
「すごいわね……」
 何人かの魔導士と面識のある奈々子も、その力を直に体験するのは初めてだった。
「意識できれば大丈夫なのよ。だけど、突然なのは駄目ね」
 そう言って、アリスは目を閉じる。
「好きなタイミングで押してみてくれないかしら」
 奈々子は突き出した指を箱の直前で止め、2秒ほど待った後でさらに突き出した。箱は何の抵抗も無く押し出され、アリスの前を滑るように移動する。
 アリスはゆっくりと眼を開けた。すると箱の動きは停止し、奈々子の指では動かせなくなった。
「他の力を意識できるかどうかが重要なの。自分の魔力だけならちゃんと飛べるけど、急に強い風が吹くと全然駄目だわ。何かに驚いた時もちょっとだけ、ふらふら~ってするし。大事なのはアレかしら、せいしんしゅうちゅう?」
「なるほどね……ということは」
 奈々子がキーを叩くと、端末の画面に過去の気象情報が現れた。
「ホンシアが行動を起こした日の風速……やっぱりほとんど無い。昨日も風は無かったわよね」
「ええ、とっても飛びやすい日だったわ」
「飛びやすい日ね。これで予測が立てられそう」
 風速何メートルまでを飛びやすい日としているか、過去の事件の記録からではホンシアの基準は分からない。だけど、少なくとも明らかに風の強い日は行動しないだろう。ビル街の上空なら尚更である。
「ねぇ、奈々子」
 奈々子の言葉に何か引っかかったのか、腑に落ちない表情をしていたアリスが口を開いた。
「奈々子は、このホンシアに何か用があるのかしら」
「ええ、あるわ」
「だったらそのために、私に何をさせたいのか、ちゃんと言って欲しいわ」
 不機嫌になりつつあるアリスを見て、少しはぐらかし過ぎたかなと、奈々子は自分の失敗を感じた。
 強力な魔導士であるホンシアと接触するのにアリスの協力は不可欠であるが、そのアリスが下手に作戦内容を知っているとホンシアに感付かれる恐れがあった。しかしこれ以上機嫌を損ねないためにも、そろそろ今回の作戦についてしっかりと話すべきかも知れない。
 奈々子はそう結論し、アリスの頭でも分かりやすいであろう言葉を選び、言った。
「貴女にはね、アリス。ホンシアと仲良くなってもらいたいの」
「仲良く?」
 アリスはきょとんと目を丸くした。
「仲良くなって、いっそ一緒に買い物に行くくらいに」
「あっ、やっぱり仲間にするのね」
 予想通りだったと言うように、アリスはポンッ、と手を叩いた。
「仲間といえばそうだし、そうじゃないと言えばそうじゃないけどね」
「あら、違うのかしら?」
 アリスはがっくりと肩を落とす。面白い。奈々子はついついにやけてしまう。
「違うとも言いきれないわ。私たちがやるべきことは、ホンシアの身柄確保。その後は監視下に置いた上で『協力』してもらう予定だわ」
「身柄確保って、捕まえるってこと?」
 奈々子が頷くと、アリスは宙に浮かしたままの箱を降ろし、右手の中に収めた。
「それなら、仲良くしない方が良いと思うわ」
「慎重に行きたいのよ。相手を油断させて、ね。分かるでしょ?」
「そんな回りくどいことなんて、まっぴらだわ!」
 紙の箱が潰れる音がし、奈々子は結論を間違えたことに気が付いた。
 普段はつまらなそうに、大人しそうにはしている。しかし、一度火がつけば止まらない。奈々子はそんなアリスの闘志に火をつけてしまった。目を覆いたくなる事態だった。
「私がホンシアを倒して、連れてくればいいのよね。任せてちょうだい!」
 アリスが大して大きくも無い平坦な胸を張り、自信を示すように右手で叩いた。
 やる気満々のアリスをどうにかして黙らせて、元の作戦を遂行するように説得しなければならない。奈々子は気が重くなったが、もはやそれが無駄な努力であることに気が付いた。
 たとえ元の作戦に戻したとしても、こんな馬鹿娘ではホンシアを騙すことは出来ない。それに、ホンシアに会った時点でアリスが作戦を無視する可能性もある。それならこのまま、ホンシアと戦わせるのも悪くないかも知れない。危険はあるが、当初の計画に戻すよりはマシなはず。奈々子はそう考えた。
 腹が決まった奈々子は、何を想像しているのだろうか、不気味な笑みでチョコレートを頬張るアリスに語りかける。
「分かったわアリス。でもね、失敗は許されないわ」
 アリスは奈々子の方を向き、うんうんと頷いた。
「確実に倒す作戦を考えましょう。シンプルで大胆で、絶望的なやつを」
 奈々子も笑みを浮かべた。先ほどのアリスと同じ、不気味な笑みを。
 女2人、不気味な笑みで向かい合った。

「それじゃあまず、ホンシアについてもっと良く知りたいわ」
「分かった。さっきのプロフィールに大体のことは書いてあるから」
 そう言って奈々子はノート型端末を操作し、再びホンシアのプロフィールを表示した。
「シュウ・ホンシア。24歳。シンガポール出身の華人。父親が企業の社長で、昔はそれなりに裕福な生活をしてたみたい」
「どうして、悪い人になったのかしら?」
「それは少し分からないわね。ただ、17歳の時に父親の企業が破綻、その少し後に両親が事故死してる。高校は卒業してるみたいだけど、その後の消息は不明。その辺りの不幸が原因だとは考えられるわね」
 ついさっきまで意気揚々という感じだったアリスが、それを聞いていく内にみるみる消沈して行った。
「なんだかかわいそうだわ……」
「高校時代までの生活には特に問題は無し。警察に補導されたりも無し。本当にただの、幸せな女の子だったってわけ。なのに突然、全部が壊れたんだから。同情したくもな……ちょっと、泣かないでよ」
 アリスの目は既にうるうると涙ぐんでいた。先ほどまで闘争心を剥き出していたとは思えない、急激な変化だった。
 情緒豊かというべきか、情緒不安定というべきか。奈々子はアリスが以前、「私たちと違って、人間は心がしっかりしている」と言ったことを思い出す。
 アリスだけじゃなくて、『構造体』で生まれた人間もどきは皆、精神不安定なのかしらね。
 奈々子はアリスの頭を撫でながら、その事についてもいずれ聞いてみることに決めた。
「続けるわよ」
 アリスは小さく頭を動かした。
「途絶えてしまった彼女の行方が明らかになったのは、テロ組織からだったの。ある企業役員に対する暗殺、それを実行したのが、組織に雇われた暗殺者、つまり」
「ホンシア……」
 微かに震えの混じった声でアリスが言った。
「そう。それが2年前。その後も、いくつかの事件で彼女が関わった証拠があった。活動地域は主に欧米だったけど、今回は日本。それで私にお役が回ってきたってわけ」
「どうして奈々子なの?」
「今のところ、私は魔導士専門だからね。ホンシアが魔導士なのは既に分かっていたし、彼女は力も強かった。身柄を拘束するには空を飛べる魔導士が欲しかったんだけど、頼りになりそうなのは他の任務で今はいなくて。それで、今回は仕方なくアリスに……」
「仕方なくって……私って仕方なく、なの?」
「そういう意味じゃ無いわ。本当はこういう危険を伴うことは貴女にはやらせたく無かったのよ。だけど上からの命令だから、逆らえないし。貴女をいつまでも実験データを取るためだけの秘蔵っ子にしておくわけにも行かないから」
「それって、私を認めてくれたってことよね?」
「そういうこと」 
 奈々子が肯定すると、アリスの表情が再び笑顔を取り戻した。本当にせわしない娘だと、奈々子は笑みをこぼす。
「大丈夫、こう見えても戦いには慣れてるもの」
 その自信ある言葉を微笑みのまま受け取った奈々子だったが、内心では不安を感じていた。ただのやんちゃな少女にしか見えないアリスに、暗殺者であるホンシアを捕獲することが本当に可能なのだろうか。
 重要なのは、戦闘員としてのアリスの力量。どうにかそれを測って、駄目そうなら自分が良い作戦を立てなければ。さもないと、襲撃は確実に失敗する。それは絶対に避けなければ。
「じゃあアリス、これからホンシアの手口と魔力について説明するから。対抗策を考えながら聞いてね」
 アリスが頷くのを見て、奈々子は端末の画面を切り替えた。
「ホンシアが使用してる武器は、もちろん狙撃銃。昨日貴女が見た長い銃ね。狙撃銃を使って長距離からターゲットを射殺するのは他のスナイパーと同じなんだけど、ホンシアは魔力を利用して、空中から狙撃を行っているのが特徴なの」
「昨日もそうしてたわ」
「ええ。空中から狙撃を行う人間なんて滅多にいないから不明な点が多いんだけど、さっきアリスが箱を固定したみたいに身体と銃の両方を魔力で固定してるんだと思う。恐らく相当な訓練を重ねたんだろうけど、これなら空中でもある程度は安定した射撃が行える」
 端末の画面に、ホンシアが行った狙撃のデータが表示される。
「あと、分かっている限りでは狙撃対象との距離はそこまで遠くない。300m程度の距離で、これだと命中率は上がるけど見つかる可能性も高いの」
「見つかっても、すぐに逃げられるんじゃないかしら」
「その通りよ。空を飛べるから確保するのは難しい。それに狙撃場所が建物の中や屋上に限られないから、屋外に関してはターゲットの位置にほとんど関係なく狙撃が出来るの。狙撃地点の変更もかなり自由だから、警備が手薄な所を狙って撃って、それですぐに離脱する、というのが彼女の常套手段ね」
「ふ~ん……だけど、ホテルやマンションの中で撃たれてる人が多いわ」
 アリスは画面の一角、狙撃された場所のデータを指差す。ホテルや自宅マンションなど、高層の建物で狙撃されたケースは屋外で狙撃されたケースの2倍以上の数である。
「高層建築物内のターゲットに対する夜間の狙撃。これも彼女の得意技ね。昨日の事件もそう。通常なら、屋内の高層階にいるターゲットに関しては狙撃場所がかなり制限されるから、狙撃が難しいの。だけど、ホンシアならターゲットのいる階と同じ高さの空中で静止できる。これなら相手が窓越しにいれば狙撃が出来るから、夜景を見るとかで窓に近づいた相手を……ドーン!!」
 突然の大声にアリスがビクっと震えた。アリスの反応に奈々子は苦笑する。
「ひどいわ! 昨日もそれでとってもびっくりしたんだから!」
「ごめんごめん。高層階だとカーテンを閉めない人も多いから、ホンシアにとっては狙いやすい。夜なら見つかりにくいし、逃げるのも容易だから日中より安全に狙撃が行えるってわけ。この手口で、何人もの……特に企業役員を殺害してるのよ、彼女は」
「むぅ……」
 奈々子の話を聞いているのかいないのか、アリスは眉間に皺を寄せながら画面のデータを見つめている。対策を考えているようにも、理解できずに悩んでいるようにも見える表情だった。
「で……何か考えはある?」
 話を進めるため、奈々子は言葉を促す。
「ホンシアの銃って、とっても長いでしょ?」
 アリスはライフルを構えるジェスチャーをしたまま、右、左と上体を旋回させる。
「この銃だと、接近戦でかなり不利だと思うの。だから、接近戦に持ち込めれば楽勝だわ」
「そうかもしれないけど、どうやって接近するつもり?」
「それはそれ程難しくないと思うわ。きっとホンシアに会えるのは夜でしょうし、上手く動けば見つからないで近くまで行けるはずよ」
「他の武器を持っている可能性もあるでしょ。その時はどうするの?」
「武器を持ちかえるのに時間がかかるわ。その隙に攻撃すれば大丈夫よ」
「貴女を待ち伏せしてたらどうするの。初めから別の武器を構えてるかも知れないわよ」
「待ち伏せは無いと思うわ。私を襲うつもりなら、昨日やっていたもの。それに別の武器を持っていたら、逆に好都合よ。ギリギリで当たらないくらいの距離まで近づいて、そこから一気に接近すれば良いんですもの」
「……うーん」
 アリスの作戦を一言で言うのなら、「近寄って攻撃」である。作戦と呼ぶにはあまりに粗末なものであるが、奈々子はそれに勝る代替案を思い浮かべることが出来なかった。なにせ、出会う場所は恐らく空中、何も無い虚空である。高層ビルを利用した作戦も考えられそうだが、いつ、何処で出会えるかも分からない相手であり、下手に距離を取るわけにもいかないスナイパーである。
 アリス以外の新たな戦闘人員も期待できないとなると、取るべき戦法はやはり、接近しての短期戦。接近さえ出来れば十分に可能かもしれないけど、問題は……
「アリス、ホンシアに撃たれないで倒せる自信、ある?」
 アリスはニヤリと、歯を見せて笑う。
「当然よ」
「ホンシアも強力な魔導士なのよ」
「奈々子、私の魔力の強さ、測ったんでしょ?」
 奈々子はうっ、と言葉を詰まらせた。
「ホンシアの魔力って、どのくらい強いのかしら?」
 奈々子はノート型の画面に、ホンシアの魔力の計測データを表示させた。
「ホンシアが16歳の時、魔導士の認定を取るために受けた検査のデータよ。使える魔力の種類は、加速度発生のみ。この時点でもかなり強いけど……」
 魔導士の認定検査は、魔力発生の資質をある程度持つ者ならばそのほとんどが受けている。公的な認定を受けることで特定の状況においての魔力の使用が許可され、魔力を利用した各種職業の試験を受けることが出来るためだ。
 その検査データによると、ホンシアの加速度発生能力は人間2人を宙に浮かすことも十分に可能であり、それは高層ビルの火災や災害などで救助が困難な場所に取り残された人間を救う特殊救助隊員として彼女が活躍出来たことを示している。
 だが、彼女は正反対の道を行った。よくある話だった。
「たとえ今現在、この1.2倍の力があってもアリスよりは低い……わね、かなり」
 奈々子が記憶の中にあるアリスの加速度と比べて、言った。アリスが魔力で発生する加速度はホンシアを凌駕している。人間以上を誇るアリスの身体能力、反応速度も考えると、相手は対応することもままならない。
 即ち、圧倒する。
「大丈夫、でしょ」
 アリスが微笑む。
「はぁ……分かった、認める。貴女なら傷一つ負わずにホンシアを捕まえられる。間違いないわ」
 さらに口元を緩ませるアリス。
「それで、武器はどうするの。拳銃くらいなら調達できるけど」
「武器なら心配ないわ。私も持ってるもの」
 そう言ってアリスは立ち上がり、クローゼットの中をがさごそと漁り始める。そして、漫画本や洋服の山から長い棒状の物体を発掘した。
「それって……」
 アリスが掲げた「それ」に、奈々子は目を丸くした。
 そういえば、アリスを日本に連れてくる時に「それ」のせいで手間取ったんだったわ。ただのガラクタだと思ったけど、アリスにとってはとても重要な物らしくて、だけど「それ」が一体何なのか、分からなかった。いや、一目瞭然とも言えたけど。
 それを形容すべき言葉は、1つしか無かったから。
 アリスが右手で高々とかざした「それ」は、赤と銀の2色で塗られ、一方の先端は扁平な爪、もう一方は直角に曲がり、先端には二股の爪があった。1m近いと思われる長い「それ」の表面には刻印がいくつもあり、その刻印だけが「それ」がただの工具とは何かが違うことを感じさせていた。
 だが、「それ」はまさしく『バールのようなもの』であった。
「結局、その『バールのようなもの』は……何?」
 訝しげな表情の奈々子に対し、アリスは自信たっぷりに言った。
「『バールのようなもの』よ」

 昼食を外で食べた後、アリスを部屋まで送り終えた奈々子。独り、車の中で背もたれに体重をかけながら、目を閉じた。
 それにしても、腑に落ちないわね。
 事件は2件、確かに起きている。だけどそれらに関する事件の報道は一切無い。世界的にテロ活動が増加しているとはいえ、日本では狙撃事件なんて滅多に起こらない大事件だ。それが報道されないとなると、やはり報道規制がかかっているのかも知れない。
 それよりも気になるのは、捜査班だけど。
 ホンシアと秘密裏に接触し、確保する。仮にも狙撃事件の犯人なのに、だ。捜査班と話がついているのが普通だけど、ウチの係が独自に判断したとも考えられる。
 前者だとしたら、報道がされないのは捜査班がこちらのホンシア確保に協力しているからだろう。確保した後、魔導士として運用することを考えると、事件は無かったことにすべきであるから。そう考えると一見、辻褄が合いそうだが、だとしたらこんな重大な任務をアリスだけに任せるのは不自然過ぎる。
 かといって後者だとしたら、謎が多すぎる。報道規制の謎、捜査班との関係の謎、そしてやはり、アリスに任せるという判断の謎。どう考えても、アリスだけに任せるべき任務では無い。
 そこに何か思惑があると考えるべき。奈々子はそう結論付けた。
 何よりこの事件、ホンシアの行動にも不可解な点がある。過去の事件は企業幹部など、大物を狙った事件ばかりだったのに、今回の事件の場合はただの会社員、本当に何の変哲も無い2人の人間を殺している。しかも2人の被害者には共通点が全くと言って無い。アリスが目撃していなければ、別の犯人を疑っても良いくらいだった。
 被疑者の目的、報道がされない理由、確保任務の不可解さ。こんな怪しい任務にアリスを巻き込んだことは、やはり失敗だったかも。たとえ命令だとしても、これだけ不審な点があれば断ることも出来たはずだわ。
 摩天楼の上に浮かぶ、亡霊のような魔導狙撃手、シュウ・ホンシア。もしかしたら、彼女に興味をそそられ過ぎたのかも知れないわね。
 奈々子は自嘲気味に笑い、目を開けた。
 過ぎたことはどうでも良い。それよりも、この件に関して調べることが重要だわ。捜査班に関すること。報道規制は誰が行っているのか。それと、上司の動きも。ホンシアの目的も、もしかしたらその辺りから分かるかもしれない。どうせ魔力犯罪係なんて暇なことこの上ないんだから、時間は充分にある。アリスの危険を減らすためにも、何が起こっているかはちゃんと把握しないとね。
 奈々子は車のエンジンを始動させ、アクセルを踏む。発車などの一部の動作は自動運転で行える車だが、奈々子はそんなものは使わない。
 自分の周りにあるものくらいは、せめて自分の好きなように。
 自分が納得出来るように。

 
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