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冷たい窓ガラス越しに見える景色は、実にいろんな色を持っていた。
空は,金色の粉を振りまく太陽を中心に、水彩絵の具のような透き通った青色をもっていて、その上に小筆を走らせ
たような白がたなびいている。
視線を少し下におろせば全体的に灰をまとった景色。でもよく見るとそれは単なる灰色ではなく、ダークカラー
の低い建物が立ち並ぶ街で、もっとよく見ると明色で彩られたポップな看板なんかがよく見えた。そのままゆっくり、
ゆっくりと視線を動かしていく。
ビデオのレンタルショップやもう何年もそこにある本屋さん。映画館にショッピングモール。オフィスビル
のすぐ真後ろにカジュアルショップがあるのはなんだか反対色を隣り合わせているみたいで印象に残った。
一通り見回した後、最後に自分の目下に焦点をあわせた。
塀が続いている。この病院を囲む塀が小さな弧を描いて、窓の影までずっと続いていた。
その塀に沿って植えられたくすのきが風に揺られてゆらゆらと揺れている。冷たい風を想像して少しだけ火照った体が
涼しくなった。
それが何本も続いていて、目で追っていくと私のいる病棟とは別の病棟の壁にたどり着いた。綺麗に塗装された白い壁。
あれは何病棟だっけ。
たしかこの病院はアルファベットで分けられていたはずだけど。
「ねえ」
視線は窓の外に向けたまま、私は背後の彼に小さな声で話しかけた。返事はなかったけど少しだけ動いた気配を感じる。
「あれは何病棟だっけ?」
くるりと体をまわすと、下半身だけかけてある布団との、衣擦れの音が静かな病室によく冴えた。
本を片手に質素なパイプイスに座っていた彼は、目が合うと「どこ?」と本を閉じて私のそばまで来てくれた。
私は窓越しに指を刺す。ひんやりとしたガラスが指にあたり少し気分を凛とさせる。病室は少し暑い。体が火照っている
から余計に冷たく感じた。
彼は「あれは、えーと」と少し考えて「確かB棟だよ」と答えを出した。
「Bだっけ?」
「そうだよ、間違いない」
「B……」
「うん」

『B棟』だったっけ。と、考えても答えはでなかった。私は心臓の病気のせいでこの病室からなかなか出られない。だから
病院の中のことも把握できないのだ。ベッドとトイレの往復をして時間が着たら診断。そんな色の無い毎日だ。
その『B棟』からはどんな景色が見えて、どんな人がいて、どんな雰囲気なんだろう。と、ちょっとだけ想像をめぐらし
てみる。
けれどやっぱりわからなかった。まあ、いろんなことを諦めている私にとってはそんな些細なことはいちいち気にかから
ないんだけど。
「ねえ」
それでも気がついたら彼に声をかけていた。いろんなことを諦めているからこそ、理解できることは理解したい。
「ん?」
「そのB棟って、どんな場所?」
「どんなって……どんな?」
「そう」
我ながらよくわからない質問だと思う。首をかしげて考え込んでいる彼に、質問の形を変えて聞きなおしてみる。
「どんな雰囲気?」
「雰囲気……まあ、普通じゃないかな。清楚で静かな場所だよ。僕はあんまり好きじゃないけど」
「色は?」
「色?」
自分でも驚くほどするりと言葉が出てしまった。『色』だなんて。雰囲気よりずっと答えにくい質問じゃないか。
これでは彼も困るに決まっている。
私は助け舟を出そうとしたが出せなかった。私自身が質問の意味を理解していないのだ。
腕を組んで考え込んでいる彼をなんとか助けてたくて、窓の外の虚空を見つめてヒントを探した。
水彩絵の具の青が灰色の景色のむこうまで続いている。小筆で描いた白はさっき見たときと形が変わっていた。
水彩絵の具の青。小筆の白。そうか。たぶんそういう意味なんだろう。
ぼんやりとだけと見えてきた質問の形を私はなるべく伝わるように彼に伝えた。

「空は青いでしょ?」
「うん」
「雲は白くって、街は灰色」
「まあ、そうだね」
「つまりイメージよ。ぱっと見た印象を私に教えてほしいの。B棟の」
私はすべて言い終えた後で「入ったことあるでしょ?」と付け足した。
彼は「あるよ」と短い返事をして、また少し考える。あるにはあるけど、そんなに入ったことはないのだろう。
彼は別に入院患者じゃない。私の病室に来るついでに、ごくたまに、ふらりと立ち寄ってみた。それくらいのものだろう。
「白だな」
だけど、彼はそれなりに明確な答えをもっていた。きっぱりと言い切るその言葉に自信が伺える。
病院は白。なるほど。ありきたりな答えだ。
「じゃあこことそんなに変わらないね」
結局病院っていうのは白なのかもしれない。白。何の色も持たない、単純で無感情で冷たい色。まるで私をあらわしている
ようだ。
雪、というイメージがぱっと浮かんですぐに消えた。あんなに美しいものではないからだ。私は雪のように輝くものは持って
ないし、すぐに溶けて消えてしまう儚さも持っていない。いや、本当は儚いのだ。なのに『儚い』といわれ続けてもう
何年がたっただろう。溶けないように無理やり気温を下げて、いつまでもいつまでも無理に形を保っている。氷だ。醜い氷。
たぶん昔はちゃんと自分の色を持っていたのだろう。『生きたい』という意思もあった。だけど時間が
たつにつれてその思いは色あせていき、同時に私の心は汚れた色に染まっていった。諦めと、反発と、むなしさの色。
わかっていても認めたくない。悪あがきの黒。私は死にたくなかったのだ。
解決策を捻り出すため私はいろんな色をめちゃくちゃに混ぜた。前向きな気持ちも後ろ向き名気持ちも、高尚な文学も
ポピュラーな歌も、医学の本も、愛するという気持ちも。
そして、いくらか時間が過ぎて結局”白”に落ち着いた。どうあがいても解決できないから、もう何も考えないことにしたのだ。
生きているのか、死んでいるのか。こんなことならさっさと無色透明な液体になって消えてしまいたい。なぜ私はいつまでも
この白を保たなくてはいけないんだろう。
外はこんなにもいろんな色であふれているのに。

「ここと同じだと思う?」
一人むなしさに浸っていた私は彼が急に聞いてきたので驚いた。てっきり「うん」だとか「そうだね」だとか
簡単な答えが返ってくると思っていたから。
予想外なことが起こると、その真意を知らないと不安になる。私は彼の気持ちが知りたくて表情を読んだ。
別段普段と変わらない、感情の希薄な瞳が私を見つめている。
彼の顔色を伺いながら「同じじゃない?」と聞き返す。「だって真っ白だよ」というのも付け加えておいた。
この病室から一歩出ればまた別の色彩が見えてくるのかもしれないけど、だけどこの病室はすくなくとも真っ白だ。
そしてこの病室からほとんど出ない私にとって病院は、この病室の色でしか表せなかった。
「だけど、ちょっと違うような気がしないか?」
ちがうって、何が?と私は思ったが口には出さなかった。彼だって私のくだらない質問に答えてくれたのだ。
私だって少しくらい自分で考えてみよう。
私はもう一度窓の外を見る。さっきみたいにヒントが隠れてないかと思ったからだ。
この窓越しでは色しか見えない。空気の冷たさはガラスの温度を通してしかわからない。もちろん湿度も感じられない。
きりりと身を引き締める冬の凛とした風も浴びることはできない。太陽から発せられる暖かい光ですら、特殊な
ガラスによって形を変える。
私の得られるヒントは色しかなかった。
青、白、灰、赤、黒、黄……
目に映る色を順番に頭の中に浮かべて、ちょっと考えてから消す。
外にヒントは得られなかった私は、まだ彼に頼ろうとした。けれど彼もさっきの私と同じように、虚空を見つめながら
ぼんやりと答えを探していた。
彼もまた、質問の意味を理解していないのだ。
どうしようか。と、きょろきょろしてみる。病室は相変わらず真っ白だ。ベッドも時計も冷蔵庫もトイレも検診も窓も。
全部真っ白だ。色なんか無い。私と私の病室は真っ白でできている。
完全な手詰まりを感じた私は、まだ考えている彼を尻目に思考を停止した。
そうすると急に病室の静けさがじわじわと私を包み込む。静けさもまた白だ。大嫌いな白。

・・・・・・白?
ふっと浮かんだ疑問が、突然私の心を揺さぶる。
白は私の嫌いな色のはずなのに、今私を包み込む白が少しだけ心地がいいのはなぜだろう。
冷え切った氷のような白だったはずなのに、今はどこかに不純物が含まれている。それが氷を少しずつ暖かいものに変えていくのを
感じる。やっかいなのはその不純物もまた白でできているのだ。だからなかなか確認できない。確かにそこにあるのに
見えない別の白。
「ま、いいか」
そのとき突然彼が声を出した。
疑問の世界に浸っていた私を突然病室に引き戻される。しかし、疑問の世界から離れたはずの私の心はなぜか
大きく確信に迫っているような気がした。
疑問には答えがほしい。彼は『ま、いいか』といった。
「何が?」
考えるより先に言葉が出てきた。何が『ま、いいか』なのか。
「さっきの色がどうとかって話だよ。勝手に考えてた。なんか違う気がするけど、”ま、いいか”って」
彼のぼんやりと考え込む顔が浮かんだ。そういえばまだ答えはでてなかったっけ。
「お前の言うとおりだな。ここは白い」白い床を指差していった。
「・・・・・・うん」
自分でうなずいたが、違和感があった。疑問が心の中でうずいている。答えが少し遠ざかる。
指先は触れているのに。あと少しでそれをつかむことができるのに。
私はまた彼に頼った。答えは彼にあるような気がするのだ。
「・・・・・・」
だけど言葉は出なかった。何を聞けばいいのかわからなかったのだ。疑問も答えもはっきりしない。
久しく感じていなかった追われるような感覚が私をあせらせる。ここで手を伸ばすのをやめたら、私は
このままだめになる。
「おい」
と、ぐるぐると考え事をしているとまた静かな病室に引き戻された。頭の中の雑音がふっと消えて、
今度は病室の静寂が頭に入ってきた。私ははっとして彼を見た。

「あんまり、考え込むなよ」
”考え込んでなんかないわ”といおうとして、やめた。私は確かに考え込んでいたのだ。
「なんか、すごく怖い顔してたけど」彼はいった。
「怖い顔してた?」
彼は「うん」と返事をして、また本に目を落とした。
さっきまでの頭の中のぐるぐるがうそみたいに、私の心は和らいいでいく。さっきの追われるような感覚も
手伝って、急に頭の中がすっきりしたような気がした。一瞬だけ焦りの色に染まった私の心はまた白に戻っていく。
浜辺に打ち寄せた波が、すうっと引いていくように。静かに、乱雑描かれた落書きや人の残した足跡を洗い流しながら。
ああそういうことか、と私は理解する。
この色はきっと私と彼以外には見えない色だ。白い氷の中にぼんやりとした輪郭を持つ、まるでH3の鉛筆で描いたよう淡い色。
その淡さ故に私はいままでその色に気がつかなかったのだ。白にまぎれる、弱くて小さなその彩に。
いままで何の興味もわかなかったその白は、よく見てみると暖色系の色が。色の無い病室に彼が少しだけ
色を足してくれている。もちろん少し離れたら単なる白にしか見えないんだけど。

ただ、この白はあまり悲観的な色ではなかった。気がついたのだ。私は白だけではない。そして多分この病室も。
『ま、いいか』という言葉事態に意味はないのだ。誰かがそばにいて、『ま、いいか』といってくれたことに意味があるのだ。
「ここは白だけじゃないわ」
「へ?」
「ほとんど白だけどね」
「・・・・・・?」
怪訝な顔をする彼を無視して私はまた窓の外に視線を向けた。
確かに外は彩りで満ちている。赤・青・黄・緑・紫・黒・灰・茶・・・・・・。
彼が無意識に彩る色が、いつか氷を溶かし白を埋め尽くして、あの街みたいににぎやかになるんだろうか。
と、珍しく色のある想像をめぐらしてみる。

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