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『fragile memory』

それは、いつもと変わらない朝だった。
やかましい目覚ましの音で目を覚ました水銀燈はあくびをしながらベッドを抜け出した。
そして洗面台に向かい顔を洗っていると、どうも違和感を感じるのだ。
なにか、胸につっかえているような感じ。
でも、それを「気のせい気のせい」と自分に言い聞かせて手早く用意を済ませ学校に向かった。

登校途中、ジュンに会った。
ジュンとは小中高と、ずっと同じ学校に通っている。
関係は…いわゆる『友達以上恋人未満』といったところ。
「あらぁ~おはよぉジュン」
「おう。おはよう。昨日は楽しかったな」
「昨…日?」
「ああ。みんなでカラオケ行ったじゃないか」
「あっ…そうね。そうだわぁ。…うん。すっごく楽しかったわぁ」
「?…まぁいいか。さ、学校行くぞ。急がないと遅刻だ」
「うんっ!」

水銀燈は不安に駆られた。
おかしい…昨日のことなのに…。
なぜ?ただの度忘れ?
…そうね。ちょっと物忘れしちゃっただけ。
うん。そうに決まってるわぁ。
自分にそう言い聞かせ、水銀燈はジュンの後について学校に向かった。
学校でも水銀燈は物忘れが酷かった。
『物忘れ』というよりむしろ『前日以前の事が思い出せなくなっている』のだ。
例えば…
「水銀燈ー!ヒナが頼んだCD持ってきてくれたなのー?」
「えっ……あ~…ええと…」
「うゆー?わすれちゃったなの?」
「…ええ…ごめんなさいねぇ…」
「気にしないのー!明日持ってきてほしいなのー!」
「ええ…。あ、なんのCDだったかしらぁ?」
「うゆ?レミオロメンの粉雪なの」
「わかったわぁ…明日持ってくるわねぇ…」
…こんな具合である。

一日中そんな具合だったせいか放課後、真紅と蒼星石に問い詰められてしまった。
「水銀燈。今日の貴女は少しおかしいのだわ」
「何かあったのかい?僕らでよければ話してみてくれないかな?」
二人は真剣な眼差しで水銀燈を見る。
この二人になら話してみてもいいかなぁ?

「…実はねぇ…昨日以前のことが良く思い出せないのよぉ…。それも『ちょっと物忘れしちゃった』なんてレベルじゃないくらいなのぉ…」
「…」
「…」
「今朝、ジュンに昨日のカラオケの話を聞いてもねぇ…。完全に忘れた訳じゃないんだけど……思い出せなくて…」

辺りを静寂が支配する
最初に口を開いたのは蒼星石だった。
「水銀燈、大げさかもしれないけど病院にいって相談してみたらどうかな?」
そして真紅も口を開く
「そうね。これが何日も続くならそうするべきなのだわ

「二人とも…」
ああ、やっぱり持つべき者はいい姉妹だ…。こんなに親身になってくれる…。
「二人とも…ありがとうねぇ…。…二人の言う通りにするわぁ」
「うん。そうしたほうがいいよ」
「体を大事になさい」
その答えに元気づけられたのか水銀燈は鞄を持ち二人に「また明日ねぇ」と笑顔で手を振った。
残された二人は
「大したことないといいね…」
「ええ…。でも…心配なのだわ…」

その翌日の朝、登校した水銀燈に真紅が話しかけた。
「昨日はあの後大丈夫だったの?調子はよろしくって?」
水銀燈は少し考えた後
「昨日……?昨日何かあったかしらぁ?」

水銀燈のその言葉に真紅は凍り付いた。
「何かあったか………って…」
「な…なによぉ真紅ったらぁ。そんな怖い顔してぇ…」
「…昨日、放課後この教室で話したこと…覚えてないのかしら?」
「昨日…教室…?」
不思議そうに首を傾げる水銀燈。とても嘘をついているようには見えない。
「水銀燈。今日、学校が終わったら病院行きましょう」
「えぇ?私別に病気じゃないわよぉ」
「いいから行くべきなのだわ。ついていってあげるから」
「…」
(はぁ…とりあえず蒼星石と……ジュンには知らせた方がいいわね)

そして放課後。
真紅とジュンに付き添われ、水銀燈は総合病院に来ていた。
水銀燈の検査は30分程で終わり、その後真紅とジュンは検査を担当した医師に呼び出された。

「君たちは…水銀燈さんの友人だね?」
「ええ…そうなのだわ…」
「先生…彼女は一体…どうなってしまったんですか?」
「うむ…。私もどう説明したものか悩むが…」
医師はジュン達に水銀燈の症状を説明した。
専門用語などの箇所はよく分からなかったが、かいつまんで説明すれば「今の水銀燈の記憶は約一日の間しかもたない」加えて「彼女が持っている彼女自身の記憶が抜け落ちていっている」とのことだった。
解決策は、ない。とも…。
「それは…確実なのか…?」
「十中八九間違いない…。…まあ、信じる信じないは君の自由だよ。…だが彼女は…」
説明を遮ってジュンは口を開けた
「………先生。最終的に水銀燈はどうなるんだ?」

「恐らく…幼児退行…。精神が六歳児ぐらいのものに…」
「そんな…」
「なんてこと…」
ジュンも、真紅も受け止めがたい現実に直面していた。
と、不意にジュンが医師に質問した。
「その…完全に記憶を失うのは…どのくらいで……?」
「私が思うに…あと一月といったところだ…」

医師は続けた
「この事を彼女に教えるかい?」
そんなこと…
ジュンは悩んだ。果たしてありのままを水銀燈に伝えていいものなのか…。
「彼女は待合室で待たせてある…後は君たちが決めなさい」
医師はそう言った。
ジュンは頭を抱え込み、悩んだ。
そんなジュンの肩に手を載せ、真紅は優しく言う。
「ジュン…。彼女に話しましょ…」
「真紅…」
「話して…残りのひと月、精一杯彼女との思い出を作りましょう」
「ああ…」
ジュンは俯いたまま頷いた。
「…私が言いましょうか?」
「いや。いい。俺が話す」
ジュンはきっぱりと言った。

二人は待合室に向かった。
中には水銀燈が長椅子に腰掛けて待っていた
「あ、ジュンだぁ。真紅もぉ」
よほど退屈だったのか二人を見ると表情が明るくなった
「ねぇ~何の話してたのよぉ」
「あっ…ああ…。まぁ、お前のこと…だ」
「私のぉ?」
「その……落ち着いて聞いてほしいんだ…」
そしてジュンは先ほど医師から言われた事を水銀燈に伝えた。
余すことなく…

話を聞き終わった水銀燈は、とても信じられないといった様子だった
「そんな…私…記憶…思い出…」
「水銀燈。落ち着くんだ。これは、事実なんだ…」
「わたし…忘れていっちゃうの…みんなのこと…ジュンのこと…」
水銀燈は本当に悲しそうに、そう言った。
ジュンも真紅も、答えることは出来なかった
「やだぁ…やだぁ…!みんなのこと…忘れたくないよぉ…!…どうしたら…いいのよぉ…!」
水銀燈は、ただただ悲しそうに、残念そうに心の内を吐露した。
「俺だって…俺だって…………辛いんだぞ?」
ジュンも、俯きながらそう言った。

だが、一番辛いのは当の本人だろう。
水銀燈は
「やだぁ…やだよぉ……」
と、涙ながらに繰り返すばかり…
…俺は一体なにが出来る?水銀燈の為に何をしてやれる?水銀燈が泣く姿は見たくないんだろ?
ジュンは考えた。
答えなんて、とうの昔に出ていた。
泣いている水銀燈をジュンは強く抱きしめ、そしてはっきりとした口調で水銀燈に語りかけた

「水銀燈。泣かないで。…俺と残されたひと月、思い出を…作らないか?その……俺の…恋人として…」
「えっ…?」
突然のジュンの告白に水銀燈は驚いた様子だった。
「俺、水銀燈の事が好きだ。確かに昔からの友達同士だけど…でも、俺は水銀燈を一人の女性として愛したいんだ…」
「ジュン…ジュン…!…ああ…わたしもぉ…私も貴方のことが好き…好きなのぉ…」
水銀燈は嬉しそうにジュンを抱きしめ返した。
強く…強く…
「これで俺たち、恋人同士だ」
「ええ…。恋人同士よぉ…」
俺は…水銀燈に残されたひと月、精一杯彼女と生きていこうと心に決めた

翌日、ジュンは水銀燈の家にやってきた。
もちろん彼女は昨日の告白を覚えてはいないだろう。
だが、彼らには秘策があった。
――ピンポーン…
「水銀燈ー。迎えに来たぞー」
「あ、ジュン!おはよぉ♪」
二階の窓から元気に手を振る水銀燈が見えた。
「水銀燈ー。アレはちゃんと書いたか?」
「うん!もちろんよぉ♪」
「昨日の事は把握したか?」
「ええ。大丈夫。全部覚えていられるわぁ。この日記帳があればぁ」
そう言って水銀燈はハードカバーの立派な日記帳を取り出した。
昨日、帰る前に水銀燈にジュンが買ってあげたものだった

水銀燈とジュンの1ヶ月は、まさに『楽しい時間はすぐに過ぎる』といったところだった。
映画にも行ったし買い物にも行った。
一緒に食事もしたし散歩にだって出かけた。
ジュンは時々ふと「ひと月たっても水銀燈はこのままなんじゃないか?」と思うことがある。
だが、その希望むなしく水銀燈は彼女自身の思い出も失い始めてしまった。
いつも一緒にお喋りしてた薔薇水晶。
喧嘩ばかりだったけど、実際は仲が良かった翠星石。
いつも目をかけて、娘のように可愛がっていた雛苺。
雛苺と一緒になって水銀燈に手をかけさせた金糸雀。
勉強、部活での好敵手だった蒼星石。
そして…クラスで一番仲の良かった真紅…。
彼女の『大切な人』が彼女の中から徐々に消えていくのを目の当たりにするのが、ジュンにとって辛かった。痛かった。

そして、ついに告白の日から丁度一ヶ月が過ぎた。
もう、その頃の水銀燈は殆どの友人の記憶を失っていた。
が、ジュンの事だけはまだ覚えていた。

その日二人は朝からデートだった。
――水銀燈…。
ジュンは、この日の全てを…
――俺は、忘れない
一生心心に刻むと誓った

うふふっ♪今日もジュンとお出かけだわぁ
それに今日は恋人同士になって一ヶ月だし♪
デートコースは定番ね
まずは近くのデパートでウィンドウショッピング。
次はレストランでお昼ご飯。
ジュンったら。「今日は俺の奢りだ」だって
私の日記帳によれば彼、このセリフいつも言ってるみたいね

こうして、俺に甘えてくれるのも今日が最後になるだろう…
水銀燈の記憶から「桜田ジュン」が消えてしまったら…もう…。
…だから俺は今、悔いの残らないようにしている。
俺たち二人の、最後のデートの記憶…
まぁ、今は甘えちゃお
美味しそうなハンバーグのセットにデザート
うふふっ。おいしいわぁ♪楽しいわぁ♪

楽しかった時間はすぐに過ぎ、辺りはすっかり暗くなっていた。
二人は道端にお互い向き合っていた
もう、別れなくては…
もう、帰らなくては…
でも、まだ一緒にいたい…!
もっと、繋がっていたい…!
互いにそんなことを考えていた。
そして、口火を切ったのは水銀燈だった。
「ジュン…。私の最後のお願い、聞いてくれるかなぁ?」
「うん?なんだ?」
「わたしを…だいて」
「水銀燈…」
「もちろん…………ベッドで………ね?」
顔を真っ赤にして水銀燈は言った。
「…………わかった」
ジュンも、頷いた。

ジュンは水銀燈に連れられて、彼女の自宅にやってきた。
「ジュンは、わたしが一人暮らしなのは知ってるよねぇ…」
「ああ…。知ってる」
「じゃあ…入って…」
ジュンは水銀燈の自室に案内された。
「水銀燈…。本当にいいのか?」
ジュンは念を押した
「うん…。ちょっと…恥ずかしいけどぉ。ジュンを愛した証、ジュンに愛された証が欲しいのぉ…」
「…そうか…」
「だから…ジュン…」
そう言って水銀燈は身に纏っていた服を、ゆっくり、ゆっくり脱ぎ始めた。

水銀燈は着ていたものをすべて脱ぎ、一糸纏わぬ姿になった。
ちょっと痩せ気味な水銀燈の体は雪のように白く、美しかった。
「水銀燈…。すごく綺麗だよ…」
「うん…。うれしいなぁ……。ねぇ、ジュンも…」
服を脱いでくれ、と言いたいのであろう。水銀燈は恥ずかしそうにモジモジしていた。
「あっ…ああ…。すまん」
ジュンは急いで服を脱ぎ、裸になった。
水銀燈はもうベッドに入っていた。
「ジュン…」
「じゃあ、いくぞ…?」「うん…きて…」



部屋に、二人の甘い時間が過ぎていった…

今、二人はベッドの中で寄り添うようにしている。
――なすべき事はした…。
――心残りは…ない、はず…だ。
だけど…
「やっぱり…ダメなんだよな…」
「…ええ…。多分、明日起きたら私はジュンの事も忘れてしまってる…。」
「こればかりは…仕方ないんだよな…」
「………っ!やっぱりやだよぉ!忘れたくないよぉ!ジュンと過ごした時間。1分1秒だって忘れたくないっ!」
「おれだってそうさ!…当たり前だろ…」
「この温もりは…なくしたくないよぉ…」
幼子のように泣きじゃくる水銀燈にジュンは、優しくキスをしてさらに強く抱きしめた。
「おれは、おまえが元に戻るって信じて待ってるよ。何年でも、何十年でも…」
「ジュン……ああ…ジュン…」
「これはGOOD BYEじゃなくてSEE YOUAGAINなんだから。泣き顔はよせよ」
「……………ずっと…待っててくれるぅ?」
「ああ。待ってる」
「…約束だからねぇ」

水銀燈はそう言うと、小指を立ててみせた。
「?」
「ゆびきり。ずっと、待っててくれるって約束の」
「…ああ。そうだな」
ジュンも小指を立て、水銀燈のそれとつないだ
「ゆーびきーりげーんまーん…」
――そう…おれは待ち続ける…。
「うーそつーいたーら針千本のーます…」
――水銀燈という、愛した女の子が次に戻ってくるまで…。
『ゆーびきった!』
   絶 対 に 。



「おやすみ。ジュン…」
「おやすみ。水銀燈…俺はもう帰るな。明日のお前を驚かしたくない」
「うふふっ。やさしーねー…ジュンはぁ…」
そして、ジュンは部屋を後にした

翌日、水銀燈は本格的に入院生活を始めた。(手配は全て真紅がやってくれた。真紅は街の名士の娘だからなんでもやってくれる)
ジュンは朝、少しの時間だけ水銀燈と話すことが出来た。
水銀燈の反応は「おはようございます桜田さん」だった。
少し涙が出そうだったが我慢した。
「ああ。おはよう水銀燈」
と、いつも通りに挨拶を返して水銀燈家を後にした。

三日ほどたったある日、桜田家の郵便受けに一通の手紙が入っていた。
差出人は、水銀燈…。

『ジュンへ。
いま、わたしは眠気をおしてこの手紙を書いています。
まず、今日はありがとう。私に<証>をくれて。
明日以降の私も、どうか愛してあげて下さい。
あ、でも浮気はダメよぉ。
ジュンと過ごした時間は、まさに宝物。キラキラ輝いてるわぁ。
私は、今すっごく幸せです。
それはジュン。あなたが居てくれたから。
もう一度。本当にありがとう。
あなたの恋人。水銀燈より。
愛を込めて』

ジュンは、読み終えてさめざめと泣いた。
その手紙を、胸に抱きしめながら…


そして今、ジュンは毎日水銀燈のお見舞いに通っています。
また、あの笑顔に出会える日を信じて…。

『fragile memory』


―epilogue―

今日もジュンは病院へ向かう。
この生活は、もう5年続いている。
もうジュンは22歳。大学四年生だ。
無論こうして病院に足を運ぶのは苦痛ではない
「約束、したからな…。あいつと…」


水銀燈の病室は382号室。個室だ。
ガチヤ
「やぁ水銀燈。今日も来たよ…って、寝てるのか…」
水銀燈は安らかな寝顔で眠っていた。
「はぁ…。じゃ、ちょっとここで待たせてもらうよ。………あ、手ぇ握っててやるよ」
ジュンはベッド横のパイプ椅子に腰掛け、水銀燈の手を握った。
(ああ…だめだ。寝ちまう…。最近レポート書くので徹夜続いてたしなぁ………………………ZZZ)
疲れがたまっていたジュンはそのまま眠りこけてしまった。
ゆめは、見なかった。

―epilogue―その2
そして…
「ふぁ~あ……ん?………うわ!もう朝か?」
「おっはよぉジュン♪気持ちのいい朝ねぇ」
「ああ…そんなのんびり………………って…『ジュン』?」
「ただいま。ジュン」
「え…あ…え…?…まさ…か…?」
ジュンは口をパクパクさせるだけだった。
「全部、思いだしたよぉ」
「水銀燈…!水銀燈なんだな!?」
「うん…いっぱい心配かけちゃったねぇ…」
ジュンは水銀燈の言葉を遮って彼女に抱きついた。
「ああ…!水銀燈!水銀燈っ!もう離さない………!もう…!」
ジュンは、泣いていた
そんなジュンを愛おしそうに抱きしめながら、水銀燈は一言
「た・だ・い・ま」
と言った。

止まっていた時間が動き出す。
二人の時間はこれから紡いでいけばいい。
まだまだ時間はある。失われた五年間を補って余るほどに。
若い二人の前途には、祝福の道が開けているに違いないのだから…
―All Fin―

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