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「びっくりしちゃったぁ。白崎さんとめぐが、ねぇ」

『世の中って、狭いのねぇ』と言いながら。彼女はまたグラスに口をつけた。

 全くな話だ。偶然にしては出来すぎた感もあるが、それも悪くないなと考え
てしまう自分も居る。

「白崎さん」

「何でしょうか」

「めぐはね。亡くなる数ヶ月前の間、何だかとっても活き活きしてた。
 知らなければ、とても病人には見えなかったわぁ」

「……」

 僕には結局、辛い素振りをほとんど見せていなかったが。彼女の身体は、確
実に蝕まれていた。

「じゃ、そろそろ今日は帰るわぁ。また週末に」

「ええ、今日もお疲れ様でした。また宜しくお願いしますね」



 彼女はグラスを片付けて、客が出入りする用のドアに手をかける。
 出勤時には裏口から入るように言っているが、帰りはどうせ僕が内側から鍵
をかけるので、表側から出て行って貰っているのだ。
 ドアを開けて、外へ出ようとするときに彼女は振り向いた。

「今度は、まぁ……ゆっくりめぐの話でもしましょうよぉ。
 『たまに思い出してあげるのも大切』でしょ?」

そう言い残して、店を後にする水銀燈。

 僕は表側のドアに鍵をかけた。適当に店内の照明を消し、裏口から店を出る。

 近くに借りてあるアパートへと向かう帰路、風がなんだか冷たい。酒で火
照った顔が冷やされる。
 夜はまだ明けそうに無い。漆黒の闇の中、周囲に全く音の無い空間を、僕は
独り歩いている。

 ふと、煙草を吸おうと思った。だが、たまたま持っていなかったので、やめ
ておいた。



 更に一日越えて、木曜。今日は週に一度の『トロイメント』定休日。
 僕は当ても無く車を走らせていた。

 昨日は普通に働いていたものの、何だかぼんやりとしてしまって、集中力に
欠けていた。いつものように休憩をとってみても、それは直らなかった。

 たまには気分転換も必要だろう。そんなことを考えて、今はドライブの最中。
 店の入り口には、『本日定休』のドアプレートをかけておいた。

「思い出してあげるのも、大切……」

 誰に言うでもなく、呟く。一昨日水銀燈に語りかけた、もともとは自分の言葉だ。
 たまに、というか。僕の中では、時々洪水のように君のことが思い出されるこ
とがある。ある一定の周期かどうかはわからないが、多分今はそんな時期なのだろう。
 何しろ、記憶の引き出しの中でも、かなり上段に入っているものだから。思い出そ
うとすれば、すぐなのだ。



――――――――――



 彼女は一度『トロイメント』にやってきてからというもの、週に一、二回の
ペースで訪れるようになっていた。
 僕はと言うと、公園で『休憩』している間に店に来られても困るので、店に
常駐している状態になってしまっていた。何しろ彼女のやってくる時間帯と曜
日に、微妙なばらつきがあったので。
 その度に僕らは色々な話をしたし、そんな時間は楽しくて。

「こんにちはー。偉いね、ちゃんと営業中じゃない」

「……監視されてる気分だよ」

苦笑気味に答えたが、僕としては自分の不在で彼女と逢う機会を失う訳にはい
かないと思っただけのことだ。ただ、それを直接彼女に伝えるのは何やら気恥
ずかしいので、言っていない。
 これでは思春期の少年の思考とあまり変わらないな、なんて思う。

 僕とて、女性と付き合った経験はあるが。逢う回数を重ねていくうちに、彼
女に魅かれていったという部分も、確実にあった。
 しかしながら、彼女の場合は。少し触れれば壊れてしまうような危うさを、
話せば話すほど僕は感じていたのだ。だからある種、同じ空間を共有して、そ
の声を聞くだけで満足出来ていたとも言えた。

「あ、でも白崎君。先週の木曜日は店開いてなかったよ?
 また公園かなーと思っていってみたけど居ないし」



「ああ、木曜は定休なんだ」

「そうなんだ……勘違いしちゃったよ、表に『準備中』ってあったから」

しまった。あまり気にしてなかったが、確かに『準備中』ではその日にまた営
業するように思われても仕方ない。
 ひょっとして、今までそれを勘違いしてた客も居たのだろうか……? 
いや、無いか。

「ごめんごめん。今度変えておくよ」

「その方がいいんじゃないかな。まあ、一回知っちゃえば大丈夫なんだけどね」

「うん、だけどまあ。新規のお客様のために、新しいプレートを用意しておく
 ことにします」

「それがいいかもね。……と、じゃあ明日はお休み?」

「そうなるね」

「じゃあ、何処か遊びに行こうよ。明日は特に予定ないんだ」


――――――――――


 そして次の日、木曜。普段は仕事の疲れ(疲れる程働いてるのか、と言われ
るとちょっと困る)を癒すために、部屋で一日中ごろごろしたり読書したりし
ているのだが。

「行き先とか決まってるの?」

「いや、特に」

「うーん、そういうところは気が利かないんだねぇ……」

「……申し訳御座いません」

 彼女を連れて、ドライブに出掛けることにした。とりもあえず、適当に道を
流してみようと思う。午前中急に彼女の方から連絡があって、出発するのは午
後からということになった。今は、丁度四時を回ったくらいである。
 夏はその姿を完全に潜めてしまい、周囲の風景は秋の彩りを見せ始めていた。
信号待ちで停車していると、街路樹の葉も大分色付いていることに改めて気付く。

「銀杏、綺麗だね。……もう秋かあ」

「この季節は好きだよ。なんだか時間の流れがゆっくりしてるような感じになるから」

「流れが、ゆっくり?」

「そう。夏みたく活発じゃなく、かといって冬のように冷え切った空気でもない。
 すごく、曖昧に。風景と一緒に自分が溶けていくような、そんな感じ」

「そしてゆっくりと時は流れ……冬に時間は、止まってしまう?」

「……そうかもしれない」

「冬に眠っている間は、夢を見ているのかな」

「どうだろう」

「うん、きっと見てるよ。それが優しい夢なら、きっといいと思う」

「詩人だね」

「白崎君には負けるなあ」

 そんな話をしている僕らを乗せて、車は走る。

「ゆっくり、ゆっくりか……それって白崎君の拘りだったりするのかな」

「ん?」

「結構、言ってるような気がする」

「そうだなあ……拘りと言うと、確かにそうかもしれないかな」

 世間の喧騒から隔絶された、ゆったりとした時間を。『トロイメント』のコ
ンセプトを考えながら、確かに彼女の言うことにも一理あると考える。



「『不思議の国のアリス』に出てくる兎は、やたら時間を気にしているんだ」

「そうだね」

「彼は『急ぐ』ということに。そして僕は、『ゆっくり過ごす』ということに。
 時間に拘っているという本質で言えば、彼も僕も同じなのかもしれないな」

「なるほどね。本質……話の領域を狭めながら、実は意味が広くなっていくのかしら。
 でも、同じく生きるんだったら、白崎君みたいなタイプの生き方のほうがいいかも」

ね、兎さん? 最後にまたいつもの一言を付け加えて、彼女は笑った。

「ふむ……難しいね」

 彼女と話している時、僕が話を持ちかければまさに『打てば響く』の様相を
呈してくれる。聡明とはまた違った、彼女独特の観念のようなものを踏まえ、
話は広がるのだ。


 普通は、退屈してしまうようなつまらない話かもしれない。けれど彼女は、
それをよく聞いてくれる。
 話の種は彼女の方から振られることもあるし。なんとも、心地良い時間だ。



「難しい、かあ。でも、一言『難しい』って言っちゃうと。
 答えを出さなくても許される雰囲気が出る気がするよね」

「許される?」

「そう。難しくて答えが出し辛いから、まあいいや、っていう。
 でもそれって悪いことじゃなくて、ひょっとしたら優しい解釈なのかもね」

「うーん……そうかもしれない。逃げることへの許容、って奴なのかな」

「うん。世の中、全てに答えを求めるのは酷だよね」

「……」

 確かに、そうだ。僕がそれに何という返事をしようと思いを巡らせていると、
彼女は弾んだ声で言った。

「あ、見て見て! 綺麗だよ」

 助手席側に、海が広がっているのが見える。路肩に、結構車が停車している
ようだ。秋も深まっている今、泳ぎにきている人々のものだとは考えにくいか
ら。大方、この風景を眺めに来ているカップルか何かのものだろう。

「ちょっと見ていこうか」

僕は適当に車を停めて、彼女をつれて降りた。コンクリートで埋め立てられた
階段の下に、砂浜が広がっている。

「波の音、すごいね」

「ほんとだ。……めぐ、寒くない?」

潮風が吹いていた。彼女は上に羽織っていたデニムジャケットのボタンを締める。
その下には、『再会』の時に着ていた白のワンピースを着ている。

「うん、大丈夫」

 風で、彼女の髪が少し舞い上がる。少し傾きかけていた陽に照らされて、な
んだかきらきらと輝いて見えた。

「季節外れの海の方が、私は好きだなあ」

「夏はひとで砂浜が埋め尽くされるからね」

「本当だよ……あ、ちょっと下にいってみない?」

立ち上がった彼女が、階段を下りていく。砂浜に辿りついて、彼女は履いてい
たパンプスを脱いで手に持った。

「大丈夫?」

「平気だよ、白崎君もおいでよ」

 二人でぶらぶらと、砂浜を歩いた。はしゃいだ彼女がちょっと海に足を入れ
たりして、僕は少し離れたところからその様子を眺める。油断していたら、水
を少しかけられてしまった。

「すごい青色……」

「うん」

「色で溢れてるね、この世界は」

「うん、本当に」

 足首まで海に浸かり、彼女は彼方の方を見つめていた。

「普段眠ってるとね、私も夢を見たりするの」

「どんな夢?」

「えっと。真っ白な、世界の夢。でもね、何もないと思ってると、
 実はそこに花が咲いてるんだよ。一面に広がった、真っ白い花」

「花が咲いてるの?」

「そう。だからね、色鮮やかなのもいいけど。私は白も好きだな。
 あの花の名前、知ってるんだ。スノードロップって言うの。
 空から降ってきた雪を、天使がその花に変えたんだって。

 なんか素敵だよね、雪なんてすぐ消えちゃうのに、花に姿を変えて……」

「……」


 飛沫が煌く。単純に、ただ単純に、その中に居た彼女の姿が美しいと思った。
 だけど、僕がずっと感じている、彼女の虚ろさは一体なんだろう。こんなに
も笑顔で、どうしようもなくここに存在している筈の彼女。
 その姿は、僕が注意を向けなければ儚く消えてしまうような、そんな感じが
しているのだ。

 砂浜に戻ってきた彼女が、不意にこちらを向いて言った。


「ねぇ、白崎君」

「あなたは――私のこと、忘れない?」


 君は、その言葉を。
 どんな気持ちで――どんな気持ちを込めて、言ったのだろう。
 僕の記憶の引き出しに、もうどうしようもないほど君は居る。
 忘れることなど、ある筈が無い。


「大丈夫だよ――だって僕は、めぐのことが」

「ううん、待って」

「――え?」


 彼女は、涙を零していた。嗚咽もなく、ただ、まっすぐに落ちていって、砂
浜に吸い込まれていく涙。


「私ね、私ね――ずるいんだ。本当はいけないことだったの。
 だって、一度入った記憶は、どんなに沈んでいっても消えないんだもの」

「……めぐ?」

「けどね。私、駄目だった。弱かったの。だって、高校のときから
 ずっとあなたのこと――

 だからね、公園で見かけたときは嬉しかったの、本当に。
 それでね、思っちゃった――私も、思い出を作っていいのかなって」

彼女は、彼女は――、一体、何を。


「私ね。   ――もうすぐ、死ぬんだ」


 潮騒の音が、大きく響いている。一瞬、彼女が何を言っているか
がわからなかった。

「心臓の、病気。いっつも余命何年何年って、言われ続けて。
 家族はもう疲れちゃったみたいでね、ほっとかれてるの。
 だから検査のとき以外は、好きにしてる」




「……それって、いつから」

「ずっとだよ。生まれたときから、ずっと」

 事も無げに話す彼女の声は、とても透き通っていた。
 あまりにも、あまりにも透明すぎて、消えてしまいそうな声。

「白崎君たちがやってた人形劇――あの時、家族が入院してたんじゃないの。
 病気なのは、私だから。あ、劇が面白かったのは、本当だよ?」

「私ね、我侭なの。私が関われば関わるほど、白崎君には私の記憶が残る。
 私は眠っちゃうけど、白崎君はずっと、目覚めたままだから」


「だからね、今日はお願い。白崎君は私のこと、忘れないって言ってくれた、

 ――だけど、私のことは……忘れて?」


「酷いでしょう。我侭だって、わかってるけど――」


 言い終わる前に、僕は彼女を抱きしめた。


「――――!」

彼女の身体は少しだけ強張って、そしてすぐに力が抜けた。
「うん。確かに酷いなあ」

そう言って、身体が震える感触が伝わってくる。

「ごめんなさい、本当に――」

「いいんだ」

「――え?」

「いいんだ。我侭でもなんでも、僕はめぐの気持ちが聞けて嬉しい。
 僕は君が――好きなんだ」

「……」

 そう、だ。今彼女がどんな状態であろうと、今、この瞬間に……
僕らが存在するという事実は、変わらない。だから――これでいい。


 もう大分傾いていた太陽が、紅く染まっている。
 一瞬、風がやんで。まるで時間が止まってしまったようなこの空間で、
 僕は彼女に口付けた。

 一度。一度きりの、口付けだった。


――――――――――


 車はまた二人を乗せ、走っている。辺りはもう、大分暗くなってきていた。

「……なんか、変な感じだね」

「うーん……まあ、僕等らしいというか」

「ふふっ。なあに、それ」

 とりもあえず、彼女は病院に戻らなければならない。アクセルを少し深く踏
み込んで、スピードを上げる。

「ええと、有栖川大学病院でいいんだっけ?」

「うん。そんなに急がなくても大丈夫だよ、私が居ないの、いつものことだし」

 思わず苦笑してしまった。そうだ。言われたあとでも、彼女が病気だなんて
信じられない。
 普段どおり。本当に普段どおりに話をしているうちに、車は病院についた。

「ありがとう、白崎君。ここでもう大丈夫」

「中までついていかなくていいの?」

「一般の面会時間、もう終わっちゃってるから。外部の人間にはやたら厳しい
 んだから、ここ」


 ちょっと、頬を膨らませながら話す彼女。車を降りて、外側から運転席側へ
回ってきた。

「それにしても白崎君、真面目だね」

「何が?」

「二人きりの夜のドライブだよ? 気付いたら着いた場所がホテルでしたー、って。
 無くも無いなあと思ったんだけど」

「なっ! ……僕はそこまで、無粋じゃ御座いませんので」

慌てふためく様を、無理矢理抑え付けようとしていたのがばればれだったのか。
彼女はそんな僕を見て、本当に可笑しそうに笑う。

「ごめんごめん。むしろ安心したかな。やっぱり白崎君は優しいよ」

「どうなんだろうね……」

「そうだよ。……じゃあ、そろそろいくね。またお店にも、遊びにいくから」

「わかった。……お見舞い、行くよ」

「ありがとう。ちょっとパジャマ見られるの、恥ずかしいけどね。それにノーメイクだし」

 それじゃあ、と。手を振って別れる。彼女は建物に入ってしまう前に何度も
振り返り、こちらに手を振っていた。
 彼女が建物の中へ姿を消してしまうまで。ずっと、ずっと。
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