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  ~第二十九章~
 
 
木々の間から燦々と降り注いでいた陽光が、何の前触れもなく翳った。
あれほど晴れ渡っていた空は、分厚い雲に覆われ、今にも泣き出しそうだ。

 「予め、雨具を用意しておいて良かったわね」

雲間に走る稲妻の輝きに、思わず目を奪われながら、真紅が独りごちた。
穢れの者が現れる時、必ずと言っていいほど天候が崩れる。
雨に濡れ、凍えた身体では、満足に戦えない。

それを指摘したのは、当初から行動を共にしてきた翠星石だった。
尤もらしい意見だが、その実、自分の長い髪が雨でビショ濡れになるのが嫌だ!
というだけの理由だったことは、誰も気づいていない。
けれど、的を射た意見でもあった。
故に、ただちに数名が近隣の村に赴き、人数分の雨具を調達してきたのである。


しとしと……と、降り出す冷たい雨。
この雨は、穢れの者が自らの薄幸に流す、哀哭の涙か――
はたまた、新たな生贄の到着に歓喜して、顎から滴る唾液の雫か――
どうであれ、もう立ち止まることは出来ないし、そのつもりもない。
無論、引き返すことも。

雪華綺晶を除く七人が、蓑と笠を身に纏い、得物を手にする。
甲冑と兜が有る彼女には、雨具など必要なかった。
手にした兜を被ろうとする雪華綺晶に、薔薇水晶が囁きかける。

 「待って、お姉ちゃん…………これを」

控えめに差し出された薔薇水晶の掌には、白い薔薇を模した装飾の施された眼帯が、ひとつ。
綺麗に形の揃った花弁が、整然と縫い付けられている。
実に、精巧な造形だった。

 「まあ……素敵ですわね。これは、何処で買い求めたのでしょうか?」
 「私が造った。刺繍とか……得意だから」

そう言えば……と、雪華綺晶は思い出した。
誰もが得物の手入れをする中で、薔薇水晶は独り離れ、針仕事をしていた事を。

 「私なんかの為に、これほど細緻な眼帯を縫ってくれたなんて感激ですわ」
 「別に……。私はただ、忌まわしい赤目を見たくなかった……だけだから」

と、素っ気なく応じたものの、薔薇水晶の頬は上気していた。
この娘は、あまり嘘が上手じゃないらしい。あからさまに態度に出してしまう。
けれど、それは寧ろ可愛げがあり、褒め称えるべき事だった。

人は、他者より優れた存在になりたいから、一心不乱に努力する。
誰よりも秀でていると認められたいから、一生懸命に知識を吸収する。
けれど思いと裏腹に、現実は厳しく、願った通りにはならないものだ。
蟠る不満が心の許容量を超えた時、人は精神ばかりか、身体にまで様々な変調を来して、
悪くすると元に戻らなくなってしまう。
そうなる前の自己防衛本能によって、人は安易に嘘を吐き、見栄を張る。
そして――心を病んでいく。不安定な精神を、穢れの者に操られてしまう。
雪華綺晶は鬼祖軍団の四天王として、そんな人間を数え切れないほど見てきた。

でも、この娘なら、きっと……穢れの者の誘惑に負けずに、強く生きてゆける。
自分の知らない内に、妹はこんなにも逞しく成長していたなんて。
雪華綺晶には、それが嬉しくもあり、誇らしくもあり――
その過程に携われなかったことが、ちょっとだけ、寂しくもあった。

 「ありがとう、薔薇水晶。大切にしますわね」

萎れかけた気分を払拭するように快活に笑って、雪華綺晶は眼帯に手を伸ばした。
薔薇水晶の手が、つぃ……と退かれて、彼女の手が空を切る。
幼い子供がする様な悪戯かと思いきや、雪華綺晶を見詰める薔薇水晶の瞳には、
静かな怒りが込められていた。

 「? どうしたの、薔薇水晶? 私、気に障ること言いました?」
 「……その呼び方……気に入らない」
 「貴女の、名前の呼び方?」

薔薇水晶は、こくんと頷いた。

 「他人行儀で…………なんか、ヤダ」
 「では、どう呼べば良いのかしら?」
 「……翠ちゃんと、同じで良い」
 「と、言うと――」

翠星石が、親しみを込めて薔薇水晶を呼ぶ姿を思い出してみる。
思い出して、少しだけ躊躇した。
だけど、言いたい。今まで送れなかった慈愛を、言葉に乗せて届けてあげたい。
彼女が望むなら、望む分だけ……。

 「薔薇しぃ――で、良いのでしょうか?」
 「うん。そう呼んでね……これからも、ずっと」

薔薇水晶は満ち足りた笑顔を浮かべて、再び、白薔薇の眼帯を差し出した。
 
 
 
用意万端ととのえて、彼女たちは輪になり、互いの顔を眺め回した。
誰の表情にも緊張が見られるが、後悔の念は感じられない。
後はもう、進むのみ。

 「それじゃあ、みんな。出発よ!」

真紅の号令に、七人の薔薇乙女は力強く頷いた。
冷たい雨がそぼ降る中を、狼漸藩へ向かって歩き続ける。
鈴鹿御前の居城へ行くには、一旦、桜田藩を横切らねばならなかった。
 
 
 
街道にでて、少し進むと、難民の列にぶつかった。
木陰で雨を凌ぐ者。
濡れるに任せて、とぼとぼと歩き続ける者。
誰も彼も、例外なく沈痛な表情をしていた。

 「いよいよ、桜田藩からも領民が逃げ出してるみたいねぇ」
 「狼漸藩からの、避難民かも知れねぇですよ」
 「少し、話を訊いてみようか」

蒼星石は、近くの木陰で曇天を見上げている男に駆け寄って、話しかけた。
暫く言葉を交わして、小走りに戻ってくる。

 「どうだったの、蒼星石?」

訊ねた真紅に、蒼星石は渋面を向ける。

 「まずいね。事態は、思ってた以上に悪化してるよ」
 「やっぱり、桜田藩の國境も侵略され始めてるですか」
 「藩のお侍さんたちは、戦ってないのー?」
 「戦っては、いるのでしょうね。侵攻を食い止められないだけですわ」

常人の力で、穢れの者を討ち果たす事は難しい。
気の弱い者ならば、あの姿を見ただけで竦み上がり、逃げ出すだろう。
そんな奴等に大挙して押し寄せられれば、戦う前から戦意喪失するのは、
やむを得ない事だった。

 「一昨日、桜田藩と明伝藩の連合軍が、狼漸藩に攻め込んだそうだよ。
  でも、半日と経たずに、壊滅状態にされたらしい」
 「……で、今度は手薄になったところを、逆襲に遭ったワケかしら」
 「急がないと、桜田藩まで鬼祖軍団に征服されちまうです」

と言って、徒歩での移動は限度がある。
やれやれ……と言わんばかりに、水銀燈が肩を竦めた。

 「どこかで、馬でも調達できたら良いのにねぇ」
 「雪華綺晶が乗っていた馬を放してしまったのは、失敗だったのだわ」
 「今更……愚痴を零しても……仕方ない」
 「馬の調達か…………ボクと姉さんで、なんとかなるかも知れないよ」

翠星石と蒼星石の姉妹は、ジュンが健在の時、桜田家に仕官していた。
嘗ての確執が、全て消え去ったとは言い難い。
だが、桜田藩が存続の危機に晒されている今、小さな事には構っていられない。
つてを求めれば、彼女たちと考えを同じくする武将が、協力してくれるだろう。

 「そうと決まれば、急ぎましょう。これ以上、悲しむ人々を増やしてはダメ。
  穢れの者どもを増強させてしまうのだわ」
 「そのとおりです。奴等は、逃げ遅れた人々を、容赦なく殺すですよ」
 「それも、憎悪や怨嗟――いわゆる怨念を募らせるため、残忍な手口でね」
 「っ…………」

真紅たちの会話を耳にして、雪華綺晶は、目深に被った兜の下で、苦しげに顔を歪めた。
自分も、少し前まで、その残虐行為を指揮していたのだ。
あの頃は、凄惨な光景を目の当たりにしても、何も感じなかった。
笑ってすらいたように、思う。

それが、穢れの植物に寄生されていたからだなんて言い訳は、したくない。
理由はどうあれ、自分がしたことに違いはないのだ。
今はただ、罪を償う為に、生き続けているに過ぎなかった。

 「お出でなさい、獄狗」

雪華綺晶の背後から、熊のように大きくて、真っ白な犬が顕現した。
黒ではなく、白。狗ではなく、犬。
神槍『澪浄』の加護なのか、精霊までもが、その姿を一変していた。
雪華綺晶は、獄狗の背に軽々と飛び乗った。

 「雪華綺晶! なんのつもり?」
 「私だけでも、先に行って救助に当たるのですわ、真紅」
 「なにバカな事を言い出すですっ。
  独りで行ったって、包囲されて一巻の終わりですぅ!」
 「……それでも、今この時にも、罪もない人々が殺され続けているのです。
  誰かが行かなければ、救われる筈の命まで、奪われてしまいますわ!」

雪華綺晶の言い分は、正鵠を射ていた。
これ以上、民衆の慟哭を、穢れの者どもに聴かせてはならない。
そう言ったのは、他ならぬ真紅本人だ。

返答に窮しながらも雪華綺晶を留めようとする真紅を、水銀燈が左腕で制した。
彼女は右腕で、薔薇水晶の背中を、ぐっ……と押し出す。 

 「行くのは勝手だけどぉ、薔薇しぃも連れて行きなさぁい。
  この娘の精霊『圧鎧』がいれば、攻めと守りは万全な筈よ」
 「なるほど、その手があったね。ボクは、水銀燈の意見に賛成だよ」
 「理に叶っているわ。ここは二人に任せるかしら」
 「確かに、それなら……」

返り討ちに遭う危険は、格段に低くなる。
それに、四天王だった雪華綺晶が姿を見せれば、一時でも敵の動揺を誘えるだろう。
二度は通用しなくても、桜田藩に侵攻した部隊を撃退できれば、今はそれで良い。
真紅は雪華綺晶たちに、力強く頷いて見せた。

 「解ったわ。二人とも、お願いね」
 「ええ。任せて下さいな」
 「それじゃあ……行って来る」

雪華綺晶は、薔薇水晶に手を貸して、自分の前に跨らせた。
左腕で、しっかりと妹の身体を抱き留め、振り落とされない様にする。
彼女は「お待ちしていますよ」と微笑んで、獄狗を走り出させた。
 
 
 
 
獄狗は二人を乗せ、街道を風の様に駆け抜ける。
桜田藩の領内に入ると、難民の数は激増した。誰もが憔悴しきっている。
中には、手足を失うほどの手酷い傷を負っている者もいた。
國境では、もう……どれだけの人々が殺戮の嵐に呑まれてしまっただろう。

――手遅れかも知れない。
暗澹たる気持ちで、胸が一杯になる。
でも、行かなければならない。
一人でも助かる命が有るのなら、救わねばならない。

 「薔薇しぃ、少し飛ばしますわよ。しっかり掴まっていなさい」

言って、雪華綺晶は獄狗の脇腹を、軽く蹴った。
 
 

  
雨に煙る桜田藩の領内には、物々しい警備が敷かれていた。
完全武装の兵士たちが、穢れの者の襲撃に備えて、土嚢を積み上げている。

 「私の姿を見られるのは、あまり好ましくはないのですが……」

雪華綺晶の顔は、鬼祖軍団の四天王として、広く知れ渡っていよう。
下手に絡まれては、時間の無駄になる。かと言って、回り道をしても同じこと。
どうしたものかと思案する雪華綺晶に、薔薇水晶が振り向いて提案した。

 「お姉ちゃん。強行突破……しちゃおうよ」
 「あらまあ……意外に過激ですのね、この娘は」
 「……ダメ、かな?」
 「いいえ。私も、そういうの嫌いじゃありませんわ」

二人は顔を見合わせ、笑った。
雪華綺晶が獄狗を加速させ、薔薇水晶は圧鎧を起動した。
身体に当たる雨粒が、一瞬にして砕け散り、霞となって後方へ消えてゆく。
 
 
突如として背後から突進してきた巨大な犬に、兵士たちは動揺し、狼狽えた。
一昨日の大敗で士気が低下しているらしく、応戦する気概が感じられない。
彼女たちが過ぎ去ってから漸く、散発的に矢を射掛けて来たが、
走り去る獄狗に届く筈がなかった。

 「あら? なんだか、拍子抜けしましたわね」
 「でも……愉しいよ?」
 「ふふっ……実は、私もですわ」

薔薇水晶の手が、自分を抱き留める姉の力強い腕に添えられた。
長い間、求め続けてきた安らぎが、今ここに有る。
この瞬間が、ずっと続けばいい。薔薇水晶は、そう思った。
 
 
 
 
國境からほど近い街では、阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられていた。
ただでさえ湿度が高いのに、血の臭いと家々が燃え盛る煙が加わり、かなり息苦しい。
大きく息を吸ったら、噎せ返ってしまうだろう。

 「私……この辺で降りる」
 「解りましたわ」

雪華綺晶は獄狗を停めて、周囲を窺った。近くに、雑兵は居ない。
素早く薔薇水晶を降ろして、彼女に忠告した。

 「どこかに、この部隊を指揮する侍大将が居ますわ。それを真っ先に――」
 「潰すのね。任せといて」

短い遣り取りを終えて、薔薇水晶は未だ延焼していない街並みに走り込んだ。
耳を澄ませて、人々の悲鳴が聞こえる方へと向かう。
雨音と、火に炙られて爆ぜる木材の音に邪魔されるものの、確実に近付いている。
直後、助けを求める女性の悲鳴が、やや前方で聞こえた。

目を凝らすと、穢れの者に追い立てられる女性の姿が、棚引く煙越しに見えた。
女性は、赤ん坊を抱いているらしく、早く走れない。
易々と追いつけるにも拘わらず、雑兵は、わざと彼女に浅い傷しか負わせない。
恐怖を長引かせる為に、いたぶっているのだ。
薔薇水晶の身体が、怒りに震えた。

走りながら、腰の両脇に吊した小太刀『焔』と『樹』を、逆手に引き抜く。
右手の『焔』を素早く持ち替え、今まさに女性を斬ろうと剣を振りかぶった雑兵の頭蓋に、刃を突き立てた。
胴体を蹴飛ばし、倒れる弾みで刃を引き抜く。
そして、一瞬の迷いもなく、近くに居た二体の頭蓋骨を粉砕した。

脇から、錆びて刃毀れした刀を大上段に構えた穢れの雑兵が飛び込んでくる。
薔薇水晶は、圧鎧の装甲で刃を受け止め、骸骨の口に小太刀を突き通した。
瞬く間に四体を討ち果たして、薔薇水晶は腰を抜かして怯える女性に眼を向けた。

 「……歩ける?」

女性は泣きながら、コクコクと頷く。
薔薇水晶は微笑み「じゃあ、逃げて」と声を掛け、次の獲物を探し始めた。

人々の悲鳴や絶叫は、まだ止まない。依然として、殺戮は続けられている。
とにかく、声のする方へ向かえば間違いはない。
そう考えて、走りだそうとした矢先、目の前に鉄砲足軽が落ちてきて、驚かされた。
飛び降りてきたのではない。頭を下にして、落ちてきたのだ。
骸骨の鉄砲足軽は、泥濘るんだ地面に激突して、飛散した。
家屋の屋根を見上げると、獄狗に跨った雪華綺晶が見下ろしていた。

雪華綺晶は、獄狗を巧みに操って地面に降り立ち、
形を留めていた鉄砲足軽の頭蓋骨を、神槍『澪浄』の穂先で叩き割った。

 「軽率ですわね。狙撃兵の存在を失念するなんて」
 「うぅ……ごめんなさい」
 「まあ、良いですわ。それより、残敵の掃討に移りますわよ」
 「え? 敵の侍大将は?」
 「とっくに、私が仕留めてしまいましたわ」

言って、兜の奥で微かに笑う雪華綺晶。
――本当に、頼もしい人だ。
薔薇水晶は姉を誇りに思い、彼女の妹であることを幸福に思った。
 
 
 
 =第三十章につづく=
 
 

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