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「月が綺麗……」

電話の向こう側で彼女がなにげなく呟いた。
長々と電話をして、ふと会話が途切れる瞬間。
気まずさが出ない程度の短い沈黙を使ってなんてことない事を言
ってきた。
「そうか?」と僕が聞き返すと「そうよ」と一言。
携帯電話を片手に冬のすこし曇った窓を手のひらでクリアにして、
空を見上げてみる。
一点の曇りも無い純白の月が周りの星々をかき消して燦然として
いていた。
いつからだろう。
これを綺麗と感じなくなったのは。
小学校の頃はなんにでも興味を持てたのに、今はあらゆる物がく
だらない。
星だって、月だって、街のネオンだって、それこそ車のライトだ
って。
あらゆる物が素晴らしかった。
でも何故だろう。
今はそうじゃない。

「そうでもないよ」

急に寂しさに苛まれた僕は少しむきになってしまった。
こういう
所だけは子供だから困る。

「まったく……感受性が乏しいのね」



「月なんて当たり前のものだろ」
「あら、そんなことないわ。あなた宇宙全体で考えたことある?
私たちが何万キロも離れた場所から光り輝く月を見れるのは本当
の意味で天文学的確率なのよ?」
「でも地球に生まれた以上はやっぱ当たり前なんだろ?」
「これだからあなたは……」

電話の向こうからでも呆れてるのがわかってしまう。こういうの
を以心伝心と言うんだろうか。
いや、少し違うか。

「いい? ジュン。
もう一度、窓を開けて目を凝らして見てみなさい。きっとわかる
はずよ」
「はぁ?別にいいじゃないか、そんなことしなくたって」
「いいから」

若干強い口調。そんなに必死にならなくてもいいだろうに。

鍵のかかってない窓を乱暴に開け放つとさっきとかわらない場所
でニコニコしてる月がいた。
言われた通り、じっと目を凝らして見つめてみる。
じー……

「どう?」
「どうと言われても……模様が蟹っぽいかな」
「蟹?」
「カニだよ。
刺身にしたり茹でたりするアレ」



「あなたは……」

もう掛ける言葉もないのか途中で言葉を止め、そして大きなため
息を一つ。
あからさまに呆れている。そのわかりやすすさが嫌だっ
たのだろう。僕はちょっとだけ無愛想に返事をした。

「うるさいなぁ。もう寒いし窓閉めるからな」
「ま、待ちなさい!」

急に声量を上げた真紅に少しビックリする。
そして彼女はこう付け加えた。

「つ、月が気に食わないならもっと美しいものそばがあるわ」

ちょっと上ずった、そして妙にゆっくりした口調で。
これは動揺しているときに彼女のクセだ。
早口になると動揺しているのがばれてしまうのでなるべく早口に
ならないように喋る。結果ゆっくりになってしまうと言うわけだ。
一年以上も付き合って──とは言っても未だに手すら握った事な
いが──彼女の事をよく見てきた僕だからわかる。
そうすると彼女は何に動揺してるんだろう?

でも「はぁ?」なんて無愛想に返事をしなかったのは、やはり何
か僕の中で第6感的なものが、働いたからだろう。
僕はそれにしたがってなんとなしに目下を見た。
目に付く色が視界の真ん中で、電話をもって立っている。



赤、真紅。
純粋な赤いコートを着て真紅が立っていた。暗くて表情まではわ
からないがアレは間違いなくなく真紅だ。少し落ち着かないよう
で電灯のもとをうろうろ。そして僕と目が合うとすぐに「早く降
りてきなさい!」と電話と肉声で同時にに命令された。もう、取
り繕うことも忘れたのかその声は早口で上ずってて緊張とか焦り
とか丸出しで、僕もその様子を見て、ちょっと微笑ましかったの
でまぁ命令されてもそうむっとこなかった。
「わかったよ」と電話で返事をして、ウィンドブレイカーに適当
に着替えて階段を下りる。
ちゃんと履くのもめんどくさいのでかかとを潰して靴を履く。
真紅に見られたら何か言われるかもしれないな。ちゃんと履きな
さい、とか。レディに失礼でしょ、とか。
そんな予想をしながら、ドアノブに手を掛けた瞬間、勝手に扉が
開いた。犯人はやはり真紅。

「待ちくたびれてしまったわ」

腕を組みながら、威圧的に。
でも威圧的なのは態度だけで、本心ではそんなに怒っていない。
これも経験によって培った知識だ。

「オファーもなしに押しかけといて何の様だ?」
「何って、あの、あ、あなたわからないの?」
「まったくわからないけど」
「でも大体想像はつくでしょ? ほら、あれよ」
「そう言われてもな。わからないんだ」
「まったく、つかえない下僕ね!」



その一言を皮切りにして、
ぶつくさと罵詈雑言を投げつける。
その様子はやはり慌てているようで、今日はよく慌ててるなぁな
んて思いながらも思考は結論へと近づいていく。
簡単な理論、彼女の格好とさっきまでの動揺の仕方から考える理
由はだいたい想像がつく。
そして罵詈雑言の内容がちょくちょくかぶるようになった頃に、
結論は案外あっさりと出た。

「たまたま近く通ったのか?」

加速する罵倒を無視して、すっぱりと言ってやった。困ってる真
紅に助け舟。
それを聞いた彼女はさっきまでの落ち着きのなさを、少し落とし
て「そうよ」と一言。
だけどたった三文字なのに結局はゆっくりした口調になるわけで。
動揺しっぱなしだな。

「そうか」
「何? その淡白な返事は。
この私が直接来てあげたのよ? それらしい返事というものがあ
るでしょ?」

ねぇよ。
と言いたかったが、まぁその真紅のセリフに、隠れた本心を見抜
くのは結構簡単で、なんだか彼女の強がりを無碍にするのも可愛
そうかなとか思ったりして。



「ああ、ありがとな」

なんて目を見て微笑んでやった。

「そう、それでいいのよ」

それだけ言って目を逸らしてしまったのは、やはり顔が赤
くなったのを隠すためなんだろう。少しだけほほが赤く染まった
のを僕は見逃していない。
こういうちょっとした表情の変化も見抜けるようになったのはや
はり僕が大人になったからかな。

多分こいつは俺に会いに来たんだ。
いつもなら10時には寝てるくせに、夜中の11時には突然電話
掛けてきたり、お気に入りのコート着てきたり。しかも僕の家は
住宅街の真ん中で、買い物ついでに寄ってみようなんて場所には
ないのだ。仮に桜田家がコンビニのすぐ横にあったと
しても、真 紅はこんな夜中に出歩くのを極端に嫌う。真紅が言うには、
「レディが夜道を一人で歩くなんて危ないでしょ?」
だそうだ。
「危険なのはお前だろ」とつい口が滑ってしまい蒼い空に散ったのも今ではいい思い出です。




「レディをいつまでこんな所に立たせておくつもり?」

未だ玄関と外の境界で突っ立ている真紅が図々しい事を言ってき
た。いつもだったら言葉を発する前に家に上がらせているとこだ
けど、今日は不自然じゃない程度に通せんぼしているのには理由
がある。
今日は姉もいるし、それにこんな夜中に女の子を家に上がりこま
せるのは抵抗があると言うか、なんだかあらぬ誤解を招かないで
もないような。
とにかく家にあげたくないのだ。
いや、あげたくないというか……そう、いい事を思いついたんだ。
一瞬のひらめき。
真紅の罵りを聞いていた頃には漠然と考えていた事があったんだ。
それがさっきはっきりと形になった。

「いや、ちょっと待っててくれ。
すぐに戻る」

そう言って僕は身を翻し、小走りで鏡の部屋に入った。
「ちょっと」とか「待ちなさい」とか言ってるのが聞こえるけど
このさい無視。
埃っぽい空気を掻き分けながら、キョロキョロと部屋中を見渡す。
おぼろげな記憶の中、ぼんやりとその位置を探る。確かこのあた
りに。

「あった」

埃をかぶったそれを取り出した。


すぐに戻ると最後に見たときと、まったく同じ体勢で真紅が顔だ
けを不満に変えていた。
勝手に部屋に上がりこまないあたり、ちゃんと僕の意思が伝わったようだ。
それでも、顔は不満だが。

「あなたいつまで──」

そう言いかけた真紅にずいとあるものを押し付ける。
白い筒状のものを核として、もう一つ小さな筒や三本の足が伸びている。

「これは?」
「天体望遠鏡、月の美しさを教えてもらおうと思って」
「……ジュンにしてはいいアイディアだわ」
「そりゃどうも」

誉めているようで馬鹿にした感じの物言いだな。
少しひっかかるがよしとしよう。

「じゃあ行くか」

僕が提案すると彼女も頷いてそして笑った。
無愛想な彼女が珍しく最高の笑顔だ。
不覚にも照れてしまった。

「紅茶飲んでる暇なんてないぞ」



照れ隠しから、中途半端な皮肉が飛び出す。

「失礼ね。
そこまで紅茶を飲みたいとは思わないわ」

ホントかよ。疑わしいな。
そんな何気ない会話をしながら二人で歩く道。
時々瞬く電灯を頼りにして、目指すは住宅街の向こうにそびえる桃種山だ。



山道を30分ほど歩いて、結局は道中のコンビニで買ってしまっ
たペットボトルの紅茶を飲み干した頃、見えた。
森の木々と住宅街の光に邪魔されて見えない星を求めた約45分
の旅は、満天の星空で幕を閉じた。
星に照らされた空は夜のそれとは思えない明るさをしていて、静
まり返った住宅と電灯の光なんてもろともせず堂々と光っている。
住宅街の光がないとこんなにも見えるのか。
まぶしいくらいの星々に見守られて、現在時刻深夜1時20分と
確認。もう深夜の寝静まった世界に二人だけ。
ほんとに世界に二人だけみたいだ。
担いでいたそれの三本足を伸ばして大地に固定する。広がる星空
の気になる一点を見つめるための便利な道具、「天体望遠鏡」って
やつだ。

「綺麗……」

そうかな。

「どう? この美しさがわかった?」

振り向いて、聞いてくる彼女の顔はやはり笑顔。
彼女には悪いが星をみる事には正直興味はない。でも、
「ああ、綺麗だな」
別に誉めるべき人がいる。
「ほんとに綺麗だ」
付け加えて、誇張する。
僕は星なんか誉めていない。それに気づいてほしいような気づい
てほしくないような。



ああもどかしい。
きっと僕が子供だったら、この感情がなんなのか理解できずにい
ただろう。彼女が言っている感受性も僕は少しは成長したらしい。
「可愛い」も「綺麗」も全部詰め込んだ、単純な「好き」という
感情。
最愛の人が僕を見て微笑んでいる。
それだけで僕の胸は躍りだして、収集がつかなくなる。
近づいて抱き締めたい。今すぐに。
しかしそんなことすれば彼女は怒ってしまうだろう。
ちょっとした下ネタでさえ極端に嫌う彼女だ。それを実行に移し
てしまえば簡単にこの関係は崩れてしまう。
男女の関係というのは「友達」というものと比べると恐ろしくも
ろいものだ。
「友達」がコンクリートだとしたら、「恋人」はガラス細工。
硬く量産しやすく、それでいて修復もできるコンクリート。
一方ガラス細工は、弱く繊細で、修復するにはそれなりに技術がいる。だけど美しい。
その美しさを求めて僕は彼女との関係を「恋人」の域へと踏み込んだのだ。
だが、何事も節度、限度というものがある。

それが怖くて今までこの衝動を抑えてきたのだ。
なんたって僕は大人だから。

「ジュン?」
「なに?」
「私たちはもう大人だと思う?」
「当然だろ」



一瞬、心を読まれたような気がしたが取り乱さず、ほとんど考え
ずに返事をした。
考える必要なんてないから。
でも彼女にとってその一門一答はとても深い意味があったことを
僕は直後に知ることになる。

「じゃ、じゃあ……」

目線を星空から大地に移してそわそわしながらこっちに歩んでく
る。ゆっくりと、ゆっくりと。
さすがの僕でもその時彼女がどんな顔をしているのか予測はでき
なくて、当然疑問も浮かび上がった。だけど彼女の雰囲気と光る
夜空に押し切られて不思議な沈黙にしたがっているしかなかった
のだ。
そして彼女が目の前まで近づいた時に、事は起こった。


「っ!?」
まさに『奪われた』という表現が正しいだろう。
足りない身長を背伸びでカバーして、それこそ本当に強引に。

彼女は唇を押し付けてきた。

その時、僕は唇が触れ合ったなんて感覚はなくて、なにか不思議
な感情が脳内を駆け巡り、それに行動を支配され目を見開いたま
まぴくりとも動けなくなっていた。
視界いっぱいに広がる彼女の顔は、僕と違いちゃんと目を閉じて
いて、「ああ俺は駄目なやつだなぁ」なんて思ったのが妙にはっき
りしていてとても不思議だった。

一秒だったのか、十秒だったのか、一時間だったのか。
長い様で短い。短い様で長い。
その時間は真紅の一言で終わりを向かえた。
「大人なら、こんなことしても罰は当たらないわよね?」
潤んだ瞳をまっすぐに僕に届ける。
大人の理性が揺らいだ。
思考はできなくても、感覚神経は一生懸命に働いていて唇に感じ
た特別な感覚は一度離れてもなかなか消えなかった。
さっきまで触れ合っていた唇と、僕の胸に当てられた真紅の手は
かすかに震えており、無理にあのセリフを捻り出しのがよくわか
る。
いつも強がる彼女の弱い一面。それを隠すための最期の砦。
ああ、何で僕は──

僕は真紅を抱きしめた。




華奢な彼女を抱きしめると余計に弱い部分が浮き彫りになって、
僕の心も締め付けた。
何で僕は今まで我慢してきたんだ。
これじゃ、真紅に無理して意地悪してきたみたいじゃないか。
「苦しいわ……ジュン」
僕の胸に顔をうずめながら真紅が呟く。
彼女はやはり弱い。
「ごめん」
自分でも何に謝っているのかわからない。
こんなことしてごめんなさいか。
いままでしなくてごめんなさいか。
「ホントごめん」
このやりきれない気持ちをただ謝ることでしか表現できない自分
が歯がゆい。
自分の思っていることを言葉にするのがこんなに大変なんて生ま
れて初めてだ。
どうして言葉が出ない。どうして黙っている。
何か言えよ俺。お前はそれでも大人か?

「ジュン」

急に黙り込んだ僕を見て、不思議に思ったのかもしれない。
気がつけば彼女は顔を上げまたあの目で僕を見つめていた。
弱気な瞳。だが僕はその目の奥に何かゆるぎない意思を感じ取ることができた。

彼女は弱い。
だけど弱気な自分を押し殺し、決意して僕にあんなことしてきんんだ。


普段強がってる分彼女の勇気は相当なものなんだろうと思う。
今まで貫いてきた僕に対しての意地と、レディーとしてのマナーを
全てぶち壊してまで、僕に対する愛情を精いっぱいぶつけてきた。

『愛は理屈じゃない』

そんな誰かの言葉が頭の中で繰り返される。
聞いた頃には漠然としか理解できなかったどうでもいい言葉が今
はとても大事だと感じられる。
そうさ、愛は理屈じゃない。
だったら僕だって。

「真紅、好きだ」
すんなりと言葉が出てくる。
この声がちゃんと心に届くように、凛とした声で。
理屈じゃない。理屈なんかいらない。
だったらどう表現する?
簡単だ。
理屈じゃ表現しきれないこの気持ちは、行動で示せばいい。

「今度はちゃんと、心の準備させてくれよな」

中途半端にわかりずらい言い回しは僕にとっても最期の照れ隠し。
それでも彼女は理解してくれたんだろうか。
素直に言葉をつむげない僕に、彼女は静かに微笑んでくれた。
優しい、全てを包み込むかのような。



僕は今どんな顔をしてるんだろうか?
無表情? 悲しそう?
それとも、やはり笑っているんだろうか?
なんて、馬鹿らしいかな
そんなこと気にしなくても彼女の前だったら自然と表情が出てくるのに。
ああ、ほんとに
馬鹿らしい。


眩しすぎる月に映し出された、二つ影が再び一つになる。
二度目の口付けはすこし紅茶の香りがした。



あと少しで日が出そうなほどの深夜と早朝の境界線。
白み始めた西の空には夜の輝きはなく、代わりに朝の訪れを感じさせる太陽がちらほらと見え隠れしていた。
「じゃあな」
「ええ、また」
ばたん、と扉が閉じられるのを確認して僕は身を翻す。
僕は真紅の家の前で別れの挨拶を済ました。
正直言って自宅を素通りし、真紅を家まで送ってまた自宅に戻ってくるなんて馬鹿みたいに非効率的だがあろう事か真紅は、
「レディを家まで送るのは義務でしょ?」
なんていって手を離さなかった。
懲りない僕が、
「ほんとにレディか自分のこぶしに聞いてみろよ」
なんて口が滑ったのは今でも悔やまれる。
畜生腹がいてぇ。
本物のレディーはあんなに重いボディーブローは打てないはずだ。

まあ、でも、うん。
そんな彼女でも可愛いところはあるわけで。
いつもつんつんけんけんしてる癖にああいうときだけあんな顔するか。
おかげで未だにあの笑顔が網膜に焼き付いて離れない。

「あー……駄目だ駄目だ」

再び目を覚ました自分の欲望を、独り言と一緒に追い返す。
彼女に会いたい、なんて思ってしまった。
彼女にだって都合があるんだ。



今夜彼女は一睡もしてない。
しかも基本的に疲れることはしようとしない彼女が、あの山道を登りきったんだ。
仮眠だってとりたくなるはずだ。
俺も早く帰って寝よう。
彼女と会うのはそれからでも遅くはない。
でも、納得いかない。
「馬鹿か」
馬鹿か。
もう口に出さないとこの気持ちはいったいどうすれば。
僕は馬鹿か。
馬鹿か。


あーなんつーか。
うん。
結局のところ。
僕ってまだまだ子供だなぁって話。




その時、彼の大好きな彼女が『会いたい』なんてメールを送ろうとしているのは、また別の話。

end
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