※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

 「有難う御座いました。またのお越しを」

最後の客が店を出る。今日はそろそろ店仕舞いだ。

「お疲れさまぁ。今日も忙しかったわねぇ……」

肩をぐるぐると回している水銀燈。全くだ、今日は月曜日だと言う
のに。評判というものは恐ろしいものだ。

「お疲れ様でした、水銀燈さん。お陰様で、今日も繁盛しました」

「私が居なかったらお店が潰れるってこと、無いわよねぇ」

ジト眼でこちらを見てくる彼女。

「お客様が来るも来ないも、僕はそれなりにやっていきますから。
  ま……大丈夫でしょう」

その辺りについては、割とのほほんと構えている。何しろ今までそ
れほど客が居ない状態でも、やってこれたのだ。

「楽観的なんだからぁ」

そんな台詞を残して、彼女は着替えのために奥に引っ込む。今日彼
女が仕事中に消費したお酒は、バーボンのボトルを五分の一程、ち
まちまと。店に備え付けられてるソーダを出すポンプからハイボー
ルを勝手に作り、量を誤魔化していた。ちなみに、いつもより消費
量は少なめだったと言える。

  テーブルとカウンターを吹き始める。グラスとフードメニューの
皿は、既に彼女が洗ってくれていた。こういうところで仕事がてき
ぱきしてくれていると本当に助かる。

  店は、日付が変わって午前一時を回ることには閉めるようにして
いる。街に出れば朝まで営業しているバーもあるのだが、ここはそ
うもいかない。何しろ、あと十時間もすれば『カフェ・トロイメン
ト』として店を開かなければならないからだ。
  ちょっと聞くと多忙なようだが、そうでもないのがここの良い所
だと(常連の客からはたまに怒られるが)思う。

  さて、もう既に火曜日になった。……ということは。

「お疲れ様でしたぁ。さ、今日もちょっと呑んでいっていい?」

「はいはい、畏まりました」

彼女は大学の二年次までで、相当な単位数をとってしまっていたの
で、時間的にはかなり余裕がある様子。『トロイメント』に週の半
分以上シフトを入れられるのも、そのお陰だ。

「火曜に講義入ってないのは楽ねぇ」

去年はその火曜日に、大分苦しめられていたようだ。なんでも、結
構きつい教授の講義があったのだとか。その腹いせというか何とい
うか、火曜日は完全なオフにしたのだと言う。
  その代わり、昨年は水曜が講義の予定が無かったので、火曜の夜
に彼女は決まって現れていた訳だが。日にちが一日ずれた所で、あ
まり変わらないような気もする。

  まあ。次の日の午前中に予定が無い日は、お酒を嗜む。それは生
粋の酒呑みとしての性であろうか。

「うふふ、今日は何から呑もうかしらぁ」

とても嬉しそうだ。だが正確には、『何から』という言葉が正しく
ない。全く酔っていないとは言え、彼女は既に呑んでいるので。
  彼女がカウンター席に座る。僕も彼女のメニューを聞いて、自分
の分を作り終わったあとは、客側のカウンターに回り腰掛ける。い
つものことだ。たまに彼女の方にお酒を作ってもらったりもする。

「うん、スカーレット・オハラでおねがぁい」

「畏まりました」

彼女のお気に入りのサザンカムフォートをベースにしたカクテル。
勿論彼女は自腹でボトルキープしている。自分の働いている店で
ボトルが三本も四本もキープされているのは、どうなのだろう。

  たまに彼女に頼まれるのだが、僕はこのカクテルを作る度に思う
ことがある。

「スカーレットは、幸せだったんでしょうかね」

「え? ああ、映画のことねぇ。まぁ、紆余曲折はあったみたいだ
  どぉ」

  スカーレット・オハラ。それは映画『風と共に去りぬ』のヒロイ
ンの名前として、あまりにも有名である。

「愛と己のプライドを天秤にかける……とでも言うのかしらねぇ。
  でも結局、『明日は明日』って。未来に希望する、強い女性だと
  思うわぁ」

  そういう風に言う彼女の意見と僕の見解は、少し異なる。あの物
語の終焉はハッピーエンドではないと思っているからだ。
  結局自らの意地を貫き通した先に待っていたものは、色々なもの
の喪失であったと。名前ほど後腐れの無い話であるとも思わないし、
決してひとのきれいな部分ばかりを映した話でも無い。

  なんとなく、水銀燈という女性とスカーレットは似ているのだろ
うか、などと思ってしまう。もっとも彼女の場合は、その求めた愛
を受けることが結局無かったし。今以て、そのかつての愛の対象も、
この世から喪われていない。
  ただ、自分の恋心よりも、彼女の大切な友人の想いをとったとい
うこと。スカーレットは自分の感情に忠実だったが。水銀燈もまた
『強い女性』の一人であると……そう考えるのだ。

「まぁ……大切なひとを喪うっていうのは、確かに辛いでしょうけ
  どね」

  そんなことを言う彼女の眼は、何処か遠い所を見つめているよう
な気がした。

  物語中、スカーレットは自らの子と、かつての恋のライバルと言
うべき存在を喪う。また、自信の結婚相手も。
  多大な喪失感の後、そうなってからは全てが遅すぎた。
  それでも新たなる未来へ向かって歩みだす姿に、感動を覚えるひ
とも少なくないのだろう。


  そうだ。残された者は、否が応にもその歩みを止めることは出来
ない。この世界に、存在する限り。
  生きてさえいれば。人生という名前の旋律は、奏でられ続けるの
だ。


「お待たせしました」

「ありがとぉ」

  自分の分として、ジンライムを作る。彼女と同じペースで呑む訳
にはいかないので、ちまちまと呑めるものを選んだ。

「それでは」

「お疲れ様でしたぁ」

チン、とグラスを一突き。

「ふぅ……仕事のあとの一杯はまた格別ねぇ」

「何だか発言が親父っぽいですね、水銀燈さん」

「……気にしてるんだから、言わないでぇ」

  ボォン、と。古時計が一回鳴る。半を回ったところか。
  このような感じで、月曜の夜は彼女の酒の席に付き合うことにし
ている。大概は他愛の無い話で、たまに彼女の友人達について話が
及んだりもする。

「まったく、真紅ったら。たまーに彼と喧嘩してるみたいだけど、
  卒業したらすぐにでも結婚しそうな勢いねぇ」

「まあ、そうですね。この間来た時、彼女もジュン君も元気そうで
  したし」


  『真紅』という女性は、彼女の親友でもあり、ここ『トロイメン
ト』昼の部の常連だったりしている。彼女の恋人であるというジュ
ンという青年に至っては、今はデザイナーの卵だが、かつてはここ
の従業員だった。

  世界は広いというけれど、交友関係というところに論点を絞って
みれば、案外とそれは狭いコミュニティで完結しているのだなあと
考えてしまう。巡り巡って、何処でひとは繋がっているかわからな
い分、未知であるとも言えるのだが。

「私もいいひと探さないと駄目ねぇ」

「そうですよ、水銀燈さん。あなたなら引く手あまたなのではない
 ですか?」

「そうでもないわよぉ……たまにナンパされたりするけど。
 なんていうか、愛が感じられないのよねぇ、愛が」

ふぅ、と溜息をひとつ。秀美に過ぎるというのも、考え物というこ
とか。

「そういえば、白崎さん」

「何でしょう」

「私のことばっかりいつも聞いてるけどぉ。白崎さんは誰かいいひ
  と、居ないの?」

「僕ですか……まあ、かつては居た、ということになりますね」

「別れちゃったの?」

「いえ。彼女が僕の前から消えたんです。本当に『居なくなって』
  しまいました。僕の手の届かない程、遠いところへ」

「あ……そうなのぉ。ごめんなさい」

「いえ、いいですよ」

グラスを傾ける。ドライジンが押下されて、喉の辺りが熱くなった。

「あら、もう空ねぇ。次、なんか呑みますぅ?」

「お言葉に甘えましょうか。それでは、同じものをもうひとつ」

「畏まりましたぁ」

いそいそとカウンターの裏側へ回る彼女。冷蔵庫からライムを取り
出し、慣れた手つきでスライスする。

「……さっき話に出たけど。大切なひとを喪うって、やっぱり辛い
  わよねぇ」

一言言ってからシェイキングし、グラスに中身を注ぐ。

「そうですね。まあでも、昔の話ですから」

ちょっと、嘘をつく。いくら昔の話でも、記憶は消えはしない。い
つまでもそれは、僕の記憶の引き出しに入っているから。

「お待たせしましたぁ」

「有難う御座います」

ん、旨い。お世辞ではなく、本当に上手になったと思う。もともと
器量は良かったが、ちゃんと勉強すれば自分の店も持てそうなもの
だ。

  彼女は手早く自分の分のカクテルを新たに作り、また戻ってくる。


「私もねぇ、大切なひとって言うか……女のひとだけど。
  仲の良かったひとが、昔亡くなったの。私が、中学生の時に」

「そうなのですか……」

「そう。中学生の時、私って友達少なかったって、前に言ったわよ
  ねぇ?」

「ええ、確か」

「それでねぇ。その女のひとは私の親戚だったんだけど。何かと私
  のこと気にかけてくれて。私もそのひとにだけは心を開いてたっ
  ていう感じだったの。

  ……だけど、病気で死んじゃった」

  僕は無言で、またグラスの中身を口に含む。今日はちょっと、呑
むペースが速めかもしれない。

「死に目に、会えなくってね。私が病院に行った時は、もう遅かっ
  た。人生で一番哀しかったことって何? って聞かれたら、多分
  そのことなのかもしれないわぁ」

ふと、彼女の方を見やる。またその眼は、何処か遠いところを見て
いる。きっと、その女性の過去の面影が、そこには映っているに違
いない。


「……って、ごめんなさいねぇ。なんだか湿っぽくなっちゃって」

「いえいえ。たまに言葉にしなければ、記憶はどんどん沈んでしま
  う。思い出してあげるということは、きっと大切です」

  些細なものでも、きっかけがあれば取り出すことの出来る記憶も。
真に埋もれてしまったのならば、頭に浮かべることすら困難になる。

  姿かたちは、写真を見ればそれが鍵となり、眼に焼き付けておく
ことが可能だ。ただ、声だけは。月日が経つにつれて、どんどん記
憶の引き出しの下方へ、追いやられていってしまうのかもしれない。

  僕はまだ、『思い出せる』。……大丈夫だ。


「そんなものかしらぁ」

  そして。それから一呼吸置いて、彼女は、言った。


「めぐも生きてれば、今頃結婚したりしてたのかしらねぇ」


……。? ……

「……水銀燈さん。今、なんと」

「えっ? 結婚が、どうとか」

「いえ、名前です。今あなたが口にした、女性の名前を」

「……めぐ、だけど?」

「苗字の方は」

「柿崎。柿崎めぐ、よぉ。どうしたのぉ? 白崎さん」



  ああ、そうなのか。
  やはり世の中は、狭いコミュニティで完結している。
  そしてその癖、何処で繋がっているのか。
  全く以て、わかりはしない――


――――――――――――――――――――――
|