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“思い出”の価値

始めまして。私の名前は白崎。店の名前は…ラプラスとでもしておきましょうか。
店などないと?ええ、ありません。
場所はどこか?決まっていません。
私自身がここと決めた場所が店なのです。
なぜ、店を持たないか?ふふ、決まってるじゃないですか。
店を建ててしまえば、そこから動くことは出来ません。
一つの場所の、季節のめぐるのを眺めるのもいいものでしょう。
けれど、私は狭く深くではなく、広く深く知りたいのです。
いま、人々が何を思っているのか。
いま、どこで誰が生まれ誰が死んでゆくのか。
いま、何が壊れ何が生み出されているのか。
いま、誰がどのような決断を下したのか。
とても、そう、とても興味深いじゃないですか。
世界中を、巡るだけの価値はありますよ…
何を売る店か?あなたの望むものを一つ。
どこに私はいるか?面白そうなところに。
なぜこんなことを?好奇心からですよ。
おっといけない。そろそろ、御暇させていただきます。
もうすぐお客様がおいでになられるようですので…


コツン、コツン、コツン。
コンクリートの上を、まるで石畳の上を歩いているかのような音を立てながら歩いてくる男がいた。
サラリーマンの着るようなスーツではなく、タキシードに身を包んだ男だ。
ご丁寧に、シルクハットまでかぶっている。
けれど、そんなことはどうでもいい。
僕は、真紅に振られたんだ。
愛しい愛しい愛くるしくかわいらしく気高く美しい真紅。
一輪の薔薇のように咲き誇っていた真紅。
僕は、彼女と生涯暮らしたかった。
けれど、真紅に嫌われた。
人は心変わりをするもの。
時と共に移ろい変わりゆくもの。
わかってはいたけど、真紅と僕だけは当てはまらないと信じていたのに。
「ああ。やり直したい。そうじゃなかったら、生涯僕を愛し続けてくれる人が欲しい。真紅を忘れさせてくれるような。
ふん、この世にそんな奴がいるわけないか。」
思わず口に出していた。
「その願い、叶えましょうか?」
なんだ?さっきの男か。願いを叶える?何を言っているのだろう。
「なんだあんた。何かの宗教の勧誘か?」
「いえいえ。違いますよ。
そうですね、こうして見せれば信じますか?」
男が、指をパチンと鳴らした。
すると、僕が見る見るうちに縮み始めた。
信じられない。けれど、信じるしかない。
「わかった!わかったからやめてくれ!」
「信じていただければいいのです」
もう一度男が指を鳴らすと、僕は元の大きさに戻った。

「それでは、もう一度初めから。
私は白崎。“ラプラス”の店主です。
店も何もありませんが、店ということにしないとなんとなく具合が悪いので。
これは、あくまで商談ですのでお断りいただいても結構です。
あなたの願いを、叶えましょう。」
「真紅と…よりを戻したい。いや、真紅以上に僕を愛してくれる、真紅以上に素晴らしい人が欲しい。」
「…可能です。どちらも。けれど、最初のほうは、実際問題無理ですね。」
「なんでだ?…そもそも、いくらぐらいいるんだ?やっぱり、人とよりを戻すのはそれだけ高いのか?」
「いえ。お金は要りません。ただ、あなたの思い出をいただきます。」
「思い出?」
「ええ。思い出です。」

本当に、馬鹿げている。思い出を渡す?
無理に決まっているだろう。
…けれど、さっきのこともある。
本当なのかもしれない。

「思い出を渡すってことは…記憶喪失になるのか!?」
「いいえ。思い出をいただくのです。記憶は残りますよ。
ただし、その時抱いた感情や、感動、考えていたことなどはなくなります。
いわば、自分が何をしてきたか、記録してあるだけのものになるのですよ。
日常生活に支障が出るようなことはありません。」
「……それじゃあ」
「ええ。あなたが言ったように、真紅さん、といいましたか、その方に恋したという事実は覚えていたとしても、
どこに惹かれたのか、どのような思いを抱いていたのか、それは綺麗さっぱり忘れ去ります。
ですので、よりを戻しても、無意味、ということになるのです。」
「なぜ、他人の思い出なんかが欲しいんだ?」

「あなたが、どのような生涯を今まで送り、そのつどどのような思いを抱いていたか。
それを知るのはあなたのほかに誰もいません。 
私は、それが知りたくてたまらないのです。
あなたは電車の窓から人を眺めたことはありませんか??
それは、あなたがはっきりとその顔を見、覚えたとしても、その人はあなたが目の前を通って行った事すら気づきません。
私は、それが許せない。
目の前を通り過ぎただけだとしても、その時その人が何を考えていたのか知りたい。
叶うなら、この世界中の人々の生涯を事細かに知りたいのですよ。
人の生涯は、本人が思うよりはるかに面白さと変化に満ち溢れているものです。」
「……なんでも、叶えてくれるのか?」
「ええ。思い出には、それだけの価値があると信じていますので。」
「…思い出を、渡す。だから…」
「まぁ、焦らないでください。私は価値を知らない人間からそれを巻き上げるような真似はしたくありません。
あなたの思い出の中の、一番輝いているところと、一番濁っているところを、もう一度体験させてあげますよ。」
「え?…なにをいってるんだ?」
「さあ、いってらしゃい。自らの思念の渦の中へと…」
さぁっと、意識が遠のいていった。

ここはどこだろう…。
どかかで、いや、いつか、見たことがあるような……

 

アハハハハハ、何コレ?キッモー!
コレは引くね!つーか、授業中に妄想膨らましてんじゃねーよ!
おい、何桜田をいじめてるんだ!桜田がどんな性癖を持っていようと構わないじゃないか!
おいおい、自分が変態だって指摘されたら引きこもんのかよ。大概にしてくれよな。
うげっ、桜田、何いまさら学校来てんだよ。うざってぇな。頼むから考え直してもう一度引きこもれよ。
まったく、変態の癖にそんなヒョロヒョロじゃ殴り応えもない。殴られることさえ満足にできねぇのかよ。

う、う、う、なんだよ、これは、もう、昔の、事の、はず、だろ?
もう、思い出なんか、いらない、早く、これ、を、消し、て、く、れ。
お、も、い、だ、し、た、く、な、いぃ…。

“おやおや、なかなか酷い目にあわれてるんですね。次は、あなたの中で最も素晴らしい思い出ですよ。
私はあなたから受け取ってからたっぷり楽しみますので、次はあなた一人でご覧になってください。”

あ、あ、あ、き、消えた。
つ、次は何が…?
え?真紅?

君が好きなんだ!ずっとずっとずっと、好きだったんだ!なによりも、だれよりも!
嬉しいわ、ジュン。わ、私も好きよ。ずっと、そばにいて欲しいのだわ。

愛してるよ。
愛してるのだわ。

 

まるで、走馬灯のように駆け巡る。
告白。
初めてのデート。
初めてのキス。
交し合った、甘い囁き。
耳をくすぐる彼女の吐息。
まるで、極上の砂糖菓子のような、甘い甘い思い出。

そして、振られた今日のこと。
つらい。
死んでしまいたいぐらいつらい。

けれど…
捨てたくない。
この、狂おしい思いを。
この、燦然と輝く思い出を。
この、愛しさを。
この、苦しさを。
この、情熱を。

 

ゆっくりと、目が覚めた。
「お目覚めですか。さて、どうなさいます?」
長い間眠っていたと思ったけど、地面にひざをつくまでの、ほんの一瞬のことだったようだ。
目の前に地面が迫っている。
手をついて、衝撃を和らげた。
大丈夫、怪我はない。
どうするかも決まった。
「嫌な思いでは、忘れ去りたい。
叶えてほしい願いもある。
けど、僕には絶対に忘れたくないものがある。
死ぬまで抱いていたいと思うほどね。
悪いけど、思い出は渡せない。」
「それなら、それで構いませんよ。
…おや?もう一人強い願いを持った人がいるようです。
私に無意識のうちに惹かれてこっちに向かっているようですね。
残念ですが、そろそろお別れのようです。
一箇所で一人に商談を
と、決めていますので。
また、ご縁がありましたらお会いしましょう。」

なんだったんだろう。
よく考えると、とても怪しい奴だった。
そもそも、願いを叶える力なんかあったのだろうか?
けど、その時はそんな考えは全く浮かばなかった。
あの、昔を瞬きするほどの時間に見せてくれた力も本物だろう。
そんなことを考えていると、今一番会いたくて、会うのがとても怖い人が歩いてくるのが見えた。
すると、ある思いが胸にわきあがってきた。今、この時にならやり直せる。
僕は彼女に歩み寄って行った。

彼女も僕に気づいたようだ。

こっちに向かって走りよってくる。

彼女の、声が聞こえる。
「ジュン!さっきは…」

人生の岐路、とでもいうのでしょうか。
とても面白い瞬間に立ち会うことが出来ました。
ある意味、思い出よりも興味深い。
ふむ。
やはり、受け取ってばかりでは悪いですね。
あなた達二人に祝福を。
生涯を共にすごし、死ぬまで幸せが絶えぬ様に。

紳士はそう呟き、振り返らず霧の中へと去っていった。
コツン、コツン、コツン。
まるで、石畳の上を歩くような音を残して。
コツン、コツン、コツン。

 

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