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                 浮  
                          時 か 
          葬 代  さ
          筆 れ  を れ 
     ま 握  ど 墨  し
     た る     に  
     熱 手    て
     に ぞ
     浮 
      く


桜田のりの来訪から数日、狭い暮らしの6条間に座り込み、蒼星石はずっと考え事をしていた。
時おり内職の縫い物の手を休めては、何やら真剣な思案顔でいることが多くなったのだ。
薔薇水晶と雪華綺晶は、彼女が何を考えているのかは測りかねていたが、おそらく桜田のりの来訪が
蒼星石に何らかの心境の変化を与えつつあるのだろう、と感じていた。

それまで、戦争が終わってからの蒼星石の様子は、同居する彼女達から見れば…どこか呆けている、の一言に尽きた。
パイロット時代の蒼星石はというと、いつ来るか分からない敵を待って気を張り、睡眠すら突然の空襲に
備えて浅いものにし、その細い身体に否応なく力を漲らせていた…といった感じだった。
その頃の蒼星石は、むしろ生き生きしているとも言えた。自分を活かせる居場所の中で…
それが…現在は一応縫い物をして日々を過ごしてはいるものの、その表情はまるで弦の切れた弓のように
締まりがなく、たまにぼうっとしては寂しそうにしていた。

515事件から終戦まであれほど敬われ、崇拝されていた蒼星石たち軍人に対する人々の態度は、
まさに手のひらを返したように一変し、今は憎悪と侮蔑と唾棄の対象以外の何ものでもなかった。
旧軍人に対する風当たりはそれだけではなく、連合国軍総司令部GHQが、自分らにのみ都合の良い偏向された
情報をラジオ放送していたことも追い風となっていた。
…分かりきった事の駄目押しのような天皇の人間宣言・押し付けとしか言えない憲法改正・一方的な東京裁判と
ABC級戦犯の処刑…。
東京裁判では右翼活動家の大川周明が「アメリカに日本を侵略者と言える資格はない、アメリカ人よインディアンの
土地から出て行け」と叫んだり、同じく笹川良一がわざとGHQを挑発するような言動を繰り返してついに逮捕が
決まり、「巣鴨大学に合格した。めでたい事だから紋付袴で入学してやる」と、ブラスバンドの演奏と万歳三唱の
見送り付きで巣鴨刑務所に入ったり…裁判の場では、“戦後”どころか“戦争”自体まだ終わっていなかった。
…が、貧しさに苦しめられていた人々には知るべくもない話で…
日本は、抗し難い力によってその変化を余儀なくされていった。
その凄まじさは、詰まるところ戦時中の翼賛的な雰囲気の裏返し・反動のような感があった。
いずれにしろ、自国だけの戦力放棄を以ってすなわち世界の戦争放棄を成そうとする新憲法の不思議な論理のもと、
旧軍人らには、それからの社会の中で生きていく物理的・心理的な拠り所が無くなった。
…これが、桜田少佐たちが身を以って守った国の現状か。
…そんな状況下で、蒼星石は生きるうえでの道標を失ってしまったのだろうと、当然薔薇水晶と雪華綺晶は考えていた。
メカニックの腕がある二人は復興の道を歩む日本では引っ張りだこだったが、戦闘機乗りだった蒼星石は、
軍も解体され、国産の飛行機の製造も禁止されている以上、その腕を生かす場がないこともあり、無理はない。
満州国経由で日本に亡命したユダヤ人である薔薇水晶と雪華綺晶。蒼星石は、彼女自身の祖国がどうであれ、二人を
尊重し、また誠実に接してきた。
二人もまた、戦闘機に乗って人々を守ろうと命を張っていた蒼星石を間近で見続け、その苦労と想いに報いるには
感謝という言葉くらいでは相当でないと感じていた。
それだけに、蒼星石が日々の暮らしに埋没し、気が抜けたように生きているのを見るのは辛い。
だがそんな彼女にどう触れていいかは判らず、日々の暮らしだけが三人のそばを過ぎていくだけだった。

…それだけに、桜田のりの来訪から一週間後、蒼星石から『少しの間旅に出る』と言われた時の双子の驚きは小さくなかった。
そのまま蒸発してしまいそう、という不安を二人は感じなかった。
突然ではあるが、蒼星石がそう明かした時の彼女の表情に、薔薇水晶と雪華綺晶が見たものが、かつての
パイロット時代の蒼星石の、意思に満ちた表情だったことだけが、驚きの理由だった。
旅の理由を聞かれた彼女はこう答えた。
「今の日本をこの目で見ておきたいんだ」

 

 

同じ頃、アメリカ合衆国。
ピッツバーグの米軍飛行場で、水銀燈は再び飛行服を着て、滑走路を自機に向かって歩いていた。
第二次大戦の終結とともに、彼女は軍を辞めるつもりだったにもかかわらず。
…親友のメグの死が、水銀燈にその思いを変えざるを得なくさせていたのは言うまでもない。
…特にあては無かった。ただ、メグと一緒なら、自分は何か別の事でも出来るような気がしていたのだ。
メグの病気を治し、それから…一緒に過ごし、働いて生きていきたかった。何でも良い、花売りでも修道女でも何でも。
その思いで水銀燈はこれまで高給取りの戦闘機乗りとして戦ってきた。
しかしそれも、第二次大戦が終わるまでそしてメグが治るまで、と決めていた事…
…親友と共に、水銀燈は生きる道標をも喪ってしまった。

整備員が、彼女にあてがわれた機のコックピットで、フライト前最後の調整を行っていた。
「快調ですよ」と陽気に言って機から降りたその整備員に返事を返す事もなく、水銀燈は一息に機上に上がる。
アメリカのレシプロ・エンジン戦闘機としては最優秀と言われている、P-51ムスダンク戦闘機。
グラマンからこちらの戦闘機に乗り換えた水銀燈は、新たな機に一刻も早く慣れようとしていた。
キャノピーを閉め、既に回転数の上がっているエンジンを震わせて滑走路へ進む。
一度停止し、無線から“離陸良し”と聞いた水銀燈は、スロットルを思いっきり開いて疾走…空へ昇った。

『見ろよ、あれが前の戦争の英雄、不死身の魔女…“堕天使”だ』
眼下の管制塔からヘッドホンを通じ、潜め切れてないささやき声が漏れてくる。
撃墜されたものの生きて還った彼女を揶揄していることに疑いは無い。

P-51の尾翼には、一際大きな逆十字が描かれていた。
性懲りもなく、以降も水銀燈を軍のマスコットにしようと上層部が考えた結果であることは言うまでもない。
…だが、水銀燈本人もそこにしか居場所を見出せなくなってしまっており、甘んじていたのもまた事実だった。

……いずれ、また新たな戦争が起こる。
  共産主義陣営との戦いが、間違いなく…。
  合衆国はそれを見越しているはずだ。そうでなければ、息も絶え絶えの日本に、見せ付けるように
  原子爆弾を落すわけがない。
…水銀燈は新たな戦いを待ち望んですらいた。 

空中分解寸前の機動を繰り返す彼女は、あわよくば亡き親友のあとを追おうとでもしているかのようだった。

 



数日後、日本
薔薇水晶と雪華綺晶に留守を任せ、蒼星石は、パイロット時代の給料をほとんど下ろして汽車に飛び乗った。
自らを日本の性の防波堤とした桜田のりが語った現状…すなわち、現在の日本の混血孤児らについて、
彼女はどうしても知っておきたかった。
…蒼星石らの住む東京においては、進駐軍兵士の日本人女性に対する暴行が後を絶たなかった。
中には、士官が集団で警察署に乗りつけ、女を世話しろと要求したという信じられない話もあった。
必然、道端や駅などに棄てられる混血孤児も増えているという。
蒼星石自身、乗った列車の網棚の上に、紙に包まれた混血児の死体を眼にしてしまっていた。
…では、日本の他の都市ではどうなのだろう。
最初に彼女が向かったのは九州・福岡だった。
福岡の博多港は、ソ連軍に蹂躙された満州や朝鮮半島から命からがら逃げ帰ってきた日本人らの
引揚げ港になっていた。
…引揚げの際、ソ連兵や満州人、朝鮮人に強姦された日本人女性が沢山いるらしい、と蒼星石は聞いていたのだ。
すし詰めの汽車に揺られてようようたどり着いた博多港で、蒼星石は次のようなポスターを見た。
『不法な暴力と脅迫で体に異常を感じつつある方は、すみやかに当施設へお越し下さい』
意図的にぼかしてある文章から、蒼星石はこれが何を意味しているのかを悟った。
……外国人から強姦された女性に言っているんだな…。
どうやら、噂は本当らしかった。
そうした女性らの子供を出産させ、すぐに死亡させる…そういった臨時の施設が福岡・二日市にあった。
そこには悲哀しかなかった。
望まぬのに母親となってしまった女性も、それを取り上げる医療関係者も…好き好んでしているわけでは
もちろんなかったが、望まれないまま生まれてきた混血の子供が、産声を上げてすぐに水につけられ…
命を天に返さざるを得ないというやりきれない現場を、蒼星石はじかに見た。
…彼女は、願わくばその混血児らが育てられるのを願った。
だが、貞操を奪われ、その上混血児を背負って生きていかねばならない女性達のことを考えると、
そんな事は第三者の気ままで勝手な思いつきでしかない、とも彼女は承知している。
博多港周辺でも、殺されはしないものの産み棄てられた混血児をところどころに見た。
…産んだ子を棄てるのも、この施設のように殺すのも、蒼星石には批判しようもなかった。
その代わりに思ったのだ。
生は受けたが両親から棄てられた混血の孤児のために、暖かい家庭が必要だと。

 



アメリカ本土でP-51の飛行に明け暮れていた水銀燈。
そんな彼女に、突如転属命令が出された。
配属先は…オキナワ。
大戦末期の戦闘で、日米両軍の血を惜しみなく吸った島。
今は米軍が統治下に置いているその島には、既に米軍の航空基地が備えられていた。
転属命令を受けて一ヶ月、カデナという基地に降り立った水銀燈は驚いた。
おびただしい数の戦闘機・爆撃機が、エプロンや格納庫に所狭しと並んでいる。
敷地内の兵舎にも多数の航空兵が詰めていた。
かつて敵地だった島の基地で過ごすというのはどこか居心地の悪いものがあったが、それでも水銀燈は自身の内面から
湧き上がる興奮を抑え切れなかった。
……オキナワにこれだけの航空戦力が集結しているということは、間違いなく戦争の始まりが近いことを意味している。
  それも、共産主義陣営との戦いになろうことは疑いがない。
  相手はどこの国であろうと構わない。
  ただ、戦に臨みたい。
“鉄の暴風”と呼ばれたオキナワ戦の爪痕が生々しいこの島での、基地を一歩出てバイクで走れば目に付く人々の窮状は、
この頃の水銀燈にはもうどうでもいい事のように思えていた。

……そういえば蒼星石、今頃どうしてるのかしらねぇ…。

 



福岡だけでなく、進駐軍基地や引揚げ港のある日本の都市のほとんどに混血児が存在する事を見て回って知った蒼星石。
何だかんだで時間がかかり、ほぼ一年ぶりに東京へ戻った彼女を、薔薇水晶と雪華綺晶が迎えた。
荷物を置いて早々、大事な話があると切り出した蒼星石の言葉を、二人は予感していた。
具体的なことは聞かないと分からないが、恐らく蒼星石は自分の今後を“決めた”のだと…。
蒼「僕は、祝福されずに産まれてきた混血の子供達のために、孤児院を作りたいんだ」
決然と言った蒼星石の言葉に、二人はやはり特に驚きはしない。
雪「…桜田司令のお姉さまのお子様を見てそう考え付いたんですのね?」
最期の力を振り絞り、人々を守ろうと散っていった桜田。彼の姉とその幼子の来訪は、まるで桜田が姉に乗り移り、
彼が守った日本が今叫んでいる悲鳴をかつての部下達に伝えようとしているように思えてならなかったのだろう。
蒼「うん。…放っておけないんだ。大半が棄てられて死を待ち、運よく育っても家庭や教育に恵まれず…何より、
  愛されず、大きくなれば恐らく非行に走る子供達を…」
薔「そう…」
蒼「僕にも覚えがある。この日本で、僕はこの肌や眼や髪の色で差別されたことも無いわけじゃない。
  恐らく君達も…鵜来基地に来るまではそんな目に遭ったことがあるんじゃないかい?」
雪・薔「…」
アドルフ・ヒトラーという男がナチスドイツを建てて以来、ただでさえ安息の地を持たないユダヤ人達は
己の血だけで迫害を受け、逃げ出すかさもなくば収容所に送られるかの運命を辿らざるを得なかった。
前者を選んだ薔薇水晶と雪華綺晶だが、それまで暮らしていたドイツを捨てる決心をさせたのは、
日々重くなる有形無形のユダヤ人迫害だった。
ユダヤ人受け入れを渋るアメリカやイギリス…二人に残されたのは、かつて国際連盟で人種差別撤廃提案を行い、
前述の二カ国から猛反対を受けた経験のある日本だった。
1938年、極寒のシベリア・満州国境で足止めされて凍えていた薔薇水晶や雪華綺晶らユダヤ人数千人は、
同盟国との関係悪化を覚悟の上での日本(満州国)側の保護を受け、生きながらえたのだった。
…がしかし、日本でも残念ながら白系ユダヤ人に対する偏見もあり、とりわけ大東亜戦争開戦以降は
“敵性外国人”と同列視された二人は、むろん日本社会で心無い目で見られたり言葉を掛けられたり
したことも少なくなかった。
中でもこたえたのは、一部の在日キリスト教会がユダヤ教排撃のために亡命ユダヤ人攻撃をしたことだったが…
同じ白系の蒼星石も、ここ日本では二人と同じような偏見を受けていた。
もっとも彼女自身は、これが祖国がユダヤ人に対する仕打ちなのだろう、比べてみればまだこちらの方が
手ぬるいかもしれないが…と思っていた。
しかしやはり、生まれつきの外見で差別されて悲しい気持ちにならないはずはない。
蒼「僕たちはまだ良い方だ。社会から認められないであろう混血児達に愛を…せめて教育を与えたい。
  そうすれば…彼らは生きていける。この日本で。世界で。お願いだ、君達も手伝ってはくれないか…?」
そう言って蒼星石は、正座したまま二人に頭を下げた。
薔薇水晶と雪華綺晶はしばし顔を見合わせていたが…頷きあったあとの答えは早かった。
雪「…蒼星石?」
蒼「なんだい?」
雪「言っておきたい事があったんですの。貯金は、そろそろ下ろしておいたほうが良いですわ。ね?ばらしーちゃん」
薔「うん。今のうちに」
蒼「…?」
雪「恐らく…そろそろ、国が預金封鎖をするかもしれませんわ。そうなってからでは、私達がいくら孤児院を作ろうにも
  お手上げでしょう?」
蒼「私達って…それじゃあ!」
雪「ええ。私達も、お手伝いさせていただきますわ」
薔「うん。私達の貯金も下ろしとくよ。子供達に、暖かい家庭を作るために…ね」
蒼「二人とも…ありがとう…!」
これからも手を取り合っていける存在となってくれた二人に、蒼星石は涙を流して感謝した。

…果たしておよそ一ヵ月後、政府は新円切替を行った。
蒼星石の貯金は、預金封鎖の憂き目に遭わずに済んだのだった。
ユダヤ人の経済的な強かさが、彼女を救った結果となったのである。
…ナチスがユダヤ人との共生を模索していたならば、首都崩壊・国家分裂という結末を迎えずに済んだろうに、と
蒼星石は本気で思った。

いずれにせよ、車輪は動き出した。



……姉さん、僕は進むべき途を見つけたよ。喜んでくれるよね?

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