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  『ひょひょいの憑依っ!』Act.8


カナ縛りに捕縛された真紅は、声ひとつ出せず、指の一本すら動かせず……
出来ることと言えば、にじり寄るビスクドールに、恐怖の眼差しを向けることだけ。

「来たわ来たわ来たわ。ついに、この時が来ちゃったかしらー!」

人形に取り憑いた金糸雀が、嬉々として、言葉を紡ぎだします。
地縛霊として、ずっとアパートの一室に閉じこめられていた彼女にしてみれば、
自分の意志で思いどおりに歩き回れることは、この上ない喜びでした。
でも、所詮は人形の身。まだまだ、不便なことが多々あります。

「苦節5年――やっと手に入れた自由だもの。これを活用しない手はないかしら」

わけても『死』という烙印は、とてつもなく重い枷でした。
自由になりたい。胸を焦がす渇望を潤したいのに……独りでは、何もできなかった日々。
でも、自由への扉を開く鍵――真紅の身体――は、今、目の前に転がっているのです。

気持ちよく晴れた休日には、ジュンと並んで公園を散歩したり――
ウィンドウショッピングとしゃれ込んだり、カフェでランチを楽しんだり――
その気になりさえすれば、今まで出来なかった、切望していたコト全てが可能。
ああ……『生きている』ことは、なんて素晴らしい!

「幸せを掴むのは、この金糸雀かしら。貴女なんかじゃ、決してない!」

ぐっ! と両手で拳を握りながら、金糸雀は舐めるように、真紅を眺め回します。
そして、徐に歩み寄ると……恐怖に歪んだままの真紅の頬に、そっと触れました。
赤ん坊を想わせる小さな手で、優しく撫で上げる仕種は、どこまでも愛しげ。
けれど、人形の唇は仕種と正反対の、酷薄な嗤笑を湛えていたのです。

「すべすべの肌……瑞々しくて、柔らかくって。
 髪も艶やかでキレイだし、宝石のように澄んだ蒼い瞳もステキかしら~♪」

ふ……と、人形の双眸が、夢見るように細められます。
金糸雀の声音も、満足そうな陶酔を、ありありと匂わせておりました。

「この身体さえあれば、カナは生まれ変われる。人生を、やり直せる。
 ジュンの恋人になって、結婚して、それから――彼の赤ちゃんを……
 やぁん♪ 恥ずかしいかしらぁ~」

やおら、頬を染めてクネクネ身悶えする人形。
この超常現象まっしぐらな状況では、もう何でもアリです。
人形が喋ろうが、赤面しようが『よきカナよきカナ』の一言で片づいてしまいます。


――ふざけないでっ!
しかし、当然のことながら、真紅は激しい憤りに駆られておりました。
身体を乗っ取られるばかりか、少なからず想いを寄せる幼なじみまで奪われるなんて、
とんでもない屈辱です。到底、看過できるものではありません。
カナ縛りにさえ遭っていなかったら、こみあげる怒りに身体を戦慄かせて、
自分勝手な戯言をほざく金糸雀を一喝し、張り倒していたことでしょう。

真紅の本心くらい、金糸雀もとっくに察していたハズです。
それでいながら、優位に立つ者の余裕か、金糸雀は悠然と真紅の顔を両手で挟み込みました。

「さぁて……そろそろ、いただきマンマ。明るい家族計画を、始めちゃおうかしら。
 口移しに、カラダを下さい――かしらぁ~」

古い角川アニメ映画のキャッチコピーみたいなことを言って、人形は真紅との距離を縮めてゆきます。


――やめて! 来ないでちょうだい!

真紅はココロの中で必死に叫び続けますが、効果なし。
カナ縛りは、金糸雀の執念を反映したかの如くに、真紅の身体をガッツリ抑えつけています。
瞬きすら出来ず、乾いてゆく視界は、だんだんと近付いてくる人形の顔を凝視するだけ。
朱で塗装されたおちょぼ口からは、なにやら白い真綿状のモノが、ちろちろと……。
それは、いわゆるエクトプラズムと呼ばれる物質でした。

あんな得体の知れないモノが、自分の唇を割って侵入してくる。
そう思うだけで、潔癖な性格の真紅は、おぞましさに総毛立ってしまいました。


――イヤ! 気持ち悪い! いやぁっ!

無意味と解っていても、しっかりと口を閉じたつもりになって、侵入を拒む真紅。
けれど、人形の繰り出すエクトプラズムは、容赦なく桜色の瑞々しい唇に辿り着きました。
生温かく、ふわふわした触感のソレは、ぺろんぺろんと真紅の口元を舐めたくります。
まるで品定めでもするかのように、何度も……何度でも……執拗に。


――こんな奴に……悔しい……でもっ……。

いつまでも抵抗は続かないでしょう。このままでは、もう――
好き放題に蹂躙された挙げ句に、何もかもが奪い尽くされてしまう。
握りつぶされてしまった、あのブローチのように、彼との思い出すらも消されてしまう。
自分という存在が破壊される。それは真紅にとって、とても怖ろしいことでした。


――早く来て……お願いよっ! もう……私……。




――――ジュンっ!

ふと……誰かに呼ばれたような気がして、ジュンは目を覚ましました。
室内は真っ暗。枕元のディジタル電波時計は、午前零時を十五分ほど回っております。
こんな夜中に名を呼ばれるのも不自然で…………寝惚けたのでしょうか。
釈然としないまま、再び枕に頭を沈めたものの、なんとなく胸騒ぎがして寝付けません。
その段になって、ジュンは厄介な同居人の存在を思い出しました。

「そう言えば、金糸雀はどこに居るんだ」

半身を起こして辺りを見回しますが、姿はモチロン、気配すら感じられません。
またシャワーでも浴びているのかとバスルームに行ってみましたが……もぬけの殻。
大して広くない室内を、隈無く探したものの、遂に彼女を発見できませんでした。

「この部屋から、出られっこないハズだけど」

皓々と明かりを点した室内を、ジュンはもう一度、眺め回しました。
そこで漸く、あのビスクドールが無いことに気付いたのです。

「まさか……あいつ、人形に乗り移って外出したのか」

ジュンの胸中で、急激に膨らんでいく嫌な予感。
真紅に連絡を取ってみようとしたら、携帯電話まで無くなっているじゃあーりませんか。
金糸雀の仕業としか考えられません。どうやら、ただの散歩などでは、なさそうです。
着信履歴から、めぐの存在を突き止め、悪さを働きに行ったか……。
それとも、携帯の電話帳に登録してある住所を辿って、真紅のところへ……?

ジュンは即座に、前者の可能性を否定しました。めぐの住所は登録されていませんから。
対して、真紅の方は、金糸雀に敵愾心を抱かれています。

「あーもうっ! なんなんだよ……この嫌な気分は」

居ても立ってもいられず、ジュンは深夜も憚らず真紅の部屋に行くため、身支度を始めました。
春は名のみの、風の寒さや。夜はまだ冷え込みますから、油断できません。
ベッドに放り出してあった、いびつなセーターを着込んで、ジャンパーを羽織りました。

「取り越し苦労であってくれよ」

独り言を吐いて、ジュンはアパートを飛び出し、真紅のマンションを目指したのです。




深夜の商店街に人影はなく、悠々と走ることが出来ました。
このペースで行けるならば、あと10分くらいで真紅のマンションに着けるでしょう。
問題があるとすれば、運動不足気味の身体が、どこまで保つか。

(それと、妨害が入らな――)

ジュンが、邪魔者の姿を脳裏に思い描こうとした、次の瞬間っ!

細い脇道から、もの凄い勢いで、ナニかが飛び出してきたじゃあーりませんか。
全くの不意打ちでしたので、直撃を食らったジュンは、豪快にすっ転んでしまいました。
罵声を喉元で抑えつつ、ぶつかってきたナニかを睨め付けると……

「……いったぁ~い……」

いきなりビンゴ! あの、左目を眼帯で隠した娘が、尻餅をついていたのです。
しかも、彼女が履いていたスカートは、太股までめくれ上がっていたから、さあ大変。

網膜に焼き付く、眩しいシルクの白。柔軟剤も使ってるのかっ?!
ああ……水色のストライプが入っているような、いないような。
忽ち、あらゆる意味で、ジュンの頭に血が昇りました。
見てはいけない、でも見たい。葛藤に苦しむこと0.7秒。
結局、赤面した顔を背けて、照れ隠しに罵倒を浴びせることしか出来ませんでした。

「いきなり飛び出してくんなよっ! 僕は急いでたのに――」
「…………見たでしょ」
「あん?」
「ひどい辱めを受けた…………責任とって」
「なんで、そうなるんだよっ!」

冗談じゃありません。勝手にぶつかってきたクセに、難癖つけるとは言語道断。
これでは当たり屋です。サッカーでアズーリがカテナチオです。(意味不明)

「う、うるさいなっ。急いでるって言ったろ! お前なんかに構ってられないんだ」

――なんて言いつつも、手を差し伸べてしまうのがヘタレクオリティ。
彼女を立ち上がらせたジュンは、服の汚れを払うのもそこそこに、背を向けました。

「と、とにかくさ……今度から気を付けろよな」
「無駄に優しいね。やっぱり…………スケコマシ」
「違うっ! あーもう、付き合いきれるかっ!」

癇癪を起こして走り去ろうとするジュン。その背中に投げ付けられる、眼帯娘の嘲り。

「どうせ叶わぬ恋なのに、ね」

叶わぬ恋とは、ジュンと真紅のことでしょうか。
まさか、真紅の身に危機が迫っているとでも?


もう、ジュンは真紅のこと以外、考えられませんでした。ひたすらに全力疾走。
やっとの想いで、真紅のマンションに到着した時には、息も絶え絶えでした。
でも、立ち止まってなど、いられません。重い脚を引きずり、エレベーターに向かいます。

その時でした。暗い夜道を、ふらふらと歩いてくる、二つの人影を見つけたのは。
正体が判然としなかったのも束の間、彼我の距離が縮まるにつれて、相手の顔が見えてきます。
それはよく見知った人物……めぐと水銀燈ではあーりませんか!

これから金糸雀と対峙しようという時に、なんという偶然。
あの眼帯娘とぶつかっていなかったら、間違いなく行き違いになっていたでしょう。
そう考えたら、先程のアクシデントも怪我の功名というもの。
ジュンだけでは金糸雀に太刀打ちできませんが、この二人が居れば、心強い限りです。
早速、声を掛けようとした矢先、彼女たちもジュンに気付きました。

「あれぇ? 桜田くんじゃない。こんな夜遅くに、奇遇ね。どうしたの?」
「鈍いわねぇ、めぐ。夜這いに決――」
「違うから」

毎度のことながら、この二人、だいぶ酔っ払っているようです。
……が、モノは考え様。これなら『ガス欠』ならぬ『酒気切れ』は起きないでしょう。
彼女たちの戯れ言をバッサリ一刀両断にして、ジュンは緊迫した事態を伝えました。

「そんなワケで、一緒に様子を見に行って欲しいんだ」
「なるほど、切羽詰まってるのね。水銀燈、貴女なら見つけられるんじゃない?
 地縛霊だったら、依り代を使っても魂が土地に引かれっぱなしのハズよ」
「…………ええ。あるわね、不自然なカタチの魂が。
 普通、魂は真円なのに、ひとつだけ楕円が混じってるわ。あの歪んだ魂が、多分――」

言って、水銀燈は徐に、真紅の部屋の辺りを指差します。
不吉な予感が、確信に変わった瞬間、エレベーターに駆け込む三人。
目的の階に着いても、深夜ですのでドタバタ喧しくはできません。
もどかしさに胸を焦がしながら足音を忍ばせ、やっとこさで真紅の部屋に辿り着くなり、
ジュンはドアノブを握りました……が、当然の事ながら施錠されております。

「どうしよう。管理人さんに、スペアキーで開けてもらうしかないのか」
「ここまで来といて引き返すなんて、バカじゃない?」

ぐい! と、ジュンを押し退けた水銀燈が、ドアの前に立ちます。
そして、どこから取り出したのか、ひとひらの黒い羽根にキスをして、
水銀燈は鍵穴に羽根を宛いました。
すると、ソレは見る間に鍵穴に吸い込まれて……

夜の静寂の中、ドアロックが外れる音が、やけに大きく聞こえました。

「さ、開けてあげたわよ。さっさと踏み込みなさい」
「え? 僕が先頭かよ」
「当然でしょぉ? 当事者なんだから」

仰る通り。ジュンが行かずして、誰が金糸雀を説得し、真紅を護ると言うのか。
ジュンはドアを開けるなり、靴を脱ぐのも面倒くさげに、呼びかけました。

「真紅っ! 居るんだろ?」

通路の奥、簾で仕切られたリビングからは、明かりが漏れています。
しかも、なにやらガタガタと慌てたような物音まで、聞こえてきました。
真紅が居る。ジュンは、小走りに通路を進み、簾を掻き分けます。


――そして、衝撃の光景を、目の当たりにしたのです。


ぐったりと仰向けに横たわる、ネグリジェ姿の真紅。
彼女の胸の上には、あのビスクドールがのし掛かって顔を近付け――
あろう事か、今にもキスしようとしてるじゃあーりませんか。

「やめるんだ、金糸雀っ!」

短く怒鳴って、走り出すジュン。
そんな彼の脇を追い越していく、帯状の黒い固まり。
驚いて足を止めたジュンが見たモノは、束となり空を斬る、無数の羽根でした。
振り返れば、それは水銀燈の背中に広げられた黒い翼から、放たれています。

狙いはモチロン、金糸雀が宿っている人形の破壊です。

「誰よ貴女っ! 邪魔しないで欲しいかしらっ! 出番よ、ピチカート」

金糸雀は火の玉を憑依させたパラソルを広げて、黒羽根の猛射を防ぎます。
パラソルで覆われていない真紅の身体に、あわや羽根が突き刺さりそうになって、
それを目にした水銀燈は、攻撃を止めざるを得ませんでした。

その隙を、金糸雀が見逃してくれるハズもなく……
素早くパラソルを畳むや、槍のように構えて、素早い跳躍で水銀燈に迫ったのです。
咄嗟に、翼を前面に掲げて防御する水銀燈。

でも、それはフェイクでした。金糸雀の本当の狙いは、彼女の後ろ――
水銀燈に力を与えている禍魂憑きの娘、めぐでした。

「あはははっ。将を射んと欲すれば、まず馬を射よ。兵法の基本かしら!」
「きゃぁっ!」
「め、めぐっ?!」

火の玉が憑依して青白く燃え立つパラソルは、正しく一撃必殺の魔槍。
金糸雀は一切の迷いなく、めぐの心臓めがけて、突きを繰り出します。
めぐさえ屠ってしまえば、水銀燈など陸に上がったカッパ同然。敵じゃありません。
その後は、ゆっくり真紅の身体をゲットしてハッピーエンド一直線です。

酔いが回って、足元のおぼつかないめぐは、この突きを躱せやしない。
金糸雀は高を括って、勝利を確信しました。
しかし――


「ダメだっ!」
めぐと金糸雀の間に割って入る、一陣の風ならぬ影。

「ジュンっ?!」

金糸雀が、悲鳴にも似た驚きの声をあげました。自殺行為もいいところです。
咄嗟にパラソルを逸らしたのですが、間に合いません。
両腕を広げて立ちはだかるジュンの左肩を掠めて、一瞬、青白い炎が広がりました。
ほんのりと鼻を突く、化繊と肌が焼ける臭い。
ジュンは激痛に顔を歪めながら、足元に降り立った金糸雀を睨め付けます。

「いい加減にしろ! お前は、もう死んだ人間なんだぞ! いつまでも彷徨ってるなよっ!」

ジュンを見上げる人形の眼が見開かれ、じわりと溢れてきた涙が、頬を流れ落ちます。

「そんな……酷い。カナは……ジュンの側に居たい。一緒に暮らしていたいかしら。
 普通の女の子として、ささやかな幸せが欲しいだけ……ただ、それだけなのに……
 死んだ人間は、人を好きになっちゃいけないの?
 幸せを夢見ることすら許されないの?」

胸を締め付ける、金糸雀の哀切。ジュンは少しの間、応えに窮してしまうのでした。

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