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薔薇乙女家族 番外編弐之一
~旅人~
※本編とは繋がりなしです。

 一つの白いワゴン車がディーゼルエンジンの音を響かせながら走る。それはかなり年期のいった車で、所々の塗料が剥がれ落ちているのが見受けられるが、ずいぶん威勢良く走るその姿はまだまだ現役であるのを自負している様にも見える。
 型も相当古いもので、今でも走り続けられるのは自動車検査の度に決して安くはない金額を払ってメンテナンスしてもらっているからであろう(もっとも、車検を怠ると公道は走れないのだが)。

 しかしこのワゴン車はなかなか痛みが目立つ。一体どの様な乗り方をすればこんなになるのだと思うが、この車にはぶつけた傷、へこみよりも土臭さが目立つのが分かる。砂埃を全面に受け、水たまりの跳ね跡が車体にしっかりと染み付いている。
 それはどうも、現代ではどの道にもされている舗装道路によるものと言うよりも山道や田舎道といった土の道を今まで走っていたのではないかと思わされるが、ここは街の真ん中であちこちがしっかりと舗装されている。土の香りとは程遠い排気ガスと煙霧に満たされてる所だ。
 つまり、どこか遠くから…それも険しい道のりか田舎道かを通ってここまで来たのだと、その車を見た人は考えた。

 車はやがて、ハザードランプを点灯させて道路端に停車した。水垢の目立つスライドドアをがたんと開いて中から顔を覗かせたのは、およそ一五~六歳程の女の子だった。車から飛び降りるや、辺りをキョロキョロ見回している。 

 「金糸雀、ここら辺りにパーキングエリアがあるはずなんだ。ちょっと探してみてくれ」
 「分かったかしら~」

 金糸雀と呼ばれたその女の子はパタパタと走って周辺の様子を伺う。ビルに灯りのついていないネオンに、道を行き交っていく自動車、無数の看板…その中にパーキングエリアを意味する「P」の看板があった。
 金糸雀は指を指して、車を看板に案内した。パーキングエリアはやはり都会の真ん中というわけか、利用している車が多いがなんとかスペースを見つけられたのは運が良かった。

 停車処置を終えると中からまた一組の男女が現れた。

 「…やれやれ…ようやく一休みできそうだな」
 「お疲れ様ぁ♪」

 ボサボサした頭に眼鏡を掛けた男性、銀色の長髪をした女性だ。

 「お父さん、お母さん、これからどうするのかしら?」

 二人は夫婦で、彼女…金糸雀の両親である。仲睦まじい夫婦で、たまに金糸雀が眼のやり場に困る程だ。今も二人は車から降りるや、手をつないで絆の堅さを見せつけている。
 傍から見ればバカップルという、今や携帯の予測単語一覧にも含まれる様になったそれが目の前にあるが、まるで気にしない金糸雀を見ると、もはや日常茶飯事気にしても無駄と頭の中に刷り込んでいるらしいと窺える。

 さて、呼ばれた夫婦はチラリと視線を交わせると、夫の方が口を開いた。

 「そうだな…まずは燃料と食糧だな。僕は燃料の方を用意しよう。水銀燈と金糸雀は食糧の方に当たってほしいんだが…」
 「分かったわぁ、ジュン」
 「分かったかしら~」 

 互いに打ち合わせを簡単に済まし、三人は二人と一人に別れて行動に移った。

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 地図を手にガソリンスタンドを探しに歩くジュンは、この街の空気の悪さに気が滅入っていた。
 高いビルの群に立派な道路とあれば、空気が荒ぶのは必然的ではあるが、この街はまたそれらとは違う様な感じであるのが気になる。排気ガスでも工場の排出する煙でもないし、電柱の影にある、酔っ払いがやったと思われる「廃棄物」でもない。
 道端の、本当にそれほど目立たない路地の影にうっすらと人影がある。それは力無くぐったりとした様子で腰を降ろして、建物の壁を背もたれにしている。顔は分からないが、ずいぶんとやつれているらしいのは分かった。
 あまりジロジロ見るものではないと思ってはいるが、視線の端にはそれを確かに映していた。どうやら一人というわけではなく、他にも二、三人程いるみたいだった。やはりそれらの影も動こうとせずにいる。
 ビルは高々とそびえ立ち、夜には色とりどりの輝きを見せるという光景は遠くから見れば美しいだろうが、近場に来てみると、その根本には希望も光も見いだせずにいる人がいる。光が生じた事によって生まれた影の深刻さを嫌でも目にしてしまう。
 そして、太陽が昇った朝方には、夜のビルの輝きに誘われて来た者達の散らかしていったゴミがそこかしこにある。これが都会というものの正体だと思わずにいられない。
 何とも冷たい世の中だ。冬だというのに雨風を防ぐ物も得られない人達がこんなに目立つ様になってしまったなんて。

 「…あ、ここか」

 帰るべき所を失った、哀れな影達の視線を感じながらもガソリンスタンドが見つかった。何かと引っかかるのを感じはしたが、目的を果たそうと思い出してそこに足を運んだ。

 「すいません、軽油をお願いしたいのですが」 

 ジュンはガソリンスタンドの若い男の店員に声をかけた。店員は雑巾を足下のバケツに入れ込んでからジュンの方へ向き直った。

 「…はい、軽油ですか。どのくらいご入り用でしょうか」

 店員はジュンの服装にチラチラと視線を向けているみたいだった。
 しばらく手入れをしていないヨレヨレの服を着ているものだから、もしかしたら浮浪者と間違えられているのかもしれないと考えたジュンは、とりあえずその視線をこちらに向けるなという目つきで言った。

 「いや…実は私、あちこちを旅して回ってましてね、燃料が無くなってきちゃったので一休みがてらに…ね」
 「はぁ…そうでしたか。それはご苦労様です」

 店員はずいぶん素っ気ない態度であったが、そんな事を訊いたわけでもないのにいきなり話をされて戸惑っているのかもしれないと解釈しておいた。やはり経験の浅さからか、会話は上手くなさそうである。

 「それで…どのくらいご用意しましょうか?」

 早くしろと急かされた様な感じだ。まあ無駄話をするほど暇ではなさそうだから当然かもしれない。

 「う~ん…とりあえず二百リッターくらいは欲しいかな…」
 「二百ですか、分かりました。ですが…すいませんがお車の方は…」
 「ああ、近くに停めてあるんですよ。地理が分からないので下手に車で動くのはアレかなと思いましてね。これから車を転がしてきますのでお願いします」
 「分かりました、お待ちしてます」

 「何なんだこの客は」と言いたげなのをこらえている様子だったので、早めに事を済ましてしまおう。ジュンはガソリンスタンドからパーキングエリアまで駆け足で戻る事にした。 

 その頭でふと思った。今まで来た道を戻るだけなのだから、当然、またあの浮浪者のエリアを通る事になる。
 あの痛々しい光景を目にしなきゃならないのかと思いつつも別の道を探すのがおっくうな為か、結局その道を駆け抜けて行こうという決まりに変わりはないみたいである。ただ、なるべく周りに目を向けない様にしようとは流石に思ったみたいだが…。

 「そこの兄さん」

 事は常に自分からではなく、他人からという事もあるのであった。

 「あんただよ。そこの兄さん」

 浮浪者の一人がジュンに声をかけてきた。
 その男は古びた麦わら帽子にぼろ雑巾のようなコートを羽織っていて、長きに渡って浮浪者をやっているらしいのが分かるいでたちだった。
 そのような人が果たして、自分に何の用で声をかけたのだろうか。ジュンは彼に応えた。

 「なんでしょうか?」

 ジュンの声を聞いた彼は、帽子のつばから目を覗かせた。その目がさっき見てきた浮浪者の物と違うのがはっきりと分かるのは、彼の瞳に光が灯っている様に見えたからだろう。力無くうなだれる事もしなさそうな、極めて活力的な眼だと何となく感じた。
 ヒゲはある程度の手入れをしているらしいが、顎の部分は毛の短いハリネズミの様になっている。いかにもザラザラとした感触のしそうなものだ。 

 「あんたは…ここら辺りでは見ない顔だな?」

 そんな事が分かるのか…。路上暮らしで四六時中外にいる人間だからだろうか?

 「ええ、私はあちこちを旅している者でしてね、今日は物資の補給の為にこの街に来たんです」
 「ほう、このご時世に旅人をやってるのかい。変わってるな………いや、こんなご時世だからこそか」
 「………そうですね」
 「…お、気が合うな」

 どういう縁だろうか。故郷を離れて放浪するジュンに、住処を無くした一人の名も知らない男が自然と互いに談笑しているとは。

 「俺は今こそ、こんな惨めな生活しているが、少し前までは一つの会社で真面目に働いていた。毎日毎日働いていればいつかきっとそれらが報われる日が来る、そう信じていた。だがそれがどうした事だ、会社の再構築という名の首切りにされちまった」

 会社の再構築、リストラクチュアリング…リストラと呼ばれるそれは、会社を立て直す際に不要な物を切り捨てるものとして現在は知られている。
 今は様々な会社がそれを執り行っている為、終身雇用など存在しなくなった。とうの昔に雲散霧消したのだ。今は、もはや昔の様に努力すれば報われるといった考えが廃れてしまったのである。
 そしてそれは、社会の活力を次々に削いでいってしまっているのだ。まさに彼の様に、この街の様に。今では安定している会社でも近い将来に危機的状況になるかもしれない、それが今の世の中なのだ。

 「なあ兄ちゃん、いつから人はこんなに冷たくなったのかねぇ」

 彼は、答えが見つからない問いを投げかけてきた。

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