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<あらすじ>

時は戦国の世。備前国に「薔薇乙女」と呼ばれる8人の姉妹がいた。
天下統一の野望を抱く長女・水銀燈は、戦国大名となって上洛を果たし将軍・足利義輝の信頼を得る。
しかし足利義秋の陰謀により幕府と対立、ついに京を攻め幕府軍を撃破し、義輝は自ら蟄居の身となった。
ここに室町幕府は事実上滅亡するも、足利家は辛うじてその命脈を保つ。だが……



――永禄九年七月。

洛中を支配下に収めた水銀燈は、雪華綺晶、薔薇水晶をともない紀州における一向一揆の残党討伐に向かっていた。
本願寺顕如は畿内から追われたが、各地の一向宗は北陸加賀を中心に未だに根強い抵抗を繰り返している。
その途上、金糸雀からの急報を受けた水銀燈は雪華綺晶と薔薇水晶を残し、大急ぎで京へ取って返した。
ことの詳細は、未だ分からない。
(上様っ……どうか御無事で……!)
水銀燈は神にも仏にもすがる思いであった
そして何頭もの馬を乗り潰しながら驚異的な速さで都へ辿り着いたのだった。

金「水銀燈……!」
息も絶え絶えの状態で二条城に入った水銀燈を、金糸雀たちが迎えた。
明智光秀「水銀燈様……」
光秀はうつむき、沈痛な面持ちをしいて見せまいとしているようだった。
その様子を見て、かえって水銀燈はすべてを悟った。
銀「……どうやら、間に合わなかったようねぇ」
光秀「面目次第もござりませぬっ!!」
光秀はがばりと平伏し、こらえにこらえていた涙を一気に溢れさせた。
光秀「拙者、京を預かる身にありながら、上様を……上様を、お救い申しあげられず……とんだ無能者にござりまするッ!!」
号泣しながら懺悔する光秀の声は、半ば言葉にならないものであった。
銀「アナタのせいではないわ、光秀」
ゆっくりと吐き出された水銀燈の声音は、柔らかい。
が、胸中の暗澹たる思いまでは隠し得ず、それは通奏低音のような重い響きとなって光秀の耳を打った。
銀「アナタは朝廷との折衝と都の整備に忙しかったじゃなぁい……仕方のないコトよ」
光秀「さりながら! かような仕儀と相成る前に、打つ手はあったはず……」
銀「だとすれば、それは私の手落ちねぇ……光秀が気に病むことじゃないわぁ。……金糸雀」
金「……承知かしら」
一呼吸置いて、金糸雀は事件の仔細を訥々と語り始めた。

七月十九日、夜。
光秀とともに京の内政を任されていた松永弾正久秀は、密かに手勢を率いて京都三条方面へ向かった。
目指す先は隠居した前将軍・足利義輝の屋敷である。
家人たちが寝静まった頃合を見計らい、松永勢は一挙に屋敷内へ乱入し、火を放った。
わずか十数人の足利方は、義輝を守るために必死に戦ったが、やがて次々と討死。
騒ぎに飛び起きた義輝は、足利家代々の家宝である名刀を何本も畳に突き立て、刺客を待ち受けたという。
そして襲ってくる久秀の手先を片っ端から斬って捨て、刃こぼれするたびに新たな刀と取り替えて再び斬り合った。
四半刻にも及ぶ凄絶な死闘の末、義輝は猛炎に包まれた屋敷の中で自らの命を絶った。享年三十一歳――

金「……これが、足利家の家人の生き残りから聞いた事の顛末かしら」
銀「上様――」
水銀燈の瞼に、涙が滲む。
征夷大将軍の地位から降りたとはいえ、足利義輝は水銀燈にとって常に「上様」であり続けた。
義輝の壮絶極まる最期は、かの人物のただならぬ気概と誇り、そして人間性を物語っている。
今後も自分がこれほどに尊び、敬うことのできる人物は決して現れないだろうと思うのであった。
金「カナもうかつだったかしら。まさか弾正が、あんな暴挙に出るなんて……」
銀「弾正……」
その名を耳にした途端、潤んでいた水銀燈の眼がかっと燃え上がった。
銀「松永弾正、許さない……決して許さないわぁ。上様の仇は、この水銀燈が必ず!!」

その弾正久秀は義輝を討った後、山城国勝龍寺城へ軍勢を向けこれを陥としていた。
勝龍寺城は水銀燈が足利家所領として譲り、義秋が居城としていたが、松永勢に敗れ城を明渡してしまっている。
久秀「さて……水銀燈様もこれで目を覚ましてくれるとよかったのだがのう」
久秀としては、水銀燈を裏切ったというつもりは毛頭ない。
京を攻めることが決まってから、義輝を討つという一事はこの男が当然のように予定としていたことだった。
久秀「思えばあの御方は、義輝に近付き過ぎた。将軍など、所詮は飾り物。体よく利用するに留めておけば良かったものを……」
この男に言わせれば、将軍にせよ幕府にせよ、畿内で公然と侵略を行うための大義を与えてくれる存在に過ぎない。
今や水銀燈が畿内のほぼ全域を手中に収めた以上、名ばかりの将軍などもはや無用の長物である。
たとえ義輝個人がいかに優れた人間であろうと、そんなことはどうでもよいのだった。
むしろ将軍の生命を絶つことで、新しい時代の先駆者としての水銀燈の印象を世に広めたほうがよほど有益であろう。
義輝には、そのための人身御供になってもらう――前将軍暗殺は、久秀のそんな考えから導き出された結論だったのだ。
久秀「しかし、真意というものは他人にはなかなか伝わらぬものじゃて」
水銀燈は急遽京へ立ち返り、久秀討伐の軍勢を募っているという。
久秀もこうした事態に備え、丹波の波多野家や近江の浅井家などに使者を送り、援軍を要請してはいた。
久秀「やはり、若さかのう……?」
水銀燈は数えてちょうど二十歳、一方の久秀は五十七歳である。
久秀の半世紀以上に及ぶ人生は、まさに下克上を絵に描いたような血みどろの生涯であった。
何十人もの人間を騙し、裏切り、死線も修羅場も数え切れぬほどにくぐり抜け、今ここに至っているのだ。
(義輝といい水銀燈といい、所詮は子供よ……)
家臣「申し上げます! 敵と思われる軍勢が、この城に迫りつつある由にござりまする!」
久秀「むぅ、早くも水銀燈がやってきたか。流石よのう……」
家臣「さにあらず! 物見の報告によりますれば……敵の総大将は、薔薇乙女翠星石! その兵力は一万余とのこと!」
久秀「ほう? あの翠姫殿が……」
摂津高槻城に駐留していた真紅軍の一隊である。
久秀「あの娘が、この儂の命を貰いに来たか……ふふふ」
奇妙な可笑しさがこみ上げてくる。
思えば、大和興福寺で翠星石に出会ったのは四年前のことであった。
翠星石の率いる軍勢は一万、対する勝龍寺城の松永勢は三千足らず。
数の上では不利な戦いと知りながら、久秀は微笑を浮かべたまましばらく座して動かなかった。

翠「やはり、あいつは翠星石の思った通りの奴だったです……」
完全に包囲された勝龍寺城を見つめ、翠星石は呟いた。
その背中を、具足に身を固め、帽子をかぶった蒼星石が見守っている。
蒼「結局、こんなことになってしまったね。はじめから弾正は、義輝様を亡き者にしようとしていたのかもしれない」
翠「絶対に許さんです。将軍殺しなどという外道をはたらいた弾正も、それを許した水銀燈も……!」
蒼「翠星石……」
久秀が水銀燈に臣従するきっかけを作ったのは、自分――翠星石の心中にはそんな自責の念が渦巻いている。
同時に、邪心を抱いていると知りながら久秀を側に置き、重用し続けた水銀燈に対する不信と失望感も募っていた。
翠「これで薔薇乙女家は、千載の汚名を着せられた……それを防げなかった以上は、せめて、せめてこの手でっ……」
蒼「そうだね」
蒼星石は一歩踏み出し、翠星石の震える肩を優しく抱いた。
蒼「西国にいた僕らは、都の騒乱に何も打つ手が無かった。せめて僕らの手で弾正を倒し、そして水銀燈の目を覚まさなくては」
肩を包む、妹の手の柔らかい温もり。その中にみなぎる強い意志を感じ取り、翠星石の心は熱くなった。
翠「蒼星石……やるですよ。用意はいいですか?」
蒼「うん!」

勝龍寺城への攻撃は開始された。
翠星石、蒼星石の両隊は城内に通じるすべての路を塞ぎつつ、城を目掛けて遮二無二殺到した。
城門ばかりでなく堀や城壁を無理矢理乗り越え、なりふり構わず一兵でも城内へ割って入ろうとする。
だが、城方の久秀は流石に老練であった。
死に物狂いで突っ込んでくる相手には、はじめ一切手出しをしない。
やがて寄せ手の勢いが緩み、隊列が乱れた頃合を見計らってどっと反撃に転じるのだ。
さらに逃げていく兵の背中に鉄砲を浴びせ、追い討ちをかける。
翠星石軍は大きな損害を蒙り、第一陣の攻撃は失敗に終わった。
翠「きいぃぃぃっ!! あんのクソ爺ぃ、八つ裂きにして淀川にはらわたブチまけてやるですぅ!!」
蒼「翠星石、落ち着いて! ……そんな汚い言葉を吐くもんじゃないよ」
翠「わかってるです! 実際そんな気色悪いことせんですよ……かくなるうえは、確実な作戦を考えねばならんですぅ」
陣中で城の見取図に目を凝らしながら、翠星石はあらゆる思案をめぐらせた。
この切り替えの早さこそが、水銀燈や久秀が翠星石に一目を置いていた理由のひとつであった。

それから数日間、翠星石軍は小部隊で昼、夜問わず攻撃を仕掛け続けたが、その都度撃退された。
ある日の夜。
久秀「あの娘にも、もはや打つ手無しかの」
翠星石が時折見せる突飛な発想力を、久秀はそれなりに買っていた。
だが久秀は配下に命じ、朝昼晩と交代で城を守らせ、翠星石の奇襲にもびくともしなかった。
久秀「この弾正がおる限りは、そうやすやすと城は渡せぬ」
そう呟いた時だった。
深い闇夜の間隙に、幾つも重なり合う轟音が響いた。
久秀「鉄砲……また夜襲か」
そこへ配下の一人が駆け込んでくる。
家臣「申し上げます! 寄せ手が夜襲を仕掛けてきておりまする」
久秀「言われずとも知っておるわい。いつものことではないか。で、敵はいかほどの兵を割いておるようじゃ?」
おそらくは一部の兵に日中仮眠をとらせ、それを夜襲部隊として差し向けてきているのだろうと推測した。
家臣「いまだ詳しくは分かりませぬが……恐らくは全軍かと」
久秀「全軍じゃと? 馬鹿な」
一笑に付す久秀。
が、直後に聞こえてきた地響きのような鬨(とき)の声に、その笑いもかき消されてしまった。
久秀「……馬鹿な」
久秀は、力なくもう一度呟いた。

翠「おい野郎どもっ! 遠慮はいらねぇ、やっちまいなぁ!! ですぅ!!」
蒼「もっとマシな掛け声はないの?! 海賊じゃないんだから、もう……」
翠星石のはしゃぎように呆れながらも、蒼星石は自らの高ぶる鼓動を抑えきれないでいた。
(これが武者震い、ってやつ? やだなぁ、武将とはいえ女の子なのに……)
夜の闇は、人の奥底に眠る野性を呼び覚ますのかもしれない――蒼星石はそんなことを考えた。
二人の率いる一万余の兵は、疲れも見せず全軍一丸となって城に押し寄せた。
兵士たちは交代で仮眠を取り、この夜の一斉攻撃に備えていたのである。
久秀「してやられたわい。まったく、こんな騒々しい夜は初めてかもしれんの」
休息十分の一万の軍勢が押し寄せる様は、さながら荒れ狂う巨大な大波であった。
数の少ない城兵は、ひとたまりもない。
門や防壁を次々に突破され、圧倒的な人の群れの中に飲み込まれるほかなかった。
久秀「これまで、か……」
蒼「弾正っ!!」
凛々しい声が、久秀の耳に届いた。
本丸から身を乗り出し闇に目を凝らすと、櫓(やぐら)の上に二つの人影が浮かび上がる。
帽子をかぶった影――蒼星石は、鉄砲を構えていた。
銃声が、漆黒の闇を震わせる。
弾丸は久秀のすぐ側にあった柱に命中し、虚しく煙を立ち上らせた。
久秀「ふふふ……ふあっはぁっはっはっはぁっ!!!」
寄せ手の喚声をも呑み込むような、久秀の高笑いが辺りに響く。
翠「きったねえ声で笑ってんじゃねぇです! 耳が汚れるですぅっ!!」
久秀「ふふ……闇の中でこの距離では、よほど鉄砲を使い慣れなければ当たらぬものよ。そのくらいは知っておかねばのう」
蒼「ちぃっ……!」
舌打ちし、鉄砲を投げ捨てる蒼星石。日頃からすれば珍しい荒れようであった。
翠「この期に及んで悪あがきすんなです! おめぇの悪事はお天道様が許しても、この翠星石がぜぇったい許さんです!!」
蒼「己の野心に任せて謀略を尽し、前将軍だけでなく多くの人々を不幸にした……その罪が裁かれる時が、今来たんだ!!」
二者を隔てる暗い空間を、双子のよく通る声が満たしていく。
今や城内は翠星石軍の兵士で溢れ、松永勢の手に残るは本丸ばかりであった。
久秀「野心とな。儂はただ、この乱世の中で己が生き残るための道を歩んできただけなのだがのう」
翠「嘘吐けですぅ! だったら、なんで上様を殺す必要が……」
久秀「では聞くが、なにゆえそなたらは備前からはるばる京へ上って来た? 天下を取るという野心のためではないのか?」
翠「一緒にすんなですぅ! 私たち姉妹は、お父様の望みであった太平の世を築くために戦ってきたのです!」
久秀「ふぁっはっ、それこそ詭弁よ。そなたらはいくつもの大小名を滅ぼし、儂なぞよりも多くの者を殺してきたではないか」
翠「うっ……」
ぐっと言葉に詰まる翠星石。
久秀「大義と言い正道と言うが、所詮は人殺しの言い訳に過ぎぬ。だが、それでいい。利用できるものは利用せねば……」
本丸内にいくつもの火がちらついた。
蒼「弾正! まさか……!」
久秀「そうせねば、そうでもしなければ……この乱世は、生きてはゆけぬわぁっ!!」
突如、鼓膜が破れるかと思うほどの轟音が響き渡り、紅蓮の炎が本丸を飲み込んだ。
城内に蓄えてあった大量の火薬に、久秀が火を点けさせたのだ。
翠「爺いぃぃっっ!!」
蒼「翠星石っ!」
櫓から身を乗り出そうとする翠星石を、蒼星石が必死に抑えた。
翠「好き放題抜かした挙句に、そんな……そんな勝手な死に方、許されると思ってるんですかぁっ!!?」
翠星石の絶叫が、炎に焦がされた天空の闇にこだまする。
崩れゆく城郭の中で、久秀は今際の際に呟いた。
久秀「最後にそなたと一戦交えることが出来て良かったわい……これで天下を取らねば、化けて出てくれようぞ」
この夜、蒼星石は弾正の最後の高笑いをかすかに聞いたような気がした。


――軍勢が、京に迫っている。
水銀燈はかつてない心持ちで京へ引き返そうとしていた。これまで戦場で恐れを感じたことは一度もない。
自分が陣頭に立てば、常に勝った。その手に「迷鳴」を握った時、立ち塞がる者には常に死が約束されていた。
今、水銀燈は戦いを恐れている。
敵兵が怖いのではない。敗戦を予感しているのでもない。これから起ころうとしている戦いに、勝利も敗北もなかった。
しいて云うなら、刃を交えた時点で敗北――骨肉の争いの果てに待つものは、双方の自滅以外にはあり得ないのだ。
なんとか避ける方法はないか。いくら考えてみても、結論は絶望的なものにしかならなかった。

――京は、もう目の前である。
真紅は自分でも驚くほど落ち着いていた。勝龍寺城落城の報を受けてからは、ますます心が静まった。
戦は好きではない。大義があればこそ戦えた。自分の手で敵兵を殺めることは稀だった。
今、真紅は戦いを望んでいる。
私怨はない。ましてや野心などではない。これから起ころうとしている戦いは、それでも不可避のものであった。
姉は、道を誤った。少なくとも天下の耳目はそう見ている。先々いかなる大義名分を手にしようと、誰も付いては来ないだろう。
この先、父の遺志を継ぐ者は自分しかいない。何度考え直しても、結論が変わることは決してなかった。


――永禄九年八月。

銀「とうとう、この時がやってきちゃったわねぇ……」
眼前に展開する一万余の敵陣を見渡すと、水銀燈は天を仰いだ。
敵の総大将は、真紅。かつての副将であり、実の妹――
銀「真紅ったら……こういう日が来るコトを、私がまったく考えなかったとでも思ってるのかしらねぇ」
薔「銀ちゃん……」
金「またしても、カナの失態かしら……もっと早くに、真紅たちの動きをつかめていれば……」
勝龍寺城の落城と真紅軍接近の報を同時に受けたのは、久秀を討つため京を出立した翌日のことだった。
雪「仕方がありませんわ。真紅とて、忍びへの対策は十分のハズ。それよりも――」
雪華綺晶の左眼がくいっ、と動き、金糸雀をとらえた。
雪「貴女は、こちら側の陣でよろしくて?」
沈黙が、姉妹の間に漂った。ついこの間まで西国で真紅と行動を共にしていた金糸雀である。
銀「向こうへ戻りたいんなら、引止めはしないわぁ。でも……少なくとも私は、アナタの力を必要としている。それは確かよぉ」
金「水銀燈……」
これまで家中を率いてきた長姉の強い眼差しが、金糸雀の瞳に眩しく映る。
金「ふ、ふん! ここまで来て、今さらじたばたするカナではないかしら。こっち側に居てやるから、精々有難く思うかしら!」
ぷい、とそっぽを向く金糸雀。その様子を見て、雪華綺晶が吹き出しそうになる。
金「そっ、それに……」
薔「……?」
金「こういうことになったのは、カナの責任でもあるかしら。だから、少しでも償わなくちゃかしら……」
銀「ふふ、そぉねぇ」
金糸雀が言う責任とは、久秀の暴挙を止められなかったことなのか。
あるいは妹として、水銀燈と真紅との間をもっと取り持つべきだったということなのか。
銀「ま、アナタがそう思うのなら気が済むようにすればいいわぁ。私がアナタをこき使うことには変わりないしぃ♪」
金「あ、あんたは鬼かしら……」

紅「本当にこちらでいいの? 雛苺。今ならまだ間に合うのだわ」
雛「うゆ……」
真紅に問われ、力なくうなだれる雛苺。今までの短い人生の中で、これほどに辛い選択を迫られたことは、かつて無かった。
紅「私の陣に加わるということは、これまで畿内で共に戦った水銀燈と刃を交えるということ。その覚悟は出来ていて?」
雛「うぅ……でもでも、それはどっちに居たっておんなじことなの……」
巴「雛苺……」
真紅と水銀燈、どちらの陣に付くにしても、実の姉妹と戦うことには変わりがない――
雛苺の小柄な体がさらに小さく縮こまるのを、巴は居たたまれない気持ちで見守っていた。
雛「きっと水銀燈は、真紅と戦いたくなんてないと思うの。だから、もういっかい……」
紅「それは出来ないのだわ」
冷たい声で、真紅は言い放った。
紅「もう戦いを避けることは出来ない。これ以上そんなことを言い続けるのなら……貴女を水銀燈の内通者と見なすのだわ」
雛「ひぅっ……そんな……」
真紅の厳しい視線を浴び、涙ぐむ雛苺。
紅「巴。雛苺は貴女の陣に加えて頂戴。出来れば、なるべく後方に配置して――」
巴「わかったわ」
巴は短く頷いた。
真紅には懸念がある。無敗を誇る水銀燈に決戦を挑む以上は、配下の一兵に至るまで決死の覚悟を徹底させなくてはならない。
姉妹の一人である雛苺がいつまでも戦いを厭っていれば、厭戦気運が広まり士気に大きく響く恐れがあった。
細川藤孝「真紅様。騎馬、槍、鉄砲の各隊の配置、すべて完了してございます」
紅「そう……かたじけないのだわ、細川殿」
成り行き上、元幕臣の藤孝は真紅に臣従する形でその陣に加わっていたが、真紅の接し方は以前とあまり変わらない。
真紅の兵力は約一万、翠蒼軍が合流すれば二万に達する。それに対し、水銀燈が久秀討伐のために掻き集めた兵は約五千。
兵数においても地形の面でも真紅軍は圧倒的有利な立場にあったが、それでも真紅は気を緩めなかった。
雪華綺晶、薔薇水晶を両翼に従えた水銀燈の恐るべき強さは、同じ家中にあった自軍の武将たちが最も良く知っていたからである。
紅「……時は来たのだわ」
真紅は、立ち上がった。愛馬にひらりと飛び乗ると、薄紅色の衣が鮮やかに揺れた。
紅「皆の者! 今よりはこの私、真紅が薔薇乙女家当主となるのだわ。我らの敵は、水銀燈――いざ、続け!!」
地鳴りのような鬨の声が響き渡る。咲き乱れる紅の薔薇の旗印が、ゆっくりと前進を開始した。

戦いが始まった。
赤と黒、二つの大きな波が、互いに引かれ合うようにして寄せていく。
一方の赤い波――鶴翼(かくよく)の陣を組んだ真紅軍は、少勢の水銀燈軍を包み込むように大きく展開していた。
対する黒い波――水銀燈は鋒矢(ほうし)の陣を組み、全軍が一本の槍のように一直線に切り込んでいく。
高い攻撃力と機動力を誇る鋒矢の陣形だが、総大将が陣頭に立つため防御面では脆いと言える。
だが水銀燈は恐れなかった。自分の身を少しでも前方に置き、一刻も早く真紅に会いたかった。
やがて二つの波がぶつかり、飛沫をあげた。赤い花弁が、はらりと散った。
雪「撃てっ! 撃ちまくるのです! ……えっ? ふふ、大丈夫。急所は外してありますわ」
薔「わんわん!」
鉄砲隊を駆使して巧みに敵陣を切り崩す雪華綺晶、野犬の群れのような足軽隊を率いて敵兵を蹂躙する薔薇水晶、そして――
銀「真紅! 真紅は何処ぉっ!? ……えぇいっ、どきなさぁい! アンタたちを斬ったって、何の得にもなりゃしないわぁ!」
狂奔したように騎馬突撃を繰り返し、混乱する兵を蹴散らしながら突き進んでいく水銀燈。
真紅軍の先鋒は見る影もなく崩れ立ち、あっさりと本陣を敵前に晒してしまった。
真っ赤に染め抜かれた薔薇の紋の旗印が、水銀燈の目に飛び込んできた。
銀「真紅!!」
脇目も振らず、水銀燈は真紅の陣へ飛び込んでいった。
甲冑の上に纏った黒い羽根がひらひらと舞い散り、流麗な青い瞳にいくつもの影を落とした。
真紅は騎乗のまま、動かない。鋭い刃が閃き、その頭上に襲い掛かる。
耳を突く金属音。
真紅は一瞬のうちに刀を抜き放ち、「迷鳴」の一撃をきわどく受け流していた。
水銀燈は手綱を引いてくるりと馬を返し、再び真紅に向き直る。
銀「真紅……!」
紅「水銀燈……」
同じ血を分けた二人の視線が、絡み合う。喧騒の止まぬ戦場の只中で、そこだけが時間が止まったように静寂に包まれていた。
銀「久しぶりねぇ、ずいぶんと」
左手で銀髪をかき上げながら、水銀燈は言った。右手に握られた「迷鳴」の刀身には、一滴の血も付いてはいない。
銀「今さら『何故?』なんて野暮なコトは聞かないわぁ。けど、ひとつだけ……聞かせてくれない?」
紅「何かしら?」
小首を傾げるようにして真紅が言う。それは敢えて涼しげな表情を装っているようにも見えた。
銀「アナタは、いったい何を望んでいるの? 私を討って、天下をその手に握るつもり?」
紅「それも野暮な問いね。亡き御父様の果たせなかった夢を叶えること――それ以外に、私の望みはないのだわ」
かつて御父様はおっしゃっていた――と、真紅は続けた。
紅「水銀燈は天下を望み、いつか必ず兵を挙げるだろう。しかし、もしも道を誤るようならば、この私にすべてを託す、と」
銀「そんな……御父様が、そんなコトを……」
水銀燈は呆然とした。思えば姉妹の中で、亡父と最も多くの記憶を共有しているのは、ほかならぬ真紅であった。
紅「貴女は主と尊ぶべき足利幕府を滅ぼし、前将軍を死に至らしめた。その罪は、取り返しのつかないものなのだわ」
銀「それは……!」
紅「たとえ本意でなかったとしても! 動揺し混乱を極めた家中や諸国の民草を、これからどうやって束ねていくというの!?」
手綱を握り締め、真紅は叫んだ。水銀燈は、答えることが出来なかった。
紅「畿内の騒乱の煽りを受けた西国の動揺を、貴女は知らない……」
銀「真紅……」
紅「かつてからは考えられない程、当家は大きくなり過ぎた。私が挙兵しなくとも、早晩薔薇乙女家は二つに割れていたのだわ」
真紅の表情は悲壮感に溢れていた。
紅「貴女にはもう、天下を率いることは出来ない。水銀燈――貴女の存在は、今や天下を乱す元にしかならないのだわ!!」
傍らの兵から火の点った鉄砲を受け取り、真紅は素早く構えた。照準は、水銀燈の眉間に向けられている。
水銀燈は、動かなかった。引き金にかかった真紅の指が、細かく震えた。
薔「銀ちゃん!!」
異変に気づいた薔薇水晶が、叫んだ。夢中で馬に鞭を入れ、凄まじい速さで二人の間に割って入る。
銃声が、悲鳴のように轟いた。
火蓋の切られた鉄砲が、馬上からどさりと地に落ちた。
紅「ううっ……!」
光秀「水銀燈様!!」
真紅の呻き声と、明智光秀の絶叫が同時に水銀燈の耳に届いた。
光秀「水銀燈様っ、大事はござりませぬか!?」
銀「遅いわよぉ。お馬鹿さぁん」
鉄砲を投げ捨てて駆け寄る光秀に、水銀燈は余裕の笑みを見せた。
光秀は別働隊を率いて後詰を担当していたが、別方面での異変を報せようと単騎駆けつけ、とっさに馬上から発砲したのだった。
巴「真紅!」
後方の陣から、巴が駆けつけてきた。真紅は撃ち抜かれた右腕を押さえている。辛うじて落馬は免れたが、額には汗が滲んだ。
紅「大丈夫なのだわ、これくらい」
巴「でも、早く手当てしないと……」
紅「総大将がここで退くわけにはいかないのだわ……心配しないで。右腕が使えなくたって、左腕があるもの。そうでしょ?」
真紅は微笑んだが、口元は苦痛と悔しさで痛々しく歪んでいた。
光秀「翠姫、蒼姫の軍勢が西より迫っておりまする。このままでは、二万の軍勢に挟撃される恐れが……」
銀「くっ……」
光秀の報告を受け、水銀燈の表情からも余裕が失せた。光秀の目は、全軍の撤退を促している。
戦術的な一時撤退を命じたことは、これまでにもあった。が、野戦で敗走を喫したことは一度もなかった。
薔「銀ちゃん……!」
雪「姉上。ここは……致し方ありませんわ」
二人の妹の視線が、訴える。
銀「ふぅむ……どうやら、それしかないようねぇ」
水銀燈は決意した。表情は苦りきっていた。
銀「皆、聞きなさぁい! ここは一旦退いて、再起を図るわぁ。皆の者、退けっ! 速やかに退くのよぉ!!」
初めて発した撤退命令――肺腑から搾り出すような水銀燈の声は、侍大将から足軽にいたるすべての家士の胸に重く響いた。
黒い波が、静かに、整然と引いていく。
水銀燈軍は、東に向かって敗走を始めた。目指す先は南近江であった。
堅城で知られる観音寺城には、いまだ万を超える兵士たちがいる。当面はここで守りを固め、再起の機会を窺うつもりであった。
巴に応急処置を施されながら、真紅は赤一色に染まっていく戦場を見守っていた。漆黒の圧力が遠ざかるのが、肌で感じ取れる。
(撃てなかった……たとえ右腕を撃たれなくても、私は……私には、水銀燈を討つことは出来ないというの……?)
合戦は、終わった。勝者となった真紅軍からは、鬨の声は上がらない。
骨肉の戦いがまだまだ終わらないことを、一兵たりとも予感せぬ者はいなかった。
真紅も、追撃を命じない。古今に類を見ない、静かな勝利であった。

水銀燈を破った真紅は、京へ入った。そして逃亡していた足利義秋の在所を訪ね当て、二条城へ再び迎え入れたのだった。
のちに義秋は将軍宣下を受け、「義昭」と名を改めることとなる。
水銀燈に敗れて一度滅亡した室町幕府は、その妹の手によってここに再興した。
一方、水銀燈は近江、大和、紀州を固め、着実に勢力を回復していった。
水銀燈と真紅は京周辺を巡って睨み合い、こののち一年間に渡って畿内で火花を散らしていく。
実の姉妹によって引き起こされたこの激しい戦乱は、後年「紅銀の乱」と呼ばれ語り継がれることになるのであった。

――永禄九年九月。

真紅と水銀燈の決戦から一月。畿内と山陽の諸国は収穫の季節をひかえ、表面上は平穏であった。
しかし、事件は起こった。
播磨国姫路城主・桜田ジュンが、ある日忽然と姿を消してしまったのである。
当時城を守っていた家臣たちも、この異変に気が付かなかった。
だが城内の女衆の中には、その日の夜、城主の間付近で複数の黒い影が蠢くのを見た、という者があった。
なかには天井裏から「かしら」という囁くような声を聞いたという者も――

虫の声が、田野に鳴り響いている。
それが無数の歓声と怒号、そして悲鳴に変わる日が来るのも、そう遠くはなさそうであった。

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