あれは君と僕が、この町にドールショップを開いて間もない頃。
僕はいつものように店の片付けを。
君はいつものように、工房で人形を作っていた。
そんな時一本の電話を受けて、君は娘が生まれた事を知ったんだっけな。
それから君は実に一週間も時間もかけて、普段は鼻で笑っているような占いの本や辞書まで調べて、
娘に相応しい名前を、と首をひねっていたっけ。
美しく純粋な心を持って育って欲しい。
そして付けた名前は、薔薇水晶。
いや、君は一生懸命考えたのだろう。
仕事だけじゃなくても、プライベートでも。君の持つ天才のセンスというやつには驚かされたよ。
お七夜、宮参り。
可愛い娘だと君は目を細めていたけれど、どう見ても生まれたばかりの皺だらけの顔。
早くも発揮された親馬鹿さ加減に、僕は呆れはてたよ。
そうそう。
あの頃の僕らの店は、あまり繁盛しているとは言えない状態だった。
だけれど君は、薔薇水晶に苦労をかけたくないと、以前にも増して人形作りの仕事に打ち込んでいたな。
実際に店頭に立つ僕も、君と君の薔薇水晶の為にもと頑張ったものだよ。
そんな訳で、薔薇水晶はすくすくと、君の言う通り美しく育ったと思うよ。
これは、君の友人としてだけではなく、本心からね。
ただ君に似て、あまり愛想は良くなかったけれど。
七五三、入学式。
赤いランドセルに背負われてるみたいな格好で、薔薇水晶はおぼつかない足取りで学校へ行ってたっけ。
君と薔薇水晶が学校の校門の前で並んでいる写真を撮ってあげたのをよく憶えているよ。
確かあれは、君が娘の晴れ舞台だと僕に言った日。
何の事かと話を聞いてみれば、ただの運動会。
君とは違い、運動神経は良い薔薇水晶は大活躍。
リレーの一着の旗を持った薔薇水晶に、物静かな君にしては珍しく、大きな拍手を送っていたね。
学芸会の日には、君に似て寡黙な薔薇水晶は、完璧に役をこなしていたね。
『7人の小人』の木の役を。
あれは君も大絶賛だった。
反抗期を過ぎて、赤飯を炊いて。
中学に入れば少しは活発な子になるかと期待していたけれど、実にあっさりと裏切られたよ。
高校に入った頃には、彼氏の一人も居ないのかと君は愚痴っぽく言っていたけれど、
薔薇水晶が電話をしている時の君は、仕事に打ち込むフリをしながら聞き耳を立てていたんだろ。
君の娘も美しい盛りになり、彼女の些細な言葉に、君はかなり神経質になっていたな。
君と薔薇水晶が話しているのを見て、この平和な家族の為に、時間が少しでもゆっくり進めば。
なんて僕らしくも無い事を考えたりした。
そしてある日、君の前に一人の男が来た。
僕は彼を見て、二人で店を始めた頃の君にどことなく似ていると思ったのだけどね。
彼は君に、薔薇水晶を僕に下さい、と言った。
君は言葉を失い、薔薇水晶は恥ずかしそうにうつむいていた。
いくつもの思い出が浮かんでは消えていったのだろうね。
君との付き合いは長い僕でも見た事の無い、静かで、それでいて力の篭った声で。
ダメだ。君はそう言った。
君を説得しようと言葉を紡ぐ彼を無視して、君は薔薇水晶を見ていた。
そして、薔薇水晶の瞳をしっかり見据えた後。
父親として、君は覚悟を決めたのだろうね。
わかった。その代わり、薔薇水晶を奪っていく君を殴らせろ。
君はそう、小さく言った。
そして今。
君は純白の衣装に身を包んだ薔薇水晶の手を取り、絨毯の上を進む。
ウエディングベルが小さな教会に鳴り響く。
薔薇水晶の人生で一番美しい瞬間だと言うのに、君は涙を流していた。
きっと君は明日になれば、何事も無かったかのように、いつもの静かな表情で工房に篭るのだろう。
だから僕は君の友人として、君の涙から視線を逸らした。