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 聖夜クリスマスに危うく捕獲されそうになった僕は、全身赤ずくめの白い髭もじゃの紳士に助けられ、恐るる彼女たちの魔の手から無事逃げおおせたのである。
 まったく普通の世界に居れば、平和な夜を過ごせていたのにと溜息をつきながら頭を揺らした。
 ふとドアを開けたときのことを思い出した。
 まばゆい光に包まれ、身体が吸い込まれていく中、最後に見たのはあの紳士の希望に満ちた笑顔。
 どうやら僕は19歳にして、とても大切で、心にしまっておくには大きすぎる温かなものをプレゼントされたらしい。
 果たして、雪華綺晶を含む薔薇乙女に抗って満面の笑みを浮かべていられるかどうかは定かではないが、彼らのようなストレンジャーの希望を僕みたいなのが背負っているのならば、心底疲れた表情を見せるまで逃げ続けよう。
 どうせ僕はこの“世界”の住人ではない、流浪者なのだ。
 だから、ここの掟には従わない、薔薇乙女たちは神を超えた存在でもない。愛すべき人間同士楽しくやっていこうじゃないか!
「ありがたや、サンタクロース。せいぜい足掻いて逃げてみせるさ」
 過ぎ去った55秒前の出来事とホワイトクリスマスの町に想いを馳せながら、僕は呟いた。

 次の町へのドアノブを捻って開けてみると、そこは欧州の湿った風吹く、石畳の敷かれた風景が広がっていた。
 神経質な奴が設計したんだろうと溜息をつかせるぐらいにきっちりと並べられた石畳を見ながら、異国情緒がぷんぷん漂う町を歩く。
 赤や黄色、色とりどりの三角屋根が続き、タープを張った小さい出店があちこちに点在していた。
 太陽はちょうど真上頃、町には人が溢れ、活気ある賑わいを見せていた。
 背が異常に高い人々に埋もれながら次のドアを探すが、見えるのはそういう人たちの脇とか小さい隙間からなので、店の野菜の山やら果物の山ばかり。
 それも何やら形が普通の概念からは遠くかけ離れ、どこの角度から見ても呪われた食材としか思えない。ここは何を食べて暮らしているのだろう。
「というか、この人たちは何語を喋っているのか」
 すれ違い、行き交う人たちは聞き取れぬ程早口で、アルファベットらしきものと思われる文字で構成された言葉の羅列を吐いている。
 英語とはまた違うイントネーション。
 まあ聞き取れたところで意味も分かる筈がないし、この言語は話せない。
 大体、僕は今どこに向って歩いているのだろう。
 人の波にもまれ、飲まれながら、とにかく歩いているだけ。歩けばきっとどうにかなる、多分。
 やる気の無い神様の憂鬱な声が聞こえた気がした。働け、神様よ。

 通りの人の流れは一向に途絶えること無く、反対にその勢いは増して行く。
 さすがはお出かけ好きの欧州民め。この上なく満面の笑みで買い物をしているのを見ると、僕までほくほくした気分になってしまう。
「エトランゼ、エトランゼ!」
 人通りの多い通りの真ん中に出来たぽっこりとした人だかりの中から何やら叫び声が聞こえる。
「エトランゼ! ああ、うまく言語化できない……」
 ごちゃごちゃした町の雑音に紛れて来得る日本語たしき言葉に怪しさを感じた僕は、こちらもいささか怪しき小道を通ることにした。
 危うき事柄からは真正面から逃げるのが掟である。
 それにしても欧州の小道というのはまた違った異世界へ連れてゆく魔物だ。
 そこで出会う人はきっと、天使か悪魔、天使と悪魔半分半分のどれかに違いない。
「ああ、迷える子羊よ。ここで迷子になってしまったのなら」
「Sorry, I don't understand your speaking」
 だらしない悪魔の様な客引きに、半ば詐欺のような英語を浴びせて逃げれば、次に出会ったのは黒いハットを被った女性だった。
「エトランゼ、こんにちは。君が桜田ジュンくんだね?」
「いいえ、人違いです」
 恭しく頭を下げて挨拶をしてくれた彼女には申し訳ないが、こんなところで時間を食われる訳にはいかないのだ。
 幸いにもまだ時間はあるが、いつ見つかって捕獲されるかわからぬ世の中でのんびりすることはできない。
 たとえ、月が己を恥じて隠れてしまう程に美しく綺麗な人が話しかけてこようとも、だ。
 涙をのんで、さよならを告げよ桜田ジュン。
「……なんで僕が君の名前を知っているかには突っ込まないんだね。さすが、というべきかな。ああ、よかったらこの先のT字路を右に曲がってみてよ。面白いお芝居をしてるからさ」
「お芝居?」
 思わず立ち止まって聞き返してしまった。別に演劇に興味はないが、異国文化を見習うのもたまにはよいことだろう。
「何のお芝居をしてるんだ」
「デュマ・フィスの『椿姫』。興味が合ったら是非立ち寄ってくれるとうれしいな」
 黒髪のショートカット美人はにこりとして帽子を被り直し、小道の向こうへと消えた。一体何者。
「つばきひめ、か。うーん」
 ちっぽけな悩みは華麗なる脳さばきで一刀両断。
 僕はそのお芝居とやらを見に行くことにした。青春の青さには理性も勝てぬのだ。

 言われた通りにT字路を右に曲がると、またも人だかり。しかも今回の方がはるかに大規模だ。それゆえ、大歓声。
 お目当ての女優でも出て来ているのか、男どもの野太く低い地響きのような叫びが聞こえてくる。
 なんて欧州民は現金なのだろうか! そんな叫びを発するまで男どもをピンク色の脳へと陥らせた顔を見ない訳にはいかない。
 どうやら僕もそこらで叫ぶ者たちと同じ思考らしく、考えるより先に足が勝手に走っていた。何とも恐ろしいことである。この頭ありてこの足有り。
 無論走って行った先には、190センチ集団がぞろぞろと取り囲んでいるので、舞台はもちろんのこと、2メートル先の観客の頭さえ視界に入れられない。
「どけ、欧州民! 喚き散らすのなら日本語でやれ!」
 突っ立っている欧州民をそこのけそこのけ、やっと役者が遠い豆粒に見えるまでの位置にやってきた。
 周囲の欧州民は得体の知れぬ東洋人が割り込んできやがったと、視線をジャックナイフの如く鋭くさせて刺してくるが、そんなもの痛くも痒くもない。
 僕を刺すならば、いや斬りつけるならば、妖刀村正、日本刀でなければいけない。過去一度だけ斬りつけられたことがあるが、それはそれは筆舌し尽くせぬ痛みであった。
「こんな天気のよい日に巴里をお発ちに」
 芝居は僕の妄想の間にも進行している。
 豆粒役者ではどうにも見た気がしないので、次は足下の隙間をこそこそと進み、顔の表情もくっきり見えるところまでやってきた。
「マルグリットにさよならを告げる?」
 金髪のいかにも気の強そうな女性は気だるそうに台詞を言う。こいつ、やる気あるのか。
「ついにアルマンは別れを告げにやってきた。マルグリットは所詮、労働階級――ワーキングクラス――の生まれ、そんな奴とは付き合えぬ。そう吐き捨てる為、アルマンはここに来たのだ!」
 地鳴りのような拍手の下、仮面をつけた銀髪の持ち主が僕の前まで歩いて来て、手を差し出した。
「ようやく来たわねえ、桜田ジュン。ほら、早く来なさい」
 どいつもこいつもなぜ僕の名前を知っているのだ。
「この手をとったら、きっとよくないことが起きる」
「何言ってるの。すでに良くないことは起きてるじゃない。それに貴方の選択肢は一つしかないの、取りなさい」
 強引すぎる劇団員に引っ張られ、四方を欧州民の観衆で埋め尽くされた舞台へ踊り出されてしまった。そして、そっと耳打ちをされた。
「さあ、彼女に向って言うのよ。僕が好きなのは君じゃなく、水銀燈って」
「おい、待て。さっきのナレーションと違うこと言ってるぞ。大体、水銀燈ってローゼンメイデンじゃ」
 まあここまでくれば、ほぼお約束といっても過言ない展開が待ち望んでいる。
 そのお約束展開通りに視線の先に居たのは、白く輝く八重歯を見せて、してやったりの表情を浮かべる、まごうことなき雪華綺晶その人であった。
「やっと私の元に来てくださるのですね……嬉しいですわ」
 その5秒後、僕の叫びが町中に響いたのは言うまでもない。 

「ぼっくは嫌だ! 君から逃げるのが仕事なんだよお」
 麗しい女性の顔を見た途端に叫んで逃げ出そうとする東洋人を欧州民がふざけた正義の下、許す筈も無く、あっけなく元居た場所に押し戻される始末。
「エトランゼ! 逃げ切る為には青春の邪念を捨てねばならぬのだ。よおく身に沁みただろう?」
 ワインにされる葡萄みたく、もみくちゃに押しつぶされる中、明瞭な発音の日本語の言葉が聞こえてきた。聞き捨てならぬことを言っている。
「青春から邪念をとってしまうのはただの愚か者だけだ。大体、邪な妄想をとってしまったら、青春には何も残らない!」

「お姉様」
「何、早く捕まえないの? 今がチャンスじゃない」
「さっき、ジュン様に耳打ちなさってましたけれど、何を仰っていたのですか?」
「いちいち細かい子ねえ……」
 姉妹の中でもジュン争奪戦勃発か?

「なんと、己の行動に矛盾した物言いだのう……」
「なんでもいいから早く助けてくれ。まだお婿には行きたくない」
 どこからか聞こえる謎の日本語はう~んと悩み、
「仕方が在るまい。だが、薔薇乙女の手中にみすみすはまっていくような真似はもうやめるのだぞ」
「今回は騙された。次は……きっとない」
「本当かのう? では参るぞ」
 その瞬間、ふわりと身体が宙に浮かび、流れ星の様に軽々と僕はどこかの小道へ飛ばされた。終着地点は悲しいかな、何百年何千年も行きた石畳の上である。
「痛みと笑いでは……うぬう、やはり痛みが勝利するか」
 何のクッション素材も置かれていない石畳の上へごろんと落ちれば、想像の範囲を超えぬ痛みなのだが、あのようにどんどん加速した上で落ちれば、想像の範囲を軽く超える痛みになってしまう。
 それでも、僕の身体が浮いた瞬間に目をひんむかせて驚いた欧州民の顔は腹が30回ぐらいよじれるかと思うぐらいに面白かった。僕を遠隔操作した仙人にも見せてやりたかった。仙人といっても見たことがないので適当に言ってみた。
「ねえ、何してるの?」
 座り込んだまま腰をさすっていると、上から天使の様な美しく澄んだ声が降って来た。
「君こそ何をしている。東洋人に話しかけてはいけないぞ」
 欧州特有の青い瞳に均整のとれすぎた綺麗すぎる顔の女性は失笑しながら、それでも僕に突っかかる。あ、日本語が通じている。
「おかしな人。貴方がもしかして逃げ惑っている御人?」
「さっきの言葉には語弊がある。逃げ惑ってはいない、逃げ迷っている」
「同じ様なものじゃない。ほら、早く立って。ドアはこっちよ」
 肩までのびた金髪を揺らめかせながら先を歩く彼女に追いつこうと立ち上がるが、まだ尾てい骨が可愛い悲鳴をあげている。
 しかしドアまで案内してくれるのだ、頑張れ、My尾てい骨。

「アルマン・デュヴァル様はマルグリットを捨てて、次の町へ行こうとしてるのね」
 この人、毎日皮肉でも食べて生きているのだろうか。
「アルマンとマルグリットは心から通じ合っていた。時代に裂かれた、悲しい恋愛物語だよ」
「じゃあ、貴方と薔薇乙女の子は“世界”に裂かれた恋になるかも」
 彼女は他人を理知的に楽しく追いつめるのが好きらしい。もう言い返す気力など、とうの昔に使い果たしてしまった為に、大人しく黙って聞くしかない。
 僕の逃避行は、恋、以前の問題だ。
 小道をくねくね曲がって歩いていくが、突然彼女は立ち止まって振り返った。
「行き止まり」
 僕と彼女の前には石壁がどんと立ちはだかっていた。
「戻らないと」
「今戻ってしまうと、ローゼンメイデンに捕まるわね。100%」
「おい」
 彼女はおもむろに懐から一冊の本を取り出した。アベ・プレヴォーの『マノン・ラスコー』らしい。ページを捲りながら、彼女はふと寂し気に呟いた。
「カギはこの中。私の愛する人がくれた本の中」
 あるページで捲る手がとまり、薄っぺらい黄金色のカギを僕に渡して来た。
「ドアはこの石壁。うん、そろそろ足音が聞こえて来たわね」
 さっきとは打って変わって、悪戯っぽく微笑む。
 僕は思わず、気になっていたことを聞いてみた。聞いてみたところで何かが変わる訳じゃないが、ふと問いたくなったのだ。

「僕はゆっきーに恋などしていない。なのに彼女は追いかけてくる。僕の気持ちを知っているにも関わらずに、だ。なぜだと思う?」
 彼女は面倒くさそうに首を振って、言った。
「薔薇乙女の力を使えば、貴方みたいな人は簡単に捕まえられるのよ。でもね、そんな力で、10万フランのお金で貴方の心や愛は得られない。力ずくで手に入れることほど悲しいことはないわ。
 だから、こうして貴方が彼女のことを思って逃げているのは、案外あっちにとって嬉しいものかもしれないわね。どんな方向であれ、好きな人に思っていてもらえることが恋する乙女にとっては幸せなのよ」
「こんな、鬼ごっこみたいなことが彼女にとって幸せだと?」
 いよいよ彼女は眉毛をへの字にし、口を尖らせて、
「貴方って本当に駄目ね。私が好きになった人と同じだわ……これ以上は自分自身で考えるものよ。人にどうこう言われたり、教わったりするものじゃない」
 そして次の町へ行けと言わんばかりに背中を押してくる。
 いつまでも嫌味な彼女だが、一応は恩がある。僕は頭を下げて礼を言い、カギを差し込んだ。
「エトランゼ、ジュン。今まで出会った、そしてこれから出会う人たちは逃げ切れって言うけど、私は言わないわ。
 捕まってからわかることもたくさんあるわ。とにかく頑張って」
 光の中へとけ込む中、ちょうど角を曲がってきた軍勢の先頭に居る雪華綺晶が見えた。
 そのとき、僕は少しだけ笑ってみることにした。おかしいとかじゃなく、純粋な気持ちでだ。
 その10秒後、僕は完全にこの町から離れた。
 きっと雪華綺晶が最後に見た僕の表情は、あきれるほど下手な笑顔だっただろう。でもそれで、彼女が喜んでくれるのなら、いいかもしれない。
 だが僕は逃げる、まだお婿には行きたくない。


ep.2 end... to be continued!?



 雪華綺晶はジュンが消えるのを目前に、働かせていたその足をゆっくりと止めた。
「今回も逃げてしまわれたのですね」
 マルグリット・ゴーティエは振り返って、
「追われる者は逃げるしか方法が無いのよ。でもよかったんじゃないの? 彼の表情見たでしょう」
 ええ、と雪華綺晶は頷きながら空を仰ぎ、ふうと息を吐いた。
「まだまだ不十分ですが、ジュン様は笑っておられました。やはり愛しい御人が微笑むと嬉しいものですわ」
「神をも超える存在のローゼンメイデンが恋にうつつをぬかす……泣ける話じゃない」
 言葉の調子は全く泣ける話には聞こえないマルグリットに、雪華綺晶は一つも動じなかった。それどころか、燦然と輝く瞳には次への希望が映っていた。
「向こう側の世界では私たちも“普通”の女の子ですもの。恋をしてもおかしくはないでしょう?」
 今日は問われるばかりの厄日だとマルグリットは心で思いながらも、
「彼はアルマン様に似ていたわ。貴女もいつかは捨てられる日が来るかもしれないわよ」
「それでも後悔はいたしません。だって一生懸命、愛していますもの」
「……まあしっかりおやんなさい」
 雪華綺晶のうきうきした姿に、昔の自分を重ねて笑うマルグリットであった。

 
 “時は短し過ぎ行くままに、恋する乙女は駆けてゆく”

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