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ジュンは家庭科準備室で帰り支度をしていた。
机の上には裁縫道具や仕上げ前の織物、生地などが散乱している。
手芸部がないため、いつの間にかこの部屋はジュンの城のようになっていた。

ジュンは傍にあった垂れ目の犬人形に手をかけた。
「似ても似つかないよな、あれは」
真紅の縫ったくんくんを思い出して、ジュンはぷっと吹き出した。
それでもきっと、真紅にとって大切なものになるだろう。
そう考えると、ジュンは胸の中が暖かくなるのを感じるのだった。
思い出の形は心と共に残り、それはいつか人を元気づける。生きていることを実感させる。

人形を置くと、ジュンは真っ黒な学生鞄を軽く持ち、糸くずの散らばる机から準備室の鍵を取り出した。
「ジュン君」
知った声が自分の名を呼ぶのを聞いて、ジュンは声の元に目を向けた。
「蒼星石か」

蒼星石はジュンが先まで手に持っていた人形を見ると、
「そのくんくんの人形は、たしか君が作ったんだったね」
「…べ、別に…真紅がいつも人形劇なんか見てたから…ちょっと気になっただけというか…
 あの堅物がこんな犬に夢中だなんて、面白いなと思ったから…」
ジュンは誰もいない隣に向かって唇をとんがらせ、その様子が蒼星石には可笑しかった。

「ふふ…素直じゃないな、君も」
「な、なんだよ…ふん、どうせおかしいと思ってるんだろ?」
「おかしくなんかない」
その語気が強かったために、ジュンは一瞬蒼星石の方にむき直ったが、
あまり真っ直ぐ見つめてきたのに驚いて、ジュンは慌てて目を逸らした。

「…っていうか…何か用か?僕をからかいにきたんじゃないだろ…」
「ん、いや…翠星石が来てないかなと思って」
蒼星石は頭を掻いて、少しはにかむ。

「見てないなぁ。探してるのか?」
「うん、ちょっと…」
蒼星石は口籠もると、しばらく迷った末に切り出した。
「あのさ、翠星石が、君と真紅がここで一緒にいるのを…」
「ああ、翠星石だったのか」
ジュンが話を遮って手を打ち、続けた。

「そっか、真紅が誰かいる気がするって言ってたけど、翠星石だったんだな。
 あんなことしてたから、やっぱり入りづらかったのかな?
 まぁ、真紅もやってるところを人に見られたくないって言ってたし、いっか」

その言葉に蒼星石は「え」と動きを止め、見開いた目を向ける。
一つ息つくと、無理に作り笑いをして平静を装った。

「ちょっと待って…ひょっとしてジュン君、君は本当に真紅と…」
「ああ、真紅が急にやりたいって言い出してさ。
 初めてでちょっと痛い思いもしたみたいだけど、最終的にはいい感じになったと思うよ」
「そ、そうなんだ…あはは…」
「これから何度もやってるうちに、慣れてくると思うけどね」
「よ、よかったね…」

「…蒼星石、なんだか顔色が悪いぞ。大丈夫か?」
「あ…うん、平気だよ。ありがとう……
 それよりその…今の話みたいなのは…あんまり人に言わない方がいいんじゃないかな…」
「そうだな、真紅もあんまり知られたくないだろうし」
「うん…」
「なんだか目が赤いけど…本当にだいじょぶか?」
「え…だ、大丈夫だよ、勿論…あは…あはは…」
「ならいいけど…」
「うん…真紅のこと、よろしくね…」

「ああ。真紅も不器用ながらよくやってるし、続けていけばいいものがつくれると思うよ」
「そう……」

逡巡。

「………って!?つ、つくるって、ええ、も、もしかしてその……」
「なんだよ?」
「その…えっと…あ…あ…」
「あ?」
「あ、あ、あ…愛の結晶…なんちゃって…」
「…愛の結晶?随分と洒落た言い方するなぁ…でも、うん。照れ臭いけど、その言い方がぴったりくるかも」

「そ、そんな…本気なの?ジュン君…」
「本気って…そんな力入れることか?」
「じゃあ本気じゃないとでも?まさか遊びだなんて言わないよね」
「どっちかっていうと遊びだろ?」

「な…なんだって!!ジュン君…君は真紅と遊びでそんなことをしているというの!?」
「当たり前だろ。遊びじゃないならなんだっていうんだ?」
「ああ!ジュン君…見損なったよ!君に真紅は任せられない…君がそんな人だったなんて…
 僕は…僕は君のことが……………好き…だったのに…!」
「今何て?っておい、蒼星石、どこ行くんだよ、待てって!
 ……行っちゃった。…何だったんだ?」




庭園に一人残された真紅は、翠星石が走り去ったあと一人ベンチで思案に耽っていた。
「さっきの話はなんだったのかしら?
 あの娘のヒステリーは今に始まったことでもないけれど、今日の様子は何か変だったわ。
 …いくら翠星石でも、ちょっと頭に栄養が足りてないくらいであんなになるかしら?
 何よりも気になるのは最後に言い捨てた言葉…。
 ジュンが蒼星石に手をかけた、二股した、蒼星石は許せない、翠星石を嘲笑っていた…
 額面通り素直に受け取るとすれば」

そこまで考えると、真紅はふっと俯いて膝の上に鞄を置く。
「…バカバカしいのだわ。あの娘がそそっかしいことはよくわかってることじゃないの。
 何か思い違いをしているに違いないわ。
 私が聞いたことは、翠星石の感情的な言葉の切れ端。
 情報の断片を煩雑に繋ぎ合わせ、勝手に早合点して人を疑うなんて愚かしいことよ」

そうは言っても、なにか落ち着かないことも事実だった。
真紅は目を閉じると、言い聞かせるように右手を皺の寄った眉間に当てた。
「…ただ、翠星石の考えていることは整理しなくてはね。
 一つ一つの材料を注意深く検討していくことは、早合点とは違うわ。そうよ。ええ。
 …まず二股というからには、ジュンは二人と付き合っていることになるけれど…
 そう、これは仮定よ。落ち着きなさい、真紅。これは仮定」

口の中で何か繰り返し唱えたあと、右手を胸に当てて気を静めた。
 
「それで、翠星石の口ぶりからすると…
 ジュンは翠星石と蒼星石両方と付き合っていたということになるわね。 
 けれども、翠星石はそのことを知らなかった。
 そして蒼星石は知っていながら翠星石にそのことを言わず、影で嘲笑していたと…」

自分の言っていることがあまりにも荒唐無稽で、真紅は可笑しくなった。
「何なのかしら、あの娘はこんなことを本気で考えているというの?
 まったく、少し頭を冷やした方が良いのだわ」
そう思ったところで少し俯き、「でも」と繋げた。

「翠星石があそこまで平静を失って、蒼星石にまで悪態つくくらいになるには、
 それ相応の…何か理由があるのではないかしら?
 翠星石の言ったことすべてが真実ではないにしても、すべてが嘘とも限らないわ。
 嘘を嘘と気づかせない、真実の土台があるのかもしれない。
 そう…あの話からそれを見つけ出すとすれば…」

真紅はぶんぶん首を振って、一つ溜息をついた。

「……翠星石とジュンが付き合っている…という仮定かしら。あくまで仮定よ。
 でも、私とジュンが懇意にしているのを嫉妬したというのなら、
 あの態度も理解できなくもないわね。あの娘はああ見えてヤキモチ焼きだから。
 …でも、これはあくまでも仮定だわ。だってもしそうなら、私に話の一つでもあるはずよ。
 下僕が主人に断りなしで交際を始めるなんて、あってはならないことなのだわ!」

後半はやや力が入り気味なのが自分でもわかって、自嘲気味に続ける。
「私が考えたことは全て憶測に過ぎない…憶測で非難してはいけないのだわ。でも…」
何かざわざわとしたものが、胸の奥から迫り上がってくるのを真紅は感じた。
頭ではわかっている、ありえない、だがこの感覚はなんだろう?
真紅は立ち上がる。

「私は翠星石の言葉を鵜呑みにしたわけじゃない。
 でも、確かめないと。そうしないと、このもやもやとした気分は晴れそうにないのだわ…」

鞄を手に取ると、真紅は翠星石の去った方へゆっくりと歩いていった。
途中夕日の光が噴水に照り返されて、それが少し眩しかった。




「きゃん!」

行く当てもなく走っていた翠星石は、疲労のせいか何もないところで躓いた。
だが、特に痛みらしい痛みを感じなかった。
のみならず、夢の世界に迷い込んだような実感のない感触が伝わるばかりで、
果たして今自分が現実のここにいるのかすら疑問に思われるほどだった。
いっそ夢だったと思い直せば、いつも通りの生活が待っているのだが。

翠星石はしばらく躓いたままの姿勢でいた。
やがてのっそり起きあがると、翠星石は不思議と落ち着いている自分を見た。
爆発した感情は白色矮星のごとく収斂していき、ただふわふわと浮いた感覚だけが残っている。
もっとも事の顛末を考えれば、勝手に膨らんで勝手に爆発したに過ぎない。

「翠星石は何を信じればいいのですか…。なんだかもう、どうでもよくなってきたですよ」
翠星石は呟くと、なんとなしに歩き始めた。もはや蒼星石に会うのも億劫のようだった。
信じられるものが一つずつなくなっていった感じる今、自分自身さえも消えてしまうような錯覚を覚えながら、
翠星石はただ俯いて歩いた。この先に何があるのかもわからなかったが、ただひどく懐かしい臭いがした。

「…翠星石?」
聞き慣れた声がする。
「蒼星石ですか」
翠星石は俯いたまま、顔を上げない。
「そうだよ。…元気がないね。やっぱり、ジュン君のことがショックだったの?
 僕もだよ。ついさっきジュン君と出会って話したんだけれど…君の言ったことは本当だった」

改めて名前を出されると、収まりかけた感情が再び高ぶるのを感じた。
「蒼星石は真紅とジュンの仲を知らなかったわけですね」
翠星石は努めて静かな声で言った。

「知らなかったよ…ちょっと信じられなかったんだ」
「ええ、わかるですよ。翠星石も蒼星石の立場なら、信じなかったと思うです」
言葉の端々に皮肉めいたものが込められていることに、蒼星石は気づかない。
「それだけじゃないよ。ジュン君はこういってたんだ、こんなのは遊びだってね…」

蒼星石の言葉に、翠星石が顔をあげた。少し驚いたようだったが、すぐに取り直すと眉を上げて言った。
「へぇ…まぁそうでなければ、こんなことにはならんですよねぇ。
 …そういえば、真紅の態度にも思い当たるところがあるです」
「真紅の態度?」
「ええ、あれはまるで…真紅自身も遊びのような感覚でしたよ。
 本当に、翠星石の妹はとんでもないやつばかりですね」
「あ、遊び!?真紅は遊びとわかっていてジュン君と…」
「というわけですぅ。そうなると、蒼星石も残念でしたね」

「…残念って、どういうことだい?」
「とぼけても無駄ですよ。蒼星石も、その…ジュンと…」
「……そう。知ってたんだ。
 でも、翠星石の気持ちを知っていたから、言えなかったんだ」
そのセリフは、火の消えた心の炭を再燃させるには十分なものだった。

「翠星石の気持ちを考えて?お笑いですぅ!だったらどうしてこんな裏切りをしたわけですか」
「…裏切り?なんのことだい?」
「これが裏切りでなくってなんなんですか!
 ついさっき、真紅から全部聞いたですぅ…翠星石は傷ついたですよ!」
「ええ?ちょ、ちょっと待ってよ」

「待つ?何を待つのです?」
「とにかく待って。本当に頼むよ。今、少し混乱してるんだ。
 ……裏切りって…何のことだろう。全然見当がつかない。
 だいたい、どうして翠星石は僕に対して怒りをぶつけてるんだろう。
 真紅から何を聞いたのかな?心当たりがないよ………
 …真紅か、そういえば、一昨日くらいにジュン君と話しているとき、
 最近翠星石がダイエットしてることを話したっけか。
 それでそのとき偶然真紅が通りかかって、
 僕がジュン君にそんなこといったなんて怒られるから、
 黙っててもらうようにいったような…
 ………まさかね。でもこれくらいしか思い当たることが…」

「こんな時に何を一人でごちゃごちゃいってるです!」
「ご、ごめん。でも翠星石、僕には本当になんのことだか…」
「この期に及んでまだシラを切るですか…。真紅が言ってたですよ」
「…なんて言ってたの?まさか、僕がジュン君と…」
「そう、それです…最後まで言う必要はねぇですよ。
 聞きたくないですから…それにしても、ずいぶんなことをしてくれたです」

「ええぇ!?…ほ、ほんとにこのことなのかなぁ?」
「翠星石に言わないことで、気を使ったつもりですか。
 どうせ翠星石のことを滑稽に思ってたに違いねぇです…」
「べ別に、そんなこと…。それに今はそんなことよりもっと大事なことが…」
「そんなこと?…今の翠星石にとってはなによりこのことが一番許せないのですぅ!」
「そ、そこまで!?そんなに辛い思いをしてたなんて…」
「今頃気づいたですか。そうです、愛しい妹にこんな辱めを受けるとは思いませんでしたよ」
「で、でもジュン君はそんなこと気にしないし…第一今更ジュン君にどう思われたって…」

「もうこの際ジュンは関係ねぇですよ!」
「え、関係ない?…関係ないことはないんじゃないかな」
「関係ねぇのですよ!翠星石は蒼星石のした行為自体が許せんのです!」
「ああ…なるほど、その言い分はよくわかるよ。
 でもやっぱり僕には、今そんなになって怒ることでもないと思うんだけど」
「その言い方…蒼星石は自分のしたことに何の罪悪感もないのですか?」
「罪悪感なんて…そんな大げさな言葉を使わなくてもいいと思うよ?」
「…話にならん奴です。真紅よりも質がわりぃです!」

「真紅よりも?…心外だな。さっきから聞いていれば、随分と言いたい放題だけど。
 僕の考えていることが正しければ、翠星石…君は嫉妬のあまり何を言ってるのかもわからないんだ」
「嫉妬のあまり!?蒼星石には翠星石が悲しむ理由もわからないのですか!?」
「わからないね。僕は君じゃない。君のおかしな価値基準なんてわからないよ」
「そ、蒼星石…」

「……ごめん、少し言い過ぎた。でも、本当にわからないんだ。
 確かに僕のしたことは褒められたことじゃないかもしれないけれど、
 ジュン君と真紅のことを考えたら、今はそんな場合じゃないはずだよ」
「どうしてわかってくれないのです?ジュンも真紅も関係ないのに…」

「……どうも風向きがおかしい。
 真紅よりもひどいなんて言われてついムキになってしまったけれど、
 もしかすると翠星石は、やっぱり違うことで怒っているのかもしれない。
 だとしたら僕はなんてことを…いやでも、他にまったく何も思い浮かばないのも確かなんだ。
 なのに、翠星石はさも僕がわかっていて当然といわんばかりの態度。
 今更何がなんだかわからないなんていえなくなってしまった。
 どうやら知らない間に、歯車が大きく食い違ってきていることは間違いないよ…」

「独り言の多い奴ですね…言いたいことがあるなら翠星石に言えばいいです」
「そうしたいのはやまやまなんだ…あ、見て!真紅がこっちに来るよ」
「真紅?ほんとですね。いまさらなにか用があるとでもいうのですかね」
「…真紅も何かいうつもりなんだろうか?
 翠星石は真紅についても信じられないことを言っていたけれど…
 …せめて、本当にせめて、これ以上ややこしいことになりませんように!」

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