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“思い出”の価値  二箇所目


何を、今日は話しましょうか。
人の一生についてなどどうです?
どんな単調な毎日でも、貴人の生涯に勝るものもあるのです
そうですね、例えば、30年間全く変化のない毎日を送ってきた男がいるとします。
サラリーマンだと仮定しましょうか。
毎日毎日、電車に揺られ、多少変化はあれどもいつもと変わらぬ景色を車窓から眺め、
いつもと同じ席につき、いつもと同じ仕事をし、いつもと同じ飲み屋に行くのでしょう。
いつもと同じ時間に帰り、いつもと同じテレビを眺め、いつもと同じ時間に眠るのでしょう。
しかし、考えていることまで同じなのでしょうか?
それの答は、否、です。それはありえない。
同じことが繰り返されるときほど、人はさまざまなことを考えます。
あの時、ああしていれば。この時、こうしていれば。
もし、この職についていたなら。もし、このような賞賛、名誉を手に入れられたら。
あの時に、あちらを選択していたら。この時、もうひとふんばりしていたら。
大体は、今までの人生を悔やむものに彩られているでしょう。
しかし、華やかな夢想にふけることもまた事実。
昔、学生時代、幼少の頃の事に対する、ノスタルジーにも近いものを感じるときもあるでしょう。
また、大きな転機が訪れ、人生の方向が大きく変わることもあるでしょう。
また、思いもかけぬ新鮮な風が吹き抜けるときもあるでしょう。
そのようなときに訪れる、感激の嵐は、美しいものを見続けてきた人間のものより遥かに大きい。
そして、彼ほど己の人生について深く思いを廻らせる者もまずいないでしょう。
だから、私は、そのような人間が好きなのです。
そして、無性に願いをかなえてあげたくなるのですよ。


虚しい。
友人も、たくさんいる。
姪もとてもかわいい。
なのに、なぜか虚しい。
繰り返される日々。
繰り返される景色。
おそらく、死ぬまで同じことの繰り返しなのだろう。
なぜ、こんな生活しかできないのか。
答えは簡単。
生きることは繰り返しだから。
企業に勤めようとも、漁師になろうとも。
サバンナで生きようと、シベリアで生きようと。
起き、働き、食べ、眠る。
何年も、何十年も。
延々と、繰り返される。
私はきっと、もうすでに一生の間に起きるすべてのことを経験してしまったのだろう。
退屈だ。
もうこのまま、死ぬまで同じことの繰り返しなんじゃないか。
そんな気までしてくる。


アニメや、マンガや、小説が好きだ。
空想の世界はいつも刺激に満ちている。
人形や彫刻も好きだ。
それは、限りない美しさを持っている。
そして、私は、世界は、そのどちらも持っていない。
姪は、かわいい。
とても。
だから、二人でどこかへ、マンガのような世界へ入り込みたい。
タイムスリップでもいいだろう。
日に日にフラストレーションはたまっていく。
繰り返し。
私はこれが嫌いで嫌いでたまらない。
自暴自棄になり、ギャンブルに手を出す。
当然、借金は膨らむ。
ある日、ギャンブルもまた、似たようなことの繰り返しだと気付く。
ギャンブルから手を引けば、残るのは借金だけ。
日常から逃げれたと思ったのに。
今度は借金と返済に終われる日々の繰り返しだ。

 

繰り返しほどいらだたしいものはない。
先が見える。
もうすでに経験している。
など、理由は山ほどある。
もうどこかで素晴らしい景色を見ても。
これは、数年前の夏に見た景色と同じだ。
と、思い。
どこかで素晴らしい体験をしても。
ああ、そういえばどこかでこんな体験を昔したなあ。
と、思うのだろう。

なにを経験しても、すぐに過去のものとなる。
そして、繰り返しとなる事柄はますます増えていく。
私は叫ぶ、もうこんな世界は嫌だと。
もう、何十回、何百回と同じことを叫んだろう。
この叫びですら、繰り返しでしかないのだ。
私は、一つだけ、大きな大きなため息を、その中に生涯の憂いをすべてこめて、ついた。

「顔を上げてください。」
その声が聞こえるまで、私はずっと下を向いていたようだ。
声の主は高そうな、いや、古めかしいスーツに身を包み、ステッキを携えた男だった。
怪人というのは、こういう男が悪意に身を包んだ時に言うのだろう。
「どうなされましたか?」
「どうもしないわよ。」
「どうもしなければ、私がここにいるはずがない。
あなたはどうかしたのです。
もう一度問います。
どうなされましたか?」

どうも胡散臭いが、答えなければ開放してくれそうにない。
どうせ新手のキャッチセールスか何かなのだろう。
私はまたひとつ、小さいため息をついてからその問いに答える。

「嫌になったのよ。何もかもが。」
「ほう。それはまたどうして。」
「私の生活、いえ人生はすべて繰り返し。
もう嫌になったの。」
「それでは、その生活を変えて差し上げましょうか?」
「何?また新手の新興宗教?」
「いえいえ、違います。
私はしがない商人です。
思い出と引き換えにあなたの願いを一つだけかなえて差し上げましょう。
心のそこから願う願いを一つだけ、です。」
「じゃあ、さっさとこの生活を抜けさせてよ。
できるんならね。」
「おや、お話がお早い。
では、思い出を渡していただきましょう。
ただ、あなたも思い出の価値を理解なされていない。
最近の人はみんなそうだ…、実に嘆かわしい。
では、これからあなたのすごした中で最も美しいものと淀んだものをご覧になっていただきます。
私と取引をした場合、それすら失われることをお忘れなく…」

 

意識が、遠のく。
何を言っているのだろう。
美しい思い出?
あったかな、そんなもの。
ああ、これは小さい頃の誕生会。
楽しかったなあ。
・・・
そう、楽しかった。
あ、あれは初恋をしていた頃の私ね。
たしか酷い振られ方をしたんだっけ。
これは大学に受かった時の私かな。
あの時、別の学部を選んでいたら…。
これは…、カナリアね。
ああ、相変わらずかわいいわぁ!
……でも、後数年もしたら嫁いでいくんでしょうね…。
ああ、空しい、空しい、空しい、空しい、空しい…。

意識が、覚醒し始める。
どうしてだろう、何故か今の出来事に違和感がない。
そういえば、まだ、嫌な思い出をみていない。

「いやはや、あなたは素晴らしい。
美しいはずの思い出もすでに腐臭を放ち始めている。
この分ならおぞましい思い出をごらんになられることもないでしょう…。
……残念極まりありませんが、それでは、願いを叶えて差し上げましょう。」
「本当に願いを叶えられるの?
胡散臭いわねえ。
まあいいわ、私の願いは繰り返しのない人生を、この世界でないどこかで送りなおしたい。
叶えられるもんなら叶えて見なさいよ」
「わかりました。
それでは、代価としてあなたの思い出を頂きます。
では、さようなら。」

その、妙な男、摩訶不思議な目をした男はどこかに消えうせ。
私の意識も薄れ始める。
ああ、こんなことはいままであったっけ…。
記憶を探るうちにますます頭にかかる靄は濃くなっていく。
薄れ行く意識の中で、地を穿つ様な音が聞こえた気がした。

 

 

コツン、コツン、コツン。
世の中に、どれほど華やかな夢想ができればと考える人間がいるか。
世の中に、どれほど繰り返すことのできる日常を望むものがいるか。
コツン、コツン、コツン。
繰り返しが全くないなどということは何を意味するのか。
全く経験したことを記憶しない、成長しないということです。
コツン、コツン、コツン。
夢想の素晴らしさに魅入られた人間。
なぜ、彼らは一陣の爽やかな風を願わないのでしょうか。
コツン、コツン、コツン。
さあ、新しい無邪気な、永遠の子供がまた一人生まれる、夢の世界に。
願わくば次は、風が吹き抜けることを願うものに出会えるように…。
コツン、コツン、コツン。
コツン…?

 

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