「……ヤクルトが切れたわぁ」
何度も冷蔵庫を覗き込みながら呟く。これは、 悲しい現実を認めざるを得なかった。
常時あるべきはずの乳酸菌飲料がそこにない。これは由々しき事態である。
そういえば昨日はめぐのお見舞いに行ったために、「補充」と言う名の買い物をしていない……これが原因か。
一切悪くないはずのめぐがどこか怨めしかったが、 今さら他人を責めていても仕方ない。ここは早急に近所のコンビニへ行って「補充」を済ませないと……。
だが、 そこにはジャージに半纏、 靴下二枚履きという、 見るからに所帯じみた格好の私がいる。さらに髪はボサボサ、 ノーメイクというオマケ付きだ。
半纏は脱ぐとしても、 こんな格好を学校の誰かに見られるのは正直避けたい。一応校内では「オシャレで色気ムンムンなお姉さまキャラ」で通っているのだ。こんなオバサン臭い格好を見られれば、 「お姉さま」キャラが今後も通せるかどうか怪しい。 

だが、 今さら着替えるのも面倒くさいし、 何よりコンビニまでは100mもないのだ。親から離れて一人暮らしをしているこのアパートを出て、 左にまっすぐ行けばいい。
そうだ、たったこれだけの距離だ。周りに気をつけながら行けば、 どうという事はない。どこかの大佐だか小佐だかも言ってたじゃないか。
私はギュッと拳を握ると、静かな闘いの始まりを感じていた。
――そう、 感じていたはずだった。
コンビニの前で、 真紅とばったり会うまでは。


どんよりとした曇り空と、 身体の芯まで冷やすような冷たい風。日曜日の午後には似合わない不安定な天気が、 私の心の中を表しているようだ。
身体中から血の気が引いていくのを感じながら、 必死に思考回路を巡らせる。
そうだ、 コンビニの前までは誰かに見つかる事もなく、 順調にたどり着いたのだ。
だが、 いざコンビニへ入ろうとした瞬間、 タイミングを見計らったかのように自動ドアが開き――その中から見覚えのある、 小柄な金髪の少女が出てきた。
まさにこういうのを鉢合わせと言うのだろう。
そしてそこにいたのは、 この姿を一番見られたくない相手である、 同級生の真紅だった。 

しかし、 どうやら見られたくないのは真紅も同じだったようである。
彼女の顔は文字通りの蒼白で、 青く澄んだ瞳には動揺の色が浮かんでおり、 明らかにおかしい。それに普段の真紅ならば、 私のこの格好を見たら腹を抱えて笑い出すに決まっている。
これはつまり、 真紅も私に見つかりたくなかったという事だ。
しかし、 真紅の格好は至って普通である。ならば原因は、真紅の手にしているビニール袋の中身か。
ビニール袋の端からチラリと見えるものは――DVD探偵くんくんと……予約特典のくんくん変身セット?
なるほど、 大の高校生がこんなモノを予約、 購入しているのを見られればタダでは済まない。ましてや私には絶対に見つかりたくなかったはずである。
だが、 それはこちらも同じだった。 

これだけ考えるのに約五秒。向こうも黙っている所をみると、 私と同じように考えていたに違いない。
そしてこの沈黙を先に破ってきたのは、 真紅だった。
「き、 奇遇ね。す、 水銀燈」
「そ、 そうねぇ、 し、 真紅」
なんだかお互いに声が裏返ってしまっている。
「す、 水銀燈はか、 買い物かしら?」
「え、 ええ。ち、 ちょっとねぇ」
できるかぎり動揺を悟られないようにしようとするが、 できそうもない。
自分の醜態を隠そうとするが、 余計に墓穴を掘ってしまっている感じだ。
となれば、 次は……相手を蹴落とすしかない。
「ず、 ずいぶんとラフな格好なことね水銀燈」
「い……家が近所だからよぉ。あ、 貴女こそずいぶんと楽しそうなモノを買ったのねぇ」
「こ、 これは……たまたま付いて来ただけよ!」
ドロドロとした空気が私と真紅の間に流れ、 冷や汗が背中を伝うのが分かる。
――いけない、 このままでは共倒れになりかねない。真紅なんぞに借りをつくるのは釈だが、 ここはお互いに退くのが得策だ。
それに、 条件は向こうも同じ。
お互いがお互いに弱味を握り握られたのだ。これは戦略的駆け引きというヤツである。 

「そんなカリカリしちゃだめよぉ。それに、 女の子は秘密があるほうが魅力的だと思わなぁい?」
真紅もバカではない。この言葉の真意に気づいたようで、 ハッと目を開いたかと思うと、 少し思索を巡らせるように顔を一瞬だけ伏せた。
「そ、 そうね。やはり素敵なレディーにも秘密はつきものなのだわ」
なんとも言えない――悔しいようなホッとしたような顔をしながら、 真紅が言う。きっと私も同じような顔をしているに違いない。
なんとか丸く収まってくれたようで、 そのまま私が「そ、 それじゃあまた明日ぁ、 し、 真紅ぅ」と手を振りながらコンビニへ向かうと、 真紅も「え、 ええ、 す、 水銀燈。また明日なのだわ」と言いながらコンビニから遠ざかっていった。 

自動ドアをくぐると、 暖房の熱が色々な意味で冷えた身体を暖めてくれた。
真紅は今日の事は誰にも言わないだろう。そして、 もちろん私も言うつもりはない。
私は間違いなく人生で一番疲れたコンビニへの買い物の済ませ、 帰路に就いた。
ガサガサとうるさい、 乳酸菌飲料の入ったビニール袋がやけに重く感じる。
そして、 「ふぅ」と吐いた白い息が、 曇り空に溶けていく。
それを眺めながら、 次からは服装だけでもどうにかしようと、 心に決めたのだった。

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最終更新:2008年02月29日 11:10