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「ふぅ、朝はやっぱりつらいわね。朝ご飯の用意をしなくちゃ…」
私とジュンは新婚4ヶ月弱。
少し前までは私は料理がまったくできず、いつもジュン任せにしていた。
だが、今ではジュンの指導のおかげで、ずいぶんと料理は得意になった。と、自負している。
朝ご飯と夕食は私の当番。お昼の弁当はジュンの当番。というふうに、役割分担している。
というわけで、毎朝私は朝食を作り、用意ができてからジュンを起こすことになっている。
ジュンは毎朝8時20分に出勤するので、遅くても8時前には起こさなければならない。
とりあえずハムエッグでも作ろうと思い、キッチンに入り、ふと時計を見る。
くんくん時計の長針は、Ⅸの数字を指している。
短針は?…ⅧとⅨの間。どちらかというとⅨの数字寄り。
つまり、時計が指している時刻は、午前8時45分。
一瞬思考が止まり、また一瞬で顔面が蒼白になる。
「ジュン!大変よ!もう8時45分なのよ!起き…」
「もう起きてるよ。」
ジュンの部屋へと駆け込むと、そこにはずいぶんと落ち着いており、すでにスーツに着替え始めているジュンが。
「た、大変…。完全に遅刻じゃないの?」
「そんなに慌てなくても大丈夫だって。」
慌てふためいてる私を尻目に、悠々とスーツを着るジュン。
「そ、そんなこと言っても…」
「今日は何月何日だ?」
ほとんどパニック状態になっている私に、ジュンの謎かけ。
「何月何日って…。4月1日でしょう?」
「そう。今日は4月1日、エイプリルフール。昨夜真紅が寝た後、家中の時計を一時間進めておいたんだよ。」
呆然とする。そうか、今日はエイプリルフールか。やられた。
「というわけで、今の正確な時間は7時45分。まだまだ余裕だろ?」
ジュンを見ると、まるでイタズラっ子のような笑顔。
それを見て、悔しさが倍増する。
 
場所は変わって、リビング。
まったく、朝からヒヤヒヤさせられた。
ジュンは、テーブルで私が先程作ったハムエッグと、トーストを食べている。
私も朝食をとろうとテーブルにつくと、ジュンが口を開く。
「そういえば真紅、この前フランスへ行きたいって言ってたな。」
「ええ、そうね。行きたいと思っているわ。…どうして?」
フランス。私の憧れの地。昔から行きたいと思っていた。目的は紅茶。
「実は、旅行会社に勤めてる友人がいてね。コネで、僕らも連れていってもらえるらしい。」
意外な言葉。そういえばジュンには多くの友人がいる。そんな友人がいても不思議ではない。
「ほ、本当!?フランスへ連れていってもらえるの!?」
テーブルに身を乗り出してジュンに聞き返す。だが、ジュンは…
「ウ・ソ♪またひっかかったな。」
またニヤニヤと笑って人を小馬鹿にした顔でこちらを見る。
ま た か !
「…ひどいのだわ。そんなウソをつくだなんて。お金がなくて行けないのはジュンのせいなのに…」
口を尖らせて反論してみる。
「…悪かったよ。ごめんな、いつか連れていってやるよ。」
ジュンはヘコんでいる。相当この反論は効いたらしい。
まぁ、私はジュンを甲斐性なしだなんて思ったことは一度もないが、
それでもジュンにとっては、愛する人を旅行に連れていってやれないことに結構負い目を感じているらしい。
私は、ジュンと一緒にいられればそれでいいのだが、夫の威厳がそれではダメだ!などと言うらしい。
 
そうこうしている内に、ジュンを送り出す時間、8時20分になった。
ちなみに家中の時計は、私を焦らせたことに対する罰として、すべてジュンに直させた。
もう二度とこんな面倒くさいことはしないぞ…などとぼやきながらしぶしぶ直していた。
いい気味だ。
「それじゃ、行ってくるよ。」
玄関で、ジュンが手を振る。
「行ってらっしゃい。今日は何時頃帰ってくるの?」
「そうだな…いつもより少し遅くなると思う。7時頃かな?」
いつもは6時には帰ってきている。帰りが早いのは、会社が近いからだ。
電車で20分くらいの距離に会社があるのだ。
「そう。じゃあ、夕飯を用意して待ってるわね。はなまるハンバーグにするわ。」
「わかった。楽しみにしてるよ。」
行ってらっしゃいの…キス。
結婚したときから毎日しているのだが、気恥ずかしい。「行ってらっしゃいのキス」と意識するからだろうか。
朝っぱらから長々とキスしているわけにもいかないので、触れるだけ。
「行ってきまーす。」
「行ってらっしゃい。」
玄関から、ジュンの後ろ姿を見送る。
これが日常。毎日毎日変わらないはずなのに…
なぜだろう。何か、言い知れぬ不安が胸に生まれる。
まるで、これでジュンに会えるのが最後かのように。
この不気味な不安が杞憂で済むよう祈りながら、家の中へと戻る。
 
家事をしているとあっという間に時間は過ぎてしまう。
現在、くんくん時計が指している時刻は午後6時30分。今度は、正確な時間である。
鼻歌を歌いながら、はなまるハンバーグの用意をする。
初めてジュンに作った料理。あれから何度も練習して、私の得意料理になった。
何度も作っているので毎回ジュンに飽きないかと聞くのだが、
「いや、大好物だからね。どれだけ食べても飽きないよ。」と言っていつもペロリと食べてしまう。
本当にどれだけ食べても飽きないのか、嘘を言ってムリに食べてくれているのかはわからないが、
どちらにしろジュンは優しいのだ。そしてその愛する夫に料理を作ることが、本当に楽しくなってしまった。
どうしてこの喜びを知ろうとしなかったのか不思議なほどに。
今では、あの時お世話になった『くんくんと一緒に作ろう!料理がヘタでも大丈夫!』という本に載っている料理も、
ほとんど作れるようになった。我ながら上達したわね。
ちょうどハンバーグの生地ができあがった頃、電話が鳴る。
「はいはーい」
電話の相手には聞こえるはずがないのだが、つい言ってしまう。
手を洗い、電話の元へと駆けていく。
「はい、桜田です。」
電話の受け答えが上手な女性のことを電話美人と言うと聞いたことがあるが、私はどうだろうか。
いや、そんなことはどうでもいい。
『真紅か?僕だ、ジュンだ。』
相手は誰かと思ったら、ジュンだった。どうやら携帯からかけているらしい。
「あらジュン、どうしたの?電話なんかかけてきて。」
『どうしたはないだろ。一応朝も言ったけど、いつもより遅くなってるし、
 心配してるんじゃないかと思ってかけたのに。』
「あらあら、ごめんなさい。」
ちょっと反省。心配してかけてきてくれたのにひどい言い方をしてしまった。
『まぁいいか。今会社を出たところなんだ。薔薇ヶ丘駅6時42分発の電車に乗って帰るから、帰りは7時過ぎだな。』
薔薇ヶ丘駅というのは、ジュンの勤めている会社からの最寄り駅だ。
ちなみに、家からの最寄り駅は薔薇園駅という。
薔薇ヶ丘駅から5駅ほどはさんで、薔薇園駅がある。
「わかったわ。気をつけて帰ってきてね。」
『あぁ。待っててくれ。』
そういうとジュンの方から電話を切った。
温かいものを食べさせてあげたいし、ハンバーグを焼くのはジュンが帰ってきてからにしよう。
そう思って、ソファに座ってテレビを見ながら待つことにした。
 
7時になった。まぁ、7時過ぎと言っていたし、電車で20分ほどかかるのだから、まだ帰ってこないだろう。
7時5分。そろそろ薔薇園駅に着いた頃だろうか。
7時10分。薔薇園駅からは徒歩なのだし、そろそろ家に帰ってきてもいい頃だ。
7時15分。おかしい。道草でも食っているのだろうか?
不意に、朝ジュンを送り出したときに感じた言い知れぬ不安が胸に舞い戻ってきた。
嫌な予感がする。
ほんの数十分前に話した相手が、もしかしたら…
いや、縁起でもないことを考えるのはよそう。そう思ってテレビに意識を戻したとき、急に画面が変わった。
『臨時ニュースです。6時58分頃、薔薇園駅と薔薇吹駅との間の踏切で、列車と大型トラックの衝突事故がありました。』
臨時ニュース。大事故。そして…ジュンの乗った電車。
嫌な予感が、本当に現実になろうとしている。
『トラックの運転手の辺地偉太さんは全身打撲で重傷です。乗客には幸いケガ人は少ないようですが…』
ケガ人は少ないのか。ジュンがケガをしていなければいいが…
 
『ただ一人、桜田ジュンさんが重傷を負い、薔薇ヶ丘総合病院に搬送されました。』
 
時が、止まる。
今、アナウンサーによって発表された名前は、愛する夫の名前。
本当に、現実に、なってしまった。
 
薔薇園駅前でタクシーを拾い、薔薇ヶ丘総合病院へと向かう。
あくまで「重傷」なのだ。まだ、大丈夫。
タクシーの中、胸の前で手を組み、ただただ、祈る。
(ここまで不安が的中しているのだから、もしかしたら…)
そんな浮かび上がってくる不安を、必死で心の中で押しつぶす。
病院に到着し、手術室へと向かう。
「手術中」と書かれた赤いランプが点灯している。
手術室前の長椅子に腰掛け、再び、祈る。
耳にはいるのは、いやに大きく聞こえるコッチ、コッチ、という時計の音だけ。
朝、時計の時間を一時間進めてあり、ジュンにだまされたのがずいぶん昔のことに感じられる。
嫌な予感が胸で渦巻く。
もうどれだけ時間が経っただろうか。
手術室前の時計が示している時間は、10時。これも、正確な時間。
突然、赤いランプが消え、手術室のドアが開く。
中から出てきたのは、執刀医と思われる医師。
「先生!」
医師に駆け寄る。だが、その医師の表情は硬い。
「残念です…。お亡くなりになりました。」
医師が、言う。
大丈夫だ、という最後の望みが、崩れ去った。
その場に、崩れ落ちる。
涙が堰を切ったように流れる。
「し、しっかりしてください。」
医師が私の肩を抱いて声をかける。
「亡くなられたのは、おじいさまですか?」
…おじいさま?
顔を上げる。
「いえ、夫…ですけど…」
「あ、ご主人でしたか。これは失礼しました。亡くなられた桜庭俊さんは78歳だと聞いていたので…」
…さくらば、しゅん?78歳?
…あれ?
 
「というわけで…よく似た名前のまったく別の人だったの。」
今は、家にいる。
あの後遺族の方が来て、なんだかんだをしていて、家に戻ったのはずいぶん遅くになった。
くんくん時計の長針と短針は、今ちょうど文字盤の一番上で重なっている。
「なるほど。それで何回電話しても出なかったし、家に戻ってもいなかったのか。とんだエイプリルフールだな。」
目の前で笑っているのは、ジュン。もちろん、無事だ。
「でも、どうして無事だったの?」
ジュンは薔薇ヶ丘駅6時42分発の電車に乗ると言っていた。考えてみれば電車事故に巻き込まれているはずだ。
「いや、実は電話した後、弁当箱を会社に忘れたことにに気づいてね。それで取りに戻ったら、あの事故さ。
 運転再開のめども立ってなかったし、薔薇ヶ丘からタクシーで帰ってきたんだ。」
「そうだったの…」
正直、運が良かったとしか考えられないだろう。
亡くなった桜庭俊さんの冥福を祈ろう。
ジュンはチラリと時計を確認した。
「ところで、いい話を持って帰ってきたんだ。実は今日遅くなったのは、旅行会社でフランス旅行の件を話してたからなんだ。
 そしたら、一応なんとかなるみたいなんだ。僕らは新婚旅行もまだしてないし、どうかなと思ってね。
 …よかったら、一緒に行かないか?新婚旅行ってことでさ。」
フランス旅行!本当に行けるのだろうか?
そこで、朝のことを思い出す。朝は、ここで「ウ・ソ♪」と言われた。
「…同じ嘘は二度も通用しないわ。だまそうったってそうはいかないのだわ。」
だまされてなるものか。
だが、ジュンはハハハ、と笑う。
「そう言うと思ったよ。でも、時計を見てみろよ。」
くんくん時計を見ると、短針は文字盤のてっぺんを指し、長針はⅠを指している。
現在の時間は、0時5分。もちろん、正確な時間。
「もう、エイプリルフールは終わったよ。…今度は嘘じゃない。フランスへ連れていってあげるよ。」
目を丸くする。
「ほ、本当にフランスに行けるのね!?ジュン、ありがとう!」
ジュンに抱きつく。
ジュンと、結婚してよかった。
 
 
         ~FIN~
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