ジャンク。ガラクタの意。
その言葉を初めて知った時のことは覚えていない。けれど、その言葉と意味はよく覚えている。
それは今の私にぴったりな表現だったから。
私の病気は先天性のもの。生まれたときから心臓が悪くて、今まで何度も死にかけた。
…私はジャンク。いつ死んでもおかしくない壊れた子。
『おじさんと友情』
「じゃあメグ、またね」
親友で後輩の水銀燈が挨拶をして病室を後にする。私は笑って彼女を見送る。
そしてまた私は一人になる。
真っ白で四角い、この牢獄のような病室に一人きり。棚の上の花瓶に生けられた花が無ければすぐに病室だとはわからないだろう。
一人になった私は何をするでもなく窓から外を眺める。見えるのは寂れた教会。この窓はいつも開けっぱなしにしている。
それはいつか私を連れて行ってくれる天使が来てくれるのを待っているから。
…そんな私の趣味は歌。歌っている間は全てを忘れられる。嫌なことも、私がジャンクなことも全て。
私は歌いながら今日も天使を待ち続ける。
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「出てってよ!」
ガッシャァアアアン!
…と、大きな音を立てて道具が床に落ちる。
看護師はそれを慌てて拾い集め、病室を後にする。
看護師の笑顔が嫌い。偽善に感じられて嫌い。勤務時間限定の優しさが嫌い。だから私は彼女または彼らを拒否する。
「やぁ、大分荒れてるねお嬢さん」
「!?」
高ぶった気を落ち着けているときに突然声をかけられて私は驚いた。声のしたほうに振り向いてみると、窓の外に男の人がいた。
「頑張ったら喉渇いちゃった。すまないけどさ、お水もらえる?」
しかもなんか馴れ馴れしい。
水なら確かベッドのそばにペットボトルのものがあったはずだ。
私は買い置きの紙コップを取ろうと棚に手を伸ばそうと…
「スコッチ入りの」
付け足された一言で私の動きが止まる。
「……水しかないわ」
「んじゃそれでいいや」
紙コップにペットボトルの水を入れてやり、渡す。
「あんがと」
一気に飲み干す。そして、
「…20年物、南アルプスの湧き水だね」
「この間友達がコンビニで買ってきた安物のミネラルウォーターだけど」
「……。勘が鈍ったかな」
「私に訊かないでよ」
…なんなんだろう。妙に馴れ馴れしい。そして感じるこの違和感。なんだろう?
この馴れ馴れしいおじさんは窓からきた。でも確かここは…
そう、病院の5階。……5階?
「あーっ!」
気づいた途端、思わず声を上げてしまった。
「ちょっとアンタ静かにしなよ、他にも病人がいんだからさ」
私は無言で元凶を睨んだ。
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おじさんの第一印象は、はっきりいって幼稚。
あの時窓から現れたのは私と同じ病室に入院している妹を驚かせるために壁を登ってきたかららしい。
正直呆れた。
だがある日、そのおじさんを少しだけ見直す事件が起きた。
私が病院の中を歩いていて、突然発作が起こったのだ。
そこに偶然居合わせたのがあのおじさんだった。
「おいしっかりしろ! 傷は浅いぞ、誰にやられた?」
「…ただの発作……バッグに…ハァ…薬が…」
「わかった。すぐ見つけてやる。それまで死ぬなよ」
おじさんは私のバッグの中を探し、すぐに薬を見つけ出した。
私は急いでそれを受け取った。
「……ありがとう」
気分を落ち着かせた私はおじさんにお礼を言う。
「どういたしまして」
こうして私はおじさんを見直し…
「ああそうそう。薬のついでにさ、書きかけのラブレターも見つけたんだけど」
「み、見たの!?」
「ジュンって誰?」
「…かっ、関係ないでしょ!」
おじさんのことを見直すのはやめ。私は顔を真っ赤にしながら便箋をひったくった。
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あれから私とおじさんは少し話をした。
「…私ね、生まれつき心臓が悪くて、最近は少ないけど、昔はさっきみたいによく発作を起こしてたのよ」
「ふぅん」
「私、ジャンクなのよ」
「ジャンク? 不良品なの?」
こんな話をしているときでもおじさんはいつも通りだ。
「不良品か。…そうね、私は不良品。昔から止まりかけるたびに薬と手術で無理矢理長らえさせられてきた壊れた子」
「……ふぅん、ジャンクね」
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それ以来私の楽しみは二つに増えた。一つは親友の水銀燈がお見舞いに来ること。
もう一つは図々しいおじさんの話し相手になること。
看護師や医者は本音を隠して上辺だけの優しさで接してきて嫌いだが、この二人は本音で話してくれるからかえって話しやすい。
おじさんは妹さんが退院してからもちょくちょく私の病室に遊びに来ていた。
同じ部屋に入院しているおじさんやおばさんには評判がいい。
いつの間にか私とおじさんの間には奇妙な友情が芽生え始めていた。
おじさんが棚に乗せられた食事を見て言う。
「メグ。アンタ病院食いつも残してるけど、食べないの?」
「おいしくないし、嫌いなのよ」
大体あんな人達の用意したご飯なんて食べたくない。
「食べないと大きくなれないよ、特に胸とか胸とか胸とか。……いらないならもらっていい?」
「セクハラする人にはあげられないわ」
「ごめん許して」
「いいわ、あげる」
「あんがと。今日仕事忙しくて昼飯食ってないのよ」
彼は箸を持って一気に食べ始める。
「うまいじゃん、最高! …薄味だけどさ」
「病人用だからよ。…ところで、仕事って何してるの?」
「電子機器を組み込んだ玩具作ってるのよ。ねぇメグ、この間公開された忍者の映画知ってる?」
「知ってるけど…それとどう関係があるの?」
「今度さ、それにインスパイヤされて忍者セット作ろうと思ってるわけ」
「忍者セット?」
「流行るぜきっと。そのうち流行の最先端を行く渋谷とかじゃ3秒に1枚は手裏剣が飛んでくるようになって、5分に一人は辻斬りが現れるようになるんだ」
「危険ね」
「大丈夫、本物の手裏剣なんか比べ物にならないくらい切れ味がいいんだ」
「それはもう玩具とはいえないんじゃない?」
「……。さっきから文句ばっかりね」
「良いアイディアは数多くの批判によって洗練されていくのよ」
おじさんの影響か、私は結構上手く切り替えしが出来るようになっていた。
「なるほど」
「ふふ。…ねぇ、企画がうまくいったら何かくれないかしら? 玩具」
「それは全国の小売店または有名デパートでお買い求めください」
「…ダメ?」
上目使い。おじさんが教えてくれた技だ。
「…う。わかった、俺は君のために会社を裏切ろう。次に会うとき俺は多分薔薇公園のダンボールハウスの中だ。
都会の寒空の下をのたうちまわって世間の冷たい目なんかと戦いながら死ぬんだ」
「飛躍しすぎよ」
「まぁね。…まぁそのうち何か作ってやるよ。俺開発室の人間なんだ」
そう言っておじさんは豪快に笑った。
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会ってはただくだらない会話をするだけ。それが私とおじさんの日常だった。
「ねぇメグ。いつも何窓の外眺めてんの?」
「天使を待ってるの。いつか私を連れて行ってくれるのよ」
「ルーベンスの絵を見に行ったほうが早くない?」
「パトラッシュがいないわ」
「じゃあ俺がなってやるよ。俺がリヤカー引いて、メグは牛乳を売る」
「ふぅん。じゃあ最後は一緒に死んでくれるの?」
「……。アンタの勝ち」
「何歌ってんの?」
「からたちの花っていう曲よ。祖母がよく歌ってて、自然と覚えちゃったの」
「へぇ。会社じゃ流行ってないぜ?」
「まぁ流行の曲じゃないわね」
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そんな日常が続いたある日、おじさんは真面目な顔で切り出した。
「ねぇメグ、ちょっと病院抜けらんない?」
「どうして?」
学校の授業に遅れないように勉強をしていた私は教科書から目を離し、聞き返した。唐突過ぎる。
「アンタに是非見せたいモンがあんのよ」
「何?」
「見てのお楽しみ」
「…………」
私はおじさんの目をじっと見つめ、何か企んでないか疑ってみる。
このおじさんは幼稚だからまた何かくだらない悪戯を考えてるのかもしれない。
「わかった、そんな目で俺を見るなよ。言う。言うって」
おじさんは観念したようだ。
「実はさ、俺今度転勤することになってさ」
突然の告白。
「…え。……どういうこと?」
「会えなくなるって事よ。転勤先アメリカだもん」
「…左遷?」
「栄転よ」
突然のことに戸惑う。しかしおじさんはそんな私に構わずに続ける。
「そんでさ、俺最後にアンタにどうしても見せたいものがあんの。
さぁ行こう! そんな教科書なんか放り出してさ、この狭い病室から飛び出そうぜ! ほらメグ、早く着替えて!」
「ちょ、ちょっと!」
おじさんはそう言うと私の手を引いて強引に連れ出した。
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同時刻、真紅
最近、水銀燈の様子がおかしい。
放課後になるとすぐに帰ってしまうのだ。
特に親しいジュンや薔薇水晶の誘いまで断ってしまっている。
「さすがにちょっと怪しいのかしら」
「銀姉さま、最近遊んでくれない」
「何かあるよな」
昼休み、金糸雀の一言にみんな一斉に頷く。
確かに怪しい。もしかしたら何かを隠しているのかもしれない。
それから色々と話し合ってみるが、中々結論は出ない。
「えぇい! ここで話しててもラチがあかねぇです。こうなったら後をつけてみるです」
痺れを切らした翠星石のこの一言により、私たちは放課後 水銀燈の後を尾行することになった。
「ちょっとチビ苺、あんまりくっつくなです!」
「うゆー、雛だって見たいの」
「姉さん落ち着いて」
電信柱の影に私、翠星石、蒼星石、雛苺、金糸雀、薔薇水晶、巴、ジュンと大勢が隠れる。
その団体はあからさまに不自然で奇妙。なんで尾行がバレないのか不思議なくらいだ。
「あっ! 病院に入ってくです!」
水銀燈が入っていったのは有栖川大学病院。この辺では一番大きい病院だ。
私たちは 水銀燈を追って病院の中に入っていった。
「…ひ、広いね」
「……さ、さすがに疲れたかしら」
病院の中で私たちは迷っていた。
さすがは大きい病院だ。私たちはあの後すぐに水銀燈を見失ってしまった。
もう何分探しただろうか、…と、そこへ
「真紅!」
水銀燈が現れた。どうやらひどく動揺しているようだ。
「メグが! メグがいないの!」
私たちには「メグ」という人物がどんな人かはしらないけれど、彼女にとっては大切な人らしい。彼女の取り乱しようを見ればわかる。
「水銀燈、落ち着いて。落ち着いて最初から説明してちょうだい」
それから病院はちょっとした騒ぎになった。
私たちは「メグ」が見つかったら連絡をもらえるよう病院に頼み、私たちは外を探すことにした。
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同時刻、メグ。
着いたのは東京秋葉原。
「よーし、次はあそこのメイド喫茶行ってみようぜ。この時間はケーキバイキングやってんだ」
「…ねぇ、見せたいものってどうなったの? さっきから食べてばっかりじゃない」
「何言ってんの? 我食べる、故に我ありよ。飯食えなくなったら俺じゃないぜ?」
あれからおじさんははしゃぎながらメイド喫茶のはしごをしている。目的がわからない。
「ねぇ…、いいかげんにしてよ」
「……怒ってる?」
「少し」
「ごめん。じゃあ行こうか」
おじさんの顔が真剣なものになる。
おじさんは狭い路地をどんどん歩いていく。そしてついたのは…
「…未来堂?」
それが店の名前だった。
「そう、名前はいいけど実際はただのガラクタ屋よ」
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中に入るとそこは薄暗く、沢山の棚とダンボールがあり、その中には沢山の電子パーツが入っている
「ここにあるのは全部いわゆる『ジャンクパーツ』ってやつ」
「…ジャンク?」
私はついジャンクという単語に反応してしまう。
「そう。単体じゃ役に立たないゴミパーツよ。生かすも殺すも技術者次第」
「……これが、私に見せたかったものなの?」
「そうよ」
だから何? という感じで答えてくる。
……少し、怒りが沸いてくる。散々連れまわした挙句、見せたものはゴミの山?
「どういうこと?」
「落ち着いてメグ。確かに君にとっちゃあこれはただのゴミかもしんない。でもね、俺たち技術者にとっちゃあ宝の山なのよ。
ここにいる客たちを見ろよ。あんな真剣な表情でゴミを見ることなんかできる? わざわざこんな遠くまでゴミを買いに来るヤツなんている?」
客を観察する。
確かに皆真剣に部品を選んでいる。確かにゴミ相手じゃこんな表情は出せない。
「俺さ、メグが自分のことをジャンクって言ってた時からずっと考えてたんだ。ホントにこの世にジャンクの人間なんかいるのかって」
「…?」
「結論はさ、このパーツたちとおんなじ。そのパーツを必要としてる人にとってはジャンクもジャンクじゃなくなる。
……手出して」
言われたとおりにする。
渡されたのは、小さな箱。
「開けて」
箱を開けると、中からメロディが流れ出す。
「…これは、「からたちの花」?」
「そう、いつも歌ってたでしょ」
「…うん」
「これはね、電子オルゴールなの。ここのジャンクパーツで作ったんだ。
前に何か作ってやるって約束しただろ? あ、でも鳴らなくなったら自分で電池交換してね」
「くれるの?」
「おうよ。……でさ、俺思うんだ。このジャンクパーツと同じで、人は誰かに必要とされている限りジャンクにはなりえないってね」
それから病院に戻るまでの間、私はずっとおじさんの最後の言葉について考えていた。
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病院に戻ってきた私とおじさんは、すぐに病院の人達から大目玉をくらった。
その内容は、外で発作が起きたらとかどうするのかとか、そんな話だった。
そして、しばらくの外出や、おじさんの病院への出入りなどを禁止された。
病室に戻った私はベッドの中から窓の外に向かって話しかける。
病院に入れないおじさんは壁をよじ登って私の病室の窓の外に居るのだ。
「…ねぇおじさん。おじさん言ったわよね、人は誰かに必要とされている限りジャンクにはなりえないって」
「あれからここに帰ってくるまでずっと考えてたの。私を必要としてくれる人なんているのかなって」
「いるよ。少なくともここに一人はね。…メグはそんなに自分に自信ないの?」
「…私は、」
…と、言いかけたところで病室のドアが勢いよく開いた。
「メグ!」
現れたのは…
「水銀燈!?」
「メグのバカぁ! 急にいなくなって、すっごく心配したんだから!!」
彼女は私に抱きついて泣き出した。
「…ごめんね水銀燈、まさかこんな騒ぎになっちゃうなんて」
私は 水銀燈を抱きしめて髪をなでる。
そして、水銀燈に続いて
彼女のクラスメートたちがぞろぞろと病室に入ってくる。
「犯人は必ず現場に戻る。カナの推理は的中かしら!」
金糸雀ちゃん。
「…金糸雀、メグ先輩は犯人ではないわ」
「全く、心配させやがるです」
「まぁ良かったじゃないか姉さん」
「見つかって良かったの、お祝いにうにゅー食べるの!」
「そうね」
「お祝いは…シュウマイで……」
「お前ら足早すぎ! …はぁ、やっと追いついた」
続いて真紅ちゃん、翠星石ちゃん、蒼星石ちゃん、雛苺ちゃん、巴ちゃん、薔薇水晶ちゃん、ジュン君。
「…なぁんだメグ。こんなにいるじゃないか」
…そして相変わらず皮肉とも冗談ともつかないことを言うおじさん。
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「ねぇおじさん、もう会えないの?」
おじさんとの別れの時が来た。私は窓の外に向かって言う。
「大丈夫、生きてりゃ会えるさ。こんな言葉知ってる? 『おじさんは死なず、ただ消え去るのみ』」
「…そうね。生きてればきっと会えるよね」
そしておじさんは壁を降りていった。
ずっと待っていたのは天使。連れて行って欲しかったのは天国。
でも現れたのはただのおじさんで、連れて行ってくれたのは天国は天国でも秋葉原の歩行者天国。
歌っていたのは私一人、でもこれからはオルゴールと二人。
天使がくれるはずだったものは死で、おじさんは私がジャンクじゃないことを教えてくれた。
そんな私が聞いたのは……
「あーっ! 足滑らした!!」
……おじさんの悲鳴と、物凄い物音だった。
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…そして今、おじさんは私の前のベッドにいる。
「いやぁ、死ぬかと思った」
おじさんは全身打撲と右足を骨折し、体中に擦り傷を作ってそこに寝ていた。
庭に生えてた木の枝が勢いを殺してくれたことと、地面が土だったことが幸いしたらしい。
おじさんのアメリカ行きは先送りになり、またしばらくは日本に残ることになった。
おじさんが話しかけてくる。
「ねぇメグ。水くれない?」
私はすばやく切り返す。
「スコッチ入りの?」
「そう! わかってるね!」
おじさんはまた豪快に笑った。
おじさんと友情 終
最終更新:2006年03月19日 17:01