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第十二話



後に悔み、覆された水が盆に返るコトを望んでもソレらは決して受け入れない。
因果律が定めたように、未来から過去へ進むことはできないのだ。
あるとしたら、それは現在と過去。
未来からは干渉できず、絶対に塗りつぶされるコトのない事実。
思い出にカテゴライズされはしない、決して消えない黒い記憶。
媒体が違えれば意味も変わる。
それはこれからの一生涯、再生されるべきではない映像として記録された。
いまから目を潰しても、すでに脳裏に焼きついた映像は消えない。
さながらブラウザクラッシャのように。
なにかのきっかけで再生針が落とされるかもしれない、危うい場所に保管される。
人体のブラックボックス、運営者の意思に反する曖昧な場所。
いまなお再生され続ける、あの時の記憶。
ガソリンが切れたにもかかわらず、それは正しく駆動していた。


「うあ……うぅぅ」


喘ぎ声。
快感でも嗚咽でもなく、ただひたすらに苦悶に響く。
ガソリンが切れた、というのは間違いではない。
しかしそれでも、炉心は火を湛え稼動する。
絶え間なく運動量を上げ続ける、血管という名のハイウェイ。
もはや切り替えは叶わず。
全速疾駆する感情は、光速となって回転する。
これだけの燃料を消費し続けているハズなのに、彼女は動くことができなかった。
否、これだけの燃料を駆使して、彼女はようやく動けなくなったのだ。
霞み続ける視界、命令系統が破綻した四肢、脳を燃やし走り続ける火花。
そのどれもが、決壊し氾濫した恐怖を食い止めている無意味な抵抗である。
無慈悲な濁流のなかで彼女が必死に守り続けているのは、どうしようもなく愛しい自分だった。
駆け巡る血流のせいで体は熱いのに、心はどんどん冷たくなっていく。
これから始まる高蜜度の拷問。
とろけるほどの甘い声が、彼女の耳を凌辱する。


「でぇ、雪華綺晶もここに泊まるって言うわけぇ?」

「あ、あ、その……えと」


ガチゴチに固まりソファーに座っている雪華綺晶の背後から、抱きしめるように腕をまわす水銀燈。
うむ、軽くショートストーリーを作ってしまったほどの光景だ。
耳に息をふぅっと吹きかけているあたり、水銀燈の恐ろしさが見える。
や、毒気満載すぎる、男にとって。
ベジータが興奮しすぎて血涙を流したほどの噂の美女のうち1人が目の前にいて、なんだか面白いコトをなさっていた。
人ン家で白い花びらをまき散らすのもどうかと思うけど、これをベジータに報告するのか。
僕を見るたびに青くなって、水銀燈にアレコレされるたびに真っ赤になっている。
名前と普段着からして白いイメージはあるけど、意外に色彩豊かな雪華綺晶だった。歯磨き粉みたい。
穴だらけの報告書になりそうだけど、それで我慢してもらうとしよう。
なんていうか、真実そのままを提出したら雪華綺晶が一生許してくれない気がする。
そろそろ止めないとお隣さんに嗅ぎつけられそうだ。
一生を終えるにはまだ早い、ていうか、間接殺人鬼に追い詰められるのはよろしくない。
ここ最近の一連のうだうだで、精神が摩耗し始めている。
少しは強気に出て、なんとか場を治めないと。


「もうやめろよ水銀燈。雪華綺晶が困ってるだろ」

「あら、ジュンは雪華綺晶をかばうの? それに、雪華綺晶が泊まっていくコトには賛成?」

「そういうワケじゃない。そういえば、なんで雪華綺晶はウチに来たんだ?」


若干強引なきらいはあるが、とりあえず話題逸らしには成功。
水銀燈はそれに不満があるらしく僕をにらんでいるけど、いまは知ったこっちゃないのである。
理由を確認せずに、期間限定とはいえ男しかいない家に女の子を2人も泊めるのはいささかマズイ。
倫理とか道徳とか、あとは僕の命とか。
大げさではなく、お隣さんのゴシップ波及スキルは半端じゃねえのである。
たくみな話術と高速回転する脳を最大限に活かす。
一の真実に百の嘘を配合してるのに、結果的には一対一の割合になるレベルの。
あれはもう会話ではなく、呪詛とか言霊の領域に到達した類だ。
本気を出せば言葉ひとつで5人まで殺せるんじゃないかという、もはや凶器と同義の対人兵装。
ご近所名物「ロングレンジ・ペイン」の発動は食い止めねばなるまいっ。
つまり、そんな人にこんな真実が漏れだす前に、理由を明らかにして、その上で帰ってもらうのが得策というワケだ。
できるなら水銀燈もセットで。


「えっと、その、ですね……」


雪華綺晶が返事できるのは、僕が台所から話しかけているからだ。
一定の距離があれば会話はできるらしい。
本人いわく、至近距離で話したのは薔薇寮でのあの一件が初、だそうだ。
まだ慣れてないってんで、こうして距離をとっている。
が、その距離をあけてなお、雪華綺晶は言葉に困っていた。
誰がどう見ても、あれは困っている。
たっぷり数分使ったあと、ようやく雪華綺晶は次の言葉を口にした。


「よく覚えてないんですよね」


困りましたねー、なんておまけ付きで。
ははは、できればその笑顔、もっと別の状況で見たかったなー。
男性恐怖症を克服した瞬間くらいが1番で、2番目はその次の日くらいに。
ベジータなら、ここで雪華綺晶がぺろっと舌を出せばもうノックでアウトだろう。
アホな男子なら一瞬でコンクリート色にできる、神話の時代の魔眼だった。
少しパーマが入ったあの髪形からも容易に想像できるという、どんな連想ゲームだ。
いやァ、その状態で銭湯まで行ってたんだから、せめて理由くらいは覚えておいてほしい。
つーか起きてたし、寝てなかったし。
寝て記憶が飛ぶというのは割とよく聞く話だけど、起きたままトバすなんて前代未聞だと思う。
あと、翠星石への罰を考えておこう。
企画・脚本・演出は僕、役者兼執行者は水銀燈でよろしかろう。
もちろん、僕と水銀燈の頭に青スジが浮かんだのは言うまでもない。
いくらガソリン、というか酒が抜けたとはいえ、記憶まで抜くのはダメだろう。


「だって、私まだ未成年ですし、ザンクト・ペトルス一気飲みなんてふつーは無理ですよ!
 ジントニックとかウォッカと同じ世界ですよ! おそろしやアクアヴィット、彼らは確かに変態だった……!」


いよいよテンパったらしい。
ボクラの怒りに感づいたか、あわてて言い訳するも別世界の話をする雪華綺晶だった。
そういえば薔薇水晶といっしょにゲームしてるっぽいし、知ってるっちゃ知ってるのか。
あと、困ったときとかあわてたときに腕をばたばたさせるのはクセなのか。
さすがは純白の少女、純粋さは忘れていなかった。


「いや、ダメだろ酒は。どうせ翠星石のコトだから、
 『料理酒なんですけど、この料理に合うかどうか飲んでみてほしいですぅ』
 なんて騙したんだろうけど。あれだ雪華綺晶、あいつの笑顔は2種類なんだ。騙すか、罠にはめるかのどっちか」


そしてどちらも、心からの笑顔なのだ。
純粋少女の異名すらできあがりそうな雪華綺晶なら騙されても仕方ないかもしれないけど。
あと、食に対する理念が2人とも強いので、そういう意味でも相性抜群だったりする。
要は黒か白なのだ。
人を楽しませるか、人で楽しむかのベクトルは、どうあっても交差しない運命だったりする。
そして説明されていない、40度の酒をコップ一杯一気飲みするコトになった経緯も微妙に知りたい。


「うう、じゃあ水銀燈さんが行方不明だけど銭湯にいるかもしれないっていうのも……」

「………………ちゃんとみんなに言ってきたハズだけどぉ」


そんなにアルコール回転数を上げたかったのかアイツはっ。
あと、なんで銭湯だって断言できたんだ翠星石のヤツ。
この辺もあとで言及しなきゃダメなんだろうか。
や、ダメだろうなァ。
銭湯って言葉を出せたのは、水銀燈が銭湯に行くコトを知っていたか、あるいは前提としていなきゃ筋が通らない。
どうもこの辺もヤツが絡んでいる気がする。
よし、いいだろう。受けて立つ。

────翠星石が、才色兼備を自称する悪魔であるなら、
────桜田ジュンは、一般凡庸を自覚する人間である。

だから挑む。
ただ悪意を振りまくだけの悪魔に対し、知恵と知性を以って迎撃する。
しかし相手も凡百ではない、こと攻撃特化した理論武装の塊でもある。
幸運なのは、頭が良いというコトだけではなく、眩しくなるほどの純粋さもあるのが長所である欠点だ。
あれ、というコトは、方向性が違っているだけで根源は同一である雪華綺晶も実は予備軍疑惑の対象なのでは。
くぅ、思わぬところにとんだ伏兵っ。
おのれ薔薇乙女、諸処において人を陥れる運命にあるというコトか。
ならばいっそ、あの蒼星石をして恐怖に堕とし入れた薔薇寮名物「精神解放戦線(マインドキャノン)」を仕掛けるか……!


「ねえジュン。もう9時過ぎちゃったけど、結局どうするの?」

「えあ?」


一瞬逸れかけた思考を現実に引き戻されて、さらに時計に視線を流す。
なんと、水銀燈の言うとおり本当に9時を過ぎていたのだった。
むぅ、困った。
片道でおそらく30分近くかかるだろう薔薇寮まで、こんな時間に女の子2人で帰らせるのは論外。
かと言って、僕はボディーガードにもなれないようなさわやか市民である。
つまりこれは、最終的には2人の宿泊を認めるしかないのでしょーか。
と、ここで閃く。
頭に射した光と、予想しうる迫る闇を天秤にかけて、あらゆる思考が正道に成る。
事は単純な比較だった。
雪華綺晶は勢いで我が家に来ている。
すでに断ってきたとはいえ、水銀燈も明日は帰らざるを得ない。
いまはすでに9時24分。
全員が食事を済ませ風呂を終わらせ、あとはせいぜい雑談くらい。
8割が睡眠を占めるだろうこの残り時間で、朝には2人が帰るなら。
つまり、僕が我慢すべき時間はそう多くはない。
なら話は簡単だ。


「ああ、わかったよ。たしかに、女の子2人に夜道を歩かせるワケにはいかない、どうかしてた。
 布団は余りがあるから、2人とも姉ちゃんの部屋で寝てくれ。明日は休みだ。残りの時間はそれなりに使えばいい」


それが結論。
情けないコトに、僕は自分がいま吐いた言葉で自分の真意をつかみ取った。
そりゃあそうなのだ。
女の子を、こんな時間に危険を冒させてまで外に出すなんて、そんなのは当たり前ではない。
つまり、どんな経過があって彼女らがここにいようと、もう外へ出す気なんて最初からなかった。
安全がある家にいるのと、危険しかない夜道を往くコトを比べて、そんなのは僕が許せなかった。
なにより、


「やったぁ! ありがとうジュン!」

「あ、その、ありがとう、ございます……」


水銀燈はもちろん、雪華綺晶にまで安心したような顔をされちゃあ、もうどうしようもないじゃないか。
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