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 ディッシュ警戒機は、0060年代の連邦軍兵器更新計画の中で一新された装備の1つである。その目的は、敵(当時、その必要性があったかどうかは別として)の装備するであろうありとあらゆる電子装備(主としてレーダー)の使用を妨害するECM機としての機能と、敵のECMに対し、それを無効にする最先端の機能を持たせた対電子戦機としての性格と、更には戦場管制機としての性格を合わせ持たせた多機能機として、今後想定されるいかなる戦場でも戦場を支配する、と言うものだった。<br>  このためには、非常に高性能なレーダーを装備し、そのレーダーが、効率的に機能しなければならなかった。<br>  既存の、機体上部に巨大なレドームを装備するスタイルは、その下面の機体の干渉を受けてしまうという点で効率的であるとは言い難かった。これに対して、斬新な案として提案されたのがMcBing社のレドームそのものに、飛行性能を持たせようという案だった。これは、飛行性能が著しく落ちる反面、レドームに与える干渉がほとんど無視してしまえるほど小さくなった。<br>  試案の段階で正式採用されることが決定(レドームに搭載されるレーダーなどは既に決定していた)したMcBing社の機体は、レドームそのものに申し訳程度の翼を取り付けると同時に、キャビン部分を取り付けた形状となった。その形状からコードネームは、ディッシュ(皿)と呼ばれ、それは、そのままこの機体のメジャーネームとなった。また、キャビン部分が甲羅から頭を出したかめのように見えることからタートルとも呼ばれた。<br> <br>  その機体性能は<br>   全長   50.5m<br>   全幅   42.8m   <br> 自重    100t<br>   航続距離 6200km(巡航時)<br>   速度    720km/h(巡航550Km/h)<br>  と、いうものだった。<br> <br>  0067年、最初の実用機が試験飛行を無事に済ませると、飛行特性が非常に悪いと評価されたにも関わらず、電子戦性能と戦場管制性能が非常に良好であったために、正式な採用が決定され、最初の装備機となった、いわゆるバージョンAが、5機生産された。しかし、正式採用後、配備部隊先での運用が始まった直後の0067年6月、着陸時に墜落事故を起こし、本機の飛行性能のあまりの低さがとりだたされることになった。一時は、正式採用の取り消しを考慮もされたが、連邦軍の官僚的体質がそれを妨げた。<br>  軍内部で本機の採用継続について議論が紛糾する中、McBing社は、残った4機のうち、2機を回収すると同時に生産ライン上にあるディッシュに対し、飛行特性の向上を図る措置をとった。0067年11月に飛行特性を改良する為に翼面積の増大を図るとともにレドームを極限にまで薄くし、操縦のほとんど全てをプログラミング化したバージョンBが、ロールアウトし、その試験飛行をMcBing社のパイロットが行うという形で実施することとなった。3日間にわたって試験飛行項目を無事にこなしたバージョンBは、全ての問題を解決したわけではなかったが、ただちに配備が可能であると言う点で、採用継続が決定された。<br> <br>  改良された飛行特性は、満足行くものではなかったが<br>  1)ECM<br>  2)ECCM<br>  3)地上レーダー探査<br>  4)赤外線地形読み取り装置<br>  5)光学探査  6)同時多目標追尾性能<br>  等のいずれもが満足行く性能を出していた。<br> <br>  開戦時には、それぞれの性能を主にOSで改良し、飛行特性も更に改良されたバージョンE、42機があったが、目玉である電子戦が、機能しない特殊な状況下、および一時的に制空権を失うといった開戦時の特殊な状況下で多数が失われることとなった。<br>  オデッサ以降、ジオン軍の制空権力が弱体化すると同時にミノフスキー粒子の影響も減少した11月以降は、その強力な戦場管制能力で想定しなかったモビルスーツ部隊の指揮運用にも運用されるなど限定的な活躍を見せることもあったが、戦争期間中の大部分では制空権が確保された空域での単なる高価な連絡機としてしか運用されなかったことは残念である。しかし、これは性能的な問題や用兵的な問題ではなく、全く想定しなかった戦場形態になったためだった。
 ディッシュ警戒機は、0060年代の連邦軍兵器更新計画の中で一新された装備の1つである。その目的は、敵(当時、その必要性があったかどうかは別として)の装備するであろうありとあらゆる電子装備(主としてレーダー)の使用を妨害するECM機としての機能と、敵のECMに対し、それを無効にする最先端の機能を持たせた対電子戦機としての性格と、更には戦場管制機としての性格を合わせ持たせた多機能機として、今後想定されるいかなる戦場でも戦場を支配する、と言うものだった。<br>  このためには、非常に高性能なレーダーを装備し、そのレーダーが、効率的に機能しなければならなかった。<br>  既存の、機体上部に巨大なレドームを装備するスタイルは、その下面の機体の干渉を受けてしまうという点で効率的であるとは言い難かった。これに対して、斬新な案として提案されたのがMcBing社のレドームそのものに、飛行性能を持たせようという案だった。これは、飛行性能が著しく落ちる反面、レドームに与える干渉がほとんど無視してしまえるほど小さくなった。<br>  試案の段階で正式採用されることが決定(レドームに搭載されるレーダーなどは既に決定していた)したMcBing社の機体は、レドームそのものに申し訳程度の翼を取り付けると同時に、キャビン部分を取り付けた形状となった。その形状からコードネームは、ディッシュ(皿)と呼ばれ、それは、そのままこの機体のメジャーネームとなった。また、キャビン部分が甲羅から頭を出したかめのように見えることからタートルとも呼ばれた。<br> <br>  その機体性能は<br>   全長   50.5m<br>   全幅   42.8m   <br>   自重    100t<br>   航続距離 6200km(巡航時)<br>   速度    720km/h(巡航550Km/h)<br>  と、いうものだった。<br> <br>  0067年、最初の実用機が試験飛行を無事に済ませると、飛行特性が非常に悪いと評価されたにも関わらず、電子戦性能と戦場管制性能が非常に良好であったために、正式な採用が決定され、最初の装備機となった、いわゆるバージョンAが、5機生産された。しかし、正式採用後、配備部隊先での運用が始まった直後の0067年6月、着陸時に墜落事故を起こし、本機の飛行性能のあまりの低さがとりだたされることになった。一時は、正式採用の取り消しを考慮もされたが、連邦軍の官僚的体質がそれを妨げた。<br>  軍内部で本機の採用継続について議論が紛糾する中、McBing社は、残った4機のうち、2機を回収すると同時に生産ライン上にあるディッシュに対し、飛行特性の向上を図る措置をとった。0067年11月に飛行特性を改良する為に翼面積の増大を図るとともにレドームを極限にまで薄くし、操縦のほとんど全てをプログラミング化したバージョンBが、ロールアウトし、その試験飛行をMcBing社のパイロットが行うという形で実施することとなった。3日間にわたって試験飛行項目を無事にこなしたバージョンBは、全ての問題を解決したわけではなかったが、ただちに配備が可能であると言う点で、採用継続が決定された。<br> <br>  改良された飛行特性は、満足行くものではなかったが<br>  1)ECM<br>  2)ECCM<br>  3)地上レーダー探査<br>  4)赤外線地形読み取り装置<br>  5)光学探査  6)同時多目標追尾性能<br>  等のいずれもが満足行く性能を出していた。<br> <br>  開戦時には、それぞれの性能を主にOSで改良し、飛行特性も更に改良されたバージョンE、42機があったが、目玉である電子戦が、機能しない特殊な状況下、および一時的に制空権を失うといった開戦時の特殊な状況下で多数が失われることとなった。<br>  オデッサ以降、ジオン軍の制空権力が弱体化すると同時にミノフスキー粒子の影響も減少した11月以降は、その強力な戦場管制能力で想定しなかったモビルスーツ部隊の指揮運用にも運用されるなど限定的な活躍を見せることもあったが、戦争期間中の大部分では制空権が確保された空域での単なる高価な連絡機としてしか運用されなかったことは残念である。しかし、これは性能的な問題や用兵的な問題ではなく、全く想定しなかった戦場形態になったためだった。

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