+++桜田ジュン(6/23PM1:07薔薇学園校舎裏)+++
僕が雪華綺晶に連れて来られた所、それは学校の校舎裏だった。ここは人が来ることは滅多にないから秘密の話をするにはもってこいの場所だ。
今も僕達以外に人影はなく、今はただ、この季節にしては暑すぎる日差しが照っているだけだった。
さすがに日向に出ていたら日射病になりかねないので、僕達は校舎の影に入って向かい合った。
目の前に黙って立っている雪華綺晶の姿を、僕は黙って睨み続けていた。


「もうしわけございません。こんな所にお連れして」
「で、なんなんだよ話って」


思えばこうやって雪華綺晶が僕に積極的に接してきたのは初めてかもしれない。
雪華綺晶は、他の七人とは違い、他人とはいつも精神的にも、物理的にも距離を置いている。距離を置く理由はわからない。
僕が話しかけても『はい、ええ、まあそうなんですか』といった相槌や、あたりさわりのない返答しかされたことが無い。
いつも後ろに一歩下がって、一人静かに笑っている。それが僕の中の彼女のイメージだった。
だから、雪華綺晶が話したいことについてもまったく予想が出来ない。


「はい、ジュン様、ばらしーちゃんとはうまくいっているのですか?」
「薔薇水晶?ああ、仲良くやってるよ」


その言葉にウソはない。実際、薔薇水晶とはケンカもなくうまくやっている。
というのも、薔薇水晶は、僕が何をしても決して怒ることはないので、何かトラブルがあっても、それがケンカにまで発展することがないのだ。
―――そう、薔薇水晶は、僕が何をしても絶対に怒らない。


「そうですか―――」


それを聞いた雪華綺晶はゆっくり目を伏せ、何かを考えていた。暫しの静寂……。


「話ってそれだけか?じゃあ僕はもう戻るぞ。薔薇水晶も待たせてるんだし……」


この暑い中。静寂に耐えきれなくなった僕は、彼女にそう告げると教室に戻ろうとした。


「お待ち下さい。話しはまだ終わってません」


背中を向けた僕に雪華綺晶はそう言った。


「?まだ何かあるのか?」
「はい」


僕の問いかけに返事をした雪華綺晶は、そのまま僕の目を真っ直ぐに見詰め、ゆっくりと口を開いた。


「単刀直入にお聞きします。ジュン様は……本当にばらしーちゃんを愛しているのですか?」
「―――!!」


その瞬間、僕の中に稲妻が走った。
さっきとは違う、凍りついたような沈黙が辺りを包む。
日差しはあいかわらず強く照りつけ、湿気を含んだ生温い風が、僕の頬を微かに撫で、昼休みの喧騒が、遠くから微かに聞こえてくるにもかかわらず、
その沈黙の中で、鉛筆一本落ちただけで、飛びあがりそうな、なんとも言えない緊張感が周囲の空間を満たしていた。
その雰囲気に、おもわず冷や汗が出た。


「あ、あたりまえだろ……」


僕はその沈黙を破り、どもりながらも彼女の問いにそう答えた。


「あたりまえだろ。僕は薔薇水晶が好きなんだ。愛してる。じゃなかったら、あいつと付き合うわけないじゃないか……」


それを聞いた雪華綺晶は呆れたように首をふった。


「しかし、私にはそうは思えません―――ジュン様はばらしーちゃんのことが好きと、愛してると仰ります。
 ですが、だったらなぜ”あの日水銀燈さんと縁を切れなかった”のですか?
 なぜ、”水銀燈さんを忘れるためだけにばらしーちゃんの純潔を奪った”のですか?」
「っ!!」


彼女の口から語られたこと、それは、僕と薔薇水晶しか知りえない二人の秘密。それをどうして雪華綺晶が!?


「お前、なんでそのことを知っている」


僕は、自分でもわかるくらいに鋭い声で言った。


「あてずっぽうですわ。ジュン様には悪いと思ったのですが、少しかまをかけました」


雪華綺晶は、口元に軽く握った拳を当てて、ククッと笑った。


「――ですが、やっぱりそうなんですね。ジュン様は、まだ水銀燈さんのことを……」


僕は無言で頷いた。
僕が薔薇水晶を抱いたあの日から、僕は水銀燈のことを忘れようと必死に努力した。
でも、薔薇水晶と笑い合っているときも、薔薇水晶を抱いているときも、ふとした瞬間に水銀燈のことを思い出してしまうことがあった。
時には、薔薇水晶の姿が水銀燈と重なり、思わず『水銀燈』と呼んでしまったこともあった。
忘れようとしても忘れることが出来ない。そんな僕が本当に薔薇水晶と一緒にいていいのだろうか?他の女のことでこんなにも悩んでしまう僕が。
――いや、やめておこう。これ以上考えるのはよそう。
だって彼女を選んだのは僕自身なんだから。


見たくないモノからは目を逸らそう。


この感情は、心の奥に封印しよう。


そうすれば僕は薔薇水晶と平和に暮らしていけるんだ。


そんな僕の様子を見て、雪華綺晶は一回溜息をついた。


「それで、ジュン様はいつまでこんな茶番を続けるおつもりですか?」
「……どういうことだよ」
「目の前の状況から目を逸らして逃げ続けているだけの貴方が、本当にばらしーちゃんとの平穏を享受するのに相応しいとお思いですか?」


雪華綺晶は感情の篭った厳しい口調でそう言った。


「僕が、僕が薔薇水晶と一緒にいてなにが悪いんだよ!?」
「いけませんね。今の貴方では、ばらしーちゃんを傷つけて不幸にするだけです」


雪華綺晶のその言葉が、僕の心にぐさりと突き刺さった。



―――ジュン、このままじゃみんなあなたのせいで不幸になるんだよ―――



数日前に薔薇水晶に言われた言葉が頭の中に甦る。


「貴方は今ご自分が一体何をなさっているのか、本当におわかりなんですか!?」


興奮してきたのか、雪華綺晶は肩を怒らせて僕に詰め寄った。


「ジュン様はばらしーちゃんを苛めることがそんなに楽しいのですか!?」
「いじめるって……それは……」


反論しようとするも、自分自身が薔薇水晶にしてきたことを思うと、何も言うことが出来なかった。


「私だって貴方が憎くてこんなことを言っているわけではありません。ですが、このままではいずれ近いうちに終わりが来ます。
 良くて関係解消。最悪の場合、全てが崩壊します。そう、今までのような偽りで塗り固められた関係では……」
「………」
「私は、ジュン様のことを気に入っておりました。ですが、今のジュン様は……最低です」


……最低……か……。僕は、落ち込みながらも、彼女の言葉を噛み締めた。


「もう一度だけお聞きします。ジュン様、貴方はばらしーちゃんを愛しているのですか?」
「…………」


僕は、雪華綺晶から目線を逸らして黙り込んだ。
僕は薔薇水晶が好きだ。愛している。ついさっきまでは胸を張ってそう言うことが出来た。
でも、僕が現実から目を背けている事実。逃げ続けている現状。
薔薇水晶を失いたくない不安から、気付かぬフリをしてきたそれを、雪華綺晶の口から聞かされてしまった。
そのせいか、僕の中で薔薇水晶への思いに揺らぎが生じ、『薔薇水晶が好きだ』と即答することが出来なかった。
はたして、こんなことくらいで揺らいでしまうような思いが、本当の『好き』だと言えるのだろうか?
そんな僕が、本当に彼女に相応しいのだろうか?
今まで思考を停止していた頭に次々と疑問が浮かび上がってくる。


―――これは、一度全てを見なおした方がいいのかもしれない。


「答えられないのですか?では代わりに答えましょう。ジュン様は……」


黙り込んだまま考えに耽っていた僕に雪華綺晶は言った。


「ばらしーちゃんを愛しているのです」


――――えっ?


「でも、お前は今まで僕に……」


雪華綺晶は、今まで僕と薔薇水晶の関係を否定する言動を繰り返していた。なのに、なぜ今になってそんなことを……。


「ジュン様は水銀燈さんのことも好きなんでしょう?」
「えっと、それは……」


雪華綺晶は、答えようとした僕を制止し、穏やかな声で、ゆっくりと幼子に言い聞かせるように僕に話しだした。


「ジュン様。貴方は水銀燈さんのことも好きなのかもしれません。でも、その『好き』が本当に『love』であるか、それを考えたことはありますか?」


僕は、彼女の言っていることを理解することが出来なかった。


「『好き』と『愛してる』は似てはいますが、その本質は全く違います。そして、『愛』には男女間以外にも様々な種類があり、
 それをハッキリと区別するは今の私達の年齢ではとても難しいことです。私が言いたいことはわかりますか?」
「よく、わからない」


僕は、首を横に振った。


「では、簡単にご説明いたします。ジュン様、ジュン様は今まで水銀燈さんを恋愛の対象として見たことはありますか?」
「……なかった」」
「では、性の対象としては?」
「それも、なかった」
「では、ばらしーちゃんに対してならどうです?」
「それは……ある。両方とも」
「それが答えですよ」


雪華綺晶はにっこりと笑った。


「幼馴染に対しての愛は、一般的には男女間のモノというよりも、むしろ身内や家族に対しての愛に近いのです。
 特に男性の方はそういった傾向が強くなっています。ですから、ジュン様は水銀燈さんへの思いは男女のそれではないんです。
 もし、ジュン様が水銀燈さんを女性として愛しているのなら、恋愛の対象として見ることも可能なはずでしょう?
 それが出来なかったのは、つまりはそういうことなんです」
「じゃあ、僕が水銀燈を考えてしまうのはなんでなんだ?やっぱり僕は……」

「それも簡単に説明できますわ」


雪華綺晶は続けた。


「ジュン様と水銀燈さんは長い間一緒にいました。ですからいつも側にいた水銀燈さんがいなくなったので、少し違和感を感じているのです。
 時々ばらしーちゃんの名前を間違えてしまうのも、きっと同じ理由でしょう。大丈夫、全ては時間が解決してくれますわ」
「……そう、なのか……?」
「はい。ですからジュン様は、御自分のお気持ちにもっと自身を持って、胸を張って生きて行くべきです」
「そうなのか……」


そう言いきった雪華綺晶を見て、僕は肩を落として小さく呟いた。


「でも、僕はこれでいいのか?僕は、薔薇水晶を傷つけて、水銀燈を傷つけて、雪華綺晶にも迷惑をかけて……僕の存在が皆を狂わせるんだったら、
 いっそのこと僕なんていなくなったほうがいいんじゃ……」
「あらあら、そんなことを言ってはいけませんわジュン様」


雪華綺晶は僕に近付き、手を僕の頬にそえて僕の顔を覗き込んだ。そう、まるであのときの薔薇水晶のように。


「そんなことを言ってはいけませんわ。もし今貴方がいなくなったらばらしーちゃんは壊れてしまいます。
 ですから、いなくなるなんてことは絶対にしてはなりません」


そう言うと雪華綺晶は僕の目を真っ直ぐに見つめた。薔薇水晶と同じ、金色の瞳で。
なにか変だ。彼女の目を見ていると、妙に心がざわついてくる。


「ジュン様。ジュン様はばらしーちゃんを愛しているのでしょう?」
「……たぶん」
「たぶんですか?」


雪華綺晶は苦笑した。


「今、ジュン様のお側にいるのは水銀燈さんではありません。側にいるのは誰なのか、ジュン様はおわかりですか?」


雪華綺晶は優しい声で囁いた。妙に落ち着いていて僕の心の奥にまで入ってくるような声で。


「―――薔薇水晶」
「では、ジュン様のお側でジュン様を信じているのは誰ですか?」
「―――薔薇水晶」
「では、ジュン様のお側でジュン様を支えているのは誰ですか?」
「―――薔薇水晶」


だんだんと気分が楽になっていく。
不思議だ……雪華綺晶に誘導されて答えるだけで、僕の心はあんなに悩んでいたのが嘘みたいに落ち着きを取り戻していった。


「そうです。ばらしーちゃんです。いつもジュン様のお側にいて、ジュン様を守り、信じ、支えているの水銀燈さんではなく、ばらしーちゃんなのです」


頭の中に霞みがかっていく。なんだかとっても心地いい。


「ばらしーちゃんはジュン様にとって大切な人ですか……?」


それにははっきり答えられる。


「ああ」
「ならば、ジュン様もばらしーちゃんを守り……何があってもばらしーちゃんを助けないといけません」
「だけど水銀燈が……」


言い切る前に雪華綺晶が言葉を重ねる。


「愛していない女のことなんてどうでもいいじゃないですか。だって、ジュン様が心の底から愛しているのはばらしーちゃんなんですから。そうでしょう?」


―――僕は、水銀燈を愛していない


それはそれでとても身勝手な考えだと思った。でも、それが真実なのだ。
そうだよ。薔薇水晶はあんなに僕を愛してくれているじゃないか。何を迷う必要がある?
どちらを選ぶかなんてわかりきったことだ。


「……うん。僕は、薔薇水晶を愛している」


それを聞いた雪華綺晶は、とても満足げな表情で頷いた。


「それでいいんです。水銀燈さんのことなんて放っておけばいいんです。ばらしーちゃんを愛することだけ考えましょう。
 今一番にしないといけないことは、本当に愛する人を幸せにすることなんですよ」
「ああ、ゴメンな。色々迷惑かけて」
「別に迷惑だなんて思ってませんわ。これからも私に出来ることがあれば遠慮なく仰ってください。
 私は、ジュン様には本当に幸せになってもらいたい。ですから、なんでも力になりますわ」


そう言って、雪華綺晶は少しだけ笑って見せた。


「ありがとう、雪華綺晶」
「私に感謝するのはまだ早いですわ。……それでは行ってください。貴方の一番大切な人の元へ」


僕は一言『ああ』と言うと、雪華綺晶から離れて、薔薇水晶に会うために教室に向かおうとした。途中で後ろを振り向くと、雪華綺晶は笑顔で手を振っていた。
そんな彼女に聞こえないほど小さな声で『ありがとう』と呟くと、もう振りかえることなく、僕は校舎裏を後にした。


――――――――――――――――――――――――――――――

「………」


ジュンが校舎裏から姿を消した後も、彼女はそこに残っていた。
日陰に入っても、その暑さを完全に防ぐことは出来ず、彼女はただ汗を流しながら座り込んでいた。
彼女は何かを待っているようだった。しかし、いつまでたっても何も起こらず、誰もやってこない。


「……それにしても暑いですわ」


外の暑さに耐えきれなくなって、校舎の中に戻ろうとしたそのとき、突然持っていた携帯電話がけたたましく鳴り出した。
彼女は携帯を取りだし、液晶画面を確認した。着信表示は、『金糸雀』だった。
彼女はすぐに通話ボタンを押して、金糸雀と話し出した。


『もしもし雪華綺晶、そっちはどうかしら?』
「どうもこうもありませんわ。連絡が少し遅すぎるのではないですか?」
『あっはっは、ゴメンかしら。こっちの展開がおもしろくてついつい忘れちゃってたのかしら』
「はぁ。もう少ししっかりしてください。これでは先が思いやられますわ」
『……で、そっちはどうなったのかしら?』
「こっちは万事うまくいきましたわ。ジュン様の気持ちは確実に水銀燈からばらしーちゃんに傾いています。全ては計画通りに進行中ですわ」
『へぇ、雪華綺晶はどんな手を使ったのかしら?』
「別にこれと言ったことはしてませんわ。強いて言えば、簡単なMC術を使用したくらいです。そちらはどうですか?」
『こっちもうまくいっているのかしら。真紅が足止めしてくれたおかげで、かなり時間を稼げたのかしら。今は薔薇水晶と水銀燈が教室で言い争ってるのかしら』
「ふふ……これほどまでに計画通りに進むなんて、少し怖いですわ」
『当たり前かしら。カナの計画がこれまでうまくいかなかったことはないのかしら』
「それもそうですね。それでは私は次の準備に取りかかりますので、例のモノは金糸雀さんが翠星石さんから受け取っておいてください」
『わかったかしら。でも、翠星石はどうするのかしら?もし翠星石がこの計画の本当の目的を知ったら、カナ達の邪魔をしてくると思うんだけど?』
「そのときは臨機応変に対応しましょう。でも、金糸雀さんは彼女をどうするか、もう考えているのでしょう?」
『うーん、雪華綺晶には敵わないかしら。でも、こんな問題を抱えるくらいだったら、初めからカナ達二人だけで進めたほうがよかったかも……』
「しかたがありませんわ。私達だけでやろうとすると、どうしても計画を練りなおす必要があります。翠星石さんを味方に引き入れるのは私としてもギリギリの選択でした。
 しかし、私に残された時間が少ない以上、これ以上計画を変更するわけにはいかなかったのです」
『ふぅん。じゃあこっちはこっちでなんとかしておくから、雪華綺晶も頑張って欲しいのかしら』
「ええ、わかりましたわ。全ては私達の勝利のために」


電話を切ると、雪華綺晶は携帯電話を直して、どこまでも澄み渡った空を見上げた。彼女は太陽の光をまぶしく感じ手で日光を遮った。


「そうです。ジュン様。もっとばらしーちゃんを好きになってください。もっと、もっと、もっと……そして、その絆はいずれ……」


雪華綺晶はにやりと笑いながらそう呟くと、彼女も校舎裏を後にした。
誰もいなくなった校舎裏には、暑さから来る陽炎が漂い、周りの景色をぼんやりと歪ませていた。



本編へ続く

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最終更新:2006年06月04日 10:13