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『日常』


それは真紅が教室の掃除をしている時だった。ジュンとベジータに机を運ばせていると、巴が耳元で囁く。

「真紅、放課後ちょっといいかしら?」

訝しげに巴を見ると、巴はジュン達を指差している。男連中には聞かれたくない相談事なのだろう。真紅は頷くと、掃き掃除に戻った。


巴に指定された時間まで図書室で暇を潰す事にした。図書委員で仕事もあった為に、約束の時間まではすぐに過ぎる。
夕日が辺りを染める頃、言われた通り剣道部の道場に来た真紅はおかしな事に気がついた。剣道部は部活時間が暗くなる7時過ぎまである。それなのに稽古に励む部員の声が聞こえないのだ。

コンコン

「…失礼します。巴さんはいらっしゃいますか?」
「あ、真紅?今は私だけだから入ってきて」

真紅が引き戸を開けると、薄暗い道場のなかで夕日を背負った影が一つ。

「…巴?今日は練習は休みなの?」
「ええ。大会が近いから疲れを取る為に、ですって」
「そう。貴女には悪いけど…やはり武道場は匂うわね」


苦笑しながら中に入ると、真紅の鼻に汗の匂いに混じり妙な匂いがする。

「それで私に何か相談事?」
「うん、単刀直入に聞くわ。真紅は桜田君の事どう思ってる?」

夕日を背にし赤い胴着を着た巴の表情はよく見えず、巴に近付くにつれて妙な匂いがいよいよ強くなる。

「おかしな事を聞くわね。まあ、まだ未熟で躾が必要な僕…といったところかしら」
「…う~ん、聞き方が悪かったわ。じゃあ聞き直すわね、真紅は桜田君の事が好き?」
「それは…どういう意味かしら?」

真紅は足を止め、逆光の中に浮かび上がる巴を睨み付ける。

「それは宣戦布告と受け取って良いのかしら?…ならば巴、今から貴女は私の敵よ」
「ふぅん、真紅もなのね…」

嘲るようで哀れむような巴の呟きがやたらと真紅の神経を逆なでした。

「用件はそれだけ?…時間を無駄にしたわ」


そう言って真紅が背を向けて道場を後にしようとした時。

ザクッ ゴトリ

勢いよくキャベツを切ったような音の後に重い物が床に当たって音を立てた。

「…え?」

右手が無い。
生まれてから今まで腕があった空間が空き、空白を埋めるように赤黒い液体が肩口から溢れ出る。

「あ、あ、ああぁあああぁぁああ!?」
「あら、ごめんなさい。刀って意外に重いから手元が狂ったみたい」

切り口を左手で押さえる真紅の退路を断つように扉の前に立ちはだかる巴。彼女は優しく微笑んでいた。

「い、嫌っ、こないでぇ!」
「ほら、手早くやるから逃げないで?」


逃げ場は一つ。
苦痛に喘ぎながら真紅は脇の控え室へと駆け込んだ。滑る手で扉を閉めると鍵を掛ける。

「真紅?開けて?」

扉を叩く音が狭い控え室に木霊する。

肩から溢れる血が真紅を深紅に染め上げていく。出血のせいでひどい目眩がして考えが纏まらず、足元も酔っ払いのようにおぼつかない。
何故?どうして?私がジュンを好きだから?どうしてこんな目に遭うの?
…そう…そうだわ、コレはユメ。図書館で居眠りして見ているアクムだわ。イヤね、早く起きないと巴が待っているわ。
でも…どうしてこんなにも痛いのかしら?

「ひぃ、ひぃ、っきゃっ!?」

後退りしていた真紅は何かに足をとられて背中から倒れ込んでしまった。それは生暖かく、噎せるような鉄の臭いを撒き散らしたナニカ。
声を凍らせて固まってしまった真紅は壁の棚から虚ろな12個の瞳が見下ろしている事に、鍵が開く音に未だ気付かない。





「トーモーエーー!!」

着替えと後始末を済ませて物思いに耽っていた巴は軽い衝撃と名を呼ぶ大声で我に返る。
見ると雛苺が腰に抱きつきながら頬を膨らませてプリプリ怒っていた。
どうやら長いことボーっとしてしまっていて雛苺が来ていた事にさえ気付かなかったようだ。苦笑しながらその頭を撫でてあげると、雛苺はネコのように目を細めて嬉しそうな笑顔を浮かべている。

「ねえ、雛苺。貴女は桜田君の事が好き?」
「大好きなの!」

一瞬巴は悲しみのような感情を移したが直ぐに能面のように無感情な顔になり、背に隠すようにしていた刀の柄に手を伸ばした。

「でもヒナはトモエが一番なの!トモエに撫でて貰っているのが一番嬉しいのよ!」

嘘のない純粋な笑顔。思わずまじまじと見つめた後、気付かれぬように刀を放して微笑み返すと雛苺の額にそっとキスをした。

「ありがとう雛苺。もう遅いわ、一緒に帰りましょ?」

紅くなりながらも嬉しそうな雛苺の手をそっと握り道場を後にする。



その帰り道、雛苺が巴と繋いだ手を見ながら不思議そうに聞いてきた。

「トモエなんか鉄みたいな臭いがするのよ?」
「練習用の居合い刀で指を切ってしまったのよ」
「ヒナが治してあげるわ!『いたいのいたいの飛んでけ~!』なの」
「ふふ、ありがとう雛苺。お礼に夕飯食べていかない?美味しいオムライス作ってあげるわ」

それを聞いた雛苺は大喜びで携帯を取り出すと家にかけて話し始める。
二人の影が夕焼けに照らされ長く長く伸び、何時もの夕暮れが過ぎていった。

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