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ヒロシマのクレ軍港を徹底的に叩き潰し、悠々と母艦への帰途に就こうとしていた
しんがりのSB2C爆撃隊とその護衛戦闘機隊は、突然の敵襲に大いに混乱した。
水銀燈は、真上からキラリと光る金属板の反射に敏感に反応し、その上空を仰ぎ見た。
途端に目に入ったのは、日の丸鮮やかな戦闘機の大群!
…何てこと、日本にはまだこれほどの戦力があったなんて!
しかも悪い事に、その戦闘機隊は全て新鋭機のジョージで構成されている。旧式のゼロなど
どこにもいない!
やがてジョージの大群は整然と編隊をなしたまま、米軍機目掛けてまっしぐらに降ってきた。

343航空隊の攻撃は実に見事だった。冬の間に新鋭機紫電改の操縦に慣らされていた熟練
搭乗員らは、その持てる技量と紫電改の性能を遺憾なく発揮せんと、今このときの大空戦を
待ちわびていた。
米軍機の直上からダイブを仕掛けた彼らは、照準器に護衛戦闘機隊のグラマンの機影を捉え、
近づきざまに20ミリ機銃弾を撃ち込む。狙いは爆撃機隊ではなく、あくまで戦闘機隊であると、
343隊は源田司令から指示を受けていた。一個であっても、その敵戦闘機隊に壊滅的な打撃を
与え、米軍に爾後の本土爆撃を躊躇させようとする公算であった。
最初の一撃で、数機のグラマンが、あっけなく火を噴いて瀬戸内海に堕ちていった。
第一撃を終えた343隊は、機首を引き起こして下降から上昇に転じ、編隊が崩れたグラマン隊
を目指して突き上げた。

343隊にやや遅れて随行していた梅岡少尉以下443隊は、バラバラになったグラマン隊を視認し、
攻撃態勢に入った。
指揮官の梅岡少尉は、南方での経験から、敵はこのように分散した場合、必ず数機が少し上空に
離脱し、空戦に加わらずにいるのを知っていた。
最初、梅岡や笹塚らは彼らを味方を置いて逃げ出した臆病者だとばかり思っていたが、米軍の
無線が優秀な性能であることから、どうも上空から下の味方に対して無線で空戦の指示を
行っているものらしいという結論に達していた。
…この日も例外ではなかった。

4機の敵小隊が、すでに編隊戦を終え一対一の戦闘に入り激戦を戦っているグラマン隊と343隊を
下にし、高高度で旋回していた。
梅岡は343隊の菅野大尉に上空の敵を殲滅する胸を無線で伝え、ついで笹塚と蒼星石に叫んだ。
「下から単縦陣で突っ込むぞ!俺について来い!」
「「は!!」」
蒼星石は、全速で緩上昇する梅岡と笹塚の後に続いた。
真下にしか注意を向けていない敵小隊4機はまだこちらに気づいていない。
…大戦中、米軍はある時期まで小隊の構成を3機単位にしていた。それを4機に変更したのを受けて、
日本側もそれに対応し、小隊を4機構成に変更した。
343隊はその変更が行き届いていたが、蒼星石ら443隊はその“性質上”最小限の3機編成のままに
されていた。
4機の敵小隊に3機の彼らは突入した。
最初に砲門を開いたのは梅岡だった。曳光弾の弾筋が走り、大きく旋回していた一機のグラマンが
翼をもぎ取られて錐揉みで堕ちていく。
敵に対応する隙を与えず、二番機の笹塚の機銃が火を噴き、別のグラマンが黒煙を吹き上げて燃え上がる。
蒼星石も、旋回を止めて逃げ出そうとするグラマンの操縦席を撃ち抜き、これを撃墜した。
残った一機のグラマンが一目散に逃げていく。
これに追いすがろうとした蒼星石だったが、梅岡が無線でそれを制した。
梅「貴様はこれと決めると見境無く突っ込むから危ない。もっと周りに気を配れ。もし貴様が単機だったら
  危ないところだったぞ」
蒼「は…申しわけありません」
梅「下の343空に加勢するぞ。続け!」


ジョージの第一撃をかわした水銀燈は、反転してくるジョージとの格闘戦を激しく戦っていた。
機体だけでなく、彼らの操縦技量も恐ろしく高いものであると水銀燈はすぐに悟った。
最早グラマン隊もジョージ隊も編隊を崩し、あちらこちらで一対一の空戦が繰り広げられている。
水銀燈の小隊指揮官機は既に第一撃で撃墜されてしまっていた。
不幸な事に、水銀燈の目立つ機体と撃墜マークは日本機の格好の目標とされ、水銀燈は2機のジョージ
に追い回されていた。

1機だけなら何とか五分以上に持ち込んで撃墜できるかも知れなかったが、技量の高いパイロット
二人に追われている以上、これを優位にひっくり返すのは並大抵の事ではなかった。
しかも実感として水銀燈はジョージの操縦性能が半端なものではない事に気づいた。
今までどの日本軍機にも決して引けをとらなかったグラマンの操縦性能を駆使してジョージを
引き離そうとしても、彼らはぴたりと後ろに追いすがって離れない。
悪い事は続き、先ほどまで聞こえていた誘導隊の無線指示が途絶えてしまっていた。
恐らく撃墜されたのだろう。と言っても水銀燈自身は、混乱した戦闘の最中の無線指示などほとんど
当てにした事は無かったのだが。
…とその時、爆音に振り返ると、後にくっついていたジョージの一機が突然煙を吹いて堕ちていった。
後方から、別のグラマンがこれを撃ち堕としてくれたらしい。
残ったジョージのパイロットは一瞬狼狽したのち、反転してそのグラマンに向かった。
形勢は逆転した。レディを散々追い掛け回した報いよ、とばかりに、水銀燈も反転した。

梅「以降の戦闘は各自で行う!蒼星石はよく気を引き締めて当たれ!深追いは厳禁する!」
梅岡の命令一下443隊の各機は散開し、次第に押されつつある343航空隊の支援に向かった。
日本に残された大戦力とは言え、343航空隊は今戦っているグラマン隊には既に数で劣っていた。
蒼星石は混乱する空で手頃な敵を探し求めた。粉々になって堕ちるグラマン、黒煙を吹き上げて
堕ちる紫電改。下の海面には、ガソリンの油膜と、色鮮やかな発光液が、失われた命の数を表していた。
…そして。
蒼星石はあのグラマンを見つけてしまった。
瞬時に思い出した、あの長髪、赤い瞳の寂しげな男を。
あの男を殺そう、と思ったわけではないが、蒼星石は引き寄せられるように黒いグラマン…
“堕天使”に突っ込んでいた。

味方一機と協同してジョージ一機を追いかけていた水銀燈だったが、彼女はまたしても
追われていることに気づいてしまった。
新手のジョージがいつの間にかこちらに迫っている。
目の前のジョージは味方機に任せ、水銀燈はわざと後ろのジョージの前に躍り出た。
思ったとおり、ジョージは自分に喰らい付いて来た。

「さぁ、いらっしゃぁい」
すでに彼女には空戦の勘が戻ってきていた。
元々グラマンF6Fはドッグファイト…格闘戦向けの戦闘機ではない。
強みはその大馬力のエンジン出力にあった。
それを熟知していた水銀燈は、十分な高度を確認し、700メートルから急降下に移った。

急降下に入った堕天使を追って蒼星石もそれにならった。
黒いグラマンが瀬戸内海の海面へほぼ真っ逆さまに突っ込んでいく。
…そして、その機影がどんどん離されていく。エンジンの差はいかんともし難かった。
「くっ…これじゃあ追いつけない…」
彼我の距離は200メートルは離れていたが、蒼星石は射撃を開始した。
20ミリ機銃弾が堕天使を追いかけるが…幾分距離がありすぎた。
堕天使は巧みに舵を使い、機体を僅かに射線から外す。
弾丸は一発も当たらない。
そして、高度が300を切ったところで…堕天使は機首を上げた。
これ以上の射撃が無意味と悟った蒼星石も機を引き起こそうとした…が、操縦桿の重さが尋常ではなかった。
時速600キロ近くで急降下をかけていたのである、無理はない。
蒼星石は計器板に足を踏ん張り、操縦桿を抱え込むようにして、何とか海面激突を免れた。
体中の血が足に集まり、意識を失いそうになるのをこらえて、上昇したであろう敵を追撃しようと
空を仰ぎ見て…蒼星石は、堕天使がこちらの後ろに回り込もうとしているのに気づいた。

ジョージのパイロットは明らかに今の追撃で憔悴している、と水銀燈はその操縦を見て感じた。
ならば逃げるまでもない、敵の意識がぼんやりしているうちに格闘戦で仕留めてやろう…
そう思った堕天使は、ふらふら上昇しているジョージの後ろに回ろうとした。
上空を見ると、空戦は終わりに近づいたようで、敵も味方も反転して帰途に就きつつあった。
…あとちょっとでゲームセットよ。

蒼星石は堕天使の忍耐強さに舌を巻いていた。
あれだけの荷重に耐え、意識も失わずに空を躍動している堕天使。
女の自分には所詮敵うわけがないのか…そんな考えを頭から振り払い、彼女は行動に出た。

堕天使は格闘戦に持ち込もうとしている。
彼には悪いけど…僕はここでは終わらないよ、とばかりに、
蒼星石は、計器板のとあるスイッチを「入」に倒した。
そして上昇しつつ緩やかに旋回し、堕天使を誘う。
そして高度400で、堕天使が蒼星石の真後ろに付いた瞬間、蒼星石はフットバーと操縦桿を思い切り動かした。

水銀燈は一瞬何が起きたのか信じられなかった。
ジョージの旋回性能があまりにも突然に向上したのである。
照準器の中に、先ほどまで捉えていたジョージの機影は無かった。
…ジョージは水銀燈の頭上にいた。
頭の上で鋭く旋回し、今まさに彼女の後ろをとろうとしているのである。
…ありえない!なぜ!?
ジョージがまさかここまでの旋回性能を有するとは思ってもみなかった。
これはゼロを遥かに上回る能力だ。
空中戦の原則。敵の後方をとった者が勝利する。
グラマンとジョージは、互いの後ろを取り合おうと、見えない輪の上をぐるぐると回り始めた。

自動空戦フラップ。
これが新鋭機紫電改の最大の特徴であり、強みであった。
飛行機は、高速で飛行すると旋回性能がどうしても落ちてしまう。
スケートで速く滑ると方向転換がしにくくなるのと同じだ。
詳しい説明は省くが、自動空戦フラップは、空戦時に効率よく旋回するために、
機体速度と機体荷重に応じて自動的に展開されるフラップである。
紫電改を配備した343航空隊の若年搭乗員は、こうして熟練搭乗員との差を埋める事が出来た。
無論、443隊の蒼星石も例外ではなかった。

水銀燈はスロットルを絞り、渾身の力で操縦桿を引きつづけた。
相手がどんな手品を使っているのかは知る由もないが、戦い甲斐のある相手だ。 

蒼星石も死力を尽くして操縦桿を引いていた。
自動空戦フラップの恩恵は十分すぎるほど身に染みた。
だが、それでも、今なお踏ん張っている堕天使の後ろにこれ以上にじり寄れない。
無論それは堕天使にも同じ事なのだが。
二機の戦闘機は、まるで竹とんぼの翼の両端のように、距離も速度も拮抗したまま
回り続けている。
…忍耐尽きて先にこの螺旋から逃れようとした者に死は訪れる。
両者とも、その見据える照準器に相手を捉える事が出来ない。
水銀燈はたまりかねて頭上の相手を仰いだ。
蒼星石もたまりかねてほぼ同時に相手を見た。

手の届くような距離で、彼女達は目と目を合わせた。

蒼星石は、操縦桿を引きつける腕の力が抜けそうになるのを必死で堪えた。
…僕が戦っているのは、ああ、やはりこんな美しい顔立ちのパイロットだったのか。

水銀燈は、敵愾心の代わりに暖かいものが自分の奥から沸いてくるのを感じた。
…ああ、彼こそ、前に一度だけ空で出会ったあの凛々しいパイロットだったのか。

お互いの顔を見つめたまま、彼女達は旋回を続けた。
再会をどこか嬉しく思いながら…
知らず知らずの内に力が抜けていたのか、二機の戦闘機が作る輪はだんだん大きくなっていった。

その後、どちらからともなく、二機の戦闘機は輪から離れ、帰るべき所へ帰っていった。
水銀燈も蒼星石も、あと少しで帰りの燃料を使い果たすところだった。

この日、昭和20年3月19日の日本海軍第343航空隊と米軍第58機動部隊艦載機隊との戦闘で、日本側の損害が15機、
米軍側の損害が14機だったと判明したのは戦後になってからのことだった。
つづく

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