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「はあ……暇ですねぇ」

 誰に語りかけるでもなく、呟いてみる。
 気だるい午後――には、まだ早い。今はまだ、お昼前。庭にお水はもうやってしまったし、朝のお仕事は終わってしまった。
 気晴らしにスコーンでも焼こうかしら、とも思うのだけれど、妹が出かけているし、それもなんだかやりがいが無い。

 妹は森へ木の実を採りにいった。もう暫くすれば、帰ってくるような気もする。
 そうすれば、今日の午後は、木の実を使ったタルトでも作ることが出来る――ああ、待ち遠しい。レシピはもう覚えてしまっているから――その内新しいものを思いついたら、またノートに書いておこう。

 ちょっと、外へ出てみた。
 樹々の隙間から、木漏れ日が私の顔を照らす。今日も、天気が良い。ぽかぽかと暖かいし、やわらかいベッドに潜り込んだら、もういくらでも眠ってしまえそう。

 でも、それは駄目。ぐうたら過ごすのは楽には楽で、それは私を誘うわけだけど……今、この時間に起きていることで感じられる気持ちよさがあるから、そっちを選ぶわけだ。

 今日も、特別なこともなく、いつも通り。
 そうやって私達は日々を送る。繰り返し、繰り返し。

 んー、と。大きく伸びをして。少し遠い先から、妹が帰ってくる気配がする。
 ここはとても静かで、誰かが来るなら、直ぐにわかる。

 予想通り、妹が姿を現す。籠いっぱいに、木の実を詰めて。

「ただいま、姉さん」

 にこやかに言う妹の隣には、黒いトランクを持った少年が。

「やあ、君が翠星石か。蒼星石からきいたよ」

 今日という日は、お客人と共に、過ごすことになる。
 それもきっと、特別なことなんかじゃ、ない。
 

【森と空のノート】


「しっかし、よく迷わなかったですねぇ。山歩きするって感じでもないでしょうに」
「なんとなく、ふらふらしてただけだよ。そしたら、彼女に逢ったんだ」
「うん。でも何故だか、お互い驚かないんだよね」

 まるいテーブルを、三人で囲んでいる。元々ふたりでは微妙に広かったものだから、三人でもまだ、スペースは大分空いている。

「それでのんびり、自己紹介ですか? 何とも気の抜けた話ですねぇ、蒼星石」
「うん、まあね」

 答えながら妹は、ふっと笑った。

「まったく。熊が出たらどうするつもりだったです」
「別に狩る気も無いんだから、大丈夫だよ姉さん。大体彼らも、大人しいじゃないか」
「いやまあ、そうですけど……なんだかんだで平和ですからねえ。見たことねえですが、お花畑があってもおかしくねー雰囲気です」

 普段から出かけている妹などは、もう道を覚えてしまっていたし、そこから外れることなど勿論しない。私も、標があれば平気だった。そう、この一帯は、私達の場所だから。奥になど、入り込む必要がない。

「庭の薔薇って、君らが育ててるんだろ?」
「そうだよ。僕が鋏でお手入れして、姉さんが水をあげるんだ。姉さんが水を撒くと、すごくきれいに咲くんだよ」
「へぇ……すごいじゃないか」
「ほほ、褒めたってなんもお得なことなんかねぇですよ!?」

 まあ、悪い気はしない。庭の花は、私の思うように咲いてくれる。けれど、それだけでは勢いがつきすぎていけない。そう、結局のところ……

「蒼星石がうまくバランスとってくれるです。ありゃあ、私達ふたりの薔薇なんですよ」

 そうして、暫しの談笑。

「最近は天気が穏やかでいいね。過ごしやすいし、丁度いいよ」
「へぇ。けど、庭の薔薇、結構範囲が広いみたいだけど。水やりなんて、大変じゃないか?」
「全くです。ま、ずっと続く晴れの天気もねえもんですから。たまには雨も降るですね」
「そうだね。……雨が降ると、結構長い。空がくらくなるのは、僕はあんまりすきじゃないなあ」

 妹が、またふっと笑う。

「さて、と」

 三人で話を続けているのも良かったが、とりもあえず立ち上がる。

「お客人がきたとなれば、予定は繰り上げです! 蒼星石、ジュンの話し相手をしとくです」
「ふふ、わかったよ。ジュン君、少し待ってて? 姉さんが、とっておきのお菓子を作ってくれるから」
「や、そんなに気を遣わなくてもいいよ」
「いーんです! 大人しく座ってやがれですよ」

 いそいそとキッチンへ。ふむ、紅だの紫だの、この辺りの実を使わせてもらおう。ナッツを添えて……ラムは、確か棚の上にあった筈。さて、ちょっくら腕を振るいましょうか。

 エプロンをつけて、腕まくり。鼻歌まじりで、私は準備にとりかかった。

――――――

「ここには、ずっと二人で住んでいるのか?」
「ずっと……うん。そうなるね」
「いつ頃から?」
「うーん、と……」

 翠星石がお菓子を作っている間、僕と彼の二人きり。別段緊張することもなく、ぽつぽつと会話を続けている。

「君は、ずっと歩いているのかい?」
「さあ……どうだろう」
「ふふ。さっきの僕の答えも、同じようなものさ」

 少し考える素振りをみせたあと、ああ、と彼は言う。

「よくわからない、ってことか」
「そういうこと」

 僕は森に入るときは独りだけれど、彼もそうなのだ。
 翠星石は多分、僕がこの辺りの道を覚えてしまっているものだと考えている。ただそれは正確にいうとちょっと間違っていた。実際森にはいくつかの標があるけれど、あれは実のところ、時にその姿を変えてしまう。

「迷うかもしれない、とかは考えていなかった?」
「そうだなあ。あんまり気にしてなかった」
「ふふっ、君は運がいいかもしれないね」
「どういうこと?」

 本気でわからない、という表情を浮かべる彼。

「この森は、表情を変えるから」
「表情……」
「そう。入るたびにとは言わないけれど、時間によっては道が変わってしまう」
「だけど君は、普段から木の実を採りにいったりするんだろう」
「うん、そうだよ。ただ僕は、お昼前にしか行かないから。早いうちに入って、早いうちに戻ってくるのさ」

 陽が次第に高くなって、樹々の隙間から入り込むひかりが、普段は見つけられない筈の標を浮かび上がらせる。まだ空は明るいというのに、それは森の影と影の間に、ひっそりと存在する。誘うように、それはある。まるで、魔法がかかっているように。

 かつてそれに従って進んでいったら、本当に戻れなくなるところだった。あのまま進んでいたら、ひょっとして、僕のしらない素晴らしい場所へ辿りつくのかもしれなかった。けれど、僕はそれが、何だか怖い。

 地図、を作らなければならないと思った。僕が何度も森に入って作り上げたものは、朝の森の地図。その殆どを頭に叩き込んで、それでいて僕は、朝以外の森を、自由に歩くことが出来ない。ましてそのまま、奥に入っていくことなど。だから僕は、『森の道のすべてを、覚えているのではない』。

 夜などは、もっと手に負えない。夜の森は、もう別物になる。ただ、くらい間というものは、朝を待つ眠りの時間なのだから――夜の地図は必要ない。

「どうして、森の奥に入らないんだ? 朝の地図に書き足していけばいいじゃないか」
「そうだね。けど、それはしないよ。姉さんが、行ってはいけないと言うから」

 僕が約束を破ると、姉さんは悲しい思いをするだろう。すると、僕も悲しくなる。

「きっと森の奥に、平穏を崩す何かがあるんだ。ここだけで、この場所だけで、僕たちは生きていける。変化は怖いものだよ、ジュン君。だから僕たちは、いつもの日々を、いつものように暮らすことを選ぶ」

 君はどう思う? ……ジュン君。――

――――――


「さ、出来たですよー!」
「おお、結構本格的だなあ」
「お疲れ様、姉さん。あ、紅茶は僕が準備するよ」
「ありがとです。戸棚の二番目に、葉っぱが残ってた筈ですから、それを使うです」

 クロスをテーブルに引いて、木の実のタルトがお目見え。小皿にそれを取り分けていく。

「はい、お待たせ。……なんか大きすぎない? 姉さん」
「いいんです!」

 まあ。それでも、今日のお昼が要らない位の量はあるかもしれない……タルトは結構、お腹にたまるものだから。ちょっと張り切りすぎただろうか?

「姉さん、張り切りすぎたって顔してるよ」

 妹が、ころころと笑う。

「そそ、そんなことねぇです! 何をいってやがるですか」

 ……とりあえず流しておいて。いただきます、の号令とともに、タルトを口に運ぶ面々。

「ん、……旨いな、これ」
「うん。甘すぎないし、良い感じだね。美味しいよ、姉さん」
「そりゃあ、当然なのですよ。私が作ったんですから」

 話しながら食べるのはお行儀が悪いことだと言うけれど、おやつならばそれも許して貰えるに違いない。会話は、食べ物を美味しくするための、調味料のひとつのようにも思う。

「うん。紅茶にもよく合ってる」
「僕はグリーンティーの方がすきなんだけどね」
「気取ったって駄目です、蒼星石……そりゃあ緑茶じゃねえですか」
「あはは、そうだね。雰囲気だけでもと思ったけど、駄目かなあ」

 穏やかな時間。だけど楽しい時間ほど、いつもよりも早く流れていく気がするのは、……きっと気のせいでは無いのだろう。
 窓の外を見る。いつもの角度にあったお日さまが、もう枠から外れる程度に高くなっていた。

「そういえば、この部屋には時計が無いんだな」
「えっと、在るには在るんだけど」
「止まってますね」
「うん。懐中時計を持ってるんだ……螺子を巻いてないから、動いていない」
「不便じゃないか?」
「それらしく合わせることは、一応出来るよ」
「でもまあ、お日さまの高さをみりゃあ、お昼もお夕飯の頃合もわかるってもんです」

 朝と昼と、夜。そして、普段よりも早起きしたとき見られる、ちょっと不思議な朝焼けと、その日の間もない終わりを告げる、ちょっとさみしい夕暮れ。私達は、それがわかっていれば十分だった。

「そんで……いつまでもゆっくり佇むって塩梅でもねぇ訳ですね、おめーは」
「ん、……そうだな。そろそろ行くよ。ありがとう、二人とも。タルトも紅茶も、美味しかった」
「行く当ては、あるのかい?」
「いや。適当に歩いてれば、どこかに着くだろ」

 改めて礼を言い、去ろうとする彼を、少しの間呼び止める。

「……腹減ったら、これでも食べるです」

 私はタルトのあまりを白紙で包み、更にそれを緑色のハンカチーフでくるんで手渡した。

「いつか返すですよ、そのハンカチ。お気に入りなんですから」
「まあ、約束は出来ないけれど、きっと」
「忘れんじゃねえですよ?」

 笑顔で、彼に言ってやる。

「ジュン君、じゃあ……僕はこれを」

 蒼星石が、部屋の棚上に置いてあったノートを手にとった。表紙は青、裏は緑色の、私達の大事なことを記している、ノート。その内の一ページを破りとる。

「朝の地図。もう直ぐ使えなくなるかもしれないけど……」

 手渡す前に、妹は青いペンで、地図のある位置に丸印をつけた。

「迷いそうになったら、空を見上げなよ。見えるものは少ないかもしれないけれど、空も地図を描いているんだよ」
「――そうか、わかった。本当にありがとう、二人とも」

 そう言って彼は、タルトを黒いトランクへ、地図を上着の左ポケットにしまい込む。
 そして今度こそ家を出て、森へと入っていった。

――――――

 私達は暫く、彼が居なくなってからも、家の外で森の方を見つめていた。

「大丈夫かな」
「さあ……わからんですねえ」
「うん――とりあえず天気もいいし、お日さまも出ているからね」

 このままずっと、雨が降らなければいいのに。
 そう呟きながら、妹はさみしげに笑う。さみしいとき、彼女はこんな表情をすることを、私は知っていた。

「……雨が降るから、いつか来る晴れの日を待っていられるですよ、蒼星石」

 陽の出ているのがわからなくなる位に、くらい雨が降り続いた日々もあった。ただ、それが続いて、本当に長く続いて……ある朝に、お日さまは、明るく森を照らしてくれた。
 雨やみの空気、背の低い葉についていた雫が輝いていた。私にとってそれは、誇張もなく、宝石のように美しく感じられた。
 雨がやむことは、特別なことなんかじゃなかった。ただ、私達は、それを喜んだ。

「そうか、……うん、そうだね」
「そうです。それが私達の、いつも通りの暮らしですよ」

 また、彼がやってきて、話をして、お菓子を食べるということ。
 それも、いつも通りになる。そういう風に、願う。
 だから今日のお昼前のひとときも、いつも通りのことになったのだ。

 それでいい、と思う。

「また来たら、菓子でも持たせりゃいいですよ。――さ、もう直ぐお昼ですね。腹はあんまり減ってねえですから――薔薇の水遣りでも、しますかね。蒼星石、お手入れお願いするです」
「了解したよ」

 如雨露を取り出して、水を撒き始める。
 さあ、元気になるですよ、薔薇さんたち。

 水の重みで、薔薇の一輪が頭をたれた。

 ――今日も、いつもの一日です。

 その薔薇が、私の想いに、控えめに頷いているように感じられた――が、それを妹には伝えない。

「何か、かわいいこと考えてない?」

 ぱちん、と台芽を切り取りながら、微笑んで彼女は言う。

「そんなことは、ねえですよ」

 私も、何だかおかしくて、笑いを零しながら返す。
 夜が来るまでに、まだ時間はある――そして夜がくるから、次の日の朝を待っていられる。
 変わることは恐ろしい。でもその中で、生きているから。
 私達は、待っていればいい。
 自分から何かを変えようとすることは、私達の役割では、ない。

「午後は、何しましょうかねえ」
「新しいお菓子に挑戦してみようよ。僕も手伝うから」
「いいですよ。そういうことには積極的なんですね、全く」

 水を一通り撒いて。やっぱり薔薇たちは、私の言葉に頷いているように見えた。





  
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