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8月7日。
喀血した桜田は、梅岡と笹塚に付き添われ、呉鎮守府内の医務室へ向かった。
既に、そこには何人かの海軍関係者が列を作っていた。
曰く、頭髪が抜け落ちている者、血尿・血便が出た者、悪寒に襲われている者…
少しして桜田は軍医に呼ばれ、診察台横の椅子に座らされた。
眼鏡をかけた女性の軍医がそこにいた。
金「…あなたは、どういった症状かしら?」
ジ「…先ほど、喀血しました」
金「悪寒は?黒い雨に打たれなかったかしら?」
ジ「はい…」
金「そう…」
ジ「軍医殿、自分の身体は…」
金「…正直、長くは保たないわ。あなたと同じ症状を呈した人が、昨日から沢山ここに来ているかしら…。
  …だけど、もう結構な数の人が亡くなってるかしら」
金糸雀という名の軍医は、済まなさそうに言った。
ジ「!!…そう…ですか」
金「…ここがあらかた片付いたら、私は市街に出て日赤と合流して治療活動にあたるわ。
  …少佐さん、あなたともお別れかしら」
ジ「そんな…軍医殿、市街に入るのは危険です!分かっているんでしょう!?昨日の爆発が原子爆弾という
  爆弾によるもので、その放射能が人体に影響を与えていると…僕のような」
金「…」
ジ「死ぬのが怖くない…と言ったら嘘になりますが、自分は覚悟しています!しかし、軍医殿まで危険な目に…」
金「私も…あなたと一緒、長くはないかしら」
ジ「…えっ?」
金糸雀は自分の白衣の袖を桜田に見せた。桜田は、そこに血痕があるのを見た。
金「昨日、私も市街に少しだけ入ったけど…恐らくその時、原子爆弾の影響を受けたんだと思うかしら。
  爆発の時に近くにいたわけではない…けど」
ジ「そんな…」
金「…」
ジ「軍医殿は…怖くないのですか?もう長くないと分かって…」
金「だから、市街で人々の治療をしに行くのよ。軍医として、医者として私は最期まで、その本分を尽くすかしら」
金糸雀のまなざしは澄みきっていた。
ジ「最期まで…」
金「もちろん、最初に喀血した時は怖かった…。でも、その後決めたかしら。私は軍医としての死に様を全うする」
ジ「死に様…」
金「少佐さん。死に様も生き様も…結局は同じものかしら。そう考えれば…怖いものはないかしら」
ジ「…!!」
桜田は、思わず涙を滲ませた。この女性の軍医は、なんと強かな人だろう…。
金「…さ、少佐さん、次の人が待ってるかしら」
ジ「軍医殿…ありがとうございました!」
桜田は直立不動で立ち上がり、金糸雀に敬礼した。
金糸雀は、一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに笑顔を返した…あまり良いとは言えない顔色で。


医務室の外に出ると、梅岡と笹塚が桜田を待っていた。二人とも先ほどまでとは違い、顔色を悪くし、
椅子に座って寒そうにしていた。
ジ「…君達もか」
梅「はい…。自分らも診察を受けましたが、症状からして長くはないと…」
笹「市街に入っただけでこうなるとは…我々の悪運も尽きました」
ジ「済まない…僕が私用で滞在を長引かせなかったら…」
梅「司令のせいではありませんよ」
笹「そうです。許せないのは米軍です…」
ジ「…梅岡少尉。笹塚飛曹長。…残された命を僕に預けてはくれないか…?」
桜田は何かを決心したかのように言った。
梅「…はい!」
笹「…どうせ、残り少ない命ですから…」
ジ「…ありがとう。実は…自分に考えがある。君達が了承してくれるかどうかは分からないが…」
桜田は、鎮守府の一室を借り、梅岡と笹塚に自分の考えを話した。
梅岡と笹塚は…話を聞き終え、桜田に大きく頷いた。 


…そして、三人は呉鎮守府を後にし、軍用トラックの荷台に乗せてもらって、新型機を受領するはず
だった郊外の飛行場を再び訪れた。
三人は、飛行場で必要な資材を調達し…翌日、空路で鵜来基地へと向かった。


…数時間後、8日の昼頃に、鵜来基地に爆音が轟いた。
基地の皆は驚いた。
帰ってきたのは予定されていた戦闘機二機ではなく…一機の一式陸上攻撃機だった。
2発エンジンの爆撃機である一式陸攻はゆっくりと着陸した。
…ところが、機体の後部にある出入り口は内側から開かれ、桜田がそこから姿を現したものの、彼は地上に
降り立とうとしなかった。桜田の腰にあったのは、彼が普段下げていた仕官用の軍刀ではなく、一振りの
日本刀だった。
降りてこないのは桜田だけでなく、主操縦席と副操縦席にいる梅岡と笹塚も同じだった。
不審に思った出迎え組は機体に近づこうとしたが…黙って立っていた桜田がそれを制した。
ジ「…皆、それ以上近づいてはいけない」
蒼「えっ…?」
蒼星石だけでなく、他の皆も怪訝そうに足を止めた。桜田は続けた。
ジ「…帰投が遅くなって済まなかった。…広島に新型爆弾が投下されたことはすでに皆も知っていると思う。
  僕達は…広島で実際に新型爆弾の爆発に遭い、その被害、惨状を目の当たりにした。いやそれだけじゃない。
  実際に…その被害を被った」
被害を被った?外の面々は首をかしげた。司令達はこうして無事に帰ってきたではないか、と。
…だが、飛行機乗りである蒼星石の鋭い観察眼は、桜田の顔色がすぐれていない事に気づいていた。  
ジ「米国大統領トルーマンの声明で…広島に落されたのが原子爆弾だということは知っているな?」
桜田は白崎と槐が重々しくうなずくのを待って続けた。
ジ「我々3名は…もう長くは無い。原子爆弾の放射能に被曝し、既に身体がおかしくなっている」
一同は衝撃を受けた。
雪「そんな…なんて事…」
槐「放射能…?」
ジ「そう、僕も良く分からないが、あの新型…原子爆弾の威力は、爆発で直接被害を受けなかった人間の身体
  をも放射能という不可視の悪影響で蝕み…殺す。実際に…医療関係者を始めとし、僕らのような被曝をした
  人々が…血を吐いて死んでいっている」
この恐るべき話を聞いた一同は言葉を失った。
薔薇水晶と雪華綺晶は、この受け入れがたい事実を耳にし、顔を手で覆って苦しげに息を吐き出した。
ジ「…僕達は米軍のあの卑劣な手段による虐殺が断じて許せない!広島市街で一体どれだけの非戦闘員が
  命を失ったか!?どれだけ苦しんで死んでいったか…呉鎮守府の調査によれば、恐らく10万人は下るまい」
白「10万…人…」
ジ「それだけじゃない、僕達のような境遇の人々を含めれば、その数は今後も日増しに増加していくだろう!
  そうなれば、…そうなれば、最終的に一体何万人の罪無き生命が失われるかっ…!!」
蒼「…っ!!」
唇を噛んで俯く一同。桜田はそれを一通り見渡して再度口を開いた。
ジ「自分と梅岡、笹塚は… 特 攻 作 戦 を実行する!」
これを聞いた、桜田達以外の全員は、自分の耳を疑った。衝撃が、走った。
蒼「司令…」
ジ「前述の通り…僕達3名はもう長くは生きられない。時間の問題だ。…ならば、座して死を待つよりは、限られた
  命を敵にぶつけて死ぬ!…それが僕達が決めた事だ。僕達が望む…死に様だ」
誰も何も言えなかった。ただ、誰からとも無く嗚咽が上がった。
3人がこんな結末を迎えようとは、誰も想像すら出来なかった。
ジ「…これ以降、僕達は出撃まで陸攻の中に留まる。君達まで被曝する恐れがあるから、絶対に機内に入っては
  ならない…。出撃は…今夜半に行う…では解散」
雪「ぁ…あああああああああっ!!!」
雪華綺晶が、絶望的な慟哭の声を上げ、地面にひれ伏した。薔薇水晶も堪えきれずそれに続いた。
苦しげに目を閉じて機内に戻りかけた桜田に向かい、突然蒼星石が頭を一杯に下げて叫んだ。
蒼「司令!…自分は6日の朝、広島へ向かうB-29の迎撃に失敗しました…!!
  自分が…自分が体当たりでもして確実に迎撃に成功していれば…こんな事には…
  申し訳ありません、申し訳ありませんっ…!!!」
ジ「…君は単機でよくやってくれた。責めたりなどするものか…。米軍の原子爆弾投下を許したのは、
  ひとえに我々軍将校の怠慢に他ならない。…君は悪くない」
蒼「司令…」
ジ「…白崎、槐。我々と君達の連絡のため、有線電話をここまで引っ張ってきてくれ。機外に置いておいて欲しい」
白・槐「…は」
桜田は機内に戻った。外に残された一同は、暑い日差しの中呆然と立ち尽くしていた。


少しして、白崎と槐は、有線電話機を持って陸攻に向かった。
桜田は、彼らが電話機を置いて機体から離れるのを、機体昇降口を開きつつ待ったが、彼らはそこから離れようと
しなかった。
ジ「…先ほども言ったが、君達も被曝する恐れがある。だから速やかに…」
ところが、電話機を持った白崎は、開いた昇降口から桜田を押しのけるようにして機内に押し入った。
梅「…おい!!」
笹「白崎少尉…」
呆気に取られる桜田の横で粛々と電話機の設置にかかっている白崎を見て、操縦席にいた梅岡と笹塚が声を上げた。
ジ「何をしているんだ!早く出ないか…」
白「自分も行きます」
作業の手を止めぬまま、白崎は言った。
ジ「なっ…駄目だ!君は被曝したわけじゃない!君まで連れて行くわけには…」
白「自分だけではありません。槐も行くそうです」
ジ「何だと…」
桜田は、機外で電線を持っている槐少尉を振り返った。
ジ「駄目だ。未来がある人間まで巻き込むわけにはいかない。これは司令として…」
白「…お言葉ですが、自分らは現在は司令の下海軍の命令系統下にあるとは言え、元は陸軍の人間です。
  加えて、自分らは陸軍中野学校出身者であります。開戦以来、中野ではゲリラ戦教育が行われています。
  自分らもゲリラ戦の指導を受けており…必ず司令のお役に立てるものと考えております」
ジ「ならば、君達は本土決戦まで生き残り、国民の盾となってゲリラ戦を展開すべきだ。ここで死ぬべきではない」
白「本土決戦…は、いえ、この戦争はもうすぐ終わります。日本の敗北という結果で…」
ジ「…」
白「政府は遅かれ早かれ連合国側に降伏するでしょう。そうなる前に…敵に思い知らせてやらねばなりません」
ジ「…しかし」
白「司令。自分らはこの基地で無線士として、我が軍及び敵の様々な通信を傍受してきました。ですから
  現在の情勢はよく理解しております。それも知りたくないような事ばかり…
  沖縄戦にしても、本土の無差別空襲にしても、その実態は手に取るように分かっていました。
  それに加えて今回の広島への新型爆弾投下…。
  自分も槐も、もう我慢なりません。我が国の敗北は致し方ないにしても、これ以上の無益な被害を出すことは…
  このままでは自分らは憤死してしまいます。政府と軍部が降伏を決定する前に…最後の一矢を報いたいのです」
ジ「…君は一時の激情で」
白「激情ではありません!司令、失われなくても良い生命が今後も失われていくのを防ごうとするのが激情だと
  仰られるのですか…それなら話は別ですが」
桜田も梅岡も笹塚も、白崎の話を聞いて黙り込んだ。
ややあって、桜田は顔を上げた。
ジ「どうあっても我々と一連托生と相成りたいらしいな…もう知らんぞ」
白「感謝します!」
白崎と槐が、初めて笑顔を見せた。


無線室に寝ていた水銀燈は…ゆっくりと目を覚ました。
動きが鈍い上半身をやっとのことで起こした彼女は、腹部の傷が治りかけていることに気づいた。
…ここはどこ?天国じゃなさそうね。
部屋を見渡すと…白人の女性が一人、泣き腫らした目でこちらを見ていた。
銀『あ…貴女は誰?』
英語で聞いた水銀燈。
次の瞬間、右眼に眼帯を付けたその白人女性は、水銀燈目がけて飛び掛ってきた。
雪『貴女達の…アメリカのせいで…っ!!!!』
銀『!?』
雪華綺晶は堕天使に掴みかかり、涙の入り混じった恐ろしい形相でその首を絞め付けた。
銀『ううっ…!!』
水銀燈は自分の首を絞める隻眼の女を両腕で振りほどこうとしたが、数日間眠り続けていて食事も採って
いなかった彼女は、腕にほとんど力を入れることが出来なかった。
雪『死ね!!この鬼畜!!!死んでしまえ!!!!』
雪華綺晶は絶叫した。
銀『…』
水銀燈は抵抗を止めた。
…私はまだ死んでいなかった。だけど私はもう要らない存在。…ならば、ここで殺されても別に良いわよね。

…声を聞きつけ、蒼星石と薔薇水晶が無線室に飛び込むと、雪華綺晶が、意識を取り戻した堕天使を絞殺しようと
していた。
蒼「雪華綺晶っ!!止めろ!」
蒼星石は雪華綺晶を引き離した。それを後ろから押さえ込む薔薇水晶。
薔『お姉ちゃん…』
荒く息をつき、喉を押さえて咳込む堕天使を憎悪の目で睨み付けた雪華綺晶は…また嗚咽を上げてその場に崩れた。
蒼星石は今なお苦しそうにしている堕天使の背中をさすってやった。
蒼『大丈夫かい?』
銀『…ええ』
水銀燈は力なく答えた。
その時、机の上の有線電話機が鳴った。
蒼「…はい」
ジ「僕だ。…すまないが、航空糧食と水を持ってきてくれないか?それと…無線機の下にある弾薬箱も頼む」
蒼「弾薬箱…?」  
ジ「…白崎少尉と槐少尉は、我々と同行することになった」
蒼星石は驚いた…彼らは被曝したわけではないのに。やはり戦闘員として訓練されてきた彼らには、僕以上に黙って
いられない心情があったのか…そもそも、司令達は一体どういった特攻作戦を行うつもりなのか?
蒼「…了解しました」
ジ「何かあったのか?」
蒼「その…堕天使が、目を覚ましました」
ジ「…そうか。誰か泣いてるのか?」
蒼「実は…雪華綺晶が、意識が戻った堕天使の首を絞めようとしていました。自分と薔薇水晶が止めたため大事には
  至りませんでしたが…」
ジ「…。分かった。堕天使は今話せる状況か?」
蒼「はい、話は出来るかと…」
ジ「替わってもらえるか?」
蒼「は…」

息を整えていた水銀燈は、突然あの見覚えのあるパイロットが電話の受話器を渡してきた事に驚いた。
戸惑いつつ受話器を受け取ったが…果たして英語で話していいものかどうかわからなかった。
銀『…』
ジ『やぁ。目は覚めたかな?』 
銀『英語…』
ジ『自分は大日本帝国海軍少佐、桜田ジュンだ。君は?』
銀『水銀燈…。合衆国海軍少尉よ』
ジ『水銀燈か。…目を覚まして早々、僕の部下が君に乱暴したそうで…すまない』
銀『…本当に驚いたわ』
ジ『申し訳ない。後で二度とそういう事がないように言っておく』
銀『あなた…英語が話せるのね』
ジ『勿論。我が国の海軍兵学校では英語を教授されるからね。僕だけじゃない。この基地にいる全員が
  英語を話せる』
銀『…そのようね』
ジ『近くにパイロットがいるだろう?彼女…蒼星石はドイツ大使の娘だ』
水銀燈は耳を疑った。
銀『えっ!?…あなた今彼女って言った!?』
ジ『…ああ。君と同じ、女性パイロットだ。女騎士…仏語でシュヴァリエとも言えるな』
水銀燈はすぐそばにいるパイロットを見た。これまで何度も空の上で対面し、水銀燈の心を奪ったその人は…
見まごうことなく女だった。“彼女”…蒼星石は、水銀燈の視線に気づいて少しうつむいた。
ジ『そして…眼帯を付けた双子の姉妹は、我が国に亡命してきたユダヤ人だ。ここでは整備士として頑張っている』
銀『…』
水銀燈の首を絞めた、右目に眼帯を付けて泣いている女を、左目に眼帯を付けている女が慰めていた。
銀『…私は本当に日本軍の捕虜なの?』
ジ『ははは、それは間違いないさ』
銀『そもそも、あなたは今どこにいるの?』
ジ『…僕は訳あって君達の前には出られない。すぐ近くにいるけどね…』
銀『なぜ?』
ジ『…僕の口から言うよりも、明日にでも蒼星石から聞いてくれ』
銀『…そう』
ジ『君は…堕天使と呼ばれているそうだな』
銀『ええ。よく知ってるわね。私、日本軍からもそう呼ばれていたの?』
ジ『ああ。…だが、蒼星石から聞いたが、君は君の同僚達とは違って、決して我が国の非戦闘員には攻撃を
  加えなかったそうだな』
銀『…当たり前よ』
ジ『まあ、何と言うか…君の軍人としてのその態度には皇軍を代表して礼を言う。ありがとう』
銀『まさかお礼を言われるなんて…なんだか変な気分だわ』
ジ『君は軍人としてプロフェッショナルだ。尊敬に値する』
銀『…私は普通よ。他の奴らがおかしいだけ…』
ジ『…そうか。いや、君は天使だよ。堕天使なんて、誰がそんなあだ名をつけたんだろうな』
銀『話を聞いてると…あなた優しいのね。女性にはもてるんじゃない?私も気になるわ」
ジ『ははは、残念だけど僕には婚約者…』
銀『…?どうしたの?』
ジ『っ…!いや、何でもない。…君と話が出来てよかったよ。ありがとう。養生してくれ。この戦争が終わるまで…』
銀『…ねえ、あなたに会えないかしら?顔を見たいわ』
ジ『…今は無理だ』
銀『明日はどう?』
ジ『…ああ。分かった』
銀『ふふ…良かったぁ。日本海軍のジェントルマンと一緒にデート出来るなんて』
ジ『…楽しみにしてるよ。蒼星石に替わってくれるか?』


再び、蒼星石は受話器を取った。
ジ「言い忘れていたが、夕方頃に新型機がここに空輸されてくる。梅岡か笹塚に操縦させて運ばせようと思ったが、
  放射能の影響が操縦席に残ると大変だからな…。君が受領してくれ。終戦まで…その機で国民を守るんだ」
蒼「あ…ありがとうございます…」
蒼星石は思わず涙を零しそうになった。自分は死ぬと言うのに、司令はここまで自分の事を考えてくれているのか。
ジ「ああ。…雪華綺晶に替わってくれ」


いくぶんか落ち着いていた雪華綺晶は受話器を耳にあてた。
雪「司令…」
ジ「…いままでありがとう。君達姉妹の整備のお陰で、我が隊はこれまで戦うことが出来た。ただでさえ
  物資が困窮している状況下で…本当にありがとう。いくらお礼を言っても言い足りないくらいだ」
雪「そんな…司令…」
ジ「捕虜の…水銀燈の事だが、彼女を大切にしてやってくれ。確かに我が国に原子爆弾を落としたのは
  アメリカ合衆国だが…彼女個人が落としたわけではない。末端のパイロットでしかない彼女はその存在さえ
  知らされていないはずだ…。彼女を、捕虜として、人間として…君達と歳のそう離れていない一人の女性として、
  ハーグ陸戦規定に基づいて大事に保護して欲しい…。それが僕の最期の頼みだ」
雪「…申し訳ありません…私ったら激情のあまり…」
ジ「彼女と仲良くできるな?」
雪「…はい。誓って…」
ジ「ありがとう。薔薇水晶、聞こえてるか?」
薔「はい、司令」
ジ「今聞いた通りだ、雪華綺晶と一緒に…これからも生きてくれ」
薔「はい…」


通話は終わり、無線室は静かになった。
雪『…さっきはごめんなさい』
雪華綺晶は、身体を起こしていた水銀燈に恐る恐る声をかけた。
銀『…大丈夫よ。これからよろしくして頂戴ね』
雪『ええ…』
雪華綺晶は、いくらかほっとしたようだった。水銀燈は、薔薇水晶と雪華綺晶におかゆを食べさせて
もらい、再び床に就いた。


その後、薔薇水晶と雪華綺晶はどこかへ出かけてしまった。
蒼星石は、彼女達の代わりに、重々しく停機している一式陸攻に手押しポンプで給油をした。
作業のかたわら蒼星石は、陸攻の操縦席に座っている梅岡と笹塚を見た。
操縦席の二人も蒼星石の目線に気づき、力なく笑って手を振っていた。
そんな様子の戦闘機乗りの大先輩二人を見た蒼星石はいたたまれなくなり、思わず目を逸らした。
…掩体壕の中で、白崎と槐が何かを話し合っているのを見て、蒼星石は胸騒ぎを覚えた。


…そして、夕方。
18時過ぎになって、一機の新型機がテストパイロットによって鵜来基地に空輸された。
テストパイロットは、基地に残っていた紫電改に乗って帰っていった。
蒼星石は、新型戦闘機を驚きの眼差しで見つめていた。
その戦闘機は、零戦や紫電改よりも大きな機体だった。武装は紫電改と変わらなかったが、蒼星石を驚かせ
たのは…その機の防弾設備だった。
自動消火装置や自動防漏式防弾タンク、防弾ガラスは、紫電改に装備されていたものよりも格段に品質が向上
していた。
その戦闘機の名は、“烈風”。
零戦や紫電改の反省を踏まえたこの新鋭機が、今度もまた蒼星石にあてがわれたのであった。


…夜。
無線室で無線に向かっていた槐が、有線電話で、テニアンから来たと思われるB-29の編隊が日本本土へ向かって
いることを陸攻の桜田に伝えた。
基地は慌しくなった。陸攻は薔薇水晶と雪華綺晶の手で最終調整を始めた。
蒼星石は新型機の烈風でB-29の迎撃に向かいたかったが、流石に単機での夜間迎撃は不可能だった。
その後…23時30分頃、広島県福山市の爆撃を終えたB-29の編隊が、テニアンを目指して引き返し始めたとの
情報が入った。米軍は、どうあってもヒロシマを完全に叩き潰したいようだった。
陸攻は…エンジンを始動し、滑走路のぎりぎり一杯の端まで移動を開始した。
出撃が迫った。
蒼星石は、飛行場の反対側の端で、夜間離陸目標のカンテラを灯した。
この小さな炎を見て…蒼星石は、話に聞いたことのある、九州・長崎の行事を思い出した。
…精霊流し。
毎年盆に、亡くなった人の魂を弔い、明かりを灯した灯籠や船を川に流す営み。
生者は、流れていく明かりを見て、死者の事を想い切るのである。
…僕達は桜田司令達の事を想い切る…忘れる事が出来るのだろうか。いずれ軍神となるとは分かっていても…
 まだ司令達は生きていると言うのに。何という皮肉だろう…
陸攻が翼端の明かりを全て消し、夏の闇夜に沈んだ。その動作が、彼らの行おうとする作戦内容を暗示した。
カンテラを固定した蒼星石が、爆音だけを響かせる機体の元へ向かうと、懐中電灯を持った薔薇水晶と
雪華綺晶が、機体の昇降口の外の地面に何かを置いて離れたのが見えた。
雪「司令!」
薔「司令…」
回転数を上げているエンジンの轟音に掻き消されまいと悲痛な声で叫ぶ二人。
やがて…機体に描かれた日の丸が開き、桜田が顔を出した。
ジ「…どうした?」
雪「司令…御身体が冒されていると仰ったので、ドクダミを煎じたお茶を淹れました!!」
薔「皆さんで…飲んでください!」
桜田が足元を見ると、地面の上に、竹筒の水筒が5本置いてあった。
林に入って集めたドクダミで作った茶を、薔薇水晶と雪華綺晶が自ら作った竹の水筒に入れたのである。
雪「ドクダミは血を綺麗にする効果があります!放射能に効くかどうかは分かりませんが、どうか…」
桜田は顔を上げ、微笑んだ。
ジ「…ありがとう!皆で機上で飲むことにするよ!…では!!」
桜田は水筒を機内に運び込んだのち、敬礼を投げかけた。
薔薇水晶、雪華綺晶、蒼星石は直立不動で敬礼を返した。
昇降口を閉めようとする桜田に、蒼星石は思わず声をかけた。
蒼「桜田少佐殿!!御武運をっ!!!」
ジ「…ああ!」
ガチャリ、という重い音と共に、空間が隔絶された。
陸攻の両翼のエンジンが、一層唸りを上げて震えた。
三人は機体から離れた。
車輪が砂利を踏みしめてゆっくりと進み始めた。
蒼星石達は、走り出した陸攻について歩き出した。
操縦席の梅岡、機首の爆撃手席の笹塚、胴体上部機銃砲塔の白崎、機体尾部砲塔の槐、そして…窓の向こうの桜田。
死に向かう彼らは、蒼星石達に手を振った。
蒼星石達も、足を進めながら手を振り返した。
やがて機体は速度を上げ、蒼星石達は駆け足…全力疾走で陸攻に追いすがった。
そして…出力を最大に上げた一式陸攻は、追いすがる蒼星石達に激しいプロペラ風を叩きつけ…
車輪を大地から離し、ゆっくりと上昇して夏の夜空に吸い込まれていった。
両翼の排気管から出る青白い排気炎だけが、陸攻の存在を示しつつ低空で遠ざかっていった。
飛行場の端に残された三人。
薔「う…ううっ、お姉ちゃん…辛いよ…」
雪「ええ、…ええ、やり切れませんわ…」
整備兵二人は頬を涙で濡らし、低空のまま遠ざかる青い炎をいつまでも見つめていた。
蒼星石はランタンの火を消した。
すでに青白い炎は見えなくなっていた。
…佐々木さんを見送った時の喪失感を再び味わうなんて…蒼星石も涙を抑えられなかった。

…何も知らず横になっていた水銀燈は、エンジンの轟音に気づき、無線室から外に出た。
双発の大型機が、離陸滑走を行っていた。
それを追いかける三人の様子がただならない事に気づいた水銀燈は…あの桜田という少佐と
交わした約束が、永遠に叶わなくなった事を何となく感じ取っていた。
ふと、機体の窓の向こうにいた日本軍の将校と目が合った水銀燈は…あの眼鏡の優しそうな男が、電話の彼だと
悟った。将校は済まなさそうな笑顔で水銀燈に敬礼した。…水銀燈もまた、それに応えた。
…あなたは何処へ向かおうとしているの、と切ない想いを感じながら。

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