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「あっぐ…災難続きなのだわ…どうなるかぐらい言ってくれれば…」
「言ったらばれるでしょう?まあ…お疲れ様ねぇ、真紅」
水銀燈が、自分の腕の中に収まっている真紅に笑いかける。しかし、その真紅はぷいと顔を背けた。
真紅がホーリエを使って穴を空けた壁からの突風により吹き飛ばされた真紅をキャッチしたために今の状況があるのだが、この突風こそ、この部屋に関する謎の答えだった。
「にしても…こんな大きな部屋を丸ごと減圧するなんて、大したトラップねぇ…」
そう、この部屋は減圧…つまり、“空気を抜かれて”いたのだ。
ピチカートが反応出来なかったのも無理はない。何かを入れられたのではなく抜かれたのだから、探知も何もあったものではない。だが、それを見抜く確証となったのが…

「…音速。つまり、あの部屋での音の伝わる速さかしら」
金糸雀が船の中でピチカートに計算させたのがこれだ。あらかじめ登録してあった真紅の体のサイズから縮尺を出し、真紅の動きから出る音が水銀燈のマイクに伝わる速さを計算させたのだ。その結果は。
「秒速約318メートル、か。あの部屋の温度は15℃くらいだから本来なら音速は秒速約341メートル。明らかに遅くなってるわね」
「かしら。かなり無茶な計算をさせたから誤差があるにしても、これだけ違えばはっきりするわ」
音が進むメカニズムは、音源での振動が周りの空気に伝わり、さらにその周りへと振動の波となることで進んでいく。故に真空状態では音は伝わらない。
また、振動を伝える相手は何も空気だけとは限らない。むしろ、相手の密度が高い方が振動は伝えやすい。よって、音速は空中よりも水中の方が速く、水中よりも固中体の方が速い。
では、あの部屋の音速が通常より遅いことは何を意味するのか。それは音を伝える媒体の密度が低い、つまり空気が薄い事に繋がるのだ。
「モノを投げればそれは空気を押しのけて進むわ。当然、その空気が薄いなら普段より速く飛んでいく」
「そして空気を徐々に抜いていけば気づくのは難しいかしら。それは高山病に似た症状を引き起こすけど、“あらかじめ”その気圧に体を慣らしておけば影響は少なくなるわ」
初めからあの部屋を減圧することは出来ない。そうしたら真紅と水銀燈が入る時に空気も入ってきてしまうし、2人にも当然バレる。
だからまず2人を部屋に入れて部屋を密封。そこから少しずつ時間をかけて抜いていかねばならなかった。そしてこの理由から、既に減圧された部屋で体を慣らし待機していためぐはすぐにあの部屋へ入ることが出来なかったのだ。
「めぐって子が飲んでた薬も…登山用のヤツでしょうね。それならあらかじめ飲んでいなきゃならないし、効果が切れる時間を伸ばすために戦闘の直前に飲むのにも納得がいくわ。まああれだけ大量に飲む必要はないから、大半はラムネみたいなダミーなんでしょうけど」
そして真紅と水銀燈は地上から高度4000メートルに押し上げられたような状態となり、地上にいる時と同じ動きをしようとしても肺に入る酸素量が減るために動きが鈍くなってしまうというわけだ。
「ただ空気を抜くのは大変だし、掃除機みたいに大きな音も出る。それをごまかしたのが、発電機に見せかけた…と言うか聞かせかけた機械の駆動音。大量のライトも発電機の存在をイメージさせるため…か。良く考えてあるわね。でも…」
「もうそれは見破ったかしら。そして機械を壊して空気を逆流させてもとの気圧に戻せば…」
みつと金糸雀は画面の映像に目を移す。そして、冷たい声で言い切った。
「あの娘はおしまいよ」

「あ…あう…がはっ…うあ…」
真紅と水銀燈もまた、みつと金糸雀と同じく彼女、柿崎めぐを見ていた。今までの彼女からは想像も出来ないほどの苦痛の表情を見せ、苦しみもがいている。
真紅と水銀燈はもとの気圧に戻れば直ぐに体調は持ち直せる。多少違和感はあるかもしれないが、人の体はそれに対応するだけの力がある。
しかし、薬によって強制的に高々度に対応した体になっているめぐは、もとの気圧に戻っても体がそれに対応できない。少量の酸素でも動けるようにしたその体では普段の空気は濃すぎるのだ。
また濃すぎる酸素は当然体に悪影響を及ぼし、各所に鬱血などの正直が表れもはや立つことさえできなくなっていた。
「ああぁ…水、銀燈…」
「めぐ…」
そのめぐ姿を、水銀燈は様々な感情が交錯した瞳で眺めていた。
めぐが壁に穴を開けようとする真紅に向かって行った時、水銀燈の声に反応せずに真紅を攻撃すれば、この戦いはめぐに軍配が上がったはずなのに。
しかし、めぐは足を止め、水銀燈へ振り返った。
それも、今までで一番の喜びの笑みをたたえて。
めぐは勝敗など初めから関心が無かったのだ。ただ水銀燈を求め、やって来ただけ。彼女がここにいるのはそれが理由であり、また彼女にはそれが全てだった。
だから例え攻撃を止めれば負けるとわかっていても、水銀燈がめぐを求めれば、めぐは絶対にそれに答える。めぐが水銀燈の意志を利用したように、水銀燈もまためぐの愛情を利用したのだった。
「…ちょっと水銀燈。感傷に浸っているところ悪いけれど、出来れば早く私の右肩を入れてくれる?痛くて仕方ないのだわ」
「ん、ああ、そう言えばそうだったわねぇ。ごめんなさぁ、い!」
ゴリッ。
「あぅッ…!」
しかしそう、ダメージの観点で見れば、真紅は意識ははっきりしているもののめぐ以上に重傷だった。右肩は入れたとはいえ熱を持ち筋を痛めているし、二の腕は折れているらしく酷い腫れだ。右のあばら骨もヒビがあるようだし、骨盤にもダメージがある。
また先程の一撃で左手がまだ軽い痙攣を起こしていた。本来、水銀燈が一発めぐの急所に当てさえすれば真紅がこんなケガをすることはなかった。だが、それでも。
「さて…肩も入った事だし、行きましょうか真紅。ジュンはもう目の前よ」
「ジュン…」
真紅は右手を抱えながら息絶え絶えにそこだけ反復した。その姿にやれやれと溜め息をつく水銀燈。
「ほら、肩貸してあげるからもう少し頑張りなさい。あと確認が取れてないのはベジータだけだそうよ。それは、私が受け持つわ」
ジュンの位置は細かな移動はあるものの、めぐが出てきたドアのすぐそこだと言う。ベジータもその場に居るかもしれないが、体調の戻った水銀燈なら充分やり合える。ようやく、そしていよいよ。
「待って、水銀燈」
「え?」
だが、水銀燈の歩みを止めたのは一番早くジュンに会いたいであろう真紅だった。そして真紅は倒れているめぐに視線を移し、尋ねた。
「あの娘、あのままでいいの?」
「…どういう意味?」
「殺せ、とは言わないのだわ。ただ、今は薬の作用でああしているけど薬がきれたらわからない。それに今後の事もあるし、肩を外すなり、腕を落とすのを躊躇うなら親指だけでもかなり違うハズよ」
「…乱暴ねぇ」
「私は貴女と違ってあの娘には恐怖しか覚えてないのよ。トラウマものよ?あんな風に投げられて…貴女はもっと酷い目に合ったのでしょう?どうしてそこまで許せるのか、正直理解できないのだわ」
「そう、ね…」
確かにこんな風に思えるのは自分だけなんだろう。そして戦略的にも甘い。フォワードリーダーとして許されることではないのかもしれない。
だが、めぐはあの時足を止めて振り返った。笑顔で振り返ったのだ。だから、私も―
「…めぐの事は、最後の最後まで私が面倒を見るつもりよ。あの子が私を諦めるならそれでいいし、やってくるなら、私はそれを向かえ撃つ。それだけよ」
「…なら私はとばっちりを受けたというわけね」
「それについては謝るわ。お詫びに薔薇水晶が隠し撮りしたジュンの痴態映像見せてあげるから許してねぇ?」
「!?…ゴ、ゴホッ!ゲホッ!…!…ッ!!」
「あー、はいはい、そうね。悪かったわぁ。じゃあ、行くとしましょうか」
涼しい顔で相手の体を支える水銀燈と、未だに顔を赤くして噎せる真紅。2人は入って来た時より乱雑とした部屋に背を向けて、前より強い騒音に包まれながら部屋を後にした。その際、水銀燈はめぐを一瞥したが、特にかける言葉は思いつかなかった。



「薔薇水晶!」
翠星石と雛苺が同時に叫ぶ。自分たちにもわずかに被害は及んだし、由奈の確認も取れていないものの(取る必要が無い威力だったとも言えるが)、エンジュリルを突き出した体制で床に突っ伏したまま動かない薔薇水晶のもとへと駆け寄っていった。
「ひっ!」
翠星石が薔薇水晶の顔に触れた瞬間声が裏返ってしまった。それ位に、薔薇水晶の体温が低かったのだ。
「こんな体であんなもの撃ちやがるなんて…なんて馬鹿ですかオメーは!馬鹿ですよ薔薇水晶!そんな馬鹿には説教してやりますから…だから…だから死ぬなですぅ!」
揺すっても叫んでもピクリともしない薔薇水晶の姿に翠星石は半泣きになっていたが、雛苺は一目散に薔薇水晶の胸元をはだけると自分の耳を押し当てる。
「…大丈夫よ」
「ほえッ!?」
「きっとこれが訓練の成果なのね。体温が異常に下がった時に末端の血流を止めて主要器官にだけ流せるようにしてあるのよ。だからちゃんと心臓はうごいてるわ。そして体温が上がればまた全身に血が巡るから目を覚ますはずよ」
雛苺の説明を半泣き状態で聞いていた翠星石は、その説明を頭の中でゆっくりと咀嚼した後、横たわる仲間に『この馬鹿ッ!』と吐き捨てた。
「ああ…ところで、あの女はどうなったですかね?」
「“アレ”が直撃したもの。無事じゃないのは確かなのよ。なら私達はそれでいいわ」
「…ですね」
雪華綺晶が薔薇水晶の右目の視界を共有した状態で猛禽の魔眼を発現させたため、それは雪華綺晶の危惧した(そして望んだ)通り、薔薇水晶の右目まで取り憑いて2つ目の魔眼を作り上げた。
本来は由奈のように魔眼も左右で1つであるから、その理由も上げられるかもしれない。なんにせよ、猛禽の魔眼は左右1つずつ、2人の姉妹が持つこととなったのだ。
猛禽の魔眼を手にした薔薇水晶にとってもはや至近距離での由奈の狙撃など取るに足りず、むしろタメの時間が長すぎたことによるクリスタルライト・ブレイカーの威力補正に神経を使ったほどである。こうして、絶対零度の業火は由奈を寸分違わずに撃ち抜いたのだった。
翠星石は自分の上着と薔薇水晶の上着を脱がしてから背負う。当人も相当冷たい筈だが、薔薇水晶の体温を一刻も早く上げるためならば何のことはない。
それに、もう。
「翠星石、今金糸雀から聞いたわ。ジュンは…あの扉を進んだ先にいるのよ」
「やれやれですね。ようやく“あっちの”馬鹿にも会えるわけですか」
「水銀燈と真紅も向かってるそうよ。だからこれから挟み撃ちにするわ」
「へっ、りょーかいですよ。どうせ後はあのM字ハゲだけでしょうから、みんなで恨みを込めて袋だたきにしてやるですぅ!」
雛苺を前にして薔薇水晶を背負った翠星石は廊下を進み、扉を抜けた。その廊下は南極に爆弾を打ち込んだような有り様になっていたが、雛苺と翠星石には廊下を抜ける最後まで由奈の姿を捉えることは出来なかった。


この2つの突入班が用心棒を突破した時より30分前、とある小さな地下室。

「この拳銃、返した方がいいですか?」僕は言った。その部屋に入るなり、その部屋の住人に向かって。「もう弾は残ってませんけど」
ベジータが少し笑ったような気がした。それを入室の許可ととった僕は後ろのドアを閉めて部屋に入り、部屋の中央にある丸テーブルの横に置かれた背もたれの無い椅子に座る。
「くっくっく…」
今度はベジータは本当に不敵に笑う。そして僕に向かって言った。
「撃つ場所を間違えたんじゃないのか?」
たったひとつの冴えたやりかた。
そう書いてはあったが、あの部屋から出るには僕が思い付いただけで2つの方法があった。1つは簡単。ベジータの意味するところであろう、僕が閉じ込めるだけの価値を失えばいい。つまりは、僕が死んでしまえばいい。
そして2つ目が、たったひとつの弾丸で、たったひとつの錠前を吹き飛ばすことだった。だから僕は、よく狙いを定めてから、その引き金を引いた。鉄格子は、すんなり開いてくれた。
「そうは思いません。少なくとも、僕は」
そう、“僕は”だ。僕が今やっていることは、文字にすれば『最後の弾丸で拘束から逃れたが、すぐ敵に見つかった』という余りに無謀かつ逃走として破綻した行為だ。
そしてこうなる事を僕自身予測していたのだからなお悪い。助ける側からしてみれば怒鳴りたくなるような愚行に違いない。
でも、それでも僕はやってきた。アイツらを信じて待つという選択肢を捨てて、今すぐ楽になるという選択肢を捨てて、ここへ来た。
僕が真っ直ぐにベジータの顔を見据えると、ベジータは感心したような(顔は笑っていたから、ほぼからかいなんだろうけど)声を上げる。
「ほう…昨日まで死んだ魚のような目をしていたくせに、今は生きのいい魚位にはなってるじゃないか。どんな心境の変化だ?せっかくだ、ちょいと教えて欲しいもんだな」
「それは…」

僕は今まで、自分が『ローゼンメイデンに残るか』または『日本へ帰るか』を迷っていた…と、思っていた。
もちろん、事実ではある。けれど、意味するところが決定的に間違っていた事に、ようやく気付くことができた。僕は、『ローゼンメイデンに残るか』それとも『逃げるか』を迷っていたんだ。
日本へ帰る、という選択肢は白崎さんが言ったように決して間違ったモノではないし、むしろ推奨されるモノだった。そして堂々と選べるものだったはずなんだ。僕が自分の罪を償うこと、そして自分の力量から判断してローゼンメイデンを脱退することを選んだのなら。
でも、今までの僕はそうじゃなかった。僕はただ“怖がって”日本へ帰ろうかと考えていた。だからあんな罪悪感に打ちひしがれ、自虐にまみれた牢獄生活を送り、悪夢にうなされたんだ。
じゃあ何を怖がったのか。
自分が酷い目に会うこと?
自分の力がアイツから遠くはなれ落ちこぼれること?
自分が足を引っ張ってアイツらに被害が及ぶこと?
そうだ。みんな怖い。考えたくもない。だけど、“だからなんなんだ?”
酷い目に会うのが怖い?当たり前だそんなことは。
落ちこぼれるのが怖い?悪いが僕はもともと落ちこぼれだ。そんな僕を拾って使い出したのはアイツらの方だ。
仲間に被害が及ぶのが怖い?だから、みんなみんな当たり前なんだよ。みんなが当たり前に怖がってることなんだよ。だから、“そこからどうするか”が一番大事なんじゃないか。
チームっていうのはそういうもんなんだ。5人集まればその力はバラバラで、トップがいれば当然ビリがいる。だからビリは失敗が怖いからってチームを抜けるのが正しいのか?だったら4人になって3人になって、結局最後は1人だけになってしまう。
それと、ビリが自分の失敗から上に迷惑をかけるのを怖れるように、“上もビリが失敗して自分に迷惑がかかるのを怖れている”んだ。それでも、それでもビリを使うのなら、それは上の力で判断した高度な戦略の1つとなるんじゃないのか?
じゃあ僕はどうだ。水銀燈はロゼーン島で言った。僕にしかできないことに期待してると。
最初のクリスマスでの豪華客船。アイツらが追い詰められた時、僕は人質のフリをして敵の目を惹き付け、結果最高の形でmissionを達成することができた。
東ティモールでの攻防戦。僕は先にローザミスティカにたどり着いていた警視庁の人の目を盗み、ローザミスティカを確保。そしてそれをアイツらに渡した。
考えてみれば、僕はまさしく水銀燈が期待した通りの働きをしていたんだ。僕でなければ人質のフリなど出来ないし、僕でなければローザミスティカを見つけることも、またそれを確保する事も出来なかったハズだ。
僕が散々嘆いた非力がどうだ?こんなにも活躍してるのは何故だ?いや、当然だ。だって、“あの水銀燈が僕を起用した”のだから。あの水銀燈が、見込みのない采配をするワケがないんだ。
僕が周りに比べて非力?当たり前な事で嘆くなバカ。僕はドベで、ビリで、足手まとい。だけど、ローズ1でもローズ2でもローズ3でもローズ4でもローズ5でもローズ6でもローズ7でもローズ8でも出来ない事を成し得る、ローズJなんだ!
そして、ここまで考えた上で、ようやく最初の選択が意味を成す。僕にローゼンメイデンで戦力となる力は確かにある。でも、身体的、精神的、経験で劣る僕は、大きなミスをやらかす可能性が高い。
それを怖るのではなく、冷静な戦術思考として捉えた時、加えて僕がアイツらの事が大好きな事を踏まえた時、僕はどちらを選択すべきなんだろうか。
ほら、同じ質問、同じ選択肢なのに、全然苦しくない。叫びたくも、泣きたくも、死にたくもならない。何故なら僕は、“どちらを選んでも自分の為になる意味”を見いだしたし、“どちらを選んでもアイツらの為になる理由”を見つけたから。
実はまだ僕は決めかねている。ここまで考えたからと言って、選択が容易になるわけじゃない。むしろ正しく悩むことになる分相当の決断力がいる。
ただ、その前に僕が気付いたことがあった。だから、僕はここに来た。アイツらを信用し待つのではなく、ここに。

「…ベジータさん、僕は、とても弱い人間でした。学校でいじめられて引きこった経験もあります。だけど、僕は変わった。アイツらに会って、アイツらと過ごして変わる事ができたんです。
桜田ジュンは弱く、バカで、うじうじしてるダメ人間だったかもしれない。でも、僕は違う。今、あなたの前にいる僕は」
ほとんど睨んでるような目つきで、僕はベジータに言い放った。
「ローズJだ」

「はん、要はやけっぱちか」
腹をくくった、とも言えるかもしれんがな。
目の前の小僧の言葉や視線は、少し俺を楽しませ、少し俺を苛立たせ、少し俺に思考をさせ、少し俺に覚悟を求めた。だが、それらは所詮小さなことだ。俺を揺るがす事はない。
ところが俺は、目の前の小僧に少し興味が湧くと同時に、コイツがかなり気に入らなかった。俺が、この俺様がこんな取るに足りん小僧に嫉妬に近い憎しみを抱く。それが、俺をさらに苛立たせる。
だがまあ、なるほど。勝手にくたばるなり命乞いを始めるなりしなかったのは、少しは骨があると認めてもいいのかもしれん。少なくとも今はな。
おっと、大事な事を忘れてたぜ。これを聞かにゃどうにも始まらんからな。
「いいだろうローズJ。それじゃあ、お前は何しに此処へ来たんだ?」
さて、どうくる?何を言う?聞かせてもらおうじゃないかローズJ?
「あなたを倒しに」
………ほぉ。

「くっくっく…!倒す?倒すだと?イタリアンマフィア頭目、このベジータ様にお前のようなガキが?なかなか笑える冗談だ。漫才の才でもあるんじゃないのか?どうやら間違えたのは来る場所だったようだな」
僕の精一杯の気丈も、この人の前じゃ笑いのネタにしかならないか…まぁ、そうなんだろうな実際。それが、ベジータと僕の実力の差で、馬と人の速さの違い。
だけど、僕にはどうしてもしなくちゃならない事があった。つたない僕をローズJにまで押し上げてくれたアイツらに、今の僕の全てと言ってもいいアイツらに、僕はありがとうの一言も言ってなかった。
柏葉さんにも…謝るのは筋違いなんだろうな。勘違いしたのは向こうなんだから。でも、お礼が言いたい。お礼をしたい。
だから、
「確かに…普通に戦っては万に一つも僕に勝ち目が無い。だから、僕はあなたの弱点を突きます」
「ははっ!弱点ときたか!つくづく面白いヤツだよお前は。で?この歴戦の戦闘民族である俺に弱点があると?いいだろう。やってみろよローズJ。また俺を笑わせてくれるんだろう?」
僕は、生きて此処を出られるかわからない。アイツらに会えるかもわからない。そして、アイツらがやられてしまうかもしれない。
それらは、本当に怖い想像で、考えれば考えるほど足がすくみ、何も出来なくなる。だけどそれは当然で、こんな悩みに答えなど初めから無いのだから。
だから僕は考えた。少しでもアイツらの為になりたい。恩返しがしたい。でも、僕が死んでは意味がない。なら僕は、このローズJには何が出来る?ローズJだからこそ出来ることは何がある?
そして僕は思いついた。僕は、この目の前の人と戦うことが出来る、目の前の馬と競争することができる方法を。僕、ローズJだから出来る、僕だけの戦い。
「ベジータさん、僕と…勝負しましょう」
「…何?」
「勝負です。何で勝負するかはそちらが決めて構いません。ルールも回数も、全てお任せします。ただし、」
僕は入って来た扉ではない方を指差して、
「僕が勝ったら、アイツらのもとへ行かせてください」
「…お前が負けたら?」
「煮るなり焼くなり、どうぞお好きに」
僕はこう言った後、口を閉じて、祈った。これが僕だけが出来る戦い方。今だから、相手がベジータだから出来るやり方だった。
普通、捕らわれの身でこんな戯れ言をぬかしたらまず相手にされない。だけど、ベジータはマフィアに似合わない流儀で行動する事を僕は知っている。だから、僕が挑んでくるのなら、ベジータは“絶対に受けなければならない”。
そして、ベジータの嫌う保身的な我がままを言わず完全に一任することで、逆にベジータは“僕が勝つ可能性がある勝負しか出来なくなる”。
加えて言うなら、僕に自殺を暗に意味して進めたことから、ベジータは“絶対にあからさまに僕を殺すことが出来ない”こともはっきりわかった。
そうだ。これは命を懸けた誇り高い決闘なんかじゃない。マフィア流から反したベジータの気高い精神を利用した、汚いやり方だった。そしてこの汚いやり方こそ、僕にしか出来ないたったひとつの冴えたやり方なんだ。
人は馬のようには走れない。なら、“馬を人の走る速さまで引きずり下ろせばいい”。足枷目隠しなんだっていい。僕なんかが綺麗にカッコ良く勝とうなんて考えるな。ずるく、汚く、浅ましく。だけど、それでも勝ちたい戦いがあるんだ。
「ふん…いいだろう。乗ってやる」
ごめんなさい。僕は心の中で、一度だけそう呟いた。

ベジータは僕に少し待つように言うと一旦部屋を出てから1分ほどで戻ってきた。
確かに、もしかしたらこの1分程で僕は逃げ出すことが出来たかもしれない。けれどそれは僕の土俵じゃない。疼く足を押さえて冷静に努めた。
「三回勝負だ。ただ、別に二回勝てと言っているんじゃない。三回勝負した後、勝敗がどうあれお前はそこから出て行くことができる」
「え?」
ベジータが言っている意味がわからず、僕はマヌケな声を出してしまった。
「ただし、お前が負けた場合は…」
僕には何も見る事が出来なかった。気付いた時には、僕の左肩に刃の剥いたベアリングが巻きついていて、そこから鉄線がベジータの右手へと伸びていた。
「一回負ける毎に、手足を一本いただく。無論止血はしてやるが、まあキチンとした姿でアイツらに会いたければ、三回全てに勝つんだな」
心臓が激しく脈うち、汗が頬を伝う。だが、これでいい。少しでも勝つ可能性があるのなら、戦う意味がある。
「…じゃあ、やりましょう。最初はなんで勝負しますか?」
一回負けたら無条件に日本行きだな…その時僕はぼんやりとそんな事を考えていた。

「まず一回目は気楽にポーカーといこう。ここに新品のトランプがある。中を確かめるか?」
「いいえ」
ベジータな事だ。あらかじめ細工をするなんてつまらない事はしないだろう。
「基本的には普通のポーカーだが、違うところはベットをしないということだな」
ベット無しのポーカー…?
「カード交換は一度だけ。そして三回勝った方の勝ちだ。つまり」
ベジータは僕の方を意味有りげに見て、
「脅しもごまかしも効かない。単純な力勝負だ。ま…ブタはどうあがいてもブタと言う事だな。くっくっく…」
「…わかりました」
僕が答えるとベジータはカードをシャッフルして五枚僕の方に投げて寄越した。その手つきはまさに手慣れていて、僕を必要以上に萎縮させる。
「おっと、言い忘れたが、もしイカサマがバレた場合…」僕の右肩のベリングが僅かに食い込み「即、ソイツの負けだ。良く注意するこどだな」
「………」
その獰猛な笑みに、僕は言葉を返すことが出来なかった。
(落ち着け…まず僕の手札は…スペードとハートの8のワンペアか…より高い手札が勝つなら…)
「俺は三枚変える。お前は?」
「僕も…三枚」
お互いにカードを捨て、山札から同じ数だけ引く。けれど僕の手札は相変わらずのワンペアだった。
「よし勝負だ。お前の手札は?」
「…8のワンペアです」
ベジータがゆっくり手札を裏返す。
「フルハウス。俺の勝ちだな」
その手札の圧倒的な差に、僕は何か必然めいたものを感じずにはいられなかった。そしてどこか、肩のベリングがキツくなったような気がした。
二回目。再びベジータがカードを僕に寄越し、自分も山札から引く。
(今度はエースのワンペアか…さっきより良いけど…)
「ふむ…俺は二枚変えるとするかな」
「僕は…三枚で」
一回目と同じようにカード交換を終える。
(よし!クイーンのワンペアを引いてツーペアになった!高い数字のツーペアなら…!)
僕は藁にもすがる思いでカードに祈る。いくら運に左右されるとはいえ、ここで負ければもう後が無い。そこから三連勝するのは、限りなく難しいはずだ。だから、ここで…!
「僕はエースとクイーンのツーペアです」
僕は机の上にカードを強めに叩く。多少強気にならないと不安にうち負けそうだった。
ベジータは直ぐにカードを見せなかった。だから僕は心の中で勝利を予感し、ホッと気を抜いた瞬間、
「ストレートだローズJ。いや、桜田ジュン」
ざっくりと。跡形もなく切り刻まれた。
「くっくっく…!どうした日本人?顔色が悪いぞ?土壇場はお嫌いか?ま、こうも力が離れちゃ無理もないさ。だが運などそうは続かない。精々神様にお祈りしながらカードを引くんだな」
三回目。ベジータが僕にカードを投げる。ベジータがカードを引く。
今回の手札は役なしのブタだった。だけど、僕にはもうどうでも良かった。
「俺は一枚だけでいい。お前は?良く考えて選べよ?お前の左手がかかってるんだからなぁ?」
僕は何も言わず、五枚全てを放り投げた。
「これはこれは…つくづくついてないなぁお前は。最後五枚の引きにかけたとして、これじゃたたが知れる。ここは地下だ。神風なんぞ吹きはしないぜ?」
僕は黙って、ゆっくり慎重に手を前に手を伸ばしていった。そして…
「僕の勝ちです」
僕が伸ばした手はベジータの一番左の手札を掴んでいる。少し指を滑らせると、それは2枚になった。
言い逃れようのない、イカサマ。
「なるほど。俺の負けだな」
だがベジータはただ、涼しい顔でそう呟いただけだった。

「はぁ…はぁ…!」
ベリングをかけられた時よりも激しい動悸と吹き出る汗。ベジータはイカサマをした。真剣なポーカーの勝負なのに…いや、違う違うそうじゃない!
始めからだ。始めからこれはポーカーなんかじゃなかったんだ…これは、“ベジータのイカサマを見抜けるか否か”の勝負だったんだ!
だから始めに言われた。イカサマには注意しろと。気付くべきだった。卑怯を嫌うベジータがイカサマしたら一回の負けで済むなど有り得ない。普段なら即頭を撃ち抜かれるほどのタブーなはず。
さらには仕草や僕にかける言葉の中にもヒントを散りばめて…ベジータ、なんて奴なんだ…!
僕が気付いたのはベジータがカードを引く時のかすかな音が五枚より多い気がしたから。左のカードがダブってるように見えた気がしたから。本当にそれだけ。なんの確証もない。手札がブタじゃなきゃ言えたかもわからなかった。
ベジータは…僕を試してる。きっとベジータならもっと上手くイカサマ出来たはずなのに。素人の僕にも僅かに違和感を感じるように制御して…
(くそっ…!)
なんて遠い。なんて高い。これが実力の差なのか。これほどまでに…!
(いや…落ち着け…落ち着くんだローズJ!悔しむのも嘆くのも全部後だ!これは僕が望んだ戦いだ。喜べ!そして身を引き締めろ!次が来るんだ!)
僕は一呼吸置いて椅子に座り直した。視線を上げるとベジータと目が合った。それは、意地の悪い教師みたいだと感じた。

「…よし、次は少し体を動かすか。そうだな…ジャンケンなんてどうだ?」
「ジャンケン…」
「そう、もちろん知ってるな?グーチョキパーのあれだ。ふむ…まあ、10回連続で出し合うか。ただ、普通にジャンケンしたんじゃつまらないだろう?」
「…と言うと?」
ベジータがまた意味有りげな笑みを浮かべて説明する。
「いいか、お前は俺が出した手に必ず負けろ。後出しでいい。ただし直ぐだ。勝ったりあいこになったり、出すのが遅れた場合は…解ってるな?」
「…はい」
ベジータが左手を前に出す。僕は右手を前に突き出した。
「ではいくぞ。待ったなしの10回勝負だ…レディ…」
ベジータの腕が縦に降られ、手がパーの形を作る。僕は直ぐにグーを出す。
次はチョキ。僕はパー。
またチョキ。僕もパー。
グー。チョキ。
パー。グー。
グー。チョキ…
順調だった。だから、僕は警戒を一層強めた。そう、あのベジータが、こんなに簡単に勝たせてくれるはずがない…
そして、それは余りも一瞬…いや、僕には目の前だったはずなのに瞬間移動かと疑うほどの刹那だった。
9回目のベジータの手は、振り上げたと思った次には僕に向かって突き出されていた。チョキだ。それは見える。でも僕の右手はまだ振り上げてる途中なのに…!
(…ッ!!)
自分なりの全力を出したつもりだった。そもそも遅れたと言ってもそのさじ加減はベジータ次第だ。僕は必死にパーを出す。頼む、間に合っててくれと。
僕の左肩が熱くなった。
僕の背筋が凍る。
恐ろしい怒気を放ち、鉄線を掴んだベジータの右手が降られ僕、の、肩、が。
「…はあー!…はぁ!はぁ!はぁ…僕の…勝ち、です…」
僕は負けた。いや、ジャンケンに、だ。そう、突然突き出されたベジータの“右手”のグーに、左手のチョキを出して。
「ほう…なかなか見事な反応だな。確かに俺の負けだ。だが…ふん、ちょいとミスったか…」
何をミスったか。聞くまでもない。あの一瞬の動きで全て悟られた。
ロゼーン島での強化合宿の時、雪華綺晶と行ったケミカル激マズ団子…ではなく、その前の例として、僕はこの負けるジャンケンをやっていたのだ。そして、左右の手を変えて出すのも経験していた。だから、全力の後の隙をつかれでも僕は負ける手を出す事が出来た。
その経緯を、ベジータは一瞬で感じ取り、見抜いたのだ。そしてゾッとする。もし、雪華綺晶にこれを見せてもらっていなかったら…僕は絶対負けれなかった。そしてベジータの悔しがる口調から、本気で腕を飛ばす気だったんだ…
動揺を抑える事も出来ず、必死に肺に酸素を送り込む僕を眺めていたベジータは不意に立ち上がると、僕の左肩からベアリングを外した。
「ラストだ。ローズJ」
ベジータは僕から少し離れる…いや、あの動きは違う。ベジータは…間合いを図った。
「ルールは簡単だ。エモノ無しのどつき合い。動けなくなった方の負けだ。当然お前が負けたら腕を頂く。そして扉の鍵は、ここにある」
ベジータが腰のポケットからそれを取り出して見せて、またしまった。
「さあ立てローズJ。遊びは終わりだ。潰してやる」
僕は言われた通りに立ち上がった。今のベジータは何を言われても従いたくなる程の恐ろしさがあった。
やるしかない。むしろここまできた事を両手を上げて喜んだっていい。ベジータなら銃があれば一発で僕を仕留め、刃物があれば切り刻み、鈍器があれば砕くことが出来るのに。
遊びは終わり?違うよベジータ。こんなの、どこまで行っても遊びじゃないか。僕の命は保証され、ベジータは本気を出せない殴り合い。八百長まがいの茶番も良いとこだ。
だけど、僕はそんな茶番すら必死に足掻かなければ勝つことが出来ないんだ。無様に、ズルく、浅ましく。
それでも…僕はこの人に勝ちたい。
アイツらがベジータと闘う事になれば、目の前の男は本当に恐ろしい相手になってしまう。だから、僕が勝ちたいんだ。
「…いきます!」
ベジータ、ローゼンメイデンのみんな、柏葉巴さん…。それぞれにそれぞれの感情を胸に秘めて、僕は小さな地下室の床を蹴った。

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